2018年04月19日

さらうてぃ口説

さら落てぃ口説
さらうてぃ くどぅち
sara 'uti kuduchi
新入り女郎の口説
語句・さらうてぃ 「あらたに女郎に身を落とした者」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。「さら」は「新しい」という意味の接頭語。「うてぃ」は「落ち」から。「新入り」と訳しておく。・くどぅち 室町・江戸時代に流行した「口説」(くどき)は歌舞伎、浄瑠璃などで情景や叙事、悲哀や恨みなどを一定のメロディーで繰り返して「説く」ものだったが、17世紀以降薩摩藩の琉球支配の時代に、それが琉球に伝わり七五調で大和言葉(のウチナーグチ読み)を使ったものになった。


唄三線 嘉手苅林昌


一、さてぃむ此ぬ世に 我んぐとぅる 哀りする人 またとぅ居み 先ぢや親子ぬ 名を隠ち
さてぃむ くぬゆに わんぐとぅる あわりするひとぅ またとぅうみ まじや うやくぬなゆかくち
satimu kunuyuu ni waNgutu ru 'awari suru hitu mata tu wumi maji ya 'uyaku nu na yu kakuchi
それにしてもこの世に私のように哀れな者が他にいるだろうか まずは親子の名前は伏せて
語句・さてぃむ 「なんとまあ」「それにしても」。古語の「さても」に対応。・ぐとぅる〜のように。「る」は「どぅ」で、強調。



二、口説に口説かば 聞ちみそり 生まり出ぢたや 首里御国 山川さかいぬ ゆかっちゅぬ
くどぅちに くどぅかば ちちみそり んまりんじたや しゅいうぇーぐに やまがーさかいぬ ゆかっちゅぬ
kuduchi ni kudukaba chichimisoori 'Nmari ’Njita ya shui ’weeguni yamagaa sakai nu yukkacchu nu
口説で説明するのでお聞きください 生まれた所は首里御国の山川境の士族の
語句・うぇーぐに 「[親国]御国。位の高い国を敬っていう語。首里以外のいなか、山原(janbaru)などからは、首里を敬ってsjui weeguni[首里親国]といった。」【沖辞】。・ゆかっちゅ「士族。」さむれー、とも言う。




三、産子真牛どぅ やいびしが 七ち頃から 苧繋ぢ 十ぬ年にや 加勢役ぬ
なしぐゎーもーしどぅ やいびーしが ななちぐるから うぅーちなぢ とーぬとぅしにや かしーやくぬ
nashigwaa mooshi du yaibiishiga nanachi guru kara uu chinaji too nu tushi ni ya kasiiyaku nu
我が子は真牛と申しますが七歳の頃から苧(うー)を繋ぎ 十歳の時には加勢役に
語句・なしぐゎー 自分が産んだ子供。ここでは我が子。・うぅーちなじ 芭蕉布を織る作業において、苧(うー)とは糸芭蕉から取り出した繊維だが、それを結んで繋ぐこと。芭蕉布の製造工程では「苧績み(うーうみ)」という。・かしーやく加勢、つまり手伝いをする役目。



四、糸ん掛きたい 布織たい 親ぬ手助きする内に 最早年頃 なりぬれば
いとぅんかきたい ぬぬうたい うやぬてぃだしき するうちに むはやとぅしぐるなりぬりば
'ituN kakitai nunu 'utai 'uya nu tidashiki suru 'uchi ni muhaya tushiguru nari nuriba
糸を掛けたり布を織ったり 親の手助けをするうちに 早くも年頃になったので
語句・かきたい掛けたり。「い」は標準語の「かけたり」の「り」に対応する。(例)「うたたい もーたい」(歌ったり踊ったり)。・なりぬりば なったので。口説は大和の影響を受けた形式なので日本語の古語「なりぬれば」(なったので)から。「ぬり」は「ぬれ」のウチナーグチ読み。



五、ねえとぅけえとぅぬ 夫持ちゃい 朝夕布織てぃ 暮らち居し 妻が働らち行く末ぬ
ねーとぅけーとぅぬ うとぅむちゃい あさゆーぬぬうてぃ くらちうし とぅじがはたらちゆくすいぬ
neetu keetu nu utu muchai 'asayuu nunu 'uti kurachi ushi tuji ga hatarachi yuku sui nu
似合いの夫を持って 一日中布を織って暮しており 妻が働く結末は
語句・ねーとぅけーとぅ「似合い。似たり寄ったり。同じ程度。甲乙なし。多くは程度が低い場合にいう。」



六、家内ぬたちばぬ ならんでぃち 夫や船乗い 思い立ち 互に働らち 銭金ぬ
ちねーぬたちばぬ ならんでぃち うとぅやふなぬいうむいたち たげにはたらち じんかにぬ
chinee nu tachiba nu naraNdiichi utu ya hunanui 'umuitachi tagee ni hatarachi jiNkani nu
家庭が安定しないと言って 夫は船に乗ることを思い立ち 二人で働いて銭金の
語句・ちねー 家庭。・たちば 下駄の二つの歯。<たちばー。「台に植えた二枚の歯をtacibaa(立歯)といったもの」【沖辞】。「家庭の立歯がならない」ということは「家庭が財政的に安定しない」こと。



七、不足ねんぐとぅ 暮ち居し 友ぬ誘いに 誘わりてぃ 芝居見物 いちゃびたが
ふしゅくねんぐとぅ くらちうし どぅしぬさすいにさすわりてぃ しばいちんぶち いちゃびたが
hushuku neeNgutu kurachi ushi dushi nu sasui ni sasuwariti shibai chiNbuchi 'ichabita ga
不足が無いように暮らしていて 友の誘いに誘われて芝居見物に行きましたが
語句・いちゃびたが 行きましたが。<いちゃ<いちゅん。行く。+あびら<あびーん。あびゆん。「・・します」の過去形。



八、戻てぃ役者ぬ 面影ぬ 目ぬ緒に下とてぃ 暮らさらん さらばさらばとぅ思切やい
むどぅてぃやくしゃぬ うむかじぬ みぬうーにさがとーてぃくらさらん さらばさらばとぅ うちみやい
muduti yakusha nu 'umukaji nu mii nu uu ni sagatooti kurasaraN saraba saraba tu 'umichiyai
家に戻って役者の面影が目の前にちらついて離れなくて暮らしていけないほど。それならばそれならばと意を決して
語句・みーぬうー「目の緒の意。文語ではminuu。次の句で用いる。〜ni sagayuN. まぶたに浮かんで離れない。目の前にちらついて離れない。」【沖辞】。・うー 「緒。結ぶためなどに物に取り付けたひも」【沖辞】。



九、うりから役者ぬ 某しとぅ 夜ぬ夜々ぐとぅ 腕枕 情きぬ糸に 繋がりてぃ
うりからやくしゃぬ なにがしとぅ ゆるぬややぐとぅ うでぃまくら なさきぬいとぅに ちながりてぃ
'uri kara yakusha nu nanigashi tu yuru nu yaya gutu 'udimakura nasaki nu 'itu ni chinagariti
それから役者の何某と毎夜毎夜と腕枕 情けの糸に繋がれて



十、船ぬ入る日ん 知らなそてぃ 此ぬ事 夫に聞かりやい あわり身を置く 処なく
ふにぬいるひん しらなそてぃ くぬくとぅうとぅにちかりやい あわりみゆうく とぅくるなく
huni nu 'iru hiN shiranasooti kunu kutu utu ni chikarijai 'awari mi ju uku tukuru naku
夫の船が入る日も知らないでいて そのことを夫に聞かれてしまい 可哀想に身を置くところも無く



十一、足にまかせて道端ぬ 露に袂や濡りなぎな 巡り巡りとぅ 後道ぬ
ひさにまかしてぃ みちすばぬ ちゆにたむとぅや ぬりなぎーな みぐりみぐりとぅ くしみちぬ
hisa ni makashiti michisuba nu chiyu ni tamutu ya nuri nagiina miguri miguri tu kushimichi nu
足の向くまま歩いて 道端の露に袂(たもと)を濡らしつつ巡り巡って裏街道の
語句・ひさ 足。「ふぃしゃ」ともいう。・なぎーな ・・ながら。・くしみち 文字通りの「後ろの道」ではなく「裏街道」、つまり表には出せない生き方。



十二、弁口かかてぃ 暮らちうし さら落てぃ真牛とぅ あざむかり 仲前立たちゅる 客までぃん
びんぐち かかてぃ くらちうし さらうてぃもーしとぅ あざむかり なかめーたたちゅるちゃくまでぃん
biNguchi kakati kurachi ushi sara 'uti mooshi tu 'azamukari nakamee tatachuru chaku madiN
口がうまい人に引っかかって暮らしていて 新入り真牛だと軽蔑され 表の入り口に立たされている客にまでも
語句・びんぐち 【沖辞】には「びんくー」としてあり、「[弁口]能弁。口が達者なこと」とある。・あざむかり <あざむちゅん。「あざける。軽蔑してかかる」【沖辞】。いわゆる「あざむく」は「ぬずん」という。・なかめー 「遊郭では表の入り口をいう」【沖辞】。



十三、さら落てぃ真牛や 居らんがや 云ゃリる言葉ぬ我が肝に ヒシヒシ当とてぃ 暮らさらん
さらうてぃもーしや うらんがや いゃりるくとぅばぬ わがちむに ひしひしあたとーてぃくらさらん
sara 'uti mooshi ya uraNga yaa yariru kutuba nu waga chimu ni hishihishi 'atatooti kurasaraN
「新入り真牛は居ないかね」といわれる言葉が私の胸にヒシヒシと当たって辛くて暮らしていけない



十四、あきよ身代ぬ 御千貫情きある客 御賜みそち 元ぬ士族になち賜り
あきよどぅしるぬ うしんぐゎん なさきあるちゃく たぼみそち むとぅぬさむれーになちたぼり
'akiyoo dushiru nu 'ushiNgwaN nasaki 'aru chaku taboomisoochi mutu samuree ni nachitaboori
なんてことだ!身請けの金千貫を情けがある客は下さい 昔の士族になってください
語句・あきよ 感嘆語。「ああ、あれー」など。・どぅしる 「身代金。人身売買の金。」【沖辞】。・うしんぐゎん 千貫というお金の単位に「御」が付いている。「しんぐゎん」は20円。「当時一日の労賃は1貫(2銭)」【沖辞】。・むとぅ 昔。・なちたぼーり なってくださいね。



十五、神や仏に 手ゆ合わち 寝てぃん覚みてぃん 肝念願 しちょてぃ暮らすし 与所知らん
かみやふとぅきに てぃーゆあわち にてぃんさみてぃん ちむにがん しちょーてぃくらすし ゆすしらん
kami ya hutuki nu tii yu 'awachi nitiN samitiN chimu nigwaN shichooti kurasushi yusu shiraN
神や仏に手を合わせ 寝ても覚めても心から御願いをして暮らすことを他人は誰も知らない


概要

嘉手苅林昌先生が歌うこのウタはCD「嘉手苅林昌 唄遊び」に収録されている。コロンビアレコードに残っている音源から作られたCDで、他にも「道輪口説」「束辺名口説」「高平良万歳」「久志の万歳」「八重瀬の万歳」などの曲も盛り込まれている貴重なCDだ。




さて「さらうてぃ口説」は士族の娘についてその父親が語っている。まじめな娘が機織りの手伝いをして成長し、何の不自由もなく結婚生活を送っていたのに、夫は船乗りの仕事に就き、出航している間に芝居役者と恋仲になり、それが夫に知られて家を追い出されて女郎に「転落」していく、その娘を身請けする金を客に無心するウタである。

口説について

琉球において「口説」が作られ始めたのはおそらく薩摩藩の琉球侵攻があった17世紀以降で、琉歌も同時期に確立していったと考えられる。「上り口説」が屋嘉比朝寄(1716-1775)の作品だと言われている(根拠不詳)のは、彼が若い頃薩摩藩に派遣され日本の謡曲や仕舞を学び、琉球に戻ってからは琉球古典を学んだからだ。つまり「口説」は本土の芸能を下敷きにした琉球文化の一つである。


この「さらうてぃ口説」が作られた時代はわからないが、この例のように士族の娘が遊郭に、というのは琉球時代末期の話だろう。

恩納ナビーと並んで称される吉屋チルーという琉球時代の女流詩人は読谷に生まれ8歳のとき那覇仲島へ遊女として身売りされた。このように大半が地方の貧困層、つまり士族以外の平民の娘が身売りさせられた。女郎は琉球では「ジュリ」と呼ばれた。遊郭は自治制度があり女性だけで管理され、ジュリアンマー(女郎の抱え親)と呼ばれる人々が母子関係を結び、歌や三線、舞踊などの芸事を教えていった。

遊郭は各地にあったが、尚真王の時代、羽地朝秀(1617ー1675年)が1672年、辻、仲島に遊郭を公設した。背景には薩摩藩からの指示があったと推測されるが、遊郭の管理を王府として行う事で風紀の乱れを防止しようとした。そして琉球王朝が廃藩置県で沖縄県となり、太平洋戦争で米軍によって空襲を受けるまで辻、仲島の遊郭は存在し続けたのである。

沖縄語辞典(国立国語研究所編)には「辻」の項でこうある。

「[辻]那覇にあった遊郭の名。本土人・中国人・首里・那覇の上流人を相手とした高級な遊郭であった。那覇にはciizi,nakasima[中島],wataNzi[渡地]の三つの遊郭があり、ciiziが高級で、nakasimaは首里・中島相手、wataNziはいなか相手と、それぞれ、客の層が違っていた」

本土人とは主に薩摩藩の役人で、中国人とは冊封使のことである。それ以外、商人なども含まれる。遊郭で展開された琉球芸能は表に出ることがほとんどなく記録も非常に少ない。それでも琉球古典音楽や舞踊、さらには地方の祭祀や芸能も含め、琉球芸能の重要な部分を構成していたと言われている。琉球王朝の文化である古典音楽も含め遊郭の中で展開された芸能との関わりは無視できない。


▲「琉球交易港図屏風」(浦添市美術館蔵)に、18世紀頃の辻の遊郭とジュリの姿が描かれている。
鳥居の左横の村が辻村で、その周囲の派手な着物をまとった人々がジュリだ。この図屏風にはあちこちに薩摩藩の船や武士が描かれている。当時の関係の深さをうかがい知ることができる。
この絵図の解説はここに詳しい。

 

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Posted by たる一 at 17:44Comments(0)さ行沖縄本島

2018年04月12日

安里屋ゆんた

新安里屋ゆんた
しんあさどやゆんた
語句・しん 「新」をつけるのは八重山民謡としての「安里屋ゆんた」などと区別するためである。・あさどや 元歌の「安里屋ゆんた」で最初に歌われる女性の屋号が「安里屋」だったことから。その名は「クヤマ」(1722ー1799年)で竹富島に実在したとされる。元歌の竹富島では「あさと」と読んで濁らない。・ゆんた 八重山で唄われるウタの形式の一つで仕事唄。長編の叙事詩が多い。「読み歌」から来ているという説がある。


作詞 星 克 作曲 宮良長包


1、(さー)君は野中のいばらの花か(さーゆいゆい)暮れて帰れば(やれほに)ひきとめる(またはーりぬ つんだらかぬしゃまよ)
(括弧の囃子言葉は以下省略。又発音も省略)
君(女性)は野に咲くイバラの花か 日も暮れてきたので帰ろうとすると引き止める 愛しいあなたよ
語句・さー囃子言葉。調子を整える。・ゆいゆい 囃子言葉。「ゆい」という労働形式で歌われたゆえんなのか、独自の意味があるのか不明。本土の民謡の「よいよい」と似ている。・やれほに 意味は「やれ ほんに」つまり「本当に」。「やれほんに」と歌っても間違いではない。・またはーりぬ 「また」は繰り返す時の囃子。「はーりぬ」は諸説あるが定説はない。「はり」が「晴れ」「ハレの日」との関連があるという説がある。・つんだら<つぃんだら。かわいらしい。 かわいそうである。<つぃんだーさん。・かぬしゃま <かぬしゃー 「男性からいう女性の恋人。『愛(かな)しき人』の意。『かぬしゃーま』ともいう。」




