2006年08月07日

我した生まれ島

我した生まれ島
わした'んまりじま
washita 'Nmarijima
私達の生まれた島

作 前川朝昭


一、我した生り島海山ぬ美らさ 明雲と共に鳥声聞ちゅさ
わした'んまりじま'うみやまぬちゅらさ 'あきぐむとぅとぅむにとぅいぐいちちゅさ
washita 'Nmarijima 'umiyama nu churasa 'akigumu tu tumuni tuigui chichusa
私達の生まれた島のなんと海山は美しいことか! 明け方の美しい雲とともに鳥の声を聞くよ

二、四方山に咲ちゅる花の色々も人心誘て匂いますさ
ゆむやまにさちゅるはなぬ'いるいるんふぃとぅぐくるさすてぃにういましゅさ
yumuyama ni sachuru hana nu 'iruiruN hwitugukuru sasuti niuimashusa
四方の山に咲く花の色々も人の心を誘って匂いが強くなるよ


三、閑かなる御代や雲霧ん晴りて澄みて照り勝る月の美らさ
ぬどぅかなるみゆやくむちりんはりてぃてぃりまさるちちぬちゅらさ
nuduka naru miyu ya kumu chiriN hariti tirimasaru chichi nu churasa
のどかな御代は雲霧も晴れて澄んで照り強くなる月の美しいことよ!

四、歌の島でむぬ果報の島でむぬ情通わちょて暮らす嬉りさ
'うたぬしまでむぬ くわふぬしまでむぬなさきかゆわちょてぃくらす'うりさ
'uta nu shima demunu kwahu nu shima demunu nasaki kayuwachoti kurasu 'urisa
歌の島なので、幸福の島なので情けを通わせていて暮らすことの嬉しいことよ!  続きを読む

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2006年05月06日

別れの唄

別れの唄
わかりぬ'うた
wakari nu 'uta


一、名護の名護城願立てて拝んで 願のしたわしに糸の上から
なぐぬなんぐしく がんたてぃてぃうがでぃ がんぬしちゃわしに'いとぅぬ'ういから
nagu nu naNgushiku gaNtatiti wugadi gaN nu sichawashi ni 'itu nu 'ui kara
名護の名護城 (航海の安全という)願を立てて拝み 願の通りに絹の上をすべるように(おだやかな航海の意)


二、だんじゅかりゆしやいらでぃさしみせる 船の綱取りば 風や真艫
だんじゅかりゆや'いらでぃさしみせる ふにぬちなとぅりば かじやまとぅむ
daNju kariyushi ya 'iradi sashimiseru funi nu china turiba kaji ya matumu
いかにもめでたい吉日を選んでなさる 船の(帆の)綱を取れば風は順風

三、出くよや産子 出ちゃりばアンマ アンマくま居とて体う願
'んじくよーやなしぐわ 'んじちゃりば'あんまー 'あんまーくま'うとーてぃからだうがん
'Njikuyoo ya nashigwaa 'Njichariba 'aNmaa 'aNmaa kuma 'utooti karada 'ugaN
行ってこいよ 私の子どもよ 行ってきます お母さん お母さんはここに居て健康を祈るよ

四、船乗らば産子 船床に乗ゆな ぶんぬ上に上て手巾招き
ふにぬらばなしぐわー ふにゆかにぬゆな ぶんぬ'ういにぬぶてぃてぃさじまにき
funi nuraba nashigwaa funiyuka ni nuyuna buN nu 'ui ni nubuti tisaji maniki 
船に乗ったら わが子よ 船底に乗るな 甲板の上に上がって手ぬぐいを振りなさい


五、夜走らす船や北の方星目当て 我ん産ちぇる親は我んど目当て
ゆるはらすふにやにぬふぁぶしみあてぃ わんなちぇる'うややわんどぅみあてぃ
yuru harasu funi ya ninuhwabushi miati waNnacheru 'uyaya waN du miati
夜航海する船は北極星を目当てにし 私を生んだ親は私を見ていて


