2024年03月11日

ヨーテー節 

ヨーテー節 2
よーてーぶし
yootee bushi
語句・よーてー 囃子言葉。地元では「そうだね」という意味だという人がいる。


参考 「ヨーテー節」(玉城慎夫)


1,邑寄しり寄しり 湧川邑寄しり(ヨー) 邑ぬ寄しらりみ 娘小寄しり (よーてー じんとー 娘小寄しり)
※括弧は以下省略
しまゆしりゆしり わくがーしまゆしり (よー) しまぬゆしらりみ あばーぐゎーゆしり (よーてーじんとー あばーぐゎーゆしり)
shima yushiri yushiri wakugaa shima yushiri (yoo) shima nu yushirarimi 'abaagwaa yushiri (yootee 'abaagwaa yushiri)
村を寄せろ 寄せろ 湧川の村を寄せろ 村は寄せられないだろう? 娘を寄せろ
語句・しま 村。「邑」を「むら」と読んで歌うときもある。・ゆしり 寄せろ。近くに寄せろ。彼女の住む村を近くに寄せたい、という願望。・あばーぐゎー ねえさん。田舎の言葉だという。「あばー」という。士族では「んみー」、平民は「あんぐゎー」。


2,涌川女童や 天ぬ星心 拝まりやすしが 自由やならん
わくがーみやらびや てぃんぬふしぐくる うがまりやすしが じゆやならん
wakugaa miyarabi ya tiN nu hushi gukuru wugamari ya sushi ga jiyu naraN
湧川村の娘は天の星のようなものである 拝むことはできるが 自由にはならない
語句・ぐくる 心(くくる)だが、意味は「~のようなもの」となる。琉歌では定石。


3,兼久下我部や 笠張いや居らに あん美らさマカテ 太陽に照らち
かにくしちゃがぶや かさはいやうらに あんちゅらさ マカテー てぃーだにてぃらち
kaniku shichagabu ya kasahai ya wurani 'annchurasa makatee tiida ni tirachi
〇湧川村の兼久と下我部には笠張り人は居ないのか あんなに美しいマカテーを太陽にさらして
語句・かにく 湧川の小字の一つ。「かにく」「がにく」などは砂地を表す。・しちゃがぶ 現在はない地名。昔、屋我地島に移転されて、後にもでてくる「我部」という地名になった。


4,屋我地姉娘小達が 薪持ち山や ミンチリとぅサジャラ 馬ぬカンジュ
やがじうんみーぐゎーたーが たむんむちやまや みんちりとぅ さじゃら んまぬかんじゅ
yagaji 'Nmiigwaa taa ga tamuN muchi yama ya miNchiri tu sajara Nma nu kaNju
屋我地の娘たちが薪を取る山としていたのがミンチリとサジャラ 馬のカンジュという山であった
語句・んみーぐゎー 娘たち歌詞には。「うんみー」と振り仮名があるが声門破裂音がある「んみー」である。士族語で「ねえさん」、未婚の女性にもいう。・たむんむちやま山がない屋我地島の住民が生活するのに(又は塩田の維持のためにも)必要な薪を対岸の湧川の山から取ることが許されていた。湧川の山は杣山(すまやま)として琉球時代から王府が管理した。・みんちりとぅさじゃら んまぬかんじゅ 嵐山のあたりを昔からそう呼んでいたらしい。詳細については今問い合わせ中。


5,朝凪とぅ夕凪 屋我地漕ぎ渡てぃ 我部ぬ平松に思い残ち
「ヨーテー節」にあるので省略。


6,塩炊ちゃ小すりば 色や灼き果てぃてぃ 我がや塩炊ちゃやならんぎさぬ
まーすたちゃーぐゎーすりば いるややきはてぃてぃ わがやまーすたちゃーやならんぎさぬ
maasu tachaa gwaa suriba 'iru ya yakihatiti waga ya maasutachaa ya naraNgisanu
塩炊き(塩作り)をすれば 色は焦げ付いて 私は塩炊きは無理なようだ
語句・まーすたちゃー 塩田で海水を濃縮し、かん水を煮詰めて塩を作っていた。


7,東門ぬギギチ 枝持ちぬ美らさ 我貴兄が妻ぬ身持ち美らさ
あがりじょーぬぎぎち ゆだむちぬちゅらさ わーやくみーがとぅじぬ みむちじゅらさ
’agarijoo nu gigichi yudamuchi nu shurasa waa yakumii ga tuji nu mimuchi jurasa
東門のゲッキツ 枝の形の美しいことよ 私の兄の嫁の品行の美しいことよ!

語句・ぎぎち ゲッキツ(月橘)。月夜によく香る、白い花をつける。


8,遊びする屋我地 恋路する涌川 夜半参ぬ立ちゅせ 天底門口
あしびするやがじ くいじするわくがー やふぁんめーぬたちゅせー あみすじょーぐち
'ashibi suru yagaji kuiji suru wakugaa yahwaNmee ni tachusee 'amisu jooguchi
モーアシビをした屋我地 恋を通わす湧川 夜半参りに立つ天底の門口(不詳)


9、兼久坂下りてぃ 走川ぬ水や 水と思むてぃ飲だれ 潮ばやてる
かにくひらうりてぃ はいかーぬみじや みじとぅむてぃ ぬだれーうしゅばやてーる
kaniku hira 'urithi haikaa nu miji ya miji tumuti nudaree 'ushu ba yateeru
兼久の坂を下りてハイカーの水を水だと思って飲めば潮(海水)だった


(解説)
本ブログでは2019年に、ヨーテー節は「島うた紀行」(仲宗根 幸市編著)の歌詞を元に解説した。

川田松夫氏が「西武門節」の歌詞を乗せた元歌である。

「島うた紀行」には元歌と別に「湧川ヨーテー節」として上の歌詞に近いものが掲載されている。

今回は「今帰仁ミャークニー」の歌詞調査をしていた2024年2月に、私に会いに来てくれたKさんからいただいたものを元にして解説している。そこには「湧川ヨーテー節」と書いてなく、ただ「ヨーテー節」とあるのでそのままにした。



ヨーテー節は屋我地島や今帰仁村湧川で広く今も唄い継がれている。

ミャークニーとヨーテー節

今帰仁ミャークニーの事を調べていくうちに、何故か隣の屋我地島にはミャークニーの痕跡がないことに気づく。今は古宇利大橋がかかり地続きのようになった古宇利島では今帰仁ミャークニーが盛んに唄われたようだ。その代わり屋我地島にはこのヨーテー節があったのだ。

実はヨーテー節とミャークニー、歌詞が共通することも多い。どちらでも唄われる歌詞がある。

さらに似ている部分がある。その話はまたの機会に譲るとして、今帰仁はミャークニー、隣の屋我地島はヨーテー節。さらに屋我地島と羽地内海の極めて浅いところで接し、さらにモーアシビもそれぞれの場所で行われたということで今帰仁湧川にもヨーテー節がある。


さて、上の歌詞の検討に入ろう。1番から3番までは湧川の娘讃歌となっている。湧川の男性が詠んだものより屋我地島の男性が詠んだと考える方が自然か。

薪持ち山


湧川の嵐山という高台から東を見下ろすと羽地内海を挟んで向こうに屋我地島が見える。そして手前に島々が並び、こちら側は湧川となる。

屋我地島は平坦な島で山がない。当時、材木やたき木などを湧川に渡って取っていた。琉球時代、王府は湧川の山々を「杣山」(すまやま)として管理し屋我地島からも材木やたき木を取りに来ることを認めていた。「たむんとぅやー」(薪取り人)は女性、娘たちだった。



4番の「ミンチリとぅサジャラ 馬ぬカンジュ」というのは、この山々につけられた名前のようだ。
これは今後少し詳しく調べる。

夜半参

8番の「夜半参に立ちゅる天底門口」がよくわからなかった。沖縄でも「夜半参」は行われ、女性が男性の装いをして神社に百度参りをするものである。明治期の歌劇「夜半参」にも描かれている。

ではどこで行ったのか。「天底門口」はどこなのか、地元の方にも伺ったがわかる方はいなかった。



天底の私が泊まっていた宿の近くに、天底井戸や神アシャギなどが集まる場所があった。



結局結論は出ていない。


▲この歌詞を下さった湧川のKさんにはあちこち案内もしてもらった。



▲9番の塩水が湧く井戸はここではないか、と連れていってくれた。
  

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2019年01月12日

ヨーテー節

ヨーテー節
語句・よーてー ウタの中に出てくる囃子言葉。「ヨー」はよく使われる。「てー」には「と言い」くらいの意味がある。


《作者不明。歌詞は「島うた紀行」(仲宗根 幸市編著)より》


一、昔ばんしんか勘定納に下りて(ヨー)天馬打ち出じゃち屋我地渡ら (ヨーテー ジントー)屋我地渡ら
んかし ばんしんか はんてぃな にうりてぃ(よー)てぃんま うち んじゃち やがじじま わたら(よーてー じんとー)やがじわたら
《括弧は囃子言葉。以下、括弧も繰り返しも省略する》
Nkashi baN shiNka haNtina ni uriti tiNma ’uchiNjachi yagaji jima watara
昔(番所の)臣下たちが勘定納に降りて伝馬船を出して屋我地島に渡ろう(とした)
語句・ばん 「番所」の「ばん」であろうか。・しんか「臣下。手下。農村では転じて家族の意にも用いる」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。仲間という意味にも使う。・てぃんま「伝馬。はしけ」【沖辞】。小舟の事で渡し船として使われていたもの。・やがじ 現在の名護市屋我地島の事。



二、うとうに響まりる平松ぬ下や 毎夜若者ぬ 遊びどぅくる
うとぅにとぅゆまりる ひらまちぬ しちゃや めーゆるわかむんぬ あしびどぅくる
’utu ni tuyumariru hiramachi nu shicha ya meeyuru wakamuN nu ’ashibi dukuru
有名な平松の下は毎晩若者が遊ぶ場所だ
語句・うとぅにとぅゆまりる 有名な。名声が世に鳴り響いているような。・ひらまち 「枝が低く平らに広がった松」【沖辞】。ふぃらまち、とも言う。我部平松が有名。



三、我部ぬみやらびぬ歌にうち惚りてい 羽地ばんしんか毎夜通て
がぶぬみやらびぬ うたに うちふりてぃ はにじばんしんか めーゆるかゆてぃ
gabu nu miyarabi nu ’uta ni `uchihuriti haniji baN shiNka meeyuru kayuti
我部の娘のウタに惚れて羽地の仲間は毎晩通って
語句・みやらび「農村の未婚の娘をいう」【沖辞】。



四、手拭やこーがき 舞や小んできてぃ がまく小ぬ美らさチンと見惣り
てぃーさじやこーがーき もーや ぐゎーん でぃきてぃ がまくぐゎーぬ ちゅらさ ちんとぅみぶり
tiisaji ya koogaaki mooyaa gwaaN dikiti gamaku gwaa nu churasa chiNtu miiburi
手ぬぐいは頰かむり 踊りは出来て腰つきの美しさに ちょうど見惚れて
語句・こーがーき 「ほおかむり。頭からほおにかけて手ぬぐいをかぶること。農民の習俗で、首里那覇では酒宴の席で、踊りの時にするものが多かった」【沖辞】。・がまくぐゎー「腰回りのくびれている部分」【沖辞】・ちんとぅ「ぴったり。きっちり。ちょうど」【沖辞】。



五、朝凪と夕凪屋我地漕じ渡てい 我部ぬ平松に思い残ち
あさどぅりとぅ ゆーどぅり やがじ くじわたてぃ がぶぬひらまちに うむいぬくち
’asaduri tu yuuduri yagaji kuji watati gabu nu hiramachi ni ’umui nukuchi
朝の凪と夕方の凪の時に屋我地島に漕いで渡って 我部の平松に思いを残して(別れて)
語句・あさどぅり 「凪」は「とぅり」。風が止んで船が出しやすい時間。