2、嬉しはずかし浮名を立てて 主は白百合 ままならぬ
嬉しくもあり恥ずかしくもあるが 貴方との噂が立って 貴方はまるで白百合 わたしにはままならない



3、田草とるなら十六夜(いざよい)月夜 二人で気兼ねも 水いらず
田の草(雑草)を取るなら十六夜の月がいい 誰もいないので気兼ねもせず二人で居られる



4、染めてあげましょ 紺地の小袖 かけておくれよ情けのたすき
染めてあげましょう 貴女の小袖を紺地に だから 私の肩にかけておくれよ 愛のこもった手ぬぐいを



解説

【概要】

1934年9月、八重山の安里屋ゆんたを観光ソングとして改作したもので、現在「安里屋ゆんた」といえばこれを指す場合も多いが、元歌と区別するために「新・安里屋ゆんた」という場合もある。この歌詞には元歌の「クヤマ」も役人も出てこない。普通の恋歌である。

作詞をしたのは星克(1905ー1977年)。彼は石垣島の白保尋常高等小学校(現・石垣市立白保小学校)代用教員だった。作曲は宮良長包(1883ー1939年)。沖縄師範学校で音楽教師をしていた。この二人がコロンビアレコードの依頼で制作し、発表されたことで全国に広まった。戦争中は囃子の「つんだらかぬしゃまよ」を「死んだら神様よ」と戦争に都合よく歌い変えられるという悲しい時代もあった。

「新安里屋ゆんた」は標準語のウタであり、私のブログでは沖縄・琉球語の歌を主に解説してきたので取り上げてこなかった。しかし標準語とはいえ70年以上も前のウタとなると「意味がわかりにくい」という声も聞く。そこでわかりやすい意訳にもしながら解説することにする。

「安里屋」がついた八重山民謡は大きく分けると以下のようになる。(それぞれ「たるーの島唄まじめな研究」とリンクされているので詳しくはそちらを参照)

1、竹富島の安里屋ゆんた
2、石垣島などの安里屋ゆんた
3、八重山古典(節歌)としての安里屋節
4、琉球古典としての安里屋節(早弾き)
5、新安里屋ゆんた

おそらく1、竹富島の安里屋ゆんたが一番古く、それが石垣島や古典、節歌へと形を変えていったと思われる。最も新しいのが「新安里屋ゆんた」ということになる。

【詳細の検討】

4番に加えて次の歌詞が付け加えられて歌われることもある。というより現在では5番までが普通となっている。

5、沖縄よいとこ一度はおいで 春夏秋冬緑の島よ
沖縄は良いところ 一度はいらっしゃい 一年中緑あふれる島だから


「新安里屋ゆんた」は標準語の歌詞ではあるが、琉球時代から続く風習を下敷きにした歌詞であり、決して現代の生活感覚からは導き出せない歌意も含まれているように思う。

1番から見ていこう。
例えば「暮れて帰れば(囃子)引き止める」の部分は男性が女性を訪ね、そして帰るという様子であるが、八重山諸島だけでなく琉球では古くから明治、大正期まで「通い婚」が行われていた。男性が女性の家に通い結婚した後も子どもができるまで通ったという婚姻制度だ。だがそれは夜のこと。「暮れて」とあるので昼間の逢瀬だ。そういう制度があったことを頭に入れて歌詞を理解することも無駄ではない。

2番に出てくる「主」とは「男性」のことを意味する。「白百合」とあるので女性と勘違いする方も少なくない。男性を「主」と呼ぶのは「男女差別」だという方の気持ちもわからないでもない。その場合は逆に「女性」だと解釈しても何の差し支えもないと思う。

3番
何故、田草をとるには十六夜の月夜がいいのか。十六夜とは当然十五夜の翌日の月のことであるが、一般に「満月より柔らかい明るさ」「少し遅れて出てくる」などが特徴。また十五夜の日は一日とともに御願(ウガン)が行われたり年中行事も多い。また十五夜の月夜にはモーアシビ(野外での青年たちの遊び)も行われた。十六夜はその翌日で作業も休日になることも歌詞を考える材料になる。

4番
紺地の着物は琉球時代、結婚した夫人の正装であり、そこから「紺地に染める」とは結婚を意味する。「情けのタスキ」とは八重山のミンサー織りの手ぬぐいを女性が男性に渡して、男性の求婚に応えたという歴史を反映している。したがって、男性が女性に向かって歌っていると解釈できる。

以上はあくまで筆者の「新安里屋ゆんた」の解釈である。


▲「新安里屋ゆんた」にクヤマさんは出てこないが、「安里屋」は使われている。クヤマさんに敬意を込めて、お墓の写真を掲載しておく。




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Posted by たる一 at 07:07Comments(0)さ行

2018年02月02日

門たんかー

門たんかー
じょーたんかー
jootaNkaa
門向かい
語句・じょー 普通は家の「門」。他に「広い道路」「馬場」などの意味があるが、ここでは家の門で良い。・たんかー 「真向かい。正面」(【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)


作詞・作曲 知名定繁

一、門たんか美ら二才小やしがよ 七門八門越ちん縁ど選ぶ
じょーたんかーちゅらにせーぐゎー やしがよ ななじょーやーじょーくちん いぃんどぅいらぶ
jootaNkaa chura niishee gwaa yashiga yoo nanajoo yaajoo kuchiN yiN du 'irabu
門(の)正面(の)美しい青年だけど(私は)七門八門越えた(程遠くの)縁こそ選ぶ
語句・くちん<くしゅん。「越す。越える」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。くち(連用形)。越して。+ん。も。「越えても」の意味。・いぃん 縁。「yiN」「ゐん」と発音する。「'iN」(いん)という発音では「犬」となる。・いらぶ 選ぶ。<いらぶん。選ぶ。



二、からじ小に一惚り 目眉小に一惚り がまく小に一惚り ちんと三惚り
からじぐゎーにちゅふり みーまゆぐゎーにちゅふり がまくぐゎーにちゅふり ちんとぅみーふり
karajigwaa ni chu huri miimayugwaa ni chu huri gamakugwaa ni chiNtu mii huri
髪の美しい人にひと惚れ 目眉の整った人にひと惚れ 腰つきが良い人にひと惚れ ちょうど三人に惚れて
語句・ちんとぅ 「ぴったり。きっちり。ちょうど」【沖辞】。・からじぐぁー 「からじ」は「琉装の際の女性の正式の髪型」【琉球語辞典(半田一郎)】。「ぐぁー」は「くぁー」から。「小」は①小さいもの②愛称③強意④卑称化、などの用法があり、ここでは②の愛称と理解することもできる。直訳すれば「からじの人」だが、「からじの美しい人」とする。「みーぐぁー」と言えば「目の小さな人」と言いうと今帰仁で伺ったが、「みーまゆーぐぁー」は前後の関連から「目眉の美しい人」と訳す。「がまく」は「腰、ウエスト」だから「腰つきが良い人」くらいか。



三、サーびんた小やたらち まーかいめがウマニよ 赤野原ちゃん小やっち忍びが
びんたぐゎーやたらち まーかいめーが 'うまにーよ 'あかぬばるちゃんぐゎー やっちーしぬびーが
biNtagwaa ya tarachi maakaimee ga 'umanii yoo 'akanubaru chaNgwaa yacchii shinubiiga
耳の前に髪を垂らして どこにいくのですか奥さん 赤野原・喜屋武のにいさんに忍んで会いに
語句・びんた「鬢。耳の前に垂らした髪。また、顔のその部分」【沖辞】。・まーかいめーが どこに行くのですか?「まーかい」どこに?。+「めー」「行く」の敬語。+「が」疑問。・うまにー「兄嫁さん。または嫁に行ったねえさん。兄嫁・既婚の姉の総称。士族についていう。」「奥さん。既婚の士族の婦人の総称。」【沖辞】。ここでは「奥さん」にする。・やっちー にいさん。血縁関係がなくても使う。・ 「に。…するために。…しに。動詞の連用形に付く。」



四、我んね門に立てて チョンチョンと雨にぬだち あきて入りることならんばすい
わんねじょーにたてぃてぃ ちょんちょんとぅあみにんだち あきてぃいりるくとーならんばすい
waNnee joo ni tatiti chooNchooN tu ‘ami ni Ndachi ‘akiti ‘irirukutoo naraNbasui
私を門に立てて チョンチョンと雨に濡らせて 扉を開けて入ることはならないわけか
語句・んだち 「んでぃゆん」濡れる。「あしゅん」をつけると「〜させる」と使役になる。「濡らす」は「んだしゅん」となり、連用形で「んだち」となる。・くとー 「ことは」〜ならない、というふうに否定的な事柄を強調するときに使う。「くとぅ」+「や」→融合して。・ばすい 〜なるわけか。「ばす」は「訳」「理由」。文末の「い」は疑問の助詞。



五、サー大田ばんた毛遊び唄声小や 田佐原チル小 三味線小弾ちゅせ よがりうさ小
'うふたばんた もう'あしび'うたぐぅいぐゎーや たさばるちるぐわー さんしんぐゎーふぃちゅせー よーがり'うさぐわー
'uhutabaNta moo'achibi 'utagwii gwaa ya tasabaru thirugwaa saNshiNgwaa hwicusee yoogari'usagwaa
大田バンタ(崖のふち)での毛遊びの唄声は田佐原ツルちゃん 三線(を)弾くのは痩せたウサちゃん
語句・バンタ <はんた。崖や崖のふち。昔からモーアシビの場に使われることが多い。・たさばる 現在のうるま市川田あたり。・ふぃちゅせー 弾くのは。<ふぃちゅん。弾く。+し。の。+や。は。「せー」は、この「し」と「や」が融合した形。



六、さー大田坂通て 為なたみアバ小よ 足駄鼻切らち 損どぅなたんで
うふたびらかゆてぃ たみなたみ あばぐぁーよ あしじゃばな ちらち すんどぅなたんでぃ
‘uhutabira kayuti taminatami ‘abagwaa yoo ‘ashijabana chirachi suNdu nataNdi
大田坂を通って為になったか?姉さんよ 下駄の鼻緒が切れて損になったと
語句・うふたびら 具志川の大田にある坂の名前。坂は「ふぃら」。連濁で「びら」。・なたみ なったか? 「なる」の意味の「なゆん」nayuNの最後の「N」を「n」に変えて疑問の助詞「i」をつけたもの。・なたんでぃ なったと。なたん<なゆん。過去。+んでぃ。〜と。



七、からじ小てーげー小 目眉小んてーげー小 がまく小に我んね ちんと惚りて
からじぐわーてーげーぐゎー みーまゆぐわーんてーげーぐゎー がまくぐゎーにわんねーちんとぅ ふりてぃ
karaji gwaa teegeegwaa miimayugwaaN teegeegwaa gamakugwaa ni waNnee chiNtu huriti
髪が綺麗な人もまずまず 目眉の綺麗な人もまずまず(でも)腰くびれが魅力的な人に私はドンピシャ惚れて
語句・てーげーぐゎー 「大概」に対応したウチナーグチ。「大概。たいてい。おおよそ」「相当」【沖辞】というように、状況に応じて使い分けが効く言葉だ。思ったよりも状態が良くなくても、良くても使う。ここでは、しかし「まずまず」くらいにしておこう。



(コメント)
作者は知名定繁氏(1916〜1993)。知名定男氏の父。
出生地は具志川(現在のうるま市と合併して地名は消えた)。
幼少から三線を弾き、青年となって横浜や大阪へ。そして太平洋戦争中は筑豊で働き、戦後は兵庫県尼崎へ。そして沖縄に密航で戻り、民謡協会の設立や古典湛水流の研究なども手がけた。

この曲はナークニー系の毛遊びの唄で、知名定繁の生まれたシマ(里)のモーアシビの情景が歌いこまれているので「具志川小唄」という名もある。おそらく正式名称はこちらで「門たんかー」は通称だろう。

しかし、ナークニー系といっても琉歌形式のサンパチロク(8886文字)には厳密にはなっていない歌詞もある。

また「今帰仁ミャークニー」のように歌い出しが「サー」で始まり上ぎ吟(あぎじん)のような歌唱法もある。実に複雑な構造である。

上の歌詞は、七番を除いて、うるま市の知名定繁顕彰碑に掲示されている歌詞を取り上げた。

一番は、たとえイケメンであっても隣近所ではダメ、少し離れたご縁を選ぶ、と当時の女性の気持ちを表しているのだろうか。

二番、三番、飛んで五番は野外での芸能を交えた男女異性交流、すなわちモーアシビの情景が歌いこまれる。

四番は、女性の家に通ってきた男性が入れてもらえない恨み節。「通い婚」という婚姻が長く続いた沖縄ならではの情景。

六番は遠方のモーアシビに通った娘に何も得ることはなかっただろうと語りかける。

七番は二番との繋がり、対応を感じさせる歌詞だ。

若者たちのモーアシビや通い恋愛を軽く描いた歌詞ながらも、三線のテクも高く、歌い込みをしないと歌えない難曲の一つで、ウタ者たちは競ってこれを歌ったりもする。

顕彰碑について

知名定繁顕彰碑がうるま市の川田交差点にある。



非常に立派な歌碑であり、この方への多くの方の敬意の高さを物語る。





この「門たんかー」の歌詞も刻まれている。







ここに記された文章は以下の通りである。

知名定繁の碑 「門たんかー」

 「門たんかー」は、知名定繁作品百節を代表する節名である。

 知名定繁は、大正5年、具志川村大田(現うるま市川田112番地)に生まれた。幼少にして歌三絃をよくし、仲喜洲尋常高等小学校高等科を卒業。20歳に関西へ。その間、琉球民謡の重鎮普久原朝喜と共に演奏活動をする傍ら創作に勤しんだ。昭和32年帰郷。

 知名定繁は、琉球筝曲、殊に湛水流工工四編纂に深く関わり、その発刊の序文に、古典音楽家池宮喜輝師(明治19年~昭和42年)は、概要、次のように記している。

 「昭和15年、湛水流師範中村孟順、古典音楽研究者世礼国男共著『声楽譜附工工四』の出現をみたが、今度更に中村孟順、箏研究家知名定繁両氏によって、湛水流筝曲工工四の上梓を見たことは、同流保存発展上、欣快に堪えない。中村・知名両氏は、筝曲工工四の原案が出来上がるや、その調閲を池宮喜輝、幸地亀千代両氏と演奏。最良と判断し発刊に至った。」

 知名定繁氏の作品は、一般に「定繁ぶし」と言われ、弟子筋のみならず、愛好者の定本となっている。また、人をそらさない人柄、語るような歌唱は聞く人の心をとらえてはなさず、代表作「門たんかー」と共に、その名も永遠に人々の心に刻まれるであろう。平成5年7月24日没。享年77才。

  平成17年7月17日

  知名定繁歌碑建立期成会



「大田ばんた」「大田坂」について

具志川の大田公民館の近くに「大田坂」(うふたびら)がある。
地元の方や、「門たんかー」を歌われる方々は良くご存知なのかもしれない。
筆者は2018年12月の沖縄旅で偶然知った。



左側に「大田坂」がある。
少しだけ下ってみた。






右側に看板にはこう書かれている。




うるま市指定文化財第34号「史跡」
指定年月日:2005年(平成17年) 2月16日
:
Uruma City appointed cultural asset #34 "historic site" Date of appointment: February 16, 2005.
" URUMA市指定文化財「史蹟」指定日期: 2005年2月16日
우루마시 지정 문화재 제34호·사적, 지정년월일 2005년 2월 16일

字大田と字川田を通る坂道は、今から約200年ほど前にあかばんた掟(うっち)と玉城親雲上(たまぐすくペーチン)と上門小(いーじょうぐゎー)ビニーの三人の企画と設計で施工され、地元や近隣の住民や資材の協力を得て完成したと伝えられています。