六、いりなちゃぐみやうない小の情け 夜走らす船の夜とぎそり
'いりなちゃぐみやうないぐわぬなさき ゆるはらすふにぬゆとぅぎそーり
'irinachagumi ya wunaigwa nu nasaki yuru harasu funi nu yutugisori
炒ったおこし(お菓子)は姉(妹)の情け 夜航海する船での夜のなぐさめにしてください  続きを読む

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2006年04月25日

童神

童神
わらびがみ
warabi gami
こども神

一、天からの恵受けてこの世界に生まれたる産子 我身の守い育て
てぃんからぬみぐみ'うきてぃくぬしけに'んまりたるなしぐわ わみぬむいすだてぃ
tiNkara nu migumi 'ukiti kunu shikee ni 'Nmaritaru nashigwaa wami nu mui sudati
天からの恵みを受けてこの世界に生まれた愛児 私が守り育て

(イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー愛し思産子 泣くなよーや ヘイヨーヘイヨー)
いらよーへい いらよーほい いらよーかなし'うみなしぐわ なくなよーや へいよーへいよー
'irayoo hei 'irayoo hoi 'irayoo kanashi 'uminashigwaa nakunayoo yaa heiyoo heiyoo
○(ハヤシ省略)愛しい愛児 泣くなよね

太陽の光受けて(ゆーいりよーや へいよーへいよー)まささあてたぼり
ティ(ー)ダぬふぃかり'うきてぃ(ゆーいりよーや へいよーへいよー)まささ'あてぃたぼり
ti(i)da nu hwikari 'ukiti yuuiriyoo ya heiyoo heiyoo masasa 'atitabori
太陽の光を受けて霊験あらたかになってください


二、夏の節来りば涼風ゆ送て冬の節来りば懐に抱ちょて
なちぬしちくりばしだかじゆ'うくてぃふゆぬしちくりばふちゅくるにだちょーてぃ
nachi nu shichi kuriba shidakaji yu 'ukuti huyu nu shichi kuriba huchukuru ni dachooti
夏の季節が来ると涼しい風を送り冬の季節が来ると懐に抱いていて

月の光受けて 大人なてたぼり
ちちぬふぃかり'うきてぃ 'うふっちゅなてぃたぼり
chichi nu hwikari 'ukiti 'uhucchu natitabori
月の光受けて 大人になってください

三、雨風の吹ちん渡るこの浮世 風かたかなとて産子花咲かさ
'あみかじぬふちんわたるくぬ'うちゆ かじかたかなとーてぃ なしぐわはなさかさ
'amikaji nu huchiN wataru kunu 'uchiyu kajikataka natooti nashigwaa hana sakasa
雨風が吹いても渡るこの世界に 風よけになって愛児の花を咲かせたい

天の光受けて 高人なてたぼり
てぃんぬふぃかり'うきてぃ たかっちゅなてぃたぼり
tiN nu hwikari 'ukiti takacchu nati tabori
天の光受けて(霊感)高い人になってください


解説
(語句)

・わみぬむいすだてぃ 私が守り育てて
<わみ 私+ぬ が+むい 守り+すだてぃ 育てて
「ぬ」には「・・の」以外に主格を示す「が」がある。(例)
・かなし 愛しい
・うみなしぐわ 思う我が子→愛児
・まささあてたぼり 霊験あらたかになってください
「勝っている」とか「優秀になる」とかいう訳も多い。
勝るは「まさゆん」
まささん(まさしゃん)は「霊験あらたかである」の意味。
こういう意味を込めて作ったと古謝美佐子さん御本人から直接うかがった。


・しち 季節
・しだかじ 涼しい風
<しださん 涼しい
・ゆ 文語的表現の「を」
・だちょーてぃ 抱いていて
・ちち 月
正確なウチナーグチではthichi ツィチ(ツチではない)

ところが古謝美佐子さんはここだけヤマトグチで「つきのひかり」と歌われる。少し私は不満である。
・うふっちゅなてぃたぼり  大人になってください


・風かたかなとーてぃ 風よけになっていて
かたか=遮蔽 さえぎるもの 庇護 かばうこと
・たかっちゅ (霊感)高い人
背の高い人に、という訳が普通だろう。
しかし、セジだかい=霊感が強い という言葉がある。
一番とのからみでそちらを採用。
どうも古謝美佐子さんはこの歌に子どもの外見や知性以外に霊感の強い子どもになってほしいという願いを込めているところが沖縄らしい。

