2020年12月15日

ちばり節

ちばり節
ちばりぶし
chibari bushi
がんばれ節
語句・ちばり<ちばゆん。がんばる。の命令形。がんばれ。


歌 喜屋武繁雄
作詞 島本耕二
作曲 喜屋武繁雄



一、結びかたみらな 島美らくなさな 世や変てぃ居てぃん人や情
むしびかたみらな しまちゅらくなさな ゆーやかわてぃうてぃん ひとぅやなさき
mushibi katamirana shima churaku nasana yuu ya kawathi wutiN hitu ya nasaki
団結して仲間になろう 故郷を美しくしよう 世は変わっていても人は情けなのだ
語句・むしび<むしぶん。むすぶん。どちらも使う。「結ぶ。結婚する」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】と略す)。・かたみらな<かたみゆん。は「担ぐ」という意味もあり古くから「仲間になる」という意味も含まれていた。現在では「かためる」との共通語の意味も含まれる。「むすびかたみらな」は「団結して仲間になろう」と訳した。



朝夕ちがきてぃうみはまてぃ老てぃ若さん サーチバティ行かな
あさゆー ちがきてぃうみはまてぃ ゐーてぃわかさん さーちばてぃ いかな
'asayuu chigakiti 'umihamati yiiti wakasaN saa chibati 'ikana
毎日励み一生懸命働いて 老いて若くなる さー気張って行こう
語句・あさゆー 一日中。「朝と夕方」だけではない。朝も夕方も、つまり一日中。・ちがきてぃ<ちがきゆん。はげむ。「ち」は「気」、「かきゆん」は「掛ける」。・うみはまてぃ「没頭する、励む」【琉辞】。・いかな 行きたい。行こう。どちらの意味もある。自分の希望、意思を示すと同時に呼びかけのニュアンスも含む。



ニ、人ぬ行く道や 坂ぬ下り上い 苦しみや楽ぬ むとぅいとぅむり
ひとぅぬいくみちや ひらぬういぬぶい くるしみやらくぬ むとぅいとぅむり
hitu nu 'iku michi ya hira nu 'ui nubui kurusimi ya raku nu mutui tumuri
人の行く道は坂の降り登りと同じ 苦しみは楽の元と思え
※(繰り返し)
語句・ひら坂。「ふぃら」とも発音する。ヤマトの古語で坂を「ひら」と言った。古事記に出てくる「黄泉平良坂」(よもつひらさか)は「黄泉の国」と現世の間にある坂のこと。「ひら」も「さか」も同じ坂を表す。・とぅむり<「ト思ヒヲレ」【琉辞】から。と思え。命令形。



三、国守て立ちゆるうみ童でむぬ道迷いしみな親ぬ心
くにまむてぃたちゅるうみわらびでむぬ みちまゆいしみな うやぬくくる
kuni mamuti tachuru 'umi warabi demunu michi mayui shimina 'uya nu kukuru
国を守って立っている愛する子どもだから道を迷わせるな それが親の心だ
※(繰り返し)
語句・うみわらび愛する子ども。「うみ」は「想ゆん」(愛する)から。・でむぬだから。・しみな<しみゆん。させる。否定、命令形。させるな。



四、昔名に立ちゃる守礼ぬ国でむぬ手とてうきちがな民ぬ血筋
んかしなにたちゃる しゅれーいぬくにでむぬ てぃーとぅてぃうきちがな たみぬちすじ
Nkashi naa ni tachuru shuree(i) nu kuni demunu tii tuti 'ukichigana tami nu chisuji
昔有名であった守礼の国であるぞ 手を取り合って受け継ごう 民の血筋を
※(繰り返し)
語句・なにたちゅる有名な。・しゅれーい 守礼門は「しゅれーもん」と共通語の読み方をする。「守礼之邦」は守礼門にある扁額。「明の神宗が詔勅(1579年)の中で琉球を『足稱“守礼之邦”』と嘉[よみ]した句から」【琉辞】。「しゅれー」と発音するが唄い安く「しゅれーい」としてあるのだろう。




マルフクレコード「喜屋武繁雄 健児の塔/ちばり節(民の血筋)」に収録されている。




2020年12月20日のNHK「民謡魂」という番組で首里城の復興を願ってよなは徹さんがこれを熱唱された。
力強い歌と三線に観た人は心打たれた違いない。
その番組の放映数日前にNHKのディレクターからこの歌の訳詞が欲しいとの電話が私にあった。
それで上の訳詞を遅らせてもらい番組で使っていただいた。役に立てただけでも幸いである。

なお工工四が欲しい方は私までメールを。


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2018年07月18日

辻千鳥

辻千鳥小
ちーじ ちじゅやー
chiiji chijuyaa
辻の千鳥節
語句・ちーじ 「[辻]那覇にあった遊郭の名。本土人・中国人・首里・那覇の上流人を相手とした高級な遊郭であった。那覇にはciizi,nakasima[中島],wataNzi[渡地]の三つの遊郭があり、ciiziが高級で、nakasimaは首里・中島相手、wataNziはいなか相手と、それぞれ、客の層が違っていた」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・ちじゅやー 小鳥を口語で「ちじゅい」と呼び、「浜千鳥」(はまちどぅり)という舞踊曲を俗に「ちじゅやー」と呼んだ。このウタはその「浜千鳥」を早弾き調に変え、辻の遊郭の尾類(女郎)をテーマにしている。「遊び千鳥」(あしび ちじゅやー)とも呼ばれることがある。


作詞 登川誠仁 (原曲は「浜千鳥」)


一、 尾類ぬ身や哀り 糸柳心 風ぬ押すままに靡ち行ちゅさ 無蔵ぬくぬ世界や かにん辛さ
じゅりぬみや あわり いとぅやなじぐくる かじぬうすままに なびち (なびち)いちゅさ んぞぬくぬしけや かにんちらさ
juri nu mii ya 'awari 'ituyanaji gukuru kaji nu 'usu mamani nabichi 'ichusa Nzo nu kunu shikee ya kaniN chirasa
(括弧の繰り返しは以下略す)
女郎の身は哀れなものだで糸柳のよう 風が吹くままなびいていくよ。貴女のこの世界はこんなにも辛いことよ。
語句・じゅり 「女郎。遊女。娼妓。歌も歌い、三味線も弾くので芸者を兼ねている。」【沖辞】。 ・いとぅやなじ 「糸柳。しだれ柳」【沖辞】。 ・ぐくる <くくる。心。「〜のように」と言いたい時に使う。 ・んぞ 「男が恋する女を親しんでいう語」【沖辞】。 ・かにん かようにも。



二、 枕数交わす 尾類ぬ身ややてぃん 情きある枝る頼てぃ 頼てぃ咲ちゅる 思るままならんくぬ世界や
まくらかじかわす じゅりぬ みややてぃん なさきある ゐだる たゆてぃ さちゅる うむるまま ならんくぬしけや
makura kaji kawasu juri nu mii ya yatiN nasaki 'aru yida ni tayuti sacyuru umurumama naraN kunu shikee ya
枕数交わす 尾類の身であっても 情けある枝だけを頼って咲く。思うままならないこの世界は。
語句・まくらかじかわす 多くの客と接する。 ・ こそ。「どぅ」と同じ。「d」と「r」が入れ替わることがよくある。



三、 稲ぬ穂んあらん 粟ぬ穂んあらん やかりゆむどぅやが かかい しがい 連りなさや 世界ぬなれや
んにぬふんあらん あわぬふんあらん やかりゆむ どぅやが かかい しがい ちりなさや しけぬなれや
'Nni nu huN 'araN 'awa nu huN 'araN yakari yumu duya ga kakai shigai chirinasa ya shikee nu naree ya
稲の穂ではない 粟の穂ではないのに ずうずうしい嫌な鳥が付きまとう。連れないことよ 世界にはつきものだ。
語句・やかり 「(接頭)ずうずうしいやつ、太いやつの意」【沖辞】。 ・ゆむ 「いやな」 「(接頭)罵詈・嫌悪の意を表す接頭辞。」【沖辞】。 ・どぅや <とぅい。鳥。 ・かかいしがい「うるさくつきまとうさま。まつえありつくさま」【沖辞】。・ちりなさや 連れないことよ!情けないことだなあ。 ・なれ<なれー。「習わし。習慣」【沖辞】。常にあること。



四 、 夕間暮とぅ連りてぃ立ちゅる面影や 島ぬ親兄弟ぬ想いびけい 我が儘ならん世界ぬなれや
ゆまんぐぃとぅ ちりてぃ たちゅる うむかじや しまぬうや ちょでーぬ うむいびけい
わがままんならんしけぬなれや
yumaNgwi tu chiriti tachuru 'umukaji ya shima nu 'uya choodee nu 'umui bikei waga mama naraN shikee nu naree ya
夕暮れと連れて 立つ面影は 故郷の親兄弟の想い 想いばかり。私のままにならない世界の常よ。
語句・ゆまんぐぃ 夕暮れ。



五、 我が胸ぬ内や枠ぬ糸心 繰い返し返しむぬゆ 思てぃ 無蔵ぬくぬ世界や かにん辛さ
わがんにぬうちや わくぬ いとぅぐくる くいかいし がいし むぬゆうむてぃ んぞぬくぬしけや かにんちらさ
waa ga Nni'uchi ya waku nu 'itugukuru kuikaishi gaishi munu yu 'umuti Nzo nu kunu shikee ya kaniN chirasa
私の胸の内は 枠に巻いた糸のようなもの 繰り返し繰り返し 物思いにふけっている。貴女のこの世界はこんなにも辛いものだ。
語句・ んに 胸。・わく 「籰(わく)。手で回しながら糸を巻きつける織具」【沖辞】。一旦綛(かせ、ウチナーグチで「かし」)に糸を巻いてから、枠(籰)という少し大きな器具に糸を巻き直していく。この時点でで糸の長さなどを測ることができる。・いとぅぐくる 糸と同じようなもの、という意味。 ・かにん こんなにも。強調。


登川誠仁さんのCD「STAND」に収録されている。


「浜千鳥節」(ちじゅやー)を早弾き調に変え、尾類(ジュリ)のあり方の悲哀と情念を切々と歌い上げる。「遊び千鳥」(あしびちじゅやー)と銘打った工工四も登川誠仁さんの工工四集にはある。

ジュリについては「さらうてぃ口説」の項にも少し解説を書いているが、ここにも載せておく。
琉球の文化にとってジュリ(女郎)の果たした役割を無視するわけにはいかないからである。

(「さらうてぃ口説」の筆者解説より)

恩納ナビーと並んで称される吉屋チルーという琉球時代の女流詩人は読谷に生まれ8歳のとき那覇仲島へ遊女として身売りされた。このように大半が地方の貧困層、つまり士族以外の平民の娘が身売りさせられた。女郎は琉球では「ジュリ」と呼ばれた。遊郭は自治制度があり女性だけで管理され、ジュリアンマー(女郎の抱え親)と呼ばれる人々が母子関係を結び、歌や三線、舞踊などの芸事を教えていった。

遊郭は各地にあったが、尚真王の時代、羽地朝秀(1617ー1675年)が1672年、辻、仲島に遊郭を公設した。背景には薩摩藩からの指示があったと推測されるが、遊郭の管理を王府として行う事で風紀の乱れを防止しようとした。そして琉球王朝が廃藩置県で沖縄県となり、太平洋戦争で米軍によって空襲を受けるまで辻、仲島の遊郭は存在し続けたのである。

沖縄語辞典(国立国語研究所編)には「辻」の項でこうある。

「[辻]那覇にあった遊郭の名。本土人・中国人・首里・那覇の上流人を相手とした高級な遊郭であった。那覇にはciizi,nakasima[中島],wataNzi[渡地]の三つの遊郭があり、ciiziが高級で、nakasimaは首里・中島相手、wataNziはいなか相手と、それぞれ、客の層が違っていた」

本土人とは主に薩摩藩の役人で、中国人とは冊封使のことである。それ以外、商人なども含まれる。遊郭で展開された琉球芸能は表に出ることがほとんどなく記録も非常に少ない。それでも琉球古典音楽や舞踊、さらには地方の祭祀や芸能も含め、琉球芸能の重要な部分を構成していたと言われている。琉球王朝の文化である古典音楽も含め遊郭の中で展開された芸能との関わりは無視できない。


▲「琉球交易港図屏風」(浦添市美術館蔵)に、18世紀頃の辻の遊郭とジュリの姿が描かれている。
鳥居の左横の村が辻村で、その周囲の派手な着物をまとった人々がジュリだ。この図屏風にはあちこちに薩摩藩の船や武士が描かれている。当時の関係の深さをうかがい知ることができる。
この絵図の解説はここに詳しい。




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2018年02月17日

谷茶前 3

谷茶前(明治初期)
たんちゃめー
taNcha mee

※歌詞は「琉球列島 島うた紀行 第1集」(仲宗根幸市編著)の「谷茶前」より。


一、谷茶前の浜にスルル小が寄たぅたん なんちゃましまし
たんちゃめーぬはまに するるぐゎーが ゆとーたん なんちゃましまし
taNchamee nu hama ni sururu gwaa ga yutootaN naNcha mashimashi
谷茶(の)前の浜に きびなごが寄っていた なるほど 良い良い
語句・ゆとーたん 寄っていた。ゆゆん。寄る。→ゆとーん。寄っている。→ゆとーたん。寄っていた。語句・なんちゃ なるほど。<んちゃ。「なるほど。全く。ほんとに。はたして。予想にたがわず」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・まし 「まし。一方よりまさること。一方より良いこと」【沖辞】。比較した結果の「まし」ではなく直に「良い。好き」という使い方もあるようだ。この歌詞でも何かと比較するものはない。だから「良い」とする。



二、スルル小やあらん まじく小どやんてんどぅ よくもましまし
するるぐゎーやあらん まじくぐゎーどぅ やんてぃんどー ゆくんましまし
sururugwaa ya 'araN majiku gwaa du yaNtiN doo yukuN mashimashi
キビナゴではない マジク(タイワンダイ、ヨナバルマジク。鯛の一種)だぞ もっと良い良い
語句・まじく タイワンダイ、ヨナバルマジク。鯛の一種。しかし「琉球列島 島うた紀行 第1集」(仲宗根幸市編著)の中で「あれはキビナゴでなくまじく(シク=アイゴの稚魚)だよ」と訳されている。これについては後述する。・ゆくん 「さらに。なお。もっと。一層」【沖辞】。



三、谷茶前の浜やスルル小も寄よい まじく小も寄よい でかよいかいか
たんちゃめーぬはまや するるぐゎーん ゆよーい まじくぐゎーんゆよーい でぃかよー いかいか
taNchamee nu hama ya sururu gwaaN yuyooi majikugwaaN yuyooi dikayoo ‘ika ‘ika
谷茶(の)前の浜に きびなごが寄ってきていて マジクも寄って来ていて さあ!行こう行こう
語句・ゆよーい寄ってきていて。<ゆゆん。寄る。・でぃかよー 「いざ。さあ。」【沖辞】。・いか 行こう。<いちゅん。行く。→いか。希望。呼びかけ。



