2007年07月29日
宮古根~ハンタ原 (嘉手苅林昌)
宮古根 ハンタ原
なーくにー はんたばる
naakunii haNtabaru
マルフクレコード「ナークニー大会」より
歌三線 嘉手苅林昌
(宮古根)
1、東方でもの 唄や負けやびみ 弾きみそり里前のせてさびら
'あがりかたでむぬ 'うたやまきやびみ ふぃちみそり さとぅめ ぬしてぃさびら
'agarikatademunu 'uta ya makiyabimi hwichi misori satume nushiti sabira
○東方であるから 唄は負けはしますか? 弾いてください貴方 (唄を)のせてください
語句・まきやびみ 負けはしますか? <まきやびーみ<まきゆん(負ける)+や(は)+あびーん(・・ます)の疑問文 毛遊びの時代、歌勝負(うたすーぶ)で、出身の村(東や西)で競い合った様子と思われる。
2、東方唄小 ちりちみの清らさ 西方の唄は眺め清らさ
'あがりかた'うたぐわ ちりちみぬちゅらさ 'いりかたぬ'うたや ながみぢゅらさ
'agarikata 'utagwa chirichimi nu churasa 'irikata nu 'uta ya nagamijurasa
○東方(の)唄(は)ちりちみ(不明)が美しいことよ! 西方の唄は眺め(が)美しいことよ!
語句・ちりちみ 不明 「ちりちみ」は 切り詰め の意味。しかし「唄が“切り詰め”が美しい」とはどういう意味かわからない。「切れ」の良さということか?また「連れ」「爪」とも受け取れる。・ながみ 眺め 「唄の眺めがよい」というのはどういう意味か。歌う姿を褒めたものか?
3、月や馬の走い 年や飛び車 4、5年のたびや夢の心地
とぅしや'んまぬはい とぅしやとぅびぐるま しぐにんぬたびや'いみぬくくち
tushi ya 'Nma nu hai tushi ya tubiguruma shiguniN nu tabi ya 'imi nu kukuchi
○月(日)は馬の走り(のように早く) 年(月)は飛ぶ車(馬車) 4、5年の旅は夢のようなもの
語句・くくち 心地 これでも意味は通じるが、琉歌では「・・心」を「・・のようだ」という比喩を意味する場合につかうことが多い。(参考 夫婦船)それで 夢のようなもの と訳した。
(ハンタ原)
1、ハンタ原胡弓小 音高さ胡弓小 夜中から後ど響く胡弓小
はんたばるくちょぐわ 'うとぅだかさくちょぐわ ゆなかから'あとぅどふぃびくくちょぐわ
haNtabaru kuchogwa 'utu dakasa kuchogwa yunaka kara 'atudu hwibiku kuchogwa
○ハンタ原(の)胡弓(は)音(が)よく響く胡弓(だ) 夜中から後(に)こそ響く胡弓(だ)
語句・はんたばる 場所の特定は不明 「はんた」は崖(のふち)の意。「はる」は畑。「険しい高地の畑」(琉)とある。関係はないと思うが、もうひとつ「はんた」には「繁多」つまり多忙の意味もある。そういわれると三線の手は「忙しい」(笑)・くちょ 胡弓 kuuchoo くーちょーと発音するが琉歌の字数制限のため短縮し「くちょkucho」2文字になっていることは注意。「中国から伝来したものを琉球化した3絃楽器」(琉)
2、与那原の馬車やすんきわど歩む 屋比久自転車や乗りば走いしぇ
ゆなばるぬばさやすんきわどぅ'あゆむ やびくじてんさや ぬりばはいしぇ
yunabaru nu basa ya suNkiwa du 'ayumu yabiku jitiNsa ya nuriba haisye
○与那原の馬車は引っぱればこそ歩む 屋比久(の)自転車は乗れば走るのだよ