幅員2~3mで、全長約300mにおよび、琉球石灰岩(りゅうきゅうせっかいがん)を敷き詰めた石畳(いしだたみ)の道で、坂を登ると眺めの良い大田バンタがあります。また、字具志川に番所があった頃首里王府から各間切間の伝達に利用された道で宿道として整備された歴史の道であります。


琉球王朝時代に作られた重要な幹線道路を「宿道」(スクミチ)と呼んだが、その一つであった。
看板の右側に少し小高い丘があって、中城湾を見下ろすことができる。そこが「大田バンタ」だろう。
草薮になっていて入ることができなかったが、おそらく良い眺めだろう。

田佐原と赤野原について

明治から昭和初期まで日本帝国陸軍が持っていた軍事地図が公開されている。
その地図をみると



大田や喜屋武は地名として現在もあるのだが、田佐原はバス停として残っているが地名としてはない。
赤野は天願川のほとりに。昔は「赤納」だったのだろうか。


米国スタンフォード大学がネットで無料で公開している帝国陸軍測量の明治43年に測量された1/50000地形図。


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Posted by たる一 at 23:56Comments(3)さ行沖縄本島

2016年09月22日

じんだま

じんだま

作詞 上原直彦 作曲 松田弘一 唄 伊波 貞子


一、かなし銭玉小 綾色ん深く 肝にしみじみとぅ 染みてぃたぼり
かなしじんだまぐゎー あやいるんふかく ちむにしみじみとぅ すみてぃたぼり
kanashi jiNdama gwaa 'aya'iruN hukaku chimu ni shimijimi tu sumiti taboori
愛しい銭玉小(着物の柄の一種)よ 綾(模様)の色も深く心にしみじみと染めてください
語句・かなし 愛しい。<かなしゃん。かわいい。愛しい。・じんだまぐゎー 銭玉を模様化した琉球絣の柄のことを指す。穴の空いた硬貨を模している。・あや 本来は「縞」の意味。縦糸と横糸を織りなして作った模様。「美しい」の意味もある。・しみじみとぅ 沖縄語辞典にはない。「しんじんとぅ」(「しとやかにしているさま。静粛に控えているさま。しみじみとの転意か」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す))ならある。・たぼり 〜してください。<たぼーり。<たぼーゆん。「給う。下さる。」「口語としては命令形taboori(下さい)のみを用いる」【沖辞】


サーサーしゅらし しゅらし銭玉よ
さーさー しゅらし しゅらし じんだまよー
saa saa shurashi shurashi jiNdama yoo
(囃子※は以下略)
かわいい かわいい銭玉よ
語句・しゅらし かわいい。<しゅらーしゃん。「しおらしい。かわいらしい。愛らしい」【沖辞】。



二、あねる銭玉小 着物綾どぅやしが 真肌はだはだとぅ 抱ちゃいくぃゆさ
あねるじんだまぐゎー ちんあやどぅやしが まはだはだはだとぅ だちゃいくぃゆさ
'aneru jiNdamagwaa chiN 'aya du yashiga mahada hadahada tu dachai kwiyu sa
そんな銭玉は着物の模様であるが 真肌(「はだはだとぅ」不詳)を抱いたりしてくれるよ
語句・あねる 「そんな。そのような」【沖辞】。・ちん着物。・はだはだとぅ 「肌」を強調したものか。不詳。・だちゃい 抱いたり。・くぃゆさ あげるよ。くれるよ。<くぃゆん。「くれる。与える。やる。また、(・・して)やる。(・・して)くれる。」【沖辞】。



三、銭玉小着やい 踊いうみかきら かなしうむや小ん 見じゅんでむぬ
じんだまぐゎーちやい うどぅいうみかきら かなしうむやぐゎーん んーじゅんでむぬ
jiNdamagwaa chiyai 'udui 'umikakira kanashi 'umuyaagwaaN NNzuN demunu
銭玉の模様の着物を着て踊りをお見せいたしましょう 愛しい恋人もみるのだから
語句・ちやい 着て。・うみかきら お見せいたしましょう。<うみかきゆん。「お目にかける。ご覧に入れる」【沖辞】。の希望形。・んーじゅん 見る。・でむぬ 「・・であるから。・・なので」【沖辞】。



四、銭玉小ぬ情 かりすみやあらん 命ある間ぬ綾ゆでむぬ
じんだまぐゎーぬなさき かりすみやあらん いぬちあるいぇだぬあやゆでむぬ
jiNdamagwaa nu nasaki karisumi ya 'araN 'inuchi 'aru yeda nu 'aya yu demunu
銭玉模様の情けはかりそめではない 命ある間の綾(模様)なのだから
語句・かりすみ かりそめ。【沖辞】にはない。・ 不詳。文語では「を」。強調か。



この曲はCD「綾うた」に収録されている。
(正式な名称は「RBC創立四十周年記念盤 綾うた~上原直彦作詞集」)

YouTubeにあるのでリンクする。
https://youtu.be/_dOioyU_lQU

琉球絣の柄の一つ「じんだま」をテーマにしている。

絣の柄といえば、私などは自分が民謡を唄う時に来ている着物の柄やかりゆしウエアの柄を思い出す。


もちろんこれは本物の絣の織物ではなく、プリント生地を縫製したものだ。

では本物の絣とはどういうものか。
絣の柄とはどんなものかを見ていこう。

「織物のまち南風原町」のホームページがわかりやすい。http://www.haebaru-kankou.jp/texitile/ryukyu-kasuri.html

幾つかのサイトも参考にして絣というものについてすこしまとめてみた。

【絣の歴史】

絣(かすり)はインドで生まれた織物で東南アジアに広まった。
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)をそれぞれ染めクロスさせることである模様(綾)を生み出す技法。

14〜15世紀頃大交易時代だった琉球にもたらされた。
琉球では庶民が着る着物は無地か縞柄(しまがら)だった。
一方で絣は王府に納める貢納布として、先島諸島や久米島、首里や那覇など各地のヒャクショー(平民)の女性たちの手によって織られた。決して自分達が着ることがないとわかっていても。
人頭税で納める米の代わりにこの絣が納められたこともある。

17〜18世紀には、さまざまな手法が生み出されて開花する。

その絣の柄は王府の絵図奉行の絵師たちの手によって「御絵図帳」(みえずちょう)にまとめられ宮古、八重山など先島諸島、各地での絣の柄を統制・指導する際に用いられた。

約600種類の柄が描かれているという。誰がそのデザインを生み出したのか、は不明。

しかしその御絵図帳で庶民が織った絣は王府、士族の女性たちの着物となった他は中国(明、清)への朝貢品として、また1609年の薩摩侵攻以後は薩摩、江戸への貢納品として使われた。
その事を通じて絣の技術や柄そのものが本土に広がっていき大きな影響を与えた。

【絣の種類や呼び名】

いくつか絣の綾(模様)をピックアップしてみよう。
(図は筆者が描いた)

まずはこのウタのテーマ「じんだま」





▲細長い形のものもある。



▲中央は四角形の穴である。

これらは実際に琉球で使われた貨幣の形を模したものだ。


▲大宜見、久米島のものは左上の細長い貨幣を模したものだろう。

「銭」つまり貨幣が使われ始めたのは琉球が統一される前の中山の察度王(1321〜1395年)と言われている。琉球が統一されて貨幣経済は琉球に広がって行った。

絣柄「ジンダマー」は現在では「ドーナッツ紋」とか「丸紋」と呼ぶこともあるようである。



また、自然を模した柄も多い。



▲トゥイグヮー、鳥あるいは小鳥。千鳥とかツバメとも最近は呼ばれるようだ。呼び名も時代とともに変化している。琉球時代より以前から「鳥」はあの世とこの世を結ぶ連絡係のようなもの、と信じられてきた。あの世からのメッセージであり、こちらから想いをあの人に伝える伝令のようなものだった。
その意味では鳥を模した柄にも琉球の精神世界の反映があるのかもしれない。



▲星を模したもの。星が身近なもので、方位や時間、季節を星で計っていたからだ。
航海や農業、遊び全般で星は重要な「時計」「カレンダー」代わりの役割があった。



▲星が五つ、かと思いきや、インヌフィサー、つまり犬の脚、足跡という意味だ。
ユーモラスでもあるが、どんな思いを込めていたのだろうか。



生活に使われた道具なども多い。


▲バンジョウ。番匠と書く。建築などを仕事とする大工が非常に大切にしたという直角になった金属の定規。直角が測れなければ正確な建築はできない重要な道具だ。



▲このバンジョウを組み合わせて作った芭蕉布の柄。なんとも清楚で美しい。昔は庶民の着物。しかしお値段は。。書くまい(笑)



▲ウシヌヤマ バンジョウと呼ばれる柄。牛のヤマとは、田や畑の土を掘り起こす時に使う犁(すき)のことで、牛(水牛)に引かせた。


▲ウシヌヤマ(「『沖縄の民具 』上江洲均著」を参考に筆者描画)

それとバンジョウの組み合わせなのかどうか解らない。この農具の形だけでもウシヌヤマバンジョウではある。どちらにせよ、両方とも生活では非常に必要度の高いものの組み合わせである。デザインとしても単調ではなく、アクセントが加わって柄も生き生きしてきそうだ。
ちなみに上の私のかりゆしウエアにもこの柄がある。



▲いわばS字フックである。台所や服をかけるときなど今でも何かと便利なものである。これも柄としては面白い。繋げても良いし単独でもいい。



▲豚の餌箱を模した柄。

それにミミ(取っ手だろうか)がつくと


▲もう現在ではフールー(豚小屋)が家にあるお宅などまずは無いと思うが、昔はよく見られた。ということでこの柄は現在では「虫の巣」と呼ばれるようである。



▲人間も動物も植物も水がなければ生きていくことができない。サンゴ礁の島琉球には大きな川も湖もあまりなく、水は湧き水、つまりカー(井戸)のお世話になってきた。そして水はいろいろな祭祀においても重要なアイテムとなる。

さらに井戸はその形によってもまたステキなデザインとなって人々を助けている。


【まとめ】

琉球王朝の「御絵図帳」には600種類の柄があるので到底全部を紹介するわけにはいかないが、上にあげたものだけでも、絣の柄が人々の自然と共にある暮らしや祭祀などの精神世界と密接に関係していることがよくわかる。

そう考えていくと、このウタ「じんだま」の四番

「銭玉小ぬ情 かりすみやあらん 命ある間ぬ綾ゆでむぬ」

を唄う時、また聴く時、感慨深いものが湧いてくる。

この絣の柄として人々の身体を覆ってきたジンダマを着て生活をし、
また踊る時、想いを伝えたい人への深い愛情を込めているのだということを。

本土の絣の文化に深い影響を与えただけでなく、世界にも広がっているという絣。

今も新しい絣を生み出し、それを楽しみ慈しんでいる沖縄の人々の文化の深さにも感銘するばかりである。



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2015年09月12日

下千鳥 6

下千鳥 6
語句・さぎちじゅやー 舞踊曲「浜千鳥」(俗称;ちじゅやー)をくずして、恋や人や世の中の無常さ、遂げられない思いを歌詞に載せて歌う。何故「下げ」(さぎ)とつくかには、「弾き始めが低い音からなので」とか「リズムがゆっくりだから」などいくつか説があるが明確ではない。三線の「弾き始め」を「浜千鳥」のように高い音からすることもある。人気曲である「ちじゅやー」は「南洋浜千鳥」や「遊びちじゅやー」などのように曲をアレンジして歌われることが多い。


唄三線 嘉手苅林昌
《CD 「BEFORE/AFTER」より筆者聞き取り》


一、誰ん姑びれや かんがまたあるい 我みぬ姑びれや かにん苦りさ うんじゅ引ち当てぃてぃ 愛さみそり
たるんしとぅびれや かんがまたあるい わみぬしとぅびれや かにんくりさ うんじゅひちあてぃてぃかさなみそり
taruN shitubiree ya kaN ga mata 'arui wami nu shitubiree ya kaniN kurisa 'uNzu hwi'atiti kanasa misoori
どなたも姑付き合いはこんなものだろうか 私の姑付き合いはこんなにも苦しい あなた(姑)はご自分に照らし合わせて私を可愛がってください
語句・しとぅびれー 「姑[しゅうとめ]との接しかた」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】と略す)。びれー<ふぃれー。つきあい。交際。・かん こう。疑問を表す助詞「が」がついて、「こんなに〜か?」。・かにん こんなにも。・うんじゅ あなた。目上の人を指す。【琉辞】には「御[お]+み〔敬称〕+胴[duu]、すなわち‘御身’[おんみ]」が語源とある。・ふぃちあてぃてぃ 比べて。つまりここでは「ご自分の姑つきあいの時と比べてみて」・かなさみそり 可愛がってください。かなさ<かなさすん。愛する。+みそり<〜してください。敬語。



二、暮らさりる間や まじ暮らちなびさ 暮らさらんなりば 出じてぃ行ちゅさ ちりなさや 我みぬせるし様
くらさりゆいぇだや まじくらちなびさ くらさらんなりば んじてぃいちゅさ ちりなさや わみぬせるしじゃま
kurasariru yeda ya maji kurachinabiisa kurasaraN nariba 'Njiti 'ichu sa chirinasa ya wami nu seru kuru ya
暮らせる間は しばらくは暮らしますよ 暮らせなくなれば出て行くよ 切ないねえ 私のしているありさまは
語句・まじ 「しばらく」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)・ちりなさや 「つれ[情け]ない。」【琉辞】。下千鳥にはよく使われる語句。・しざま 「さま、ざま〔よくない[哀れな]ありさま〕」【琉辞】。これも下千鳥では常套句。



三、朝ま夕ま通ゆてぃ 慣りし面影ぬ たたぬ日や無さみ 塩屋ぬ煙 かわてぃ今日ぬ 夜半にあかしかにてぃ
あさまゆまかゆてぃ なりしうむかじぬ たたぬふぃやねさみ すやぬちむり かわてぃちゅぬ ゆふぁにあかしかにてぃ
'asama yuuma kayuti narishi 'umukaji nu tatanu hwi ya nesami suya nu chimuri kawati chuu nu yahwa ni 'akashi kaniti
朝も夜もいつも通って親しくなった面影はたたない日はないだろう 塩屋の煙のように いつにも増して今日の夜は過ごすのが辛い
語句・あさまゆま 朝も夜も。「あさゆさ」とも言う。・ねさみ ないだろう。・すやぬちぬり 「塩屋」は海水から塩を取るための小屋。海水を濃縮して焚いて塩を取る。毎日のようにその煙が立つことから。・かわてぃ 「特に、殊に['iruwakiti]」【琉辞】。「変わって」ではない。いつもとは違って、特に〜という時に使う。・ゆふぁ 夜半。夜中。「やふぁん」「ゆふぁん」「ゆわ」とも言う。



嘉手苅林昌先生の「下千鳥」。
歌うたびに歌詞が変わるので、
それを全部集めるとかなりの数のウタになるのだろう。

下千鳥は「悲恋」「別れ」をテーマにした歌詞が多い中で、
今回の一、二番は「姑つきあい」の難しさをうたっている。
でも三番では聴衆の期待に応えて「愛」がテーマ。
まあ姑つきあいというものも「愛」がベースにあるがゆえの悩みだ。

「うんじゅ ふぃちあてぃてぃ かなさみそり」
なかなかこの意味を理解するのに時間がかかった。

姑に言ったのかどうかはわからないが、「どうか、この苦しみをわかってください。あなたも姑つきあいの難しさはおわかりでしょう?ご自分がこうだったらどうするか、お考えください」と。

意味がわからず何ヶ月も悩んでいると、ある時、はっとすることがある。
その曲を聞いていてばかりではなく、テレビを見ていたり、電車のなかで
あ、そういうことだったのか!と思わず立ち上がって喜んでいたりする。

年配のウチナーンチュなら聞いてすぐにわかるのでしょうが。

三番は歌い終わると客席から掛け声がかかるほど人気のある歌詞。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんなことをこのブログでさせていただいてきて、来月で10年を迎えます。