四、でかよ押しつれて獲やい 遊ばすくて遊ば すくてとらとら
でぃかよーうしちりてぃ とぅやいあしば すくてぃあしば すくてぃとぅらとぅら
dika yoo ‘ushichiriti tuyai ‘ashiba sukuthi ‘ashiba sukuti tura tura
さあ、一緒に連れだって獲ったりして遊ぼう!すくって遊ぼう すくって獲ろう獲ろう!
語句・うしちりてぃ 一緒に連れ立って。・とぅやい獲ったり。<とぅゆん。獲る。・あしば 遊ぼう。希望。呼びかけ。・とぅら獲ろう。希望。呼びかけ。



五、月も照り清らさできゃよう押し列れて でかよでかでか
ちちんてぃりぢゅらさ でぃきゃよーうしちりてぃ でぃかよーでぃかでぃか
月も照って美しいことよ!さあ一緒に連れてさあ、さあさあ!
語句・ちちんてぃりぢゅらさ 月も照って美しいことよ!。「でかよ押しつれて」と共に琉歌にはよく使われる句である。・でぃかでぃか 「さあさあ。いざいざ。」【沖辞】。



谷茶前の原型を求めて

「谷茶前」には舞踊などで使われる歌詞以外にもいろいろな歌詞が存在していることは周知の通りである。

本ブログで取り上げた「琉球列島 島うた紀行 第1集」(仲宗根幸市編著)【以下「島うた紀行」と略す】には二つの「谷茶前」が紹介してあり、どちらも現在のものとは異なる点があるのだが、特に今回の「明治期の谷茶前」の歌詞は異なる点が多いだけでなく実に興味深いものがある。

「明治期の谷茶前」の特徴と気づき

①「島うた紀行」では二番が上掲の歌詞の三番となっている。上掲の二番の歌詞は一番の後に続いている。これが単なる誤植なのかどうかは不明だが、ここでは二番に「スルル小やあらん。。。」の歌詞を当てることにする。当時どのように歌われていたのか不明なので、歌詞の長さから判断した。

②「まじく小」を「スク」(アイゴ=エー小:エーグヮーの稚魚。刺身やスクガラスにする。)を意味する、と書かれている。これによって「島うた紀行」での谷茶前の解説では『明治初期の「谷茶前」は歌詞からして「シク」(スク)の歌であったことがわかる。原歌では「真じく小」であったが、「大和ミジュン」に改作されていく」(「島うた紀行」p145)とまで言いきられている。果たして「まじく小」は「スク」なのか。

現在ウチナーグチで「マジク」といえば「タイワンダイ」または「ヨナバルマジク」のことを意味する。つまり「鯛の一種」である。しかし「谷茶前で出てくる魚は群れる魚だ。鯛だとおかしい」という意見もあるだろう。確かにスクは群れる魚ではあっても、「谷茶前」は群れる魚の漁を歌ったものとは限らない。

「島うた紀行」でいわれるように「マジク」は「マ・シク」であり、地元では「スク」の呼び名であるという事なら話は別である。それについてはもう少し調べてみる必要はあるだろう。

③現在の舞踊曲としての谷茶前も明治初期のものも琉歌形式(8886文字の定型句)ではないところから、元歌は古い可能性がある。

④囃し言葉は、現在のもの(「ナンチャマシマシ ディーアングヮーソイソイ」または「タンチャマシマシ」や「ディアングヮーヤクスク」など)は歌詞の内容とは関係なく、後からつけられた(変えた)感があるが、明治期の囃子は歌詞に対応して意味がはっきり理解できる。

《囃子》 《意味》
「ナンチャ マシマシ」 (なるほど良い良い)
「ユクン マシマシ」 (もっと良い良い)
「ディカヨー イカイカ」 (さあ行こう行こう)
「スクティ トゥラトゥラ」 (すくって獲ろう 獲ろう)
「ディカヨーディカディカ」(さあ さあさあ)


「マシマシ」「イカイカ」「トゥラトゥラ」「ディカディカ」。いずれも二音節の畳語表現で素朴で率直だが、生き生きとした情景を囃子にしている。

一方これら明治期の囃子とは異なる現在の囃子も検討してみよう。
《囃子》 《意味》
「ナンチャン ムサムサ」 (なるほど 騒がしい?)
「ディーアングヮー」 (さあ、姉さん)
「タンチャマシマシ」 (谷茶騒がしい?)
「ディーアングヮーヤクシク」 (さあ姉さん 約束)


「ムサムサ」は「ムサゲーユン」(「賑やかに騒ぐ、ざわめく」【琉辞】)からきていると想像できる。明治期の囃子とは変わって付け加えらたり、長く変化させたり、リズムをより複雑にして面白く発展させたいるように見える。

「島うた紀行」に掲載された明治期の「谷茶前」の歌詞がどこからの出典なのかはわからないが、前回、前々回と本ブログで取り上げた歌詞などと比べても囃子は素朴で率直な点が特徴といえよう。それに対してよりリズム感をあげ面白く発展しているのが現在の「谷茶前」の囃子だと言える。






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2018年02月15日

谷茶前 2

谷茶前
たんちゃめー
taNchamee
語句・たんちゃめー 谷茶前の浜、が正式な呼び名である。「の浜」が省略されている。


※歌詞は「琉球列島 島うた紀行 第1集」(仲宗根幸市編著)の「谷茶前」より。


一、谷茶前ぬ浜に スルル小が寄ててんどぅ(ヘイ) スルル小が寄ててんどぅ(ヘイ)
(ナンチャムサムサディアングヮソイソイ ナンチャマシマシ ディアングヮヤクスク)
(括弧の囃子と繰り返しはは以下省略)
たんちゃめーぬはまに するるぐゎーがゆてぃてぃんどー
taNchamee nu hama ni sururu gwaa ga yutitiN doo
谷茶(の)前の浜に きびなごが集まっているぞー



二、スルル小やあらんよ 大和ミズンど やんてんどー(繰り返し略) 
するるぐゎーやあらん やまとぅみじゅんどぅ やんてぃんどー
sururugwaa ya 'araN yamatu mijuN du yaNtiN doo
きびなごではない ヤマトミズン(ニシンの一種)だぞ



三、アヒー達やうりとぅいが アングヮやかみてうり売りが
あひーたーや うりとぅいが あんぐゎーや かみてぃうりういが
'ahiitaaya 'uri tuiga 'angwaa ya kamiti 'uri 'uiga
兄さんたちはそれを採るために 姉さんたちは頭に乗せて売るために
語句・あひーたー 兄さん達。「あふぃーたー」とも言う。

※三番までは前回の「谷茶前」とほぼ同じなので語句などはそちらを参照。



四、読谷山ぬシマから スルル小や買んそーらに
ゆんたんじゃぬしまから するるぐゎーや こーんそーらに
yuNtanja nu shima kara sururugwaa ya kooNsoorani
読谷の村から(来たが)キビナゴをお買いになりませんか
語句・ゆんたんじゃ 「読谷」は昔こう呼ばれた。「ゆんたんざ」とも。・からウチナーグチでは 「から」を①通過の場所(〜から)。②通行の場所(〜を)。③通行の手段(〜で)で用いる。【琉辞】。ここでは②の通貨の場所。読谷村を(歩いていて)こーんそーらに、と売り声をだした。・こーんそーらに お買いになりませんか。<こー。<こーゆん。買う。+んそーらに。<んそーゆん。=みそーゆん。〜してください。敬語。



五、谷茶大口スルル小 まぎさみふどぅいいとぅみ
たんちゃ うふぐち するるぐゎー まぎさみ ふどぅ ゐーとーみ
taNcha ‘uhuguchi sururugwaa magisami hudu wiitoomi
谷茶の大口のキビナゴは大きいか? 大きさは育っているか?
語句・うふぐち 谷茶の浜にあるリーフの名称。そこに裂け目があり、船などが往来した。・まぎさみ 大きいか?形容詞は、まぎさ(おおきさ)+ん<あん(あり)と言う構造になっているが、疑問文にする時は「N」(ん)を「m」にして疑問の助詞「i」をつける。・ふどぅ 大きさ。「背丈、身長」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】)。・ゐーとーみ 成長しているか? <ゐーゆん 成長する。(「老いる」の意味もある。)→ゐーとーん (成長している)の疑問文。



六、むっちくーわ 姉小たー 一碗ちゃっささびーが
むっちくーわ あんぐゎーたー ちゅーまかい ちゃっささびーが
mucchi kuuwa ‘aNgwaataa chuu makai chassabiiga
持ってこいよ 姉さん達 お碗に一杯いくらしますか
語句・むっちくーわ 持ってこいよ。持ってきてよ。動詞「むちゅん」(持つ)の連用形(もって)は「むっち」、それに「ちゅん」(来る)の命令形「くー」(来い、来て)に「わ」(「や」の変化したもの。意味は「よ」)。・ちゅひとつ。・まかいどんぶり。茶碗。・ちゃっさ どれほど。値段を聞く時などの「いかほど」。・さびーが しますか?さ。<すん。する。+びー<あびーん。丁寧な「ます」。疑問文では「あびーが」となる。



七、うり売てぃ戻いぬ 姉小たーにういぬひるぐささ
うりうてぃ むどぅいぬ あんぐゎーたー にうぃぬ ひるぐささ
‘uri ‘uti muduinu ‘aNgwaataa niwi nu hirugusasa
それを売って戻った姉さん達の匂いのなんと生臭いことよ!
語句・むどぅいぬ 直訳では「戻っての〜」。戻った。・にうぃ 匂い。発音に注意。・ひるぐささ 生臭いことよ。<ひるぐささん。生臭い。形容詞の体言止めなので感嘆(なんと〜なことよ!)の意味。



谷茶前の原型を求めて

前回の本ブログで現在舞踊曲などで楽しまれている「谷茶前」の歌詞を検討したが、今回は舞踊曲になる前の民謡として親しまれていた頃の歌詞を検討する。「琉球列島 島うた紀行 第1集」(仲宗根幸市編著)に掲載されている歌詞である(「島うた紀行」にある「明治初期の歌詞」については次回検討する)。

雑踊りとしても民謡としても人気が高い「谷茶前」の歌詞にはいくつか相違点があることはよく知られている。
恩納村の谷茶村に伝承されていたこのウタを元に、明治初期に舞踊の名人といわれた玉城盛重が明治20年頃に振り付けをして那覇で人気を博したという(「琉球舞踊入門」宜保栄治郎著)。

そして人気を博した雑踊りの舞踊曲は出羽(んじふぁ;一曲目の入場曲)につかわれた「伊計はなり節」とともに多くの人々に愛され演舞されるうちに、より躍動的で楽しませるものに変化していった。

変化した点はまた明治期の谷茶前の歌詞を検討しながら見ていきたい。

現在の舞踊曲などの谷茶前では四番以降は例外を除いてあまり歌われない。

四番から五番までの歌詞が実に生き生きとした情景描写で民謡の本領を発揮しているように感じる。つまり魚を兄さんたちが獲って姉さんたちがそれを買い、他のシマに物売りに行くのだ。そしてこうしたやりとりがおこなわれる。

「谷茶の大口のスルル小は大きいか、育っているか?」と
それなら「じゃあ持って来てくれ、ひと椀でいくらだ?」
「そして儲けて帰ってきた娘らは頭に魚を乗せて売り歩いたから魚臭くなっていた」と。

恩納村から読谷村まで売りに歩いた様子がうかがわれる。そして谷茶の大口のスルル小は人気もあったのだろう。




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2018年02月11日

谷茶前

谷茶前
taNcha mee 
たんちゃめー
谷茶の前
語句・たんちゃめー 谷茶前の浜、が正式な呼び名である。「の浜」が省略されている。



一、谷茶前の浜に(よー)スルル小が寄ててんどー(ヘイ)(ナンチャマシマシ ディアンガ ソイソイ)
たんちゃめーぬはまに(よー)するるぐぁーがゆてぃてぃんどー(へい)(なんちゃましまし でぃー あんぐぁー そいそい)
taNchamee nu hama ni yoo sururugwaa ga yutitiN doo (hei naNca mashimashi dii aNgwaa soi soi)
谷茶(の)前の浜に きびなごが集まっているぞー
語句・するるぐぁ 「小魚の名。きびなご。体長10センチたらずで、かつおの釣り餌に用いられる」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・なんちゃましまし でぃあんぐぁーそいそい 囃し言葉。囃し言葉は拍子を揃えたりするものも多い。また昔の囃し言葉が伝搬する間に別の語句と入れ替わったりもする。この場合「なんちゃ」は「たんちゃ」と歌われる曲もある。「ましまし」は「むさむさ」とも。「でぃーあんぐぁー」は意味がはっきりしているので変化がほとんど見られない。「でぃー」は「さあ」であり、「あんぐぁー」は平民の「お姉さん」だ。「そいそい」は「やくしく」(約束)となったりもする。



二、スルル小やあらん大和ミズンど やんてんどー 
するるぐぁーやあらん やまとぅみじゅんどぅ やんてぃんどー
sururugwaa ya 'araN yamatu mijuN du yaNtiN doo
きびなごではない ヤマトミズン(ニシンの一種)だぞ
語句・やまとぅみじゅん 正式には「ニシン科ニシン亜科ヤマトミズン属」と言う分類になる。いわゆるニシン科の魚だが、辞書でも「鰯の一種」【琉球語辞典(半田一郎)】と書かれることが多い。しかし同じニシン科の中ではあるが、ヤマトゥミジュンはヤマトゥミジュン属、イワシの代表マイワシはマイワシ属となって属が違っている。(余談ながらカタクチイワシはニシン目カタクチイワシ科となって少し別の科)



三、兄達や うり取いが あん小や かみてうり売いが  
あふぃーたーや 'うりとぅいが あんぐぁーや かみてぃ'うり'ういが
'ahwiitaaya 'uri tuiga 'angwaaya kamiti 'uri 'uiga
兄さんたちはそれを採るために 姉さんたちは頭に乗せて売るために
語句・あふぃーたー 兄さん達。「あふぃー」は「平民の兄さん」。「あっぴー」とも言う。ちなみに士族は「やっちー」。・とぅいが 取りに。「が」は「〜しに」の意味。したがって、この後に「いちゅん」(行く)が省略されている。・かみてぃ頭に載せて。<かみゆん。 「頭上に載せる」【琉辞】。



四、うり売て戻いぬアン小が 匂いぬしゅらさ
'うり'うてぃもぅどぅいぬ 'あんぐぁーが にうぃぬしゅらさ
'uri 'uti mudui nu 'angwaa ga niwi nu shurasa
それを売って戻った姉さんの 匂いのかわいらしいことよ
語句・しゅらさ かわいらしいことよ!<しゅーらーさん。「かわいい」【琉辞】。形容詞の体言止め(〜さ)は「とても〜なことよ!」という感嘆の意味がある。



五、うり取ゆる島や 謝名と宇地泊
'うりとぅゆるしまや じゃな とぅ 'うちどぅまい
'urituyuru shima ya jana tu 'uchidumai
それを採る村は 謝名と宇地泊
語句・しま 「島」つまりアイランドではなく村などの地名を指す。・じゃなとぅうちどぅまい 謝名は今帰仁村にある。宇地泊は宜野湾市にある。単にミジュンが良く採れる地域をさしているのか、どうなのか。不明。



