2015年03月17日

とーがにあやぐ

とうがにあやぐ
とーがにあやぐ
toogani 'ayagu
語句・とーがに 「トーガニアーグ、単にタウガニともいう。対語が『いちゅに(糸音)で、妙なる絹糸の音を意味する。妙なる唐の音という意味であろう。宮古の抒情的歌謡の一ジャンル名。不定形短詩形歌謡。奄美の島唄、沖縄の琉歌、八重山のトゥバラーマに相当する。』」《「宮古の歌謡」新里幸昭著 》(以下【歌謡】と省略。)
「とーがに」については不明。伝承では「中国から来たカニという青年」つまり「唐ガニ」からというのもある(「島うた紀行」第三集。仲宗根幸市編著)。「とぅーがに」 と発音される方もいるが「とーがに」であろう。・あやぐ 「あやぐ」は「美しい言葉」つまり「うた」。「[綾言〔あやごと〕美しく妙なる詞]あやぐ〔宮古島の伝統歌謡〕aaguとも;Toogani 'ayaguなど」【琉球語辞典】(半田一郎著)。



《歌詞の表記は「解説付(改訂版)宮古民謡集 平良重信著」を参考にした。》
《発音についてはCD「生命(いのち)燃えるうた 沖縄2001⑥宮古諸島編(2)八重山諸島編」の「トーガニ」国吉源次さんの音源を参考にした。 》



【御主が世】
(うしゅーがゆー)

大世照らし居す゜まてだだき国ぬ国々島ぬ島々 輝り上がり覆いよ 我がやぐみ御主が世や根岩どうだらよ
うぷゆーてぃら しゅーずぃ まてぃだだき くにぬ くにぐにすぃまぬ すぃまずぃま てぃりゃあがり うすいよ ばがやぐみ うしゅがゆーや にびしどぅだらよ
'upuyuu tirashuuzï matida daki kuni nu kuniguni shïmazïma tiryagari 'usui yoo baga ya gumi 'ushu ga yuu ya nibishi du dara yoo
大豊作を照らされておられる太陽のように国々や島々を照り上がって覆いください 私たちが恐れ多い御主のもたらす大豊饒は神聖な場所の岩のようなものだ
語句・うぷゆー 大豊作。「うふゆー」として【歌謡】には「大豊年。大豊作。『うふ』は大、『ゆー』は果報、幸、豊穣などの意味。『うぷゆー』ともいう。対語『てぃだゆー(太陽世)』」「ゆー」を「世」や「代」と当字をして「世界」とか「代(よ)」という意味に直結しがちだが、この「ゆー」は「豊穣。五穀豊穣だけでなく、人々のすべての幸せをさす。」【歌謡】という点に注意したい。・ 「ほんとうの、まことの、の意味を添える接頭美称辞。」【歌謡】。・てぃだ 太陽。本島の「てぃーだ」に対応。・だき 「〜のように」【歌謡】。・てぃりゃあがり (太陽が)照り上がり。宮古の民謡「子守唄」に「島うすいうい照りや上がり 国やうすい照り上がり」とあり、その子が成長して人々から尊敬される拝まれる存在になってほしい、という願いの表現にも使われる。「照り上がる」ものは「太陽」といいつつも、人々に幸せや五穀豊穣をもたらす「神」や「支配者」という意味と重ねることもできる。・やぐみ「恐れ多いこと。恐れ多い神。畏敬の神。」【歌謡】。・うしゅがゆー 支配者がもたらす豊穣、幸。上にも見たがあくまで人々に幸せをもたらす支配者という意味であり、「御主が世」や「御主が代」というような単なる支配者崇拝ではない。・にびし 「にびし」の「にー」は「植物の根」という意味で普通受け止められて、「根の生えた岩」(「宮古民謡集」平良重信)と訳されることが多い。それは間違いとは言えないが、「にー」とは「植物の根」以外の「元」(むとぅ)つまり「祖先」や「部落の最初の家」「移住する前の村」などの意味に使われることも少なくない。例えば歌で「にーぬしま」(根の島)とは「部落創始の時の村落。現村落に発展してきた以前の元部落。現在は神聖な祭場になっている」【歌謡】とあるように、神聖な場所を表す。「びし」は単なる「岩」ではなく「びしシ」(座石)「据え石、礎石」【歌謡】とあるように土台となる石である。したがって「神聖な場所にある岩」と理解したい。「とーがにあやぐ」では「結婚祝」の歌詞に「根岩」(にびし)と「根ぬ家」(にぬや)を対句としたものがある事も留意したい。