「たるーの島唄まじめな研究」ももうすぐ次のステージに入っていけたらいいな、と思っています。

最初の勉強に大きな影響と勇気を下さった故胤森弘さんをはじめ多くのご意見を下さった皆さんに改め感謝します。




  

Posted by たる一 at 14:36Comments(0)さ行沖縄本島

2014年12月05日

スーキカンナー 2

スーキカンナー 2
すーきかんなー
suuki kaNnaa
惣慶、漢那(地名)
語句・すーきかんなー 惣慶と漢那。 共に金武間切(まじり。「村」に相当。)にある惣慶(すーき)と漢那(かんなー)という二つの地名を合わせて呼んだもの。沖縄では隣接する地名の「併称」はよくある。山内諸見里、越来美里・・等。似た地名が多いため、隣接する地名を二つ、三つとつなげて呼ぶことが多い、という説がある。


歌 知名定男 囃子 登川誠仁
(YouTube http://youtu.be/AWVzX-Jh2Es より筆者が聴き取り)


1、惣慶、漢那、金武からやいびーしが 我ーソーキん小こんそーらね 汝がソーキん小や わたゆい悪っさぬ 我バーキん小 こーんそーれー
すーきかんなーちんからやいびーしが わーそーきんぐゎーこんそーらね やーがそーきんぐゎーや わたゆいわっさぬ わんばーきーんぐゎーこーんそーれー
suuki kaNnaa chiN kara yaibiishiga ưaa sookiNgwaa kooNsooranee 'yaa ga sookiNgwaa ya watayui wassanu waN baakiiNgwaa kooNsooree
惣慶、漢那、金武から来ましたが私のソーキ(丸い笊)をお買いくださいますように。お前のソーキは「わたゆい」(不明)悪いので、私のバーキを買ってください。
語句・そーきんぐゎー 「ざる。竹を縦横に編み、回りを縮めた、丸いざるをいう。底が丸い。主として、野菜・穀物を入れるのに使い、目は比較的密なものが多い」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)(以下【沖辞】と略す)】。《図1》。そーき(笊)+ん(軽い強調)+ぐゎー(小さいもの、かわいいもの、軽蔑的なものにつく。接尾語)。「そーき」は竹で編んだまるいザル。野菜や穀物を入れるもの。目は密・こーんそーらね お買いくださいますように。こー<こーゆん「買う」。+ みそーら<みせーん 「なさる」の未然形。 +ねー。「(・・する)ように。(・・した)ごとく」。強くせまる言い方のようだ。・わたゆい 不明。笊(ざる)を編むときの竹の背(竹の外皮側)と腹(はら。わた。;内側)からきているのか。・わっさぬ 悪いので。<わっさん(形) 悪い。形容詞が「ぬ」で終わる時は原因の意味、「・・なので」。・ばーき「ざる。かご。底が四角で底を中心に丸く竹で編み上げたざるをいう。穀物・芋を入れる。目は密なものと粗なものといろいろある。」【沖辞】。《図2》。



2、我んや本部ぬ瀬底どぅやいびーしが ムンジュル笠小こんそーらね 汝が うぬ笠小や曲ぐいぬ悪っさぬ 我んクバ笠小こーんそーれー
わんやむとぅぶぬしすくどぅやいびーしが むんじゅるがさぐゎーこんそーらね やーが うぬかさぐゎーや まぐいぬわっさぬ わんくばがさぐゎー こんそーれー
waN ya mutubu nu shiiku du yaibiishiga muNjurugasagwaa kooNsooranee 'yaaga 'unu kasagwaa ya magui nu wassanu waN kubagasagwaa kooNsooree
私は本部の瀬底の者なんですが、ムンジュル(麦わら)笠をお買いくださいますように。お前のその笠は曲げ方が悪いから私のクバ笠を買ってください。
語句・むんじゅるがさ ムギワラ、麦藁で作った笠。《図3》・まぐい 曲げ方。 ・くばがさ クバの葉であんだ笠。《図4》「くば」とは「びろう(蒲葵)。しゅろ科の植物で、枝は無く、広い葉が長い柄につく。葉で、みの、笠、扇などを作る。霊地拝所に多い。biNrooとは似ているが、別種。」【沖辞】。



3、我んやコザぬアイスケーキ屋やいびーしが アイスケーキこんそーらね 汝や冬でぃん うりがんかまりみ 我ーアイスボンボンこーんそーれー
わんやこざーぬ [あいすけーき]や やいびーしが [あいすけーき] こんそーらね やーや ふゆでぃんうりがん かまりみ わー [あいすぼんぼん] こんそーれー
(括弧[]は外来語)
waN ya koza nu aisukeekiya yaibiishiga aisukeeki kooNsooranee 'yaa ya huyu diN 'urigaN kamarimi waa aisuboNboN kooNsooree
私はコザ(現沖縄市)のアイスケーキ屋ですが アイスケーキをお買いくださいますように。お前は冬でもそれが食えるか? 食べられまい?私のアイスボンボン買ってください。



4、我んや勝連、照間どぅやいびーしが 寝座敷筵こんそーらね 汝が筵小や わたあみ悪っさぬ 我んにくぶく小こんそーれー
わんや かっちん てぃるまどぅやいびーしが にざしちむしろーこんそーらね やーが むしるんぐゎーや わたあみわっさぬ わん にくぶくぐゎーこんそーれー
waNya kacchiN tiruma du yaibiishiga nizashichimushiroo kooNsooranee 'yaaga mushiruNgwaa ya wata'ami wassanu waNnikubukugwaa kooNsooree
私は勝連は照間の者なんですが寝座敷ムシロをお買いくださいますように。お前のムシロは「わたあみ」(不明)悪いので、私の猫伏買ってください。
語句・にざしちむしろー 寝座敷ムシロは。むしる。+や。→むしろー。《図5》。・にくぶくぐゎー 猫伏。「藁縄で編んだむしろ。農家で用いる。」【沖辞】。本土では「ねこ、ねこ座、ねこぶく、ねこぶき、にくぶく」などともいう。沖縄では昔、この上に寝座敷ムシロをひいて寝たり、また泡盛の原料のタイ米を蒸してこの上に置いて黒麹をまいたりした。《図6》。



5、我んや呉屋村 上地どぅやいびーしが ミーバーラーん小こんそーらね 汝がミーバーラーん小 曲いぬ悪っさぬ 我ウーバーラー小こんそーれー
わんやぐやむら いいちどぅやいびーしが みーばらんぐゎーこんそーらね やーが みーばらんぐゎー まぐいぬ わっさぬ わーうーばーらーぐゎーこんそーれー
waN ya guya mura 'wiichi du yaibiishiga miibaaraaNgwaa kooNsooranee 'yaa ga miibaaraaNgwaa magui nu wassanu waa uubaaraa gwaa kooNsooree
私は呉屋村の上地の者ですが、ミーバーラー(目の荒い竹かご)を買わないですかね。お前のミーバーラーは曲げ方が悪いので、私のウーバーラー(芭蕉の糸を入れる竹かご)を買ってください。
語句・みーばーらー「目のあらい竹かご。目かご。鶏を飼う場合などに用いる。」【沖辞】。《図7》。・うーばーらー 「芭蕉布を績(う)んで入れる竹のかご。haaraは竹で編んだかご。」【沖辞】。《図8》



6、我んやマチうてぃ履物売やーやいびーしが 雨靴小こんそーらね 汝が雨靴小やどぅくはに悪っさぬ 我革サバ小んこんそーれー
わんや まちうてぃ はちむんうやーや やいびーしが [あまぐつ]ぐゎーこんそーらね やーが[あまぐつ]ぐゎーや どぅくはにわっさぬ わんかーさばぐゎー こんそーれー
waN ya machi uti hachimuN 'uyaa ya yaibiishiga 'amagutsugwaa kooNsooranee 'yaa ga 'amagutsugwaa ya duku hani wassanu waN kaasabagwaa kooNsooree
私は市場で履物売りですが、雨靴を買わないですかね?お前の雨靴はひどく(水の)撥ねが悪いので、私の革ぞうりを買ってください。
語句・まち 市(いち)。・どぅく「あんまり。ひどく。過度に。」【沖辞】。・かーさば 「革ぞうり。雪駄」【沖辞】。



7、山内諸見里ぬ桃売い姉小やいびーしが 山桃小やこんそーらね 汝が山桃小やあおさぬかまらん 我ん赤桃小こんそーれー
やまちむるんざとぅぬ むむういあんぐゎー やいびーしが やまももぐゎーやこんそーらね やーが やまむむぐゎーや あおさぬ かまらん わんあかむむぐゎーこんそーれー
yamachi murumizatu nu mumu'ui'aNgwaa yaibiishiga yamamumugwaa ya kooNsooranee 'yaaga yamamumugwaa ya 'aosanu kamaraN waN 'akamumugwaa kooNsooree
山内、諸見里の桃売り娘ですが山桃をお買いくださいますように。お前の山桃は青くて食べられない。私の赤桃を買ってください。
語句・むむういあんぐゎー 「楊桃(むむ)を売る娘。宜野湾村の大山、真志喜あたりの娘たちが買い出しに行き、首里・那覇などを売り歩いた。」【沖辞 】。「楊桃」とは「山桃」の事。中国語では「スターフルーツ」の意味となるので注意。参考;Wikipedia 山桃。「ヤマモモ」《図9》・あおさぬ ウチナーグチでは「おーさぬ」だが、知名少年は「あおさぬ」と歌っている。青いので。<おーさん。青い。未熟。の原因形。



8、我んや小禄ぬ肉売いアバ小やいびーしが 我ん牛肉小こんそーらね 汝が牛肉小やくふぁさぬかまらん 我んウチナガニー小こんそーれー
わんや うるくぬ ししういあばーぐゎーやいびーしが わん[ぎゅうにく]ぐゎーこんそーらね やーが[ぎゅうにく]ぐゎーや くふぁさぬ かまらん わんうちながにーぐゎーこんそーれー
waN ya 'uruku nu shishi 'ui 'abaagwaa yaibiishiga waN gyuunikugwaa kooNsoorane 'yaa ga gyuunikugwaa ya kuhwasanu kamaraN waN 'uchinaganiigwaa kooNsooree
私は小禄の肉売り姉さんですが私の牛肉をお買いになりますように。お前の牛肉は固くて食べられない。私のロース肉を買ってください。
語句・あばーぐゎー「姉。ねえさん。農村で用いる語。首里では、士族については?Nmii、平民については?aNgwaaという」【沖辞】。ここでは直訳のまま。・しし 「多くは食肉をいう」【沖辞】。本土でも古代「肉」のことを「しし」と呼び、肉を食べる動物を表す語に転じた。沖縄では現在でも「肉」を意味する。・くふぁさぬ 固いので。<くふぁさん。固い。・うちながにー 「牛・豚の背にある上等な肉。背肉。ロース。」【沖辞】。沖縄県畜産振興公社のホームページでは「ヒレ」とある。ロースとヒレ、どちらであろうか。《図10》



9、我んやゆに村塩売やーややいびーしが 我ん塩ん小こんそーらね 汝が塩ん小やしぶからじゅーさぬ 黒砂糖小こんそーれー
わんや ゆにむら まーすうやーやいびーしが わんまーすんぐゎー こんそーらね やーがまーすんぐゎーや しぶからじゅーさぬ くるざーたー ぐゎーこんそーれー
waN ya yunimura maasu'uyaa yaibiishiga waN maasuNgwaa koNsooranee 'yaa ga maasuNgwaa ya shibu kara juusanu kuruzaataagwaa kooNsooree
私は与根村 塩売りですが、私の塩をお買いになりますように。お前の塩は渋辛いので黒砂糖買ってください。
語句・ゆにむら 現在の豊見城市の西側の海岸。入浜式塩田があった。那覇の泊潟原、泡瀬とともに塩の生産が行われた地域。現在は「ヨネマース」が有名。・まーす まーしゅ、とも言う。・しぶからじゅーさぬ ぴたりのウチナーグチが見つからない。「しぷからさん」(塩辛い)。「からさん 」=「辛い。刺激性の辛さ(唐辛子・わさびなど)をいう。塩味についてはsipukarasaN、塩味が強いことはsjuuzuusaNという。」【沖辞】。「しぶさん」(渋い)。「しゅーじゅーさん」 (塩辛い)。いろいろあるのだが。。・くるざーたー黒砂糖。



10、我んや糸満 魚売い姉小やいびーしが グルクン小やこんそーらね 汝がグルクン小や匂いぬ悪っさぬ 我ん飛びイカ小こんそーれー
わんや いちまん いゆういあんぐゎーやいびーしが ぐるくんぐゎーや こんそーらね やーが ぐるくんぐゎー や にうぃぬわっさぬ わん とぅびーいちゃぐゎーこんそーれー
waN ya 'ichimaN 'iyu'ui'aNgwaa yaibiishiga gurukuNgwaa ya kooNsooranee 'yaaga gurukuNgwaa ya niui nu wassanu waN tubiichaagwaa kooNsooree
私は糸満 魚売り娘ですが、グルクンをお買いになられますように。お前のグルクンは匂いが悪いので、私の飛びイカを買ってください。
語句・いゆ 魚。・ぐるくん 「魚の名。たかべに似て、やや大きい。肉が豊かで柔らかく、美味」【沖辞】。たかさご。 [フエダイ科タカサゴ属の熱帯魚]形も味もアジに似ている。腹部が赤い。新鮮ならば刺身、カラアゲにすると旨い。・とぅびいちゃーぐゎー 飛イカ。トビイカ 。とぅび(飛び)+いちゃー(イカ。烏賊)アカイカ科。 海面を20メートル以上も飛ぶそうだ。写真は「スーキカンナー」参照。


歌の背景


「スーキカンナー」

1958年、知名定男さんが13歳の時に録音したもの。
これが知名定男さんの衝撃的デビューだったらしい。

登川誠仁さんが「素人のど自慢大会」で歌う知名定男少年を見つけた時のエピソード。

その時の審査員には登川誠仁さん以外に嘉手苅林昌さんがいた。二人で話し合って「二位にしよう」と。一位にすると話題になってどこかに引き抜かれる恐れがあったからだという。
歌い終わって二位にさせられた定男少年をちゃっかり連れて帰ったのは登川さんだった。

さて、この「スーキカンナー」は登川誠仁さんが古い曲を早弾きに作り直して、さらに歌詞を変え付け加えている。

普通に歌われている本歌「スーキカンナー」の歌詞と訳はこちら
http://taru.ti-da.net/e726476.html

疑問点

YouTubeのものを筆者が聴き取りしたり、いろいろな方に教えていただいて上のように訳したが、まだしっくりいかないところがある。
ご意見があれば伺いたい。

1番 わたゆい

おそらく、本歌の「スーキカンナー」でも「まぐい」(曲げ方)、「縁うち」(縁の処理の仕方)などという表現がでてくるように、製作過程やできた状態の様子を言っているのだろう。

箕(みー)は割った竹で編むのだが、竹の腹側のザラザラした方を表面にすることで摩擦を生み、穀類などの殻と実を分けるのに使う。その腹側の事を「ワタ」というようである。



(箕。これはマドゥヒと呼ばれている。「沖縄の民具」(上江洲均著)を参考に筆者描画)

「わたゆい」はこの「ワタ」(竹の内側)の「結い方」の意味かもしれない。

4番 わたあみ

こんどは「筵」(ムシロ)についてであるが、照間のムシロは現在も作られていて、
原料は「い草」である。現在は「畳表」も多く生産されている。

この畳表を作っている生産者に電話で、「わたあみ」という工程ないし言葉をご存知か伺ってみた。

帰ってきた回答は「ない」ということだった。

ちなみに、昔はこのムシロも畳表(「琉球畳」と名のつくもの)も、「七島藺」(しちとーいー)というい草の種類から作られていたが、今ではほぼ沖縄で栽培されていない。
代わりに大分など九州での栽培が盛んになっている。
その大分の畳表生産者にも電話で伺ってみたが
「聞いたことはない。昔の沖縄の生産方法ではなく独自の方法で生産しているから」
という回答だった。