コメント

作者不明。
川田松夫氏が「西武門節」の歌詞を乗せた本歌が、この「ヨーテー節」だった。
伊江島民謡の「ましゅんく節」も「ヨーテー節」と呼ばれることがあるが別の曲である。

沖縄県北部の青年達と屋我地島の娘達と繰り広げられたモーアシビの様子が歌われている。

「はんてぃな」について

一番に出てくる「勘定納」(はんてぃな)は琉球王朝時代、間切番所が置かれた羽地で生産された米を薩摩に運び出す港のひとつがあった場所である。「仕上世米」と呼ばれた薩摩藩への上納は四津口(那覇・湖辺底・運天・勘手納)と呼ばれる港から大和船に積まれて行った。港には薩摩藩に上納する物資を保管する倉庫ー定物蔵が置かれた。

「勘定納」の名前は、そこで「上納物」を「勘定」し首里王府に報告していたことから付けられた名前だと言われている。明治期、戦前まで積み出し集積港として機能していたようだ。当然、港や倉庫には若い役人、人夫が集まる。その若者たちと対岸の屋我地島のむすたちとのモーアシビ の情景が歌いこまれているのが、このヨーテー節だ。

「勘定納」は首里那覇では「かんてぃな」と発音するが、今帰仁言葉では「k」が「h」となるためにkaNtina→haNtina
「はんてぃな」となる。

現在のはんてぃなと我部

位置関係をグーグルマップに書き込んでみた。



現在の仲尾から仲尾次あたりが「はんてぃな」と呼ばれていた。

我部の平松

「我部の平松」にヨーテー節の歌碑が立っている。車で行くと分かりにくいが、今帰仁から行けば我部公民館を過ぎて数十メートル東に行った所を北に入る。


(筆者撮影 2018年12月)



ヨーテー節の五番の歌詞が刻まれている歌碑。残念ながら後ろにあった松は折れていた。


近くには美しい松の木があった。中には赤く松枯れしたものも。




歌碑の周りは広い公園となっている。ここが昔モーアシビの場所だったのだろうか。




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2012年02月04日

世宝節 2

世宝節
ゆたからぶし
yutakara bushi

作詞・作曲 普久原朝喜


一、苦しみぬあてぃん胸内にとぅみてぃ(ヨ)他人に語るなよ 世界や嵐(ジントーヨ 世界や嵐)
くるしみぬあてぃん んにうちにとぅみてぃ(よ)ゆすにかたるなよ しけやあらし(じんとーよ しけやあらし)
kurushi nu 'atiN Nni'uchi ni tumiti (yoo) yusu ni kataruna yo sike ya 'arashi (jiNtoo yoo shike ya 'arashi)
〔括弧は以下省略〕
苦しみがあっても胸の中にとめて他人に語るなよ 世界は嵐のように厳しいのだから(そうだね 世界は嵐だ)
語句・んにうち 胸の中。・しけ 世界。<しけー 世界。「sekai」の三母音化(e→i, ai→ee)。ちなみに「世間」は「しきん」(shikiN)。意味はほぼ同じように使われるが、「しけ」に「世間」の当て字がふられることがあり、若干混乱もある。 


二、苦しみぬ水ん飲でぃぬ後からどぅ 楽しみぬ水ん味ん知ゆる
くるしみぬみじんぬでぃぬあとぅからどぅ たぬしみぬみじんあじしゆる
kurushi nu mijiN nudi nu 'atu kara du tanushimi nu mijiN 'aji shiyuru
苦しみの水も飲んで後からこそ楽しみの水も味を知ることができる


三、宝玉やてぃん磨かにや錆びす 朝夕肝磨き 浮世渡り
たからだまやてぃんみがかにやさびす あさゆちむみがきうちゆわたり
takaradama yatiN migani ya sabisu 'asayu chimu migaki 'uchiyu watari
宝石であっても磨かなければ錆びさせる 一日中心を磨いて浮世を渡れ
語句・わたり 渡れ。「わたゆん」(わたる)の命令形。・うちゆ 浮世。「浮世」は本土でも時代によって意味合いが変化してきた。平安時代は「憂世」(憂うべき辛い世)、仏教伝来後は「はかない世」、江戸時代には「浮世絵」のように「当世の」「好色な」。(参考;【語源由来辞典】)沖縄民謡では江戸時代以前の「憂世」「はかない世」の意味合いが多く使われているようだ。


四、嵐声ぬあてぃん心落てぃ着きてぃ互に 和談そてぃ浮世渡り
あらしぐぃぬあてぃんくくるうてぃちきてぃたげに わだんそてぃうちゆわたり
'arashigwi nu 'atiN kukuru 'utichikiti tage ni wadaN soti 'uchiyu watari
厳しい声があっても心落ちつけて互いに仲良く話し合い浮世を渡れ
語句・あらしぐぃ <あらしぐぃー 'arashigwii 「【嵐(荒らし)声】悪い知らせ」【琉球語辞典】。「あらし」には「嵐」(あらし)と「争い」(あらしー)の意味がある。ここでは「悪い知らせ」というよりは「争い」の意味合いが含まれているように思う。・わだん「【和談(和合)】仲良く話合うこと」【琉球語辞典】。


五、誠する人ぬ後や何時までぃん 沙汰残てぃ人ぬ手本なゆさ
まくとぅするふぃとぅやあとぅやいちまでぃん さたぬくてぃふぃとぅぬてぃふんなゆさ
makutu suru hwitu ya 'atu ya 'ichimadiN sata nukuti hwitu nu tihuN nayusa
誠実を貫く人は後世いつまでも噂が残って人の手本になるよ
語句・あとぅ 「①将来②次③子孫」(参考【沖縄語辞典】。「後世」の意味がある。・さた「沙汰。うわさ。また、評判」【沖縄語辞典】。   続きを読む

Posted by たる一 at 09:26Comments(2)や行

2009年09月19日

吉屋物語

吉屋物語
ゆしや むぬがたり
yushiya munugatari
吉屋(ちるー)の物語
語句・ゆしや 吉屋チルー。 吉屋鶴とも書く。 「【吉屋鶴〔思鶴['Umi-Chiru]とも;古くは単に‘よしや’〕】(恩名ナベと並び称される)女流歌人(1650?-68?);読谷山[ユンタンザ]〔今の読谷村[よみたんそん]〕に生まれ8歳のとき那覇仲島へ遊女として身売りされ18歳で没したといわれる。」【琉辞】。

作詞 小浜 守栄
作曲 喜屋武 繁雄


一、誰がし名付きたが吉屋言る人や 琉歌ぬ数々や代々に残て
たがしなじきたが ゆしやてぃるふぃとぅや 'うたぬかじかじやゆゆにぬくてぃ
tagashi najikita ga yushiya tiru hwitu ya 'uta nu kajikaji ya yuyu ni nukuti
一体誰が名付けたのか 吉屋という人は 歌の数々を代々残して
語句・たがし <たー 誰。 +が 疑問の助詞。 +し 強調の助詞(たとえば、文語「いちゃし」「ぬがし」のように、‘一体’くらいの意味) ・てぃる という。

(連ね)
友小達や揃て手まいうち遊ぶ 我身や病む母ぬ御腰むむさ
どぅしぐゎやするてぃ てぃまい'うち'あしぶ わんややむふぁふぁぬ'うくしむむさ
dushigwa ya suruti timai 'uchi 'ashibu waN ya yamu hwahwa nu 'ukushi mumu sa
友達は揃って手まりで遊ぶ 私は病気の母のお腰をもむよ


二、あてなしが童家庭の困難に 女郎花に落てて行ぢゃるいたさ
'あてぃなしがわらび ちねぬくんなんに じゅりばなに'うてぃてぃ 'んじゃる'いたさ 
'atinashi ga warabi chine nu kuNnaN ni juribana ni 'utiti 'Njaru 'itasa
無邪気な子ども 家庭の困難のために 女郎に落ちて去って行ったよ
語句・あてぃなし 「(思慮分別もない)無邪気な者」【琉辞】。「あてぃ」には「思慮」という意味がある。 ・ の。・じゅり 「娼妓[しょうぎ]、女郎」、「料理茶屋の女」【琉辞】。 「尾類」は当て字。琉球語辞典では「女郎系」ではなく九州諸方言の「ジョーリ」(料理)の影響があると見ている。「じゅりばな」ともいう。 ・んじゃる 去る。

(連ね)
恨む比謝橋や情きねん人ぬ 我ん渡さと思て掛きてうちぇさ
'うらむふぃじゃばしやなさきねんふぃとぅぬ わんわたさとぅむてぃかきてぃうちぇさ
'uramu hwijyabashi ya nasaki neN hwitu nu waN watasa tumuti kakitiuche sa
恨めしい比謝橋は情けのない人が私を渡そうと思って掛けておいたものよ
語句・ が。 ・わたさ わたそう。


三、女郎花に落てて行ちゅる道しがら 渡る比謝橋に恨みくみて
じゅりばなに'うてぃてぃ'いちゅるみちしがら わたるふぃじゃばしに'うらみくみてぃ
juribana ni 'utiti 'ichuru michi shigara wataru hwijabashi ni 'urami kumiti
女郎に落ちて行く道すがら渡る比謝橋に恨みを込めて

(連ね)
頼む夜や更きて音沙汰んねらん 一人山ぬ端ぬ月に向かて
たぬむゆやふきてぃ'うとぅさたんねらん ふぃちゅいやまぬふぁぬちちにんかてぃ
tanumu yu ya hukiti 'utusataN neraN hwichui yama nu hwa nu chichi ni Nkati
(あなたが来ると)頼む夜は更けて音沙汰もない 一人山の端の月に向かって


四、仲島ぬ花と美らさ咲ちなぎな 詠だる琉歌数に心くみて
なかしまぬはなとぅちゅらささちなぎな ゆだる'うたかじにくくるくみてぃ
nakashi nu hana tu churasa sachinagina yudaru 'uta kaji ni kukuru kumiti
仲島の花と美しく咲きながら詠んだ歌の数々に心を込めて
語句・なかしま 「那覇市泉崎のもと海上にあった小島(に明治41年まであった遊里)」【琉辞】。 吉屋鶴はここに居たとされる。 ・なぎな <なぎーな ・・ながら、・・なのに。 ・うた かつては「琉歌」は「うた」と呼ばれた。

(連ね)
流りゆる水に桜花浮きて 色美らさあてどすくて見ちゃる
ながりゆるみじにさくらばな'うきてぃ 'いるじゅらさ'あてぃどぅ すくてぃんちゃる
nagariyuru miji ni sakurabana 'ukiti 'irujurasa 'atidu sukuti ncharu
流れている水に桜花を浮かべて 色美しいのですくってみる
語句・んちゃる <んーじゅん ぬーん。 見る。・・してみる。 沖縄語で「見る」は「んーじゅん」。「テレビを見る」は「テレビんーじゅん」。「みーゆん」は「見える」。 ここでは「・・してみる」。


五、琉歌にちながりて 見染みたる里と 想い自由ならん此ぬ世しでて
'うたにちながりてぃみすみたるさとぅとぅ 'うむいじゆならんくぬゆしでぃてぃ
'uta ni chinagariti misumitaru satu tu 'umui jiyu naraN kunu yu shiditi
歌に繋がれて見初めた貴方と愛は自由にならない この世に生まれて(いるのに
語句・しでぃてぃ 生まれて。 <しでぃゆん 孵化する。生まれる。

(連ね)
拝で拝みぶしゃ首里天加那志 遊でうちゃがゆる御茶屋御殿
'うがでぃ'うがみぶしゃ しゅいてぃんがなし 'あしでぃ'うちゃがゆる 'うちゃや'うどぅん
'ugadi 'ugamibusha shuitiNganashi 'ashidi 'uchagayuru 'uchaya'uduN
お会いしてお会いしたいことよ!首里の王様 遊んで浮かび上がる御茶屋御殿
語句・うがでぃ <うがぬん 拝む。お会いする。「会う」「見る」の謙譲語。・うちゃがゆる <うちゃがゆん 「浮き上がる、鮮明[鮮やか]になる」【琉辞】。 