【宮古のあやぐ】
(みゃーくぬあやぐ、又は みゃーくぬあーぐ)

春ぬ梯梧ぬ花ぬ如ん 宮古ぬあやぐやすうに島 糸音ぬあてかぎりやよ 親国がみまい 下島がみまいとゆましみゅでぃよ
はるぬでいぐぬ ぱなぬにゃんみゃーくぬ あやぐやすにずぃま いちゅにーぬ あてぃかぎかりゃよ うやぐにがみまい すむずぃまがみまい とぅゆましみゅでぃよ
haru nu deigu nu pana nu nyaN myaaku nu 'ayagu ya sunizïma 'ichunii nu 'atikagikarya yoo 'uyaguni gamimai sumujïma gamimai tuyumashi myudi yoo
春のデイゴの花のように宮古の唄は 宗根島(宮古島の古い呼称)の唄はあまりにも美しいから 沖縄本島までも 八重山諸島までも響かせて(有名にして)みよう
語句・にゃん 如く。・いちゅに 「絹糸の音。妙なる調べ。『いちゅ』は絹糸、『に』は音色、調べ。対語『あやぐ(綾言)』」【歌謡】。・あてぃ とても。非常に。「あてぃぬ」について「あまりに。とても。」【歌謡】。・かぎ 「美しさ、立派さ」【歌謡】。・うやぐに 沖縄本島。首里王府のある島を指す。「うや」とは「父親。族長的な人物」【歌謡】を指す。・がみ 「副助詞『まで』」【歌謡】。・すむずぃま 八重山諸島。「すむやーま」は「八重山の離島、特に波照間をさす。」【歌謡】。・とぅゆまし 名声をあげて。鳴響いて。




【これまでの経緯】

昨年、「あやぐ節」にでてくる「仮屋」跡が那覇市内にあることを知り、そこを訪れた。

そして歌詞を調べるうちに、この「あやぐ節」という曲がどこから来ているのかに興味をもった。

このブログで「あやぐ節」、「宮古のあやぐ」と見ていくうちに、この歌の系譜が実は「ナークニー」や「とーがにあやぐ」などと深い関係にあることがわかってきた。

歌詞だけでなく音階にも、唄の構成にも深い共通性があることもわかってきた。

それで、「あやぐ節」、「宮古のあやぐ」に続いて、
本島の「トウカニー節」そして「トーガニー」、
八重山の「とーがにすぃざ節」
まで見てきた。

この後は、「宮古民謡中の名歌」(平良重信氏)とまでいわれる「とーがにあやぐ」を見るしかないのだが、古語を使ったこのあやぐの解説など自力でできるわけもない事に気付き、途方に暮れていた。

出会ったのが「宮古の歌謡」新里幸昭著である。

この本には宮古歌謡語辞典というものが付いている。

語り言葉としての宮古語辞典は他の辞書に比べ少ないとはいえ有るのではあるが、古謡には歯が立たない。

それで今回この本に大いにお世話になりながら「とーがにあやぐ」の歌詞を一部読み解いてみることにした。

【「御主が世」の「ゆー」の捉え方 】

「御主が世」という座開きなどで唄われる歌詞を見ると、宮古島の支配者や神を讃える歌という解説が多い

「ゆー」の捉え方には「豊穣。五穀豊穣だけでなく、人々のすべての幸せをさす。」と「宮古の歌謡」(新里幸昭著)の「宮古歌謡辞典」にある。

この点からこの歌の意味を捉え返すという必要性を強く感じた。

この「ゆー」の理解がないと、単なる「支配者崇拝」という理解に留まる。

人々の「願い」、「祈り」が太陽のように豊穣をもたらす支配者に望むことがウタとして昇華したものではないだろうか。


【根岩の解釈】

次に気になるキーワードは「根岩」(にびし)だ。

上の《語句》の所にも書いて繰り返しになるが、「にびし」の「にー」は「植物の根」という意味で普通受け止められて、「根の生えた岩」(「宮古民謡集」平良重信)と訳されることが多い。あるいは、根が絡みついた岩、というような理解が多く見られる。