(コメント)
作詞 古謝美佐子 作曲 佐原一哉
本土でもかなりヒットしたが、胎教に良いと、夏川りみさんなどが歌うこれがさらにヒット。健康雑誌などでもCDが付録についていた(私も買った)。
血糖値が下がり、抗体が増えるなどという研究データが載せてあったが、他の曲での比較がなく、一般的な沖縄民謡などがもたらす効果ではないのだろうか。そのへんが不思議な歌である。
歌詞の中身も、古謝美佐子さんご本人に確認したが、やはり霊感の強い子に育ってほしいという気持ちを深く込めてもいるという。
古謝美佐子さんと佐原一哉さんはご夫婦。一度広島でコンサートがあった折に地元のエイサー団体ということでお手伝いをさせていただいた。その夜打ち上げをお二人が主催してくださり、元ネーネーズの3名との歌遊びという贅沢な時間を過ごさせていただいたことがある。そこでもお聞きしたが古謝美佐子さん自身も霊感の強い方だそうである。
「ゆーいりよー」は「芯のある強い」という意味もあると伺った。

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2006年02月18日

うんじゅが情きどぅ頼まりる

うんじゅが情きどぅ頼まりる
うんじゅがなさきどぅたぬまりる
'uNju ga nasaki du tanumariru
あなたの情けだけが頼れる
語句・うんじゅ あなた。目上の人へのみ使う。「御〔お〕+み〔敬称〕+胴〔duu〕」【琉球語辞典】。「胴」は「身体」を意味する。つまり「御身」。・どぅ こそ。だけ。「ぞ、こそ」【琉辞】。「どぅ」のあとに強調したい語がくるが、普通「活用語の連体形で結ぶのが原則」【琉辞】。つまり、「どぅ」・・・「連体形」。古語の「ゾ+連体形」という係り結びの法則が沖縄語に残っている。日常会話から琉歌まで使われる。強調として「こそ」と訳すより「だけ」と訳すほうがわかりやすいときもある。この訳もそうした。・たぬまりる 頼られる <たぬぬん 頼る。 の未然形「たぬま」+りゆん(可能や尊敬)の連体形「りる」(「どぅ」との係り結び)



一、うんじゅが姿ぬ忘ららん思い焦りてやしはてぃてぃ ただくうてん小し ゆたさいびさ我思いん さっしてぃ呉みそうれー
うんじゅがしがたぬわしららん うむいくがりてぃやしはてぃてぃ ただくーてーんぐゎーしゆたさいびさ わーうむいさっしてぃくぃみそーれー
(うんじゅがなさきどぅたぬまりる)
'uNju ga shigata nu washiraraN 'umuikugariti yashihatiti tada kuuteeNgwaashi yutasaibisa waa 'umui sasshitikwimisooree ('uNju ga nasaki du tanumariru
) 括弧は繰り返し 以下省略する
あなたの姿が忘れられない思い焦がれて痩せ果てて ただほんのすこしでいいですから私の思いを察してください(あなたの情けだけが頼られる)
語句・わしららん わすれられない。<わしゆん 忘れる。+りゆん できる。 の否定形。・やしはてぃてぃ 痩せ果てて。発音に注意したい。・くーてーんぐゎー ほんの少し <くーてーん 少し。 +ぐゎー ほんの少しという時に使う。 ・ゆたさいびさ よろしいですよ<ゆたさいびーん 結構です。+ さ よ。


