2014年04月04日
ザークビー物語
ザークビー物語
ざーくびーむぬがたい
zaakubii munugatai
◯座峠の物語
語句・ざーくびー 国頭村の半地(はんじ)という字(あざ)にある小高い丘の呼び名。「座峠」という字が当ててある。「座」は「座る」の意味で、昔は毛遊びが盛んな場所だったと地元の方に教えられた。「くびー」は「峠」を意味するとする文献もある。
(この歌は沖縄北部方言【国頭方言】で歌われていて、その方言での表記は筆者の力量を超えていることをご容赦頂きたい。できるだけその土地の方言に近づけるよう努力はしているので、ご指摘があればコメントを頂ければ幸いです。)
作詞 金城久司
1、ラクサ落水に アユぬ魚登て ラクサ落水ぬ光い美さ
らくさうちみじに あゆぬゆーぬぶてぃ らくさうちみじぬひちゃいつらさ
rakusa 'uchimiji ni 'ayu nu yuu nubuti rakusa 'uchimiji nu hichai tsurasa
◯(比地川の)ラクサ(堰)から落ちる水にアユが登って跳ねるときのラクサから落ちる水の輝きの美しいことよ!
語句・らくさ 堰。辞書にはないが国頭村半地あたりでは「比地川(下の地図を参照)に昔は石積みで海水の逆流を防ぐ堰を作った。それをラクサ(落差の意味)と呼んだ。」と現地の方に伺った。・ゆー 魚。原詩にはふり仮名で「ユー」とあり国頭方言と思われる。「いゆ」【沖縄語辞典】。・ひちゃいつらさ 光が美しいことよ!。原詩には「ヒチャいツラさ」とふり仮名がある。首里語、南部方言では「ふぃちゃいちゅらさ」。
2、ザークビーぬ森に 美風寄して みやらびぬ笑 時ん捨てて
ざーくびーぬむいにつらかじゆしてぃ みやらびぬわれーとぅちんしてぃてぃ
zaakubii nu mui ni tsura kaji yushiti miyarabi nu waree tuchiN shititi
◯座峠の森に美しい(気持ち良い)風が吹いて、娘の笑い声に時を忘れて
3、ザークビーぬ水路に 水車ぬして サーターぬ香さ 童とみさ
ざーくびーぬいんずに みじぐるま ぬしてぃ さーたーぬかばさ わらびとぅみさ
zaakubii nu 'iNzu ni mijiguruma nushiti saataa nu kabasa warabi tumisa
◯座峠の水路に水車をかけて サトウキビの香りがいいので 子どもが求めるよ
語句・いんず 水路。国頭方言と思われる。・とぅみさ 求めるよ。<とぅめーゆん 求める。+さ よ。
4、山ぐらし終て かやぶちぬ長屋 ザークビーぬやどに しばしやどら
やまぐらしうわてぃ かやぶちぬながや ざーくびーぬやどぅにしばしやどぅら
yamagurashi 'uwati kayabuchi nu nagayaa zaakubii nu yadu ni shibashi yadura
◯山暮らし(戦争からの疎開)を終えて茅葺の長屋 (避難民収容所)座峠の宿にしばし泊まろう
5、戦世ん終て 身心んゆどり 松下ぬ花に 想い散らち
いくさゆーんうわてぃ みーくくるん ゆどぅり まちしちゃぬはなに うむいちらし
'Ikusa yuuN 'uwati miikukuruN yuduri machishicha nu hana ni 'umui chirashi
◯戦争が終わって、身も心も夕なぎのようになごみ 松下の花(料亭の女性に)想いを寄せて
語句・まちしちゃ この座峠の近くにあった「松乃下」という料亭のこと。「花」とは女性と解釈できる。・ ゆどぅり 夕なぎ。風がない夕方の凪。戦争が終わって、身も心も安心している様子。
6、半地劇場に人波ぬ寄してぃ 映画歌しばい 肝にすみてぃ
はんじげきじょーにひとぅなみぬゆしてぃ えいがうたしばい ちむにすみてぃ
haNjigekijoo ni hitunami nu yushiti [eiga]'uta shibai chimuni sumiti
◯半地劇場に人波が寄せるほど集まって 映画歌芝居で心も染めて
語句・はんじげきじょー 半地劇場。国頭村の字半地にあった映画や芝居を上演していた劇場。「げきじょー」という表記はおかしい気もするが「joo」をそのままひらがなにしたものなので、私のブログでは御我慢頂きたい。・えいが ウチナーグチでは「映画」は「かーがーうどぅい」(影踊り)というが本土の発音の影響だろう。・すみてぃ 染めて。<すみゆん。染める。
7、美水んかりて 美風んとまて 黄金田ぶっくわ 夢がやたら
つらみじんかりてぃ つらかじんとぅまてぃ くがにたーぶっくゎいみがやたら
tsura mijiN kariti tsura kajiN tumati kugani taabukkwa 'imi ga yatara
◯美しい水も枯れて 気持ち良い風も止まって 実り豊かな田園風景は夢だったのか
語句・たーぶっくゎ 田んぼ。「黄金」(くがに)は、稲穂が黄色く実った様子だろう。「大切な」という意味もある。・やたら だったのか。
8、昔はねーちゃる 美森るやしが 時世に流さりて 道路に変わて
