2018年04月19日

さらうてぃ口説

さら落てぃ口説
さらうてぃ くどぅち
sara 'uti kuduchi
新入り女郎の口説
語句・さらうてぃ 「あらたに女郎に身を落とした者」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。「さら」は「新しい」という意味の接頭語。「うてぃ」は「落ち」から。「新入り」と訳しておく。・くどぅち 室町・江戸時代に流行した「口説」(くどき)は歌舞伎、浄瑠璃などで情景や叙事、悲哀や恨みなどを一定のメロディーで繰り返して「説く」ものだったが、17世紀以降薩摩藩の琉球支配の時代に、それが琉球に伝わり七五調で大和言葉(のウチナーグチ読み)を使ったものになった。


唄三線 嘉手苅林昌


一、さてぃむ此ぬ世に 我んぐとぅる 哀りする人 またとぅ居み 先ぢや親子ぬ 名を隠ち
さてぃむ くぬゆに わんぐとぅる あわりするひとぅ またとぅうみ まじや うやくぬなゆかくち
satimu kunuyuu ni waNgutu ru 'awari suru hitu mata tu wumi maji ya 'uyaku nu na yu kakuchi
それにしてもこの世に私のように哀れな者が他にいるだろうか まずは親子の名前は伏せて
語句・さてぃむ 「なんとまあ」「それにしても」。古語の「さても」に対応。・ぐとぅる〜のように。「る」は「どぅ」で、強調。



二、口説に口説かば 聞ちみそり 生まり出ぢたや 首里御国 山川さかいぬ ゆかっちゅぬ
くどぅちに くどぅかば ちちみそり んまりんじたや しゅいうぇーぐに やまがーさかいぬ ゆかっちゅぬ
kuduchi ni kudukaba chichimisoori 'Nmari ’Njita ya shui ’weeguni yamagaa sakai nu yukkacchu nu
口説で説明するのでお聞きください 生まれた所は首里御国の山川境の士族の
語句・うぇーぐに 「[親国]御国。位の高い国を敬っていう語。首里以外のいなか、山原(janbaru)などからは、首里を敬ってsjui weeguni[首里親国]といった。」【沖辞】。・ゆかっちゅ「士族。」さむれー、とも言う。




三、産子真牛どぅ やいびしが 七ち頃から 苧繋ぢ 十ぬ年にや 加勢役ぬ
なしぐゎーもーしどぅ やいびーしが ななちぐるから うぅーちなぢ とーぬとぅしにや かしーやくぬ
nashigwaa mooshi du yaibiishiga nanachi guru kara uu chinaji too nu tushi ni ya kasiiyaku nu
我が子は真牛と申しますが七歳の頃から苧(うー)を繋ぎ 十歳の時には加勢役に
語句・なしぐゎー 自分が産んだ子供。ここでは我が子。・うぅーちなじ 芭蕉布を織る作業において、苧(うー)とは糸芭蕉から取り出した繊維だが、それを結んで繋ぐこと。芭蕉布の製造工程では「苧績み(うーうみ)」という。・かしーやく加勢、つまり手伝いをする役目。



四、糸ん掛きたい 布織たい 親ぬ手助きする内に 最早年頃 なりぬれば
いとぅんかきたい ぬぬうたい うやぬてぃだしき するうちに むはやとぅしぐるなりぬりば
'ituN kakitai nunu 'utai 'uya nu tidashiki suru 'uchi ni muhaya tushiguru nari nuriba
糸を掛けたり布を織ったり 親の手助けをするうちに 早くも年頃になったので
語句・かきたい掛けたり。「い」は標準語の「かけたり」の「り」に対応する。(例)「うたたい もーたい」(歌ったり踊ったり)。・なりぬりば なったので。口説は大和の影響を受けた形式なので日本語の古語「なりぬれば」(なったので)から。「ぬり」は「ぬれ」のウチナーグチ読み。



五、ねえとぅけえとぅぬ 夫持ちゃい 朝夕布織てぃ 暮らち居し 妻が働らち行く末ぬ
ねーとぅけーとぅぬ うとぅむちゃい あさゆーぬぬうてぃ くらちうし とぅじがはたらちゆくすいぬ
neetu keetu nu utu muchai 'asayuu nunu 'uti kurachi ushi tuji ga hatarachi yuku sui nu
似合いの夫を持って 一日中布を織って暮しており 妻が働く結末は
語句・ねーとぅけーとぅ「似合い。似たり寄ったり。同じ程度。甲乙なし。多くは程度が低い場合にいう。」



六、家内ぬたちばぬ ならんでぃち 夫や船乗い 思い立ち 互に働らち 銭金ぬ
ちねーぬたちばぬ ならんでぃち うとぅやふなぬいうむいたち たげにはたらち じんかにぬ
chinee nu tachiba nu naraNdiichi utu ya hunanui 'umuitachi tagee ni hatarachi jiNkani nu
家庭が安定しないと言って 夫は船に乗ることを思い立ち 二人で働いて銭金の
語句・ちねー 家庭。・たちば 下駄の二つの歯。<たちばー。「台に植えた二枚の歯をtacibaa(立歯)といったもの」【沖辞】。「家庭の立歯がならない」ということは「家庭が財政的に安定しない」こと。