(コメント)
沖縄は北部、西海岸の恩納村谷茶(たんちゃ)。そこに伝わる漁村ののどかな男女の風景を歌にしたもの。

明治初期に舞踊の名人といわれた玉城盛重が谷茶に伝わる古謡を元に振り付けをして人気を博した。

最初は女の手踊りだけだったが、やがて女がバーキ(竹籠)を、男がウェーク(櫂)を持って踊る雑踊り(ぞう うどい zoo udui)と言われる現在の型が生み出されて行く。

舞踊曲としては「出羽」(んじふぁ;舞台に出てくる場面)に「伊計はなり節」が使われることが多い。また谷茶前が先でチラシ(続けて弾く曲)に「伊計はなり節」がくることもある。

三線では三下げ(さんさぎ saNsagi)で、沖縄音階ほぼ100%の曲。
早弾きで、タッタタ、タッタタのリズムで弾くことで躍動感に満ちている。

(注意点)
・谷茶前 地名は「谷茶」のみで「前」は、「前の浜」(meenuhama)という慣用の語句。

・「谷茶」と言う地名は恩納村と本部町にある。谷茶前は恩納村が発祥とされているが本部町だとする説もある。

・ヤマトミジュン、ニシンの一種である。



明治初期は歌詞のこの部分は「スク」であったようだ(仲宗根幸市氏)→「マジク」と言う魚の名前が出てくるのだが、これについてはまた後日検討する。

・三番、「うりとぅいが」「うりういが」のそれぞれの後に「いちゅん 'icuN」が省略されている。「・・を採り・・を売り」とリズム良く歌えるようにしてある。

・四番「しゅらさ」は舞踊曲の場合で、民謡では「ひるぐささ」(臭さ)であるという(仲宗根幸市氏 島うた紀行 第1集)これも後日検討しよう。
魚を一日中頭に乗せて売っていたら魚臭くなるでしょうね。

いろいろな歌詞もあるし、時代によりそれも変わる。
民謡の運命(さだめ)である。

人々の口を介して、いいものが残り、変えられてよいものになる。
時代の好みに合わせて変わり、人々は、よくないものは捨てていく。

捨てられたものは戻ってこない。
新しい歌詞が加えられて、元の姿は、見えなくなる。

谷茶前もそういう運命をたどり、今日私たちに、進化した姿を見せてくれるのである。

(歌碑)

昔の谷茶前の歌碑は、少しわかりにくい行きずらい場所にあった。



現在は浜の近くに駐車場と共に新設された。



次回はこの歌碑の歌詞を取り上げたい。

(2018年2月11日 加筆修正)


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Posted by たる一 at 07:38Comments(0)た行

2015年03月17日

とーがにあやぐ

とうがにあやぐ
とーがにあやぐ
toogani 'ayagu
語句・とーがに 「トーガニアーグ、単にタウガニともいう。対語が『いちゅに(糸音)で、妙なる絹糸の音を意味する。妙なる唐の音という意味であろう。宮古の抒情的歌謡の一ジャンル名。不定形短詩形歌謡。奄美の島唄、沖縄の琉歌、八重山のトゥバラーマに相当する。』」《「宮古の歌謡」新里幸昭著 》(以下【歌謡】と省略。)
「とーがに」については不明。伝承では「中国から来たカニという青年」つまり「唐ガニ」からというのもある(「島うた紀行」第三集。仲宗根幸市編著)。「とぅーがに」 と発音される方もいるが「とーがに」であろう。・あやぐ 「あやぐ」は「美しい言葉」つまり「うた」。「[綾言〔あやごと〕美しく妙なる詞]あやぐ〔宮古島の伝統歌謡〕aaguとも;Toogani 'ayaguなど」【琉球語辞典】(半田一郎著)。



《歌詞の表記は「解説付(改訂版)宮古民謡集 平良重信著」を参考にした。》
《発音についてはCD「生命(いのち)燃えるうた 沖縄2001⑥宮古諸島編(2)八重山諸島編」の「トーガニ」国吉源次さんの音源を参考にした。 》



【御主が世】
(うしゅーがゆー)

大世照らし居す゜まてだだき国ぬ国々島ぬ島々 輝り上がり覆いよ 我がやぐみ御主が世や根岩どうだらよ
うぷゆーてぃら しゅーずぃ まてぃだだき くにぬ くにぐにすぃまぬ すぃまずぃま てぃりゃあがり うすいよ ばがやぐみ うしゅがゆーや にびしどぅだらよ
'upuyuu tirashuuzï matida daki kuni nu kuniguni shïmazïma tiryagari 'usui yoo baga ya gumi 'ushu ga yuu ya nibishi du dara yoo
大豊作を照らされておられる太陽のように国々や島々を照り上がって覆いください 私たちが恐れ多い御主のもたらす大豊饒は神聖な場所の岩のようなものだ
語句・うぷゆー 大豊作。「うふゆー」として【歌謡】には「大豊年。大豊作。『うふ』は大、『ゆー』は果報、幸、豊穣などの意味。『うぷゆー』ともいう。対語『てぃだゆー(太陽世)』」「ゆー」を「世」や「代」と当字をして「世界」とか「代(よ)」という意味に直結しがちだが、この「ゆー」は「豊穣。五穀豊穣だけでなく、人々のすべての幸せをさす。」【歌謡】という点に注意したい。・ 「ほんとうの、まことの、の意味を添える接頭美称辞。」【歌謡】。・てぃだ 太陽。本島の「てぃーだ」に対応。・だき 「〜のように」【歌謡】。・てぃりゃあがり (太陽が)照り上がり。宮古の民謡「子守唄」に「島うすいうい照りや上がり 国やうすい照り上がり」とあり、その子が成長して人々から尊敬される拝まれる存在になってほしい、という願いの表現にも使われる。「照り上がる」ものは「太陽」といいつつも、人々に幸せや五穀豊穣をもたらす「神」や「支配者」という意味と重ねることもできる。・やぐみ「恐れ多いこと。恐れ多い神。畏敬の神。」【歌謡】。・うしゅがゆー 支配者がもたらす豊穣、幸。上にも見たがあくまで人々に幸せをもたらす支配者という意味であり、「御主が世」や「御主が代」というような単なる支配者崇拝ではない。・にびし 「にびし」の「にー」は「植物の根」という意味で普通受け止められて、「根の生えた岩」(「宮古民謡集」平良重信)と訳されることが多い。それは間違いとは言えないが、「にー」とは「植物の根」以外の「元」(むとぅ)つまり「祖先」や「部落の最初の家」「移住する前の村」などの意味に使われることも少なくない。例えば歌で「にーぬしま」(根の島)とは「部落創始の時の村落。現村落に発展してきた以前の元部落。現在は神聖な祭場になっている」【歌謡】とあるように、神聖な場所を表す。「びし」は単なる「岩」ではなく「びしシ」(座石)「据え石、礎石」【歌謡】とあるように土台となる石である。したがって「神聖な場所にある岩」と理解したい。「とーがにあやぐ」では「結婚祝」の歌詞に「根岩」(にびし)と「根ぬ家」(にぬや)を対句としたものがある事も留意したい。



【宮古のあやぐ】
(みゃーくぬあやぐ、又は みゃーくぬあーぐ)

春ぬ梯梧ぬ花ぬ如ん 宮古ぬあやぐやすうに島 糸音ぬあてかぎりやよ 親国がみまい 下島がみまいとゆましみゅでぃよ
はるぬでいぐぬ ぱなぬにゃんみゃーくぬ あやぐやすにずぃま いちゅにーぬ あてぃかぎかりゃよ うやぐにがみまい すむずぃまがみまい とぅゆましみゅでぃよ
haru nu deigu nu pana nu nyaN myaaku nu 'ayagu ya sunizïma 'ichunii nu 'atikagikarya yoo 'uyaguni gamimai sumujïma gamimai tuyumashi myudi yoo
春のデイゴの花のように宮古の唄は 宗根島(宮古島の古い呼称)の唄はあまりにも美しいから 沖縄本島までも 八重山諸島までも響かせて(有名にして)みよう
語句・にゃん 如く。・いちゅに 「絹糸の音。妙なる調べ。『いちゅ』は絹糸、『に』は音色、調べ。対語『あやぐ(綾言)』」【歌謡】。・あてぃ とても。非常に。「あてぃぬ」について「あまりに。とても。」【歌謡】。・かぎ 「美しさ、立派さ」【歌謡】。・うやぐに 沖縄本島。首里王府のある島を指す。「うや」とは「父親。族長的な人物」【歌謡】を指す。・がみ 「副助詞『まで』」【歌謡】。・すむずぃま 八重山諸島。「すむやーま」は「八重山の離島、特に波照間をさす。」【歌謡】。・とぅゆまし 名声をあげて。鳴響いて。




【これまでの経緯】

昨年、「あやぐ節」にでてくる「仮屋」跡が那覇市内にあることを知り、そこを訪れた。

そして歌詞を調べるうちに、この「あやぐ節」という曲がどこから来ているのかに興味をもった。

このブログで「あやぐ節」、「宮古のあやぐ」と見ていくうちに、この歌の系譜が実は「ナークニー」や「とーがにあやぐ」などと深い関係にあることがわかってきた。

歌詞だけでなく音階にも、唄の構成にも深い共通性があることもわかってきた。

それで、「あやぐ節」、「宮古のあやぐ」に続いて、
本島の「トウカニー節」そして「トーガニー」、
八重山の「とーがにすぃざ節」
まで見てきた。

この後は、「宮古民謡中の名歌」(平良重信氏)とまでいわれる「とーがにあやぐ」を見るしかないのだが、古語を使ったこのあやぐの解説など自力でできるわけもない事に気付き、途方に暮れていた。

出会ったのが「宮古の歌謡」新里幸昭著である。

この本には宮古歌謡語辞典というものが付いている。

語り言葉としての宮古語辞典は他の辞書に比べ少ないとはいえ有るのではあるが、古謡には歯が立たない。

それで今回この本に大いにお世話になりながら「とーがにあやぐ」の歌詞を一部読み解いてみることにした。

【「御主が世」の「ゆー」の捉え方 】

「御主が世」という座開きなどで唄われる歌詞を見ると、宮古島の支配者や神を讃える歌という解説が多い

「ゆー」の捉え方には「豊穣。五穀豊穣だけでなく、人々のすべての幸せをさす。」と「宮古の歌謡」(新里幸昭著)の「宮古歌謡辞典」にある。

この点からこの歌の意味を捉え返すという必要性を強く感じた。

この「ゆー」の理解がないと、単なる「支配者崇拝」という理解に留まる。

人々の「願い」、「祈り」が太陽のように豊穣をもたらす支配者に望むことがウタとして昇華したものではないだろうか。


【根岩の解釈】

次に気になるキーワードは「根岩」(にびし)だ。

上の《語句》の所にも書いて繰り返しになるが、「にびし」の「にー」は「植物の根」という意味で普通受け止められて、「根の生えた岩」(「宮古民謡集」平良重信)と訳されることが多い。あるいは、根が絡みついた岩、というような理解が多く見られる。

それは間違いとは言えない。分かりやすさを重視し、比喩を具体的に用いようとすれば、そういう表現にもなるだろう。

ただ、「にー」とは「植物の根」以外の「元」(むとぅ)、つまり「祖先」や「部落の最初の家」「移住する前の村」などの意味に使われることも少なくない。

例えば歌で「にーぬしま」(根の島)とは「部落創始の時の村落。現村落に発展してきた以前の元部落。現在は神聖な祭場になっている」【歌謡】とあるように、神聖な場所を表す。

「びし」は単なる「岩」ではなく「びしシ」(座石)「据え石、礎石」【歌謡】とあるように土台となる石である。

したがって「神聖な場所にある岩」と理解したい。
人々の祖先が昔住み、今は聖地となった場所にある岩を指すのではないか。

次に見るように「とーがにあやぐ」で「結婚祝」で唄われる歌詞に「根岩」(にびし)と「根ぬ家」(にぬや)を対句としたものがある事はとても重要だと思う。

《結婚祝》
此ぬ大家や根岩ぬ如ん 昔からぬ あらうからぬ根ぬ家どぅやりやよ 夫婦根やふみ 島とぅなぎぱやからまちよ
(くぬうぷやーきーや にびしぬにゃん んけやんからぬ あらうからぬ にーぬやーどぅやりやよー みうとぅにーやふみすまとぅなぎぱやからまちよー)
この家柄は根岩の如く 昔からの あの世からの元々の家であるから 夫婦の元を大事にし島のある限り栄えてください

注意して頂きたいのは、「とーがにあやぐ」の「御主が世」のこれまでの解釈に私が反対意見を述べているわけではない。

宮古島に住む人々にとって「ゆー」の理解や「根岩」の使い方はいわば当たり前なのでくどくどと説明していないだけであろう。

むしろ私たちが宮古の古謡に体現された宮古の人々が昔から積み上げてきた力強い精神世界の豊かさをもっと勉強すべき、と感じるばかりである。


【とーがにあやぐの「宮古のあやぐ」】

春ぬ梯梧ぬ花ぬ如ん 宮古ぬあやぐやすうに島 糸音ぬあてかぎりやよ 親国がみまい 下島がみまいとゆましみゅでぃよ

という歌詞は八重山の「とーがにすぃざ節」の一番
とーがにすぃざ 宮古ぬ清ら島からどぅ 出でぃだる とーがにすぃざよ 沖縄から八重山迄ん流行りたる とーがにすぃざよ
に継承されている。
「春のデイゴ。。」は脱落しているが。

さらに本島で好んで今でも唄われている「トーガニー」にも
一、トーガニスーザーや 宮古ぬ美ら島から流行りるトーガニスーザーよ 沖縄ぬ先から宮古ぬ先までぃ流行りるトーガニスーザーよ
と継承されている。
ここでは「八重山」が「宮古」に変化しているのだが。

この歌詞の変化を見るとき

とーがにあやぐ→とーがにすぃざ節→トーガニー

という歌詞の継承と変化を感じるのは私だけだろうか。


これらの曲と唄のメロディーの共通性と変化についてはまた後にふれたい。

《参考文献》

▲「宮古の歌謡」新里幸昭著 。「宮古歌謡語辞典」が後半にある。
古謡に使われる言葉を集めたもので古謡の理解には非常に役に立つ。


▲「解説付き 宮古民謡集」 平良重信著。「宮古方言の手引き」も付いている。



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Posted by たる一 at 11:14Comments(0)た行宮古島民謡

2015年01月28日

とーがにすぃざ節

とーがにすぃざ節
とーがにすぃざ ぶすぃ
toogani shïza bushï
語句・とーがにすぃざ 宮古民謡の「とーがに兄」(とーがにすざ)を八重山語読みしたもの。「とーがに」については不明。伝承では「中国から来たカニという青年」つまり「唐ガニ」からというのもある(「島うた紀行」第三集。仲宗根幸市編著)。「すぃざ」は、宮古語の「兄」(すざ)から、という説が有力だが、八重山語の「羨ましいなあ・いいなあ・めでたい」という意味もあるという指摘(「精選八重山古典民謡集」當山善堂編著)(以下【精選】)もある。なお八重山語の中舌母音の表記については「すぃざ」(う段中心)と「しぅざ」(い段中心)の二つがあるが、ここでは前者(う段中心)を採用。発音は同じ「shï」。