二、我身ぬ思いゆ此ぬ文に我身ぬ志情書ちあしが思里が袖にすらとぅむてぃ心配し送ららん
わみぬ うむいゆくぬふみにわみぬしなさきかちあしが うみさとぅがすでぃにすらとぅむてぃしわっし うくららん
waminu 'umuiyu kunuhumini waminu shinasaki kachi'ashiga 'umisatu ga sudi ni suratumuti shiwasshi 'ukuraraN
私の思いをこの手紙に 私の志情を書いたのだが 思う貴方におそろそかにされると思い 心配して送られない
語句・ を。口語では用いない。文語のみ。 ・かちあしが 書いたが。・すでぃにすら おろそかにするだろう 。 袖に+する「すん」の未然形 するだろう。 「袖にする」(相手にしない、無視する)という大和口があるが、それに対応。


三、昨日ん今日んめんそうらん酒ん飲みわどぅ暮さりる 煙草ん吹きわどぅ忘らりる 明日なぎやめんせるはじやしが 察してぃ呉みそりくぬ思い
ちぬん ちゅーんめんそーらん さきんぬみわどぅくらさりる たばくんふかわどぅ わしらりる あちゃーなぎーや めんせーるはじやしが さっしてぃくぃみそーりくぬうむい
chinuN chuuN meNsooraN sakiN numiwadu kurasariru tabakuN hukiwadu washirariru 'achaanagii ya meNsheeru hajiyashi ga sasshitikwimisoori kunu 'umui
昨日も今日もいらっしゃらない 酒も呑んでこそ暮らせる 煙草も吸ってこそ忘れられる 明日あたりはいらっしゃるはずなのだが 察して下さいな この思い
語句・めんそーらん いらっしゃらない。「来る」の敬語 めんせーん(めんしぇーん)の否定形。ちなみに命令形が 「めんそーり」 (おいでなさい)。 それを柔らかくしたのが 「めんそーれー」。 (語尾を延ばすのが正しく、那覇空港や、お店の名前やパンフレットなどで「めんそーれ」と語尾が切れているのは正しくはない。また「めんそーりー」と伸ばすの逆におかしい) ・めんせーる いらっしゃる。・はじやしが はずだけど。  はじ(はず)+やしが(けれども) ・くぃみそーり してください。 くぃゆん(くれる)+みせーん(なさる)の命令形みそーり。


知名定男さん作詞作曲。
1968年の作品。

優しく染み入るようなメロディーとウチナーグチで、彼が来てくれることだけを想い続けている女性の一途な思いが表現されている。

新唄(みーうた)の「情け唄」の代表作といえる。

CDではこちらに。


「うちなーのうた」(音楽之友社)で青木誠さんがこの歌が沖縄ポップスの先駆けだと書かれている。

意訳すれば、

貴方の面影が忘れられない、思い焦がれてやせるほど。
手紙も書いたが、返事もこないのではと思うと出せない。
しばらくおいでにならないので、お酒や煙草で忘れようとするのだけど忘れられない。
明日あたり来てくれるはず。
私の思いを察してください。あなたのお情けこそが私の頼りです。


このような感じになるだろうか。




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2006年02月18日

うんじゅが情けど頼ぬまれる

うんじゅが情けど頼ぬまれる
'うんじゅがなさきどぅたぬまりる
'uNju ga nasaki du tanumariru


一、うんじゅが姿ぬ忘ららん思い焦りてやしはてて ただくうてん小しゆたさいびさ我思いん さっして呉みそうれー
'うんじゅがしがたぬわしららん 'うむいくがりてぃやしはてぃてぃ ただくーてーんぐわーしゆたさいびさ わー'うむいさっしてぃくぃみそーれー('うんじゅがなさきどぅたぬまりる)
'uNju ga shigata nu washiraraN 'umuikugariti yashihatiti tada kuuteeNgwaashi yutasaibisa waa 'umui sasshitikwimisooree ('uNju ga nasaki du tanumariru
) 括弧は繰り返し 以下省略する
あなたの姿が忘れられない思い焦がれて痩せ果てて ただほんのすこしでいいですから私の思いを察してください(あなたの情けだけが頼られる)