六、思い世に残す死出ぬ旅ゆいか 白骨に語る御茶屋御殿
'うむいゆにぬくす しでぃぬたびゆ'いか しらくちにかたる 'うちゃや'うどぅん
'umui yu ni nukusu shidi nu tabi yu 'ika shirakuchi ni kataru 'uchaya'uduN
思いを世に残す死出の旅にいきます 白骨に語る御茶屋御殿
語句・ を。・しらくち 白骨。



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2009年02月27日

山崎ぬアブジャーマ  (八重山民謡)

山崎ぬアブジャーマ
やまさきぬ'あぶじゃーま
yamsakï nu 'abuzaama
山崎村のおじいさん
語句・やまさき 「山崎村は黒島仲本村の東南方の海岸近くにあった村で、その周辺には『パイフタ村・ンギスク村・イリバラ村・アンカナー村・ナカモト村・サキハラ村』七ヶ村があったが、津波が襲来し、村は殆ど全滅してしまったので、生き残った人々が一ヶ所に新村を創建したのが現在の仲本部落である。」(喜舎場永珣 八重山民謡誌) ・あぶじゃーま 「アブジと同じ」(石垣方言辞典 以下(石)と略す) アブジ 「おじいさん。おじさん。平民のそれを士族がいう時にのみ使う。『ア(吾)ウプ(大)ヂ(父)の意』という説がある(日本語の系譜)」(石)。黒島では「アブゼーマ」と歌われている。



1、山崎ぬアブジャーマ 山端ぬ年寄れ シュラヨーイ シュラヨーイ キユスディルヨーンナ
(囃子言葉は以下略)
やまさきぬ 'あぶじゃーま やまばたぬとぅしゆれ
yamsakï nu 'abuzaama yamabata nu tushïyure
山崎村のおじいさん 山の側の年寄り
語句・やまばた 山の縁。「やま」は「山林、森」の意。「はた」は「ぱた」ともいい「縁」「側」の意。


2、御嶽ぬ後ぬ んぎしゃーま うりが隣るぃぬ なびすぃけ
'おんぬくしぬ 'んぎしゃーま 'うりがとぅなりぬなびし
'oN nu kushï nu 'Ngishaama 'uri ga tunarï nu nabishïke
御嶽の後ろのンギシャーマ(という名前の女) その隣のナビシケ(という名前の女)
語句・おん 「御嶽。神を祀った聖地。神社。『拝(おが)み』の転訛」(石)。


3、あんだぎなーぬ大工ぬ子ぬ うり程ぬ 司ぬ子ぬ
'あんだぎなーぬだいぐぬふぁーぬ 'うりふどぅぬちかさぬふぁーぬ
'aNdaginaa nu daigu nu hwaa nu 'urihudu nu chïkasa nu hwaa nu
あれほどの大工の子が それほどの神女の子が
語句・かさ 「神事を司る人。多く農民の女がなる。」(石)。 ・だいぐ 「大工の棟梁。棟梁の下にいる大工には『サイフ』という」(石)。 ・ が。 「主格をあらわす『が』にあたる」(石)。


4、アブジャーマに すぃかされ 年寄りゃーに だまされ
'あぶじゃーまにしかされ とぅしゆりゃーにだまされ
'abushaama ni shïkasare tushïyuryaa ni damasare
おじいさんに騙されて 年寄りにだまされて
語句・かされ <しかしん ①子どもをあやす。②宥める③おだてる④軽く騙す。 


5、なゆぬ故どぅ すぃかさりだ いきゃぬつぃにゃんどぅ だまさりだ
なゆぬゆんどぅしかさりだ 'いきゃぬちにゃんどぅ だまさりだ
nayu nu yuN du shïkasarida 'ikya nu chïnyaN du damasarida
どういう理由でだまされた(か) いかなる(理由 不明)でだまされた(か)
語句・ゆん 単独では辞書(石)にみあたらないが「ゆんから」(ゆえに)の「ゆん」であろう。 ・にゃん 不明。これも辞書にない。しかし対句なので「ゆん」と同義ではあろう。「つな」は「綱」「一升枡」「幼稚な」などの意味がある。


6、トゥンナふくぃぬ故んどぅ ンガナびつぃぬつぃにゃんどぅ
とぅんなふきぬゆやんどぅ 'んがなびちぬちにゃんどぅ
tuNna hukï nu yu yaN du 'Ngana bichï nu chïnyaN du
トゥン菜の芽の故でこそ ニガナの芯の故でこそ
語句・とぅんな  「アキノノゲシでキク科植物」(八重山の古典民謡集)。 ・ふく 「芽。茎。」(石)。・んがな ニガナ。「(植)ホソバワダン。胃の薬として煮て食べたり、生の汁を飲んだりした」(石)。・びち 「草木の心(しん)。」(石)。「びっち」とも言う。こちらには「新芽を出す前の筆のようなもの」という意もある。


7、敷寝てぃるむぬや 蓑傘敷寝ばし枕てぃるむぬや ぴらつぃか枕ばし
にてぃるむぬや みぬかさしにばし まくらてぃるむぬや ぴらちかまくらばし
shïkï nitiru munu ya minokasa shïkï nibashi makura tiru munu ya piratsïka makura bashi
敷き寝ているものはミノカサで寝ている 枕にしているものは ヘラの柄を枕にして
語句・ぴらつ 「ぴら」は「へら。平たく細長い鉄でつくり、草をとったり、浅く耕すのに使う農具。箆(へら)の意。」(石)。 


8、すぃかされぬ にたさ だまされぬ辛さ
かさりぬ にたさ だまさりぬ ちらさ
shïkasarinu nitasa damasarinu chisrasa
騙されたことの恨めしさよ!騙されたことの辛さよ!
語句・にたさ<にたさーん 妬ましい。恨めしい。


9.んぎしゃーまや 家ぬ妻 なびすぃけや妾
'んぎしゃーまや やぬとぅじ やぬとぅじ なびけや みやらび
'Ngishaama ya tujï ya nu tujï nabïshïke ya miyarabi
ンギシャーマは(じいさんの)家の妻 ナビシケは妾


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2008年12月13日

与論小唄

与論小唄
よろんこうた
yoroN ko uta
(意味略 以下同じ)


木の葉みたいな我が与論 何の楽しみないところ
konoha mitaina waga yoroN naN no tanoshimi nai tokoro
好きなあなたが居ればこそ 嫌な与論も好きとなる
sukina anata ga ireba koso iyana yoroN mo sukito naru


思えば去年の今頃は 与論赤碕海岸で
omoeba kyoneN no imagoro wa yoroN akasaki kaigaN de
共に手を取り語りしが 今は別れて西東
tomo ni te wo tori katarishiga ima wa wakarete nichihigashi


私が貴方を思う数 山の木の数星の数
watashi ga anata wo omou kazu yama no ki no kazu hoshi no kazu
三千世界の人の数 千里浜辺の砂の数
saNzeNsekai no hito no kazu seNri hamabe no hoshi no kazu


あなたあなたと焦がれても あなたにゃ立派な方がある
anta anata to kogaretemo anatanya rippana kata ga aru
いくら私が焦がれても 百合ヶ浜辺の片思い
ikura watashi ga kogaretemo yurigahamabe no kata omoi


飛んで行きたいあの島へ 飛んで行くには羽がない
toNde ikitai ano shima e toNde iku niwa hane ga nai
歩いて行くには道がない 星空ながめて泣くばかり
aruite iku ni wa michi ga nai hoshizora nagamete nakubakari


思ったばかりじゃいけません いつか貴方と話する
omotta bakarija ikemaseN itsuka anata to hanashi suru
話ばかりじゃいけません いつか貴方と縁むすぶ
hanashi bakarija ikemaseN ituka anata to eN musubu


(NHK「ジャッジⅡ」より)

木の葉みたいなこの与論 何の楽しみないところ
konoha mitaina kono yoroN naN no tanoshimi nai tokoro
想い願いは幾度なく 会えぬ月日は幾日か
omi negai wa ikudonaku aenu tsukihi wa ikunichi ka


泣いて暮らすも50年 笑って暮らすも50年
naite kurasumo gojuuneN waratte kurasumo gojuuneN
泣いて暮らすも笑うのも 心ひとつのおきどころ
naite kurasumo waraunomo kokoro hitotsu no okidokoro


五十、六十が蕾なら 七十、八十は花ざかり
gojuu rokujuu ga tsubomi nara shichijuu hachijuu wa hanazakari
私の人生これからと希望の花をさかせましょう
watashi no jinsei korekara to kibou no hana wo sakasemasyou



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2008年11月08日

世果報節 (八重山民謡)

世果報節
ゆがふ ぶし
yugahu busï
豊年の唄
語句・ゆがふ 「豊年。『世果報』の字を当てる。『ノーリゥユー』〔「no:rïju:〕(稔りの世)とも言う」(石) ちなみに「ï」は中舌母音。


、(サーサー)昔からとぅゆむ 我が新城島や 高称久ばくさでぃ(スリ)世果報迎てぃ (ウリ シタリガ ヤゥンザ シトゥテントゥンテン)
(さーさー)'んかしからとぅゆむ ばがはなりしまや たかにくばくさでぃ(すり)ゆがふむかてぃ(うり したりがよーんざ しとぅてんとぅんてん)
〔括弧内は以下省略〕
'Nkasï kara tuyumu baga hanari sïma ya takaniku ba kusadi yugahu mukati
昔から評判である私たちの新城島は高称久を後ろに豊年を迎えて
語句・はなりし 現在の「新城島」(あらぐすくじま)。上地島と下地島をあわせてそう呼ばれた。昔から「パナリ島」と呼ばれた。・たかにく 上地島の海に面した小高い丘の名前。


二、年々ぬ物作いや 実り出来でむぬ 首里加那志貢物 御初上ぎら
とぅしどぅしぬむじゅくいや みぬりでぃきでむぬ すんじゃなしみむぬ 'うはち'あぎら
tushïdushï nu mujukui ya minuridiki demunu suNjanashï mimunu 'uhachï 'agira
毎年の農業は豊作であるから首里王様への貢物(人頭税)の初物を献上しよう
語句・とぅしどぅし 「年」は「tushï」と発音する(「石」)が、八重山の唄者の録音を聴いてみると「とぅしどぅし」と聞える。・でむぬ ・・であるから。 ・すんじゃなし <すん 首里 + かなし 愛しい人 →すんがなし→「が」が「じゃ」に変化。拗音化。



三、家毎庫々に積ん余す穀や 酒神酒に造てぃ 祝い遊ば
やぐとぅくらぐらにちん'あますくくや さきみしにつくてぃ 'いわい'あすば
ya gutu kuragura ni chïN 'amasu kuku ya saki mishï ni chïkuti 'iwai 'asuba
家毎の倉々に積み余らすほどの米は 酒(や)神酒にして祝い遊ぼう
語句・ < つむん 積む。 ・くく 穀、つまり米。同時に「米を計る単位」である石(こく)の意味もある。 ・みし 神酒。「かつては乙女たちが生米を噛んで発酵させてつくった酒。神に捧げるときはミシャグという。米のご飯、粟のご飯を噛んでそれに少量の生米を入れ、水を加えて発酵させたものである」(石)。


四、白髪雪かめる年寄やあまた上座敷になりてぃ心嬉しゃ
しらぎゆちかみるとぅしゆいや'あまた かみざしになりてぃ くくる'うりしゃ
shiragi yuchi kamiru tushïyusi ya 'amata kamizashi ni nariti kukuru 'urisha
白髪を雪のように頭にのせたお年寄りは大勢(が)上座になられて心嬉しい
語句・かみる <かみるん 頭に載せる。 「広島で『かんめる』、壱岐・都城で『かんむる』の方言がある」(石)。・あまた 実は「石垣方言辞典」にも「琉球語辞典」にも、また「琉歌大成」にもこの語句はみつからなかった。国語辞典には「数が多いさま」「非常に」。副詞だが名詞的にも用いる。「石」には似た語句「アマッタニ」(余るほど十分に)がある。


