2018年09月20日

今帰仁玉城小唄

今帰仁玉城小唄
なちじん たもーし こうた
NachijiN tamooshi ko'uta
語句・なちじん 今帰仁はウチナーグチで「なちじん」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)より。・たもーし 沖縄県今帰仁村の村。「岸本・玉城・寒水の三つの村(ムラ)が合併してできた字(アザ)である」(今帰仁村のホームページより)。


作詞/玉城長盛 作曲/川田松夫
(平良哲男氏の採譜から)


一、今帰仁の玉城 乙羽山くさて 昔並松の 栄え美らさ
なちじんぬたもーし うっぱやまくさてぃ んかしなみまちぬ さかいちゅらさ
nachijiN nu tamooshi 'uppayama kusati Nkashi namimachi nu sakai churasa
今帰仁村の玉城は乙羽山が後ろに控え 昔松並木はよく繁って美しいことよ
語句・うっぱやま 今帰仁村の玉城のすぐ南側にある標高275mの山。「乙羽岳」と呼ばれている。・くさてぃ 「後ろにすること。背にすること」【沖辞】。<くしゃてぃ。くし=背中、腰。どちらかというと背中全体。腰回りは「くし」(腰)と言わず「がまく」と呼ぶ。・なみまち 「松並木」【沖辞】。地元では「なんまち」と発音する。仲原馬場という場所にあるリュウキュウマツの並木。蔡温が植林を推奨したことにちなんで「蔡温松」とも呼ばれている。今帰仁ミャークニーの一節に「今帰仁の一条 並松の美らさ 花染みの芭蕉布と美童美らさ 」があるが「なんまちぬちゅらさ」と詠まれている。


ヤサヤサ ウネササ サカイチュラサ
やさやさ うねささ さかいちゅらさ
yasa yasa 'une sasa sakaichurasa
(囃子「ヤサヤサウネサ」は以下同じだが、「サカイチュラサ」のようにウタの最後の六文字が囃子の最後になる)
語句・やさ そう。・うね 「おや。珍しいものを見た時などに発する」【沖辞】。



二、並松の美らさ 村ゆだちかくて 生まりたる村や 親の心
なみまちぬちゅらさ むらゆだちかくてぃ んまりたるしまや わやぬくくる
namimachi nu churasa mura yu dachi kakuti 'Nmaritaru shima ya waya nu kukuru
松並木の美しことよ 村を抱き囲って 私が生まれた村は 私のご両親のようだ
語句・ 文語で「を」。口語では使わない。・だち 抱き。<だちゅん。抱く。・かくてぃ。囲って。かくまって。<かくゆん。「囲う。かくまう。」【沖辞】。・わや 私の親。<わー。私の。+ うや。親。融合したもの。・くくる 「心」ほかにウタでは「・・のよう」という比喩にも使われる。ここでも「松並木が村を抱き守っているように親が子ども抱いているようだ」ととれる。



三、ソーリ川の水や 岩かみて湧つい 玉城美童の 身もち美らさ
そーりがーぬみじや いわかみてぃ わちゅい たもーしみやらびぬ みむちちゅらしゃ
soorigaa nu miji ya 'iwa kamiti wachui tamooshi miyarabi nu mimuchi jurasa
ソーリガー(清水井)の水は岩を頭に乗せたようにして湧く 同じように玉城の娘は品行が美しいことよ
語句・そーりがー「字玉城にある泉の名。清水井の意。ソーヂは清水。『寒水』の字を当てた。」【今帰仁方言データベース】。ソーリガーは玉城にある。玉城は岸本・玉城・寒水の三つの村(ムラ)が合併してできた字(アザ)である。そのうちの寒水だった村にある。ソージガーがソーリガーと変化したのだろう。がー <かー。井戸。湧き水。この句は今帰仁ミャークニーの一歌詞である。・みむち「身持ち。体の保ちかた。また、品行。」【沖辞】。



四、村のなりわいや 作いもづくい 働ちゅる人の 心うりさ
むらぬなりわいや ちゅくいむじゅくいに はたらちゅるふぃとぅぬ くくるうりしゃ
mura nu nariwai ya chukuimujukui hatarachuru hwitu nu kukuru 'urisha
村の生業は農作物を作ること 働く人の心の嬉しさよ
語句・ちゅくいむじゅくい「農作物。季節季節の作物。」【沖辞】。・うりしゃ 嬉しさ。<うっしゃん。嬉しい。



五、デゴの花咲ちゅる玉城村里や 天雲ん晴りて山の美らさ
でぃーぐぬはなさちゅる たもーしむらさとぅや あまぐむんはりてぃ やまぬちゅらさ
diigu nu hana sachuru tamooshi murasatu ya 'amagumuN hariti yama nu churasa
デイゴの花が咲いている玉城の村々は天の雲も晴れて山が美しいことよ!
語句・でぃーぐ 「梯梧。旧暦4月ごろ、蝶形の、大きい、深紅の花を開く。沖縄の国花とされた。木材ではいろいろの器具を作る」【沖辞】。マメ科の落葉高木。東南アジア原産で日本では沖縄が北限。



六、岸本と玉城 寒永(そうじ)まで三村 互に肝合ち 村の栄え
きしむとぅとたもーし そーじまでぃみむら たげにちむあわち むらぬさかい
kishimutu tu tamooshi sooji madi mimura tagee ni chimu 'awachi muranu sakai
岸本と玉城、そして寒水まで三つの村 互いに心を合わせて村が栄える
語句・みむら 字の玉城は「岸本・玉城・寒水の三つの村(ムラ)が合併してできた字(アザ)である」(今帰仁村のホームページより)。



今帰仁の玉城を讃える民謡として、玉城出身の玉城長盛さんと川田松夫さんが作られた。玉城では婦人会が踊っておられるということで、三線の工工四を起こすために平良哲男氏から音源を頂いた。ネットで調べてみるとレコードの表紙と演奏者の名前がわかる。


▲レコードの表紙。

「今帰仁玉城小唄」という名前だと分かる。
バンド名は「川田松夫とニュースターズ」。
したがって歌われているのは川田松夫氏、ご本人である可能性が高い。

歌詞について

作詞された玉城出身の玉城長盛氏は三番に「今帰仁ミャークニー」の歌詞を挿入されている。
玉城長盛氏の詳しいことについてはわからない。

川田松夫氏のプロフィール

川田松夫氏は「西武門」節の作者として有名であるが、すこしプロフィールを見てみよう。

1903年(明治36年)那覇市生まれ。早稲田大学卒、大蔵省、沖縄県庁の職員時代に琉球古典音楽、舞踊を習得した。
1932年(昭和7年)「一日橋心中」「西武門節」発表。
1953年(昭和28年)東京で沖縄料理店「みやらび」開店。
1983年(昭和56年)永眠。78歳。
代表作品 西武門節、一日心中、オーライ節、疎開小唄、帰還の知らせ、しみるする何が、
居しどぅかかる、酒ぐゎ飲み飲み、嘆きの渡り鳥、想い。
【参考「沖縄新民謡の系譜」(大城學)】

今帰仁玉城小唄の工工四

(クリックで拡大)
又は「今帰仁玉城小唄」の工工四


(採譜 筆者たるー)


▲今帰仁玉城で「今帰仁玉城小唄」を踊っていらっしゃる婦人部の皆さん。


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Posted by たる一 at 13:52│Comments(0)な行沖縄本島
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