2010年11月20日

新里前とヨ

新里前とヨ
しんさとぅめーとぅよー
shiN satumee tu yoo


一、(男)さやか照る月に無蔵が面姿 見りば語れぶさ胸ぬ思い
さやかてぃるちちに んぞがうむしがた みりばかたれぶらぬんにぬうむい
sayaka tiru chichi ni Nzo ga 'umushigata miriba katare busa Nni nu 'umui
明るく照る月に貴女の顔姿(が浮かぶ)それを見ると語りたい 胸の思いを
語句・さやか 明るくはっきり見える様子。・かたれ <かたれー 「①仲間に入ること」「男女の一緒になる約束;②語り合い。」【琉辞】。「語る」(かたゆん)ならば「かたい」または「かたり」+「ぶさ」と活用する。したがって、ただ「語りたい」というより「一緒になりたい」という思いに近い。


二、(女)月見する毎に思出すさ里とぅ 波之上ぬあがた 忘りぐりさ
ちちみするぐとぅにうびじゃすさ さとぅとぅ なんみんぬあがた わしりぐりさ
chichi mi suru gutu ni 'ubijasu sa satu tu naNmiN nu 'agata washirigurisa
月を見るたびに思いだすわ 貴女と波之上のむこう(でのこと)忘れられない
語句・あがた 「【彼方】あちら側、あっちの方」【琉辞】。


三、(男)汝が呉てるミンサー小 今んあさ我身や かしや切りとしがぬちや残てぃ
やがくぃてるみんさーぐゎ なまんあさわみや かしやちりとしがぬちやぬくてぃ
yaa ga kwiteeru miNsaagwaa namaN 'asa wami ya kashi ya chiritooshiga nuchi ya nukuti
お前がくれたミンサー織り 今も持っているよ 縦糸は切れたが横糸は残って
語句・くぃてる 呉れた。<くぃゆん。 ①呉れる。②あげる。区別はない。→くぃてーる。 呉れている。呉れた。・みんさーぐゎ ミンサー帯。・あさ あるよ。<あん 有る。→ あ (接続形)。+さ よ。・かし 経糸(かし)。縦糸。「桛[かせ]糸」【琉辞】。・ぬち「緯[ぬき]糸〔横糸〕」【琉辞】。「かし」は縦糸、「ぬち」は横糸。「ぬち」は「命」(ぬち)ともかけている。


四、(女)経糸や切りらわん 緯糸ぬある間や 思出ぢゃちたぼり 我身ぬ事ん
かしいとぅやちりらわん ぬちぬあるいぇだや うびんじゃちたぼり わみぬくとぅん
kashi 'itu ya chirirawaN nuchi nu 'aru yeda ya 'ubiNjachitabori wami nu kutuN
縦糸が切れても横糸がある間は思い出してください 私のことも


五、(男)まりに眺みゆる さやか照る月ん 時しりてぃ行きば ぬふぁに曇てぃ
まりにながみゆる さやかてぃるちちん とぅちしりてぃいきば ぬふぁにくむてぃ
mari ni nagamiyuru sayakatiru chichiN tuchi shiriti 'ikiba nuhwa ni kumuti
たまに眺める明るい月も時を知り行けば「ぬふぁに」(不明)曇って
語句・まり まれ。


六、(女)二人かながなとぅ 月眺みすしん 此ぬ世居てぃ又ん あいがさびら
ふたいかながなとぅちちながみすしん くぬゆうてぃまたん あいがさびら
hutai kanaganatu chichi nagami sushiN kunu yu uti mataN ai ga sabira
二人仲良く月見をしてもこの世で又ありますでしょうか?
語句・あいがさびら あい<あん ある。+が 疑問の係助詞。文末は「ら」。+さびら ・・しましょうか。