「わたあみ」と聞き取れるこの部分も明確にはわからない。
おそらく、上述の「わたゆい」と似たような工程や状態の呼び名なのだろう。


歌中の売り物のイメージ

この歌を工工四に採譜して歌っているが、歌詞に出てくる「ソーキ」や「バーキ」、「ムンジュル笠」などの古民具のイメージがないと歌えない。

それで「沖縄の民具」(上江洲均著)などを参考に、歌詞に出てくるもののイメージを描いてみた。(図1〜図8までが「沖縄の民具」を参考にした。)

(図1)ソーキ


「ソーキはカラ竹(まだけ)や苦竹(ほうらいちく)で作り、一般には洗った野菜や米をあげるのに用いられる」(同書)

「ソーキ」という名前は「『出雲 隠岐の民具』(石塚尊俊編)の中にも同じ名称で紹介されていることからすれば、沖縄本来のものではなく、外来のものである感じが強い」(同書)。

中国語にも米を研いだり野菜を洗ったりするための竹製品を呼ぶ時に「筲箕 shāojī」(シャオジャー)という言葉があると屋良卓也氏から教えていただいた。

ちなみに「沖縄の民具」にはいろいろな呼称が紹介されている。

宮古 サウキ
竹富 ソーギャー
与那国 ティースギ
奄美諸島 名瀬市 ソーケ
徳之島伊仙町、沖永良部島 セー
名護 ユンヌ(ユンヌとは与論島の事。与論島から来たものという意味か)


宮古島のサウキ、竹富のサウジャーの呼称が、中国語のシャオジャーとの深い関連を彷彿とさせるが、「ソーキ」の語源が中国語にあるのかどうかは専門家の研究を待ちたい。

豚肉のあばら肉を「ソーキ」というのは、この竹細工の形に肋骨が似ているからである。

(図2)バーキ



「バーキは頭上運搬具として使用することが多く沖縄本島大部分や宮古八重山へかけて広く用いられている。」
「目が粗いので、主にイモを入れて運び、あるいは洗うのに用いる。」(「沖縄の民具」より)


(図3)ムンジュル笠



「ムンジュル、ムンズル、ムンジャラは麦ワラのことで、麦ワラ製の笠をムンジュルガサといっている。」「日笠として利用され、雨笠にはむかない。」(「沖縄の民具」より)


(図4)クバ笠



「クバの葉製の笠は、今も広く用いられていて、北は奄美トカラから南は与那国波照間まで、まさに琉球全域で使用されている。」(「沖縄の民具」より)

(図5)ムシル



「一般に藺筵《いーむしる》は三角藺《さんかくいー》すなわち七島藺《しちとーいー》でつくるが、畳表にはビーグ(備後藺)を用いた。筵用はすべて七島藺で、イーまたはビー、ウィーなどといった。古くはこの藺草を二つに割いて畳表に用いたようで、これを裂藺と呼ぶが、そのせいひんを『琉球畳』といった。」(「沖縄の民具」より。《》のよみがなは筆者。)


「琉球畳」は「縁が無い畳」という分類が最近はされているようだが、昔はこの七島藺を使っているものだけをそう呼んだ。
沖縄での七島藺栽培は現在ほとんど無いらしいが、照間の畳生産者の方は栽培を試みて本物の「琉球畳」の復活を目指しているともおっしゃっていた。

(図6)ニクブク



「ニクブクは、敷物または干物用の代表的存在であった。藁でつくるが、職人を要するもにで、注文で買ったり、雇って作らしたりした」(「沖縄の民具」より)

(図7)ミーバーラー



「養鶏用籠で、主にタウチー(軍鶏)用である。」(「沖縄の民具」より)

(図8)ウーバーラー



「ウンゾーキ、ウーバーラーの『ウー』は、苧芭蕉すなわち糸芭蕉のことで、『そーき』『ハーラ』は竹籠のある形態をあらわす名称である。」(「沖縄の民具」より)

(図9)ヤマムム



ヤマモモ科ヤマモモ属の木。6月頃に甘酸っぱい赤黒い実がなる。果実酒にしたりする。

(図10)ウチナガニー



公益財団法人 沖縄県畜産振興公社ホームページhttp://ma-san.jp/

ここでは「ヒレ」と書いてある。
  

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2014年11月19日

下千鳥 5

下千鳥
さぎちじゅやー
sagi chijuyaa
語句・さぎちじゅやー 舞踊曲「浜千鳥」(俗称;ちじゅやー)をくずして、恋や人や世の中の無常さ、遂げられない思いを歌詞に載せて歌う。何故「下げ」(さぎ)とつくかには、「弾き始めが低い音からなので」とか「リズムがゆっくりだから」などいくつか説があるが明確ではない。「弾き始め」を「浜千鳥」のように高い音からする歌者もいる。人気曲である「ちじゅやー」は「南洋浜千鳥」や「遊びちじゅやー」などのように、崩して歌われることが多い。


歌三線 山里ユキ


義理や苦しむぬ 我儘やららん ぬんでぃくぬ世界に義理ぬあゆが アキヨくぬ世界や情ねらん
じりやくるしむぬ わがままやららん ぬんでぃくぬしけに じりぬあゆが あきよ くぬしけや なさきねーらん
jiri ya kurushi munu wagamama yararaN nuNdi kunu shikee ni jiri nu 'ayu ga 'akiyoo kunu shikee ya nasaki neeraN
義理は苦しいもの わがままできない なんのためにこの世界に義理があるのか あわれ!この世界は情けはない
語句・じり 義理。「じり」を使った言葉には「じりだてぃ」(義理立て)。「じりざんめー」(義理や作法)【参考;「沖縄語辞典」国立国語研究所】(以下【沖辞】と略す)。・やららん できない。・ぬんでぃ なんのために。<ぬー 何。+んでぃ ための。 「んでぃ」には「①と。引用句を受ける」、「②ために」【沖辞】。の二つの意味がある。・しけー 世界。「世間」は「しきん」。・あきよ 「[文]ああ。あわれ。」【沖辞】。「あきさみよー」とか「あきよー」などの感嘆語の「あき」とも関連している。



飛び鳥やでぃかし 思れ自由なゆい 羽根ん無ん我身や 思たびけい ちりなさや我身ぬ姿
とぅびとぅいやでぃかし うむれーじゆなゆい はにんねーんわみや うむたびけい ちりなさや わみぬしがた
tubi tui ya dikashi 'umuree jiyu nayui haniN neeN wami ya 'umuta bikei chirinasa ya wami nu shigata
飛ぶ鳥はうまくやってる 思えば自由になるもの 羽根もない私はただ思うだけ つれない事だよ 私の姿は
語句・でぃかし 「うまく行くこと。成功。利益を得ること、幸福を得ることなど」【沖辞】。・うむれー 思えば。・びけい ばかり。・ちりなさや つれないことだ。寂しいことだ、くらいの意味で、よく琉歌に使われる。



山里ユキさんは歌うときに「ヤレ」という囃子言葉を次のように入れて歌われている。

じりやくるしむぬ
わがま(ヤレ)まやららん
ぬんでぃくぬしけに じりぬ(ヤレ)じりぬあゆが
アキヨくぬしけやなさきねらん

とぅぶとぅいやでぃかし
うむれ(ヤレ)じゆなゆい
はにんねんわみや うむた(ヤレ)うむたびけい
ちりなさやわみぬしがた

YouTubeにアップされている。



  


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2014年04月04日

ザークビー物語

ザークビー物語
ざーくびーむぬがたい
zaakubii munugatai
座峠の物語
語句・ざーくびー 国頭村の半地(はんじ)という字(あざ)にある小高い丘の呼び名。「座峠」という字が当ててある。「座」は「座る」の意味で、昔は毛遊びが盛んな場所だったと地元の方に教えられた。「くびー」は「峠」を意味するとする文献もある。
(この歌は沖縄北部方言【国頭方言】で歌われていて、その方言での表記は筆者の力量を超えていることをご容赦頂きたい。できるだけその土地の方言に近づけるよう努力はしているので、ご指摘があればコメントを頂ければ幸いです。)


作詞 金城久司


1、ラクサ落水に アユぬ魚登て ラクサ落水ぬ光い美さ
らくさうちみじに あゆぬゆーぬぶてぃ らくさうちみじぬひちゃいつらさ
rakusa 'uchimiji ni 'ayu nu yuu nubuti rakusa 'uchimiji nu hichai tsurasa
(比地川の)ラクサ(堰)から落ちる水にアユが登って跳ねるときのラクサから落ちる水の輝きの美しいことよ!
語句・らくさ 堰。辞書にはないが国頭村半地あたりでは「比地川(下の地図を参照)に昔は石積みで海水の逆流を防ぐ堰を作った。それをラクサ(落差の意味)と呼んだ。」と現地の方に伺った。・ゆー 魚。原詩にはふり仮名で「ユー」とあり国頭方言と思われる。「いゆ」【沖縄語辞典】。・ひちゃいつらさ 光が美しいことよ!。原詩には「ヒチャいツラさ」とふり仮名がある。首里語、南部方言では「ふぃちゃいちゅらさ」。


2、ザークビーぬ森に 美風寄して みやらびぬ笑 時ん捨てて
ざーくびーぬむいにつらかじゆしてぃ みやらびぬわれーとぅちんしてぃてぃ
zaakubii nu mui ni tsura kaji yushiti miyarabi nu waree tuchiN shititi
座峠の森に美しい(気持ち良い)風が吹いて、娘の笑い声に時を忘れて


3、ザークビーぬ水路に 水車ぬして サーターぬ香さ 童とみさ
ざーくびーぬいんずに みじぐるま ぬしてぃ さーたーぬかばさ わらびとぅみさ
zaakubii nu 'iNzu ni mijiguruma nushiti saataa nu kabasa warabi tumisa
座峠の水路に水車をかけて サトウキビの香りがいいので 子どもが求めるよ
語句・いんず 水路。国頭方言と思われる。・とぅみさ 求めるよ。<とぅめーゆん 求める。+さ よ。


4、山ぐらし終て かやぶちぬ長屋 ザークビーぬやどに しばしやどら
やまぐらしうわてぃ かやぶちぬながや ざーくびーぬやどぅにしばしやどぅら
yamagurashi 'uwati kayabuchi nu nagayaa zaakubii nu yadu ni shibashi yadura
山暮らし(戦争からの疎開)を終えて茅葺の長屋 (避難民収容所)座峠の宿にしばし泊まろう


5、戦世ん終て 身心んゆどり 松下ぬ花に 想い散らち
いくさゆーんうわてぃ みーくくるん ゆどぅり まちしちゃぬはなに うむいちらし
'Ikusa yuuN 'uwati miikukuruN yuduri machishicha nu hana ni 'umui chirashi
戦争が終わって、身も心も夕なぎのようになごみ 松下の花(料亭の女性に)想いを寄せて
語句・まちしちゃ この座峠の近くにあった「松乃下」という料亭のこと。「花」とは女性と解釈できる。・ ゆどぅり 夕なぎ。風がない夕方の凪。戦争が終わって、身も心も安心している様子。


6、半地劇場に人波ぬ寄してぃ 映画歌しばい 肝にすみてぃ
はんじげきじょーにひとぅなみぬゆしてぃ えいがうたしばい ちむにすみてぃ
haNjigekijoo ni hitunami nu yushiti [eiga]'uta shibai chimuni sumiti
半地劇場に人波が寄せるほど集まって 映画歌芝居で心も染めて
語句・はんじげきじょー 半地劇場。国頭村の字半地にあった映画や芝居を上演していた劇場。「げきじょー」という表記はおかしい気もするが「joo」をそのままひらがなにしたものなので、私のブログでは御我慢頂きたい。・えいが ウチナーグチでは「映画」は「かーがーうどぅい」(影踊り)というが本土の発音の影響だろう。・すみてぃ 染めて。<すみゆん。染める。


7、美水んかりて 美風んとまて 黄金田ぶっくわ 夢がやたら
つらみじんかりてぃ つらかじんとぅまてぃ くがにたーぶっくゎいみがやたら
tsura mijiN kariti tsura kajiN tumati kugani taabukkwa 'imi ga yatara
美しい水も枯れて 気持ち良い風も止まって 実り豊かな田園風景は夢だったのか
語句・たーぶっくゎ 田んぼ。「黄金」(くがに)は、稲穂が黄色く実った様子だろう。「大切な」という意味もある。・やたら だったのか。


8、昔はねーちゃる 美森るやしが 時世に流さりて 道路に変わて
んかしはねーちゃる つらむいやしが とぅちにながさりてぃ みちにかわてぃ
Nkashi haneecharu tsuramui yashiga tuchi ni nagasariti michi ni kawati
昔は華やかな美しい森であったが 時代の流れに流されて道路に変わってしまった
語句・はねーちゃる 「①色つやが美しくでる。つやが出て美しくなる。芭蕉布などに酸類をいれてつやが出る場合などにいう。②花やかになる。③花やかに美しくする」【沖縄語辞典】。ここでは、華やかだった、と昔の賑やかな様子を表現している。


最近この歌と出会った。

この歌には曲はない。別にナークニーにのせて歌ったわけでもないそうだ。

私達は「沖縄の民謡」というと必ず三線がかなでられ、決まった歌詞を歌うものだと思いがちだが、和歌、俳句、川柳などと同じように定型句に今の自分の想いや情景を織り込んだ「琉歌」(うた)というものを楽しむ沖縄の人々の存在はあまり知られていない。

曲に乗せないで作られる琉歌(うた)も多い、ということをあらためて認識した。

「ザークビー物語」で歌われているのは

国頭村の半地という村で、ザークビーという村はずれにある「峠」(くびー)や比地川を中心にした昔の情景と、戦争が終わって捕虜収容所から出てからの戦後の暮らしと、想いである。

現在は国道58号線、国頭村の比地川にかかる比地橋から南側に行ったあたりにザークビーがある。



(写真は岩渕そよさんからご本人の了承を得て掲載しました。)

ザークビーとは、一般に村と村の境には、少し高い丘と森、そして人が歩けるだけの道があって、それが隣村との境界をも意味したようである。

このザークビーの「ざー」は「座る」であり、昔は毛遊び(もーあしび)が盛んな場所だったと地元の方に教えてもらった。

昔は隣村との婚姻が禁止されていて、当然毛遊びでの交流も出来なかったが、ザークビーが村境に近いことで、それが可能だったとも地元の方から。

現在は、国道58号線によってザークビーの半分はなくなり、人が歩けるほどの道が国道に変わっている。少しの森と丘が残るだけである。

また比地川は、上流の滝とリュウキュウアユが生息しているということで有名な川。

(写真は呉屋俊光さんからご本人の了承を得て掲載しました。)

歌にでてくる「ラクサ」という堰を越えた水を登って行く魚、とくにアユの眺めは良かったと地元の方が言われる。

川の水は稲作にもつかわれるし、魚以外にもカニやエビなども採れ、さらには水車を置いてウージ(サトウキビ)を圧搾して黒糖蜜を絞り出す。

子供でなくても魅力的な環境だったようだ。

そしてあの凄惨な沖縄戦の後は捕虜収容所が置かれたそうだ。
そこを出ての戦後の暮らし。

半地劇場や松乃下料亭の賑わいが目に浮かぶようだ。

この「ザークビー物語」は金城久司さんという方が十年ほど前に、ご自分が生まれ育った故郷を思い出して作った琉歌(うた)で、ある本に掲載されていたものをその方の息子さんが見つけられて、意味が知りたいということで、回り回って私のところにやってきた。
(経過は「たるーの島唄人生 ザークビー物語



▲この歌が掲載されている本の写真。



Facebookの友人からの依頼だったが、同じFacebookの「うちなーぐち講座」という所でいろいろな情報を寄せて頂いた。ネットの力は凄い!と実感した。

情報を頂いた中には、国頭村の道の駅の方、国頭村役場の字史編纂室の方も。

また「松乃下」の経営者のお孫さん。
この歌を作った金城久司さんの弟さんの金城正治さんには比地川の様子、とくに「ラクサ」についてや、そこにかかる水車のこと、そしてこうして歌を作ることへの想いなどを電話で教えていただいた。
またその娘さんはザークビーのお写真を撮って下さった。

それ以外にも多くの皆さんから情報やご意見が寄せられました。
この場をお借りして御礼申し上げます。







  

Posted by たる一 at 10:28Comments(0)さ行沖縄本島

2013年06月02日

シミルスルヌガ

シミルスルヌガ
しみるするぬが
shimi ru suru nuga
いいんじゃないの?