語句・ゆなばるぬばさ 与那原の馬車 「与那原馬車すんちゃー」(yunabaru basya suNchaa)で「与那原の馬車業者〔かつて与那原に多かった〕、与那原の卑称」(琉) 馬車は「ばしゃ」または「ばさ」。・すんきわ 引っぱればこそ(引かないと・・しない) <すんちゅん 引っぱる→「ち」が「き」に変化 すんき+ば(→わ 「B」が「W」と交換)+どぅ ・やびく 地名 ・はいしぇ 走るのだよ <はゆん(走る)+し(の、こと)+や(は、だよ) 文中なら「走るのは」となるが、文末なら「走るのだよ」となる。
3、今日は汝達天井小 明日は我達前のあしゃぎんかい恋のまどまどや語れ欲しゃぬ
きゆや'いったてぃんじょぐわ ’あちゃやわっためぬ'あしゃぎんかい くいぬまどぅまどぅや かたれぶしゃぬ
kiyu ya 'itta tiNjogwa 'acha ya watta me nu 'ashagiNkai kui nu madumadu ya katarebushanu
○今日はお前の家の天井(に) 明日はうちの離れに 恋の暇暇(に)は語って遊びたい
語句・いった お前の家の <いったー 'ittaa 「いったー」は「やー」(お前)の複数形だが、ここでは「お前の家」 ・わった うち <わったー 上と同様に「わったー」は「わん」(私)の複数形だが、「自分の家」という意味もある。参考 「いったーあんまーまーかいが」 ・まどぅまどぅ 暇暇 時々
4、はんたぬばがりば 吹きおろす風に伝やい持たちゃしが 届ちぇ居たみ
はんたぬばがりば ふち'うるすかじに 'いやいむたちゃしが とぅどぅちぇうたみ
haNta nubagariba huchi'urusu kaji ni 'iyai mutachashiga tuduche utami
○崖(のふちに)ちょっと顔をだすと 吹き降ろす風に伝言をもたせたが 届いてはいたか?
語句・ぬばがりば ちょっと顔をだすと <ぬばがりゆん ちょっとのぞく 顔をだす 「ぬばがり」と已然形に「ば」が付く場合「・・するので」という意味にもなる。(参考 加那よ「面影ぬ立てぃば」)・いやい ことづて 伝言 ・むたちゃしが 持たせたが <むたしゅん 持たせる の過去形 むたちゃん + しが ・・だが ・とぅどぅちぇうたみ 届いてはいたか? <とぅどぅちゅん 届く + や =とぅどぅちぇー + うん 居る の過去形 うた +み 疑問 か?
なーくにー はんたばる
naakunii haNtabaru
マルフクレコード「ナークニー大会」より
歌三線 嘉手苅林昌
(宮古根)
1、東方でもの 唄や負けやびみ 弾きみそり里前のせてさびら
'あがりかたでむぬ 'うたやまきやびみ ふぃちみそり さとぅめ ぬしてぃさびら
'agarikatademunu 'uta ya makiyabimi hwichi misori satume nushiti sabira
○東方であるから 唄は負けはしますか? 弾いてください貴方 (唄を)のせてください
語句・まきやびみ 負けはしますか? <まきやびーみ<まきゆん(負ける)+や(は)+あびーん(・・ます)の疑問文 毛遊びの時代、歌勝負(うたすーぶ)で、出身の村(東や西)で競い合った様子と思われる。
2、東方唄小 ちりちみの清らさ 西方の唄は眺め清らさ
'あがりかた'うたぐわ ちりちみぬちゅらさ 'いりかたぬ'うたや ながみぢゅらさ
'agarikata 'utagwa chirichimi nu churasa 'irikata nu 'uta ya nagamijurasa
○東方(の)唄(は)ちりちみ(不明)が美しいことよ! 西方の唄は眺め(が)美しいことよ!
語句・ちりちみ 不明 「ちりちみ」は 切り詰め の意味。しかし「唄が“切り詰め”が美しい」とはどういう意味かわからない。「切れ」の良さということか?また「連れ」「爪」とも受け取れる。・ながみ 眺め 「唄の眺めがよい」というのはどういう意味か。歌う姿を褒めたものか?