七、(男女)月ん眺みたい でぃちゃよ立ち戻ら やがてぃ暁ぬ鳥ん鳴ちゅさ
ちちんながみたい でぃちゃよたちむどぅら やがてぃあかちちぬとぅいんなちゅさ
chichiN nagamitai dicha yo tachi mudura yagati 'akachichi nu tuiN nachu sa
月も眺めたね さあ戻ろう やがて暁の鳥もなくよ
語句・でぃちゃ さあ。 <でぃか でぃっか。「〔誘いかける時の発声〕さあ」【琉辞】。

前回の「里前とヨ」を作り変えた新民謡。

嘉手苅林昌さんと大城美佐子さんや、大城美佐子さんと与那覇徹さんなどのコンビで
唄った音源がある。



三、四番でつかわれている「かし」「ぬち」は機織り特有の言葉だが、よく琉歌にはつかわれる。
本土では「かせ」kase→沖縄「かし」kashi (三母音化)
同様に「ぬき」nuki→「ぬち」nuchiとなる。(拗音化)

そして「ぬちぬあるいぇだや」には「命のある限り」という意味も含まれている。

一般に帯の場合、緯糸は経糸より引っ張られるので強い糸(よりを強くした糸)が使われる。
強度が弱いと切れる。


五の「ぬふぁに」は不明とした。

辞書(琉球語辞典)では
①「伊野波」[ぬふぁ](本部にある地名)。
②「‘能羽’と書かれる;nuza〔‘能作’〕と‘踊り跳ね’の混成か」の二つがある。
しかし、この場合両方ともすっきり適合しないようだ。

「琉歌大成」で5首ほど「ぬふぁに」が使われている琉歌があるが

思い忘らともて能羽しゆす見ればのがす面影のたちよまさて
umui washira tumuti nufani shusi miriba nugashi umukaji nu tachiyu masati
「思いを忘れようと思って飛ぶ鳥を見ていると、なぜか面影がいっそう浮かぶ」(琉歌大成より)

と「ぬふぁに」は「飛ぶ鳥」と訳されている。しかし、

千代松が事よ思忘らてやり能羽しゆす見れば思ひどまさる 
では(「能羽しゅん」未勘)と書いてある。
つまり「不明」とされている。


「新里前とヨ」に戻るが、「ぬふぁに」の意味は明確ではないが
四、五番で二人のゆく末に、一抹の不安を予想させ、
六番で、希望も捨てない二人の決意、ということなのだろう。





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Posted by たる一 at 10:01│Comments(4)さ行
この記事へのコメント
こんにちは、この曲は確か山里ゆきさんのデビュー曲ではなかったかと。
もちろん大城美佐子さんの唄も良いのですが、この曲に関しては山里ゆきさんが抜群ですね。
すごく良い唄だと思います。
この曲をマスターしたいと思っているのですが、相手が、、、、(^-^:

5番の「ぬふぁ」は夜半(ぬふぁ)という意味もあるのかもと思ってます。
Posted by hal-3 at 2010年12月07日 18:07
hal-3さん
コメントありがとうございます。

山里ゆきさんの24歳、デビュー曲ですね。
嘉手苅林昌さんとのコンビ唄で「嘆きの梅」とともに。

「ぬふぁ」ですが、なんとなく意味としてはそれくらいのものと思うのですが
「夜」を「ぬふぁ」と呼んだものが他にありますでしょうか?
Posted by たるー at 2010年12月11日 08:06
ぬふぁ、解決したでしょうか?
舞台で、「ぬふぁ」は、山の端 野端と解釈していますが・・・。
Posted by 松島良明 at 2018年12月25日 20:46
松島さん!
コメントありがとうございます^ ^

いつもお世話になっています。

もちろん「やまぬふぁ」ならば、「山の端」と理解できるのですが、
「ぬ端」をそう理解するというのは無理があるように感じます。

おっしゃるように「野端」なら、まだ少し意味がわかりますが、それでは「山の端」、山の稜線にかかる月などを表現するときに使う言葉ではなくなって、意味が変わっているように思います。

それで頭を抱えていたのです。
Posted by たる一たる一 at 2019年02月09日 06:46
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