二、我身ぬ思いゆ此ぬ文に我身ぬ志情書ちあしが思里が袖にすらとむて心配し送ららん
わみぬ'うむいゆくぬふみにわみぬしなさきかち'あしが'うみさとぅがすでぃにすらとぅむてぃしわっし'うくららん
waminu 'umuiyu kunuhumini waminu shinasaki kachi'ashiga 'umisatu ga sudi ni suratumuti shiwasshi 'ukuraraN
私の思いをこの手紙に 私の志情を書いたのだが 思う貴方におそろそかにされると思い 心配して送られない

三、昨日ん今日んめんそうらん酒ん飲みわど暮さりる煙草ん吹きわど忘らりる明日なぎやめんせるはじやしが 察して呉みそりこの思い
ちぬんちゅーんめんそーらん さきんぬみわどぅくらさりる たばくんふかわどぅわしらりる'あちゃーなぎーやめんせーるはじやしが さっしてぃくぃみそーりくぬ'うむい
chinuN chuuN meNsooraN sakiN numiwadu kurasariru tabakuN hukiwadu washirariru 'achaanagii ya meNsheeru hajiyashi ga sasshitikwimisoori kunu 'umui
昨日も今日もいらっしゃらない 酒も呑んでこそ暮らせる 煙草も吸ってこそ忘れられる 明日あたりはいらっしゃるはずなのだが 察して下さいな この思い  続きを読む

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2006年02月12日

別れの煙

別れの煙
わかりぬちむり
wakari nu chimuri
別れの煙


作詞・作曲 知名定繁


一、別て旅行かば嬉さ寂しさも覚出せよ産子 島の事も ちゃー忘るなよ
わかてぃたび いかばうりしゃさびしさん うびじゃしよ なしぐゎーしまぬくとぅん ちゃーわしるなよ
wakati tabi 'ikaba 'urisha sabishisaN 'ubijashi yo nashigwaa shimanu kutuN chaa washiruna yoo
別れて旅に行くならば嬉しいことも 寂しいことも思い出せよ 私の子どもよ 故郷の事も いつも忘れるなよ
語句・なしぐゎー 私の生んだ子ども。 ・ちゃー いつも。・いかば 行くならば。「いちゅん」の未然形「いか」に「ば」がつくと「仮定法」。定繁さんが「いきば」と歌っている歌詞もある。この場合「いく時はかならず」くらいの意味になる。



二、糸の上ゆ走ゆる 船に立つ煙り 山の端に向かて我親目当て ちゃーかりゆしど
いとぅぬういゆはゆる ふににたちゅちむり やまぬふぁにんかてぃ わうやみあてぃ ちゃーかりゆしどー
'itunu'uiyuhayuru funi ni tachu chimuri yama nu hwa ni Nkati waa'uyamiati chaa kariyushi doo
絹糸の上(のように穏やかな海)を走る船に上がる煙 山の頂上に向かって私の親を見つけて いつまでも安全であるように
語句・いとぅ 「糸」とは絹糸のことを指す。「糸ぬ上」とは、穏やかな海の上を滑るように走る船のこと、つまり航海安全を意味する。・みあてぃ 見つけて。<みあてぃゆん miatiyuN  見つける。 「てんさぐの花」でも出てくる「目当て」は「見つける」とここでは訳す。目を当てる、と直訳できる。北極星を「目当てに」走る船のように私の親は私を「目当て」にする。「あてにする」頼る、という意味にとりがちだが、いつも見つめている、というニュアンスがある。・かりゆし 本来は、航海の安全を祈り、無事戻ってくることを願う言葉。現在では「幸福」なども含む。



三、山の端に立ちゅる照らし灯の煙 かりゆしの船に産子目当て ちゃーかりゆしどー
やまぬふぁーにたちゅる てぃらしびぬちむり かりゆしぬふにに なしぐゎーみあてぃ ちゃーかりゆしどー
yama nu hwaa ni tachuru tirashibi nu chimuri kariyushi nu funini nashigwaa miati chaa kariyushi doo
山の頂上に上がる照らす灯の煙 幸せ(航海の無事)の船に、我が子どもを見つけて いつまでも幸せ(航海の無事)であるように
語句・てぃらしび 照らす火。