3、月や馬の走い 年や飛び車 4、5年のたびや夢の心地
とぅしや'んまぬはい とぅしやとぅびぐるま しぐにんぬたびや'いみぬくくち
tushi ya 'Nma nu hai tushi ya tubiguruma shiguniN nu tabi ya 'imi nu kukuchi
○月(日)は馬の走り(のように早く) 年(月)は飛ぶ車(馬車) 4、5年の旅は夢のようなもの
語句・くくち 心地 これでも意味は通じるが、琉歌では「・・心」を「・・のようだ」という比喩を意味する場合につかうことが多い。(参考 夫婦船)それで 夢のようなもの と訳した。
(ハンタ原)
1、ハンタ原胡弓小 音高さ胡弓小 夜中から後ど響く胡弓小
はんたばるくちょぐわ 'うとぅだかさくちょぐわ ゆなかから'あとぅどふぃびくくちょぐわ
haNtabaru kuchogwa 'utu dakasa kuchogwa yunaka kara 'atudu hwibiku kuchogwa
○ハンタ原(の)胡弓(は)音(が)よく響く胡弓(だ) 夜中から後(に)こそ響く胡弓(だ)
語句・はんたばる 場所の特定は不明 「はんた」は崖(のふち)の意。「はる」は畑。「険しい高地の畑」(琉)とある。関係はないと思うが、もうひとつ「はんた」には「繁多」つまり多忙の意味もある。そういわれると三線の手は「忙しい」(笑)・くちょ 胡弓 kuuchoo くーちょーと発音するが琉歌の字数制限のため短縮し「くちょkucho」2文字になっていることは注意。「中国から伝来したものを琉球化した3絃楽器」(琉)
2、与那原の馬車やすんきわど歩む 屋比久自転車や乗りば走いしぇ
ゆなばるぬばさやすんきわどぅ'あゆむ やびくじてんさや ぬりばはいしぇ
yunabaru nu basa ya suNkiwa du 'ayumu yabiku jitiNsa ya nuriba haisye
○与那原の馬車は引っぱればこそ歩む 屋比久(の)自転車は乗れば走るのだよ
語句・ゆなばるぬばさ 与那原の馬車 「与那原馬車すんちゃー」(yunabaru basya suNchaa)で「与那原の馬車業者〔かつて与那原に多かった〕、与那原の卑称」(琉) 馬車は「ばしゃ」または「ばさ」。・すんきわ 引っぱればこそ(引かないと・・しない) <すんちゅん 引っぱる→「ち」が「き」に変化 すんき+ば(→わ 「B」が「W」と交換)+どぅ ・やびく 地名 ・はいしぇ 走るのだよ <はゆん(走る)+し(の、こと)+や(は、だよ) 文中なら「走るのは」となるが、文末なら「走るのだよ」となる。
3、今日は汝達天井小 明日は我達前のあしゃぎんかい恋のまどまどや語れ欲しゃぬ
きゆや'いったてぃんじょぐわ ’あちゃやわっためぬ'あしゃぎんかい くいぬまどぅまどぅや かたれぶしゃぬ
kiyu ya 'itta tiNjogwa 'acha ya watta me nu 'ashagiNkai kui nu madumadu ya katarebushanu
○今日はお前の家の天井(に) 明日はうちの離れに 恋の暇暇(に)は語って遊びたい
語句・いった お前の家の <いったー 'ittaa 「いったー」は「やー」(お前)の複数形だが、ここでは「お前の家」 ・わった うち <わったー 上と同様に「わったー」は「わん」(私)の複数形だが、「自分の家」という意味もある。参考 「いったーあんまーまーかいが」 ・まどぅまどぅ 暇暇 時々
4、はんたぬばがりば 吹きおろす風に伝やい持たちゃしが 届ちぇ居たみ
はんたぬばがりば ふち'うるすかじに 'いやいむたちゃしが とぅどぅちぇうたみ
haNta nubagariba huchi'urusu kaji ni 'iyai mutachashiga tuduche utami
○崖(のふちに)ちょっと顔をだすと 吹き降ろす風に伝言をもたせたが 届いてはいたか?
語句・ぬばがりば ちょっと顔をだすと <ぬばがりゆん ちょっとのぞく 顔をだす 「ぬばがり」と已然形に「ば」が付く場合「・・するので」という意味にもなる。(参考 加那よ「面影ぬ立てぃば」)・いやい ことづて 伝言 ・むたちゃしが 持たせたが <むたしゅん 持たせる の過去形 むたちゃん + しが ・・だが ・とぅどぅちぇうたみ 届いてはいたか? <とぅどぅちゅん 届く + や =とぅどぅちぇー + うん 居る の過去形 うた +み 疑問 か?
