2022年09月21日

アカバンタ

あかばんた
語句・あかばんた 沖縄県南城市佐敷手登根にある丘の上にある広場の名前。「はんた」は「端。はしっこ」「崖のふち。また崖」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。崖に面した場所を指す。昔は「毛遊び(もーあしび)」という青年男女の交遊が行われた。


【作詩宮城鷹夫 作曲松田弘一】
(歌詞は1〜3は佐敷手登根の歌碑から、4はCDから筆者が聴き取り)
《歌詞、その読み方、簡単な発音記号('は声門破裂音)、そして意味。語句の説明と続く》

一、 むかし名にたちゅる 野遊のハンタ 佐敷手登根のアカバンタやしが 云語れやあても (今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て)
んかしなーにたちゃる もーあしびぬはんた さしちてぃどぅくんぬ あかばんたやしが いかたれやあてぃん (なまぬゆーになりば くいぬかりくさに うたぐぃだきぬくてぃ)
Nkashi naa ni tachuru mooashibi nu haNta sashichitidukuN nu 'akabaNta yashiga 'ikataree ya 'atiN (nama nu yuu ni nariba kui nu karikusa ni 'utagwi daki nukuti)
【括弧は繰り返しなので以下省略する】
昔有名だった毛遊びをした崖のふち 佐敷手登根のアカバンタであるが 男女の契りはあっても今の世になれば 恋の(終わったかのような)枯れ草に歌声だけが残っている
語句・なーにたちゅる 有名な。・いかたれー 「男女の契り。男女の語らい。」【沖辞】。「い」は「云」の当て字がされるが「美称の接頭辞。名詞に付き、意味に特別な価値を添える」【沖辞】とある。「かた」は「語らい」の意味だけでなく「仲間になる」とい意味を含む。「味方」の「かた」と同じ。



二、 三線小ぬ弦に 恋の歌かけて 肩抱ちゃいともて 思い寄る二才小 うり振たるあば小 今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て
さんしんぐゎーぬ ちるーに くいぬうたかきてぃ かただちゃいとぅむてぃ うみゆゆるにせーぐゎー うりふたるあばーぐゎー
saNshiN gwaa nu chiruu ni kui nu 'uta kakiti katadachai tumuti 'umi yuyuru niseegwaa 'uri hutaru 'abaagwaa
三線の弦に恋のウタをのせて 肩を抱こうと思って愛を寄せる青年 それを振った姉さん
語句・ちるー 弦。元は植物の「ツル」から。・にせーぐゎー「にせー」は青年、の意。南九州地方の方言「にせ」と共通。・あばーぐゎー 姉さん。「姉。ねえさん。農村で用いる語。」



三、 マガイ小の遊び アカバンタ遊び 手さじ小や肩に ひっかけてからに ちやねることなたが 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
まがいぐゎーぬあしび あかばんたあしび てぃーさじぐゎーや かたに ひっかきてぃからに ちゃねるくとぅなたが
magaigwaa nu 'ashibi 'akabaNta 'ashibi tiisaji ya kata ni hikkakiti karani chaaneeru kutu nata ga
マガイ小での遊び、そしてアカバンタでの遊び 手ぬぐいを肩にかけてどんなことになったやら
語句・まがいぐゎー アカバンタの北西に位置する海岸に近い場所を指す。地名では仲伊保。つまりアカバンタとマガイ小と二ヶ所が大きなモーアシビの場所だった。・ちゃーねーる (ちゃー)どんな(ねーる)ように。



四、 アカバンタひらん マガイ小ぬあとぅん 毛遊びぬ花や 松んかりはてぃてぃ みるかたやねさみ 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
なまぬよになりば
'akabaNta hiraN magai gwaa nu 'atuN mooashibi nu hana ya machiN karihatiti mirukata ja neesami
アカバンタの坂もマガイ小の跡も モーアシビの花(女性)も松(男性)も枯れ果てて みる所もないのだ
語句・ひら 坂。古事記でも「比良」という。・さみ 「…なのだぞ。…なんだよ。」【沖辞】。ねー(ない)さみ(のだよ)。



【歌碑にある琉歌より】

アカバンタ坂や手登根の腰当て 花も咲き美らしゃ島も清らしゃ
あかばんたひらや てぃどぅくんぬ くさでぃ はなんさちじゅらさ しまんちゅらさ
'akabaNta hira ya tidukuN nu kusadi hana N sachijurasa shima N churasa
アカバンタの坂は手登根の後ろにある聖地 花も咲いて美しい 村も清らかだ
語句・くさでぃ 当て字は「腰当て」とあるように、「くし」は背中や腰を指している。後ろ側という意味でも使われる。沖縄では昔から「◯◯やくさでぃ たぶくめーなち」と言い、村の後ろ側に高い丘や山があることで豊かな水が得られて、その前にある田んぼでは豊作となる、という考えがある。理にも叶っている。その聖地を守るように御嶽が麓に置かれていたりする。高台はハンタと呼ばれ、若者たちのモーアシビの舞台ともなった。つまり「くさでぃ」は聖地とも言い換えられる。


(解説)
「アカバンタ」は手登根出身の宮城鷹夫さんが作詞され民謡歌手の上原正吉さんが歌っている。
明治末期まで続いたモーアシビは地元の青年たちの文化活動と自由な恋愛を支えた。そのモーアシビが行われた記憶を残そうと地元の有志の方々が中心となって、2017年にアカバンタの歌碑を完成させた。



モーアシビは「毛遊び」とか「野遊び」と当て字がされるが、「もー」というのは耕作地ではない草むらのこと。本ブログにおいて、本部ミャークニーや今帰仁ミャークニーの解説で繰り返し書いたように、明治末期までは続いた村の青年たちの異性交遊の場であり、ウタが生まれた「文化の揺りかご」のような場所だったと言える。

多くはハンタと呼ばれる村の高台、崖の上などのような場所で、集落から少し離れていた。
月夜の晩に、草むらを踏みつけて場所を作り、酒や料理を持ち寄り、三線や太鼓があればそれを弾き叩き、歌い、踊ったという。ウタは交互に唄って、即興で歌詞をつける。上の句をあるものが歌えば、下の句を別のものが唄う。気に入ったもの同士で気持ちを確かめたりもしたと古老から聞いた。

アカバンタの歌詞では一番から三番にかけて、その様子がうたいこまれている。
そして現在はもうみられなくなったモーアシビへの郷愁感、惜別の想いが「今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て」という繰り返されるサビによって引き立っている。

四番は歌碑にはなく、上原正吉さんが唄うものからの採譜だが、その寂寞の想いを改めて歌い上げている。



現在はアカバンタは生い茂った木々を整理して広場のようになっている。
地域のイベントとして「モーアシビ」を再現するようなものも行われているようである。



「マガイ小ぬ遊び」がわからず南城市の教育委員会からアカバンタ有志の会の方にお電話をさせていただいた。上にあるようにアカバンタ以外のモーアシビの場所だということだった。

実際にアカバンタの歌碑がある場所に皆さんも足を伸ばして欲しい。この歌碑と見える景色とで、そこで繰り広げられたモーアシビの昔の姿が見えてくるかもしれない。



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2020年05月17日

浅地紺地

浅地紺地
あさじくんじ
'asaji kuNji
浅く染めた布地と濃い藍色に染めた布地
語句・あさじ 琉球藍で染めた布地で藍色が薄いもの。深い愛情を濃い紺色の布地に例え、浅地は浅く薄い愛情、または浮気心などを表すことが多い。


作詞 津波恒徳 作曲 津波恒英



一、紺染みゆとむてい 染みたしが浅地 染みらわんや浅地 色やちかん (色やちかん)
くんずみゆとぅむてぃ すみたしがあさじ すみらわんやあさじ いるやちかん
kuNzumi yu tumuti sumitashiga 'asaji sumirawaN ya 'asaji 'iru ya chikaN
紺色の濃い色に染めたいと思って染めたが浅地(浮気、軽い気持ち)だった 染めようとしても浅地 色がつかない
語句・くんずみ琉球藍で何度も染めて濃い藍色に染めたもの。黒に近い。・ 文語で目的格の「を」に当たる。口語では用いない。・すみらわん 染めようとしても。<すみら。染めよう+わん。〜しようとも。・ちかん つかん。付かない。<ちちゅん。付く。否定形。



二、思切らねなゆみ しんじんと切りて たとい志情や 残てぃをうていん (残てぃをうていん )
うみちらねなゆみ しんじんとぅちりてぃ たとぅいしなさきや ぬくてぃうてぃん
'umichiranee nayumi shiNjiN tu chiriti tatui shinasaki ya nukuti utiN
諦めないわけにいくまい しみじみと縁を切って 例え愛情が残っていても
語句・うみちらね 諦めない。・なゆみ ならないだろう。・しんじんとぅ 神妙にしているさま。→しみじみと。



三、片糸や浅地 片糸や紺地 かんし染みぐりさ 二人が仲や (二人が仲や)
かたいとぅやあさじ かたいとぅやくんじ かんしすみぐりさ たいがなかや
kataitu ya 'asaji kataitu ya kuNji kaNshi sumigurisa tai ga naka ya
片方の糸は浅地 片方の糸は紺地 このように染めにくいものだよ二人の仲は
語句・かんし このように。こんなに。・ぐりさ 難しい。<くりさん。苦しい。



四、肝くみてでんし ちくちゃしがあだゆ 嵐世ぬ恋路 渡いぐりさ( 渡いぐりさ)
ちむくみてぃでんし ちくちゃしがあだゆ あらしゆぬくいじ わたいぐりさ
chimu kumiti deNshi chikuchashiga 'ada yu 'arashiyuu nu kuiji wataigurisa
心を込めてすら尽くしたのに仇を 嵐のような世の中 渡り難いものだ
でんし ですら。だに。・あだ 徒労。無駄。


(コメント)

ままならぬ恋を歌ったウタは沖縄に限らずどこにでもある。
しかし、糸の染め方の強弱で愛情の濃さを表現するウタが現在でも歌われているのは沖縄民謡の特徴の一つと言えるかもしれない。

そういうと中島みゆきさんの「糸」を想起するかもしれないが、縦糸と横糸の関係だけで染色の話ではない。

「浅地紺地」という布(糸)の染め方で恋路の困難さをうたう場合、「浅地」が「浅い恋心」「浮気心」という例えになることも多い。

このウタは何を喩えているのか。意訳してみよう。

一、本気で惚れて愛情を注いできたのに、あなたは軽い気持ちだった。愛情で染めようとしても染まらない。色はつかない

二、あなたをあきらめようと思い、静かに思いを断とうと思う 例え愛情が残っていたとしても

三、あなたは浅地、私は紺地の糸のように、例え組み合わせても染まりにくいだろう、二人の仲は

四、心を込めて、尽くしてきたけれど仇となり、嵐のような世の中は渡り難いものだ


「浅地」について

浅地とは、琉球藍で何度も染めた紺地の濃い色(黒にも見える)に対して薄い色の事である。そういう意味で「浅地紺地」が使われている。しかし必ずしも昔から「浅地」という漢字が使われていたわけではない。

浅地紺染の色分けもないらぬ染めわかちたぼうれ紺屋の主
あさじくんじみぬいるわきんねらん すみわかちたぼり くんやぬあるじ
(歌意)浅葱色なのか、紺色なのか、はっきり染め分けしてください、紺屋の主よ

(引用【琉歌大成】(清水彰))

歌のところは「浅地」と書かれるのに意味では「浅葱」と書かれている。
「あさぎいろ」はウチナーグチ で「あさじいる」と発音する。

asagi iro→asaji iru

「ぎ gi 」は破擦音化で「じ ji」
「ろ ro」は三母音化で「る ru」になる。こういう変化を経てきた。

この古い琉歌をみると、薄い染めか濃い染めか、ではなく「浅葱色」か「紺色」かとい色分けの意味である。けれども浅葱色とは薄い紺色のことでもある。おそらく「あさじ」という読み方になったものに後から当て字をして「浅地」となったのだろう。

「浅地」と書いて薄い紺色という理解でも間違いはないが、「浅地色」には本来、浅葱色という色があり、そうした使われ方があったということを知ることも無駄ではないだろう。

浅葱色とは。
「浅葱色(あさぎいろ)とは、蓼藍(たであい)で染めた明るい青緑色のことです。浅葱とは薄い葱(ねぎ)の葉に因んだ色で、平安時代にはその名が見られる古くからの伝統色。」(参照 浅葱色(あさぎいろ)とは?:伝統色のいろは https://irocore.com/asagi-iro/



紺地とは

(沖縄県立図書館 記帳資料デジタル書庫 より)


ちなみに「アサギマダラ」という蝶がいる。

(Wikipediaより)
羽根の丸いところの色、薄い水色が浅葱色らしい。



(津波恒英 「おきなわを唄う」に収録)


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2020年05月11日

歩っちみそーれー御年寄方

歩っちみそーれー御年寄方
あっちみそーれー うとぅすいがた
’acchimisooree ’utusuigata
お歩きください お年寄りの皆様
語句・あっちみそーれー お歩きください。<あっち<あっちゅん。歩く。+みそーれー<みせーん。・・なさる。お・・になる。の命令形。・うとぅすい お年寄り。<とぅすい。年寄り。成り立ちは[toshiyori→tushiyuri→tushuri→tusui]。


作詞 真玉橋次郎  曲 てんよう節 又は 中立ぬみががま
歌三線  嘉手苅林昌



一、歩っちみそーれー 歩っちゃびらな 老人クラブぬ御年寄方 歩っちゅる運動や御年寄ぬ身体ぬ為にないびーんどー
※ あっちみそーれー あっちゃびらな 老人クラブぬ御年寄方