四、別れ路の手拭胸内に招ち 互に思辛さ見ゆる間や ちゃー名残りさよ
わかりじぬてぃさじ んにうちにまにち たげにうみちらしゃ みゆるいぇだや ちゃーなぐりさよー
wakariji nu tiisaji Nni'uchini manichi tageni 'umichisasha miyuru yeda ya chaa nagurisa yoo
別れる時に振る手ぬぐいを胸の内(心の中で)に招いて 互いに思いは辛い 見える間は いつまでも名残おしいよ



五、親子振別れの照らし灯の名残り 面影どましゅる名護の城 ちゃー名残りさよ
うやくふやかりぬ てぃらしびぬなぐり うむかじどぅましゅる なぐぬぐしく ちゃーなぐりさよー
'uyaku huyakari nu tirashibi nu naguri 'umukaji du mashuru nagu nu gushiku chaa nagurisha yoo
親子別れは照らす灯の残り(のようだ)面影ばかり強くなる 名護の城 いつまでも名残惜しいよ 
語句・ふやかり 振り別れ=別れ。



知名定男氏のお父様、知名定繁氏の作。
明治以降沖縄から大阪、名古屋などの紡績工場に働きにでる人々が多かった。また海外への移民も多い。
そういう人々と家族の別れの情景を歌っている。

子どもたちが乗った船を、山の頂上、または城などで見送る。
そのときに松の枝を燃やして白い煙を出したという。

それを目当てにして、船の子どもは親を探し、親は子どもを捜す。
手ぬぐいを振り、いつまでも見えなくなるまで目で追い、「かりゆし」を祈る。

歌のすばらしさは、そういう繰り返される情景と思いをわずか数分の音と言葉に凝縮し、
DVDやCDのように繰り返し再現できることだ。

どれだけの人がこの歌を聴き、また歌い、その情景を思い出したり想像して涙しただろう。
その流れた涙の分だけ人々の情けは強くなりやさしくなる。

そして家族の絆はより強くなる。

この歌のモチーフになったといわれる名護の「白い煙黒い煙」の歌碑。






(写真提供 谷田氏)

この歌碑についての説明は名護市役所のホームページに詳しい。

(以下 引用)
 名護のまちを一望する名護城(ナングスク)の中腹に建つ「白い煙と黒い煙の碑」は、大正七(1918)年当時、県立沖縄師範学校教諭兼附属小学校の主事をしていた稲垣国三郎氏が名護を訪れ、名護城の散策中に出会った貧しい老父母と大和へ出稼ぎに出る娘の哀別の情景を主題にした物語がきっかけで、昭和34(1959)年に建立された碑である。この物語は、戦前戦後の教科書教材として採用され、特に戦前の教科書は、検定教科書として取り上げられ、沖縄(琉球)を知らない全国の人々に大きな反響を呼んだ。この物語に当時の沖縄の生活をみることができる。

  稲垣国三郎作「白い煙と黒い煙」の一節
  合図の煙 親子の別れ 汽船のデッキの上から彼の乙女が涙で曇った目で、ふる里の山を慕い父母を恋ひてこの白煙を見つめてゐることであらう。
 白い煙と黒い煙 かうして若い乙女と老いたる親とが、山と海とでたがひに切ない思慕恩愛の情を交わしてゐるのである。
 春の日は静かに夕靄の中にうすれて行く。やがて汽船は本部半島にその影を隠した。
 つきせぬ名残りを一抹の黒煙にとどめて。
                 大正7年3月31日作

 昭和34(1959)年12月22日、稲垣氏をお迎えしての除幕式が行われ、あの頃の出船見送りの様子を再現してみようということで、城区の古老の方と婦人会が多数参加して行われた。
 貧しい沖縄を出て、遠い外国に移民するとき、その長い長い別れを惜しみ、また応召して生きて帰れないという悲壮な惜別の思いもあって、親戚一族揃ってこの煙を焚いた。いつ会えるかもわからないという悲壮な気持ちが高じて太鼓を鳴らし、かりゆし(めでたいこと)の旅歌を歌って賑やかに見送ったのであろう。
更新日:2013年11月27日
(引用終わり)

  

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