2017年01月01日
謹賀新年2017
あけましておめでとうございます。
いっぺー、いい正月でーびるさい。
いつも「たるーの島唄まじめな研究」をありがとうございます。
昨年もいろいろお世話になりました。
個人的にはたくさんの勉強をさせていただいた一年だと思います。
2016年の3月に、今帰仁ミャークニーの唄者平良正男様、平良哲男様との出会いがありました。
ナークニーを学ぶものとしてはとても嬉しい出会いでした。なにしろナークニーの源流だと言われているウタだからです。
その前の年2015年には、本部ミャークニーに歌われた道を本部町教育委員会の方や元教育長、今帰仁歴史文化センターの館長(当時)に詳しく教えていただいて、さらにその唄者を探していたところでした。
また2015年から書いていたナークニーの成立をめぐる物語「糸音の旅」にとっても非常に価値のある出会いでした。
あちこちを巡ったり博物館や図書館を巡りながら「糸音の旅」の後編にも着手しています。
他にもまだ書き切れないことがありますが、自分なりの勉強を積み重ねてきて、これからの課題が少し見えてきて、それが小さな花を一つは咲かせたように思います。
ナークニー、ミャークニーに関連する場所を巡り、モーアシビの実情にも少し近づきながら、ウタの故郷をめぐる旅も続けています。
中城湾、和仁屋間の干潟を眺めては「伊計離節」「勝連節」に思いを馳せました。
そして、私の師匠嘉手苅林次先生のご指導を受けながらウタの勉強も続けさせていただいています。
昨年12月には琉球民謡協会の教師免許もいただきました。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
2015年11月10日
10年の節目にあたり
いつも当ブログをご覧になっている皆様。
先月の10月30日をもってこの「たるーの島唄まじめな研究」が10年の節目を迎えることができました。
ひとえにこのブログをご覧になり、ご活用してくださったり、またご意見や叱咤激励、訂正などのお声をよせてくださった皆様のおかげだと感謝しています。
何よりも、このブログを始めるにあたって故胤森弘さんの大きな影響と支えがあったことを忘れる事はできません。
「島唄」をうちなーぐちの正確な理解から直訳していくやり方、そしてその表記のした方は胤森弘さんの方法を真似て始めたものでした。
胤森弘さんの研究は沖縄語について高度かつ多岐にわたっています。
興味のある方は是非そちらもご覧になってください。
うちなーぐちで作られた琉歌や島唄を「感覚」や「雰囲気」で訳すことは、古い歌などでは時代背景も違えば言葉の用法も違っていますので、多くのリスクを伴います。
もちろん辞書や文献だけで訳すことにも同じリスクが伴うこともあります。
しかし、まずは語句の意味から「直訳」していくことを入り口にして、背景を調べるなどして意訳に進まないと真っ暗な道を勘を頼りに歩くに等しいと思います。
その「直訳」を入り口とするという方法論を胤森さんから繰り返し教えていただきつつ、自分の足で沖縄の各地、各島の歌の生まれた故郷を歩いたり歌碑を探すなどしながら歌の意味を肉付けしてきました。
10年かけて、ざっと数えると420曲くらいの民謡、古典などの「島唄」、ポップスまでを「ウチナーグチ」から「ヤマトゥグチ」に訳してきました。
「唄の世界はまるで“海”」とブログの冒頭に書いているように、はるかに先が見えない唄の世界に漂いつつ、ウタを一歩でも理解が進むように取り組んできたつもりです。
これからも次のステップに踏み出したいと思っています。
今後ともこの「島唄まじめな研究」をどうぞよろしくお願いいたします。
たるーこと 関 洋
先月の10月30日をもってこの「たるーの島唄まじめな研究」が10年の節目を迎えることができました。
ひとえにこのブログをご覧になり、ご活用してくださったり、またご意見や叱咤激励、訂正などのお声をよせてくださった皆様のおかげだと感謝しています。
何よりも、このブログを始めるにあたって故胤森弘さんの大きな影響と支えがあったことを忘れる事はできません。
「島唄」をうちなーぐちの正確な理解から直訳していくやり方、そしてその表記のした方は胤森弘さんの方法を真似て始めたものでした。
胤森弘さんの研究は沖縄語について高度かつ多岐にわたっています。
興味のある方は是非そちらもご覧になってください。
うちなーぐちで作られた琉歌や島唄を「感覚」や「雰囲気」で訳すことは、古い歌などでは時代背景も違えば言葉の用法も違っていますので、多くのリスクを伴います。