あっちみそーれー あっちゃびらな [ろーじん]くらぶぬうとぅすいがた あっちゅるうんどーやうとぅすいぬ からだぬたみにないびーんどー
※ あっちみそーれー あっちゃびらな ろーじんくらぶぬうとぅすいがた
※繰り返しは以下略す。
[ ]は大和口。
'acchimisooree 'acchabirana [roojiN]kurabu nu 'urusuigata 'acchuuru uNdoo ya ‘utusui nu karada nu tami ni naibiiN doo
お歩きください 歩きましょう 老人クラブのお年寄りの皆さん 歩く運動はお年寄りのお身体の為になりますよ



ニ、今日ん朝起き楽しみに 東太陽ん 拝まってぃ 野畑ぬ風んソイソイとぅ 悩みぬ苦ちさん ふっ飛ばち 
※繰り返し
ちゅーんあさうきたぬしみに あがりてぃーだん うがまってぃ ぬはるぬかじんそいそいとぅ なやみぬくちさん ふっとぅばち
chuuN ’asa ’uki tanushimi ni ’agari tiidaN 'ugamatti nuhara nu kajiN sooi sooi tu nayami nu kuchisaN huttubachi
今日も朝起きて楽しみに東からのぼる太陽を拝まれて野や畑の風もソイソイと吹けば 悩みの苦しみも吹っ飛ばして
語句・うがまってぃ (私に)拝まれて。<うがぬん。うがむん。拝む。→受け身は「うがまってぃ」。ここでは「太陽が私から拝まれて」という形。太陽を主語にした表現。・くちさん 苦しい。つらい。形容詞。



三、心ん晴り晴り涼々とぅ 年や老きてぃん今若さん 心勇みてぃ歩っちゃびらな 腕振い けー振い汗流ち
くくるんはりばりしだしだとぅ とぅしやふきてぃんなまわかさん くくるいさみてぃあっちゃびら うでぃふいけーふいあしながち
kukuru haribari shidashidatu tushi ya hukitiN nama wakasaN kukuru 'isamiti 'acchabirana 'udi hui kee hui 'ashinagachi
※繰り返し
心も晴れ晴れ涼くて 歳は老けても今は若い 心を励まして歩きましょう 腕を振り手を振り汗流して
語句・けーふい



四、歩ちゅる中る元気なてぃ 若衆に負きゆみ今までぃや トーカチ、カジマヤーん今早ーさん 百才ぬ長命易々とぅ
あっちゅるなーかる[げんき]なてぃ わかすにまきゆみなままでぃや とーかち かじまやーん なまへーさん ひゃくせーぬちょーめい やしやしとぅ
'Acchuru naaka ru [geNki]nati wakasu ni makiyumi nama madiya tookachi kajimayaaN nama heesaN hyakusee nu choomee yashiyashitu
歩く中でこそ元気になって 若者たちに負けられますか?今までは 八十八歳米寿祝いのトーカチや、数え九十七歳祝いのカジマヤーも今まだ早い 百歳の長命を易々と
語句・どぅ。こそ。・とーかち 米寿(八十八歳)の祝い。トーカチとは「斗掻(とかき)」という米の量を測るときに枡の米をならすときに使う竹の棒の事。・むむとぅ 百歳。百歳だけで「むむとぅ」と読むので「百歳と」と歌詞にあるのは間違い。・かじまやー 数え年九十七才を祝う。「かじまやー」とは風車の意味で子どもに還るからという意味がある。・へーさん早い。・ひゃくせー百歳。




(レコードストアのHPより http://kikimimi.shop-pro.jp/?pid=64293535

歌詞は筆者聴き取り。一部、嘉手苅林次先生の御教唆をいただきました。


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2020年05月10日

御年日ぬ唄

御年日ぬ唄
うとぅしびーぬうた
’utushibii nu ’uta
御生年日祝いの唄
語句・うとぅしびー 「(各人)の生まれ年の干支と一致する(旧)正月早々日(の祝い)」【琉球語辞典(半田一郎)】(以後【琉辞】。)いわゆる生年日の祝い。

作詞 宜保 盛幸  編曲 大城志津子



一 、 今日ぬ御年日や 子孫前なち 百二十歳までぃん 御掛きみしょり(イースリ サーサー)
きゆぬうとぅしびや くゎんまがめーなち ひゃくはたちまでぃん うかきみしょーり(いーすりさーさー)
kiyu nu ’utushibii ya kwaa Nmagaa meenachi hyakuhatachi madiN ’ukakimishoori
(isuuri saasaa)
※囃子言葉は以下省略。
今日の御生年日の祝いは子や孫を前にして百二十歳までご支配ください
語句・うかきみしょーりご支配ください。<かきゆん。「掛ける。賭ける。(秤に)掛ける。支配する。」+<みしょーり。<みせーん。なさいます。の命令形。なさいませ。



二、 六十一ばんじ 十七、八心 何時ん若々とぅ 年とぅ共に
るくじゅーいちばんじ じゅーしちはちぐくる いちんわかわかとぅ とぅしとぅとぅむに
rukujuu baNji juushichihachi gukuru ’ichiNwakawaka tu tushi tu tumu ni
六十一歳は真っ盛りで十七・八くらいのようだ 何時も若々しく年と共に
語句・ばんじ 真っ最中。・ぐくる ・・のようだ。<くくる。こころ。いわゆる精神的な意味の「心」ではなく、「・・のようなこと[もの][気持ち]」【琉辞】。別のものに例える場合に。ウタの中で使われることが多い。



三、 七十三御祝え 御万人んいもち 酌取いる御酒 体御願げ
しちじゅーさんうゆぅえ うまんちゅんいもち しゃくとぅいるうさき からだうにげ
shichijuusaN ’uyuwee ’umaNchuN ’imoochi shaku tuiru ’usaki karada ’unigee
七十三歳の祝いは多くの方がいらっしゃって 酌に受け取ったお酒には健康の願いを込めて



四、 八十五ぬ年日 八十八トーカチ 百歳風車ん 御祝えさぴら
はちじゅーぐぬとぅしび はちじゅーはちとーかち むむとぅかじまやーん うゆうぇーさびら
hachijuugu nu tushibii hachijuuhachi tookachi mumutu kajimayaaN ’uyuweesabira
八十五歳の年日祝い 八十八のトーカチ祝い 百歳カジマヤーの祝い お祝いいたしましょう
語句・とーかち 米寿(八十八歳)の祝い。トーカチとは「斗掻(とかき)」という米の量を測るときに枡の米をならすときに使う竹の棒の事。・むむとぅ 百歳。百歳だけで「むむとぅ」と読むので「百歳と」と歌詞にあるのは間違い。・かじまやー 数え年九十七才を祝う。「かじまやー」とは風車の意味で子どもに還るからという意味がある。



五、 琴や三味線に 弦合わち今日や 踊いはにしちょてぃ御祝えあしば
くとぅやさんしんに ちるあわちきゆや うどぅいはにしちょーてぃ うゆえあしば
kutu ya saNshin ni chiruu ‘awachi kiyu ya udui hani shichooti ‘uyuwee’ashiba
お琴や三線を弦の高さを合わせて今日は踊ったり跳ねたりしていてお祝いし遊びましょう
語句・うどぅいはに踊ったり、跳ねたり。「踊り羽」と当て字がしてある。




「我した島唄~大城志津子決定盤~」に収録。


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2020年02月05日

親心

親心
うやぐくる
‘uya gukuru
親心


作詞・作曲 普久原朝喜
歌三線 山里ユキ


一、銭やこの世の廻りもの 難儀辛苦や世の習ひ 産子育てや世間の人並 育てる産子や万貫の宝
じんやくぬゆぬまわりむん なんじしんくやゆぬならゐ なしぐゎすだてぃやしきんぬちゅなみ すだてぃるなしぐゎやまんぐゎんぬたから
jiN ya kunuyu nu mawarimuN naNji shiNku ya yuu nu narai nashigwaa sudati ya shikiN nu chunami sudatiru nashigwaa ya maNgwaN nu takara
お金はこの世の廻りもの 苦労は世の中では当たり前だ 子育ては世間の人並み 育てる子どもは万貫(当時200円ほど。高額だった)に匹敵する宝
語句・じん 銭。・なしぐゎ自分が産んだ子ども。・まんぐゎん万貫。一貫は二銭だったから二百円になる。



二、產子育てることやれば 一時の苦労や塵どやる 産子育てや楽しみものさみ 産子育てやお国の為にも
なしぐゎすでぃるくとぅやりば いちじぬくろーやちりどぅやる なしぐゎすだてぃやたぬしみむんさみ なしぐゎすだてぃやうくにぬたみにん
nashigwa sudatiru kutu yariba ‘ichiji nu kuroo ya chiri du yaru nashigwa sudati ya tanushimimuNsami nashigwa sudati ya ‘ukuni nu taminiN
子どもを育てることであれば一時の苦労など塵ほどのものに過ぎない 子どもの成長は楽しみであろう 子育てはお国の為にも
語句・やりば 〜であるなら。・どぅやる 〜である。



三、何時が産子も物思て 親の苦労もわかて呉て 親に孝行もお国の為にも 尽ちょて呉ゆる宝の産子
いちがなしぐゎんむぬうむてぃ うやぬくろーんわかてぃくぃてぃ うやにこーこーんうくにぬたみにん ちくちょてぃくぃゆるたからぬなしぐゎ
‘ichi ga nashigwaN munu ‘umuti ‘uya nu kurooN wakati kwiti ‘uya ni kookooN ‘ukuni nu taminiN chikuchooti kwiyuru takara nu nashigwa
いつか子どもは考えるようになり 親の苦労が分かってくれて 親に孝行することをお国のためにも 尽くしてくれる宝の我が子
語句・いちが いつか。<いち。いつ。+が。疑問の助詞。



四、男の産子や墨習らち 女の産子や夫持たち 産子多さやお国の為にも お国の栄や臣下ど宝
ゐきがぬなしぐゎやしみならち ゐなぐぬなしぐゎやうとぅむたち なしぐゎうふさやうくにぬたみにん うくにぬさけーやしんかどぅたから
wikiga nu nashigwa ya shimi narachi winagu nu nashigwa ya utu mutachi nashigwa ‘uhusa ya ‘ukuni nu taminiN ‘ukuni nu sakee ya shiNka du takara
男の子は学問を習わせ、女の子には結婚させ 子どもの多さはお国のためにも お国の栄えは家族や仲間を宝とすることにある
語句・しみ 学問。<しみなれー。学問。・うとぅ夫。「音」も「うとぅ」だが、こちらは声門破裂音がある。・しんか仲間。「部下;〔転じて〕家族、仲間。」【琉球語辞典(半田一郎)】



(コメント)

三線教室の生徒の一人がこれをやりたい、と言ってきたので持っていたCD「山里ユキ特集」を改めて聴き、工工四も見つけた。




久しぶりの当ブログである。実は、これまでは電車通勤の時間などを活用して書いてきたが電車通勤もなくなり、「たるーの三線 ゆがふ家」という三線屋と「しまうた酒菜 ゆがふ家」という居酒屋を昨年立ち上げたのでブログにかける時間も取れず忙殺されていた。

それでも、このブログを読んでくださる方々が多いことを痛感することが最近よくあり、店の仕込みなどの休み時間を見つけて書いてみた。だがそれは所詮私ごとにすぎない話なので本題に入ろう。

作詞作曲は普久原朝喜(1903-1981)氏である。
ご存知のように朝喜氏は戦前戦中そして戦後の沖縄民謡を自分の作品と古典や民謡唄者の演奏を録音しレコード化することによって大きな貢献をされた方である。

作品には「入営出船の港」「浦波節」(「物知り節」ともいう)「移民小唄」「恨みの唄」「世宝節」「布哇節」「無情の唄」などがある。そしてこの「親心」である。

ウタの時代背景を色濃く反映したウタである。もちろん時代背景を反映しないウタなどないと思うが、特に戦時中は検閲という国家権力によるウタへの統制があったために、検閲をかなり意識したとみられるウタは多い。朝喜氏のこの「親心」もその一つだろう。そしてそれを軍国主義への協力と見ることは十分可能である。

「親心」は子育てをテーマに、子どもは宝である、だから親の苦労など大したことはない。子どもも成長すれば親に孝行する。国のためにも。男の子には勉強をさせ、女の子には良い結婚をさせることが国の為にもなる、何故ならば子どもたちが幸せになることが国の繁栄になるのだから。とうたう。

現在の目線で見れば明らかな男女差別、性差別を含んでいる。朝喜氏が戦後の沖縄民謡の復興にも大きな役割を果たされたことを踏まえても、このウタに含まれる軍国主義的、性差別的部分を看過することはできない。

それでもこの朝喜氏が検閲をも通過できるように歌詞を作った中に、ある工夫があると思うのは考えすぎだろうか。

それは二度も繰り返される「お国のためにも」の「も」である。おそらく激戦時期より前に作られたのではないか、と思えるほど「国の為に命を捧げよ!」的な表現はなく、男尊女卑的ではあるが子どもたちを大切にしよう、子育ては自分のためでもある、が「国のためでも」あるというロジックが許された時期のウタなのであろう。

最後の「お国の栄えは家族や仲間を宝とすることにある」。このような思想は「国の為に命を捧げよ」とした軍国主義の色濃い時代には決して許されなかったはずだ。






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Posted by たる一 at 09:08Comments(0)あ行沖縄本島

2019年07月10日

恩納ナビー

思納ナビー
うんな なびー
'uNna nabii
恩納村のナビー
語句・うんな 沖縄本島中部の地名、恩納村。・なびー 女性の名前。「鍋」の意味でつけられることが多かった。「恩納ナビー」は恩納村生まれのナビーということ。


作詞 西 泉 作曲 知名 定繁


(ツラネ)恩納岳あがた里が生れ島森ん押しぬきて此方なさな
うんなだきあがた さとぅがんまりじま むいんうしぬきてぃくがたなさな
'uNnadaki ’agata satu ga Nmarijima muiN ’ushinukiti kugata nasana
恩納岳の向こう側が愛する貴方の生まれた村 丘(恩納岳)も押しのけてあなたの村をこちら側にしたいよ
語句・うんなだき恩納岳。「たき」は拝所のある山のこと。・あがた「あっちの方。あちら側」沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)・んまりじま生まれた村。・むい「丘。山。」【沖辞】。「森」と当て字がしてあることが多いが「盛りあがった土地」のことを「むい」という。・くがた「こっち側。こっち」【沖辞】。・なさな<なしゅん。為す。+な。よう。「したいよ」。