作詞作曲 川田 松夫     歌三線 登川誠仁 糸数カメ


一、(女)笑てぃ飲みわる 酒小まあさる 銭小払れ ちゃーしんしむんちな 手取い棒取い 可笑しいむんやさ なまちやっさ (男)しみるするぬが
わらてぃぬみわる さきぐゎーまーさる じんぐゎーはられーちゃーしんしむんちなー てぃーとぅいぼーとぅい うかしいむんやさ なまちやっさ しみるするぬが
warati numi wa ru saki gwaa maasaru jiNgwaa hararee chaa shiN shimuNchi naa tii tuti boo tuti 'ukashii muN yasa namachi yassaa shimiru suru nuga
(女)笑って飲んでこそ酒は美味しい 金払えば何してもいいのかい? 喧嘩ふっかけておかしい人だよ 無鉄砲だよ
(男)いいじゃないか

語句・はられー払えば。<はらゆん。払う。 ・ちゃーしん 何しても。どうしても。 ・しむんちなーいいというのかい? <しむん 良い。+ち と+なー なの? ・なまち 無鉄砲。後先を見ない人。



二、(男)銭小取いね ちゃーしんしむんち 我んねーくまにゐしてぃうちきとてぃ 汝やみった やまぐやっさ たまたがきそてぃ (女)しみるするぬが
じんぐゎーとぅいねー ちゃーしんしむんち わんねーくまに ゐーしてぃうちきとーてぃ やーやみったーやまぐやっさ たまたがきそーてぃ しみるするぬが
jiNgawaa tuinee chaa shiN shimuN chi waNnee kuma ni yishiti 'uchikitooti 'yaa ya mittaa yamagu yassa tamata gaki sooti shimiru suru nuga
(男)金取れば何を言ってもいいと 私をここに置いといて お前はかなりずるいやつ。二股かけて。
(女)いいじゃないの

語句・うちきとーてぃ うちきゆん 置く。 ・みった めったやたらに。・やまぐ 「ずるいこと。狡猾」【琉球語辞典】。・たまた 二股。



三、(女)まーさ物くぃてぃ ちゅらくくぇーらち 正月迎けーる 我んねーしんせーるい (男)腰んまぎさい 美らむんやっさ 尻んまぎさい (女)しみるするぬが
まーさむんくぃてぃ ちゅらーく くぇーらち そーぐゎちんけーる わんねーしんせーるい がまくん まぎさい ちゅらむんやっさ ちびんまぎさい しみるするぬが
maasa muN kwiti churaaku kweerachi soogwachi Nkeeru waNnee shiNseeru i gamakuN magisai churamuN yassa chibiN magisai shimiru suru nuga
(女)美味しいものもらって 見事に太らせて 正月迎えて(しんせーるい;不明)(男)腰も大きく 見事だよ 尻も大きくて
(女)いいじゃない

語句・くぇーらち 太らせ。<くぇーゆん 太る。



四、(男)美ら姉小 はい行逢てぃ 妻小なりんち しかきてぃんちゃれー 美らーさ蹴らってぃ 迷惑さっさ 汝ん居るむん しみるするぬが
ちゅらんみーぐゎー はいいちゃてぃ とぅじぐゎーなりんち しかきてぃんちゃれー ちゅらーさ きらってぃ みーわくさっさ やーんうるむん しみるするぬが
chura Nmiigwaa hai'ichati tujigwaa nariNchi shikakiti Ncharee churaasa kiratti miiwaku sassa 'yaaN wuru muN shimiru suru nuga
きれいなお姉さんと出会って 結婚しようと誘ってみたら 見事に蹴られて不名誉なことになったよ(でも) お前が居るから いいじゃない 



五、(女)女見しれー目やとぅじゃなてぃ 意地どぅやるんち しかきてぃんちゃんな 我が居るむん合点すんな 生意やっさ(男)しみるするぬが
うぃなぐみしれー みーやとぅじゃなてぃ いじどぅやるんち しかきてぃんちゃんなー わーがうるむん がってぃんすんな なまちやっさ しみるするぬが
winagu mishiree mii ya tujanati 'iji du yaruNchi shikakiti NchaN naa waa ga wuru muN gattiN suN naa namachi yassa shimiru suru nuga
(女)女見れば目が鋭くなって意地でもって 誘ったわけね 私が居るのに納得できない 無鉄砲なやつだわ 
(男)いいじゃないか

語句・とぅじゃなてぃ 鋭くなって。

六、(男)美ら二才が飲みーがちゃーい 甘口使れー惚りてぃる居いくゎいるい (女)まる合点し 打込りんちゃくとぅ しぐに振らってぃ しみるするぬが
ちゅらにせーが ぬみーがちゃーい あまぐちちかれーふりてぃるういくゎいるい まるがってぃんし うちくりんちゃくとぅ しぐにふらってぃ しみるするぬが
chura nisee ga numii ga chaai 'amaguchi chikaree hurithi ru wikwairui maru gattiNshi 'uchikuri Ncha kutu shigu ni huratti shimiru suru nuga
(男)かっこいい青年が飲みに来たら甘い言葉使って惚れたりしてやがる 
(女)完全にその気になって打ち込んでみたけど すぐに振られて いいじゃないの!
 
語句・くゎいるい <くゎゆん しやがる。



七、(男)男見しれー しーちないない 前ない後ない しりひちしーくゎいせー 汝やあんすか すくちゃーやてーる 腹ーねーとてぃ(女)しみるするぬが
うぃきが みしれー しーちないない めーないくしない しりひちしーくゎいせ0 やーやあんすか すくちゃー やてーる わたーねーとーてぃ しみるするぬが
wikiga mishiree shiichinainai meenai kushinai shirihichi shii kwai see 'yaa ya 'aNsuka sukuchaa yateeru wataa neetooti shimiru suru nuga
(男)男を見ると 体を押し付け 前も後ろもなく すりよっていきやがる お前がそんなに おっちょこちょいで 我慢もできないとは
 (女)いいじゃないの
 
語句・しーちないない <しーちゅん 「(からだで)押す」【琉辞】。 しーちぇー:おしくらまんじゅうのこと。・あんすか 「それほど(後に否定表現が続く)」【琉辞】。・わた お腹。腸。が一般的だが、ここでは「忍耐」。「女ぬ腹や黒縄ん朽たしゅん」(うぃなぐぬわたや くるなーん くたしゅん)[女の腹は黒縄をも朽ち果てさせるほど強い忍耐力がある]。


八、(女)油物くぃてぃ 手ぢきたんて 腰んがぢりてぃ 面色ぬぎとーせー 確かに他所んぢ ちむえぬあんてー尻んがぢりてぃ (男)しみるするぬが
あんだむんくぃてぃ てぃーじきたんてー がまくんがじりてぃ ちらいるぬぎとーせー たしかにゆすんじ ちむえーぬあんてー ちびんがじりてぃしみるするぬが
'aNdamuN kwiti tii jikitaN tee gamakuN gajiriti chira'iru nugitoosee tashikani yusu Nji chimuee nu 'aNtee chibiN gajiriti shimiru suru nuga
(女)油物あげて手なづけようとして 腰は痩せて 顔色悪くなっているのは 確かに他所で訳ありで 尻も痩せて
 (男)いいんじゃないの!

語句・くぃてぃ あげる。もらう。(区別はない)。・てぃーじき <てぃーじきゆん。手なづける。・がじりてぃ <がじりゆん 「痩せ細る」【琉辞】。・ぬぎとーせー 抜けているのは。<ぬぎゆん 抜ける。脱げる。ここでは顔色がない、悪い。・ちむえー わけ。理由。



「青年時代の登川誠仁」に収録されている、糸数カメさんとデュエットから。

「シミルスルヌガ」にはこのすこし込み入ったやり取りのものと、すこし簡略化されたもの(四番まで)と二種類ある。
(参考「正調 琉球民謡工工四」 滝原康盛著 第3巻)

会話形式で、男女のいわゆる「痴話喧嘩」をユーモラスに唄にしている。


設定がすこしわかりにくいのと、三番の「しんせーるい」のところは不明。検討課題。


youtubeに音源があるので張り付けておく。ご参考までに。

  

Posted by たる一 at 10:16Comments(1)さ行

2012年12月10日

白瀬走川節

白瀬走川節
しらしはいかわぶし (しらしはいかーぶし)
shirashihaikawa bushi (shirashihaikaa bushi)
白瀬走川の唄
語句・しらしはいかわ 久米島で最大の河川「白瀬川」。「走川」とは「流れの早い川」という意味。「しらしはいかー」ともいう。


一、白瀬(よ)走川に(はい)流り(よ)ゆる桜(ひやるがひ)
しらし(よ)はいかわに(はい)ながり(よ)ゆるさくら(ひやるがひ)
shirashi (yo) haikawa ni (hai) nagar i(yo) yuru sakura (hiyaruga hi)
白瀬走川にながれている桜の花

二、しくてぃ(よ)思里に(はい)貫ちゃい(よ)はきら(ひやるがひ)
shikuti (yo) 'umisatu ni (hai) nuchai (yo) hakira (hiyaruga)
すくって愛しいあの方へ 花に糸を通したりして首にかけてあげたい
語句・しくてぃ すくって。<すくゆん。すくう。・ぬちゃい糸で通したりして。 <ぬちゅん。「ぬく。貫く。糸に通す。」【沖縄語辞典】。 ・はきら 首にかけたい。<はきゆん。「佩く。首にかける」【沖縄語辞典】。「佩(は)く」とは「太刀を(腰に)佩く」というように、「身に着ける」という意味。

久米島民謡が続く。

古典曲でもある「白瀬走川節」。
白瀬走川は久米島の南西部に走る河川。
近くに兼城港がある。

地図、歌碑などは久米島町のHP参照。
http://www.town.kumejima.okinawa.jp/sightsee/culturalspot/pdf/a4_03.pdf


「はいかわ」または「はいかー」とは「流れの速い川」の意味。

昔はこの川の両岸にあったといわれる山桜の花びらが川面に落ちて流れる様子をみて、その花びらを糸で貫いて貫花(ぬちばな)、今で言うレイであるが、それを彼氏にかけてあげたいという女性の想いが唄に。

古典女踊りの「本貫花」(むとぅぬちばな)では「金武節」とともに歌われる。

また、「貫花」では「南嶽節」(なんだきぶし)のチラシ(一緒に歌われる別の曲)の「武富節」(だきどぅんぶし)にこの歌詞がつかわれている。

この曲は古典曲になる前から女性が神事で歌っていたものといわれている。

たまたま見つけたNHK沖縄放送局のデータベースに、久米島のものではないが沖縄本島、南城市の奥武島での臼太鼓で女性たちが歌っているものが記録されている。
http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/292.html
ご参考までに。  

Posted by たる一 at 22:09Comments(0)さ行

2012年07月29日

銭節

銭節
じんぶし
jiN bushi
銭の歌

作詞 比嘉マカト 作曲 普久原恒勇


一、銭雨ぬ文化 我が島にいもちヨ みるく世ぬ印 かにん嬉さヨ
じんあみぬぶんか わがしまにいもちヨ みるくゆぬしるし かにんうりさヨ
jiN 'ami nu buNka waga shima ni 'imochi yoo miruku yuu nu shirushi kaniN 'urisa yoo
お金の雨がふるような文化わが島にいらっしゃって 五穀豊穣の世の予感 こんなにも嬉しいことよ!
語句・いもち いらっしゃって。<いもーち<もーち<もーゆん 「行き・来・居りの意の尊敬語」【琉辞】。・みるくゆー 弥勒菩薩がもたらす平和の世。沖縄の「弥勒信仰」がもたらす理想世界。五穀豊穣。平和。・かにん かに かように+ん も。



二、豊か過ぎたる我が沖縄 何ぬ不足ねらんヨ 人ぬ肝心 ちんと一ち不足ヨ
ゆたかすぎたるわがうちなー ぬーぬふすくねらんヨ ひとぅぬちむぐくる ちんとぅてぃーちふすくヨ
yutaka sugitaru waga 'uchinaa nuu nu husuku neraN yoo hitu nu chimugukuru chiN tu tiichi husuku yoo
豊かさを謳歌するわが沖縄 何の不足もない (でも)人の真心 ちょうどひとつ不足してるが
語句・ちんとぅぴったり。ちょうど。



三、我した島沖縄 情うちなびくヨ 志情ぬあまてぃ 銭になびちなびちヨ
わしたしまうちなー なさきうちなびくよー しなさきぬあまてぃ じんになびちなびちよー
washita shima 'uchinaa nasaki 'uchinabiku yoo shinasaki nu 'amati jiN ni nabichi nabichi yoo
私たちの沖縄 情けがなびく 志情けが余ってお金になびいてなびいてる



四、銭のー友までぃ切りゆしが 銭しどぅ情んちきらりる 世ぬ変わてぃん人ぬ変わてぃん 銭のー変わらん銭がなし
じのーどぅしまでぃちりゆしが じんしどぅなさきんちきらりる ゆーぬかわてぃんひとぅぬかわてぃん じのーかわらんじんがなし
jinoo dushi madi chiriyushi ga jiN shi du nasakiN chikirariru yuu nu kawatiN hitu nu kawatiN jinoo kawaraN jiNganashi
お金で友人を失うこともあるがお金だけが情けをつけることもある 世が変わり人が変わってもお金は変わらない お金様
語句・のー ぬ が。+や は。・ちきらりる つけることができる。<ちきゆん つける。・じのー 最後の文字が「ん」で終わる単語に「や」が付くと、「ん」の前の語句+「のー」となる。(例)さんしのー;「三線は」。さんしん+や→さんしのー。・じんがなし お金様。じん お金。+がなし<かなし 愛しい。「首里の王様」を「しゅいてぃんがなし」という時の「がなし」である。



五、働ち儲きし人ぬ道 銭し銭儲き欲ぬ道 儲きてぃ笑ゆる人ぬ居らば 出ぢゃち泣く人居るたみし
はたらちもーきしひとぅぬみち じんじもーき ゆくぬみち もーきてぃわらゆるひとぅぬうらば んぢゃちなくひとぅうるたみし
hatarachi mookichi hitu nu michi jiN shi mooki yuku nu michi mookiti warayuru hitu nu uraba 'Nzyachi naku hitu urutamishi
働いて儲けるのが人の道 お金でお金を儲けるの(ギャンブル)は欲の道 儲けて笑える人がいれば 出て行って泣く人もいるのが道理
語句・たみし 前例。道理。



六、銭ぬんふどぅふどぅに 志情んふどぅふどぅに人やただ誠 銭たぶらやか胴たぶり
じんぬんふどぅふどぅに しなさきんふどぅふどぅに ひとぅやただまくとぅ じんたぶらやかどぅーたぶり
jiN nuN hudu hudu ni shinasakiN hudu hudu ni hitu ya tada makutu jiN tabura yaka du tabiri
お金もほどほどに 志情けもほどほどに 人はただ誠実さが大事 お金ためるより体を休めなさい
語句・たぶら ためる。<たぶゆん ためる。 。やかより。・どぅーたぶり <どぅーたぶゆん 体をいたわること。命令形。



七、戦世んしまち 平和世ん終わてぃヨ やがてぃ変わる後ぬ世ん 銭ぬ浮世どぅやいびがや またんあわりどぅさびいがや 銭のー良いむんぬやなむんや
いくさゆーんしまち へいわゆーうわてぃよ やがてぃかわるあとぅぬゆーん じんぬうちゆどぅやいびーがやー またんあわりどぅさびーがやー じのーゐいむんぬやなむんやー
'ikusa yuuN shimachi heiwa yuu 'uwati yoo yagati kawaru 'atu nu yuuN jiN nu 'uchiyu du yaibiiga yaa mataN 'awari du sabiiga yaa jinoo yii muN nu yanamuN ya
戦の世に生きて平和世も終わってやがて変わる将来の世もお金の浮世なのでしょうかねえ またも悲しいことがあるのでしょうかねえ お金は良いものであり嫌なものである
語句・しまち 住んで。<しまゆん 住まう。住む。