五、算ぬ数知らん 若者ぬまぎり 歌とぅ三味線立ちゃい舞ちゃい
さんぬかじしらん わかむんぬまぎり 'うたとぅさみしん たちゃいむちゃい
saN nu kajï shiraN wakamuN nu kagiri 'utatu samishiN tachaimuchai
数えられないほどの若者全員が歌と三線(で)立ったり踊ったり
語句・さんぬかじしらん 辞書にはないが、昔の慣用句か。・まぎり <まざーるん 混ざる。「ざ」→「ぎ」に変化?。沖縄本島では「まじり」、「全体」の意味となる。・さみしん 「さしん」と発音して歌われているようだ。


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2008年09月19日

与勝海上めぐり

 与勝海上めぐり
よかつかいじょうめぐり
(発音は標準語読み)


作詞・作曲 我如古盛栄


一、津堅浜平安座 通い路ぬ港 通い舟乗やい廻る美らさ
ちきんばまひゃんざ[へんざ] かゆいじぬ'んなとぅ かゆいぶにぬやい みぐるちゅらさ
chikiN bama hyaNza[heNza] kayuiji nu 'Nnatu kayuibuni nuyai miguru churasa
津堅、浜、平安座は通い路の港 通い舟に乗って廻る(景色の)美しいことよ!
語句・ちきん 津堅島の港名。現在は「つけん」と呼ぶ。・ばま浜比嘉島(はまひじゃじま)の港。・ひゃんざ  平安座島の港。現在は「へんざじま」。



二、車乗ていそさ 舟乗てんいそさ 潟原ぬ満干 平安座までん
くるまぬてぃ'いそさ ふにぬてぃん'いそさ かたばるぬみちふぃ ふぃんざ[へんざ]までぃん
kuruma nutiN 'isosa huni nuti 'isosa katabaru nu michihwi hyaNza[heNza] madiN
車に乗って嬉しいことよ! 舟に乗っても嬉しいことよ!干潟の満ち干き平安座島までも
語句・いそさ 嬉しいことよ!<'いそーさ、'いしょーさ 嬉しい。・かたばる  干潟。



三、伊計離り廻て浮原ぬ海や釣し楽しむるマクブタマン
'いちはなりみぐてぃ 'うちばるぬ'うみや ちいしたぬしむるまくぶたまん
'ichihanari miguti 'uchibaru nu 'umi ya chiishi tanushinuru makubu tamaN
伊計離島巡って浮原の海で釣りで楽しめるマクブ、タマン
語句・いちはなり 伊計島。昔は「いち」と呼ばれた。・うちばる 浜比嘉島の南東にある無人島。日米軍の演習場。・ まくぶ たまん  「マクブ」「タマン」共に沖縄を代表する高級魚。「マクブ」は和名「シロクラベラ」。「マクブー」ともいう。「タマン」は「ハマフエフキ」。



四、浜比嘉に渡てアマミチュゆ拝で見晴らしぬ美らさ 島ぬ岬 
はまふぃじゃにわたてぃ'あまみちゅゆうがでぃ みはらしぬちゅらさ しまぬみさち
hamahwija ni watati 'amamicu ugadi miharashi nu churasa shima nu misachi
浜比嘉島に渡りアマミチュ(の墓)を拝み 見晴らしの美しいことよ!島の岬
語句・あまみちゅ 神話で琉球を作ったといわれる人物名。その墓が浜比嘉島にある。 「琉球列島の創造神;イザナキ・イザナミのような男女神か単一神の対語的名称か、説が分かれる;その故国は'Amamija-Sinirija;アマミキョは‘天御子’とも書かれるが‘奄美’との関係もあるかもしれない」(琉)。「あまみちゅー」とも発音される。 



五、昔収納奉行ぬ歌にとゆまりる津堅美童ぬ なさき深さ んかししゅぬぶじょーぬ'うたにとぅゆまりるちきんみやらびぬなさきふかさ
Nkashi shunubujoo nu 'uta ni tuyumariru chikiN miyarabi nu nasaki hukasa
昔、「取納奉行節」の歌に有名な津堅島の娘の情けは深いことよ!
語句・しゅぬぶじょー 取納奉行節。 ・とぅゆまりる 世の評判になった。有名な。<とぅゆまりゆん 


六、島々ぬ景色 眺みてんあかん 何時ん行じ見ぶさ 与勝観光
しまじまぬちしち ながみてぃん'あかん 'いちん'んじみぶさ よかつくゎんこー
shimajima nu chishichi nagamitiN 'akaN 'ichiN 'Nji mibusa yokatukwaNkoo
島々の景色眺めても飽きない 何時も行ってみたいよ 与勝の観光

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2007年09月23日

読谷山宮古根

読谷山宮古根
ゆんたんざ なーくにー
yuNtaNza naakunii
読谷山 宮古根
語句・ゆんたんざ 読谷村は1946年まで「読谷山」(ゆんたんざ)と呼ばれていた。


唄三線 照屋政雄


一、読谷山アバ小 肝持ちのゆたさ(ヨー) 志情けもゆたさ 思い深さ(ジントーナー)
ゆんたんざ'あばぐわ ちむむちぬゆたさ しなさきん ゆたさ 'うむいふかさ
yuNtaNza 'abagwa chimu muchi nu yutasa shinasakiN yutasa 'umui hukasa
読谷山(の)姉さん 心持ち(方)がなんと結構なことよ! 志情けも結構だ! 思い(の)深さ
語句・あばぐわ 姉さん ・ちむむち 「肝」(ちむ)は、大和口に直し難い言葉の一つ。辞書には①肝、肝臓②心 心情〔kukuru[心]より多用される〕(琉)とある。もとは「肝 kimo」(k→ch,mo→mu )chimuという変化したもの。一般的な「心」より、良心的な「心」、相手への思いやり、優しさを重視したものに聞えることが多い。「ちむむち」とはまさに、そういう心のあり方と指していると思われる。 ・ゆたさ なんと結構なことよ! <ゆたさん(形) 宜しい 結構な 形容詞の体言止めは「なんと・・・なことよ!」と感動を表す。


二、読谷山アバ小 水汲むるアバ小 腰小のしゅらさ 二才が惚らち
ゆんたんざ'あばぐわ みじくむる'あばぐわ がまくぐわぬしゅらさ にせがふらち
yuNtaNza 'abagwa  miji kumuru 'abagwa gamakugwa nu churasa nise ga hurachi
読谷山(の)姉さん 水汲む姉さん 腰のかわいらしいことよ!青年を惚れさせて
語句 ・がまくぐわ 腰  「腰小 がまくぐわ」に「腰つきの良い美人」という言い方もあるが、ここでは体の部分を指す ・しゅらさ かわいらしいことよ!・ふらち 惚れさせて <ふりゆん 惚れる +しゅん 使役 惚れさせる の接続形 ふらち  


三、読谷山アバ小 芋掘ゆるアバ小 くんだ小も できて ちび小ぶててぃ
ゆんたんざ'あばぐわ んむふゆる 'あばぐわ くだぐわん でぃきてぃ ちびぐわ ぶててぃ
yuNtaNza 'abagwa 'Nmu huyuru 'abagwa kuNdagwaN dikiti chibigwa buteti
読谷山(の)姉さん 芋掘る姉さん ふくらはぎも上出来 お尻(は)太って
語句。くんだぐわ ふくらはぎ ・ぶててぃ 太って <ぶてーゆん 太る、茂る 繁栄する。
 

四、読谷山アバ小 我んね 草刈や小 草刈や小 やしが まじゅな遊ば
ゆんたんざ'あばぐわ わんねくさかやぐわ くさかやぐわやしが まじゅな'あしば 
yuNtaNza 'abagwa waNne kusakayagwa kusakayagwa yashiga majyuna 'ashiba
読谷山(の)姉さん 私は草刈り人 草刈人だけど 一緒にに遊ぼう
語句・まじゅな 一緒に <まじゅん 一緒(に)


五、読谷山アバ小 薪取いなじき 二才小達と 連れて遊しびふりて
ゆんたんざ'あばぐわ たむんとぅいなじき にせぐわたとぅちりてぃ 'あしびふりてぃ
yuNtaNza 'abagwa tamuN tui najiki nisegwata tu chiriti 'ashibi huriti
読谷山(の)姉さん 薪取りは口実 青年たちと連れて遊び(に)興じて
語句・なじき ふり 口実 ・ふりてぃ  <ふりゆん 惚れる 気に入る 気が狂(ふ)れる(琉) 面白く訳するなら「遊び狂って」



かいされー


一、読谷山アバ小 目笑小のしゅらさ 思出しばめぐる(アネ ジントーヨー)通いぶさん
ゆんたんざ'あばぐわ みわれぐわぬしゅらさ 'うみ'んじゃしばみぐる かゆいぶさん
yuNtaNza 'abagwa
読谷山(の)姉さん 微笑のかわいらしいことよ!思い出せばめぐる 通いたい
語句・みわれぐわ 微笑み <みーわれーぐわー mii(目)waree(笑)gwaa(小) 
 

二、読谷山アバ小 遊びぶさあても 親の目の光ちゃて 自由ならんね
ゆんたんざ'あばぐわ 'あしびぶさ'あてぃん 'うやぬみぬふぃちゃてぃ じゆならんね
yuNtaNza 'abagwa 'ashibibusa'atiN 'uya nu mi nu hwichati jiyunaraN ne
読谷山(の)姉さん 遊びたい(と思って)も親の目が光って自由ならんみたい
語句・ふちゃてぃ 光って <ふぃちゃゆん 光る ・ね ように みたい <ねー 助詞。比喩の意味で 終止形につく (・・する[した])よう[みたい]に (琉)


三、読谷山アバ小 三線小の鳴りば 肝も肝ならん 出て行ちゅんど
ゆんたんざ'あばぐわ さんしんぐわぬなりば ちむんちむならん 'んじてぃ'いちゅんど
yuNtaNza 'abagwa saNshiNgwa nu nariba chimuN chimu naraN 'Njiti 'ichuN do
読谷山(の)姉さん 三線が鳴れば 気が気でない 出ていくぞ
語句・ちむんちむならん 気が気でない 慣用句で「与那国ションカネー」にもある。


四、読谷山アバ小 うち惚れて我身や 通るがな通る 恋のアブシ
ゆんたんざ'あばぐわ 'うちふりてぃわみや かゆるがなかゆてぃ くいぬあぶし
yuNtaNza 'abagwa 'uchihuriti wami ya kayuruganakayuti kui nu abushi
読谷山(の)姉さん(に)惚れて私は通うだけ通って恋の畦(道)
語句・あぶし 畦(道) 


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2007年06月17日

寄せ事る宝

寄せ事る宝
ゆしぐとぅるたから
yushigutu ru takara
○教訓こそ宝(だ)
語句・ゆしぐとぅ教訓、助言(琉)・こそ 強調の「どぅ」なのだが、各地の方言で「R」と「D」が入れ替わるために du → ru となったもの。 ゆしぐとぅるたから の後に 「やる」(ある) が省略されている。


作 登川誠仁


一、昔云言葉に慎みの一字 身にまむて居りば人や情
んかし'いくとぅばにちちしみぬ'いちじ みにまむてぃ うりばふぃとぅやなさき
Nkashi 'ikutuba ni chichishimi nu 'ichiji mi ni mamuti uriba hwitu ya nasaki
昔(の)格言に「慎むこと」の一字 身に守っていれば人は情け 
語句・いくとぅば格言 ・ちちしみ(名詞)慎むこと のほかに 動詞の ちちしぬん ちちしむん の命令形 「ちちしみ」慎め という解釈もできる。