一、恩納岳隔み自由ならん語れ恨で詩詠だる人ぬ昔 自由ならん吾が思い
うんなだきふぃじゃみ じゆならん かたれー うらでぃうたゆだるふぃとぅぬんかし じゆならんわがうむい
'uNnadaki hwijami jiyu naraN kataree 'uradi 'uta yudaru hwitu nu Nkashi jiyu naraN waa ga 'umui
恩納岳が貴方と私を隔てているので一緒にいることもままならない と恨んで歌を詠む人は昔の話だが恋がままならない 私の愛と同じ
語句・ふじゃみ隔て。・かたれー 「①仲間となること。仲間入りを約束すること。②男女の一緒になる約束。」【沖辞】。「語」が当て字になっていることがよくあるが、会話することに限らず「仲を深めること」。「味方」の「かた」に近いものがある。



(ツラネ)明日からぬ明後日 里が番上り滝ならす雨の降らなやしが
あちゃからぬあさてぃ さとぅがばんぬぶい たちならすあみぬふらなやしが
'acha karanu 'asati satu ga baN nubui tachi narasu 'ami nu hurana yashiga
3日後は貴方が首里に勤番で行く日 ひどい雨でも降って行けなくなればいいのに
語句・あちゃからぬあさてぃ直訳すれば「明日からの明後日」、つまり3日後。・ばんぬぶり 首里城での勤番に行くこと。・たちならすあみ 滝のような雨。・ふらな 降ってほしい。

二、至極降て呉りば 吾が思い叶て枕並びゆる 節ん有ゆら 吾が思い自由ならん
しぐくふてぃくぃりば わがうむい かなてぃまくらならびゆるしちんあゆら わがうむいじゆならん
shiguku hutikwiriba waga 'umui kanati makura narabiyuru shichiN 'ayura waga 'umui jiyunaraN
激しく雨が降ってくれたら私の思いが叶い 枕を並べる時もあるのだけれど 私の思いは自由にならない
語句・しぐく 「至極。ひどく。非常に。」



(ツラネ)姉べたや 良かてい シヌグしち遊で わした世になりば 御止みさりて
あにびたや ゆかてぃ しぬぐしちあしでぃ わしたゆになりば うとぅみさりてぃ
'anibita ya yukati shinugu shichi 'ashidi washitayuu ni nariba 'utumi sariti
姉さんたちは良かった シヌグで遊んで 私たちの時代になるとシヌグも禁止されて自由ならない私の思いは
語句・あにびた姉たち。・しぬぐ「農村で祭りの時、男女で行う舞踊。村の若い男女が神前の広場で入り乱れて踊る。儒教思想輸入により尚敬王時代に禁止されたことがある。」【沖辞】。

なぐさみん知らんシヌグ迄止みて はたち美童ぬ 肝ぬいたさ自由ならん吾が思い
なぐさみんしらん しぬぐまでぃとぅみてぃ はたちみやらびぬ ちむぬいたさ じゆならんわがうむい
nagusamiN shiraN shinugu madi tumiti hatachi miyarabinu chimu nu 'itasa jiyu naraN waga 'umui
慰めも知らず シヌグ遊びを禁止されて二十歳娘の心は痛いことだろう 自由にならない私の思い



(ツラネ)恩納松下に禁止の碑の立ちゅし恋忍ぶ迄の禁止や無さみ
うんなまちしたに ちじぬふぇぬたちゅし くいしぬぶまでぃぬ ちじや ねさみ
'uNna machi shita ni chiji nu hwee nu tachushi kui shinubu madi nu chiji ya neesami
恩納村の松の木の下に何かを禁止する御触書が立っている まさか恋の逢引までも禁止するお触れではないだろうね
語句・ちじ 禁止。・ふぇー 御触書。・ねさみないだろうか。

四、情ねん役人ぬ 恋ぬみち禁止てい山原ぬ花や何時が咲ちゅら我が思い自由ならん
なさきねん かみぬくいぬみちちじてぃ やんばるぬはなや いちがさちゅら わがうむいじゆならん
nasaki neeN Kami nu kui nu michi chijiti yaNbaru nu hana ya 'ichi ga sachura waga 'umui jiyu naraN
情けない役人が恋の道を禁止して山原の花は何時咲くだろうか 私の愛は自由にならない
語句・かみ いわゆる「お上」。


(たるーのコメント)

女流詩人として名が知られる「恩納ナビー」が詠ったとされる琉歌をツラネとし、知名定繁氏が作曲し、また補作詞をした。

ツラネとは「ツラニ」「ツィラニ」と発音するが、「①長歌 琉歌の長歌。②連歌。琉歌でふたり以上で読みつらねること。また、よみつらねた歌」【沖辞】である。琉歌のツラネには一定のメロディーがある。

知名定繁氏(1916-1993)は普久原朝喜氏などの影響を受け沖縄民謡歌手、作詞・作曲家としても沖縄民謡界の重鎮である。また宮廷音楽湛水流の研究や同箏曲譜などの編纂を行った。創作曲に「でぃぐぬの花」「門たんかー」「別れの煙」「嘆きの梅」などがある。

「恩納ナビー」は実在した明確な証拠はないが、18世紀前半に恩納村に生まれ、この曲のツラネになった琉歌を詠んだとされている。


▲ナビーの恩納村の生誕地にある石碑。「マッコウ家」とあるのはマッコウ(ハリツルマサキ)の木があった言い伝えがあり、「マッコウ ナビー」とも呼ばれていた。


▲琉歌「恩納松下に禁止の碑の立ちゅし恋忍ぶ迄の禁止や無さみ」を紹介した歌碑。


▲万座毛の駐車場にはいくつかの歌碑がある。
この曲に紹介された琉歌以外には
波の声もとまれ 風の声もとまれ 首里天がなし 美御機拝ま
(歌意)波の音も静まれ 風の音も静ま 首里の王様のお顔を拝見したい
という琉歌もある。

庶民に生れながら想いを自由に琉歌に乗せて、山をも動かし雨まで降らせようとする情熱的で力強いナビーという一人の娘の才能はこの「恩納ナビー」という曲で見事に現代に蘇っているようである。



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Posted by たる一 at 07:34Comments(0)あ行沖縄本島

2019年02月18日

小禄間切口説

小禄間切口説
うるくまじり くどぅち
'urukumajiri kuduchi
語句・うるくまじり 現在の那覇市小禄に当たる。間切(まじり)とは琉球王国時代の行政区の一つ。「国」の下の行政単位だから都道府県くらいの意味。実際の規模は市町村くらいだった。・くどぅち「口説」(くどぅち)とは、室町・江戸時代に流行した「口説」(くどき)の影響を受けていて、本土のそれは歌舞伎、浄瑠璃などで情景や叙事、悲哀や恨みなどを一定のメロディーで繰り返して「説く」もの。17世紀以降、薩摩藩による琉球支配の時代に琉球に伝わった。七五調で大和言葉(のウチナーグチ読み)を一部使う特徴がある。
小禄間切の口説


歌詞は 「沖縄民謡口説大全集」(沖縄芸能出版 滝原康盛編著)[以下【口説全集】と略す]を参照した。



一、小禄間切ぬ真ん中に 白髪御年寄いめんそち 釣竿かたみてぃ浜下りてぃ
うるくまじりぬまんなかに しらぎうとぅすい いめんそち ちんぶくかたみてぃはまうりてぃ
'uruku majiri nu maNnaka ni shiragi 'utusui 'imeeNsoochi chiNbuku katamiti hama 'uriti
小禄間切の真ん中に白髪のお年寄りお集まり下さって釣竿担いで浜に降りて
語句・いめんそち <いめーんせーん。「おいでになられる。いらっしゃられる。いる・行く・来るの敬語。」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。いめーんせーんの連用形。・ちんぶく 釣竿。



二、浜に育ちゅる浜千鳥 干瀬に育ちゅる あじけー貝 海山豊かな我が間切
はまにすだちゅるはまちじゅや ふぃしにすだちゅるあじけーがい うみやまゆたかなわがまじり
hama ni sudachuru hamachijuyaa hwishi ni sudacyuru 'ajikee gai 'umiyama yutakana waga majiri
浜に育つ浜千鳥 珊瑚のリーフに育つシャコ貝 海山が豊かな我々の間切
語句・ふぃし 「満潮の時は隠れ、干潮になると現れる岩や洲」【沖辞】。珊瑚のリーフ(珊瑚礁)と言っても問題はない。・あじけー シャコ貝。身はコリコリして美味い。貝殻は魔除けに使う。



三、先じや村々尋にやい 委細に話さば聞ち分きてぃ 朝夕忘るな我が子孫
まじやむらむらたじにやい いせにはなさば ちちわきてぃ あさゆーわしるな わがしすん
maji ya muramura tajiniyai 'isee ni hanasaba chichiwakiti 'asayuu washiruna waga shisuN
まずは村々を調べて詳しく話すので聞き理解して朝夕忘れるなよ我が子孫
語句・いせー 詳しく。



四、白浜前なす大嶺や 男女かりゆし肝合わす 海山豊かに栄えゆく
しらはまめーなす うふんみや だんじょかりゆし ちむあわす うみやまゆたかにさかいゆく
shirahama mee nasu 'uhuNmi ya danjo kariyushi chimuawasu 'umiyama yutaka ni sakai yuku
白浜を前にする大嶺は男女めでたく皆で心を合わせる 海山も豊かに栄えて行く
語句・だんじょ 「だんじゅ かりゆし」の「だんじゅ」に「男女」という当て字をしたのではないか。口説はヤマト口が混ざることを拒否しないが、発音はウチナーグチとなる。そうすれば「だんじょ」ではなく「断然」という意味の「だんじゅ」となる。(参照「だんじゅかりゆし」)しかし【口説全集】の歌詞に従う。・さかい 大和口の「さかえ」という可能性もあるが、これも「さかえ」ではなく発音は「さかい」(栄え)としたい。



五、田畑豊かな宮城 人ぬ心ん悠々とぅ 黄金冬瓜ん実美らしゃ
たはたゆたかな なーぐしく ひとぅぬくくるんゆーゆーとぅ くがにしぶいんないじゅらしゃ
tahata yutakana naagushiku hitu nu kukuruN yuuyuu tu kugani shibuiN naijurasya
田畑が豊かな宮城人の心も悠々としていて 大切な冬瓜の実もよく実っている
語句・しぶい 冬瓜。



六、真風ぬ具志村平原や 地味ん豊かに満作ぬ 働く人ん豊かなリ
まふぇぬぐしむらひらばるや じみんゆたかにまんさくぬ はたらくひとぅんゆたかなり
mahwee nu gushimura hirabaru ya jimiN yutaka ni maNsaku nu hataraku hituN yutakanari
南風が吹く具志村の平原は土地が肥えて豊かに満作となり働く人も豊かである
語句・じみ 地味(ちみ)とは土地が肥えていること。



七、芋種豊作高良村 人ぬ心ん福々とぅ 子孫牛馬ん優りゆく
んむすほーさくたからむら ひとぅぬくくるんふくぶくとぅ なしぐゎんぎゅーばんすぐりゆく
'Nmusu hoosaku takara mura hitu nu kukuruN hukubuku tu nashigwaN gyuubaN suguri yuku
甘藷(芋)が豊作の高良村 人の心も福々としていて子どもも牛馬も優れていく



八、道ぬ狭さや松川村 縦横広く明々とぅ 開く風水ぬ栄えさみ
みちぬしまさやまちがーむら たてぃゆくひるくあかあかとぅ ひらくふんしぬさかえさみ
michi nu shimasa ya machigaa mura tatiyuku hiruku 'aka'akatu hiraku huNshi nu saki sami
道が狭いと言えば松川村だ 縦横に広く明々と開く風水も良くて村が栄えるのである
語句・ふんし「家屋・墓地などの位置のよしあしを占うこと。またそのよしあし。家相。風水。」【沖辞】。村や間切などの風水も調べた。・さみ「・・なのだぞ。・」



九、二才達揃わい宇栄原や 西ん東ん肝合わち 互に励むしたぬむしや
にせーたーしなわいういばるや いりんあがりんちむあわち たげにはぎむしたぬしむや
niseetaa shinawai 'uibaru ya nishiN higashiN chimu 'awachi tagee ni hagimushi tanumushi ya
青年たちが揃っている宇栄原は西も東も心を合わせて互いに励んで頼もしいことだ



十、村ぬ大ぎさや小禄村 業ん数々分守てぃ内外揃てぃ栄え行く
むらぬまぎさやうるくむら わざんかじかじぶーまむてぃ うちすとぅするてぃさかえゆく
mura nu magisa ya 'uruku mura wazaN kajikaji buu mamuti 'uchisutu suruti saki yuku
村が大きいのは小禄村だ 仕事も多く人夫も守り村の内外揃って栄えて行く
語句・わざ仕事。・ぶー 「【夫役(ぶやく)・賦役(ふえき)】人夫」【琉球語辞典(半田一郎)】。



十一、水ぬ豊かな田原村 人ぬ心んうるわしく 往に報いてぃ道広し
みじぬゆたかなたばるむら ひとぅぬくくるんうるわしく おーにむくいてぃみちひるし
miji nu yutakana tabaru mura hitu nu kukuruN uruwashiku 'oo ni mukuiti michi hirushi
水が豊かな田原村は人の心も麗しく往来も多いことに報いるために道が広い
語句・たばる 田原は湖城、松川、堀川と共に新しい村。・うるわしく 大和口であろう。・おー ウチナーグチの辞書では「王」や「奥武島」くらいしか対応しない。ここでは「往来」の「往」とした。



