2008年03月31日

安里屋ユンタ

安里屋ゆんた
'あさどやゆんた
'asadoya yuNta

(八重山民謡 竹富島以外)


、(サア)安里屋ぬ くやまに(ヤゥ サーユイユイ) あん美らさ生りばし(ヤゥ マタハーリヌ ツンダラカヌシャマヤゥ)
(さー)あさどやーぬくやまに(よー さーゆいゆい)あんちゅらさまりばし(よー またはーりぬ つぃんだらかぬしゃまよー(saa)'asadoyaa nu kuyama ni (yoo) 'aNchurasa maribashi (yoo matahaarinu chiNdara kanushama yoo)
安里家のクヤマはあのように美しく生まれたために
語句・あん あのように。・ちゅらさ 美しく。石垣方言では形容詞の語幹(「ちゅらさ」)は「そのまま副詞として使用される。メヘン タカサ トゥビ(もっと高く跳べ)。」(石)。「ちゅら」は本島からの影響。・まりばし生まれたために <まり 生まれ。+ば「歌謡など文学表現に、沖縄本島からの借用語で既定を表す。から。ので。」(石)+し 格助詞「ために、故に。原因を表す。」(石) ・ゆいゆい 囃子言葉。「ゆい」という労働形式で歌われたゆえんなのか、独自の意味があるのか不明。 ・またはーりぬ 「また」は繰り返す時の囃子。「はーりぬ」は諸説あるが定説はない。「はり」が「晴れ」「ハレの日」との関連があるという説がある。んだら かわいらしい。 かわいそうである。<つんだーさん。・かぬしゃま <かぬしゃー 「男性からいう女性の恋人。『愛(かな)しき人』の意。『かぬしゃーま』ともいう。」


二、いみしゃからあふあり生まりばし くゆさからしるさすでばし
'いみしゃから'あふぁりまりばし くゆさからしるさすでぃばし
'imisha kara 'ahwari maribashi kuyusa kara shirusa shidibashi
幼少の時から美しいので 幼少から白く生まれたので
語句・いみしゃ 幼少の時。 あふぁり美しく。<あふぁりしゃーん。美しい。・くゆさ 幼少。


三、目差主ぬ乞よたら 当りょう親ぬ望みょうた
みざししゅぬくよたら あたりょーやぬぬずみょた
mizashishu nu kuyotara 'ataryooya nu nuzumyota
目差主(助役相当)が(賄い方を)請うたら 与人親(村長相当)が(賄い方を)望んだ
語句・ぬずみょーた <ぬずむん 望む。欲する。沖縄口では「結婚の相手に望む。結婚を申し込む。惚れる」(沖)の意味がある。


三、目差主やばなんぱ 当りょう親やくれゆむ
みざししゅやばな'んぱ 'あたりょうややくれゆむ
mizashishu ya bana 'Npa 'ataryouya ya kure yumu
目差主は私は嫌 与人親はこれ嫌なもの


四、なゆりゃどぅんぱです 如何やりゃどぅゆむです
なゆりゃどぅ'んぱでし 'いきゃやりゃどぅゆむでし
nayurya du 'Npa deshi 'ikayarya du yumu deshi
なぜ嫌なのか どうして嫌なものなのか
語句・なゆ「なぜ。古語で、歌謡などで使う。」(石)。


五、島ぬ夫持つぁばどぅ ふんぬ里かむばどぅ
まぬぶどぅむつぁばどぅ ふんぬさとぅかむばどぅ
shima nu budu mutsabadu huN nu satu kamubadu
村の夫(を)持つためにこそ 村の彼氏(に)関わるために
語句・ 島。村。国。郷里。ぶどぅ 夫。ふん 国。村。組。さとぅ (石)には「里。村。滅多に用いない。古謡に出てくる語」とある。対句として「ふんぬさとぅ」に対応するのは「夫」。したがって「里」を沖縄口の「彼氏」と解釈した。かむばどぅ 「持つ」に対応する語句としては「かみるん(頭に載せる、頂く、頂戴する)」か「かもーん」(かまう、関係する)があるが活用からみると後者が自然。


六、後ぬ為あるです すらぬ為あるです
'あとぅぬたみあるでし すらぬたみ'あるでし
'atu nu tami 'arudeshi sura nu tami 'arudeshi
将来(子孫)のために 身空のために
語句・あとぅ 後(空間には言わない)。後継者、子孫。後(のち)すなわち将来。・すら (石)には「こずえ」しかない。(沖)に「身空」がある。