七、不足ねんぐとぅ 暮ち居し 友ぬ誘いに 誘わりてぃ 芝居見物 いちゃびたが
ふしゅくねんぐとぅ くらちうし どぅしぬさすいにさすわりてぃ しばいちんぶち いちゃびたが
hushuku neeNgutu kurachi ushi dushi nu sasui ni sasuwariti shibai chiNbuchi 'ichabita ga
不足が無いように暮らしていて 友の誘いに誘われて芝居見物に行きましたが
語句・いちゃびたが 行きましたが。<いちゃ<いちゅん。行く。+あびら<あびーん。あびゆん。「・・します」の過去形。



八、戻てぃ役者ぬ 面影ぬ 目ぬ緒に下とてぃ 暮らさらん さらばさらばとぅ思切やい
むどぅてぃやくしゃぬ うむかじぬ みぬうーにさがとーてぃくらさらん さらばさらばとぅ うちみやい
muduti yakusha nu 'umukaji nu mii nu uu ni sagatooti kurasaraN saraba saraba tu 'umichiyai
家に戻って役者の面影が目の前にちらついて離れなくて暮らしていけないほど。それならばそれならばと意を決して
語句・みーぬうー「目の緒の意。文語ではminuu。次の句で用いる。〜ni sagayuN. まぶたに浮かんで離れない。目の前にちらついて離れない。」【沖辞】。・うー 「緒。結ぶためなどに物に取り付けたひも」【沖辞】。



九、うりから役者ぬ 某しとぅ 夜ぬ夜々ぐとぅ 腕枕 情きぬ糸に 繋がりてぃ
うりからやくしゃぬ なにがしとぅ ゆるぬややぐとぅ うでぃまくら なさきぬいとぅに ちながりてぃ
'uri kara yakusha nu nanigashi tu yuru nu yaya gutu 'udimakura nasaki nu 'itu ni chinagariti
それから役者の何某と毎夜毎夜と腕枕 情けの糸に繋がれて



十、船ぬ入る日ん 知らなそてぃ 此ぬ事 夫に聞かりやい あわり身を置く 処なく
ふにぬいるひん しらなそてぃ くぬくとぅうとぅにちかりやい あわりみゆうく とぅくるなく
huni nu 'iru hiN shiranasooti kunu kutu utu ni chikarijai 'awari mi ju uku tukuru naku
夫の船が入る日も知らないでいて そのことを夫に聞かれてしまい 可哀想に身を置くところも無く



十一、足にまかせて道端ぬ 露に袂や濡りなぎな 巡り巡りとぅ 後道ぬ
ひさにまかしてぃ みちすばぬ ちゆにたむとぅや ぬりなぎーな みぐりみぐりとぅ くしみちぬ
hisa ni makashiti michisuba nu chiyu ni tamutu ya nuri nagiina miguri miguri tu kushimichi nu
足の向くまま歩いて 道端の露に袂(たもと)を濡らしつつ巡り巡って裏街道の
語句・ひさ 足。「ふぃしゃ」ともいう。・なぎーな ・・ながら。・くしみち 文字通りの「後ろの道」ではなく「裏街道」、つまり表には出せない生き方。



十二、弁口かかてぃ 暮らちうし さら落てぃ真牛とぅ あざむかり 仲前立たちゅる 客までぃん
びんぐち かかてぃ くらちうし さらうてぃもーしとぅ あざむかり なかめーたたちゅるちゃくまでぃん
biNguchi kakati kurachi ushi sara 'uti mooshi tu 'azamukari nakamee tatachuru chaku madiN
口がうまい人に引っかかって暮らしていて 新入り真牛だと軽蔑され 表の入り口に立たされている客にまでも
語句・びんぐち 【沖辞】には「びんくー」としてあり、「[弁口]能弁。口が達者なこと」とある。・あざむかり <あざむちゅん。「あざける。軽蔑してかかる」【沖辞】。いわゆる「あざむく」は「ぬずん」という。・なかめー 「遊郭では表の入り口をいう」【沖辞】。



十三、さら落てぃ真牛や 居らんがや 云ゃリる言葉ぬ我が肝に ヒシヒシ当とてぃ 暮らさらん
さらうてぃもーしや うらんがや いゃりるくとぅばぬ わがちむに ひしひしあたとーてぃくらさらん
sara 'uti mooshi ya uraNga yaa yariru kutuba nu waga chimu ni hishihishi 'atatooti kurasaraN
「新入り真牛は居ないかね」といわれる言葉が私の胸にヒシヒシと当たって辛くて暮らしていけない