それは間違いとは言えない。分かりやすさを重視し、比喩を具体的に用いようとすれば、そういう表現にもなるだろう。

ただ、「にー」とは「植物の根」以外の「元」(むとぅ)、つまり「祖先」や「部落の最初の家」「移住する前の村」などの意味に使われることも少なくない。

例えば歌で「にーぬしま」(根の島)とは「部落創始の時の村落。現村落に発展してきた以前の元部落。現在は神聖な祭場になっている」【歌謡】とあるように、神聖な場所を表す。

「びし」は単なる「岩」ではなく「びしシ」(座石)「据え石、礎石」【歌謡】とあるように土台となる石である。

したがって「神聖な場所にある岩」と理解したい。
人々の祖先が昔住み、今は聖地となった場所にある岩を指すのではないか。

次に見るように「とーがにあやぐ」で「結婚祝」で唄われる歌詞に「根岩」(にびし)と「根ぬ家」(にぬや)を対句としたものがある事はとても重要だと思う。

《結婚祝》
此ぬ大家や根岩ぬ如ん 昔からぬ あらうからぬ根ぬ家どぅやりやよ 夫婦根やふみ 島とぅなぎぱやからまちよ
(くぬうぷやーきーや にびしぬにゃん んけやんからぬ あらうからぬ にーぬやーどぅやりやよー みうとぅにーやふみすまとぅなぎぱやからまちよー)
この家柄は根岩の如く 昔からの あの世からの元々の家であるから 夫婦の元を大事にし島のある限り栄えてください

注意して頂きたいのは、「とーがにあやぐ」の「御主が世」のこれまでの解釈に私が反対意見を述べているわけではない。

宮古島に住む人々にとって「ゆー」の理解や「根岩」の使い方はいわば当たり前なのでくどくどと説明していないだけであろう。

むしろ私たちが宮古の古謡に体現された宮古の人々が昔から積み上げてきた力強い精神世界の豊かさをもっと勉強すべき、と感じるばかりである。


【とーがにあやぐの「宮古のあやぐ」】

春ぬ梯梧ぬ花ぬ如ん 宮古ぬあやぐやすうに島 糸音ぬあてかぎりやよ 親国がみまい 下島がみまいとゆましみゅでぃよ

という歌詞は八重山の「とーがにすぃざ節」の一番
とーがにすぃざ 宮古ぬ清ら島からどぅ 出でぃだる とーがにすぃざよ 沖縄から八重山迄ん流行りたる とーがにすぃざよ
に継承されている。
「春のデイゴ。。」は脱落しているが。

さらに本島で好んで今でも唄われている「トーガニー」にも
一、トーガニスーザーや 宮古ぬ美ら島から流行りるトーガニスーザーよ 沖縄ぬ先から宮古ぬ先までぃ流行りるトーガニスーザーよ
と継承されている。
ここでは「八重山」が「宮古」に変化しているのだが。

この歌詞の変化を見るとき

とーがにあやぐ→とーがにすぃざ節→トーガニー

という歌詞の継承と変化を感じるのは私だけだろうか。


これらの曲と唄のメロディーの共通性と変化についてはまた後にふれたい。

《参考文献》

▲「宮古の歌謡」新里幸昭著 。「宮古歌謡語辞典」が後半にある。
古謡に使われる言葉を集めたもので古謡の理解には非常に役に立つ。


▲「解説付き 宮古民謡集」 平良重信著。「宮古方言の手引き」も付いている。



【このブログが本になりました!】


書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
  

Posted by たる一 at 11:14Comments(0)宮古島民謡

2014年12月17日

宮古のあやぐ(宮古民謡)

宮古のあやぐ
みやくぬあやぐ
miyaku nu 'ayagu

(「宮古民謡工工四」與儀栄巧編から)