二、情かきゆしも誠尽すしも 人のためすしも 我ためと思れ
なさきかきゆしん まくとぅちくすしん ふぃとぅぬたみすしん わたみとぅ'うむり
nasaki kakiyushiN makutuchikushiN hwitunu tami sushiN watami tu 'umuri
情けかけても 誠尽くしても 人の為(に)しても 自分のためと思え
語句・かきゆしん<かきゆ かきゆん(動)(掛ける) +し しゅん(する)の接続形 っし が弱まった形(琉)
+ん(も)


三、御年寄の言葉 まもてすくなゆみ 意見寄師事や世間の宝
'うとぅすいぬくとぅば まむてぃすくなゆみ 'いちんゆしぐとぅやしけぬたから
'utushui nu kutuba mamuti sukunayumi 'uchiN yushigutu ya sike nu takara
お年寄りの言葉(は)守って損なうか(損なわない) 意見教訓は世界の宝
語句・すくなゆみ損なうか?<すくなゆん(動) 損なう + み 疑問文を作る接続助詞 参考「汗水節」・いちん意見 「いつも」とも取れるが以下の古い琉歌を参照 「意見寄せ言や身の上の宝 耳の根や開けて肝にとめれ」('いちんゆしぐとぅやみぬ'ういぬたから みぬにや'あきてぃちむにとぅみり 意見教訓は身の上の宝 耳の根を開けて心に留めよ)・しけ世界 「世間」と当て字があるが「しきん」と詠むなら「世界」。世間=しけー shikee。



四、浮世渡ゆしや義理誠情 朝夕忘れるな肝に染めて
'うちゆわたゆしや じりまくとぅなさき 'あさゆわしりるなちむにすみてぃ
'uchiyu watayushi ya jirimakutunasaki 'asayu washiriruna chimuni sumiti
世の中渡ることは義理、誠情け(を)朝夕忘れるな 心に染めて
語句・うちゆ浮世 国語辞書などをまとめると 仏教的な厭世観からくる「苦しみの現世」や「浮き」という語感から「男女の仲」「浮かれるこの世」や「浮世絵」などのように「今風」という意味までさまざま。ひっくるめて「この世」と訳す。


五、百里道行ちゅる人や九十九里ゆ道半ゆと思て心がきれ
ひゃくり'いちゅるふぃとぅや くじゅくりゆ みちなかゆとぅ'うむてぃくくるがきり
hyakuri 'ichuru hwitu ya kujukuri yu michinaka yu tu 'umuti kukurugakiri
百里(の)道(を)行っている人は九十九里を道半分(だ)と思って心掛けよ
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2007年05月20日

やりこのし節

やりこのし節
やりくぬし ぶし
yarikunushi bushi
語句・語意は不明。囃子言葉由来。


おし連れて互に 遊びぼしやあすが むぢやれ匂高さ(やりくぬ うね)わかて遊ば(あすぃぶさ うどぅゆさ ひょうしぬ やりくぬし やりくぬし)
囃子言葉以下略
'うしちりてぃたげに 'あしびぶしゃ'あすぃが んじゃりにうぃだかさ わかてぃ 'あしば 
'ushichiriti tage ni 'ashibi busha 'asiga Njari niwi dakasa wakati 'ashiba
連れ立って互いに遊びたいのだけど 乱れ髪(の)臭気が強いので 別れて遊びたい
語句・うしちりてぃ連れ立って <うし(接頭語) 強い意味はなく「ちりてぃ」を補う ・んじゃり乱れ髪 <んじゃりゆん もつれる・にうぃ臭気 いい香りにも臭気にも使う。いい香りは「かばかじゃ」。・たかさ 高いので 形容詞の「・・さ」の形は「・・ので」と理由を表す。


よむ面のきよらさ どんたので居るな 縁ど肌そゆる浮世しらに
ゆむじらぬ ちゅらさ どぅんたぬでぃ うるな いんどぅはだすゆる'うちゆしらに
yumu jira nu churasa duN tanudi uruna iN du hada suyuru 'uchiyu shirani
嫌な顔の清らさでも頼っているな 縁こそ肌添う浮世(を)知らないのか?
語句・どぅん・・でも・うるな居るな<うん 居る +な 禁止
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2007年01月14日

与那国のまや小

与那国のまや小
ゆなぐにぬまやーぐゎー
yunaguni nu mayaagwaa
与那国の猫ちゃん
語句・まやー 猫。<まやー。・ぐゎー ちゃん。小(ぐゎー)は、①小 まや小・・子猫。②愛称 まや小・・猫ちゃん。③強意 くーてん小・・ほんの少し。④卑小化 妻小・・かかあ。などの用法がある。話し手の気分で自由。したがって子猫でも猫ちゃんでも、猫の奴、といった意味の多様な取り方がある。



参考「八重山古典民謡工工四 下巻」(大濱安伴 編著)。「八重山古典音楽安室流保存会工工四全巻」。


一、与那国ぬ猫小 鼠だましぬ猫小 ハリ二才だましぬ やから 崎浜ヨー主ぬ前ハリ ヨーヌヨーシュヌマイハリ シターリヨーヌ ヨーヌヨーシュヌマイハリ
ゆなぐにぬ まやーぐゎー うやんちゅ だましぬ まやぐゎー (はり) にーさい だましぬ やから しきはま (よー)しゅぬまい
(はり よーぬよーしゅぬまいはり したーりよーぬ よーぬよーしゅぬまいはり)
yunaguni nu mayaa gwaa uyaNchu damashi nu mayaagwaa (hari)niisai damashi nu yakara sikihama (yoo)shu nu mai
(hari yoo nu yoo shu nu mai hari shitaari yoo nu yoo nu yoo shu nu mai hari)
〔囃子言葉は以下略〕
与那国の猫ちゃん ネズミをだます猫ちゃん 青年をだましたやつ 崎浜 お役人様
語句・ゆなぐに「与那国」 の呼称。「おもろそうし」(1600年頃)には「いにやくに」という表記が見られ、また1609年の薩摩侵攻後の検地で「与那国」の呼称が定着した。さらに古くは「米、砂」の意味がある「よね」(ゆな)から来ているという説もある。石垣島では「ゆのーん」と呼ぶ。地元与那国では「どぅなん」と発音する。与那国島ではよく「Y」が「D」に入れ替わる。・にーさい 青年。若者。沖縄語の「にーせー」。・やから やつ。やから。・うやんちゅ ネズミ。沖縄語では「うぇんちゅ」weNcu。・しきはま 「さきはま」と発音するものもある。「八重山島民謡誌」によれば、「租納『ダデク頂(チヂ)』の南の下にある濱のこと」とあるが地図で確認できなかった。・しゅぬまい 士族、役人、旦那様の敬称。沖縄語では「しゅぬめー」。


二、底ぬ家ぬ犬小とぅ中ぬ家ぬ猫小とぅきざん橋 行かゆてぃミャウてぃば ガウてぃばし
すくぬやーぬいんぐわとぅ なかぬやーぬ まやぐわとぅ きーざんばし いかゆてぃ みゃうてぃば がうてぃばし
suku nu yaa nu iNgwaa tu naka nu yaa nu mayaagwaa tu kiizaNbashi ikayuti myau tiiba gau tibashi
底の家の犬ちゃんと中の家の猫ちゃんと石橋で出会って(猫が)ミャウと言えば(犬が)ガウと言って
語句・いんぐゎー 犬。・きざんばし 石橋。石で段が作られた橋。「きざ」は「刻む」から。「きざばし」とも言う。「きざぬ橋」から「きざんばし」。「太陽の橋」(てぃーだんばし)という歌詞もある。「島うた紀行」では「太陽の当たる端」と訳してある。・いかゆてぃ 出逢って。沖縄語の「いちゃゆん」(出逢う)に対応。・てぃば といえば。<てぃ と。+いい+ば。


三、西からや大嶺主 東からや八重山主だ 真中から目かかぬとびきてぃ はいりきたんとん
いりからや うぶんみしゅ あーり からや やーましゅだ まんなかから みかかぬ とぅびきてぃ はいりきたんとん
iri kara ya ubuNmishuu aari kara ya yaamashu da maNnaka kara mikaka nu tubikiti hairikitaN toN

西からは大見役人が 東からは八重山役人だ 真中から 醜いものが飛んできて驚いて入ってしまったとさ
語句・いり 西。・あーり 東。沖縄語では「あがり」。・みかかぬ 醜いの。


四 大月と大太陽と上がる目や一つ 波座真の主と我との仲や一つ
うぶしきとぅ うぶてぃだとぅ あがるみや ぴーてぃーち はざまぬ しゅ とぅ ばんとぅぬなかや ぴーてぃーち
ubushiki tu ubutida tu agaru mi ya pitiichi hazama nu shu tu baN tu nu naka ya pitiichi
お月様と太陽と上がる目(道?場所?)は一つ 波座真の役人と私との仲は一つ
語句・うぶしき 大月。月の敬称、お月様。「しき」は「ちき」と歌う歌詞もある。・みー 「みー」には、目。穴。欠点。刻み目。境遇。順番を表す。中。間。実。命、運命。いっぱい。などの意味がある。「島うた紀行」では「場所」と訳してある。「運命」あたりがいいのではないだろうか。


五 大月ぬ欲しゃむぬ うしゃんぎどぅ欲しゃむぬ 波座真ぬ主ぬ欲しゃむぬ 女童欲しゃむぬ
うぶしきぬ ふしゃむぬ ふーたんぎ どぅ ふしゃむぬ はざまぬ しゅぬ ふしゃむぬ みやらび ふしゃむぬ
ubushiki nu husha munu huutaNgi du husha munu hazama nu shu nu husha munu miyarabi husha munu
お月様の欲しいものはウサギだけが欲しいもの 波座真の役人の欲しいものは娘だけが欲しいもの
語句・うしゃんぎ ウサギ。「ふたんぎ」と書いたものもある。・みやらび 娘。


六 八折屏風ぬ中なぎ 花染み手拭ば取り落とぅし うり取いが 名付き女童見舞いきたとん
やぶりべーぶ ぬ なかなぎ はなずみてぃさじ ば とぅりうとぅし うーりとぅいがなづぃきみやらび みまいきたんとぅん
yaburi beebu nu naka nagi hanazumitiisazi ba turi utushi naziki miyarabi mimaikitatoN
八折屏風の中に花染め手ぬぐいをわざと取り落として それを取るふりをして娘(を)見回りきている
語句・べーぶ 屏風。「びょーぶ」もある。・なじき 口実。言い訳。



(コメント)
先日の八重山民謡の「鳩間節」に続いての八重山民謡だが、与那国民謡。
「猫小節」(まやーぐゎーぶし)ともいう。

与那国島の東部、割目(ばるみ)という小字には、この歌碑がある。





歌碑は大川親雲上の墓の横にある。


▲大川親雲上の墓。

なぜここに歌碑があるのか、この歌碑に書かれている。

「その昔、与那国島に大川加仁と称する農夫がいた。 ある日のこと、 ウブンドゥ山で仕事をしていると、けたたましい猫の鳴き声が聞こえてきた。 駆けつけてみると小猫がヤシガニに足をはさまれて、穴の中に引きずり込まれるところであった。すかさず加仁がヤシガニから小猫を助け出すと、 小猫はなついて、 加仁と暮らすようになった。
この猫は利口で、鼠を捕るのが巧みであった。
その頃、首里王府の蔵では鼠が大発生し、 米俵が食い荒らされて非常に困っていた。対策に頭を悩ませていた王府は、 鼠を退治するのが上手な猫を徴用し、優秀な猫を献上した者には親雲上の位階を与えるとの布令を全島に発した。 そして、与那国島から選ばれたのが、 加仁の猫であった。 みごと一匹も残らず鼠を退治した猫の功績によって、 加仁は国王から親雲上の位階を賜った。 帰途の船中でうれしさのあまり謡ったのが、 この歌だと伝えられている。 しかし、 歌詞の内容は物語の猫とは全く縁遠いものに思われる。 往時の権力である役人の横暴とその社会の賄女制度の裏面を擬人体で謡っていることが考察される。与那国在藩宿舎の様相並びに役人と賄女等の関係の実態をあからさまに風刺した作と言えよう。」