マルフクレコード「ナークニー大会」シリーズ第2弾。
ナークニーの数々、それへのチラシの数々を勉強したくて
そのテープに収録されている曲をいくつかとりあげていく。
宮古根にも様々あって、その歌い手の名前が頭につく。
「ウチナーのうた」における知名定男さんによると
冨原、山内などのほかに座喜味やん坊、輝忠などがあるが
「嘉手苅ナークニー」とは言わないそうだ。
なぜなら、「その都度まったく耳新しい、型を持たない生き生きしたナークニーを歌うから」
(同上)だそうだ。
なるほど、と思う。
しかし知名定男さん自身も、あるコンサートで
「歌うたびに先輩たちの声が聞こえて自分の宮古根が歌えない。」
ほど自分の宮古根を持つことは難しいという。
そうだろう。
と、未熟者の私が言うのはおかしいが
ほんのちょっとかじった宮古根も、日々変化するし、
思いを乗せるということが、楽しいのだが難しい。
人間の気持ちは日々変わる。それを乗せる「船」宮古根が
まるで映画のトランスフォーマーのように形が変わるというのは当然だし
それに対応する力量は相当の年数が必要だろう。
知名定男さんが歌う宮古根には、この嘉手苅林昌さんの歌詞を使う場合がある。
しかし、ハンタ原の手は、せい小さんとも林昌さんとも違う。
さて、歌詞。
はんた原。
2番。
たしか林昌さんは馬車引きを長年やっていたようだ。
すんきわど、の意味がわからなかった。
辞書に「すんちゅん」があるのを見逃していた。
すんちばどぅ(引っ張ればこそ)→すんきわどぅ
つまり与那原の馬は引っ張らないと歩かない、しかも走るのではないほどだ、と。
3番
8886の句のうち、2番目の8には、なんと
あ/ちゃ/や/わっ/た/め/ぬ/あ/しゃ/ぎ/ん/か/い/
13文字をはめ込まないといけない。
つまり早口で歌う。
それがユーモラスだ。
4番
参考までに以下の琉歌をのせる。
真北おす風や わが言遣りともれ 真南風や無蔵が言遣りとおもら
まにし'うすかじや わが'いやりとぅむり まふぇかじや んぞが'いやりとぅむら
○真北のそよ風は私の伝言と思ってくれ 南風は貴女の伝言と思おう
携帯もない時代、風にまで思いを乗せる。
心が自然と一体である意味、豊かな時代とも言えまいか。
ナークニーの数々、それへのチラシの数々を勉強したくて
そのテープに収録されている曲をいくつかとりあげていく。
宮古根にも様々あって、その歌い手の名前が頭につく。
「ウチナーのうた」における知名定男さんによると
冨原、山内などのほかに座喜味やん坊、輝忠などがあるが
「嘉手苅ナークニー」とは言わないそうだ。
なぜなら、「その都度まったく耳新しい、型を持たない生き生きしたナークニーを歌うから」
(同上)だそうだ。
なるほど、と思う。
しかし知名定男さん自身も、あるコンサートで
「歌うたびに先輩たちの声が聞こえて自分の宮古根が歌えない。」
ほど自分の宮古根を持つことは難しいという。
そうだろう。
と、未熟者の私が言うのはおかしいが
ほんのちょっとかじった宮古根も、日々変化するし、
思いを乗せるということが、楽しいのだが難しい。
人間の気持ちは日々変わる。それを乗せる「船」宮古根が
まるで映画のトランスフォーマーのように形が変わるというのは当然だし
それに対応する力量は相当の年数が必要だろう。
知名定男さんが歌う宮古根には、この嘉手苅林昌さんの歌詞を使う場合がある。
しかし、ハンタ原の手は、せい小さんとも林昌さんとも違う。
さて、歌詞。
はんた原。
2番。
たしか林昌さんは馬車引きを長年やっていたようだ。
すんきわど、の意味がわからなかった。
辞書に「すんちゅん」があるのを見逃していた。
すんちばどぅ(引っ張ればこそ)→すんきわどぅ
つまり与那原の馬は引っ張らないと歩かない、しかも走るのではないほどだ、と。
3番
8886の句のうち、2番目の8には、なんと
あ/ちゃ/や/わっ/た/め/ぬ/あ/しゃ/ぎ/ん/か/い/
13文字をはめ込まないといけない。
つまり早口で歌う。
それがユーモラスだ。
4番
参考までに以下の琉歌をのせる。
真北おす風や わが言遣りともれ 真南風や無蔵が言遣りとおもら
まにし'うすかじや わが'いやりとぅむり まふぇかじや んぞが'いやりとぅむら
○真北のそよ風は私の伝言と思ってくれ 南風は貴女の伝言と思おう
携帯もない時代、風にまで思いを乗せる。
心が自然と一体である意味、豊かな時代とも言えまいか。
Posted by たる一 at 10:58│Comments(6)
│な行
この記事へのコメント
初めまして!僕は琉球民謡協会関東支部知念栄に師事し、東京や沖縄で民謡のライブ活動などをしている西村豪と申します。いつも拝見させていただいてまして、大変勉強になっています。ありがとうございます!!