《歌詞及び発音においては「精選八重山古典民謡集」(當山善堂編著)と「八重山の古典民謡集」(小濱光次郎著)を参考にした。》


一、とーがにすぃざ 宮古ぬ清ら島からどぅ 出でぃだる とーがにすぃざよ 沖縄から八重山迄ん流行りたる とーがにすぃざよ
とーがにすぃざ みやくぬちゅらずぃまからどぅ んでぃだ とーがにすぃざよ うくぃなーからやいままでぃん はやりた とーがにすぃざよ
tooganishïza miyaku nu churazïma kara du 'Ndidaru tooganishïza yoo 'ukïnaa kara yaima madiN hayaritaru tooganishïza yoo
《下線部の発音、前掲の著書で當山氏は「る」、小濱氏は「るぃ」としている。》
トーガニ兄 宮古の美しい島からこそ出たトーガニ兄 沖縄本島から八重山までも流行っているトーガニ兄よ



二、一本松ぬよ 実ば落てー 二本生やー 唐船ぬ柱なるとぅん 貴方が上に 横肝持つぁでぬ 我やあらぬ
ぷぃとぅむとぅまつぃぬよ なるぃばうてぃ ふたむとぅむやー とーしんぬ ぱらーまるとぅん うらがういに ゆくくぃむ むつぁでぬ ばぬやあらぬ
pïtu mutu matsï nu yoo narïba 'uti hutamutu muyaa tooshiN nu paraa narutuN 'ura ga 'ui ni yukukïmu mutsadenu banu ya 'aranu
一本松の実が落ちて二本生えて唐船の柱になっても 貴方に邪(よこしま)な気持ちを持つ私ではありません



三、あねーるぃがじまる木ざーぎどぅ 髭ば下れー 石ば抱ぎ 育べー行くさー 貴方とぅ我とぅや 貴方抱ぎ我抱ぎ 育べー行からー
あねーるぃがじまるきーざぎどぅ ぴにばうれー いしばだぎ ふどぅべーいくさー うらとぅばんとぅやうらだぎばぬだぎふどぅべーいからー
'aneerï gajimarukiizagidu pini ba 'uree 'ishi ba dagi hudubee 'ikusa 'ura tu baN tuya 'ura dagi banu dagi hudubee 'ikaraa
あのようなガジュマルの木でさえ気根を下ろし石を抱き育っていくよ 貴方と私はお互いを抱いて育って行こうねえ
語句・あねーるぃ あのような。語句・ざーぎどぅ 「ざーぎ」→でさえ。・ふどぅべー 育って。<ふどぅびん。育つ。「成長する。大きくなる。『程生(お)ひる』の意。」【「石垣方言辞典」(宮城信勇著)】(以下【石辞】)。「ふどぅべーいくさ」→「そだっていくよ。」。「ふどぅべーいから」→「育っていきましょう」。「いから」いきましょう。いきたい。→希望や呼びかけ。



四、貴方とぅ我とぅや天からどぅ夫婦なりで ふき結いたぼーれーる 後から見ーりゃん 前から見ーりゃん夫婦生りばしー
うらとぅばんとぅや てぃんからどぅ みゆとぅなりで ふきゆいたぼーれーる しーからみーりゃん まいからみーりゃんみゆとぅまりばしー
'ura tu baN tu ya tiN karadu miyutu naride hukiyui tabooreeru sii kara miiryaN mai kara miiryaN miyutu maribasii
貴方と私とは天から夫婦になれと縁を結んでくださった 後ろから見ても 前から見ても夫婦として生まれているよ
語句・うら 「貴方。男女どちらからも言う。歌の中でよく使われる。対等もしくはそれ以下に対して言う。」【石辞】。・ばん 通常は「ばぬ」(私が)として使われる。・みゆとぅなり 夫婦になれ。命令形。・ 〜と。・ふきゆい 「ふき」は「境界を示すために立てる目印・しめ(標、注連)」【精選】。転じて「縁を結ぶ」。・しー 八重山語で「後ろ」



八重山の「とーがにすぃざ節」

「あやぐ節」のルーツを探して、八重山の「とーがにすぃざ節」まで来た。

前回みた本島でよく歌われている「トーガニー」が、「タウカニー節」や「トウガニー節」と同じ根を持ち、その根がどうやらこの八重山の「とーがにすぃざ節」のようである。

この「とーがにすぃざ節」の歌詞一番では

「宮古の清ら島から出たとーがにすぃざ節が、沖縄から八重山まで流行っている」

というのだから、この唄の前に宮古の「とーがにすぃざ」という唄があったことを示唆している。

歌詞を参考にした「精選八重山古典民謡集」(當山善堂 製作/編著)ではこんな「伝承」がある、と紹介されている。

「すなわち、八重山民謡の〈あがろーざ節 〉節が宮古に伝授されて〈東里真中〉となり、お返しに宮古民謡の〈とーがにしぅざ〉が八重山に伝授されて〈とーがにしぅざ〉になったという。その真偽のほどはさておき、八重山の〈とーがにしぅざ節〉と関連があると思われる宮古民謡には〈とーがに兄(すぅざ)〉と〈とーがにあやぐ〉があるが、いずれなのかは判然としない」(「精選八重山古典民謡集」〈三〉P128)

「あがろーざ節」が宮古に伝承されて「東里真中」となったという伝説には諸説あり、また「ルーツ」を巡る論争もあり定かではないが、宮古と八重山の二つの「とーがにしぅざ」は関連があると見るのは当然だろう。
《参照「あがろーざ」》


ここまでのまとめ

「昭和戦前・戦後 黄金期の名人が甦る 沖縄民謡全集」に収録されている「トウカニー節」ライナーノーツにある解説にこうあった。

「八重山民謡の『トーガニスーザー節』を元に、歌詞の後半は沖縄本島方言に書き換えられ、見事なまでに昇華させた名優、多嘉良 朝成(たから ちょうせい)(1884年〜1944年)の歌声である。この歌は後に『沖縄本島のあやぐ』『新宮古節』『中城情話』『奥山の牡丹』等すべてこの曲がもと歌であり、広い意味では沖縄民謡の代表曲『ナークン ニー』もこの曲が源である。昭和5年頃の収録。」

八重山の「とーがにすぃざ節」を聞くと、1930年頃に多嘉良 朝成氏によって歌われた「タウカニー節」の歌詞との類似、そして三線の手、工工四、メロディーもよく似ている。

ただ、それぞれの歌がいつ頃作られたものかは全くわからない。

八重山の「とーがにすぃざ節」は八重山の古い歌詞集にもみあたらない、比較的新しいのではないか、と「精選八重山古典民謡集」で當山善堂氏は述べている。


これらのことから

宮古民謡「とーがに兄」、「とーがにあやぐ」

→八重山「とーがにすぃざ節」

→本島「タウカニー節」「トーガニー節」

→?「あやぐ節」


という一応の系譜が仮定されるが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。


宮古の「とーがに兄」、「とーがにあやぐ」や、今日歌詞にもバリエーションが本島の「トーガニー節」「トゥーガニー」、さらにはナークニーとの関連などについては今後の検討課題としたい。











  

Posted by たる一 at 10:39Comments(0)た行八重山民謡

2015年01月15日

トーガニー

トーガニー
とーがにー
語句・とーがにー 八重山民謡の「とーがにしぅざ節」から。「トーガニ」の意味についてはよくわかっていない。前回も書いたがおそらく宮古民謡の「トーガニアヤグ」の「トーガニ」から来ているのだろう。「トーガニ」も意味は現在でも不明とされている。仲宗根幸市氏によれば「一説には『カニ』という唐(中国)帰りの美声の若者がうたいはじめたことからきているという。しかし、それだけでは疑問はつのるばかりである。タウガニ、トーガニ、トーガリ(ガレ)は語源的に未解明。」(「島うた紀行」第三集。仲宗根幸市編著)


唄三線 登川誠仁(CD「STAND!」より筆者聴き取り)


一、トーガニスーザーや 宮古ぬ美ら島から流行りるトーガニスーザーよ 沖縄ぬ先から宮古ぬ先までぃ流行りるトーガニスーザーよ
とーがにすーざーや みゃーくぬちゅらしまからはやりる とーがにすーざーよ うちなーぬさちからみゃーくぬさちまでぃ はやりるとーがにすーざーよ
tooganisuuzaa ya myaaku nu chura shima mara hayariru tooganisuuzaa yoo 'ukinaa nu sachi kara hayariru toogani suuzaa yoo
トーガニスーザーは宮古の美しい島から流行っている トーガニスーザーよ 沖縄の先から宮古の先までぃ流行っているトーガニスーザーよ
語句・スーザー 兄。兄さん、のこと。宮古語では「すざ」。八重山民謡では「しぅざ」(sïza)と中舌母音を入れて発音するが【石垣方言辞典】(宮城信勇著)(以下【石辞】)には「しじゃ」とある。本島、ウチナーグチの「しーじゃ」に対応。「トーガニスーザー」は歌の名前。一方、八重山民謡の「とーがにしぅざ節」の「しぅざ」を「精選八重山古典民謡集」では「羨ましいなあ・いいなあ・めでたい」などの意味だとも解釈している。どちらが正解なのか不明。



二、あねるガジュマル木さぎどぅ つるばうれー 石ばかい抱ぎ ぷるでいくから うらとぅ我ぬとぅや うら抱ぎ我ぬ抱ぎ ぷるでーいくそー
あねるがじゅまるきーさぎどぅ つるばうーれー いしばかいだぎ ぷるでいくから うらとぅばぬとぅや うらだぎばぬだぎ ぷるでいくそー
'aneru gajumaru kii sagi du tsuru ba 'uree 'ishi ba kaidagi purude 'ikukara 'ura tu banu tu ya 'ura dagi banu dagi purude 'iku soo
あのようなガジュマルの木でさえもツルを降ろし 石を抱いて 育っていくので 貴方と私とは 貴方を抱き私を抱いて育っていくのだよ
語句・さぎどぅ でさえも。これは八重山語。「ざーぎ」でさえ。+どう。こそ。強調の助詞。・ぷるで 「成長して。育って」。八重山語の「ふどぅびん」(成長する)から。登川氏は「ぷるで」と歌われている。ウチナーグチでは「ふどぅ うぃーゆん」と言う。【石辞】には、現在では「ぷどぅーういるん」と言うとあるので、この歌詞は八重山語での現代読み。・いくそ いくのだよ。大和語の「行く」か、八重山語の「いくん」の活用形から。ウチナーグチ(「いちゅん」の活用形)ではない。+ そー。八重山語で「だよ」。念を押す終助詞。【石辞】・つる 八重山語で「つる」。ガジュマル木の気根、ヒゲ根のことだろう。ウチナーグチでは「ちるー」。・うら 八重山語で「貴方」。・ばぬ 八重山語で「わたし」。



三、夏ぬ昼間ぬ水欲さや 太陽ぬ入り 夜ぬいくかー 忘りるしーよー 加那様事ぬ朝ん夕さん忘りるならぬそー
なちぬ ぴらま ぬ みじふさやー てぃだぬいり ゆぬいくかー わしりるしーよー かなさまくとぅぬ あさん ゆーさん わしりぬならぬそー
nachi nu pirama nu miji husa yaa tiida nu 'iri yu nu 'ikukaa washirirusii yoo kanasamakutu nu 'asaN yuusaN washiriru naranu soo
夏の昼間に水が欲しいのは 太陽が沈み夜がふければ忘れる 貴方様の事は一日中忘れることはないのだよ
語句・ぴらま 八重山語で「ぴぅーりぅま」【石辞】。ウチナーグチの読み替えだろう。・ゆーぬいくか夜が更ければ。八重山語で 「夜が更ける」は「ゆーいくん」【石辞】。「かー」は動詞活用の条件形。



四、ゆんとぅりば 夢る見る 起きとぅりば 事ぬるうくりゆる 寝てぃん寝ららん 起きてぃんうららん かんちゃがなさや
ゆんとぅりば いみるみる うきとぅりばくとぅぬうくりゆる にてぃんにららん うきてぃんうららん かんちゃがなさや
yuN turiba 'imi ru miru 'ukituriba kutu nuru ukuriyuru nitiN niraraN ukitiN uraraN kaNcha ganasa yaa
夜休んでいれば夢を見る 起きていれば事が起きる 寝ても寝られない 起きてもいられない 貴方が愛しいことだ
語句・ゆんとぅりば 夜休んでいれば。<ゆん <ゆー 夜 +ん + とぅりば <とぅりゆん。 心が和む。→休めば。・かんちゃ貴方。 おそらく八重山語の「かぬしゃーま」から。<かぬしゃー 「男性からいう女性の恋人。『愛(かな)しき人』の意。



五、真夜中どぅやしが 夢にむい起くさりてぃよ 覚みてぃ恋しさや 無蔵が姿
まゆなかどぅやしが いみにむいうくさりてぃよー さみてぃくいしさや んぞがしがた
mayunaka du yashiga 'imi ni mui ukusarithi yoo samiti kuishisa ya Nzo ga shigata
真夜中であるが夢に起こされて 覚めて恋しいのは貴女の姿



六、うばが家とぅ我んたが家とぅ隣やたんば 主 今日ん見り明日ん見り 愛し里前よ
うばがやーとぅばんたがやーとぅ とぅないやたんばしゅー きゆんみりあちゃんみり かなしさとぅまいよー
uba ga yaa tu baNta ga yaa tu tunai yataNba shuu kiyuN miri 'achaN miri kanashi satumai yoo
貴方の家と私の家とが隣だったらね 貴方 今日も見て明日も見て愛しい貴方様よ



七、ばぬちゃかいりょがばよ 里前 下から入りょらばん 上から入りょらばん 足音いざすんなよ 下やハーメー 上やタンメー 中座や我ぬ人うり
私の(ちゃかー不明)入るときは 貴方様 下から入っても上から入っても足音立てないでよ 下にはおばあさんが 上にはおじいさんが 中座には私の人がいるから
語句・はーめー おばあさん。「平民の祖母または、平民の老女をいう」【沖縄語辞典(国立国語研究所)】(以下【沖辞】)。・たんめー 「士族の祖父。また、士族の老翁。おじいさん。」【沖辞】。平民の祖父はウシュメー。・なかざ



トーガニーについて

登川誠仁さんは好んでこの「トーガニー」をあちこちで歌われている。

(CD「STAND!」)

CD以外では「ビデオ 嘉手苅林昌独演会」で「泊高橋」をチラシに歌われている。



「トーガニー」は本島で色々な方が歌われて現在でも人気のある民謡のひとつである。

三線の手は、歌持ち(ウタムチ=前奏)に、カチビチ(掛き弾き)が多いのが特徴。
「富原ナークニー」を少し彷彿とさせる。

この登川誠仁さんの歌は、八重山民謡「とーがにしぅざ節」からきている歌詞から、真剣に最後まで聞けば、7番では、いわゆる「夜這い」を題材にしていて、そこでも聴衆を笑わせる仕組みになっている。