十二、言葉甘さや金城 老も若衆ん打ち揃てぃ 譲い結びぬ肝清らしゃ
くとぅばうまさやかなぐしく ういんわかしゅん うちするてぃ ゆじゅいむすびぬちむじゅらしゃ
kutuba umasa ya kanagushiku 'wiiN wakashuN 'uchisuruti yujui musubinu chimu jurasha
言葉が上手な金城 老いも若きも揃って 譲りながら心を結んで心は純粋だ
語句・うまさ 大和口。金城からは優秀な人材を多く輩出したということからか。



十三、人ぬ温和赤嶺や 互に栄えや道一ち 結び固みどぅ栄えさみ
ひとぅぬうとぅなさあかんみや たげにさけーやみちてぃーち むしびかたみどぅさかいさみ
hitu nu 'utunasa 'akaNmi ya tagee ni sakee ya michi tiichi musibi katami du sakaisami
人がおとなしいのは赤嶺。互いに栄えるのは道を一つに結んで固めているからこそ栄えるのである。
語句・うとぅなさ <うとぅなしゃん。「おとなしい」【沖辞】。



十四、遊び清らしゃぬ安次嶺や 神に奉献真心に 子孫牛馬ん道広く
あしびじゅらしゃやあしんみや かみにほーけんまぐくるに なしぐゎんぎゅーばんみちひるく
'Ashibi jurashanu 'ashiNmi ya kami ni hookeN magukuru ni nashigwaaN gyuubaN michi hiruku
神遊び(かみあしゃぎ)も盛んな安次嶺は 神に真心を献上し 子ども牛馬も前途洋々だ
語句・あしび ここでは祭事、神事を指す。



十五、大根豊作す鏡水や 日々ぬ励みんたゆみなく 行末広くたのもしや
でーくにーゆからすかがんじやひびぬはぎみんたゆみなく ゆくしーひるくたぬむしや
deekunii yukarasu kagaNji ya hibi nu hagimiN tayuminaku yukushii hiruku tanumushiya
大根(鏡水大根)を多く稔らせる鏡水は日々の農作業にもたゆみなく励み 村の行く末も広く頼もしい事だ
語句・デークニー 大根。かつては大根に加え多くの農産物を国頭方面や近郊都市に送り出す都市近郊型の経済があった。



十六、巡り廻やい当間村 手墨学問道広く 花ぬ遊びん程々に
みぐりみぐやいとーまむら てぃしみがくむんみちひるく はなぬあしびんふどぅふどぅに
miguri miguyai tooma mura tishimi gakumun michi hiruku hana nu ashibiN huduhudu ni
巡りめぐって当間村 勉学に励んで道は広く (でも)華やかな遊びはほどほどに
語句・てぃしみ 学問。勉学。・はなぬあしび 華やかな遊び。こちらの「遊び」は遊郭や毛遊びなどの交遊を表す。



十七、下りてぃ上ゆる嘉増坂 又ん上ゆる蚊坂 儀間や湖城下に見てぃ
うりてぃぬぶゆるかましびら またんぬぶゆるがじゃんびら じーまやくぐしくしたにみてぃ
'uriti nubuyuru kamashibira mataN nubuyuru gajaNbira jiima ya kugushiku shita ni miti
下がって登る嘉増坂 またさらに登るとガジャン坂 儀間や湖城を下に眺めて
語句・じーま儀間真常



十八、北に聳ゆる住吉森 南にとぅがとる上ぬ棚 儀間ぬ大親 徳慕てぃ
にしにすびゆるしーしもー ふぇーにとぅがとーるうぃぬたな じーまぬうふうや とぅくした
てぃ
nishi ni suboyuru shiishimoo hwee ni tugatooru wii nu tana jiima nu 'uhu 'uya tuku shitati
北にそびえる住吉森 南にとがっている上の棚 ご先祖様である儀間の徳を慕って





十九、甘藷種豊かに 那覇四町 大和輸出ゆる黒砂糖 小禄紺地ん誇リさみ
んむすゆたかに なふぁゆまち やまとぅぬぶゆるくるざーたー うるくくんじん ふくりさみ
'Nmusu yutakani nahwa yuumachi yamatu nubuyuru kuruzaataa 'uruku kuNjiN huluri sami
芋の実りも豊かに那覇四町(西、東、泉崎、若狭)に売り、大和に輸出する黒砂糖、小禄紺地も誇りであるぞ
語句・うるくくんじ 17世紀から始まった木綿布で作られた紺地の絣。1611年に儀間真常が薩摩から木綿の種を持ち帰り栽培した。そして儀間真常も木綿の生産を勧めた。木綿を琉球藍で染めることで本土にはない味わいの琉球紺絣が生まれた。戦前まで生産され九州などで好評だったが沖縄戦で伝統が途絶えた。現在復活させる活動が行われている。



二十、行末頼む村人よ 意見寄事肝染みてい エイ 時代ぬ流りに進み行き いざや興さん小禄村
ゆくしーたぬむむらびとぅよ いちんゆしぐとぅちむすみてぃ えい じだいぬながりにすすみゆき いざやうくさん うるくむら
yukushii tanumu murabitu yoo 'ichiN yushigutu chimu sumiti eei jidai nu nagari ni susumiyuki 'iza ya 'ukusaN 'urukumura
将来を望む村人よ 意見や昔からの言い伝えを心に染めて 時代の流れに進んで行き いざや興そう小禄村
語句・ゆしぐとぅ 昔からの言い伝え。伝承。



コメント

このブログを読む方には那覇空港を利用する方も多いに違いない。

しかし那覇空港も、ゆいレールに乗って次の駅赤嶺も、もちろん次の小禄も昔は「小禄間切」であったことはあまり意識される方少ないのではないだろうか。

そして、あの空港があったあたりは、昔綺麗な砂浜と大根の畑があったこと。

さらに、ゆいレールでは車内に駅ごとに音楽が流れるが、小禄駅は「三村踊り」(みむらうどぅい)と言う曲が流れる理由をご存知だろうか?

実は私も正直に言えばこの口説に出会うまでは「小禄」について知らないことばかりだった。

皆さんと一緒に「小禄間切口説」を見ながら、歴史と今について考えてみたい。

この口説との出会い

この口説を取り上げるきっかけになったのは、この口説十五番の歌詞をガラスの置物に書いた置物との出会いからだった。

十五、大根豊作す鏡水や 日々ぬ励みんたゆみなく 行末広くたのもしや

広島の沖縄料理屋「うちな〜」の大将は小禄は鏡水のご出身。
ある時この置物を見せてくれた。名物の鏡水大根(カガンジデークニー)を模したミニチュアが横に付けられている。



大将の話で、小禄の人々の門中意識の高さ、地域の結びつきが強いことなども伺って、それではこの口説はどんなものなのか、調べてみたいと思った。

「小禄間切口説」について

二十番にも及ぶ長い口説である。

口説(くどき)は江戸時代に日本で流行したウタの一種だが、琉球に持ち込まれ組踊の情景描写、舞踊などで使われるようになり現在にまで継承され今も沖縄では愛されている。



上述したように歌詞は「沖縄民謡口説大全集」(沖縄芸能出版 滝原康盛編著)を参照した。

この本、口説大全集と言う名の通り99もの口説を収集し紹介されている。
若干の誤植、表記の揺らぎなどがあるが、それでも価値は高い。

小禄間切の歴史と概要

小禄間切は1673年に真和志真切と豊見城真切から分割されてできた。小禄・儀間・金城(真和志間切から)と、赤嶺・安次嶺・当間・大嶺・具志・高良・宇栄原・宮城(豊見城間切から)の合計11カ村からスタートした。その後、湖城・松川・田原・堀川という4ヵ村を新設。合計15カ村となる。

1908年に小禄間切から小禄村になる。1933年から海軍によって飛行場が作られ、戦後は米軍によって大嶺、当間などが接収。1954年に那覇市に編入されて小禄村は廃止。現在は十九の町名がある。

小禄間切口説の特徴

一番から三番までは、いわゆる口上、これからどのような口説を述べるかの前提である。
四番から十九番は各村の特徴や産業、人々の生業や特徴が織り込まれている。
二十番がまとめとなる。

語数は七、五の繰り返しを三回。
つまり、七五、七五、七五。
二十番だけが、七五、七五、(エイ)七五、七五。(三回目の七は字余りで八)
三線の手は「上り口説」と同じだと思われる。

小禄紺地と三村踊り

三村踊り(クリックで本ブログの「三村踊り」に行く)とは、ご周知のようにこの歌詞から始まる。

小禄 豊見城 垣花 三村 三村のアン小達が揃とて布織い話 綾まみぐなよ 元かんじゅんど
小禄 豊見城 垣花(の)三つの村 三つの村の姉さん達が揃って布織り話 模様を間違えるなよ 元が取れず損をするぞ

この娘さん達が織っているのは、まさにこの口説に出てくる「小禄紺地」なのである。

新聞などによれば戦争で途絶えた小禄紺地の技術が長年の努力によって近年復活したと言うことである。小禄の隣町の南風原町には南風原絣がある。こちらは絹の生地であるが、小禄紺地は木綿である。庶民の着物といえば木綿であろう。
いつか小禄紺地の実物を見てみたいものだ。



1920年(明治43年)に日本陸軍が作り、スタンフォード大学が公開している地図に、小禄間切の12カ村の名称を筆者が書き込んだもの。




国土地理院の地図。ほぼ現在の様子。
戦前は旧日本海軍が小禄飛行場を建設し、住民は他の字への強制的な移住をさせられた。

沖縄戦では徹底的にに米軍によって空爆、艦砲射撃の的となり激戦地となり、その後米軍基地として小禄の多くの部分が米軍の軍用地となった。

そして、沖縄の本土復帰後、空港と自衛隊の基地の敷地となった。

多くの犠牲と地元の住民の方々の苦労の上に今の空港や多くの施設が成り立っていることを忘れてはならない。




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Posted by たる一 at 12:59Comments(0)あ行沖縄本島

2018年04月12日

安里屋ゆんた

新安里屋ゆんた
しんあさどやゆんた
語句・しん 「新」をつけるのは八重山民謡としての「安里屋ゆんた」などと区別するためである。・あさどや 元歌の「安里屋ゆんた」で最初に歌われる女性の屋号が「安里屋」だったことから。その名は「クヤマ」(1722ー1799年)で竹富島に実在したとされる。元歌の竹富島では「あさと」と読んで濁らない。・ゆんた 八重山で唄われるウタの形式の一つで仕事唄。長編の叙事詩が多い。「読み歌」から来ているという説がある。


作詞 星 克 作曲 宮良長包


1、(さー)君は野中のいばらの花か(さーゆいゆい)暮れて帰れば(やれほに)ひきとめる(またはーりぬ つんだらかぬしゃまよ)
(括弧の囃子言葉は以下省略。又発音も省略)
君(女性)は野に咲くイバラの花か 日も暮れてきたので帰ろうとすると引き止める 愛しいあなたよ
語句・さー囃子言葉。調子を整える。・ゆいゆい 囃子言葉。「ゆい」という労働形式で歌われたゆえんなのか、独自の意味があるのか不明。本土の民謡の「よいよい」と似ている。・やれほに 意味は「やれ ほんに」つまり「本当に」。「やれほんに」と歌っても間違いではない。・またはーりぬ 「また」は繰り返す時の囃子。「はーりぬ」は諸説あるが定説はない。「はり」が「晴れ」「ハレの日」との関連があるという説がある。・つんだら<つぃんだら。かわいらしい。 かわいそうである。<つぃんだーさん。・かぬしゃま <かぬしゃー 「男性からいう女性の恋人。『愛(かな)しき人』の意。『かぬしゃーま』ともいう。」




2、嬉しはずかし浮名を立てて 主は白百合 ままならぬ
嬉しくもあり恥ずかしくもあるが 貴方との噂が立って 貴方はまるで白百合 わたしにはままならない



3、田草とるなら十六夜(いざよい)月夜 二人で気兼ねも 水いらず
田の草(雑草)を取るなら十六夜の月がいい 誰もいないので気兼ねもせず二人で居られる



4、染めてあげましょ 紺地の小袖 かけておくれよ情けのたすき
染めてあげましょう 貴女の小袖を紺地に だから 私の肩にかけておくれよ 愛のこもった手ぬぐいを



解説

【概要】

1934年9月、八重山の安里屋ゆんたを観光ソングとして改作したもので、現在「安里屋ゆんた」といえばこれを指す場合も多いが、元歌と区別するために「新・安里屋ゆんた」という場合もある。この歌詞には元歌の「クヤマ」も役人も出てこない。普通の恋歌である。

作詞をしたのは星克(1905ー1977年)。彼は石垣島の白保尋常高等小学校(現・石垣市立白保小学校)代用教員だった。作曲は宮良長包(1883ー1939年)。沖縄師範学校で音楽教師をしていた。この二人がコロンビアレコードの依頼で制作し、発表されたことで全国に広まった。戦争中は囃子の「つんだらかぬしゃまよ」を「死んだら神様よ」と戦争に都合よく歌い変えられるという悲しい時代もあった。

「新安里屋ゆんた」は標準語のウタであり、私のブログでは沖縄・琉球語の歌を主に解説してきたので取り上げてこなかった。しかし標準語とはいえ70年以上も前のウタとなると「意味がわかりにくい」という声も聞く。そこでわかりやすい意訳にもしながら解説することにする。

「安里屋」がついた八重山民謡は大きく分けると以下のようになる。(それぞれ「たるーの島唄まじめな研究」とリンクされているので詳しくはそちらを参照)