  

Posted by たる一 at 17:31Comments(5)さ行沖縄本島

2012年04月08日

しやうんがない節

しやうんがない節
しょんがねーぶし
shoNganee bushi
◯不明


【本歌】
今日やお行逢拝で いろいろの遊び 明日や面影の 立ちゅらとめば
きゆやうぃちぇうがでぃ いるいるぬあしび あちゃやうむかじぬ たちゅらとぅみば
kiyu ya 'wicheugadi 'iruiru nu 'ashibi 'acha ya 'umukaji nu tachura tumiba
今日はお会いし色々の遊びをいたしましたが 明日は別れて面影が立つだろうと思えば(淋しいです)
語句・うぃちぇうがでぃ 「うぃーちぇー」も「うがでぃ」も同意味で「お会いする」。最高の敬意を込めて二語が連続している。・たちゅら たつだろう。・とぅみば 「と思えば」「と思うと」。


【舞踊(瓦屋節)】
月も眺めたり できやよ立戻ら 里やわが宿に 待ちゅらだいもの
ちちんながみたり でぃちゃよたちむどぅら さとぅやわがやどぅに まちゅらでむぬ
chichiN nagamitari dicha yo tachimudura satu ya waga yadu nu machura demunu
月も眺めたしさあ戻ろう あの人が私の家に待っているだろうから
語句・でぃちゃよ 「さあ(さあ)」「いざや」【琉辞】。・やどぅ 「宿」と「家」という意味があるが、普通に使う場合は後者である。・でむぬ 「だから」「なので」。


【舞踊(諸屯)】
別て面影の立たば伽めしやうれ 馴れし匂袖に移ちあむぬ
わかてぃうむかじぬ たたばとぅじみしょり なりしにうぃすでぃにうちゅちあむぬ
wakati 'umukaji nu tataba tuji mishori narishi niwi sudi ni 'uchuchi 'amunu
別れて(私の)面影が立てば 淋しいときの慰めにしてくださいな 馴染んだ匂いを袖に移しておきましたから 
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Posted by たる一 at 15:49Comments(0)さ行

2012年03月11日

島情話

島情話
しまじょうわ
shima jyoowa
島情話
語句・しま この唄では「伊江島」が舞台となっている。「しま」はウチナーグチで「村」「故郷」「島」などの意味があり「村」の意味に使われることが多い。


作詞 作曲/松田 弘一 

一 染みなちゃる里が生まり島伊江島 志情きゆ頼てぃ渡てぃ来ゃしが
すみなちゃるさとぅがんまりじまいーじま しなさきゆたゆてぃわたてぃちゃしが
suminacharu satu ga 'Nmari jima 'iijima shinasaki yu tatiti watati chashiga
心寄せたあの方の生まれた里伊江島 情けを当てにして渡って来たけれど
語句・すみなちゃる 「染める」という意味の「すみゆん」から。<すみなしゅん  染め馴れる、つまり心を寄せる関係のこと。  を。本来沖縄語の口語では「を」を用いないが、琉歌などの文語ではよく使われることがある。


二 島村ぬ屋敷 尋にやい来りば 里や肝変わてぃ すそんすゆみ
しまむらぬやしち たずにやいくりば さとぅやちむかわてぃ すそんしゆみ
shimamura nu yashichi tazuniyai kuriba satu ya chimu kawati susoN suyumi
村のお家を訪ねて来ると あの方は心変わりして私を粗末にできるのかしら
語句・すそん <すそー。「粗略」【琉辞】。すそーん。「粗末にするさま」【琉辞】。


三 夫婦ならんでぃぬ 云語れやさしが 振り捨てぃてぃ行きば 我んや如何すが
みーとぅならんでぃぬ いかたれやさしが ふりしてぃてぃいきば わんやちゃすが
miitu naraNdi nu 'ikataree ya sashiga hurishititi 'ikiba waN ya chasuga
夫婦になろうといって将来を語ったのに 私を振り捨てて行くのなら私はどうするのか


四 誰に語らりが 誰に頼らりが 船頭主に 事ゆ語てぃ
たるにかたらりが たるにたゆらりが しんどーすーに くとぅゆかたてぃ
taru ni katarari ga taru ni tayurari ga shidoo suu ni kutu yu katati
誰に語ることができようか 誰を頼りにできようか 船頭主に事情を語って
語句・ ・・かしら。・・ようか。疑問の係助詞で、自問文のなかで「疑問箇所を強調する文中助詞」【琉辞】。


五 白玉ぬ露とぅ 散り果てぃる心 城山登れ 涙びけい
しらたまぬちゆとぅ ちりはてぃてぃるくくる ぐしくやまぶぶれ なみだびけい
shiratama nu chiyu tu chirihatiru kukuru gushikuyama nuburee namida bikei
死んで白玉の露のように散り果てる心 城山を登ると涙ばかりこぼれて
語句・ぬぶれ 登ると。登れば。<ぬぶれー <ぬぶゆん 登る。ぬぶり(已然形)+わ(ば)が融合したもの。・びけい ばかり。「びかーん」「びけーん」などという場合もある。「びけい」は文語。 


六 戻る道ねらん 肝ん肝ならん 慣りん他所島ぬ 土がなゆら
むどぅるみちねらん ちむんちむならん なりんゆすじまぬ ちちがなゆら
muduru michi neeraN chimuN chimu naraN nariN yusu jima nu chichi ga nayura
戻る道もない 心もボロボロで 慣れない他所の村の土になるのかしら
語句・ちむんちむならん 直訳では「心も心にならない」。「心」すなわち精神が全く安定しない、「ぼろぼろ」の状態。よく使われる。・ちちがなゆら 死んで土になるのかしら。
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2012年01月21日

四季の喜び

四季の喜び
しきのよろこび
(発音省略・・戦後に作られた唄には大和口で詠む題名も少なくない)

作詞作曲 小浜守栄


一、春や野山ん緑葉ぬ 色さしすいてぃ花ぬ数 遊び戯る綾蝶々 さてぃむ面白や(さてぃむ面白やスリヨ)
はるやぬやまん みどぅりばぬ いるさしすいてぃはなぬかじ あしびたわむるあやはびる さてぃむうむしるや (さてぃむうむしるやすりよ)
haru ya nuyamaN miduriba nu 'iru sashisuiti hana nu kaji 'ashibi tawamuru 'ayahabiru satimu 'umushiru ya (satimu 'umushiruya suri yoo)
〔括弧は繰り返しと囃子言葉なので以下省略〕
春は野山も緑葉が色さし添えて花が多く咲いて遊び戯れる美しい蝶々が実に面白いね
語句・さしすいてぃ 辞書では見つからない語句。おそらく「さし」+「添える」(すいゆん)。 標準語の「差し添える」。「緑葉が色を差し添えて」くらいの意味だろう。・あやはびる <あや 美しい。+はびる 蝶。現代では「はべる」だが古語では「はびる」「はびら」ともいう。 


ニ、夏や小川ぬ流り辺に 涼さ求みる童ん達が 飛びゆ跳ゆる笑い声ぬ さてぃむ楽しみや
なちやうがわぬながりびに しださむとぅみるわらんちゃが とぅびゆはにゆるわらいぐぃぬ さてぃむたぬしみや
nachi ya 'ugawa nu nagaribi ni shidasa mutumiru waraNcha ga tubi yu haniyuru warai gwi nu satimu tanushimi ya
夏は小川の流れる川べりに涼しさを求める子供たちが飛んだり跳ねたりする笑い声が実に楽しいね
語句・とぅびゆる 「飛ぶ」は沖縄口で「とぅぶん」。飛んでいる、くらい。


三、秋や野山ぬ紅葉に 咲ちゆ福ゆる菊ぬ花 色ぬ美らさや匂い秀らさ さてぃむ見事さみ
あちやぬやまぬむみじばにさちゆふくゆるちくぬはな いるぬちゅらさやにうぃしゅらさ さてぃむみぐとぅさみ
'achi ya nuyama nu mumijiba ni sachi yu hukuyuru chiku nu hana 'iru nu churasa ya niwi shurasa satimu migutusami
秋は野山の紅葉に 咲き誇る菊の花 色は美しく匂いの香り高いことよ 実に見事であるぞ
語句・むみじば 紅葉した葉。「むみじ」といっても沖縄では紅葉する植物は平均気温の関係で「櫨」以外にはほとんどない。・ふくゆる <ふくゆん 「喜ぶ」「誇る」。・しゅらさ <しゅーらーさん。しゅーらーしゃん。 「かわいい」【琉球語辞典】。ここでは匂いが「香高い」とした。・さみ ・・であるぞ。


四、冬や北風吹く海に 着ゆる着肌ん軽々とぅ 寒さに負きらん若人ぬ さてぃむ頼もしや
ふゆやにしかじふくうみに ちゆるちは(ふぁ)だんかるがるとぅ ひぃ(ふぃ)さにまきらんわかうどぅぬ さてぃむたぬむしや
huyu ya nishikaji huku 'umi nu chiyuru chihwadaN karugaru tu hwisa ni makiraN wakaudu nu satimu tanumushi ya
冬は北風吹く海に 着ている服装も軽々としている寒さに負けない若者の実に頼もしいことよ!
語句・にしかじ 北風。沖縄では「北」は「にし」と呼び、「西」は「いり」。・ちはだ 「ちふぁだ」とも発音する。・ひーさ 寒さ。「ふぃーさ」とも発音する。

 

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2012年01月08日

下千鳥4

下千鳥
さぎちじゅや
sagi chijuyaa
(省略)

唄三線 嘉手苅林昌


侭ならんからど別りやい居しが何故でぃ夢しじく見してぃ(見してぃ)呉ゆが 連りなさや二人が成ちゃる仕様
ままならんからどぅ わかりやいうしが ぬよでぃいみしじくみしてぃ(みしてぃ)くぃゆが ちりなさや たいがなちゃるしじゃま
mama naraN kara du wakari yai ushiga nuyudi 'imi shijiku mishiti (mishiti) kwiyuga chirinasa ya tai ga nacharu shijama
侭ならない理由だけで別れたのに何故夢を頻繁に見せてくれるのか つれないことよ二人がなってしまった今の姿
語句・しじく 頻繁に。<しじさん sizisaN  頻繁な。・ちりなさ つれない。なさけない。よく「連れなさ」という当て字が使われている。


真夜中どぅやしが夢に起くさりてぃ今時分までぃん我沙汰(我沙汰)しらに 変わてぃ人ぬ夜半ん明かしかにてぃ
まゆなかどぅやしがいみにうくさりてぃなまじぶんまでぃんわさた(わさた)しらに かわてぃちゅぬ やふぁんあかしかにてぃ
mayunaka du yashiga 'imi ni ukusariti nama jibuN madiN wasata (wasata)shirani kawati cu nu yahwaN 'akashi kaniti
真夜中なんだが夢に起こされて 今時分まで私の噂しているの?心変わりしたあの人が夜を明かすことが辛くなって


下ぬ居てぃ上ん 成り立ちゅるたみし 下ぬねん上ぬ ぬ役立ちゅが
したぬうてぃんうぃん なりたちゅるたみし したぬねんうぃぬ ぬやくたちゅが
shita nu utiN wiN naritachuru tamishi shita nu neN wi nu nu yaku tachu ga
下が居て上も成り立つのだ。下がいなくて上がなんの役に立つか
語句・たみし 「試すこと;前例」【琉球語辞典】。<たみしゅん 試す、試みる。 前例→ 強い肯定の意味で「・・のだ」くらいに訳せる。


あたらわが沖縄 品物ぬたとぅい 取たい取らったい 上にまかち
あたらわがうちな しなむぬぬたとぅい とぅたいとぅらったい うぃーにまかち
'atara waga 'uchina shina munu nu tatui tutai turattai wii ni makachi
大切なわが沖縄 品物のようだ 取ったり取られたり 上に任せて
語句・あたら 「(文語)あたら、折角」【琉球語辞典】。大切で手が離せない、の意味。古語の「あたら」(惜しい)と共通。九州にも「あたら」「あったれー」(もったいない)という方言が使われている。


思みば身ぬ毛だち 戦世ぬ哀り またんくい戻ち あらばちゃすが
うみばみぬきだち いくさゆぬあわり またんくいむどぅち あらばちゃすが
'umiba mi nu ki dachi 'ikusa yu nu 'awari mataN kuimuduchi 'araba chasu ga
思い出せば身の毛がよだって 戦争の世またも繰り返したらどうするか
語句・くいむどぅち 繰り返し戻して。くい<くいけーしゅん 繰り返す。


ダーグに丸みらり 大舟ぬ心地 戦世ぬあわり 肝にかかてィ
だぐにまるみらり うふぶにぬくくち いくさゆぬあわり ちむにかかてぃ
dagu ni marumirari 'uhubuni nu kukuchi 'ikusa yu nu 'awari chimu ni kakati
団子に丸められ 安心して大船にのったつもり 戦世の悲しさ心に浮ぶ
語句・だぐ <だーぐ。団子。  続きを読む

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2011年10月16日

砂辺の浜

砂辺の浜
しなびぬはま
shinabi nu hama
砂辺の浜
語句・しなび 中頭郡北谷町砂辺。


作詞・作曲/喜屋武 繁雄 


一 砂辺浜下りてぃ 語らなや今宵 愛ぬ浜風に(シュラヨ)濡りてぃ又遊ば
しなびはまうりてぃ かたらなやくゆい あいぬはまかじに (しゅらよ)ぬりてぃまたあしば
shinabi hama uriti kataranaya kuyui 'ai nu hamakaji nu (shura yoo) nuriti mata 'ashiba
砂辺の浜におりて語りたいね今宵 愛の浜風に濡れてまた遊ぼう


二 銀色ながち 月ん照り勝てぃ 波に浮く小舟 勝てぃ又美らさ
なんじゃいるながち ちちんてぃりまさてぃ なみにうくくぶに まさてぃまたちゅらさ
naNja 'iru nagachi chichiN tiri masati nami ni 'uku kubuni masati mata churasa
銀色を流したように月もいっそう照り 波に浮く小舟もいっそうまた美しいことよ!
語句・なんじゃ 銀色。「(上質の)銀」【琉辞】。「混効験集」には「なむじゃ」とある。「なむじゃ」は「南鐐」から。「南鐐」とは、江戸時代に使われていた上質の銀で作られた硬貨「二朱銀」のこと。「銀」(ぎん)を何故「なんじゃ」と発音するかはいろいろな説がある。


三 浜風とぅ連りてぃ さざ波ぬ躍い 千鳥唄しゆる 浜や又ぬどぅか
はまかじとぅちりてぃ さざなみぬうどぅい ちどぅりうたしゆる はまやまたぬどぅか
hama kaji tu chiriti sazanami nu udui chiduri 'uta shiyuru hama ya mata nuduka
浜風と一緒にさざ波が踊り 千鳥は歌い浜はまたのどか

 
四 遊びたわふりてぃ 更きる夜ん知らん いちゃし忘りゆが 恋し砂辺浜
あしびたわふりてぃ ふきるゆんしらん いちゃしわしりゆが くいししなびはま
'ashibi tawahuriti hukiru yuN shiraN 'ichashi washiriyuga kuishi shinabihama
遊び戯れて 更けていく夜に気づかず どうして忘れることができようか 恋しい砂辺の浜
語句・たわふりてぃ 「戯〔たわぶ〕れ。口語ではganmari」【琉辞】。戯(たわむ)れ。




「砂辺の浜」の歌碑は北谷町の「砂辺馬場公園」にある。


  

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2011年09月30日

幸せ列島

幸せ列島
[しあわせれっとう]
shiawase rettoo
(意味省略)