もちろん辞書や文献だけで訳すことにも同じリスクが伴うこともあります。
しかし、まずは語句の意味から「直訳」していくことを入り口にして、背景を調べるなどして意訳に進まないと真っ暗な道を勘を頼りに歩くに等しいと思います。
その「直訳」を入り口とするという方法論を胤森さんから繰り返し教えていただきつつ、自分の足で沖縄の各地、各島の歌の生まれた故郷を歩いたり歌碑を探すなどしながら歌の意味を肉付けしてきました。
10年かけて、ざっと数えると420曲くらいの民謡、古典などの「島唄」、ポップスまでを「ウチナーグチ」から「ヤマトゥグチ」に訳してきました。
「唄の世界はまるで“海”」とブログの冒頭に書いているように、はるかに先が見えない唄の世界に漂いつつ、ウタを一歩でも理解が進むように取り組んできたつもりです。
これからも次のステップに踏み出したいと思っています。
今後ともこの「島唄まじめな研究」をどうぞよろしくお願いいたします。
たるーこと 関 洋
2015年01月02日
謹賀新年2015
皆様、あけましておめでとうございます。
2015年が幕開けしました。
2005年の10月に始めたこの「たるーの島唄まじめな研究」も今年で
10年の節目
を迎えます。
広島の方言学者であり、当時私たちに「ウチナーグチ」を教えてくださっていた故胤森弘さんから、いろいろご指導をいただきながら始めたブログでした。
胤森さんは、広島で沖縄に関わる方々にはタンメー(士族のおじいさんへの敬意を込めた呼称)と呼ばれていましたが、2007年の9月に83歳で、ひっそりと亡くなられました。
このブログが意訳を避けたり、囃子の訳は省略したり、発音は「沖縄語辞典」(国立国語研究所)などに辞書に必ず依拠したりするスタイルは、胤森弘さんのスタイルを真似ています。
ご本人にも了承を得て、初期の頃は訂正もしていただきました。
胤森さんのご研究は幅も奥もとてつもなく深く、私たちの追随など許されるものではありません。
私は胤森さんがご存命中に、島唄の意味を質問していましたが、その度に手紙や直接お会いして多くのご教唆をいただいていました。
もうそれができなくなる前から、自分の唄三線の勉強にためにはじめたブログでした。
胤森さんは、グソー(あの世)でどう思われているでしょうか。
きっと泡盛をちびちびやりながら呉方言で
「関さんよー、まだまだじゃのう。勉強が足らんよ」
とおっしゃられているでしょう(笑)
色々な方にコメントやメールでご指摘やご教唆をいただきながら
いままで取り上げた曲数はどれほどでしょうか(笑)
今度数えてみたいと思いますが、沖縄の歌の数は限りありません。
今年もコツコツと勉強を重ねていきたいと思います。
さて、私事になりますが、私、たるーは音楽活動もしています。
去年はYOU果報バンドとしてもあちこちで演奏させて頂きました。
震災復興支援活動に加え、昨年の8月の土砂災害の復興支援するコンサートもさせて頂きました。
写真は、盲導犬キャンペーンコンサートの様子です。
また「広島けんみん文化祭」に世果報会として参加しました。
沖縄民謡の素晴らしさを伝えることはとても大切になってきている、と痛感します。
沖縄の文化には私たちが忘れてしまった「人の情け」「自然と人の共生」というテーマがあると感じます。
三線を中心にした歌と演奏を通して「人と人の繋がり」を作る小さな力になりたい、と願って微力ながら活動させていただいた2014年でした。
私個人的にも、昨年は八重山、宮古への旅をさせてもらい、島唄の故郷を訪ねて、この「たるーの島唄まじめな研究」の充実にとっても実り多い、たくさんの勉強と体験をさせて頂きました。
たくさんの方々にお世話になりました。
どうか拙ブログの全ての読者の皆様。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
たるー拝
2014年01月01日
謹賀新年
「たるーの島唄真面目な研究」をご覧なってくださっている皆様。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
すばらしい沖縄の文化、歌三線に出会えた事の喜びを感じながら、今年もその歌の世界に漂いたいと思います。
そして、少しでも皆様の三線ライフに貢献できたら幸いと考えております。
今年も皆様にとって良き年でありますよう祈念します。
2014年 元旦。