んかしはねーちゃる つらむいやしが とぅちにながさりてぃ みちにかわてぃ
Nkashi haneecharu tsuramui yashiga tuchi ni nagasariti michi ni kawati
◯昔は華やかな美しい森であったが 時代の流れに流されて道路に変わってしまった
語句・はねーちゃる 「①色つやが美しくでる。つやが出て美しくなる。芭蕉布などに酸類をいれてつやが出る場合などにいう。②花やかになる。③花やかに美しくする」【沖縄語辞典】。ここでは、華やかだった、と昔の賑やかな様子を表現している。
最近この歌と出会った。
この歌には曲はない。別にナークニーにのせて歌ったわけでもないそうだ。
私達は「沖縄の民謡」というと必ず三線がかなでられ、決まった歌詞を歌うものだと思いがちだが、和歌、俳句、川柳などと同じように定型句に今の自分の想いや情景を織り込んだ「琉歌」(うた)というものを楽しむ沖縄の人々の存在はあまり知られていない。
曲に乗せないで作られる琉歌(うた)も多い、ということをあらためて認識した。
「ザークビー物語」で歌われているのは
国頭村の半地という村で、ザークビーという村はずれにある「峠」(くびー)や比地川を中心にした昔の情景と、戦争が終わって捕虜収容所から出てからの戦後の暮らしと、想いである。
現在は国道58号線、国頭村の比地川にかかる比地橋から南側に行ったあたりにザークビーがある。
(写真は岩渕そよさんからご本人の了承を得て掲載しました。)
ザークビーとは、一般に村と村の境には、少し高い丘と森、そして人が歩けるだけの道があって、それが隣村との境界をも意味したようである。
このザークビーの「ざー」は「座る」であり、昔は毛遊び(もーあしび)が盛んな場所だったと地元の方に教えてもらった。
昔は隣村との婚姻が禁止されていて、当然毛遊びでの交流も出来なかったが、ザークビーが村境に近いことで、それが可能だったとも地元の方から。
現在は、国道58号線によってザークビーの半分はなくなり、人が歩けるほどの道が国道に変わっている。少しの森と丘が残るだけである。
また比地川は、上流の滝とリュウキュウアユが生息しているということで有名な川。
(写真は呉屋俊光さんからご本人の了承を得て掲載しました。)
歌にでてくる「ラクサ」という堰を越えた水を登って行く魚、とくにアユの眺めは良かったと地元の方が言われる。
川の水は稲作にもつかわれるし、魚以外にもカニやエビなども採れ、さらには水車を置いてウージ(サトウキビ)を圧搾して黒糖蜜を絞り出す。
子供でなくても魅力的な環境だったようだ。
そしてあの凄惨な沖縄戦の後は捕虜収容所が置かれたそうだ。
そこを出ての戦後の暮らし。
半地劇場や松乃下料亭の賑わいが目に浮かぶようだ。
この「ザークビー物語」は金城久司さんという方が十年ほど前に、ご自分が生まれ育った故郷を思い出して作った琉歌(うた)で、ある本に掲載されていたものをその方の息子さんが見つけられて、意味が知りたいということで、回り回って私のところにやってきた。
(経過は「たるーの島唄人生 ザークビー物語)
▲この歌が掲載されている本の写真。
Facebookの友人からの依頼だったが、同じFacebookの「うちなーぐち講座」という所でいろいろな情報を寄せて頂いた。ネットの力は凄い!と実感した。
情報を頂いた中には、国頭村の道の駅の方、国頭村役場の字史編纂室の方も。
また「松乃下」の経営者のお孫さん。
この歌を作った金城久司さんの弟さんの金城正治さんには比地川の様子、とくに「ラクサ」についてや、そこにかかる水車のこと、そしてこうして歌を作ることへの想いなどを電話で教えていただいた。
またその娘さんはザークビーのお写真を撮って下さった。
それ以外にも多くの皆さんから情報やご意見が寄せられました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
ざーくびーむぬがたい
zaakubii munugatai
◯座峠の物語
語句・ざーくびー 国頭村の半地(はんじ)という字(あざ)にある小高い丘の呼び名。「座峠」という字が当ててある。「座」は「座る」の意味で、昔は毛遊びが盛んな場所だったと地元の方に教えられた。「くびー」は「峠」を意味するとする文献もある。
(この歌は沖縄北部方言【国頭方言】で歌われていて、その方言での表記は筆者の力量を超えていることをご容赦頂きたい。できるだけその土地の方言に近づけるよう努力はしているので、ご指摘があればコメントを頂ければ幸いです。)
作詞 金城久司
1、ラクサ落水に アユぬ魚登て ラクサ落水ぬ光い美さ
らくさうちみじに あゆぬゆーぬぶてぃ らくさうちみじぬひちゃいつらさ
rakusa 'uchimiji ni 'ayu nu yuu nubuti rakusa 'uchimiji nu hichai tsurasa
◯(比地川の)ラクサ(堰)から落ちる水にアユが登って跳ねるときのラクサから落ちる水の輝きの美しいことよ!