一、道ぬ美らさや假屋ぬ前 あやぐぬ美らさや宮古ぬあやぐ イラヨーマーヌユー 宮古ぬあやぐ エンヤラスゥリ
みちぬちゅらさや かいやぬめー あやぐぬちゅらさやみやくぬあやぐ [いらよーまーぬゆー みやくぬあやぐ えんらやすーり]
michi nu churasa ya kaiya nu mee 'ayagu nu churasa ya miyaku nu 'ayagu ['ira yoo maa nu yuu miyaku nu 'ayagu]
([ ]は囃子言葉。以下省略)
道が美しいのは仮屋(薩摩藩在番奉行所の事)の前。歌が美しいのは宮古の歌だ。
(詳細は「あやぐ節」を参照)



二、宮古女ぬ心情深さ 池間岬巡るまでん ただ立ちどうし
みやくいなぐぬちむぶかさ いきまざきみぐるまでぃん ただたちどーし
miyaku yinagu chimi bukasa 'ikimazaki migurumadiN tada tachidooshi
宮古女は思い遣りの深いことだ!池間岬を巡るまでもずっと立ち通しだ
語句・ ちむ
「心。心情。情。」【沖縄語辞典(国立国語研究所)】(以下【沖辞】と略)。・ふかさ なんと深いことよ!形容詞が「さ」で終わる時は感嘆の表現。・いきまざき この工工四には「いけまざき」とフリガナがあるが沖縄でも宮古でも「いきま」または「いちま」が「池間」の呼称だろう。この岬が「西平安名崎」を指しているのか、どこなのかは不明。「平安名崎」は、東も西も昔は「ピャウナザキ」と呼んだ(「地名を歩く」南島地名研究センター編著)。ちなみに「根間の主」には「池間岬(イキマザキ)」が出てくる。


三、沖縄参ば沖縄の主 うてんだぬ水やあみさますうなよ ばんた女童香ぬうてばやりやよ
うきぃなんまゃばうきぃなぬしゅ うてぃんだぬみじや あみさますなよ ばんたがみやらびかざぬうてぃばやりやよ
'ukïnaa 'Nmyaba ukïnaa nu shu 'utiNda nu miji ya 'amisamasuna yoo baNta miyarabi kaza nu 'utiba yariya yoo
沖縄へ参られたら沖縄の貴方、落平の水は浴びないで。私たち娘たちの香りが落ちれば(私たちの恋は)破れるだろうからね
語句・うてぃんだ 那覇にある。こちらも「あやぐ節」参照。・やりやよ 破れるだろうからね。<やり。破れる。+や。<やん。である。+よー。ねえ。



「島うた紀行」(仲宗根幸市編著)の「〈第2集〉八重山諸島 宮古諸島」にはこの歌はない。

「宮古民謡工工四」(與儀栄巧編)にある「宮古のあやぐ」。

その解説にはこうある。

「今から五、六十年前は帆船で旅したものである。沖縄本島から宮古に来る場合は北風の節(九月十月頃)に来て翌年の三月四月頃南風が押すまで滞在するので船員たちは宮古で女を探していたものである。そしてその間情けをかけ交わした彼女達との別れの時が来ると船員たちは、沖縄に帰っても私たちのことを忘れないでくださいと歌ったものである。(歌詞一、二番は沖縄の主が歌ったもので、三番は宮古の女が歌ったものである)」

確かに一、二番はウチナーグチ(首里語)であり、三番は発音、語句には宮古語が使われている。

二番の歌詞が独自で、本島のものにはない。

曲ー工工四は「あやぐ節」とほぼ同じといっても良い。

これは二揚げ。「あやぐ節」は三下げで歌われることが多いが、二揚げのものもある。

曲が本島の「あやぐ節」とほぼ同じことから、宮古民謡の古謡「トーガニアヤグ」を元に本島で作られ流行った「あやぐ節」がまた宮古島に逆輸入され、二番が加えられたのではないかと推測する。

トーガニアヤグ→本島の「あやぐ節」→「宮古のあやぐ」(宮古民謡)。

次回は、「あやぐ節」、この「宮古のあやぐ」の本歌と言われる本島の「トウカニー節」を見る。







【このブログが本になりました!】


書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
  

Posted by たる一 at 10:04Comments(0)ま行宮古島民謡

2014年09月17日

中立ぬミガガマ

中立のみが小
なかだてぃぬみががま
nakadati nu migagama
中立部落のミガ小(女性の名)の歌
語句・なかだてぃ 宮古島の「城辺町砂川の南側にあった部落」(「島うた紀行」第二集 宮古・八重山諸島編 仲宗根幸市 より)・みががま ミガちゃん。あるいはミガ小。「がま」は沖縄本島の「小」(ぐゎー)に対応。(参照)「漲水のクイチャー」