十四、あきよ身代ぬ 御千貫情きある客 御賜みそち 元ぬ士族になち賜り
あきよどぅしるぬ うしんぐゎん なさきあるちゃく たぼみそち むとぅぬさむれーになちたぼり
'akiyoo dushiru nu 'ushiNgwaN nasaki 'aru chaku taboomisoochi mutu samuree ni nachitaboori
なんてことだ!身請けの金千貫を情けがある客は下さい 昔の士族になってください
語句・あきよ 感嘆語。「ああ、あれー」など。・どぅしる 「身代金。人身売買の金。」【沖辞】。・うしんぐゎん 千貫というお金の単位に「御」が付いている。「しんぐゎん」は20円。「当時一日の労賃は1貫(2銭)」【沖辞】。・むとぅ 昔。・なちたぼーり なってくださいね。



十五、神や仏に 手ゆ合わち 寝てぃん覚みてぃん 肝念願 しちょてぃ暮らすし 与所知らん
かみやふとぅきに てぃーゆあわち にてぃんさみてぃん ちむにがん しちょーてぃくらすし ゆすしらん
kami ya hutuki nu tii yu 'awachi nitiN samitiN chimu nigwaN shichooti kurasushi yusu shiraN
神や仏に手を合わせ 寝ても覚めても心から御願いをして暮らすことを他人は誰も知らない


概要

嘉手苅林昌先生が歌うこのウタはCD「嘉手苅林昌 唄遊び」に収録されている。コロンビアレコードに残っている音源から作られたCDで、他にも「道輪口説」「束辺名口説」「高平良万歳」「久志の万歳」「八重瀬の万歳」などの曲も盛り込まれている貴重なCDだ。




さて「さらうてぃ口説」は士族の娘についてその父親が語っている。まじめな娘が機織りの手伝いをして成長し、何の不自由もなく結婚生活を送っていたのに、夫は船乗りの仕事に就き、出航している間に芝居役者と恋仲になり、それが夫に知られて家を追い出されて女郎に「転落」していく、その娘を身請けする金を客に無心するウタである。

口説について

琉球において「口説」が作られ始めたのはおそらく薩摩藩の琉球侵攻があった17世紀以降で、琉歌も同時期に確立していったと考えられる。「上り口説」が屋嘉比朝寄(1716-1775)の作品だと言われている(根拠不詳)のは、彼が若い頃薩摩藩に派遣され日本の謡曲や仕舞を学び、琉球に戻ってからは琉球古典を学んだからだ。つまり「口説」は本土の芸能を下敷きにした琉球文化の一つである。


この「さらうてぃ口説」が作られた時代はわからないが、この例のように士族の娘が遊郭に、というのは琉球時代末期の話だろう。

恩納ナビーと並んで称される吉屋チルーという琉球時代の女流詩人は読谷に生まれ8歳のとき那覇仲島へ遊女として身売りされた。このように大半が地方の貧困層、つまり士族以外の平民の娘が身売りさせられた。女郎は琉球では「ジュリ」と呼ばれた。遊郭は自治制度があり女性だけで管理され、ジュリアンマー(女郎の抱え親)と呼ばれる人々が母子関係を結び、歌や三線、舞踊などの芸事を教えていった。

遊郭は各地にあったが、尚真王の時代、羽地朝秀(1617ー1675年)が1672年、辻、仲島に遊郭を公設した。背景には薩摩藩からの指示があったと推測されるが、遊郭の管理を王府として行う事で風紀の乱れを防止しようとした。そして琉球王朝が廃藩置県で沖縄県となり、太平洋戦争で米軍によって空襲を受けるまで辻、仲島の遊郭は存在し続けたのである。

沖縄語辞典(国立国語研究所編)には「辻」の項でこうある。

「[辻]那覇にあった遊郭の名。本土人・中国人・首里・那覇の上流人を相手とした高級な遊郭であった。那覇にはciizi,nakasima[中島],wataNzi[渡地]の三つの遊郭があり、ciiziが高級で、nakasimaは首里・中島相手、wataNziはいなか相手と、それぞれ、客の層が違っていた」

本土人とは主に薩摩藩の役人で、中国人とは冊封使のことである。それ以外、商人なども含まれる。遊郭で展開された琉球芸能は表に出ることがほとんどなく記録も非常に少ない。それでも琉球古典音楽や舞踊、さらには地方の祭祀や芸能も含め、琉球芸能の重要な部分を構成していたと言われている。琉球王朝の文化である古典音楽も含め遊郭の中で展開された芸能との関わりは無視できない。


▲「琉球交易港図屏風」(浦添市美術館蔵)に、18世紀頃の辻の遊郭とジュリの姿が描かれている。
鳥居の左横の村が辻村で、その周囲の派手な着物をまとった人々がジュリだ。この図屏風にはあちこちに薩摩藩の船や武士が描かれている。当時の関係の深さをうかがい知ることができる。
この絵図の解説はここに詳しい。

 

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Posted by たる一 at 17:44│Comments(0)さ行沖縄本島
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