参考:宮良保全 『遺稿集 与那国の民謡とくらし』

つまり、与那国には昔から伝わる大川という農民と猫との伝承があった。しかし、この「猫小節」の歌詞はそのことを詠ったものではなく、役人とその妾の横暴を猫にたとえたもの、というすこし複雑な関係であるということになる。








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2006年10月08日

ヤッチー

ヤッチー
やっちー
yacchii
兄さん
作詞 上原直彦 作曲 普久原恒勇

一、語らなや星に 天川に橋かけて覚出すさ(覚出すさ・繰り返し以下省略)童小の昔 (ヤッチー二人 ヤッチー二人 うりかたらなや)
かたらなやふしに てぃんじゃらにはしかきてぃ'うびじゃすさわらびぐわーぬんかし(やっちーたい やっちーたい 'うりかたらなや)
kataranaya hushi ni tiNjara ni hashi kakiti 'ubijasusa warabigwa nu Nkashi (yacchii tai yacchii tai 'uri kataranaya)
語りたいねえ 星に 天の川に橋を架けて思い出すよ子どもの昔 (お兄さん(と)二人 お兄さん(と)二人(で)さあ 語りたいねえ)(囃子は以下省略)


二、竹馬や乗やい家に急ぐ道ゆるで眺めたし 西の陽のあかい(汝ったアンマーまーかいが ベーベーの草狩いが ベーベーのまさ草や 春(畑)の若みんな アン小そーて)
だき'んまやぬやい やーに'いすぐみちゆるでぃ ながみたし 'いりぬふぃぬ'あかい (わったー'あんまーまーかいが べーべーぬくさかいが べーべーぬまさぐさや はるぬわかみんな 'あんぐわーそーてぃ)
daki'Nma ya nuyai yaa ni 'isugu michi yurudi nagamitashi 'iru nu hwii nu 'akai ('ittaa 'aNmaa maakaiga beebee nu kusakaiga beebee nu masagusa ya haru nu haru nu wakamiNna 'aNgwaa sooti)
竹馬に乗って家に急ぐ道 (足を)ゆるめて眺めたのは西の日の夕焼け
(おまえたちのお母さんはどこだい?山羊の草を狩りに 山羊のおいしい草は春(畑)の若いルリハコベ 姉さん連れて)

語句・ゆるでぃ「道ゆらてぃ」ならば「道草を食うこと」。足を緩めて くらいか。・ながみたし ながめたのは。動詞の下略形に「し」をつけて「・・・の」。(参考 二見情話 「かたたしや」「いちゃたしや」) ・あかい 赤いもの=夕焼け ・いったーあんまーまーかいがを参照


三、節々の実や クービ ムム ナンデンシ 遊ぶたし 石なぐに ぎっちょ
しちしちぬないやくーびむむなんでんし'あしぶたし 'いしなぐに ぎっちょ
shichisichi nu nai ya kuubi mumu naNdeNshi 'ashinutashi 'ishinagu ni giccho
季節毎の実はグミ 桃 島桑 遊んでいたのは お手玉遊びに棒を使う遊び
語句 ・いしなぐ いしなぐー 女の子のお手玉遊びに使う石。 ・ぎっちょ ぎっちょー 長短2本の棒を使う子どもの遊び 'イッパーともいう。 ・くーび グミ ・なんでんし ナンデーシー 島桑。  ・あしぶたし 遊んでいたのは。 あしぶた=遊んだの継続過去形の下略形に「し」をつけたもの 上の「ながみたし」と同じ。


四、巡る年月ゆ走い馬に例いたる 人の情 今ど思知ゆる(天と地とちゅかたみや 海と山とたかたみや 汝と我んとけーうさーち アネヒヤかたみやさ シーヤープー シーヤープー ミーミンメー ミーミンメー イーユンミー イーユンミー ヒージントー ヒージントー)
みぐるとぅしちちゆ はい'んまにたとぅいたる ひとぬなさき なまどぅ'うみしゆる (てぃんとぅちとぅちゅかたみや 'うみとぅやまとぅたーかたみや
 やーとぅわんとぅ けー'うさーち 'あねひや かたみやさ しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー 'いーゆんみー 'いーゆんみー ひーじんとー ひーじんとー)
巡る年月を早く走る馬にたとえている人の情け今こそ思い知る(天と地とひとつのかたみは 海と山と二つのかたみは お前と私とちょっと抱かせて あれ!さあ!かたみだよ )  続きを読む

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2006年08月01日

與那原節

與那原節
ゆなばるぶし
yunabaru bushi


一、かれよしの遊びうちはりてからや(エイスリスリ)夜の明けて太陽のあがるまでも(アスリ アシビヨシ ティビヨシ ウチハヤシ ウドゥイハーニアシブウリシャ)
かりゆしぬ'あしび 'うちはりてぃからや ('えいすりすり)ゆぬ'あきてぃてぃーだぬ'あがるまでぃん('あすり 'あしびょーし 'てぃびょーし 'うちはやし うぅどぅいはに'あしぶ'うりしゃ)
kariyushi nu 'ashibi 'uchiharitikaraya ('eisurisuri)yu nu 'akiti tiida nu 'agarumadiN('asuri 'ashibyoshi tibyoshi 'uchihayas wuduihani 'ashibu 'urisha)
めでたい遊び うち晴れてからは 夜が明けて太陽があがるまでも (足拍子、手拍子打ち囃子踊り跳ね遊ぶうれしさよ)
語句・あがらわん 上がろうとも。 「わん」・・しようとも 


二、夜の明けて太陽やあがらわんゆたしゃ 巳午時までも 御祝しやびら
ゆぬ'あきてぃてぃーだや'あがらわんゆたしゃ みまんとぅちまでぃん 'うゆえしゃびら
yu ni 'akiti tiida nu 'agarawaN yutasha mimaN tuchi madiN 'uyueshabira
夜が明けて太陽が上がろうとも良い 巳午時(午前10時から正午まで)までもお祝いいたしましょう
語句・ゆたしゃ 良い。・みまんとぅち 午前10時から正午まで。 古典では「みんま」と歌うこともある。胤森さんによると、巳午(み+んま→みんま」となる場合と、巳午ぬ時(みんまぬとぅち→「ん」の脱落、「ぬ」が「ん」に変化→みまん)とぅち)になったと教えていただいた。 ・しゃびら  いたしましょう。 志向形。
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Posted by たる一 at 23:32Comments(0)や行

2006年07月21日

油断しるな

油断しるな
ゆだん しるな
yudaN shiruna
語句・ゆだんしるな油断するな。「しるな」はヤマトグチ「するな」を元にしたウチナーグチ的表現ではないだろうか。「する」の意味である「しゅん」「すん」の否定形は「しゅな」「すな」となる。

作詞 比嘉盛雄 
作曲 登川誠仁



一、年や馬の走い なす事や多さ 明日のあんと思て油断するな
とぅしや'んまぬはい なすくとぅや'うふさ 'あちゃーぬ'あんとぅむてぃゆだんしるな
tushi ya 'Nma nu hai nasukutu ya 'uhusa 'achaa nu 'aN tumuti yudaN shiruna
年は馬が走るように早く過ぎ去る、することは多いことよ!明日があると思って油断するな
語句・んまぬはい 馬の走り。早いことのたとえ。「んま」の発音は注意したい。・うふさ<うふさん。多い。その活用で、「 多いことよ! 」。形容詞が「さ」で終わる時は「とても・・だよ」と感嘆の意味を含む。・あちゃー 明日。・あん ある。・とぅむてぃ と思って。


サー心合わちょてうみはまら 働かな
さーくくる'あわちょーてぃ'うみはまら はたらかな
sa kukuru 'awachooti 'umihamara hatarakana
さー 心を合わせて励みたいな 働きたいよ
(繰り返し・以下省略)
語句・くくる心。・あわちょーてぃ 合わせて。ウチナーグチで「合わせる」は「あーしゅん」、「いちゃーしゅん」、「うちゃーしゅん」などがあるが「あわちょーてぃ」はヤマトグチを意識した造語だと思われる。・うみはまら <うみはまゆん。励む。の志向形で「・・したい」の形。・はたらかなー はたらきたい。<はたらちゅん。+な「動詞の未然形に付いて希望の意を添える」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)「うみはまら」と同じで、「はたらか」で未然形、それに「な」が付いて「働きたいよ」。本土では「働かないといけない」みたいな受け止めをしがちだがそれは間違い。



二、春夏の節や巡て繰い返し 戻て来ぬものや人の若さ
はるなちぬしちや みぐてぃくいかいし むどぅてぃくんむぬや ふぃとぅぬわかさ
harunachi nu shichi ya miguti kuikaishi mudutikuN munu ya hwitu nu wakasa
春夏の季節は巡り繰り返す 戻ってこないものは人の若さ
語句・しち 季節。・ は。・くん 来ない。<ちゅーん。来る。の否定形。



三、男んでいゆみ 女んでいゆみ 銭金ど力今の世間や
うぃきが'んでぃ'いゆみ うぃなぐ'んでぃ'いゆみ じんかにどぅちからなまぬしけーや
wikiga 'Ndi 'iyumi winagu 'Ndi 'iyumi jiNkani du chikara nama nu shikee ya
男というか 女というか (誰にとっても)銭金こそ力だ今の世界は
語句・うぃきが 男。・んでぃ と。・いゆみ いうか。<ゆん。言う。+み。か?。・じんかに 銭金。・しけー 世界。「世間」は「しきん」。「しけー」の方が広い範囲のイメージ。



四、汗流ち互に働ちゅるうちに日々の暮らしがた楽になゆさ
'あしながちたげにはたらちゅる'うちに ふぃびぬくらしがたらくになゆさ
'ashi nagachi tage ni hatarachuru 'uchi ni hwibi nu kurashigata raku ni najusa
汗流して働いているうちに日々の暮らし向きが楽になるよ
語句・あし 汗。・ながち <ながしゅん。流す。・たげに互いに。



五、心持ち次第に姿まで変わて年寄らんごとに笑て暮らし
くくるむちしでーにしがたまでぃかわてぃとぅしゆらんぐとぅにわらてぃくらし
kukuru muchi shidee ni shigatamadi kawati tushi yuraN gutu ni waratikurashi
心の持ち方次第で姿まで変わって 年を取らないように笑って暮らせ
語句・しでー 次第。・しがた 姿。・ぐとぅに ように。・くらし 名詞とも取れるが、「くらしゅん」(暮らす)の命令形にも取れる。


(コメント)


CD「登川誠仁&知名定男」2004年にも収録されて入る。

キレの良い本調子早弾き。六、七を効果的に使った作曲、さすが登川誠仁先生。
作詞は二番と四番が誠小先生の作詞である。交互に作詞されている。

あらためて意味を調べて五番の意味に少しはっとした。
「年寄らんぐとに」とは「年寄らないように」という訳になる。
まあ、年も気持ちから老いる、というから、気持ちが若ければ年も取らないということ。
そして笑って暮らす、と言うことが非常に難しいのである。その極意は、と誠小先生にお伺いしたかったが2013年にお亡くなりになられた。
この曲を弾いて歌うことで少しでも先生のお気持ちに近づけたら、と思う。




  

Posted by たる一 at 17:55Comments(4)や行

2006年05月31日

与那国ションカネー

与那国ションカネー
ゆなぐにしょんかねー
yonaguni shoNkanee
語句・ゆなぐに 与那国島。与那国方言では「どぅなん dunaN」。「どぅなんスンカニ」とも云われる。本島では「ゆなぐに」。八重山では「ゆのーん yunooN」。・しょんかねー これは与那国に赴任していた首里王朝の役人と現地の妾との「別離の悲しみ」を歌っている。「しゅんかにー」「すんかに」ともいわれる。【石辞】(石垣方言辞典)には「「歌謡の名。情緒纏綿とした、男女の愛情を歌った歌。語源に(1)元禄ごろの流行歌「しょんがえ節」から(2)人名からの二説があるという(集成琉歌新釈)。「トゥバラーマ」と並んで八重山の二大情歌といわれる。」。「しょうがない」からきている説もあるが不明としておく。