一、中立ぬみががまよ(ササ)原立ぬどぅぬすみゃよ (デンヨー デンヨー シトゥルクデン ササ シターリヨーヌ ユイヤナ)
なかだてぃぬ みががまよ(ささ)ぱるだてぃぬ どぅぬすみゃよ (でんよー でんよーしとぅるくでん ささ したーりよーぬ ゆいやな)
nakadati nu migagama yoo (sasa)parudati nu du nu sumya yoo (deNyoo deNyoo shiturukudeN sasa shitaari yoo nu yui yana)
囃子言葉は以下省略
中立のミガガマよ 原立の私の恋人よ
語句・どぅぬすみゃ 私の恋人。<どぅ<どぅー。私。+ぬ。の。+ すみゃ<染みゃー。心を染めたもの。恋人。


二、中立道ぬやなかちか あっつぁやふみまい通まちよ
なかだてぃんつぬやなかちか あっつぁやふみまいかゆまちよ
nakadati mtsu nu yana kachika attsa ya humimai kayumachi yoo
中立の道が悪ければ 下駄を履いて通いなさい
語句・んつ 道。・あっつぁ 下駄。


三、原立道ぬやなかちか 木ぬ葉や折りまい通まちよ
ぱるだてぃんつぬやなかちか きぬぱやぶりまいかゆまちよ
parudati mtsu nu yanakachika ki nu pa ya burimai kayumachi yoo
原立の道が悪ければ木の葉を折って置いて通いなさい  


四、よなうす川んな布洗い 中立川んな糸洗い
よなうすがーんなぬぬあらい なかだてぃがーんなかせあらい
yonausu gaa Nna nunu arai nakadati gaa Nna kase arai
「世直す」井戸では布洗い 中立井戸では絹糸を洗い
語句・がー 井戸。「川」と当て字があるが「かー」は井戸であり、「川」は「かーら」。連濁により「がー」に。


宮古島の城辺町砂川の南側にあった部落、中立(なかだてぃ)に住んでいたミガ小さんと原立の役人(兼浜親)との恋を冷やかして歌われたものといわれている。


【歌詞について】

「島うた紀行」には、四番以下の歌詞も掲載されている。

四、世直りゃ井戸にん芋洗い 中立井戸んなかせ洗い

五、亀浜うやが手さずをば みががまいたむすみ

六、みががまがいたんむをば 亀浜うやが手さずどす

七、前立芋やうま芋よ 米芋やいばどうまかずよ


という歌詞が紹介されていて、「亀浜親」となっている。


【囃子について】

「島うた紀行」では

デンヨー デンヨー シトゥルクテン シターリヨーヌユイヤナ

とあり、上掲の囃子とは少し違っている。


また宮古民謡について書かれた本によっては

デンヨーデンヨーシタリタテン(サッサ) シターリヨーヌユーイヤナ

と書かれたものもある。


【曲について】

本島の民謡「てんよー節」や、古典の「てんやう節」、それを元にして芝居などで歌われる「徳利小」の本歌だと思われる。


ちなみに古典の「てんやう節」は

庭の糸柳風にさそはれて 露の玉みがく十五夜御月 

てんよ てんよ しとぅるとぅてん ささ はりよぬ ゆゐやな


となっており、メロディーだけでなく囃子もそっくりである。




宮古島 城辺

  

Posted by たる一 at 14:50Comments(0)な行宮古島民謡

2007年07月14日

なりやまあやぐ 

なりやまあやぐ
なりやまあやぐ
nariyama 'ayagu
馴れた山の歌
語句・なりやま 馴れ山。「“馴れ染め”を分解し山の名になぞらえて恋人を諷したものであろう」【琉辞】。あやぐ 「[綾言〔あやごと〕美しく妙なる詞]あやぐ〔宮古島の伝統歌謡〕aaguとも;Toogani 'ayaguなど」【琉辞】。意訳にはいろいろある。「なりやま」とは昔毛遊びをした場所だという人や、女性の乳房のことだという意見があるが、ここは直訳にとどめたい。

