2006年06月20日
黒島口説
黒島口説
くるしまくどぅち
kurushima kuduchi
語句・くどぅち七・七または七・五形式という大和の和歌形式を取り入れた歌の形。旅の情景や教えを説く場合が多い。
(歌詞は「八重山古典民謡工工四 下巻」(大濱安伴著)、由絃會工工四集7巻を参考)
一、さてもかわらん黒島や島のながれやかないがた祝う寿その景色
さてぃむかわらんくるしまやしまぬながりやかないがた 'いわうくとぅぶちすぬちしち
satimu kawaraN kurushima ya shima nu nagari ya kanaigata 'iwau kutubuchi sunu chishichi
◯さても変わらない黒島は島の流れはかなう(万能 なんでも叶う)形 祝う寿 その景色
語句・かないがた万能な形 諸説あって確定はできない。 石垣方言辞典によると「何でも上手にこなせる賢い人。万能な人。有能な人。『叶い人』の意」。また他には「かない」を「かなえ」として「鼎(かなえ)」=「古代中国で食べ物を煮るのに用いた三本足の鉄のかま」(「八重山の古典民謡集」小濱光次郎)、石垣方言辞典によると「かない」とは「税金、貢租)という意味。。「はないかた」として「花のようである」というのは「島うた紀行」(追記参照) ・ちしち 歌詞には「気色」と当て字があるが「景色」も「ちしち」なのでそちらを採用。
いやいや豊かなる世のしるしさみエー雨や十日越し風や静かに作る作物万作そてど仲本東筋伊古保利村 保慶や宮里 番所宿々花の遊びや唄や三味線チントンテントン面白もんさみ(今の拍子に口説読め読め)(括弧は以下省略)
'いや'いやゆたかなるゆぬしるしさみ'えー'あみやとぅかぐしかじやしじかにちゅくるむじゅくいまんさくそーてぃどぅなかんとぅ'ありしじ'いくふりむら ふくやなーざとぅ ばんじゅやどぅやどぅはなぬ'あしびや'うたやさんしん ちんとぅんてんとぅん'うむしるむんさみ なまぬひょーしにくどぅちゆみゆみ
'iya'iya yutakanaruyu nu shirushi sami 'ee 'ami ya tukagushi kaji ya shijikani chukuru muzukui maNsaku sootidu nakaNtu 'arishiji 'iku hurimura huku ya naazatu banju yaduyadu hana nu 'ashibi ya 'uta ya saNshiN chiNteNtuN 'umushirumuN sami namanu hyooshi ni kuduchi yumi yumi
◯ヤアヤア 豊かなる世の予兆である(が)雨は十日越し(に降り)風は静かに(吹くと)農作物は万作になるのだ 仲本、東筋、伊古、保利村 保慶や宮里 役所、家々、華やかな遊びは唄や三線チントンテントン面白いものである。今の拍子で口説を読め 読め
語句・いやいや ヤアヤア 掛け声。・とぅかぐし 十日越し <とぅーか ぐし 十日毎に降る雨 ・なーざとぅ 宮里 村の名前 にゃーざとぅ みゃーざとぅ などの色々な呼び方があり、どれでもよい。・しるし 予兆 前触れ ・さみえ ・であるぞ ・ゆみゆみ 詠め 詠め 「唄(口説)を詠め」と解す。 「はやみり」という歌詞もある。「早やめろ」と解す。
二、村の有様見渡しば天の四宿に形取りて千代も豊かに民遊ぶ
むらぬ'ありさまみわたしばてぃんぬししゅくにかたどぅりてぃちゆんゆたかにたみ’あしぶ
mura nu 'arisama miwatashiba tiN nu shishukuni kataduriti chiyunN yutaka ni tami 'ashibu
◯村の有様を見渡すと天の四宿に形取って千代も豊かに民が遊ぶ
語句・てぃんぬししゅく 不明 「星宿」という当て字もある。 「しー」には「霊能力」を意味する場合もある(しじ)。 ちなみに黒島の形は「ハート」形。・ちゆ 千代 「ちゅう」「きゆ」(今日)という歌詞もある。
いやいや昨夜の綱引きさみエー西の大将東の大将皆々揃とて足や松本腕や黒金ゆしくばゆしゆしいやちゃんと切りたさ負けやん負けやん袖ゆいうすびば