ハンタ原の2番の『与那原の馬車~』の件なんですが、うちの師匠があれは与那原と屋比久の女性を例えていると聞きました。与那原の馬車と屋比久自転車は尻軽い女性(?)か何かそんな意味を乗り物例えているみたいです。だから「すんきわ」には何かそんな意味がはいるのかも(笑)毛遊び曲の中によく出てくる裏のちょっとHな意味合いですかね(笑)
ハンタバルの最後のハヤシの「ケッケレうっとぅばち~」ってのも裏の意味はちょっとHな意味が入ってるみたいですしね♪昔の人の言葉遊びは素敵ですよね(笑)
これからもちょくちょくお世話になりますがよろしくお願いします<m(__)m>
ハンタ原の2番の『与那原の馬車~』の件なんですが、うちの師匠があれは与那原と屋比久の女性を例えていると聞きました。与那原の馬車と屋比久自転車は尻軽い女性(?)か何かそんな意味を乗り物例えているみたいです。だから「すんきわ」には何かそんな意味がはいるのかも(笑)毛遊び曲の中によく出てくる裏のちょっとHな意味合いですかね(笑)
ハンタバルの最後のハヤシの「ケッケレうっとぅばち~」ってのも裏の意味はちょっとHな意味が入ってるみたいですしね♪昔の人の言葉遊びは素敵ですよね(笑)
これからもちょくちょくお世話になりますがよろしくお願いします<m(__)m>
Posted by 西村 豪 at 2007年08月04日 01:32
西村 豪さん
はじめまして。
いつもみていただいているなんてうれしいです。
与那原の馬車・・のお話紹介してくれて、ありがたいです。
辞書で訳すだけでは見えない歌の背後にある意味。
歌者だけがわかる陰語。
面白いですよねえ。
はんた原の最後に歌う
ケッケレバ ウットゥバチ
ソーミナグワ カッチカディ
オーヌヤマ フィグドゥヤル
も
辞書的に訳すと
ちょっと蹴れば すっとばし
メジロ ひっつかんで
奥武山(の)ヘゴであるぞ
なんのことかさっぱり(笑)
それにセー小さんは
最後を
ヤル ヒグドゥ オーヌヤマ
と逆に歌われます。
ますます意味不明。
しかし面白い、素敵ですね。
こちらこそ、これからもよろしくです。
はじめまして。
いつもみていただいているなんてうれしいです。
与那原の馬車・・のお話紹介してくれて、ありがたいです。
辞書で訳すだけでは見えない歌の背後にある意味。
歌者だけがわかる陰語。
面白いですよねえ。
はんた原の最後に歌う
ケッケレバ ウットゥバチ
ソーミナグワ カッチカディ
オーヌヤマ フィグドゥヤル
も
辞書的に訳すと
ちょっと蹴れば すっとばし
メジロ ひっつかんで
奥武山(の)ヘゴであるぞ
なんのことかさっぱり(笑)
それにセー小さんは
最後を
ヤル ヒグドゥ オーヌヤマ
と逆に歌われます。
ますます意味不明。
しかし面白い、素敵ですね。
こちらこそ、これからもよろしくです。
Posted by せきひろし at 2007年08月06日 08:14
おはようございます。
なんだか最近ナークニーをよく聞いています。
未だに、曲の節回しが捉え切れていないのですが、このごろやっと面白い曲だなぁと思ってきました。
興味のある今がはじめ時ですかね・・・。
先日、セイ小先生がナークニーを歌っている動画サイトをみつけました。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=dJ5Lv7kodF4
セイ小先生らしい遊び心に溢れた歌で、あまり意味はわからないながらも大笑いしてしまいました。
なんだか最近ナークニーをよく聞いています。
未だに、曲の節回しが捉え切れていないのですが、このごろやっと面白い曲だなぁと思ってきました。
興味のある今がはじめ時ですかね・・・。
先日、セイ小先生がナークニーを歌っている動画サイトをみつけました。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=dJ5Lv7kodF4
セイ小先生らしい遊び心に溢れた歌で、あまり意味はわからないながらも大笑いしてしまいました。
Posted by POCHI at 2007年08月10日 07:05
POCHIさん
動画のサイト、これがあの有名な「ユーチューブ」なんですね。
ぜひナークニーはじめてください。
ここでも、これからもいろいろなナークニーの歌詞を
とりあげていくつもりですから。
そこで西村豪さんの歌うお姿も拝見しました。
ナークニー、ヤンバル汀間と、はんた原上等ですね!