1、竹富島の安里屋ゆんた
2、石垣島などの安里屋ゆんた
3、八重山古典(節歌)としての安里屋節
4、琉球古典としての安里屋節(早弾き)
5、新安里屋ゆんた

おそらく1、竹富島の安里屋ゆんたが一番古く、それが石垣島や古典、節歌へと形を変えていったと思われる。最も新しいのが「新安里屋ゆんた」ということになる。

【詳細の検討】

4番に加えて次の歌詞が付け加えられて歌われることもある。というより現在では5番までが普通となっている。

5、沖縄よいとこ一度はおいで 春夏秋冬緑の島よ
沖縄は良いところ 一度はいらっしゃい 一年中緑あふれる島だから


「新安里屋ゆんた」は標準語の歌詞ではあるが、琉球時代から続く風習を下敷きにした歌詞であり、決して現代の生活感覚からは導き出せない歌意も含まれているように思う。

1番から見ていこう。
例えば「暮れて帰れば(囃子)引き止める」の部分は男性が女性を訪ね、そして帰るという様子であるが、八重山諸島だけでなく琉球では古くから明治、大正期まで「通い婚」が行われていた。男性が女性の家に通い結婚した後も子どもができるまで通ったという婚姻制度だ。だがそれは夜のこと。「暮れて」とあるので昼間の逢瀬だ。そういう制度があったことを頭に入れて歌詞を理解することも無駄ではない。

2番に出てくる「主」とは「男性」のことを意味する。「白百合」とあるので女性と勘違いする方も少なくない。男性を「主」と呼ぶのは「男女差別」だという方の気持ちもわからないでもない。その場合は逆に「女性」だと解釈しても何の差し支えもないと思う。

3番
何故、田草をとるには十六夜の月夜がいいのか。十六夜とは当然十五夜の翌日の月のことであるが、一般に「満月より柔らかい明るさ」「少し遅れて出てくる」などが特徴。また十五夜の日は一日とともに御願(ウガン)が行われたり年中行事も多い。また十五夜の月夜にはモーアシビ(野外での青年たちの遊び)も行われた。十六夜はその翌日で作業も休日になることも歌詞を考える材料になる。

4番
紺地の着物は琉球時代、結婚した夫人の正装であり、そこから「紺地に染める」とは結婚を意味する。「情けのタスキ」とは八重山のミンサー織りの手ぬぐいを女性が男性に渡して、男性の求婚に応えたという歴史を反映している。したがって、男性が女性に向かって歌っていると解釈できる。

以上はあくまで筆者の「新安里屋ゆんた」の解釈である。


▲「新安里屋ゆんた」にクヤマさんは出てこないが、「安里屋」は使われている。クヤマさんに敬意を込めて、お墓の写真を掲載しておく。




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Posted by たる一 at 07:07Comments(0)あ行

2018年01月17日

アカバンタ

あかばんた
あかばんた
'akabaNta
語句・あかばんた 沖縄県南城市佐敷手登根にある丘の上にある広場の名前。「はんた」は「端。はしっこ」「崖のふち。また崖」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。崖に面した場所を指す。昔は「毛遊び(もーあしび)」という青年男女の交遊が行われた。


【作詞宮城鷹夫 作曲松田弘一】
(歌詞は1〜3は佐敷手登根の歌碑から、4は筆者CDから聴き取り)

一、 むかし名にたちゅる 野遊のハンタ 佐敷手登根のアカバンタやしが 云語れやあても (今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て)
んかしなーにたちゃる もーあしびぬはんた さしちてぃどぅくんぬ あかばんたやしが いかたれやあてぃん (なまぬゆーになりば くいぬかりくさに うたぐぃだきぬくてぃ)
Nkashi naa ni tachuru mooashibi nu haNta sashichitidukuN nu 'akabaNta yashiga 'ikataree ya 'atiN (nama nu yuu ni nariba kui nu karikusa ni 'utagwi daki nukuti)
【括弧は繰り返しなので以下省略する】
昔有名だった毛遊びをした崖のふち 佐敷手登根のアカバンタであるが 男女の契りはあっても今の世になれば 恋の(終わったかのような)枯れ草に歌声だけが残っている
語句・なーにたちゅる 有名な。・いかたれー 「男女の契り。男女の語らい。」【沖辞】。「い」は「云」の当て字がされるが「美称の接頭辞。名詞に付き、意味に特別な価値を添える」【沖辞】とある。「かた」は「語らい」の意味だけでなく「仲間になる」とい意味を含む。「味方」の「かた」と同じ。



二、 三線小ぬ弦に 恋の歌かけて 肩抱ちゃいともて 思い寄る二才小 うり振たるあば小 今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て
さんしんぐゎーぬ ちるーに くいぬうたかきてぃ かただちゃいとぅむてぃ うみゆゆるにせーぐゎー うりふたるあばーぐゎー
saNshiN gwaa nu chiruu ni kui nu 'uta kakiti katadachai tumuti 'umi yuyuru niseegwaa 'uri hutaru 'abaagwaa
三線の弦に恋のウタをのせて 肩を抱こうと思って愛を寄せる青年 それを振った姉さん
語句・ちるー 弦。元は植物の「ツル」から。・にせーぐゎー「にせー」は青年、の意。南九州地方の方言「にせ」と共通。・あばーぐゎー 姉さん。「姉。ねえさん。農村で用いる語。」



三、 マガイ小の遊び アカバンタ遊び 手さじ小や肩に ひっかけてからに ちやねることなたが 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
まがいぐゎーぬあしび あかばんたあしび てぃーさじぐゎーや かたに ひっかきてぃからに ちゃねるくとぅなたが
magaigwaa nu 'ashibi 'akabaNta 'ashibi tiisaji ya kata ni hikkakiti karani chaaneeru kutu nata ga
マガイ小での遊び、そしてアカバンタでの遊び 手ぬぐいを肩にかけてどんなことになったやら
語句・まがいぐゎー アカバンタの北西に位置する海岸に近い場所を指す。地名では仲伊保。つまりアカバンタとマガイ小と二ヶ所が大きなモーアシビの場所だった。・ちゃーねーる (ちゃー)どんな(ねーる)ように。



四、 アカバンタひらん マガイ小ぬあとぅん 毛遊びぬ花や 松んかりはてぃてぃ みるかたやねさみ 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
(「マガイ小ぬあとぅん」の所は「マガイ小ぬ原(はる)ん」とした「松田弘一作品集もある。」)
あかばんたひらん まがいぐぁーぬあとぅん もーあしびぬ はなや まちんかりはてぃてぃ みるかたやねさみ
'akabaNta hiraN magai gwaa nu 'atuN mooashibi nu hana ya machiN karihatiti mirukata ja neesami
アカバンタの坂もマガイ小の跡も モーアシビの花(女性)も松(男性)も枯れ果てて みる所もないのだ
語句・ひら 坂。古事記でも「比良」という。・さみ 「…なのだぞ。…なんだよ。」【沖辞】。ねー(ない)さみ(のだよ)。





【歌碑にある琉歌より】

アカバンタ坂や手登根の腰当て 花も咲き美らしゃ島も清らしゃ
あかばんたひらや てぃどぅくんぬ くさでぃ はなんさちじゅらさ しまんちゅらさ
'akabaNta hira ya tidukuN nu kusadi hana N sachijurasa shima N churasa
アカバンタの坂は手登根の後ろにある聖地 花も咲いて美しい 村も清らかだ
語句・くさでぃ 当て字は「腰当て」とあるように、「くし」は背中や腰を指している。後ろ側という意味でも使われる。沖縄では昔から「◯◯やくさでぃ たぶくめーなち」と言い、村の後ろ側に高い丘や山があることで豊かな水が得られて、その前にある田んぼでは豊作となる、という考えがある。理にも叶っている。その聖地を守るように御嶽が麓に置かれていたりする。高台はハンタと呼ばれ、若者たちのモーアシビの舞台ともなった。つまり「くさでぃ」は聖地とも言い換えられる。



(解説)

「アカバンタ」は手登根出身の宮城鷹夫さんが作詞され民謡歌手の上原正吉さんが歌っている。
明治末期まで続いたモーアシビは地元の青年たちの文化活動と自由な恋愛を支えた。そのモーアシビが行われた記憶を残そうと地元の有志の方々が中心となって、2017年にアカバンタの歌碑を完成させた。


▲手登根にあるアカバンタの歌碑。

モーアシビは「毛遊び」とか「野遊び」と当て字がされるが、「もー」というのは耕作地ではない草むらのこと。本ブログにおいて、本部ミャークニーや今帰仁ミャークニーの解説で繰り返し書いたように、明治末期までは続いた村の青年たちの異性交遊の場であり、ウタが生まれた「文化の揺りかご」のような場所だったと言える。


▲歌碑の周りは、草が刈られ、今にでもモーアシビのウタが聞こえてきそうだった。

多くはハンタと呼ばれる村の高台、崖の上などのような場所で、集落から少し離れていた。
月夜の晩に、草むらを踏みつけて場所を作り、酒や料理を持ち寄り、三線や太鼓があればそれを弾き叩き、歌い、踊ったという。ウタは交互に唄って、即興で歌詞をつける。上の句をあるものが歌えば、下の句を別のものが唄う。気に入ったもの同士で気持ちを確かめたりもしたと古老から聞いた。

アカバンタの歌詞では一番から三番にかけて、その様子がうたいこまれている。
そして現在はもうみられなくなったモーアシビへの郷愁感、惜別の想いが「今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て」という繰り返されるサビによって引き立っている。

四番は歌碑にはなく、上原正吉さんが唄うものからの採譜だが、その寂寞の想いを改めて歌い上げている。



現在はアカバンタは生い茂った木々を整理して広場のようになっている。
地域のイベントとして「モーアシビ」を再現するようなものも行われているようである。



「マガイ小ぬ遊び」がわからず南城市の教育委員会からアカバンタ有志の会の方にお電話をさせていただいた。上にあるようにアカバンタ以外のモーアシビの場所だということだった。

実際にアカバンタの歌碑がある場所に皆さんも足を伸ばして欲しい。この歌碑と見える景色とで、そこで繰り広げられたモーアシビの昔の姿が見えてくるかもしれない。


▲Google mapに大まかな場所を書き込んだ。アカバンタの歌碑は見つかりにくい。「カフェくるくま」の看板の近くにチェーンが張られた場所があり、そこから入っていく。地元の方に聞くのが一番なので手登根公民館や教育委員会に尋ねると良い。


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2015年06月21日

大兼久節

大兼久節
うふがにくぶし
'uhuganiku bushi
名護の大兼久の歌
語句・かにく 「海岸の砂地;馬場。★地名の兼久[Kaniku]、我如古[Ganiku]も同源。」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】と略す)



名護の大兼久 馬はらちいしょしや 船はらちいしょしや わ浦泊
なぐぬ うふがにく んまはらち いしょしゃ ふにはらち いしょしゃ わうらどぅまい
nagu nu 'uhuganiku 'Nma harachi 'ishoosha huni harachi 'ishoosya wa 'uradumai
名護の大兼久は 馬を走らせて楽しい。船を走らせて楽しいのは 我らの浦泊である。
語句・はらち 走らせて。<はらしゅん。走らせる。<はゆん。走る。の使役形。・いしょしゃ 楽しい。<いしょーしゃ。楽しさ(名)・うらどぅまい 「浦、うら」とは自然に湾曲した港、入江のこと。「とぅまい」は船が出入りし、嵐の時には船を避難させる場所。



古典では昔節の「じゃんな節」のチラシ。
名護市の大通り、沖縄銀行の角にこの歌碑がある。






「兼久」(かにく)とは「砂場の平地」のことで、そこを馬場として利用することが多かったようだ。あちこちにこの地名がある。

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2014年08月19日

裏座小

裏座小
うらざぐゎー
'uraza gwaa
裏座敷
語句・うらざ 「裏座敷。女部屋。婦人の居間。遊郭では、女郎が客をとる部屋。」【沖縄語辞典】。・ぐゎー 沖縄語辞典によると「小」をつける場合は幾つかのケースがある。たとえば①小さいことを表し、またその愛称。 ②子供の名について愛称となる。③少量であること。 ④軽蔑の意。 ⑤分家の意。とある。歌の名前を呼ぶ時に「宮古根小」(なーくにーぐゎー)などと、「小」をつけたるする場合、すこし卑下した感じを受ける時がある。愛情があるのだが人前では卑下する④の「小」でないか、と推測する。本土で「・・小唄」とつけるようなものではないだろうか。


作詞/照屋 林助 作曲/喜納 昌永


一、(男)無蔵が裏座や ぬくぬくとぅ 冬ん春風 吹ちがすら 梅とぅ桜ぬ 花活ちてぃ 一鉢に咲かち 眺みぶさ
んぞがうらざやぬくぬくとぅ ふゆんはるかじ ふちすがら んみとぅさくらぬ はないちてぃ ちゅばちにさかち ながみぶさ
Nzo ga 'uraza ya nukunuku tu huyuN harukaji huchisugara 'Nmi tu sakura nu hana 'ichiti chubachi ni sakachi nagamibusa
貴女の裏座はぬくぬくと 冬も春風が吹いているのか 梅と桜の花を活けて一鉢に咲かせてみたいものだ
語句・んぞ 男性が愛する女性を呼ぶ時の呼称。形容詞「んぞーさん」から。九州にも「んぞらしい」(可愛い)という語があり関連している。「無造作」から来ているという説も。・ふちがすら 吹いているのか。<ふちゅん。ふち+が 「疑わしさを表す文に用いて、文の疑わしい部分に付く」。+ すら しているのか?