語句・らくさ 堰。辞書にはないが国頭村半地あたりでは「比地川(下の地図を参照)に昔は石積みで海水の逆流を防ぐ堰を作った。それをラクサ(落差の意味)と呼んだ。」と現地の方に伺った。・ゆー 魚。原詩にはふり仮名で「ユー」とあり国頭方言と思われる。「いゆ」【沖縄語辞典】。・ひちゃいつらさ 光が美しいことよ!。原詩には「ヒチャいツラさ」とふり仮名がある。首里語、南部方言では「ふぃちゃいちゅらさ」。
2、ザークビーぬ森に 美風寄して みやらびぬ笑 時ん捨てて
ざーくびーぬむいにつらかじゆしてぃ みやらびぬわれーとぅちんしてぃてぃ
zaakubii nu mui ni tsura kaji yushiti miyarabi nu waree tuchiN shititi
◯座峠の森に美しい(気持ち良い)風が吹いて、娘の笑い声に時を忘れて
3、ザークビーぬ水路に 水車ぬして サーターぬ香さ 童とみさ
ざーくびーぬいんずに みじぐるま ぬしてぃ さーたーぬかばさ わらびとぅみさ
zaakubii nu 'iNzu ni mijiguruma nushiti saataa nu kabasa warabi tumisa
◯座峠の水路に水車をかけて サトウキビの香りがいいので 子どもが求めるよ
語句・いんず 水路。国頭方言と思われる。・とぅみさ 求めるよ。<とぅめーゆん 求める。+さ よ。
4、山ぐらし終て かやぶちぬ長屋 ザークビーぬやどに しばしやどら
やまぐらしうわてぃ かやぶちぬながや ざーくびーぬやどぅにしばしやどぅら
yamagurashi 'uwati kayabuchi nu nagayaa zaakubii nu yadu ni shibashi yadura
◯山暮らし(戦争からの疎開)を終えて茅葺の長屋 (避難民収容所)座峠の宿にしばし泊まろう
5、戦世ん終て 身心んゆどり 松下ぬ花に 想い散らち
いくさゆーんうわてぃ みーくくるん ゆどぅり まちしちゃぬはなに うむいちらし
'Ikusa yuuN 'uwati miikukuruN yuduri machishicha nu hana ni 'umui chirashi
◯戦争が終わって、身も心も夕なぎのようになごみ 松下の花(料亭の女性に)想いを寄せて
語句・まちしちゃ この座峠の近くにあった「松乃下」という料亭のこと。「花」とは女性と解釈できる。・ ゆどぅり 夕なぎ。風がない夕方の凪。戦争が終わって、身も心も安心している様子。
6、半地劇場に人波ぬ寄してぃ 映画歌しばい 肝にすみてぃ
はんじげきじょーにひとぅなみぬゆしてぃ えいがうたしばい ちむにすみてぃ
haNjigekijoo ni hitunami nu yushiti [eiga]'uta shibai chimuni sumiti
◯半地劇場に人波が寄せるほど集まって 映画歌芝居で心も染めて
語句・はんじげきじょー 半地劇場。国頭村の字半地にあった映画や芝居を上演していた劇場。「げきじょー」という表記はおかしい気もするが「joo」をそのままひらがなにしたものなので、私のブログでは御我慢頂きたい。・えいが ウチナーグチでは「映画」は「かーがーうどぅい」(影踊り)というが本土の発音の影響だろう。・すみてぃ 染めて。<すみゆん。染める。
7、美水んかりて 美風んとまて 黄金田ぶっくわ 夢がやたら
つらみじんかりてぃ つらかじんとぅまてぃ くがにたーぶっくゎいみがやたら
tsura mijiN kariti tsura kajiN tumati kugani taabukkwa 'imi ga yatara
◯美しい水も枯れて 気持ち良い風も止まって 実り豊かな田園風景は夢だったのか
語句・たーぶっくゎ 田んぼ。「黄金」(くがに)は、稲穂が黄色く実った様子だろう。「大切な」という意味もある。・やたら だったのか。
8、昔はねーちゃる 美森るやしが 時世に流さりて 道路に変わて