「トーガニー」を「ジビター小」と呼び換えて、さらにきわどい歌詞や聴衆受けする内容を唄に乗せて「春歌」として歌う場合もある。

「ジビター」とは「下品」とか「卑猥」という意味だ。

「春歌」を「文化の荒廃」として批判される方もおられようが、適量を守った「飲酒」と同じで、場所と時をわきまえて節度を保てば「春歌」や「狂歌」も庶民の生活に潤いをもたらす「唄」と言えよう。


トーガニーとナークニー

拙ブログでは本島で歌われる「あやぐ節」 のルーツを探して、宮古民謡の「宮古のあやぐ」、「トウカニー節」と見てきた。

「あやぐ節」を宮古民謡「トーガニアヤグ」と工工四を照らし合わせて比較してみたが、音階においても多くの共通点があり、「あやぐ節はトーガニアヤグをヒントに作られた」ということを裏付けてもいることも見た。

ただしどちらが先でどのような経過で唄が変遷してきたかまでは調べる由も無い。

私の問題意識は前にも書いたが本島の「ナークニー」が宮古の「トーガニアヤグ」や八重山の「とーがにしぅざ節」を元にして作られたという「トウカニー節」などから生まれてきたものだという説にある。

音階の比較

今回の「トーガニー」のメロディーは、八重山の「とーがにしぅざ節」とよく似ているし、宮古の「とーがに兄節」とも少し似ている感じはある。

宮古の「とーがに兄節」はどちらかというと「クイチャー」系のメロディーと構成になっていて、その意味では「ナークニー」と「クイチャー」との関連を予想させるところがとても面白い。

本島の「あやぐ節」 、宮古の「宮古のあやぐ」、本島の「トーガニー」、八重山の「とーがにしぅざ節」、そして宮古の「トーガニあやぐ」「とーがに兄節」、さらに「クイチャー」も含めて音階を比較すると、

四、上、中、工、 五、七、八
(ド、レ、ミ、ファ、ソ、シ、ド)

「上」(レ)が沖縄音階の例外になるが、どの曲にも含まれている特徴的な音になっている点が非常に面白い。(余談だが、本島では「かいされー」の音階とも似ている。)


次回、八重山の「とーがにしぅざ節」や、宮古の「とーがに兄節」などの歌詞なども見ておきたいと思う。

  

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2014年12月22日

トウカニー節

トウカニー節
とーかにーぶし
tookanii bushi
語句・とーかにーぶし 不明。読み方は「とうかにー」なのか「とぅかにー」「とーかにー」なのか判別できない。だが、おそらく宮古民謡の「トーガニアヤグ」の「トーガニ」から来ているのではないかと思われる。「トーガニ」も意味は現在でも不明とされている。仲宗根幸市氏によれば「一説には『カニ』という唐(中国)帰りの美声の若者がうたいはじめたことからきているという。しかし、それだけでは疑問はつのるばかりである。タウガニ、トーガニ、トーガリ(ガレ)は語源的に未解明。」(「島うた紀行」第三集。仲宗根幸市編著)


唄・三線 多嘉良 朝成
(「沖縄民謡大全集」《四》より。)


一、あねるガジマル木ざぎどぅ いきばさち 石ば抱き ふどぅべいくよ うらとぅ我ぬとぅや うら抱きばぬ抱き ふどぅべいくよ
あねるがじまるぎざーぎどぅ いきばさち いしばだき ふどぅべーいくよ うらとぅばぬとぅや うらだき ばぬだき ふどぅべーいくよ
'aneru gajimarugi zaagidu 'ikibasachi 'ishi ba daki hudubee 'iku yoo 'ura tu banu tu ya 'ura daki banu daki hudubee 'iku yoo
そんなガジュマルの木でさえもこれから行く先、石を抱いて育っていくよ。貴方と私とは、貴方を抱き私を抱き、育っていくよ
語句・あねる「そんな。そのような。」【沖縄語辞典(国立国語研究所)】(以下【沖辞】と略す)。八重山語(「沖辞」には「八重山群島方言」とあるが、現在ユネスコでは、日本における「危機的言語」の八つのうち、ひとつは「八重山語」として、一つの独立した言語とみなしていることにに準じた表記にする。)ならば「あねーるぃ」。・ざーぎどぅ 〜でさえも。これは八重山語である。「ざーぎ」でさえ。+どう。こそ。強調の助詞。・ふどぅべー 「成長して。育って」。八重山語の「ふどぅびん」(成長する)から。ウチナーグチでは「ふどぅ うぃーゆん」と言う。・いくよ いくよ。大和語の「行く」か、八重山語の「いくん」の活用形から。ウチナーグチ(「いちゅん」の活用形)ではない。・うら 八重山語で「貴方」。・ばぬ 八重山語で「わたし」。



二、うらとぅ我ぬとぅや 天からぬ 御定みぬ 縁がやたら 前から見らばん 後から見らばん 夫婦なりばし
うらとぅばぬとぅや てぃんからぬ うさだみぬ いんがやたら まいからみらばん くしからみらばん みーとぅなりばし
'ura tu banu tu ya tiN kara nu 'usadaminu yiN ga yatara mai kara mirabaN kushi kara mirabaN miitu naribashi
お前と私とは天がお定めになった縁なのだろうか。前から見ても後ろから見ても夫婦であるよ
語句・うさだみ 「天命」【沖辞】。・まい 八重山語で「前」。ウチナーグチでは「めー」。・くし 後ろ。これはウチナーグチ。



三、沖縄から御状ぬ下りば 一筆啓上じょうたぬいきゆが スルバンぬ玉ゆはじきみたりば 三三が九ち
うちなーから ぐじょーぬくだりば いっぴつけいじょー じょーたいぬいきゆが するばんぬたまゆはじきみたりば さざんがくくぬち
'uchinaa kara gujoo nu kudariba 'ippitsukeijoo jootanu 'ikiyuga surubaN yu hajikimitariba sazaN ga kukunuchi
沖縄からお手紙がくれば一筆啓上(じょーたいぬいきゆがー不明)算盤の玉をはじいてみたら三三が九
語句・いっぴつけーじょー 大和語。その後もおそらく大和語の影響が強い。意味も掴みかねる。



「トウカニー節」はどこから

前々回は本島民謡の「あやぐ節」、そして前回は宮古民謡の「宮古のあやぐ」を見てきた。

本島民謡として歌われている「あやぐ節」(または「宮古のあやぐ」)は、どこから来たのか、どういう流れで海を渡ってきたのか、非常に興味がある。

その問題意識で探している時にこの曲に出会った。


「昭和戦前・戦後 黄金期の名人が甦る 沖縄民謡全集」(以下「全集」と略す。)という12枚組CDの中に収録されている「トウカニー節」である。

「全集」のライナーノーツにある解説を引用しておこう。

「八重山民謡の『トーガニスーザー節』を元に、歌詞の後半は沖縄本島方言に書き換えられ、見事なまでに昇華させた名優、多嘉良 朝成(たから ちょうせい)(1884年〜1944年)の歌声である。この歌は後に『沖縄本島のあやぐ』『新宮古節』『中城情話』『奥山の牡丹』等すべてこの曲がもと歌であり、広い意味では沖縄民謡の代表曲『ナークン ニー』もこの曲が源である。昭和5年頃の収録。」

この「トウカニー節」が「あやぐ節」だけでなく
「ナーク ンニー」「ナークニー」などの元歌というのである。

しかも八重山民謡の「トーガニスーザー節」(八重山では「トーガニシゥザ節」)を元に作り変えられたものだという。

実は上の歌詞の多くは八重山語が含まれていて、
歌詞も「トーガニシゥザ節」の歌詞とそっくりなのである。

トーガニシゥザ節との関係

この歌「トーガニシゥザ節」は後日とりあげるつもりなのだが、
手元にある、當山善堂『精選 八重山古典民謡集』にある歌詞のうち(三)と(四)がそっくりである。

(三)あねーりぅがじまる木ざーぎぃとぅ ぴにば下れー石ば抱き 育(ふどぅ)べー行くさー うらとぅばんとぅや うらだぎばぬだぎ育べーいからー

(四)貴方(うら)とぅ我(ば)んとぅやよ 天からどぅ夫婦なりで 標結い給れーる後(しー)から見りゃん前(まい)から見りゃん夫婦生りばしー

そっくりというより、八重山の「トーガニシゥザ節」を沖縄語読みになおしたもののようにさえ思える。

「あやぐ節」にでてくる「がじまる木」の下葉(気根)は八重山の「トーガニシゥザ節」にははっきりでてくるのに、「トウカニー節」では「いきばさち」という語句に置き換えられている。その理由はわからない。

一番では、

トーガニシゥザ 宮古の美しい島から産まれたトーガニシゥザは素晴らしい。沖縄から八重山まで流行っているトーガニシゥザよ

と宮古のトーガニを褒め称えている歌なのである。

つまり、宮古の「トーガニアヤグ」や「伊良部トーガニ」などがあり、そこから「トーガニシゥザ節」となり、そこから本島のこの「トウカニー節」が産まれた、あるいはそういう流れで変化してきたと考えることは自然だといえよう。

しかし、この「トウカニー節」が何時作られたものなのか、多嘉良 朝成氏ご自身が作られた(作り変えられた)ものかどうかは、わからない。(「演者」と書かれているだけで「作詞」などが書かれていない。)

それはわからないが、この「全集」に収録されている多嘉良 朝成氏のほかの歌を聴くとき、この方の才能の深さ、また八重山、宮古民謡などへの造詣の深さをうかがい知ることができる。

ネットのコトバンクを引用すれば

多嘉良 朝成
《職業俳優 音楽家(声楽)
生年月日明治17年
出身地沖縄県 那覇市首里
経歴明治40年「球陽座」に入り、後に「中座」に入る。大正5年の琉球新報主催の「俳優人気投票」では20人中の1位となる人気を得る。大正11年平良良勝らと「若葉団」を結成したが、間もなく解散。その後「新生劇団」を結成。大阪から映画の撮影技師を招き、沖縄芝居の「連鎖劇」などを作り、また沖縄民謡をレコードに吹き込むなど、沖縄芝居の向上に尽くした。昭和12年に舞台から引退する。野村流音楽協会の教師を兼ねて舞踊研究所も開き、後進の指導に当たった。歌劇の二枚目に出演し、喜劇俳優としても活躍した。
没年月日昭和19年 (1944年)
家族妻=多嘉良 カナ(民謡歌手)》(引用終わり)

またコトバンクに妻のカナ氏は、

多嘉良 カナ
《職業民謡歌手 女優
旧名・旧姓川平
生年月日明治32年
出身地沖縄県 平良市
経歴夫の多嘉良朝成と一座を率い、民謡歌手としてだけでなく沖縄歌劇の俳優としても活躍。東京・大阪などの国内から、朝鮮、台湾、ハワイ、アメリカ本土まで巡業を行ない、大阪のレコード店からレコードも出している。フランスのシャンソン歌手ダミアを引合いに“沖縄のダミア”ともよばれた。
没年月日昭和46年 (1971年)
家族夫=多嘉良 朝成(俳優)》(引用終わり)


「全集」で多嘉良 朝成氏は、「農民口説」、「百名節」、「伊集早作田節:中作田節」、「挽物口説」、「兼島節」(一名:伊良部トウガニー)、「歌劇 親アンマー」などの録音に参加している。

カナ氏は宮古島生まれということだけで、この「トウカニー節」が、宮古島の「トーガニアヤグ」、そしてそれが八重山につたわっての「トーガニシゥザ節」を元にして作り変えられた証拠にはならないが、それを強く示唆するものだろう。

ナークニーとの関連も含めて、とても興味深い。

次回は「トーガニシゥザ節」を見ることにする。

  

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2014年05月09日

チバリヨー

チバリヨー
ちばりよー
chibari yoo
頑張れよ
語句・ちばりよー 頑張れよ。<ちばゆん。の命令形。九州の「きばれ」と関係がある。


作詞 作曲 照喜名朝一
〈歌詞参照 「生命燃えるうた 沖縄2001」〉


一、南ぬ風吹きば(ヨー) 我肝わさみかち 海山に出じてぃ 遊ぶ手立てぃ (チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー)
ふぇーぬかじふきば(よー)わちむわさみかち うみやまにんじてぃ あしぶてぃだてぃ (ちばりよー ちばりよー ちばりよーちばりよー )
hwee nu kaji hukiba (yoo) wachimu wasamikachi 'umi yama ni 'Njiti 'ashibu tidati (chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo)
南風が吹くと私の心をざわめかせ 海山に行って遊ぶ準備を(頑張れよ 頑張れよ 頑張れよ 頑張れよ)


二、踊い技仕込でぃ(ヨー) 太鼓打ち交じり 若者や いちん いそさばかい(チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー)
うどぅいわざいくでぃ (よー)てーくうちまじり わかむんやいちん いそーさばかい (ちばりよー ちばりよー ちばりよーちばりよー )
udui wazashikudi (yoo) teeku 'uchi majiri wakamuN ya 'ichiN 'isoosa bakai (chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo)
踊りの技を仕込んで太鼓を打ち交じり 若者はいつも嬉しいばかりだ
語句・いちん いつも。ライナーノーツ(CDの中にある歌詞、解説)には「いふぃん」とあったが、ご本人のCDで確認したらこう歌われていらっしゃるので変更しました。 ばかい <沖縄語では普通、「びけい」「びけーん」 ばかり。九州では「ばかい」を使う。「ばかり」と歌っているものもある。


三、振い下るす撥ん(ヨー) 心あるさらみ 向かてぃ行く先に ひちみすゆさ(チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー)
ふいうるすばちん(よー)くくるあるさらみ んかてぃいくさちに ひちみすゆさ (ちばりよー ちばりよー ちばりよーちばりよー )
hui 'urusu bachiN (yoo) kukuru 'aru sarami Nkati 'iku sachi ni hisami suyu sa (chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo)
振り下ろす撥も 心があるのだろう 向かっていく先に 流し目をするよ
語句・さらみ であろう。・ひちみすゆさ 流し目をするよ。<ひちみ<ふぃちみ。「横目。流し目」【沖縄語辞典】。+すゆ <すん。する。+さ。よ。


四、はねーち鳴いすゆる(ヨー) ちばり華太鼓 見聞ちする人ぬ肝に残ち(チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー)
はねーちないすゆる(よー)ちばりはなでーく みちちするふぃとぅぬちむにぬくち (ちばりよー ちばりよー ちばりよーちばりよー )
haneechi naisuyuru (yoo) chibari hanadeeku michichi suru hwitu nu chimu ni nukuchi (chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo)
にぎやかに鳴っている 頑張れ 華やかな太鼓 見聞きする人の心に残って