ニ、(女)互にかながな語る夜や 冬に夜長ん なぎ足らじ 時計ぬ針ん 押し戻ち まじゅん朝寝 しち見ぶさ
たげにかながなー かたるゆや ふゆにゆながん なぎたらじ とぅちーぬはーいん うしむどぅち まじゅんあさにーしちみぶさ
互いに仲良く語る夜は冬の夜長であっても長さ足らないだろう。 時計の針を戻して一緒に朝寝をしてみたいわ
語句・かながな 仲良く。<かながなーとぅ。・なぎ 長さ。・たらじ 足らないだろう。「じ」は打消し推量。「ないだろう」。



三、(男)どぅくから止みてえ 呉んなよう 明日ん明後日ん 有いどぅする 行くなんでぃ 云ゆる 汝やかにん 行ちゅる我がる 苦りさしが
どぅくからとみてーくぃんなよー あちゃーんあさてぃん あいどぅする いくな んでぃ いゆる やーやかにん いちゅるわーがる くりさしが
ひどく帰るのを止めてくれるなよ 明日も明後日もあるのだから 行くなと言うお前は こんなにも行く私こそ苦しいのだけど
語句・どぅく「過度に、余りに(も)ひどく」【沖辞】。・んでぃ ・・と。・かにん かに+ん 「かように」も。 ・わーがる 私こそ。私のほうが。<わーがどぅ。 ・くりさしが 苦しいのだけど。<くりしゃん。くりさん。苦しい。+しが。だが。



四、(女)里前やらち うぬ後や 枕ぬ一ち けえ余てぃ まあが行ぢょうら 今時分のー ちゃあし暮すが 我ん一人
さとぅめーやらち うぬあとぅや まくらぬてぃーち けーあまてぃ まーがんぢょーら なまじぶのー ちゃーしくらすが わんひちゅい
貴方を行かせてその後は 枕が一つ余って どこに行っているのやら 今時分にはどうやって暮らそうか 私一人
語句・さとぅめ 貴方様。<さとぅめー <さとぅ。 女性が愛する男性を呼ぶ呼称。+めー 様。「尊敬の意を表す接尾辞」【沖辞】。・やらち 行かせて。<やらしゅん。やらすん。「遣る。つかわす。行かせる」【沖辞】。・けー ちょっと。・まー どこ。・んじょーら 出て行っているのやら。<んじ<んじゅん。出る。



五、(女)かんし毎夜通いねえ 噂ぬ立ちゅんでぃ 知りなぎな (男)何がやら行逢らね やしまらん (男女)あんしん愛さる 二人が仲
かんしめーゆるかゆいねー うわさぬたちゅ んでぃ しりなぎな ぬーがやらいちゃらねーやしまらん あんしんかなさる たいがなか
こんなに毎夜通うなら噂が立つと知りながら 何故か会わないと心が休まらない それほども愛している二人の仲
語句・かんし「かように。こんなに」【沖辞】。<かん(こう)+し<っし(して) ・かゆいねー 通うなら。<かゆゆん、かゆいん(通う)の語尾と「ば」が融合して「ねー」となり、仮定を表す。 ・んでぃ…と。 ・なぎな ながら。しているのに。「逆説の場合に用いる」<なぎーな。 ・いちゃらね 会わないと。<いちゃゆん いちゃいん。(出会う)の否定形。いちゃらん。+ねー(仮定法)。 ・あんしん そんなにも。<あんし(そんなに)+ん(も)。



戦後の民謡界の重鎮二人が作詞作曲している人気の高い名作。
設定は遊郭の「じゅり」(女郎)と客の話であろうか。

ほのぼのとした曲調とお互いを深く思い遣る男女の機微が節々に込められている。

裏座小とは、沖縄の古民家において北側にある裏間取りのことである。


たいていは南向きに客間(一番座)、仏間(二番座)があり、それぞれの裏側にある部屋が裏座であった。
大抵は寝室として使う。
産室や若夫婦の部屋、子供部屋にも使われる。
体や心を病んだ者もこの裏座で治療したという。

遊郭では客を取る部屋であるが、「じゅり」が生活もできるようにしてあったという。

音源は喜納昌永の「芸歴70周年記念 沖縄民謡情歌特集」。


YouTubeでは、よなは徹とユイユイシスターズの山川まゆみが「第二回コザてるりん祭」で歌ったもの。



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2013年12月07日

あこがれの唄

あこがれの唄

作詞・作曲 普久原 朝喜

[題名は「あこがれのうた」と標準語読みだと思われる。「あくがり」をウチナーグチに直すと「うむいくがりゆん」となり「あくがり」とは読まない理由で。]

一、行ちぶさや大和 住みぶさや都 あさましや沖縄 変わいはてぃてぃ 変わいはてぃてぃ
いちぶさややまとぅ すみぶさやみやく あさましやうちなー かわいはてぃてぃ かわいはてぃてぃ
'ichibusa ya yamatu sumibusa ya miyaku 'asamasi ya 'uchinaa kawai hatiti kawai hatiti
行きたいよ本土 住みたいよ都 あさましいよ沖縄 変わり果ててしまって
語句・ぶさ <ぶしゃん。ぶさん。 ・・・したい。 「fus(j)anの連濁」【琉球語辞典】。・あさまし <あさまさん。あさましい。「あさましい」とは国語辞書に「卑しい」「見苦しい」「予想外の結果に驚きあきれるようす」とある。


二、大和世に変わてぃ アメリカ世なてぃん ぬがし我が暮らし 楽んならん 楽んならん
やまとぅゆーにかわてぃ あみりかゆーなてぃん ぬがしわがくらし らくんならん らくんならん
yamatu yuu ni kawati 'amirika yuu natiN nugashi waga kurashi rakuN naraN rakuN naraN
日本(支配)の世に変わって アメリカ支配の世になっても どうして我が暮らしは楽にならないのか
語句・ゆー 「世、代」【琉辞】。・ぬがし 「nuu+ga+[強意助詞]si」【琉辞】。どうして。「どう」という意味もある。


三、戦場ぬ後や かにんちりなさや 見るん聞くむぬや 涙びけい涙びけい
いくさばぬあとぅや かにんちりなさや みるんちくむぬや なみだびけい なみだびけい
'ikusa ba nu 'atu ya kaniN chirinasa ya miruN chiku munu ya namida bikei namida bikei
戦場の後は こんなにも情けないものよ 見るもの聞くもの 涙がでるばかり
語句・いくさば 戦場。単に場所のことだけでなく「戦争」そのものを指すこともある。・かにん<かに。「斯(か)く、かように」【琉辞】。口語では「かん」。+ん 強調の「も」。こんなにも。・びけい ばかり。「しか」と、限定する場合にも使うが、「くらい」と程度を表すこともある。(cf.南洋小唄)ここでは前者。・なみだ 普通は「みなだ」「なだ」、文語で「なみだ」という場合もある。


四、自由に我ん渡す 舟はらちたぼり 若さあるうちに 急じ行かな 急じ行かな
じゆにわんわたす ふにはらちたぼり わかさあるうちに いすじいかな いすじいかな
jiyu ni waN watasu huni harachi tabori wakasa 'aru 'uchini 'isuji 'ikana 'isuji 'ikana
自由に私を渡してくれる舟を走らせてください 若さあるうちに急いで行きたい
語句・じゆ 「じゆう」jiyuuと発音することもあるが歌、琉歌の場合は「じゆ」。・はらち <はらしゅん。はらすん。走らせる。・たぼり <たぼーゆん。たぼーいん。 下さる。 の命令形。してください。


CD「徳原清文の世界」にもある。「あこがれの歌」


沖縄戦で荒廃した沖縄への悲嘆とアメリカ支配の下での苦難を歌にしている。

四番の「急いで行きたい」というのはどこだろうか。

行きたいよ大和、と言っているのは、荒廃した沖縄とアメリカの支配にあえぐ人々の「できれば逃げ出したい」という本音であろう。

沖縄戦もいわば本土決戦を遅らせる「捨石」だったし、今も70%以上の米軍基地を押し付けている日本の政治構造は変わっていない。

その意味で私たちは、この歌のように「逃げたい」という気持ちを蔑むこともできないし、憐れむこともできないのである。

昨日国会で「秘密保護法」が成立した。
この歌のような荒廃と混乱をもたらす「戦場」が再び到来しないとは言えなくなった。

米軍基地があり、また中国に一番近い場所沖縄は、この秘密保護法の適用がもっとも多くなる場所。

「あさましい」のは、またまた沖縄に高い負担を押し付け、隣国との戦争への準備を多数の力を使って推進する政治家たちである。


秘密保護法成立に抗議して、この歌を訳した。


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2013年05月12日

糸縁節

糸縁節
いとぅゐんぶし
'itu yiN bushi
絃(いと)の縁の歌
語句・ゐん 縁(えん)。発音に注意したい。「ゐ」の発音は50音の中になく、「や行」の「ya yi yu ye yo」の「yi」がこれに相当する。

作詞 与儀 清賢    作曲 大城 志津子


一、(男)三味線ぬ音色 絃合わち鳴ゆさ ヨー 我んや肝合わち 無蔵とぅ鳴らな 染みなさや 思無蔵ヨ
さんしんぬにいる ちるあわちなゆさ よー わんやちむあわち んぞとぅならな すみなさや うみんぞよ
saNshiN nu ni'iru chiru 'awachi nayu sa yoo waN ya chimu 'awachi Nzo yu narana suminasa ya 'umiNzo yoo
三線の音色は絃を合わせて(ちんだみして)鳴るもの 私は心を貴方に合わせて鳴らしたい 愛を染めたい 愛しい貴女
語句・さんしん 三線。沖縄では「しゃみしん」「しゃみせん」ということが多い。「さんしん」の語源については「三絃[弦]〔中国音sanxian〕または三線〔中国音sanxian〕【琉球語辞典】。から。・ちる 絃。糸。ちなみに、一弦は男絃(うーじる)、二弦は中絃(なかじる)、三絃は女絃(みーじる)と呼ぶ。・ちるあわち 三線の絃を調弦することを「ちんだみ」というが、これは「絃(ちる)試し(たみし)」から来ているという説もあるが、一方、【琉球語辞典】によると、「ちる」+「たみゆん」(たわめる。矯(たわ)める)かわきているとある。「たわめる」とは「曲げたり、矯正すること」「狙いを定めること」「じっと見る」などの意味がある。・ならな 鳴りたい。なりたい。 「音が鳴る」の「なゆん」と「関係が成立する」という意味の「なる」(なゆん)をかけている。うみんぞ 愛しい貴女。うみ;愛しい。+んぞ;(男性から女性への呼称)貴女、あなた。 Cf,うみさとぅ(愛しい貴方)。


二、(女)三味ぬ音ぬ如に 色深く里前ヨー 何時迄んとぅ思てぃ 染みてぃたぼり 知らすなよやー 二人が仲
しゃみぬうとぅぬぐとぅに いるふかくさとぅめよー いちまでぃんとぅむてぃ すみてぃたぼり しらすなよーやー たいがなか
shami nu 'utu nu gutu ni 'iru hukaku satume yoo 'ichimadhiN tumuti sumithi tabori shirasuna yoo yaa tai ga naka
三線の音のように色を深く いつまでもと思って 愛を染めてください 知らさないでよね他人に 二人の仲を
語句・よーやー よー(命令形を柔らかくする「ねえ」)+やー(ねえ)。非常に優しい命令形。「よね」くらい。語句・たい 二人。hutari(ふたり)の「hu」と「R」が抜けたもの。「futa(r)iの頭音節消失」【琉辞】。


三、(男)歌とぅ三味線や 絃頼てぃ結ぶヨー 我んや無蔵頼てぃ 千代に結ば 染みなさやー 思無蔵ヨ
うたとぅさんしんや ちるたゆてぃむしぶ よー わんやんぞたゆてぃ ちゆにむすば すみなさやー うみんぞよ
'uta tu saNshiN ya chiru yu tayuti mushibu yoo waN ya Nzo tayuti chiyu ni musuba suminasa ya 'umiNzo yoo
歌と三線は絃をあてにして結ぶ 私は貴方をあてにして いつまでも結びたい 愛を染めたい 愛する貴女
語句・たゆてぃ 頼って。<たゆゆん。 良く唄でつかわれる。


四、(女)絃合わち弾ちゅる三味ぬ音ぬ如にヨー 互に肝合わち 浮世渡ら 知らすなよーやー 二人が仲
ちるあわちひちゅるしゃみぬにぬぐとぅに よー たげにちむあわち うちゆわたら しらすなよーやー たいがなか
chiru 'awachi h(w)ichuru syami nu gutu ni yoo tage ni chimu 'awachi 'uchiyu watara shirasuna yoo yaa tai ga naka
調弦(ちんだみ)して弾く三線の音のように 互いに心をあわせ 浮世を渡りたいね 知らさないでね 二人の仲を


五、(男女)三味ぬ糸頼てぃ 結ぶ糸縁ぬヨー 変わる事ねさみ 幾世迄ん 変わんなよーやー 二人が仲
しゃみぬいとぅたゆてぃ むしぶいとぅゐんぬ よー かわるくとぅねさみ いくゆまでぃん かわんなよーやー たいがなか
shami nu 'itu tayuti mushibu 'itu yiN nu yoo kawaru kutu nesami 'ikuyuu madiN kawaNna yoo yaa tai ga naka
三線の糸に頼って結び糸の縁が 変わることはないのだ 幾世までも 変わるなよ 二人の仲
語句・ねさみ ないのだ。 ね;「あん」(ある)の対、「ねーん」の語幹。+さみ;であるぞ。「saramiの短縮形」【琉辞】。



沖縄コンビ唄というCDに収録されている唄。

先日、三線、三味線を使った琉歌をしらべたが、歌の中で三線をテーマにした曲もしらべてみたら、これがあった。

歌三線 喜久山 節子 新城 慎一

とても軽妙な早弾きのコンビ唄で、三線の糸、絃を「縦糸」にして、男女の恋愛を「横糸」に唄が作られている。

他にも三線を唄に取り入れた曲をすこし探してみたい。


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Posted by たる一 at 12:29Comments(0)あ行沖縄本島

2013年04月12日

思やー小

思やー小
うむやーぐゎー
’umuyaa gwaa
愛しい人
語句・うむやー愛しい人。うむゆん。思う。動詞の語尾を伸ばすことで人格化することがある。(例)「あっちゃー」歩く人。「海あっちゃー」は、漁師の意味。・ぐゎー①小さいことを表す。②子供の名前について愛称になる。③少量であることを表す。④軽蔑の意味を表す。⑤分家の意味。(沖縄語辞典の要約)ここでは②の、子供の名前ではないが、身近な人を呼ぶ場合の「さん」くらいの愛称的な使われ方。