竹富島の「安里屋節」、「安里屋ユンタ」に続いて、竹富島以外の島で歌われているものを見てみよう。

まず最初に断っておくが、このblogで「安里屋ユンタ」は二回目である。二年前に一度チャレンジしているがその時は「石垣方言辞典」はなく八重山口を調べる術がなかった。参照:安里屋ゆんた

復習しておくと、竹富島のものは
①クヤマが主人公ではなく、目差主。
②クヤマは目差主を振るが与人親には仕える。
が内容だった。

今回のものは、クヤマさんの容姿がまず描かれ、目差主だけでなく与人親の要請まで断っている。さらに島の男性との婚姻を望んでいるという理由が示されている。

竹富島のオリジナルが石垣島に伝わって改変されたものだ。

主な相違点だけまとめておこう。

A、与人親への対応。
竹富島
「くりゃおいす」(私は差し上げる)

竹富島以外
「くれゆむ」(私は嫌)

B、1番の「クヤマに」への接続文
竹富島
「目差主ぬくよたら」(目差主が請うたら)

竹富島以外
「あん美らさまりばし」(あのように美しく生まれたので)

C、目差主の求めを拒否した理由
竹富島
「あたる親やくりゃおいす」(与人親は私はさしあげる)

竹富島以外
「後ぬ為あるです すらぬ為あるです」(将来のためなので、身空のためなので)

当時首里王府が離島を管理、支配するため派遣した「与人」(村長に相当)、「目差」(助役に相当)らが実際の妻は首里に残し、赴任先では「賄い方」という名の「現地妻」を持っていたこと、その選定に拒否はできなかったばかりか、村では「賄い方」に選ばれた女性は「村の誉れ」とされていたこと。役人が首里に戻る時には土地などを褒美として受けとったことなどが背景にある。実際クヤマさんも与人から土地を受け取ったという。

したがって、竹富島の歌はリアリティが高く、両方を断ったのは史実にも、またリアリティにも反する。
しかし、それでも歌い継がれているのは、後世の人々が史実に反しても、クヤマを美化し役人を滑稽に扱うことで歌に娯楽性を求めたからだろう。

一方、この「改変」を石垣島の竹富島への差別だという意見もある。
「改変」がどのような理由であっても、歌が生まれた土地を離れ変わっていくのは世の常。また一般に「島差別」意識があるとしても、この歌の内容だけから「差別」を見出だすのは困難。八重山安里屋ユンタは竹富島のものだけが「正当」という意見には頭を縦には振れない。

ただし、すでに述べたように「改変」によって、歌詞に無理が生じていることは否めない。

上の一番の歌詞。「クヤマに」という部分だ。前回の「安里屋ゆんた」の解説で書いたように「に」というのは「目差主がこうた」に繋がるのであるから、「あん美らさ・・・」は後から挿入されたものだという説を書いた。
もちろん、「クヤマに、あのように美しく生まれたから・・目差主がこうた」と長文を想定できないわけではない。しかし、古謡ではそのような複雑な長文はありえないのではないか。

こうした違い、特色を理解しつつ各歌を楽しみたいものだ。

他の「安里屋ゆんた」などの解説は以下の通り。(リンクしてある)

1、竹富島の安里屋ゆんた
2、石垣島などの安里屋ゆんた
3、八重山古典(節歌)としての安里屋節
4、琉球古典としての安里屋節(早弾き)
5、新安里屋ゆんた

同じカテゴリー(あ行)の記事
アカバンタ
アカバンタ(2022-09-21 09:31)

浅地紺地
浅地紺地(2020-05-17 10:49)

御年日ぬ唄
御年日ぬ唄(2020-05-10 12:56)

親心
親心(2020-02-05 09:08)

恩納ナビー
恩納ナビー(2019-07-10 07:34)


Posted by たる一 at 23:38│Comments(3)あ行
この記事へのコメント
囃子言葉の部分は東南アジアのどこかの言語で宗教的なありがたい言葉とそっくりだという解釈を新聞で読んだことがあります。
Posted by 阿武雲 at 2009年07月11日 21:58
阿武雲さん

どんな「ありがたい言葉」とそっくりなのか
知りたいような気もしますが

この囃子自体はそれほど難解だとは思えません。
Posted by たるー at 2009年07月12日 21:14
牧志徳氏による「インドネシアのマタハリ神説」でしょうか?
その説では私も本人を論破しましたが、宮良康正先生にも論破され、仲宗根幸市先生にも論破された説だと記憶しています。
Posted by くがなー at 2012年01月28日 22:10
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。