んかしはねーちゃる つらむいやしが とぅちにながさりてぃ みちにかわてぃ
Nkashi haneecharu tsuramui yashiga tuchi ni nagasariti michi ni kawati
◯昔は華やかな美しい森であったが 時代の流れに流されて道路に変わってしまった
語句・はねーちゃる 「①色つやが美しくでる。つやが出て美しくなる。芭蕉布などに酸類をいれてつやが出る場合などにいう。②花やかになる。③花やかに美しくする」【沖縄語辞典】。ここでは、華やかだった、と昔の賑やかな様子を表現している。
最近この歌と出会った。
この歌には曲はない。別にナークニーにのせて歌ったわけでもないそうだ。
私達は「沖縄の民謡」というと必ず三線がかなでられ、決まった歌詞を歌うものだと思いがちだが、和歌、俳句、川柳などと同じように定型句に今の自分の想いや情景を織り込んだ「琉歌」(うた)というものを楽しむ沖縄の人々の存在はあまり知られていない。
曲に乗せないで作られる琉歌(うた)も多い、ということをあらためて認識した。
「ザークビー物語」で歌われているのは
国頭村の半地という村で、ザークビーという村はずれにある「峠」(くびー)や比地川を中心にした昔の情景と、戦争が終わって捕虜収容所から出てからの戦後の暮らしと、想いである。
現在は国道58号線、国頭村の比地川にかかる比地橋から南側に行ったあたりにザークビーがある。
(写真は岩渕そよさんからご本人の了承を得て掲載しました。)
ザークビーとは、一般に村と村の境には、少し高い丘と森、そして人が歩けるだけの道があって、それが隣村との境界をも意味したようである。
このザークビーの「ざー」は「座る」であり、昔は毛遊び(もーあしび)が盛んな場所だったと地元の方に教えてもらった。
昔は隣村との婚姻が禁止されていて、当然毛遊びでの交流も出来なかったが、ザークビーが村境に近いことで、それが可能だったとも地元の方から。
現在は、国道58号線によってザークビーの半分はなくなり、人が歩けるほどの道が国道に変わっている。少しの森と丘が残るだけである。
また比地川は、上流の滝とリュウキュウアユが生息しているということで有名な川。
(写真は呉屋俊光さんからご本人の了承を得て掲載しました。)
歌にでてくる「ラクサ」という堰を越えた水を登って行く魚、とくにアユの眺めは良かったと地元の方が言われる。
川の水は稲作にもつかわれるし、魚以外にもカニやエビなども採れ、さらには水車を置いてウージ(サトウキビ)を圧搾して黒糖蜜を絞り出す。
子供でなくても魅力的な環境だったようだ。
そしてあの凄惨な沖縄戦の後は捕虜収容所が置かれたそうだ。
そこを出ての戦後の暮らし。
半地劇場や松乃下料亭の賑わいが目に浮かぶようだ。
この「ザークビー物語」は金城久司さんという方が十年ほど前に、ご自分が生まれ育った故郷を思い出して作った琉歌(うた)で、ある本に掲載されていたものをその方の息子さんが見つけられて、意味が知りたいということで、回り回って私のところにやってきた。
(経過は「たるーの島唄人生 ザークビー物語)
▲この歌が掲載されている本の写真。
Facebookの友人からの依頼だったが、同じFacebookの「うちなーぐち講座」という所でいろいろな情報を寄せて頂いた。ネットの力は凄い!と実感した。
情報を頂いた中には、国頭村の道の駅の方、国頭村役場の字史編纂室の方も。
また「松乃下」の経営者のお孫さん。
この歌を作った金城久司さんの弟さんの金城正治さんには比地川の様子、とくに「ラクサ」についてや、そこにかかる水車のこと、そしてこうして歌を作ることへの想いなどを電話で教えていただいた。
またその娘さんはザークビーのお写真を撮って下さった。
それ以外にも多くの皆さんから情報やご意見が寄せられました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。