作詞 作曲 滝原康盛
唄 上原正吉


一、肝やあらなそてぃ 思まんふりすゆみ 朝夕胸やちゅる 我身ぬ心ゆ知りなぎな
(情きあてぃ かなし我ん思やー小)

ちむやあらなそてぃ うまんふりすゆみ あさゆうんにやちゅる わみぬくくるしりなぎな (なさきあてぃ かなし わん うむやーぐゎ)
chimu ya ’aranasoti ’umaNhuri suyumi ’asayu Nni yachuru wami nu kukuru shirinagina (nasaki ’ati kanashi waN ’umuyaa gwaa)
*括弧内は囃子。以下省略。
心になくて思っているふりできるかしら?毎日胸を焦がしている私の心を知りながら(情けがあってほしい 愛しい私の愛しい人)
語句・すゆみ できるか?・あさゆ <あさゆー。 一日中。毎日。・なぎな ながら。・かなし 愛しい。「悲しい」ではない。


二、行遭てぃ思事ん 語らていさしが 打ち開きんならん 我身ぬ心ぬ意地りなさ
いちゃてぃ うむくとぅん かたらていさしが うちあきんならん わみぬくくるぬ いじりなさ
’ichati ’umukutuN katarateei sashiga ’uchi’akiN naraN wami nu kukuru nu ijirinasa
会って思いを語りたいのだけど打ち明けることができない私の心のいくじなさよ
語句・てい ので。


三、思忘らやしが 面影や勝てぃ 肝ん肝ならん 我身ぬ心ぬ切りなさや
うみわしらやしが うむかじやまさてぃ ちむんちむならん わみぬくくるぬ ちりなさや
’umuwashira yashiga ’umukaji ya masati chimuN chimu naraN wami nu kukuru nu chirinasa ya
思いをわすれたいけれどあの人の面影が強くて気が気でない 私の心はあきらめきれないよ
語句・ちむんちむならん 動揺している様。気になってしょうがない様。よく琉歌では使われる。・ちりなさや 諦められない。←切ることができない。


四、誠肝あらば しんじんとぅ我身に 一言葉ぬ情き かきてぃとらせえよー思やー小
まくとぅちむあらば しんじんとぅわみに ちゅくとぅばぬなさき かきてぃとぅらせーよーうむやーぐゎー
Makutu chimu ’araba shiNjiNtu wami in chimu tuba nu nasaki kakiti turasee yoo ’umuyaagwaa
私を思う心があるなら 私に一言の情けをかけてくださいねえ 愛しい人よ
語句・しんじんとぅ 「しとやかにしているさま。静粛に控えているさま。しみじみじとの転意か」沖縄語辞典。・とぅらせー ください。<とぅらしゅん。「(命令形で)(…して)おくれ。kwireeよりも丁寧となる」(沖縄語辞典)




参考「正調琉球民謡 滝原康盛 作詞作曲集」
愛しい人への言えないけれど強い思いを綴った新民謡。
1971年に作詞作曲とある。
上原正吉さんの女性的な澄んだ歌声がよくマッチしている人気曲のひとつ。
下にYouTubeを貼り付けてあります。  続きを読む

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2013年03月13日

永良部子守唄

永良部子守唄
えらぶくゎむいうた
erabu kwamui 'uta
沖永良部島の子守唄
語句・くゎむい 子守。<くゎ 沖縄語では「っくゎ」(qkwa)+むい 守り。


一、眠ぶりぶりにぶり 誰が泣きでぃ言ちよ わが守らばにぶり ヨーヒヨ童
にぶりぶりにぶり たがなきでぃいちよ わがむらば にぶり よーひよわらび
眠り眠りしながら誰が泣けといったか 私が守るので眠りなさい「ヨーヒヨ」(不詳)子ども
語句・にぶりぶりにぶり 繰り返しによる韻を踏んだ表現だろう。


二、泣くなくな童 誰が泣きでぃ言ちよ 泣かなしゅてぃふでぃり 花ぬ童
なくな くなわらび たがなきでぃいちよ なかなしゅてぃ ふでぃり はなぬわらび
nakuna kuna warabi ta ga naki di ichi yo nakana shuti hudiri hana nu warabi
泣くな泣くな赤ん坊よ 誰が泣けといったか? 泣かないで育ってくれ 花のような子どもよ


三、うらがいちゃ泣ちゃんて うら親ぬ聞ちゅみ わぬどぅ親なとぅてぃ うらむ守ゆる
うらがいちゃなちゃんて うらうやぬ ちちゅみ わぬどぅ うやなとぅてぃ うらむむゆる
ura ga icha nachaNte ura uya nu chichmi wanu du uya natuti ura mu muyuru
お前が如何に泣いても お前の親は聞くまい だから私が親になってお前の守りをする
語句・うら沖永良部方言で「お前」。・いちゃ 如何に。ウチナーグチと同じ。


四、石ぬ上に土置いてぃ 土ぬ上に花植いてぃ うぬ花ぬ咲かば 我子にくりや
いしぬうぃにみちゃういてぃ みちゃぬうぃにはなういてぃ うぬはなぬさかば わくゎにくりや
ishi nu ui ni micha uiti micha nu ui ni hana uiti unu hana nu sakaba wa kwa ni kuriya
石の上に土を置いて 土の上に花を植えて その花が咲けば、私の子にくれよ
語句・みちゃ土。 ウチナーグチでは「んちゃ」。


五、おいしゃ鼠美おいしゃ 石垣ぬ穴から動くなよ 石垣ぬ穴から出行くとぅわ 猫々に喰わゆんど
おいしゃ おいしゃ ちゃおいしゃ いしぬごーから うんくなよ いしぬごーから うんくとぅわ みゃあみゃあに くゎゆんど
oisha oisha cha oisha ishi nu goo kara uNkuna yo ishi nu goo kara uNkutu wa myaamyaa ni kwayuN doo
ネズミ、ネズミ、美しいネズミ 石垣の穴から動くなよ 石垣の穴から動くと猫に食べられるよ
語句・おいしゃ 猫。沖永良部方言。・ ば。仮定法。「〜すれば」。ウチナーグチと同じ。


沖永良部民謡の「永良部子守唄」をとりあげた。
この歌は地元ではもちろん、ネーネーズや地元出身の歌手大山百合香さんなどが歌ったものがある。また内地の唄者にも人気がある。

曲は沖縄音階で作られている。

  


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2012年12月16日

上の山節

上の山節(一名 桑むい節)
うぃーぬやまぶし(くゎーむいぶし)
'wii nu yam bushi (kwaa mui bushi)
上の山の唄(別名 桑を採る唄) 

久米島民謡


一、(女)桑むいになじき 山登てぃうらば 里や草苅いになじき 忍でぃいもり ツォンツォンヤーツォン 山んじ里前に真心語らば骨なてぃ骨なてぃ いちゃならわんまま
くゎーむいになじき やまぬぶてぃうらば さとぅやくさかいになじき しぬでぃいもり(つぉん つぉん やーつぉん)やまんじさとぅめにまぐくるかたらばふになてぃくちなてぃ いちゃならわんまま
kwaa mui ni najiki yama nubuti uraba satu ya kusakai ni najiki shinudi 'imoori (tsuoN tsuoN yaa tsuoN)yama 'Nji satumee ni magukuru kataraba huni nati kuchi nati 'ichanarawaN mama
私は桑の葉採りのふりをして山に登っているから 愛しい貴方は草刈りのふりをして忍んで来てください (囃子言葉以下省略)山であなたに真心を伝えれば骨になり遺骨になっても(死んでも)どうなっても一緒よ
語句・くゎーむい 桑(の実または葉。ここでは実とした。)もぎ。<くゎー 桑+むい<むゆん 実などをもぐ。 ・なじき「ふり、そぶり〔表向きよそおうこと〕、口実」【琉球語辞典】。・んじ で。場所を表す。・くち 遺骨。 「ふに」は「ほね」から、「くち」は「こつ」からの変化(三母音化)したもの。・いちゃらならわん どうなっても。<いちゃら<いちゃる いかなる。 +や は。融合したもの。 + <ならわん<ば+も。 ・まま 「一緒」【琉辞】。


二、(男)草苅いになじき 山登てぃいちゃい 無蔵とぅ恋ぬ奥山に思い語ら ツォンツォンヤーツォン山うてぃ染みなち 比翼ぬ鳥なてぃ 紺地ぬ色なさ
くさかいになじき やまぬぶてぃいちゃい んぞとぅくいぬうくやまに うむいかたら やまうてぃすみなち ひゆくぬとぅいなてぃ くんじぬいるなさ
kusakai ni najiki yama nubuti 'ichai Nzo tu kui nu 'ukuyama ni 'umui katara yama uti suminachi hiyuku nu tui nati kuNji nu 'iru nasa
草刈りのふりして山に登ってきたよ お前と恋の奥山で恋を語ろう 山で愛を深め比翼のオシドリのように仲良く 紺地の色のように濃く染めあおう
語句・ひゆくぬとぅい 中国の伝説上の鳥で 「雌雄それぞれの目と翼が一つずつで 常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。


三、(女)蚕糸(かいくいとぅ)ひかち 七ゆみにかきてぃ イヤヨあけず羽ぬ御衣にしゃびら ツォンツォンヤーツォン 深山にかくりてぃ 忍ぶ恋路ぬ 他所目に知りらば 闇路ぬ恋船 うち乗りてぃいちゃい 後生ぬ港に いちゃならわんまま 思切り第一
かいくいとぅひかち ななゆみにかきてぃ いやよ あけずばぬんしゅにしゃびら みやまにかくりてぃ しぬぶくいじぬ ゆすみにしりらば やみじぬくいぶに うちぬりてぃいちゃい ぐそーぬんなとぅに いちゃならわんまま うみちりでーいち
kaiku 'itu hikachi nanayumi ni kakiti 'iyayo 'akezuba nu Nshu ni syabira miyama ni kakuriti shinubu kuiji nu yusumi ni shiriraba yamiji nu kuibuni 'uchi nuriti 'ichai gusoo nu Nnatu ni 'ichanara waN mama 'umichiri deeichi
蚕から絹糸を引いて七読みほどの細かい目の上等の織物を織って(イヤヨ 囃子言葉)トンボの羽のように薄くて美しい着物にしましょう 深い山に隠れて忍ぶ恋路を他人に知られたら 闇夜の恋舟に乗って行こう あの世の港に どうなっても一緒だから 死ぬ覚悟です
語句・ななゆみ きめの細かい織り方。 干瀬節を参照。「読」(ゆみ)とは「織り幅に入る縦糸の本数を段階的に表示した(布目の密度の)単位で、一[ひと]ヨミは(計算上)糸80本;目の粗い七[なな]ヨミ〔560本〕から、(上布など)目の細かい廿[はた]ヨミ〔1600本〕まである」(琉) 「読」とは「数え」と同義。 普段着用の七読み、と上布用の二十読→「七読」は付け足しで、ここでは上布を意味するという説もある。(島袋盛敏氏) 琉球語辞典では「(ふだんぎ用に)七読み[ななよみ]や(上布用に)廿読[はたよみ]で、織る糸を」というように両方、あるいはいろいろ用意して、という意味に解釈しているものもある。 ・あけずば とんぼの羽。文語。薄くて美しい御衣の例え。「あけじ」「あーけーず」「あーけーじゅ」とも。



四、(男)羽御衣や無蔵が染みあぎてぃからや イヤヨいひん片時ん離りぐりしゃツォンツォンヤーツォン 三月遊びん うり着ち遊ぶさ 秋なてぃ真中ぬ月見ん 又くり夕暮時分の 親にんかくりてぃ 忍でぃちゅーくとぅ 山うてぃ待っちょり (女)言ちゃんどーや 変わんなよーや 待ちかんてーどん しみんなよーや
はにんしゅやんぞがすみあぎてぃからや いやよ いひんかたとぅちんはなりぐりしゃ さんぐゎちあしびん うりちちあしぶさ あちなてぃむなかぬちちみんまたくり ゆまんぐぃじぶのーうやにんかくりてぃ しぬでぃちゅーくとぅやまうてぃまっちょーり いちゃんどーや かわんなよーや まちかんてーどんしみんなよーや
hani Nshu ya Nzo ga sumiagiti kara ya ih(w)iN katatuchiN hanarigurisha saNgwachi 'ashibiN uri chichi 'ashibusa 'achi nati munaka nu chichi miN mata kuri yumaNgwi jibunoo 'uya niN kakuriti shinudi chuu kutu yama uti machoori 'ichaN doo ya kawaNna yoo ya machikaNteedoN shimiNna yoo ya
〇(男)美しい着物を愛しいお前が染めあげてくれたので すこしも片時も離れずらいよ 三月遊びもそれを着て遊ぶよ 秋になって十五夜の月を見てまた来れば夕暮れ時には親に隠れて忍んで来るから山で待ってくれよ(女)言ったわね それなら心変わりしないでね 待ちかねるなんてさせないでね
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Posted by たる一 at 11:40Comments(0)あ行沖縄本島

2012年10月20日

いぬひな節

いぬひな節
いぬひなぶし
'inuhina bushi
いぬひな(久米島の地名)の歌
語句・いぬひな 「字具志川の原名」(「島うた紀行」)


一、いぬひなぬはんた鷲ぬ舞いどぅくる 里が舞いどぅくる 玉津真胸
いぬひなぬはんたわしぬまいどぅくる さとぅがまいどぅくる たまちまむに
'inuhina nu haNta washi nu maidukuru satu ga maidukuru tamachi mamuni
いぬひなの崖は鷲が舞う所 貴方が舞う所は玉津(人名)の胸
語句・はんた 「端[はし];崖(のふち)」【琉球語辞典】。・まむに 「胸」は「んに」であるが、ここでは「むに」。「ま」は強調の意だろう。
 