(「ï」 は中舌母音 ; 宮良康正氏のCDより聞き取り)


一、いとまぐいと思て持ちゅる盃や みなだあわむらし 飲みぬならぬ
'いとぅまぐいとぅむてぃむちゅるさかじきや みなだ'あわむらしぬみぬならぬ
'itumagui tu muti muchuru sakajii ya minada 'awamurashi numi nu naranu
いとまを請うと思い持つ盃は 涙があふれて(?)飲むことができない
語句・いとぅまぐい いとま請い 別れをつげること 「いとぅま」、おいとまをする、というときの「暇、いとま」。 ・みなだ 涙。 なみだ→語句が転倒してみなだ ・あわむらし 「泡盛らし」と当て字した歌詞もある。 原曲の「どぅなんスンカニ」には「あわむらち」とある。「涙が盃の落ちて泡でたくさんになった」と読める。

ンゾナリムヌヨー ハリ ションカネーヨー
nzo narimunu yoo hari shoNkanee yoo
貴女慣れしたしんだ人(よ) (はり)(不明)(よ)
語句・囃子言葉の訳は不明点も多く避けたいが、あえて訳した。・なりむぬ 慣れ親しんだ人。 本島の「なりゆん」に「慣れる、なじむ、親密になる」【琉辞】の意味がある。


ニ、片帆持たしば肝も肝ならぬ 諸帆持たしば諸目の涙落とし
かたふむったしばきむんきむならぬ むるふむったしばむるみぬなだ'うとぅし
katahu mutta shiba kimu ni kimu naranu muruhu muttasiba murumi nu nada 'utushi
(船が)片帆をあげれば心が(とりみだして)心ならぬ 両帆をあげれば両目の涙を落として
語句・むたしば あげると。 <むたしゅん 持たせる 帆を持つ=帆を上げる、であろう。 むちゅん(動詞)には「持つ 手に持つ 所有する 維持する 受けもつ とつぐ、結婚する 子どもが出来る 持続する 維持する」など。 

ンゾナリムヌヨ ハリ ナグリシャヨー
nozo narimunu yoo hari nagurisha yoo
貴女、慣れ親しんだ人よ (はり)名残惜しい(よ)
語句・なぐりしゃ <なぐりしゃーん 「名残惜しい」【石辞】。


三、与那国の渡海や池の水心 心安安と渡ていもり 
ゆなぐにぬとぅけや 'いきぬみじぐくる くくるやしやしとぅわたてぃ 'いもり
yunaguni nu tuke ya 'iki nu mijigukuru kukuru yashiyashi tu watati 'imori
与那国の海峡は池の水のようだ 心安心して渡っていらしてください
語句・とぅけ 海。海峡。<とぅけー ・いきぃぬみじぃぐくる 池の水のようにおだやかな状態。「くくる」とは「心」の意味ではなく「・・のような」。よく琉歌につかわれる。 与那国の海は非常に海の難所であったらしい。したがって「池の水」とは程遠い。しかし、そこは現実とは逆の理想を歌い、言葉にし、その言葉の力によって現実のものにしたいとする熱望の表現。・わたてぃいもり 渡っていらしてください。 <わたゆん わたる。 + いめーん 「居り・行き・来の尊敬語」 命令形。 つまり「行く」と「来る」の区別はなく、前後で判断する。したがって与那国から本島へ「行って」ください、という意味と与那国に「帰ってきてください」と両方の意味にとれる。

カリユシショーリ ハリ サトゥマイヨー
kariyushi shoori hari satumai yoo
航海の無事をお祈りしています (はり) 貴方様(よ)
語句・かりゆししょーり 「安全無事な航海をしてください」【石辞】。・まい 「敬意を表すために使う。『前』の意。」【石辞】。本島では「めー」(前)。


日本の最西端の与那国島の名曲。
かつては「どぅなん=渡難」ともいわれたほど航海の困難な海に囲まれた与那国島。

しかし「どぅなん」という島の呼び名は「渡難」からではない。

「よなぐに」の琉球語読み「ゆなぐに」の「yuna」を与那国語で発音するときに「Y」が「D」になることから「どぅなん」と発音することによる。


「ションカネ」は、琉球列島に伝播しているある系列を持つ歌。

宮古「多良間シュンカニ」、本島「遊びしょんがねー」、奄美「シュンカニ」。

囃子言葉「ションカネ」

石垣方言辞典
歌謡の名。情緒纏綿とした、男女の愛情を歌った歌。語源に(1)元禄ごろの流行歌「しょんがえ節」から(2)人名からの二説があるという(集成琉歌新釈)。「トゥバラーマ」と並んで八重山の二大情歌といわれる。

「しょんがえ節」でよくしられているのは「梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳ャなよなよ 風次第 山吹ャ浮気で 色ばっかり
しょんがいな」

本土に広く広がったこの曲は、各地にいまでも残っている。
その囃子言葉は「しょんがえ」「しょうがえ」「しょんがい」「しょんがいな」など。
意味は「そうだねえ」「そうかね」などとされる。

それと同系ということは「ションカネ」は「しょうがない」という意味よりも「そうだねえ」という相槌をうつ囃子ということになる。
「デンサー」「ジントーヨー」などと同じ意味を持つということになるが、どうだろうか。

歌の背景

本歌が「どぅなんスンカニ」であり、それを与那国に赴任した八重山の氏族が節歌として作り直したものといわれている。
その役人が島を離れるときの、現地妻(妾)との別れの悲しみを歌った情唄である。
当時は、人頭税の取立てのため首里王朝は先島(宮古、八重山地方)に役人を派遣した。単身でなければならなかったために
現地の娘を「まかない人」という名目で現地妻にした。
「八重山安里屋ゆんた」でも解説したが、当時首里王府が離島を管理、支配するため派遣した「与人」(村長に相当)、「目差」(助役に相当)らが実際の妻は首里に残し、赴任先では「賄い方」という名の「現地妻」を持っていたこと、その選定に拒否はできなかったばかりか、村では「賄い方」に選ばれた女性は「村の誉れ」とされていたこと。役人が首里に戻る時には土地などを褒美として受けとったことなどが背景にある。実際クヤマさんも与人から土地を受け取ったという。

そして役人らは税の取立てとともに首里に帰還する。その時の別れを歌った歌。
本歌の「どぅなんスンカニ」を役人が作り変えたものといわれている。

曲も抑揚が、トゥバラーマ、ナークニー、トゥーガニアヤグなどと並び賞賛されるほどに、美しく、豊かなメロディーラインがある。
本島の宮古根や下千鳥も抑揚の感じがよく似ている。




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2006年01月31日

ヤッチャー小

ヤッチャー小
やっちゃーぐゎー
yacchaa gwaa
お兄さん
語句・やっちゃーぐゎー 「やっちーyacchii」は士族の「お兄さん」の意味。「やっちー」(お兄さん)を親しく呼ぶ愛称化(お兄ちゃん)。たとえば「しーし(獅子)shiishi」は像になると「しーさー shiisaa」。


一、ヤッチャー小志情ど(さーよ)頼む(ヨ)情ねんヤッチャー小 頼みぐりしゃ
やっちゃーぐわーしなさきどぅたぬむ なさけーねーん やっちゃーぐわーたぬみぐりしゃ(括弧は以下省略)
yacchaagwaa shinasaki du tanumu nasakee neeN yacchaagwaa tanumigurisha
お兄ちゃん(には)情こそ頼む 情の無いお兄ちゃんは頼りずらい
語句・しなさき 情。 思いやり。情愛。 ・たぬむ 頼む、頼る <たぬむん  ・ぐりしゃ しにくい。


二、アン小達歌小てぃら(さーよ)ものや(ヨ) 深山鴬のふきるぐとさ
'あんぐわーたー'うたぐわーてぃらむぬや みやま'うぐいしぬふきるぐとさ
'aNgwaataa 'utagwaa tira munuya miyama'uguishi nu hukirugutoo sa
姉さん達の歌というものは深山鴬のさえずるようなものさ
語句・てぃらむぬ というものは。 ・ふきるぐとー ふきる<ふきゆん さえずる+ぐとー ごとく。連体形の後につく。


三、 一期何時までもくまに居ら(さーよ)りゆみ(ヨ) うみはまて里前救てたぼり
'いちぐ'いちまでぃん くまに'うらりゆみ 'うみはまてぃ さとぅめ すくてぃたぼり
'ichigu'ichi madiN kumani'urarijumi 'umihamati satumee sukuti taboori
一生いつまでもここに居られまい?がんばって貴方私を救ってください
語句・いちぐ 一生涯、一期、一生。 ・くま ここ。 ・'うらりゆみ 居られまい? 居られない。 ・'うみはまてぃ はげむ 熱心に。


四、ちゃーすが思切らね(さーよ)なゆみ(ヨ) 例い志情や残てうてん
ちゃーすが 'うみちらねなゆみ たとぅいしなさきやぬくて'うてぃん
chaasuga 'umichirane nayumi tatui shinasaki ya nukute 'utiN
どうしてあきらめたいとなるのか?たとえ情けは残ってはいても
語句・ちゃーすが どうするか どうやって。 ・'うみちらねなゆみ <うみちら あきらめたい。 + ねー <に+や には。+なゆみ なるか?


五、行ちゅんな 行ちゅくとる(さーよ)立ちゅる(ヨ) 島んぞて胴一人小悔やで泣くな
'いちゅんな 'いちゅくとぅるたちゅる しま'んぞてぃどぅーちゅいぐゎ くやでぃなくな
'ichuNna 'ichukutu ru tachuru shima 'Nzoiti duuchuigwaa kuyadinakuna
いくのかい? 行くのだから旅発つのだ 村を出て自分ひとり悔やんで泣くな
語句・いちゅんな <いちゅんなー 「なー」は「のかい?」。・くとぅ だから。・んぞてぃ おそらく「んじゅん」(出る)の活用形。 (出て)なら「んじてぃ」だが、何故「Nzoti」になるかは不明。


六、喰はんさが飲みはんさ やーし小の酒も飲みはんち あぬひゃーカマド小も妻にしはんち
くぇーはんさがぬみはんさ やーしぐわーぬさきんぬみはんち 'あぬひゃーかまどーぐわーんとぅじにしはんち
kweehaNsa ga numihaNsa yaashigwaa nu sakiN numihaNhaNchi 'anuhyaa kamadoogwaaN tuji ni shihaNchi
食べ損ないが飲みそこない 椰子の実の瓶の酒も飲みそこない あいつカマドーちゃんも妻にしそこなった
語句・はんさ <はんしゅん 「外す。処理する」「(し)そこなう」【琉辞】。 「aa」がついて「しそなった人、しそこない」の意味。 ・やーしぐゎー 「椰子の実。実の外側のからは酒をいれる器として珍重されている」【沖縄語辞典】 ・'あぬひゃー あいつ。



「宮古根」系の唄。それほど古い唄ではないのではないか?
個々の歌詞も連携があるのではなく独立している。

琉歌のサンパチロクになっているのは三番だけ。ほかはサンパチロクを無視ししている。
そして、1番から5番までは同じ箇所に「サーヨ」と「ヨー」の囃子言葉がはいるが、6番は入らず、その部分にも歌詞が入る。
6番が一番歌うのが難しい。

それから三線の音がおもしろい。
三下げだが、尺が低い尺(シ♭)と高い尺(シ)の二つがでてくる。
中が前後にある尺は低い尺(シ♭)。
「老尺七」という音配列は、めずらしい。

宮古根のように、歌詞は自由に並び替えたりもできるので
ひとつのストーリーを述べた唄というより、個々の歌詞の意味と、その並べ方の面白さを味わうのではないか。

6番の「ヤシの実」でできた酒の入れ物が東京国立博物館にあり、公開されている。



  