おみごと!
さて、訂正と発見。
はんた原の
ケッケレバ はケッケレ小(グワ)ですね。
それから
スンキワド がわかりました。
辞書の見落とし。
すんきわどぅ<すんちばどぅ<すんちゅん(ひっぱる)+わ<ば+どぅ
ち→き 拗音化
ば→わ WとBの入れ替わり
つまり ひっぱればこそ
与那原の馬車はひっぱればこそ歩く→ひっぱらないと歩かない
動画のサイト、これがあの有名な「ユーチューブ」なんですね。
ぜひナークニーはじめてください。
ここでも、これからもいろいろなナークニーの歌詞を
とりあげていくつもりですから。
そこで西村豪さんの歌うお姿も拝見しました。
ナークニー、ヤンバル汀間と、はんた原上等ですね!
おみごと!
さて、訂正と発見。
はんた原の
ケッケレバ はケッケレ小(グワ)ですね。
それから
スンキワド がわかりました。
辞書の見落とし。
すんきわどぅ<すんちばどぅ<すんちゅん(ひっぱる)+わ<ば+どぅ
ち→き 拗音化
ば→わ WとBの入れ替わり
つまり ひっぱればこそ
与那原の馬車はひっぱればこそ歩く→ひっぱらないと歩かない
Posted by せきひろし at 2007年08月11日 08:19
「ユーチューブ」には貴重な画像が沢山あって興味深いですよね。
私も西村さんの歌うお姿、拝見しました。
素晴らしいです!
私事ですが8月25日に初めてソロでミニライブをやらせて貰う事になりました。
それが終わったらナークニーも練習してみたいと思ってます。
ところで質問なのですが、チラシのヤンバル汀間と、はんた原ってどういう風に使い分けるのでしょうか?
ナークニーの歌詞の内容にもよるのでしょうか?
私も西村さんの歌うお姿、拝見しました。
素晴らしいです!
私事ですが8月25日に初めてソロでミニライブをやらせて貰う事になりました。
それが終わったらナークニーも練習してみたいと思ってます。
ところで質問なのですが、チラシのヤンバル汀間と、はんた原ってどういう風に使い分けるのでしょうか?
ナークニーの歌詞の内容にもよるのでしょうか?
Posted by POCHI at 2007年08月14日 08:32
POCHIさん
ソロライブ、がんばってくださいね。
ヤンバル汀間と、はんた原の使い分け、
はっきり言って決まりはないと思います。
いわれるように、
宮古根が情け歌なら、チラシもそういう内容で
ヤンバル・・でもはんた・・でもいいと思います。
しっとりした恋の歌ならヤンバル・・のほうが歌いやすいとか
ちょっとこっけいな恋ならはんた・・とかいうように。
宮古根~ヤンバル汀間と~はんた原、という3連ちゃんも
面白いのではないでしょうか。
歌者は自分の好きな歌詞があって、その組み合わせを
いくつものパターンでもっているようですね。
ソロライブ、がんばってくださいね。
ヤンバル汀間と、はんた原の使い分け、
はっきり言って決まりはないと思います。
いわれるように、
宮古根が情け歌なら、チラシもそういう内容で
ヤンバル・・でもはんた・・でもいいと思います。
しっとりした恋の歌ならヤンバル・・のほうが歌いやすいとか
ちょっとこっけいな恋ならはんた・・とかいうように。
宮古根~ヤンバル汀間と~はんた原、という3連ちゃんも
面白いのではないでしょうか。
歌者は自分の好きな歌詞があって、その組み合わせを
いくつものパターンでもっているようですね。
Posted by せきひろし(たるー) at 2007年08月15日 06:53
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