五、太鼓撥主とぅ(ヨー) 三人はい揃てぃ 語る云言葉ん パランポロロン(チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー チバリヨー)
てーくばちぬしとぅ (よー)みっちゃいはいするてぃ かたるいくとぅばん ぱらんぽろろん(ちばりよー ちばりよー ちばりよーちばりよー ちばりよー ちばりよー ちばりよーちばりよー)
teeku bachi nushi tu (yoo) micchai hai suruti kataru 'ikutubaN paraNpororoN (chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo chibari yoo)
太鼓、撥と主(太鼓叩く人)三人揃って 語る愛の言葉もパランポロロン



「生命燃えるうた 沖縄2001」〈商品番号:COCJ-35018 発売日:2008/06/18 発売元:日本コロムビア(株)〉に収録されている。

解説には、

「昭和六十一年、照喜名朝一作詞・作曲、佐藤太圭子振り付け『チバリ太鼓』で琉球放送第二回創作芸術祭の奨励賞を受賞。ノリのいい曲にパーランクー(片面張りの太鼓)を持って踊る」

とある。  

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2013年07月06日

月夜の恋

月夜の恋
ちちゆぬくい
chichi yuu nu kui
月夜の恋(表題は標準語読みのようであるが、うちなーぐち読みの場合)


作詞・作曲 亀谷朝仁


一、(女)月ぬ夜になりば 肝ぬわさみちゅい 二人が待ち所 急ぢ行ちゅん イェーあひ小 月ん美らさぬや
ちちぬゆになりば ちむぬわさみちゅい たいがまちどぅくる いすじいちゅん えーあひぐゎ ちちんちゅらさぬや
chichi nu yu ni nariba chimu nu wasamichui tai ga machidukuru 'isuji 'ichuN 'ee 'ah(w)igwa chichiN churasanu yaa
月が照る夜になると心が騒ぎ出して 二人が約束した待ち合わせ場所 急いで行くわ ねえ 貴方 月も美しいからね
語句・ちち 月。・ちむ 心。「kimo」(肝)をウチナーグチの三母音化(e→i、o→u)に適用すると「kimu」。さらに「k」が「ch」に変化(破擦音化)することで「chimu」。・わさみちゅい
<わさみちゅん ざわめく。語尾が「い」になっているのは「ざわめくからか」くらいの意味。・えー おい。ねえ。同等か目下の者を呼ぶときにのみ使う。アルファベット表記のところで「ee」の前に「'」をつけているのは「声門破裂音」「グロッタルストップ」といわれる沖縄本島特有の発音様式で「声門を閉じた状態から急に開放するときに生じるかすかな破裂音」参考【琉球語辞典(半田一郎)】・あひぐゎ お兄さん、くらいの意味だが、ここでは「貴方(あなた)」。「あふぃぐゎー」ともいう。・ちゅらさぬ 清らかだから。美しいから。<ちゅらさん 「美しい」「綺麗[清潔]である」【琉辞】。もともとは「きよらさ+あん(ある)」から。見かけの美しさより「清らかさ」に近い。「ちゅらさぬ」で原因をあらわす。形容詞の末尾が「ぬ」→「だから」。


二、(男)今が来らとぅ思てぃ 待ちかにてぃ居たさ 今宵照る月や 無駄にするなイェーかなしい 月ん美らさぬや
なまがちゅらとぅむてぃ まちかにてぃうたさ くゆいてぃるちちや むだにするな えーかなしい ちちんちゅらさぬや
nama ga chura tumuti machikaniti uta sa kuyui tiru chichi ya muda ni suruna 'ee kanashii chichiN churasanu ya
今来るかと思って待ちかねていたよ 今宵照る月は絶好の機会だぞ おい 愛しいお前 月も綺麗だね
語句・なまがちゅら 今にも来るだろう。<なま。今。+が 疑問。+ ちゅら<ちゅーん 来る。→来るだろう。・かなしい 愛しい人(お前)。<かなし 愛しい。「悲しい」ではない。(「悲しい」は「なちかしゃん」)。


三、(女)待ちかにらと思てぃ 肝あまじ居しが 人目忍ぶんでぃ 今でぃなたさ イェーあひ小 月ん美らさぬや
まちかにらとぅむてぃ ちむあまじうしが ひとぅみしぬぶんでぃ なまでぃなたさ えーあひぐゎ ちちんちゅらさぬや
machikanira tumuti chimu 'amaji ushiga h(w)itu mi shinubu Ndi namadi nata sa 'ee 'ah(w)igwa chichiN churasanu yaa
貴方が待ちかねてると思って心が気が気でなかったけど 人目を忍ぶために今の時間になったわ ねえ貴方月も美しいわ
語句・まちかにら 待ちかねているだろう。・あまじ <あまじゅん 「動揺する、揺れる」【琉辞】。・なまでぃ <なまでぃー「いまだに、まだ」【琉辞】。直訳すると「まだになったよ」だが「こんなに遅くなったよ」くらい。


四、(男)月ん照り美らさ 無蔵ん色美らさ 歯口小ん美らさ かなし無蔵よ イェーかなしい 月ん美らさぬや
ちちんてぃりぢゅらさ んぞんいるぢゅらさ はぐちぐゎんちゅらさ かなしんぞよ えーかなしい ちちんちゅらさぬや
chichiN tirijurasa NzoN 'irujurasa haguchigwaN churasa kanashi Nzo yoo 'ee kanashii chichiN churasanu ya
月も照って美しいよ お前も色っぽくて美しい 口元も綺麗だ 愛しいお前よ おい 愛しいお前 月も綺麗だね
語句・んぞ 男性から愛しい女性への呼称。「無造作(むぞうさ)」からきているといわれる。・はぐちぐゎ 口元。


五、(男女)月ん西下がてぃ やがてぃ夜ん明きさ 二人や縁結でぃ 戻る嬉さ 何時までぃん 変わて呉るな
ちちんいりさがてぃ やがてぃゆんあきさ たいやゐんむしでぃ むどぅるうりさ いちまでぃん かわてぃくぃるな
chichiN 'iri sagati yagati yuN 'aki sa tai ya yiN mushidi muduru 'urisa 'ichimadiN kawati kwiruna
月も西に沈んで やがて夜も明けるよ 二人は縁を結んで家に戻る 嬉しいね いつまでも心変わりしないでね



CD「沖縄コンビ歌 決定版」に収録。

男女の恋の燃え上がる気持ちを三線のリズム弾きで表現。
月の光がさらに二人の逢瀬を盛り上げている。

題名はCDにも「つきよのこい」と振り仮名があるので、標準語読み。




  

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2013年05月18日

月と涙

月と涙
【つきとなみだ】(標準語読み)



歌 小浜守栄


何時ん云語れやヨ 契りていしちょてぃ恨みしや里が変わる心
いちんいかたれやヨ ちぢりていしちょてぃ うらみしや さとぅが かわるくくる
'IchiN 'ikatere ya yoo chijiri tei shichoti 'uramishi ya satu ga kawaru kukuru
いつも逢瀬では硬い約束をしたのに 恨めしいわ、貴方の変わる心が
語句・いかたれ <いかたれー。「(恋の)語らい、(男女の)契り」【琉球語辞典(半田一郎)】。「いかたれー」を「云語れ」と当て字にするが、それは「語らい」という意味でしかない。しかし、「かたれー」には「仲間に入ること;男女の一緒になる約束」【琉辞】という意味がある。「味方」の「かた」と同じ意味。・ちじり 「契り、硬い約束、前世からの縁」【琉辞】。


朝夕我が願げやヨ 愛し我が里とぅ比翼鴛鴦ぬ契りさだみ
あさゆわがにげやヨ かなしわがさととぅ ひゆくうしどぅいぬちぢりさだみ
'asayu waga nige ya yoo kanashi waga satu tu hiyukuushidui nu chijiri sadami
朝も夕も私の願いは 愛しい私の貴方と比翼オシドリのように生涯仲良く暮らす契りという定め
語句・あさゆ 一日中の意味。・ひゆくうしどぅい 「〔雌雄むつまじい〕鴛鴦(おしどり)」【琉辞】。 「比翼」(ひゆく)とは「〔雌雄それぞれ目と翼がひとつづつで〕常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。・さだみ 定め。


夢どぅまたやたみヨ 朝夕我が思い 露とぅ散り果てぃてぃ涙びけい
いみどぅまたやたみヨ あさゆわがうむい ちゆとぅちりはてぃてぃ なみだびけい
'Imi du mata yatami yoo 'asayu waga 'umui chiyu tu chirihatiti namida bikei
全くの夢でしかなかったのか 朝夕の私のあなたへの思いは露のように消え果てて私には泣くことしかない
語句・また 「全き、完全な」【琉辞】。再び、という意味もあるが。・びけい ばかり。


一人思み詰めてぃヨ照る月ゆ見りば さやか照る月ん涙に曇てぃ
ひちゅいうみちみてぃヨ てぃるちちゆみりば さやかてぃるちちん なだにくむてぃ
hichui 'umichimiti yoo tiru chichi yu miriba sayaka tiru chichiN nada ni kumuti
ひとり思い詰めて照る月をみると、鮮やかに照る月も涙に曇って
語句・さやか さえて明るい様。




「嘉手苅林昌 小浜守栄」というCDに収録されている。

小浜守栄氏は沖縄戦後に嘉手苅林昌氏らを引き連れて各地で民謡を披露してきた、いわば戦後沖縄民謡復興の立役者。

米軍基地で働きながら、当時は当たり前だった「戦果揚ぎゃー」(せんくゎあぎゃー;米軍の物質を盗み出す事)をしながら現在の民謡歌手の大先輩ともいえる人々を集めて、歌三線、沖縄民謡の復興の下支えをしたという。

先輩であった小浜守栄氏の声と林昌先生のそれとはこの当時非常に似ている。
もちろん三線の手も装飾も。

林昌先生の人気が高くなった頃、理由は不明だが民謡界から姿を
消したといわれている。


さてこの曲、意外と工工四もひろまっておらず、ゆったりした曲調で、失恋した女性の思いを歌っている。

そのうち工工四も興してみたい。

ちなみに題名は「つきとなみだ」というように標準語読み。このように表題はヤマトゥグチ(標準語)の沖縄のウタは少なくない。
もしウチナーグチ読みならば「ちちとぅみなだ」「ちちとぅなだ」だろう。
  

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2012年12月08日

武富節

武富節(貫花)
だきどぅんぶし(ぬちばな)
dakiduN bushi(nuchibana)


一、でちゃよ押し連れてあたい花むいが 花や露かむてむいやならん(へいやーよーぬひやるがひ)(以下囃し省略)
でぃちゃよ'うしちりてぃ'あたいばなむいが はなやちゆかみてぃ むいやならん
dicha yo 'ushichiriti 'ataibana muiga hana ya chiyu kamiti muiyanaraN
さあ 連れだって畑の花をもぎ取りに 花は露を乗せてもぎ取ることはできない


二、白瀬走川に流れゆる桜すくて思里に貫ちゃいはきら
しらしはいかわにながりゆるさくらすくてぃ'うみさとぅにぬちゃいはきら
shirashi haikawa ni nagariyuru sakura sukuthi 'umisatu ni nuchai hakira
白瀬走川に流れている桜をすくって愛しい貴方に(桜を)糸で通したりして首にかけよう


三、赤糸貫花や里に打ちはきて白糸貫花やゆいり童
'あかちゅぬちばなやさとぅに'うちはきてぃ しらちゅぬちばなやゆいりわらび
'akachu nuchibana ya satu ni 'uchihakiti siruchu nuchibana ya yuiri warabi
赤い糸の貫花は貴方に首にかけ 白糸の貫花はもらえ 子ども


解説
(語句)

・'あたい 畑 菜園
・むいが もぐために 
<むゆん + i+ga ~しに(cf.「べーべーぬくさかいが」)
・かみてぃ <かみゆん のせる


・かわ kawa
白瀬走川 しらせはいかわ 久米島具志川村にある川の名前。
・はきゆん  首にかける


・ゆいり もらえ
<ゆいり<yiiri<iiyuN

(コメント)
白瀬走川は久米島具志川間切にある川。流れが速いのでこの名前がある。

古典の呼び名で「白瀬走川節」
舞踊では「貫花」
古典女踊りでは雑踊りと区別して「本貫花」(むとぅぬちばな)
武富節と呼ばれるのは本歌が「真栄節」(まざかいぶし)であるから。
歌詞を紹介しよう。

生りや竹富育や仲間ぬまざかい エイヨウヌヒヤルガヨウ
(まりやたきどん すだつやなかまぬまざかい)

なゆぬうゆんいきゃぬつぃにゃんど仲間くひだ
(なゆぬゆんいきゃぬつぃにゃんどなかまくひ《い?》だ)

大浦田ぬみなぐつぃぬゆやんどう
(うはらだぬみなぐつぃぬやんどー)

餅米ぬ白米ぬやんどう
(むちぐみぬしるぐみぬゆやんどー)

この最初の「竹富」(ダキドン)から「武富節」(だきどぅんぶし)と呼ばれるのだろう。

あくまで想像の域であるが、
(本歌)真栄節(八重山民謡)→白瀬走川節(久米島民謡)→武富節(古典)→本貫花・貫花(舞踊曲)
という流れで歌が広がっていったのではないだろうか。

貫花というのは、色々な花を糸で貫いてハワイのレイのようなものを持って踊る。
久米島には桜が今はみられないので、白ツツジや赤ツツジを桜にたとえたという説。昔は桜があったという説がある。

前回の「サーサー節」の3番で「糸をもらえこどもよ、それで露の玉をつないだりして遊ぼう」という歌詞と、この3番が関連しているように思える。

ところで、「ゆいり」には2説ある。
胤森さんによると
「琉歌大成」では「捨てろ」
「沖縄古語辞典」では「もらえよ」となっているが、
「赤糸は喜びの象徴で祝儀に使われ、白は不幸に使われる。」ことから
「捨てろ」が妥当だという。

しかし、私には疑問がのこる。
・なぜ、不幸の色の白糸で貫花をわざわざ作ってから子どもに捨てろというのか?

それから「花笠節」という唄の副題に「白糸節」と一名があり、四番に「白糸
かきやい貫花造とて里前御衣 里と我が仲語らんむんぬん 我がうてちちゅみ」
白糸が不吉ならこの唄は不吉な唄となるが、そうではないのは何故か?