(歌詞中の「す゜」、ひらがなの「す」、発音の「sï」は、宮古方言に特有の舌先母音を表す。「舌先母音」については「追記」参照)


一、さーなりやまや なりてぃぬなりやま そみやまや そみてぃぬそみやま (イラユマーン サーヤヌ そみてぃぬそみやま)
(さー)なりやまや なりてぃぬなりやま すみやまや すみてぃぬすみやま (いらゆまーん さーやーぬ すみてぃぬすみやま)
(以下、囃子と返しは省略)
nariyama ya naritinu nariyama sumiyama ya sumitinu sumiyama
馴れ山は馴れた山 染め山は染めた山
語句・なれ すみ <なりすみ 「‘馴れ・染め’を分解し山の名になぞらえて恋人を諷したものであろう」【琉辞】。 「うちなーのうた」(音楽の友社)にある上田長福氏(宮古歌者)の解説によれば「『やま』は『山』のこと。凄い、大きいという意味です。伝えられるところによれば、歌の上手な人の名前に『山』が付けられ(ナズブリ・ヤマ)それが時を経て『なりやま』になったといわれています」。この辺の経緯は「追記」で。


二、なりやま参い(す)てぃ なりぶりさまずな主 そみやま参い(す)てぃ そみぶりさまずな主
なりやま んみゃい(す)てぃ なりぶりさますなしゅー すみやまんみゃい(す)てぃ すみぶりさますなしゅー
nariyama Nmyaisuti nariburisamasïna shuu sumiyama Nmyaisui sumiburi samazïna shuu
馴れ(た)山行かれて 馴れすぎないように 貴方 染め(た)山行かれて 染めすぎないように貴方
語句・んみゃいてぃ  行って<参(まい)って ・ぶり 「夢中になること」【琉辞】。 <ふりゆん 惚れる  ・さます 「さま(様)するな」からか?


三、馬ん乗らば たずなゆゆるすな主 美童家行き 心ゆるすな主
ぬーまんぬらば たずなゆ ゆるすなしゅー みやらびやーいき くくるゆるすなしゅー
nuumaN nuraba tazuna yu yurusuna syuu miyarabi yaa 'iki kukuru yurusuna shuu
馬に乗るなら手綱を許すな 貴方 娘(の)家(に)行き心(を)許すな 貴方
語句・ぬーま 馬。宮古方言。本島では「んま 'Nma」「まー maa」「、八重山では「んま mma」「んーま mmma」など。 ・ゆるすな 緩めるな <ゆるしゅん 緩める (許す、もある)


四、馬ぬ美しゃや 白さど美しゃ 美童美しゃや 色ど美しゃ
ぬーまぬかぎさや しるさどぅかぎさ みやらびかぎさや いるどぅかぎさ
nuuma nu kagisa ya shirusa du kagisa miyarabi kagisa ya 'iru du kagisa
馬の美しい(の)は白さこそ美しい 娘(の)美しい(の)は色(気)こそ美しい
語句・かぎさ 美しさ 「ちゅらさ」(本島方言) 「かいしゃ」(八重山)方言に対応。 ・いる 色 顔色(琉) → 可視的な「色」だけでなく「色気」という意味もある。



五、ぶり押し波や 笑いど押しず ばんぶなりや 笑いど迎い
ぶりゆしなむや あまいどぅゆしす ばん ぶなりゃ あまいどぅんかい
buriyushi namu ya 'amai du yushisi baN bunarya 'amai du Nkai
折れ重なり寄せる波は 笑って寄せる 私(は)妻(として)笑って迎える
語句 ・ぶり 群れ <むり  ・ゆし 寄せる  ・あまい (にっこり)わらうこと(宮古方言)【Cf.ほほエム、'Amee-'uzjoo】【琉辞】  ・ばん 私 (宮古方言) 「わん」(本島)「ばん」(八重山)  ・ぶなりゃ 妻 (宮古方言) 