二、池ぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじゅらが一本 久葉ぬ三本
いちぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじらがちゅむとぅ くばぬみむとぅ
'ichi nu 'ibiganashi daNju tuyumariru yuyujura ga chu mutu kuba nu mimutu
愛しい池のイベよ 断然よく知られている クロツグが一本 久葉が三本
語句・いび 池の名前。・がなし<かなし 愛しい。「首里天がなし」など尊敬する者、愛する者へにつける。・だんじゅ「げにこそ、いかにも、なるほど」【琉辞】。・とぅゆまりる <とぅゆまりゆん 「世の評判になる」【琉辞】。<とぅゆぬん 「音に聞える」【琉辞】。・ゆゆじゅら クロツグ。沖縄方言で「マーニ」。  


三、久葉ぬ若くばがみけに 浮上がりば 肝ぬふり者や我無蔵とぅ思てぃ
くばぬわかくばがみけに うちゃがりば ちむぬふりむんや わんぞとぅむてぃ
kuba nu waka kuba ga mike ni 'uchagariba chimu nu hurimuN ya wa Nzo tu muti
久葉の若い久葉が「みけ」(不詳)に浮き上がれば 恋に気がふれたような者は自分の恋人かと思って
語句・みけ 「島うた紀行」では「不詳。三回の意か」とある。・ふりむん 「(何かに心奪われた粋狂な)馬鹿(者)」【琉辞】。

久米島の歌を続けている。

「いぬひな節」は久米島の字具志川の原名(いぬひな)で生まれたといわれている。

音源は「久米島の歌全集(古謡から新作まで)」(マルフク)。
  

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2012年06月10日

想いションガネー

想いションガネー
うむいしょんがねー
'umi shoNganee
想い「ションガネー」(歌の名前)
語句・しょんがねー 「与那国ションガネー」、「遊びションガネー」を参照。

作詞・作曲 前川守賢  歌 饒辺勝子


一、かんしうむいぬすんくまれ 想いぬたきん語らんむん 我が落てぃ着ちゅみ 胸内や 逢ちゃてぃ晴りらなくぬ想い ※しゅらよー想いションガネー
かんしうむいぬすんくまれ うむいぬたきんかたらんむん わがうてぃちちゅみ んにうちや いちゃてぃはりらなくぬうむい しゅらよーうむいしょんがねー
kaNshi 'umui nu suNkumaree 'umui nu takiN kataraNmuN waga 'utichichumi Nni'uchi ya 'ichati katarana kunu 'umui shurayoo 'umi shoNkanee
こんな思いを胸に込めてるなら 思いのたけを語りたいもの 私落ち着けるかしら?胸の内をあの人に会って晴らしたいなこの思い 愛しい人よ!貴方を想ってションガネー
語句・かんし こんな。・すんくまれ 込めるなら。秘めるなら。<すん 強調か?+くまれー<くまゆん 籠る。・しゅらよー いとしい人よ! 囃子言葉でもある。


二、一足ん早みてぃ逢ちゃらなや あぬ森越てぃ行ちどぅんしぇー うんじゅが居める島やしが 思いるぐとぉ逢ちゃららん ※(くりかえしー以下省略)
ちゅひさんはやみてぃいちゃらなや あぬむいくぃてぃいちどぅんしぇー うんじゃがいめるしまやしが うむいるぐといちゃららん
chuhwisaN hayamiti 'icharana ya 'anu mui kwiti 'ichiduNshee 'unju ga 'imeeru shima yashiga 'umuirugutoo 'ichararaN
一足でも早く会いたいよ あの山越えて行けば貴方がいる村だけど 思うようには会えないの
語句・ちゅひさ <ちゅ 一つ+ひさ 足。 ・むい 山。沖縄ではあまり高い山がないため山や丘を「森」(むい)ということが多い。盛り上がった所、の意味。 ・うむいるぐと <うむい 思い。+る<どぅ こそ。+ぐとー<ぐとぅ+や から。(「や」は強調) → 思うようには。


三、ぬがよ淋しさしじららん ぬがよ凪々肝凪りてぃ忍び忍どぉてぃ里御側 闇路通わす恋無情 ※(くりかえし)
ぬがよ さびしさしじららん ぬがよ とぅりどぅり ちむどぅりてぃ しぬびしぬびどーてぃ さとぅうすば やみじかゆわす くいむじょー
nu ga yo sabishisa shijiraraN nu ga yo turiduri chimuduriti shinubi shinubidooti satu 'usuba yamiji kayuwasu kui mujoo
どうして寂しさ耐えられない どうして凪のように心なごんで 忍んで忍んで貴方のお側へ闇路を通わす恋の無情さよ
語句・ぬがよ どうして?。 ・しじららん 耐えられない。<しじゆん。耐える。 ・とぅりどぅり 凪(なぎ)。海上の風がやむ時。畳語(じょうご、語句を繰り返すこと。日々、とか
時々とか。)で、凪のたびに、くらいの意味。・とぅりてぃ 「凪」の当て字があるが心なごむの意味。<とぅりゆん 「凪。(心が)なごむ。」【琉辞】。



四、顔や笑らてぃん雨嵐 我胴にふぃしふぃし吹く風や行く先知らん舟心 着く方求みてぃ漕ぐばかい ※(2回くりかえし)
かうやわらてぃんあみあらし わどぅにふぃしふぃしふくかじや いくさちしらんふにぐくる ちくかたむとぅみてぃくぐばかい
kau ya waratiN 'ami'arashi wadu ni hwishihwishi huku kaji ya 'ikusachi shiraN huni gukuru chiku kata mutumiti kugu bakai
顔は笑っていても雨嵐のようにわが身にひしひしと吹く風で まるで私は行く先知らない船のよう 着く所を探して漕ぐばかり
語句・・わどぅ わが身。<わー 私。+ どぅー(胴) 体。・ぐくる <くくる。琉歌では「・・のように」「たとえると」の意味でつかわれることが多い。 ここでは「船のよう」。

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2012年05月20日

石くびり

石くびり
いしくびり
'ishi kubiri
石の小坂
語句・くびり <小坂(ひら)


作詞 大浜方叶 作曲 石原節子

一、恋路連りなさやままならん世間に 無蔵が云言葉の肝にかかてぃ 肝にかかてぃ
くいじちりなさや ままならんしけに んぞがいくとぅばぬちむにかかてぃ(ちむにかかてぃ)
kuiji chirinasa ya mamanaraN shike ni Nzo ga 'ikutuba nu chimu ni kakati chimu ni kakati(繰り返し以下省略)
恋の道はつれない 思うようにならないこの世 貴女の言葉が心に残って 


二、忘らていやしが 肝に思染みてぃ 思切りんならん 我肝病むさ
わしらていやしが ちむにうみすみてぃ うみちりんならん わちむやむさ
washiratei yashi ga chimu ni 'umi sumiti 'umichiriN naraN wa chimu yamu sa
忘れようとか思うが心に思い染めてしまってあきらめることができない 私の心病むようだよ
語句・てい 「てぃやい」ともいう。文語では「てぃやり」。「・・といって」「とか」「・・と」・うみちり あきらめる。<思い+切る。


三、無蔵が顔見りば 恋しさや勝てぃ 焦がりゆる肝や 誰に呉ゆが
んぞがかうみりば くいしさやまさてぃ くがりゆるちむや たるにくぃゆが
Nzo ga kau miriba kuishisa ya masati kugariyuru chimu ya taru ni kwiyuga
貴女の顔見ると恋しさが強くなって焦がれる心は誰にうちあけたらいいのか
語句・かう 顔。ちなみに「口語はcira;敬語はmjunciなど」【琉辞】。・くぃゆが 直訳では「あげるか」「やるか」。ちなみにウチナーグチでは「やる」「もらう」の区別なく「くぃゆん」を使うので、どちらかは文脈から判断する。ここでは「焦がれる心誰にうちあけるか」とした。


四、村ぬ石小坂 我一人どぅ行じゃる 互にかながなとぅ登てぃみぶしゃ
むらぬいしくびり わんちゅいどぅんじゃる たげにかながなとぅ ぬぶてぃみぶしゃ
mura nu 'ishikubiri waN chui du 'Njaru tsgee nikanaganatu nubuti mibusha
村の石の小坂 私一人だけで行く お互い仲良く登ってみたいものだ
語句・んじゃる <いちゅん 'ichuN 行く の 連体形。「どぅ」の係り結びで連体形になっている。「どぅ」は「だけ」と訳すとフィットする場合が多い。・かながなとぅ 「仲良く、睦まじく」【琉辞】。<かながなーとぅ と会話では使う。 




この歌を作曲し自ら歌われた石原節子さんは「夫婦船」「ちぶみ」などを唄って沖縄では人気歌者の一人だったが2008年に亡くなられた。

この「石くびり」は上のCDに音源がある。これも大ヒットし人気はいまだに強い。

「石くびり」は「石の小坂」の意味。
「坂」は「ひら」「ふぃら」。日本の古語でもある。

連濁で「こ+ひら」は「こびら」となり、さらにウチナーグチの三母音化の法則で「くびら」。

kobira→kubira→kubiri

末尾の「ら」が「り」になったのは「訛り」だろう。


「伊野波ぬ石くびり無蔵連りてぃ登る なふぃん石くびり 遠さはあらな」

という古い歌もあるが、これをモチーフにしているのかどうかは不明。

いずれにしてもいまだに唄われる人気の高い歌の一つ。

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2012年05月01日

恨みの嵐

恨みの嵐
うらみのあらし
(標準語よみなので発音、意味省略)


作詞作曲 当銘由俊


一、かにんちりなさや 嵐世ぬなれや 一人離りとてぃあかしかにてぃ あかしかにてぃ
かにんちりなさや あらしゆぬなれや ふぃちゅいはなりとてぃ あかしかにてぃ (繰り返し。以下省略)
kaniN chirinasa ya 'arashiyu nu nare ya hwichui hanaritoti 'akashikaniti ('akashikaniti)
こんなにも辛いのは嵐の世ではあたりまえなのかね 一人離れていて(夜が)明かせない
語句・かにん かに+ん。かに「かように」【琉辞】。・なれ<なれー 「①習慣、習わし;②習い」【琉辞】。ここでは①。・あかしかにてぃ 眠ることが出来ず夜を明かすことが辛い様子。


二、哀りさみ浮世 巣なし鳥心 あきよ宿る木ん紅葉なたみ
あわりさみうちゆ しなしとぅいぐくる あきよやどぅるきんむみじなたみ
'awari sami 'uchiyu shinashi tuigukuru 'akiyo yaduru kiN mumiji natami
哀れなのだよ浮世 巣のない鳥のようだ あわれ 宿る木も紅葉してしまったか
語句・さみ 「〔強意の文末助詞〕(…なのだ)ぞ[よ]。」【琉辞】。・ぐくる <くくる。連濁により「ぐくる」。意味は「のような」「のように」。・あきよ
「あヽ、あわれ」【琉辞】。文語で使われる。


三、にぶる身ぬちらさ 哀り仮枕 夢路通わする我親ぬうすば
にぶるみぬちらさ あわりかりまくら いみじかゆわするわやぬうすば
niburu mi nu chirasa 'awari karimakura ‘imiji kayuwasuru waya nu 'usuba
寝る身の辛いことよ!哀れな仮の枕 夢で思い出す私の親のお側に居た頃を
語句・にぶる <にーぶい+すん(しゆる)融合したものと思われる。 眠る。眠くなる。


四、昔染みなりし我親ぬ面影や 夢に事語てぃ見してぃたぼり
んかしすみなりしわやぬうむかじや いみにくとぅかたてぃみしてぃたぼり
Nkashi suminarishi waya nu 'umukaji ya 'imi ni kutu katati michititabori
昔馴染んだ親の面影を夢で物語を語ってみせてください
語句・ をば。を。「jaは(格助詞ではなく)取り立てて強調する係助詞なので、文脈によっては『…ヲ(バ)』〔目的〕の意味にもなる。」【琉辞】。


五、散りてぃ根に帰る 花ん節来りば 又ん色増しゅる事んあゆら
ちりてぃににかいる はなんしちくりば またんいるましゅるくとぅんあゆら
chiriti ni ni kairu hanaN shichi kuruba mataN 'iru mashuru kutuN 'ayura
散って土に帰る花も季節が来たら又も色を増して咲くこともあるだろう
語句・ <にー 根。


嘉手苅林昌氏が歌った「恨みの嵐」。

2009年の嘉手苅林昌追善公演「白雲ぬ如に」では知名定男氏が唄った。

その知名定男氏の歌詞は少し異なっている。

      林昌            知名
一番 「あかしかにてぃ」→    「暮らしかにてぃ」
三番 「我親」     →    「我家」(読み方は同じ)  
四番 「染みなりし」  →    「住みなりし」(〃)
五番 「しちんあゆさ」 →    「くとぅんあゆさ」

どちらがオリジナルなのか、今は不明。

「あかしかにてぃ」が使われた琉歌を「琉歌大観」(島袋盛敏)で調べてみた。

一人まるねの旅宿に思ひつくさらぬあかしかねて
一人かりねの旅宿に、かれこれいろいろ思うことが多く、夜を明かしかねることである。旅は憂い辛いものだ(島袋訳)

また「すみなりし」が使われた琉歌も。

いきやす忘れゆが住み馴れしおそば 朝夕面影や袖にすがて
恋人の傍でくらしたことを、どうして忘れることができよう。恋しい面影は朝夕自分の袖にすがって、振り放そうとしても、放されるものではない。(島袋訳)

この「恨みの嵐」の曲調は、その題名から想像できないほど「明るい」。

嘉手苅林次先生もCD「MY SWEET HOME KOZA」でこの「恨みの嵐」を唄われている。

  


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