Posted by たる一 at 22:27Comments(5)や行

2006年01月15日

山原汀間と

山原汀間と
やんばるてぃーまとぅ
yaNbaru tiimatu

一、(さー)毛遊びぬ頭 ぶちげなて寝んて(ようい)如何しこの遊び(うむやーぐわー)はまて行くが
(さー)もうあしびぬかしら ぶちげなてぃにんてぃ(ようい)'いちゃしくぬ'あしび('うむやーぐわー)はまてぃ'いちゅが
(saa)moo'ashibinu kashira buchigeenati niNti (yooi)'ichashi kunu 'ashibi ('umuyaagwaa)hamati 'ichuga
○(さー)毛遊びの頭目が気分悪くて寝てて(よーい)どうやってこの遊び(恋するあなた)没頭していくのか


二、今日遊で明日や寝んだわんゆたさ如何しこの遊び投げて行ちゅが
ちゅう'あしでぃ'あちゃーやにんだわんゆたさ 'いちゃしくぬ'あしびなぎてぃ'いちゅが
chuu'ashidi 'achaa ya niNdawaN yutasa 'ichashi kunu 'ashibi nagiti 'ichuga
今日遊んで明日は寝たらいい どうしたらこの遊びを投げて行くことができようか


三、三味線ぬ三丁 アバ小達が五人 遊ぶたる毛小に思い残ち
さんしんぬさんちょう 'あばぐわーたーがぐにん 'あしぶたるもーぐわーに'うむいぬくち
saNshiNnu saNchoo 'abagwaataa ga guniN 'ashibutaru moogwaa ni 'umui nukuchi
三線は三本 娘さんたちは五人 遊んでいた毛遊びに思いを残して  続きを読む

Posted by たる一 at 14:38Comments(6)や行

2005年12月13日

屋慶名クワディサー

屋慶名クワディサー
やきなくふぁでぃさ
yakina kuhwadisa
語句・やきな 現在うるま市、与那城にある地名。エイサーで有名。・くふぁでぃさ <くふぁでーし。使君子科の熱帯樹。別名は「古葉手樹」(コバテイシ)。沖縄だけでなく小笠原、アジア、アフリカの海岸に分布。「植物名。『沖縄産有要植物(金城三郎)』には『しまほう』『こばでいし』とある。葉は円形で、径15センチくらいに達する。墓の庭に植える。人の泣き声を聞いて成長するといわれている。材は良質で建築用・器具用。葉は紅葉する。」(沖)。「くふぁでぃさ」は「くふぁでぃーし」の文語。発音と表記の違いに注意。


一、屋慶名クワディサーや(ハリヨゥ)枝持ちの美らさぬ(ヤゥ) (スーリヤゥ)枝持ちの美らさぬ(ヤゥ) (以下括弧のハヤシ及び繰り返し省略)
やきなくふぁでぃさや いだむちぬちゅらさぬ
yakina kuhwadisa ya idamuchi nu churasanu
屋慶名クワディサは枝ぶりが美しいので
語句・ちゅらさぬ美しいので。


二、うりが下居とて 遊び出来らさなや
'うりがしちゃ'うとーてぃ'あしびでぃきらさなや
'uri ga shicha'utooti'ashibi dikirasana yaa
その下に居て 遊びを盛り上げたいものだねぇ
語句・うとーてぃ 居て。「うん」(いる。おる。)の継続形。・でぃきらさな 成功させたい→盛り上げたい。<でぃきゆん うまく行く。成功する。+すん 未然形 さ+な 希望を表す。・やー ねえ。なあ。念を押す。


三、屋慶名前の浜に ティンマ舟浮けて
やきなめーぬはまにてぃんまぶに'うきてぃ
yakina meenuhama ni tiNmabuni 'ukiti
屋慶名(の)前の浜に伝馬舟(を)浮かべ
語句・てぃんまぶに 木造の小型の船で本船と岸との間を往復して荷や人などを運ぶ。はしけ船。


四、屋慶名美童ゆ 乗せて遊ばさなや
やきなみやらびゆぬしてぃ'あしばさなやー
yakina miyarabi yu nushiti 'ashibasana yaa
屋慶名(の)美しい娘を乗せて遊びたいよなあ
語句・ を。文語にしか用いない。口語では「を」にあたる助詞は用いない。


五、手取ら取ら見ゆる 浜と比嘉平安座
てぃとぅらどぅらみゆるばまとぅふぃじゃひゃんざ
ti turadura miyuru hama tu hwija hyaNza
手で取れば取れそうに見える(ほど近くの)浜と比嘉平安座島
語句・てぃとぅらどぅら手で取りたい、取りたい。→手が届きそうな。・ばまとぅふぃじゃ浜と比嘉→浜比嘉島。昔は「ばまひ(ふぃ)じゃしま」とか「ばましま」と呼ばれていた。浜と比嘉という二つの集落が島にある。


六、黒潮うち寄せて 我自由またならぬ
くるしゅ'うちゆしてぃ わじゆまたならん
kurushu 'uchiyushiti wa jiyu mata naraN
黒潮(が)打ち寄せて私(の)思う通りにまたならない


七、屋慶名クファディサや 美御殿とたんか
やきなくふぁでぃさや み'うどぅんとぅたんか
yakina kuhwadisa ya mi'uduN tu taNka
屋慶名クファディサやは美しい御殿と真正面
語句・みうどぅん 美しい御殿。・たんか 真向かい。正面。<たんかー。 


八、我んね思無蔵と毎夜また たんか
わんね 'うみんぞ とぅ めゆる また たんか
waNne 'umiNzo tu meyuru mata taNka
私は毎晩恋しい彼女とまた向かい合う


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Posted by たる一 at 17:53Comments(11)や行

2005年12月09日

屋嘉節

屋嘉節
やかぶし
yaka bushi

作詞 金城守賢。作曲 山内盛彬


一、なちかしや沖縄 戦場になやい 世間御万人ぬ袖ゆ濡らち
なちかしや うちなー いくさば になやい しきん うまんちゅぬ すでぃゆぬらち
nachikashi ya 'uchinaa 'ikusaba ni nayai shikiN 'umaNcu nu sudi yu nurachi
悲しい(の)は沖縄 戦場になり 世間御万人の袖を(涙で)濡らし
語句・なちかしや 悲しい。<なちかしゃん。なちかさん。nachikasyaN。
「懐かしい」は、あながちさん 'anagachisaN。ここでは「懐かしい」と訳すとおかしくなる。・しきん 世間。・ を。文語として使う。口語では使わない。



二、涙飲でぃ我んや恩納山登てぃ 御万人とぅ共に戦凌じ
なみだぬでぃ わんや うんなだき ぬぶてぃ うまんちゅとぅとぅむにいくさしぬじ
namida nudi waNya 'uNnadaki nubuti 'umaNcu tu tumuni 'ikusa shinuji
涙(を)飲んで 私は恩納山(に)登り 多くの人と共に戦(を)凌ぎ
語句・うんなだき 恩納村にある標高362,8mの山。「たき」とは「主として拝所(ugaNzu)のある山をいう」【沖縄語辞典】(以下【沖辞】)。・しぬじ しのいで。<しぬじゅん。「困難・危険のなかをくぐり抜ける」【沖辞】。



三、あわり屋嘉村の闇の夜の鴉 親うらん我身ぬ 泣かんうちゅみ
あわりやかむらぬ やみぬゆーぬがらし うや うぅらん わみぬ なかん うぅちゅみ
'awari yakamura nu yani nu yuu nu garasi 'uya wuraN waminu nakaN wucumi
哀れ 屋嘉村の闇の夜のカラス(よ) 親(が)いない私が泣かないでいられるか
語句・あわり  ①あわれ②みじめさ、苦労・やかむら 金武町屋嘉に作られた捕虜収容所を意味するとみられる。・がらし カラス。 



四、無蔵や石川村 茅葺きの長屋 我んや屋嘉村の砂地枕
んぞや いしちゃーむら かやぶちぬながやー わんややかむらぬ しなじまくら
Nzo ya 'ishicaamura kayabuchi nu nagayaa waN ya yakamura nu sinaji makura
貴女は石川村茅葺きの長屋 私は屋嘉村の砂地(が)枕
語句・いしちゃーむら石川村。現在はうるま市。・しなじ 砂地 



五、心勇みゆる四本入り煙草 さみしさや月に流ちいちゅさ
くくるいさみゆる しふんいりたばく さみしさや ちち に ながちいちゅさ
kukuru 'isamiyuru shihuN 'iri tabaku samishisa ya chichi ni nagchi 'ichusa
心励ますことができるのは四本入り煙草 淋しさは月に流していくよ
語句・いさみゆる 励ますことができる。<いさみゆん。励ます。




(コメント)
約20万人が亡くなった沖縄戦。
沖縄県民の4人に一人が亡くなる悲惨な戦争は、強大なアメリカ連合軍の侵攻に、本土防衛のための「捨石作戦」として市民を巻き込んでの展望のない「負け戦」であった。

その沖縄戦のあと捕虜収容所が沖縄の金武町の屋嘉などにあり、約2千人がそこで生活をさせられていた。
そこで生まれた歌だといわれている。

作詞 金城守賢。作曲 山内盛彬

といわれているが、たくさんの歌詞があり、また微妙に違う歌詞もある。
いろいろな人が沖縄戦、その後の暮らしに思いがあり、それを歌に盛り込んでいったというのがよく分かる。それだけ人々に愛され、歌われたのだろう。

歌碑は金武町の屋嘉ビーチのバス停の横に「屋嘉収容所跡地」の碑があり、その裏が「屋嘉節」の歌碑になっている。





収容所跡の碑

「日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑…第二次世界大戦中(昭和20年)米軍は、この地に捕虜収容所を設け、投降した日本軍将兵約7千人を収容して厳しい監視下におかれた。一時捕虜の数が増え、約3千人がハワイに移送された。 その時の将兵等はPWと呼ばれ敗戦の悲哀の中から郷土出身の一兵士により『屋嘉節』が作られた発祥の地でもある。 この収容所は1946年(昭和21年)2月閉鎖となり、米軍保養所となって1979年(昭和54年)8月31日全面返還されるに及んだ。 昭和58年10月25日竣工」と記されている。



私も「捕虜」として、金武町の捕虜収容所にいたことがある。
もちろん本物ではない。映画のエキストラとして。

今から10数年映画「MABUI」のロケにエキストラとして参加し、ガマからでてきた捕虜の格好をして米軍のトラックにのせられ、収容所に入っていくシーンや、再現されたヤミ市の群集シーンなどなどにはずかしながら出ている。

その映画のなかで平良進さん(ナビーの恋、ウンタマギルーに出演。平良トミさんの実の夫)がカンカラ三線を弾くシーンでこれを歌われた。

かんから三線は、捕虜収容所で、米軍のミルクの缶を胴にして、ベットの足を棹とし、パラシュートの糸を弦にしてつくられたもの。



いくつかの記録映像にも捕虜集要所で、このカンカラ三線を弾きながら女性たちが踊っているシーンが残っている。沖縄の人々にとって歌と三線は苦しい時代も生きていくエネルギーを与えてくれるものだったのだろう。そしてどのような時も文化を作り出し生きていく糧にする姿勢はすばらしい。

この歌の背景にあるものは戦争となれば一般市民がもっとも悲惨な目にあうということだ。そして、戦(いくさ)はどんな理由であってもはじめてはならないという気持ちが込められていると私は思う。

はたしてわずか60年前の戦争の教訓を日本人はどれだけ大切にしているのだろうか。

戦争はどんな理由でも起こしてはならない、その努力をすることが大事だ。武力では解決しない、と日本国憲法に刻み込んだ私たちの教訓。

その憲法ですら風前のともし火。

被爆地ヒロシマでは、戦艦「ヤマト」ブーム。

この屋嘉節を歌いながら、もう一度「戦争」の無意味さを心に刻みたい。

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Posted by たる一 at 13:58Comments(8)や行