(コメント)
宮古島を代表する古謡。
妻が旅に出る夫にあたえる「教訓」歌。

元歌があるといわれ(「島うた紀行」)、その内容は「夫婦、あるいは男女のかけあい」(同左)である。
囃子言葉があり、教訓もあるが、少々おおらかな色気もある唄。カニスマといってアカペラの曲だ。

いろいろな経緯があり、元歌が変遷し現在のようになったようだ。それも歌の宿命。

元歌と、この「なりやまあやぐ」

「琉球列島 島うた紀行」(仲宗根 幸市編著)によると
発祥地は「城辺町の砂川、友利方面」。
「なりやま節」という。

この歌は、熱愛する男女の交歓をあからさまな言葉で歌った歌。
それはアカペラであり、工工四にはのせにくく、また「すこし露骨で人前では歌いにくい」という理由で今の三線歌につくりかえられたのだという。
作り直したのは、近代宮古民謡の父ともいわれた古堅宗雄氏たち。

そしてその元歌が歌える数少ない歌者の一人が上田長福氏である。
彼によると「『やま』は『山』のこと。凄い、大きいという意味です。
伝えられるところによれば、歌の上手な人の名前に『山』が付けられ(ナズブリ・ヤマ)
それが時を経て『なりやま』になったといわれています」ということらしい。

発音。舌先母音

さて、宮古民謡の歌詞には「す゜」「き゜」という表記がでてくる。
これは舌先母音によってつくられる発声をあらわしたもの。

舌先母音とは「舌先、あるいは前舌の舌先寄りの部分を歯茎あるいは歯茎寄りの口蓋に接近させ、せばめをつくっている」(沖縄宮古平良方言のフォネーム」(かりまたしげひさ)。

中舌母音のときの舌の位置よりやや上に上がって空気の道が狭くなっているような状態で発音するようだ。そのときに無声、有声の摩擦音(s、z)が発生する。

つまり、耳には「ず」「ぎ」に近い摩擦音が混ざって聞える。
歌う時に「先舌母音」ができないならば、あえて「ず」「ぎ」と歌っても似た音にはなる。
もちろん宮古方言を理解する人が聞けば違いはわかるだろうが。

以下すこし問題点をまとめてみた。

先舌母音の表記

本によっては「ず」であったり、「す゜」(「す」に「゜」=ぱぴぴぺぽの丸)と、標準語ではありえない表記がされている。

故胤森弘さんが集められた歌詞の中では半数が「ず」残りが「す゜」の表記であった。
この発音は「す」である。
このように表記は統一されていない。

二番「んみゃい」の後に「す」が入るか否か

これも本によって違う。

宮古島の「なりやまあやぐ」の歌碑、並びに作詞者である友利實光氏から直接採譜した「宮古民謡集 平良重信著」にも「す」ははいってない。

もしかしたら軽い破擦音が入るのかもしれないが、未確認である。

私はそう神経質にならず、歌いやすいほうでよいと思っている。
入っても「・・する」くらいの意味。

五番、「ばんぶなりゃ」の訳がさまざまである。

胤森さん      「私(の)妻」
琉球語辞典    「私は姉妹として」
沖縄の民謡    「わたしという女も」
島うた紀行     「わたしの妻も」

ばん=我 ぶなりゃ=妻 であるから、直訳では「我が妻」になる。
が、この歌の主体は妻であるから五番だけ「私」が主体になるのは不自然。
もうひとつの直訳の可能性として
「私、妻」つまり「私(は)妻(として)」と「ばん」と「ぶなりゃ」を同一のものを並列しているとの解釈。
こちらを私は採用。

歌に関連する動画

上田長福氏の「なりやま節」がYouTubeに公開されている。


ちなみにこちらはその「なりやまあやぐ」を作詞作曲した一人古堅宗雄氏らによる「根間ぬ主」。



歌碑、その他

2014年10月26日に筆者は初めて宮古島を訪れた。
ご案内は宮古島在住の渡久山安闘さん。
場所は「シギラベイカントリークラブ」近くの「イムギャーマリンガーデン」の駐車場。






そこから少し北上した友里には、1960年に琉球放送のラジオ、素人のど自慢大会でなりやまあやぐを初めて歌って世に出した友里貫巧氏の生家と記念碑がある。







【このブログが本になりました!】


書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら



  

Posted by たる一 at 10:18Comments(31)な行宮古島民謡