作詞 大城栄順  作曲 普久原恒勇

(標準語と思われるものは、ひらがな表記に[ ]をつけた)


一、大安吉日嘉利吉豊年 福ぬ神々大多忙  国頭中頭那覇島尻東西南北駆けめぐり (島ぬ果てぃまでぃ 邦ぬ果てぃまでぃ幸せ列島作やびら) 〔()内の囃子は以下省略〕
[たいあんきちじつ]かりゆしほーねんふくぬかみがみいちゅなしむん くんじゃんなかがみなはしまじり [とーざいなんぼくかけめぐり]しまぬはてぃまでぃくにぬはてぃまでぃ[しあわせれっとー]ちゅくやびら
taiaNkichijitu kariyushihooneN huku nu kamigami 'ichunashimuN kuNjaN nakagami naha shimajiri toozainaNboku kakemeguri shima nu hati madi kuni nu hati madi shiawase rettoo chukuyabira
大安吉日めでたい豊年 福の神々大忙し国頭中頭那覇島尻 東西南北駆けめぐり (島ぬ果てまで 邦ぬ果てまで幸せ列島作りましょう) 


二、結婚まん産トーカチスージカラタ念願 手かみてぃ元祖ぬ美らさや 肝美らさ くまぬ家庭や 大繁盛
にーびち まんさん とーかち すーじからたにんぐゎん てぃーかみてぃ ぐゎんすぬちゅらさやちむじゅらさ くまぬ[かてい]やだいはんじょー
niibichi maNsaN tookachi suuji karata niNgwaN tii kamiti gwaNsu nu churasa ya chimujurasa kuma nu katee ya daihaNjoo
結婚、満産(七日祝い)、とーかち祝い(八十八米寿の祝い)健康祈願 手を合わせて先祖を美しく大切にすることは心の美しさ この家庭は大繁盛する
語句・まんさん 「子供が生まれて七日目の夜、親類縁者が集まってするお祝い。うぶたちの祝い。七夜の祝い」【沖辞】。・とーかち 88歳の米寿の祝い。「とーかち」とは穀類、米を枡で計る時に、縁と同じ高さに平らにするときにつかう竹の道具。・すーじ お祝い。<しゅーじ。・からた 体。身体。・にんぐゎん 念願。祈願。「からたにんぐゎん」で「健康祈願」・くま ここ。こちら。


三、家庭円満 健康第一 親子兄弟手ゆ取やい一生懸命 働ちどぅんせー くまぬ殿内や大繁盛
[かていえんまんけんこうだいいち] うやっくゎちょーでー てぃゆとぅやい [いっしょうけんめい]はたらちどぅんせー くまぬとぅんちや[だいはんじょー]
katee eNmaN keNkoodaiichi 'uyakkwa choodee tii yu tuyai isshookeNmei hatarachi duN see
家庭円満健康第一 親子兄弟が手を取り一生懸命働くならば こちらのお屋敷は大繁盛
語句・どぅんせー するならば。<どぅん 強意の助詞。ども。+ せー<しゅん する。の已然形。すれば。

 
四、家内安全商売繁盛 豊年万作 大漁船 百事大吉 めでたやなー 我した沖縄 大繁盛
[かないあんぜんしょうばいはんじょーほうねんまんさくたいりょーぶね ひゃくじだいきちめでたやなー]わしたうちなー[だいはんじょー]
kanaiaNzeN shoobaihaNjoo hooneNmaNsaku tairyoobune hyakuji daikichi medetayanaa washita 'uchinaa daihaNjoo
家内安全商売繁盛 豊年満作 大漁船 百時大吉めでたいな 私たちの沖縄大繁盛 

   
五、はらへ給へし清め給へし 守り給へて幸わえる 今日ぬ誇らしゃ頭乗みてぃ 大安吉日吉かる日に
はらえたまえしきよめたまえし まもりたまえて さち〔てぃ?〕わえる きゆぬふくらしゃちぢかみてぃ たいあんきちじつゆかるひに
haraetamaeshi kiyometamaeshi mamoritamaete sachi〔ti?〕waeru kiyu nu hukurasha chizi kamiti taiaNkichijitu yukaru hi ni
祓いたまえ 清めたまえ 守りたまえと言って感じる今日の嬉しさを拝受して 大安吉日の佳き日に
語句・ふくらしゃ 嬉しい。いわゆる「誇らしい」ではない。     続きを読む

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2011年08月19日

新家庭小

新家庭小
しんかてーぐゎー
shiN katee gwaa


一 一郎さんとぅ我んね結婚しちぬうぬ後や我んね 一郎さんに何んでぃ我ね言がや 「あなた」んでぃる我ね言がや
いちろーさんとぅわんねーけっこんしちぬうぬあとぅやわんねー いちろーさんにぬーんでぃわねいうがや あなたんでぃるわねいうがや
'ichiroo saN tu waNnee [kekkoN]shichi nu unu 'atu ya waNnee 'ichiroo saN ni nuu Ndi wane 'iuga yaa [anata]Ndi ru wane 'iu ga yaa
一郎さんと私は結婚してのその後は 私は一郎さんになんて私いうのかしら 「あなた」って私いうのかしら
語句・わんねー私は。< わん + や 融合して「わんねー」となる。・ぬーんでぃ なんと。 < ぬー 何。+んでぃ と。・いうがやー 言うのかねー < いう< いゆん。言う。+が 疑問助詞 +やー ね。


二 一郎さんが会社かい出ぢてぃめんせるうぬ時や我んね一郎さんに 何んでぃ我ね言がや「あなた 行ってらっしゃい」んでぃる 我ね言がや
いちろーさんがかいしゃかい んじてぃめんせーる うぬとぅちや わんねーいちろーさんに ぬーんでぃわねいうがや 「あなたいってらっしゃい」んでぃる わねいうがや
'ichiroo saN ga kaisha kai 'Njiti meNseeru unu tuchi ya waNnee 'ichiroo saN ni nuuNdi wane 'iuga yaa [anata itterasshai] Ndi ru wanee 'iu ga yaa
一郎さんが会社にお行きになられるその時は私一郎さんになんて私いうのかしら 「あなた行ってらっしゃい」なんて私いうのかしら
語句・かい ~に。 ・んじてぃ 出て。(出て)行く。 ・めんせーる こられる。なられる。<めんせーん。「居る・行く・来る敬語」【琉球語辞典】。 



三 一郎さんが会社から戻てぃめんせるうぬ時や我んね 一郎さんに 何んでぃ我ね言がや「お帰りなさい あなた 待ってたわ」んでぃる 我ね言がや
いちろーさんがかいしゃからむどぅてぃめんせーる うぬとぅちや わんね いちろーさんに ぬーんでぃわねいうがや「おかえりなさい あなた まってたわ」んでぃる わねいうがや
'ichiroo saN ga kaisha kara mudutimeNseeru unu tuchi ya waNnee 'ichiroo saN ni nuuNdi wane 'iu ga yaa [okaerinasai anata mattetawa]Ndi ru wane 'iu ga yaa
一郎さんが会社からお戻りになられるその時は私は一郎さんになんて私いうのかしら 「お帰りなさい あなた 待ってたわ」って私いうのかしら


四 一郎さんとぅ我んとぅ夫婦ゲンカする時や我んね 一郎さんに何んでぃ我ね言がや「あなた ごめんね 許して」んでぃる 我ね言がや
いちろーさんとぅわんとぅふーふげんかするとぅちや わんねーいちろーさんにぬーんでぃわねいうがや 「あなたごめんね ゆるして」んでぃるわねいうがや
'ichiroo saN tu waN tu [huuhu geNa] suru tuchi ya waNnee 'ichiroo saN ni nuuNdi wane 'iu ga yaa [anata gomeNnee yurushitee]Ndi ru wane 'iu ga yaa
一郎さんと私と夫婦ゲンカするときは私は一郎さんになんて私いうのかしら 「あなた ごめんね 許して」って私いうのかしら


五 一郎さんとぅ我んとぅ夜寝んじゅるうぬ時ね我んね一郎さんに何んでぃ我ね言がや「あなた イヤよ 電気消して」んでぃる我ね言がや
いちろーさんとぅわんとぅゆるにんじゅるうぬとぅちねー わんねいちろーさんにぬーんでぃわねいうがや 「あなた いやよ でんきけして」んでぃるわねいうがやー
'ichiroo saN tu waN tu yuru niNjuru unu tuchi nee waNnee 'ichiroo saN ni nuuNdi wane 'iu ga yaa [anata iya yoo denki keshite]Ndi ru wane 'iu ga yaa
一郎さんと私と夜寝るその時には私一郎さんになんて私いうのかしら 「あなた イヤよ 電気消して」って私いうのかしら
語句・にんじゅる 寝(てい)る。<にんじゅん 寝る。  続きを読む

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2010年11月20日

新里前とヨ

新里前とヨ
しんさとぅめーとぅよー
shiN satumee tu yoo


一、(男)さやか照る月に無蔵が面姿 見りば語れぶさ胸ぬ思い
さやかてぃるちちに んぞがうむしがた みりばかたれぶらぬんにぬうむい
sayaka tiru chichi ni Nzo ga 'umushigata miriba katare busa Nni nu 'umui
明るく照る月に貴女の顔姿(が浮かぶ)それを見ると語りたい 胸の思いを
語句・さやか 明るくはっきり見える様子。・かたれ <かたれー 「①仲間に入ること」「男女の一緒になる約束;②語り合い。」【琉辞】。「語る」(かたゆん)ならば「かたい」または「かたり」+「ぶさ」と活用する。したがって、ただ「語りたい」というより「一緒になりたい」という思いに近い。


二、(女)月見する毎に思出すさ里とぅ 波之上ぬあがた 忘りぐりさ
ちちみするぐとぅにうびじゃすさ さとぅとぅ なんみんぬあがた わしりぐりさ
chichi mi suru gutu ni 'ubijasu sa satu tu naNmiN nu 'agata washirigurisa
月を見るたびに思いだすわ 貴女と波之上のむこう(でのこと)忘れられない
語句・あがた 「【彼方】あちら側、あっちの方」【琉辞】。


三、(男)汝が呉てるミンサー小 今んあさ我身や かしや切りとしがぬちや残てぃ
やがくぃてるみんさーぐゎ なまんあさわみや かしやちりとしがぬちやぬくてぃ
yaa ga kwiteeru miNsaagwaa namaN 'asa wami ya kashi ya chiritooshiga nuchi ya nukuti
お前がくれたミンサー織り 今も持っているよ 縦糸は切れたが横糸は残って
語句・くぃてる 呉れた。<くぃゆん。 ①呉れる。②あげる。区別はない。→くぃてーる。 呉れている。呉れた。・みんさーぐゎ ミンサー帯。・あさ あるよ。<あん 有る。→ あ (接続形)。+さ よ。・かし 経糸(かし)。縦糸。「桛[かせ]糸」【琉辞】。・ぬち「緯[ぬき]糸〔横糸〕」【琉辞】。「かし」は縦糸、「ぬち」は横糸。「ぬち」は「命」(ぬち)ともかけている。


四、(女)経糸や切りらわん 緯糸ぬある間や 思出ぢゃちたぼり 我身ぬ事ん
かしいとぅやちりらわん ぬちぬあるいぇだや うびんじゃちたぼり わみぬくとぅん
kashi 'itu ya chirirawaN nuchi nu 'aru yeda ya 'ubiNjachitabori wami nu kutuN
縦糸が切れても横糸がある間は思い出してください 私のことも


五、(男)まりに眺みゆる さやか照る月ん 時しりてぃ行きば ぬふぁに曇てぃ
まりにながみゆる さやかてぃるちちん とぅちしりてぃいきば ぬふぁにくむてぃ
mari ni nagamiyuru sayakatiru chichiN tuchi shiriti 'ikiba nuhwa ni kumuti
たまに眺める明るい月も時を知り行けば「ぬふぁに」(不明)曇って
語句・まり まれ。


六、(女)二人かながなとぅ 月眺みすしん 此ぬ世居てぃ又ん あいがさびら
ふたいかながなとぅちちながみすしん くぬゆうてぃまたん あいがさびら
hutai kanaganatu chichi nagami sushiN kunu yu uti mataN ai ga sabira
二人仲良く月見をしてもこの世で又ありますでしょうか?
語句・あいがさびら あい<あん ある。+が 疑問の係助詞。文末は「ら」。+さびら ・・しましょうか。


七、(男女)月ん眺みたい でぃちゃよ立ち戻ら やがてぃ暁ぬ鳥ん鳴ちゅさ
ちちんながみたい でぃちゃよたちむどぅら やがてぃあかちちぬとぅいんなちゅさ
chichiN nagamitai dicha yo tachi mudura yagati 'akachichi nu tuiN nachu sa
月も眺めたね さあ戻ろう やがて暁の鳥もなくよ
語句・でぃちゃ さあ。 <でぃか でぃっか。「〔誘いかける時の発声〕さあ」【琉辞】。
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2010年11月13日

里前とヨ

里前とヨ
さとぅめとぅよー
satumee tu yoo
あなたとね
語句・さとぅめ 「文語で、女が、愛する男をいう」【琉辞】。「わが君。あなた」【琉辞】。ここでは、交唱において男性のところでも「里前とぅよ」と唄うことになる。

作詞 小浜守栄


一、(男)思事ぬあてぃん 語らりみ他所に 面影とぅ連りてぃ 他所に忍でぃ 里前とぅヨ 幾世までぃん
うむくとぅぬあてぃんかたらりみゆすに うむかじとぅちりてぃ ゆすにしぬでぃ さとぅめとぅよ いくゆまでぃん)
'umukutu nu 'athiN katararimi yusu ni 'umukaji tu chiriti yusu ni shinudi (satumee tu yoo 'ikuyu madhiN)
思うことがあっても他人に語ることだできようか 面影を連れて他人を忍んで (あなたとね いつまでも)
語句・さとぅめ


二、(女)真心ゆ語る恋道やてぃからや 他所にはばかゆみ 何時んいもり 里前とぅよ 語れさびら
まぐくるゆかたるくいじやてぃからや ゆすにはばかゆみ いちんいもり さとぅめとぅよ かたれさびら
magukuru yu kataru kuiji yatikara ya yusu ni habakayumi 'ichiN 'imori satumee tu yoo katare sabira
真心を語る恋の道なのだから他人にはばかることはないでしょう? いつでもいらしてください あなたと かたりましょう


三、(男)身に余る情 忘ららんあしが 思てぃ自由ならんわが身やてぃる 
みにあまるなさき わしららんあしが うむてぃじゆならんわがみやてぃる 
mi ni 'amaru nasaki washiraraN 'ashiga 'umuti jiyu naraN waga mi yatiru satumee tu yoo 'ikuyu madiN
身に余る情け 忘れないが 思って(も)自由にならない私の身であるから 


四、(女)真白をぅに紺地 我が思い染みてぃ かなし我が里に情呉らな 里前とぅよ 幾世までぃん
ましらうーにくんじ わがうむいすみてぃ かなしわがさとぅに
mashira wuu ni kuNji waga 'umui sumiti kanashi waga satu ni nasaki kwirana satumee tu yoo 'ikuyu madiN
真っ白な芭蕉布に紺地 私の思いを染めて 愛しい私のあなたに情けをあげたいな あなたとね いつまでも
語句・うー 芭蕉。「芭蕉、糸芭蕉」【琉辞】。・くぃらな あげたいな。<くぃゆん 「あげる」「くれる」区別はない。


五、(男女)契る云言葉や何時までぃん肝に思染みてぃ互に変てえ呉るな 里前とぅよ 幾世までぃん
ちぢるいくとぅばやいちまでぃんちむにうみすみてぃ たげにかわてーくぃるな さとぅめとぅよ いくゆまでぃん
chiziru 'ikutuba ya 'ichimadhiN chimu ni 'umi sumiti tage ni kawatee kwiruna satumee tu yoo 'ikuyu madiN
契りの言葉はいつまでも心に染めて 互いに変わらないで あなたとね いつまでも  続きを読む

Posted by たる一 at 15:34Comments(1)さ行