  

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2012年07月21日

束辺名口説

ちかひな口説
ちかひなくどぅち
chikahina kuduchi
束辺名(按司の名)の口説
語句・ちかひな 現在は糸満市の中の喜屋武村にあった「束辺名」(つかへな)。現在は「束里」(つかざと)と呼ばれるところに居た按司の名前。組踊りに「束辺名夜討」がある。

歌 嘉手苅林昌

たとぅい年取てぃ七、八十なてぃん主人ぬ敵仇 許ちいたじら死なりゆみ
たとぅいとぅしとぅてぃしちはちじゅーなてぃんすじんぬてぃちかたち ゆるしいたらじらしなりゆみ
tatui tushituti shichi hachijuu natiN sujiN nu tichikatachi yurushi 'itaraji shinariyumi
たとえ歳を取って七、八十になっても主人の敵仇を許し無駄に死なれようか
語句・いたじら 無駄に。徒(いたずら)に。「いたずら」ではない。


一人命ぬある限り いさみいさみとぅちかひなが 首ゆ討ち取てぃ祭らんとぅ
ふぃちゅいぬちぬあるかじり いさみいさみとぅちかひなが くびゆうちとぅてぃまちらんとぅ
hwichui nuchi nu 'aru kajiri 'isami 'isami tu chikahina ga kubi yu 'uchituti machiraNtu
一人の命がある限り いさめよいさめよと束辺名の首を討ち取って(主人に)奉りたいと
語句・いさみいさみとぅ 「勇み」と「諌み」の両方の意味に取れるが、ここでは「諌める」(いさめる)、主人への報復として「いさめよ」(あやまちを正す)。


思い果たす心ゆば 神ん仏ん知りみそち 引ちゆ合わしてぃたぼりてい
うむいはたすぬくくるゆば かみんふとぅきんしりみそち ふぃちゆあわしてぃたぼりてい
'umi hatasu nu kukuru yu ba kamiN hutukiN shirimisochi hwichi yu 'awashiti taboriteei
思い果たすという心をこそ 神も仏もお知りください どうぞ仇に引き合わせてくださいと
語句・ゆば ゆ 目的格の「を」にあたる文語。+ば。強調。・てい といって。


いざやいざやとぅ立ち出じてぃ あゆみあゆみとぅ真玉橋 しばし御城にうちかんてぃ
いざやいざやとうたちんじてぃ あゆみあゆみとぅまだんばし しばしうしるにうちんかてぃ
'iza ya 'iza ya tu tachi 'Njitu 'ayumi 'ayumi tu madaNbashi shibashi 'usiru ni 'uchikaNti
いざ!いざ!と出て行って 歩け歩けと真玉橋 すこし御城に向かって
語句・まだんばし 現在の豊見城市にある国場川にかかる橋。


見りばなちかし住みなりし元ぬ城ん情きねん無情ぬ嵐にふちちりてぃ
みりばなちかしすみなりし むとぅぬぐしくんなさきねん むじょーぬあらしにふちちりてぃ
miriba nachikashi suminarishi mutu nu gushikuN nasaki neeN mujo nu 'arashi ni huchi chiriti
見ると悲しや 馴染んだ昔の御城は情けもない無情の嵐に吹き荒れて
語句・なちかし 悲しいことに。「懐かしい」ではない。


思みば腹立ちやしまらん 敵とぅまくらや一ちしてぃ エイ 死なば極楽さんとぅ思てぃ 思いちわみてぃあゆみ行く
うみばはらたちやしまらん てぃちとぅまくらやてぃーちしてぃ えい しなばぐくらくさんとぅむてぃうむいちわみてぃあゆみいく
'umi ba haradachi yashimaraN tichi tu makura ya tiichi shiti yei shinaba gukuraku saN tumuti 'umui chiwamiti 'ayumi 'iku
思えば腹立ちがやすまらない 敵と枕を一つにしてでも 死ねば極楽だと思って 思い極めて歩んでいく
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2012年06月16日

高離り節

高離り節
たかはなりぶし
takahanari bushi
高離り島(宮城島)の歌
語句・たかはなり 高離り島は現在の宮城島。


(民謡)

一、高離り(シタリヌ ヨーンゾ)島や(ハリ)物知らし所 な物知や(シタリヌ ヨーンゾ)びたん (ハリ)渡ちたぼり(ハーイヤ マタ シタリヌ ヨーンゾ)
たかはなり(したりぬよーんぞ)しまや(はり)むぬしらしどぅくる なむぬしや(したりぬよーんぞ)びたん (はり)わたちたぼり(はーいやまた したりぬよーんぞ)
takahanari(shitarinu yoo Nzo)shima ya (hari)munu shirashi dukuru naa munu shiya(shitarinu yoo Nzo)bitaN (hari)watachitabori (haa'iya mata shitari nu yoo Nzo)
(以下囃子言葉は省略)
高離り島(現在の宮城島)はものを教える所 もう悟りましたから島を渡らせてください



二、霞立つ山や 梅ぬ花盛い 風に誘わりてぃ 匂いぬしゅうらしゃ
かすみたつやまや んみぬはなざかい かじにさすわりてぃ にうぃぬしゅらさ
kasumi tatu yama ya Nmi nu hanazakai kaji ni sasuwariti niwi nu shurasa
霞がたつ山は梅の花が満開 風に誘われて匂いが愛しい!
語句・しゅらさ いとしい。<しゅーらーさん かわいらしい。



三、今日は行逢拝でぃ 色々ぬ遊び 明日や面影ぬ 立ちゆとぅ思ば
きゆやいちぇうがでぃ いるいるぬあしび あちゃやむぬかじぬ たちゆとぅみば
kiyu ya 'icheugadi 'iruiru nu 'ashibi 'asha ya 'umukaji nu tachi yu tu mi ba
今日はあなたとお会いして色々と遊びましたね 明日は面影が立つのだと思うと(さびしい)



四、押す風ん涼さ でぃちゃよ押し連りてぃ さやか照る月ぬ陰に遊ば
うすかじんしださ でぃちゃようしちりてぃ さやかてぃるちちぬかじにあしば
'usu kajiN shidasa dicha yo 'uchichiriti sayaka tiru chichi nu kaji ni 'ashiba
そよ風も涼しいよ さあ一緒に連れだってさやか照る月の陰で遊ぼうよ
語句・うすかじ そよ風。 ・でぃちゃさあ。


五、でぃちゃよ押し連りてぃ 眺みやい遊ば 今日や名に立ちゅる十五夜でむぬ
でぃちゃようしちりてぃ ながみやいあしば きゆやなちたちゅる じゅうぐやでむぬ
dicha yo 'ushichiriti nagami yai 'ashiba kiyu ya na ni tachuru juguya demunu
さあ連れ立って月を眺めたりして遊ぼうよ 今日は有名な十五夜なのだから
語句・なにたちゅる 有名な。


(舞踊)
上記一、二に加え

御主加那志奉公い 夜昼んさびん あまん世ぬしぬぐ 御許しゆ召り
うしゅがなしめでい ゆるひるんさびん あまんゆぬしぬぐ うゆるしゅみしょり
'ushuganashi medei yuru hiruN sabiiN 'amaN yu nu shinugu 'uyurushumishoori
首里の王様へのご奉公を夜も昼もいたしますので あそこの世のお祈りをお許しください
語句・めでい 「美公事」「王府へのご奉公、出仕、宮仕え、公務」【琉球語辞典】。・しぬぐ 「【<〔おもろ語〕シノグル〔踊る〕】シヌグ〔神前でくりひろげられた踊〕」【琉球語辞典】。一時、王府によって取り締まられた。


解説

民謡、舞踊、エイサーなどによく使われる「高離り節」。

この一番の琉歌は「手水の縁」などの作者として有名な和文学者平敷屋朝敏(ふぃしちゃ ちょーびん)の妻、真亀(まがみ)の作と言われている。

一番の歌詞は歌碑として宮城島にある。


(この歌碑はうるま市与那城上原187の「シヌグ堂バンタ」にある。)

隣には歌碑の解説文がある。


解説文より

碑文

この付近の地名をシヌグ堂という。一郭には、宮城島(高離島)の先住の民たちが暮らしたシヌグ堂遺跡がある。この地に高離節という琉球古典音曲と共に伝わる琉歌の碑を建てることとなった。

歌の作者は、近世沖縄の和文学者として名高い平敷屋朝敏の妻・真亀(まがめ= 1700 〜1739年)と伝わる。
タカハナリジマヤ ムヌシラシドゥクル
ナムヌシヤピタン ワタチタボリ(音表記)
真亀は、夫・朝敏が王府によって処刑されたことに伴い、士族の身分を追われて農民へと落された。王都首里から下り下って、真亀が宮城島と結びついたのは奇遇というしかないけれ
ど、私たちはこの不思議な縁を大切にしたいと考えた。

1700年代の沖縄。時勢は暗くまさに激流のごとくであったと言うべきである。貧しい中で接してくれた島の人々。そのムヌシラシに対する感謝の念と、海の向こうにワタッテ、イキタイ切なる願い!ナ、ムヌシヤビタンと悟ってはみて
も、人の母胎たる〈故郷〉への思いだけは遂に消し去ることは出来なかったのである。

文学と政治と島と農民たち。真亀と、島の先人たちの辛苦の時代を解きほぐしながら、高離節の軽やかなテンポに合せて沖縄の明るい未来について一考を巡らしてみるもよし。この歌碑が、一名〈もの知らせの碑〉として永く後世に語り継がれることを念願する。

2002年8月11日
「高離節」歌碑建立期成会


この一番の歌詞の作者の真亀の夫、平敷屋朝敏は、和文の「苔の下」「若草物語」などを著し、また組踊の「手水の縁」の作者ともされ、沖縄三十六歌仙の一人。

1718年の八代将軍徳川吉宗の慶賀使越来王子に随行して和文学を学んだりもした。

当時の琉球王府で実権を握る蔡温によって政治犯として礫刑(貼り付けて槍で刺される公開処刑だった)に処せられた。

家族は遠島に離散させられて、妻の真亀は高離島へ、という経緯がある。士族の妻から罪人として農民にならされて、この島でどのような暮らしをしていたのだろうか。

夫の平敷屋朝敏は貧しい農民たちの暮らしを向上させたいと農民が水不足に苦しんでいればため池を掘る事業を興した。おそらくそのことはこの高離島(宮城島)の農民たちも知っていたことだろう。
だから島の人々の助けもあったのではないだろうか。

二番以降はほかの琉歌を集めている。



発音について

古典では

一番の「な」は「にゃ」と発音している。

二番は「風にさそわりてぃ」は「風にさそわりる」。

  

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2011年09月29日

だんく節

だんく節
だんくぶし
daNku bushi
語句・だんくぶし 昔の歌だと思われる。「だんく」の意味不詳。


一、だんく節習ゆんでぃ 名護東通てぃヨンサー 通てぃ珍らさや だんくよーだんく スーリーヌ ダンヨー ダンク(以下、カタカナの囃子言葉は省略)
だんくぶしならゆんでぃ なぐあがりかゆてぃ かゆてぃみじらさや だんくよーだんく
daNku bushi narayuNdi nagu'agari kayuti kayuti mijirasa ya daNku yoo daNku
だんく節を習うために名護東に通って通って 珍しいものだよ!だんく(不詳)よ!だんく
語句・んでぃ ために。


二、行ちゅる山道や ちんし割い所 越いてぃかしがーや ゆーり所
いちゅるやまみちや ちんしわいどぅくる くぃてぃかしがーや ゆーりどぅくる
'ichuru yama michi ya chiNshi wai dukuru kwiti kashigaa ya yuuridukuru
行く山道は膝を割る(痛める程の急な坂)所 越えてカシガー(地名?)は休む所
語句・ちんし 膝。・かしがー 不詳。地名かと思われる。・ゆーり <ゆりー 休憩。


三、ちんし割てぃ通てぃ 頭割てぃ通てぃなーひん通い欲さ だんくよーだんく
ちんしわてぃかゆてぃ ちぶるわてぃかゆてぃ なーひんかゆいぶさ だんくよーだんく
chiNshi wati kayuti chiburu wati kayuti naahiN kayuibusa daNku yoo daNku
膝を痛めて通って 頭割って通って もっと通いたいものだ だんくよ!だんく
語句・ちぶるわてぃ おそらく五の歌詞にでてくる盗賊に関係するのではないかと思う。
 なーひん さらに。もっと。<なーふぃん。


四、だんく節なかい 肝や引ち取らり 闇ぬさく坂ん車とう原
だんくぶしなかい ちむやひちとぅらり やみぬさくひらん くるまとーばる
daNku bushi nakai chimu ya hichi turari yami nu sakuhiraN kuruma toobaru
だんく節に心を奪われて 闇の急な坂道も(砂糖)車(がおけるほど平坦な)原っぱだ
語句・なかい に。・さくひら さく 谷あい。+ ひら 坂。急な谷間の坂。・くるま さとうきびから砂糖を抽出するために水牛に回転させた「甘藷圧搾車」(saataa-guruma)【琉辞】。「車とーばる」はその「甘藷圧搾車を据えるのに適した平坦な土地」【琉辞】。恋心を唄った琉歌でよく使われる歌詞。恋をしている時は会いに行く「急な坂も平坦に思える」から。

五、知りなぎな登る 安和ぬじょーが坂や 世間音高さ ふぇーれー所
しりなぎなぬぶる あわぬじょーがひらや しきんうとぅだかさ ふぇーれーどぅくる
shirinagina nuburu 'awa nu joo ga hira ya shikiN 'utudakasa hweeree dukuru
そうと知りながら登る安和の門の坂は 世間で良く知られた追い剥ぎがよくでる所だ
語句・しりなぎな 知りながら。知ってしるのに。<なぎーな …ながら。…なのに。 ・ふぇーれー 追い剥ぎ。


六、通てぃ習れ取たる だんく節でむぬ 五条ぬ松下に揃てぃ遊ばな
かゆてぃなれーとぅたる だんくぶしでむぬ ごじょーぬまちしたにするてぃあしばな
kayuti nareetutaru daNku bushi demunu gojoo nu machishita ni suruti 'ashibana
通って習い取っただんく節であるから五条の松下に揃って遊ぼうよ
語句・でむぬ ・・であるから。・あしばな 遊ぼうよ。遊びたい。 自分の意思・希望「遊びたい」と、呼びかけ「遊ぼう」両方の意味を含む。 


七、だんく節てぃしや 恋ぬ言語れか かにん面白さだんくよー だんく
だんくぶしてぃしや くいぬいかたれか かにんうむしるさ だんくよーだんく
daNku bushi tishi ya kui nu 'ikataree ka kaniN 'umushirusa daNku yoo daNku
だんく節というものは恋の語らいか それほど面白いものだ だんくよーだんく
語句・てぃしや というものは。・いかたれ <いかたれー 語らい。契り。  続きを読む

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2011年03月31日

便り

便り
たゆい
tayui
便り
語句・たゆい 「便り」「頼り(となるもの)」【琉辞】。ここでは手紙のこと。

作詞 作曲/喜屋武 繁雄  

一 達者しちいめみ かなし親がなし渡海や隔ぢゃみとてぃ 思たびけい [思たびけい](繰り返し 以下略)
たっしゃしちいめみ かなしうやがなし とぅけやふぃじゃみとてぃ うむたびけい
tassha shichi 'imemi kanashi 'uya ganashi tuke ya hwijamitoti 'umutabikei
達者しておられますか 愛しいご両親様 離れて居て 思うばかり (思うばかり)
語句・しちいめみ しておられますか? <しち(<しゅん 接続形)+ いめ<いめー(<いめーん の活用語幹。いらっしゃる。)+み(疑問形の文末につく活用語尾)・かなし 愛しい。「かなし親がなし」は敬語を重複させ最大級の敬意を含めている。・ふぃじゃみとてぃ <ふぃじゃみゆん ふぃじゃみいん 隔てる。→ふぃじゃみとーてぃ 隔てていて。・うむたびけい 思うばかり。(直訳では「思っていたばかり」)


ニ 別てぃ旅出じる 親ぬ上ん知ゆるわがままぬ昔 許ちたぼり
わかてぃたびんじる うやぬうぃんしゆる わがままぬんかし ゆるちたぼり
wakati tabi 'Njiru 'uya nu wiN shiyuru wagamama nu Nkashi yuruchitabori
別れて旅にでてから親の心をしることができました わがままの昔をお許しください
語句・んじる 直訳では「出てこそ」。ここでは「出てはじめて」「出てから」くらいの意味。 <んじ (<んじゆん んじいん 出る。)+ る (<どぅ duとru はしばしば同じ様に使われる。)・うぃ 上。身の上。立場。ここでは「心」とした。


三 世間ぬ波風や 冷たさやあてぃん負きらじに居むぬ 心配やみそな
しけぬなみかじや ちみたさやあてぃん まきらじにうむぬ しわやみそな
shike nu namikaji ya chimitasa ya 'atiN makiraji ni 'umunu shiwa ya misona
世の中の波風は冷たくはあれども負けないでいますので心配はされないように
語句・むぬ 「①…ものを」「②…のに」「③…ので」【琉辞】。ここでは③「居るので」。 ・みそな されないように。<みせーん なさる。の禁止命令。なさるな。


四 肝心磨ち 戻てぃ来ゅる間やしばし別り路や 淋さみそな かなし親がなし
ちむぐくるみがち むどぅてぃちゅるいぇだや しばしわかりじや さびさみそな かなしうやがなし
chimugukuru migachi muduti churu yeda ya shibashi wakariji ya sabisamisona kanashi 'uyaganashi
真心を磨き戻ってくるまでの間はしばしの別れですから 淋しくなされないように 愛しいご両親様  続きを読む

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2011年01月22日

北谷真牛

北谷真牛
ちゃたんもーしー
chataN mooshii
北谷の真牛(名前)
語句・ちゃたん ・もーしー 「うしー」(牛)という沖縄の名前に「もー」(真)という敬称がついたもの。普通に「もーしー」「もーさー」という名前もあった。「童名[ワラビナー]のひとつ〔(男子にもあったが)女子に多かった;親しい間柄ではMoosaaとも〕」【琉辞】。

作詞 作曲/湧川 明


一 昔歌なかい詠まりたる人や誠歌心 北谷真牛
んかしうたなかい ゆまりたるふぃとぅや まくとぅうたぐくる ちゃたんもーし
Nkashi 'uta nakai yumaritaru hwitu ya makutu 'utagukuru chataN mooshii
昔の歌に詠まれた(その)人は本当の歌心があった(その人は)北谷の真牛
語句・なかいの中に。「〔存在する場所を示して〕…(の中)に。」【琉辞】。


ニ 飛ぶ鳥ん淀む打ち出ぢゃす歌声大川城ぬ北谷真牛
とぅぶとぅいんゆどぅむうちんじゃすうたぐぃ おーかーぐしくぬちゃたんもーし
tubu tuiN yudumu 'uchiNjasu 'utagui 'ookaagushiku nu chataN mooshii
飛ぶ鳥もと(聞き)どまる(真牛の)唄いだした歌声に 大川城の北谷真牛
語句・ゆどぅむ <ゆどぅぬん。 ゆどぅむん。よどむ。とどまる。・うちんじゃす 打ち出す。歌の「歌いだし」を意味することが多い。

 
三 三味線に乗してぃ美ら節ゆ入りてぃ月んなびかする北谷真牛
さんしんにぬしてぃちゅらふしゆいりてぃちちんなびかするちゃたんもーし
saNshiN ni nushiti chura hushi yu 'iriti chichiN nabikasuru chataN mooshii
三線にのせて美しい節をいれて 月もなびかせる北谷真牛
語句・ちゅらふし 美しい節。「ふし」とは歌のテクニックのひとつで、声の微妙な揚げ下げによって情感をかもしだすこと。・なびかする <なびちゅん なびく。
     

四 歌声ぬ美らさ島々に届ち北山に咲かす北谷真牛
うたぐぃぬちゅらさしまじまにとぅどぅちふくざんにさかすちゃたんもーし
'utagui nu churasa shimajima ni tuduchi hukuzaN ni sakasu chataN momoshii
歌声の美しさ村々に届き北山に咲かせる北谷真牛
語句・とぅどぅち 届き。<とぅどぅちゅん 届く。・ふくざん 北山。14~15世紀の沖縄本島を三つにわけて支配していた北部の勢力のひとつ。真牛には北山との関わりがあるとされている。
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2010年05月08日

とぅまた節 (八重山民謡)

とぅまた節
とぅまたぶし
tumata bushï
トマタ松の唄
「崎枝村の東方にあるトマタ松林」のこと。(「八重山島民謡誌」喜舎場永珣著より)


1、とぅまた松ぬ下から馬ば乗りおーるすや (シタリヨーヌ ユバナオレ ミルクユーばタボラレ)
とぅまたまちぬしたから'んまばぬりおーるすや (したりよーぬ ゆばなおれ みるくゆーばたぼられ)
tumata machï nu shïta kara 'Nma ba nurioorusu ya (shitariyoo nu yuba naore miruku yuu ba taborare)
とぅまた松の下から馬に乗っておられる方は


2、誰たるぬどぅ乗りおーる 何り何りぬどぅ乗りおーる
たるたるぬどぅぬりおーる じりじりぬどぅぬりおーる
tarutaru nu du nuriooru jirijiri nu du nuriooru
誰々様が乗っておられるか? 何方様が乗っておられるのか?


3、崎枝主ぬどぅ乗りおーる 主ぬ前ぬどぅ乗りおーる
さきだしゅぬどぅぬりおーる しゅぬまいぬどぅぬりおーる
sakidashu nu du nuriooru syu nu mai nu du nuriooru
崎枝主が乗られている お役人様が乗っておられる


4、我女頭御供す くり女童つぃかいす
ばんぶなじ 'うとぅむす くりみやらび つかいす
baN bunajï 'utumu su kuri miyarai tsïkai su
我が女頭がお供し この娘が御仕えしている


5、崎枝主ぬまかないや 島仲屋ぬ まなべんま
さきだしゅぬまかないや しまなかやぬ まなべんま
sakidashu nu makanai ya shïmanakaya nu manabeNma
崎枝主(村長)の賄い女(妾)は島仲野のマナベンマ(名前)
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2010年03月13日

月ぬ美しゃ節 (八重山民謡)

月ぬかいしゃ節
ぬかいしゃーぶし
tsïkï nu kaishaa bushï
月が美しい(のは)歌
語句・ 月。八重山方言での「月」の発音は中舌(なかじた、ちゅうぜつ)母音を用いる。口を丸めないで、同時に舌を前歯より奥に置いて「つく」と発音すると似てくる。 ・ が。「主格を表す『が』にあたる」【石垣方言辞典】 ・かいしゃー 美しいのは。<かいしゃーん 美しい。 「月ぬかいしゃ節」という名称は、一番の最初の歌詞からきている。


一、月ぬ美しゃ十日三日 女童美しゃ十七つ (ほーいちょーが)
ぬかいしゃー とぅかみーか みやらびかいしゃー とぅーななち (ほーい ちょーが)
tsïkï nu kaishaa tuka miika miyarabi kaishaa tuunanatsï (hooi chooga)
(括弧は囃子言葉、以下略す。)
月が美しいのは十三夜 娘が美しいのは十七歳
語句・ほーい ちょーが 囃子言葉で明確な意味は不明。ただ八重山民謡に「ちょうが節」があり、この歌と同様の「ほーい ちょーが」が囃子言葉で使われる。喜舎場永珣氏は「八重山島民謡誌」のなかで「 チョウガとは司の中でも階級の上位を指す」と述べている。「司」(ちかさ tsïkasa)とは「神事を司る人。多く農民の女性がなる。」【石辞】。


二、東から上りおる大月ぬ夜 沖縄ん八重山ん照ぃらしょうり
'あーりから'あーりおる 'うふちぬゆー 'うきなんやいまん てぃらしょ^り
'aarï kara 'aari ooru 'uhutsïkï nu yuu 'ukinaN yaimaN tirashoori
東から上がっておいでになる満月の夜 沖縄本島も八重山もお照らしください
語句・あーり 東。(参考)沖縄本島「'あがり 'agari」。「ga」の「g」が脱落したもの。(agari→aari)。・おーる いらっしゃる。おいでになる。補助動詞で尊敬をあらわす。<おーるん。 「いらっしゃる。おいでになる。おられる。ゆかれる。」【石辞】。・うふち 満月。


三、あんだぎなーぬ月ぬ夜 我がげら遊びょうら
'あんだぎなーぬちぬゆー ばがーけーら'あさびょーら
'aNdaginaa nu tsïkï nu yuu bagaakeera 'asabyoora
あれほど(美しい)月の夜 我々皆遊びましょう
語句・あんだぎなー 「あれほどの。あれだけの」【石辞】。 ・ばがーけーら 「我々皆。我々一同」【石辞】。


四、寺ぬ大札んが 絹花黄金花 咲かりょうり
てぃらぬ'うふふだんが 'いちゅぱな くんがにぱな さかりょーり
tira nu 'uhuhuda Nga 'ichupana kuNgani pana sakaryoori
寺の大札に 美しい立派な花、大切な花を咲かせてください
語句・いちゅぱな 美しい立派な花。「いちゅ」に「絹」の意味の他「『美しい立派な』の意の接頭語にもよく使われる」【石辞】。「花」は八重山方言で「ぱな pana」。・んが 「~に。時間、空間ともに使う」【石辞】。 ・くんがにぱな (黄金のように)大切な花。「くんがに」には「黄金。接頭美称辞にも用いる」【石辞】。


五、ぴらまぬ家ぬ東んたんが むりく花ぬ咲かりょうり うり取る彼り取るなつぃきばし びらまぬ  家ぬ花ぶんなー
びらまぬやーぬ 'あーんたんが むりくぱなぬさかりょーり 'うりとぅり かりとぅり なちきばし びらまぬやーぬぱなぶんな
pirama nu yaa nu 'aaNta Nga murikupana nu sakaryoori 'uriturï kariturï natsïki ba shi birama nu yaa nu panabuNna
愛しい貴方の家の東の方にマツリカの花を咲かせてください それを取りあれを取るのを口実にして 愛しい貴方の家の花が狂い咲き
語句・びらま 愛しい貴方。「①妹からいうお兄さん」「②特に末の兄をいう。」「平民の言葉としては女性から愛しい男性を意味する」。いずれも【石辞】。ここでは③だろう。喜舎場永珣氏は「平民階級の女性から士族の青年に対する尊敬語」だという。 ・あーんた 東の方。 ・むりくぱな むりく花。「ジャスミンの一種で、白い小さな花は香りがよいのでお茶に香料として入れる。」【石辞】。 「ムラクバナ」ともいう。 ・なち 口実。本島では「なじき」。・ばし ~にして。 ・ぱなぶんな 「ぶんな」だけでは辞書に見当たらないが、「ぶんなさき buNnasakï」に「狂い咲き。『分無(ぶんなし)咲き』の意か。『分』は『区別』の意。」【石辞】とある。また「ぶんななり」には「季節外れの結実」とあり、「ぶんな」が「狂い咲き」「季節外れ」の意としてある。  
 

六、女童家ぬ門なんが 花染手布ば取り落し うり取る彼り取る なつきばし 女童家ゆ見舞いす
みやらびやーぬぞーなんが はなずみてぃさじばとぅり'うとぅし 'うりとぅりかりとぅりなちきばし みやらびやーゆみまいす
miyarabi yaa nu zoo naNga hanazumi tisaji ba turi 'utushi 'uriturï kariturï natsïki ba shi miyarabi yaa yu mimai su
娘の家の門に花染め手ぬぐいを取り落として それを取りあれを取るのを口実にして娘の家を見に行く
語句・ぞー 門。・なんが 「~に。~において。場所、時刻を示す助詞。略してンガとも言う」【石辞】。


七、釜戸ぬふつぬあっぴゃーま のーどぅのーどぅ んまさーる 煙草ぬ下葉ど んまさーる茶飲み  ばーやんがさぬ
かまどぅぬふちぬ'あっぴゃーま のーどぅのーどぅ 'んまさーる たばくぬしたばどぅ 'んまさーる ちゃーぬみばーや'んがさぬ
kamadu nu hutsï nu 'appyaama noodu noodu 'Nmasaaru tabaku nu shïtaba du 'Nmasaaru chaa numi baa ya 'Ngasanu
釜戸の(入り)口のお母さん何が何が美味しいの?煙草の下葉こそ美味しいよ。お茶の葉っぱは苦いので
語句・ふち 口。 ここでは「入り口」か?・あっぴゃーま 「あっぱーま」で【石辞】に「①母親②伯母。親族名称、呼称③よその母親でもアッパと言う」とある。・のーどぅ 何が。 のー 何。+ どぅ 強調。 ・んまさーる 美味しいか。 んまさ<んまさーん 'mmaasaN 美味しい。 + ある<「あん」の連体形。・んがさぬ 苦いので。<んがさーん 苦い。

八重山民謡を代表する美しいメロディーと、その歌詞の面白さで有名な曲。
「月ぬかいしゃー」という歌の題名は、一番の唄いだしの歌詞に依拠している。
歌全体のテーマは、月ばかりではなく、「月」を歌っているのは3番までで、ここまでは同じメロディーで唄われるが、四番から曲調が少し変化する。
1,2,3番と4番と5、6、7番の3つのパターンに分けられる。
古謡として3番までがあり、後世に4番以降が付加されたのかどうか不明だが可能性がある。

5番と6番は、女性からの視点と男性からの視点とで、それぞれ愛しい相手の家に「花摘み」(女性)、「手ぬぐいを取りに」という口実でいく光景を唄っている。
6番の「見舞いす」は「見に行く」くらいの意味だろうが、似た言葉に「みーまりす」(「関心を持つ。「見回り」の意」【石辞】。)があり、「り rï」の「r」が脱落したものと考えることもできなくもない。

また5番「ぱなぶんな」について。「八重山古典民謡歌詞集」(新城寛三著)では「花折りを口実にして恋男を見てこよう」と、この語句の訳が避けられている。多くの訳本で、「ぶんな」を無視しているか、避けている場合がみられるが、上述したように、

「ぶんなさき buNnasakï」に「狂い咲き。『分無(ぶんなし)咲き』の意か。『分』は『区別』の意。」【石辞】とある。また「ぶんななり」には「季節外れの結実」とあり、「ぶんな」が「狂い咲き」「季節外れ」の意としてある。
あの人の家の東の方に「むりく花」が「狂い咲き」してくれたら、それを口実にあの人に会いにいけるのに、という願いが込められているとも見ることができる。

7番には「下葉」に「下級役人」を隠語として込め、「んまさーる」(美味しい)とは「汚職の楽しみ」であり、「茶ぬみばー」は「上級役人」で、汚職ができないから「んがさぬ」(苦いので)という、世情への皮肉を盛り込んだものだとする受け止め方もある。(参考文献「八重山古典民謡歌詞集」新城寛三著)




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Posted by たる一 at 15:50Comments(25)た行八重山民謡