'いや'いやゆびぬちなふぃちさみ'えー'いりぬてーしょー'あがりぬてーしょーみなみなすりとてぃ'あしやまちむとぅ'うでぃやくるがにゆしくばゆしゆし'いやちゃんとぅちりたさまきやんまきやんすでぃゆい'うすびば
'iya'iya yubi nu chinahwichi sami 'ee 'irinu teeshoo 'agari nu teshoo minamina suritoti 'ashi ya machimutu 'udi ya kurugani yushikuba yushi yushi 'iya chaNtu chiritasa makiyaN makiyaN sudi yui 'ushubiba
◯ヤアヤア 夕べの綱引きである(が)西の大将、東の大将 皆々揃って足は松の根元(のように)腕は黒金(のようだ) 寄せれば寄せろ寄せろ いや ちゃんと切ったよ 負けだ負けだ 袖(を)結び 押さえたので
語句・あしやまちむとぅ 足は松の根元 松の根元のように太く という意味か。・すでぃゆいうすびば 袖を結び 押さえたので <'うすゆん 押さえる 抱く 已然形+ba ・・なので。
三、節もたがわん雨露の恵深きにこの御代は老いも若きも諸共に
しちんたがわん'あみちゆぬみぐみふかきにくぬみゆは'ういんわかきんむるとぅむに
shichiN tagawaN 'amichiyu nu migumi fukaki ni kunu miyu wa 'uiN wakakiN muru tumu ni
◯季節も違わず雨露の恵み深さにこの御世は老いも若者も皆共に
語句・しち 季節。「ふし」と読む歌詞もある。
いやいや弥勒世果報のしるしさみえー 我んどさばくい家の鼠のちゃーがど築の干し蛸け取て前の高岡登とてうんぶいこうぶい月や眺めて昔やんちゃさみやかり猫がミヤウミヤウいやちゃんと逃げたさ
'いや'いやみるくゆがふぬしるしさみ'えーばんどぅさばくい やーぬ'うえんちゅぬちゃーがどぅちくぬふしたくけーとぅてぃめーぬたかむいぬぶとーてぃ'うんぶいこーぶいちちやながみてぃんかしやんちゃさんみ やかりまやーがみゃうみゃう 'いーや ちゃんとぅぬぎたさ
'iya'iya mirukuyugahu nu shirushi sami 'ee baN du sabakui yaa nu 'weNchu nu chaa ga du chiku nu hushi taku kee tuti mee nu takamui nubutooti 'uNbuikoobui chichi ya nagamiti Nkashi yaNcha sami yaakari mayaa ga myaumyau 'iiya chaNtu nugitasa
◯ヤアヤア 弥勒世果報(豊年満作)の予兆である(が)私の役人家のネズミ達が台所の干し蛸をちょっと盗んで前の高い岡に登っていてこっくりこっくり 月を眺めて昔を思い出してるのか ずうずうしい猫がミャウミャウ いやちゃんと逃げたよ
語句・さばくい 役人 ・ちく 台所 「くし」(後ろ)という歌詞もある。・うんぶいこーぶい 眠たくてこっくりしている様 ・やかり ずうずうしいやつ
四、しんと心は梅桜 匂に引かされ袖衣 花の美童引き連れて
しんとぅくくるは'んみさくら にうぃにふぃかさりすでぃぐるむ はなぬみやらびふぃきちりてぃ
shiNtu kukuru wa 'Nmisakura niwi ni hwikasari tabigurumu hana nu miyarabi hwikichiriti
◯(ぴったり心は梅桜の匂いに引きつけられた袖衣 華やかな娘を引き連れて
語句・しんとぅ 「ちんとぅ」(ぴったり 丁度)であろう。八重山語辞典にも「しんとぅ」はない。
いやいや巡て六月今ど走りふるえー豊年の遊びや老いて若さん腰や押されて袖や引き連れ いそいそ浜下り錦交じりの花の雲山 匂ふくふくさんさん いやわしたさばくい 船の大将楫取り囃し ホーホー招く扇や舟子勇みて あれあれ漕ぐ舟見ちゃりばさてさて面白ものさみ
'いや'いやみぐてぃるくぐわちなまどぅはりふる'えーほにんぬ'あしびや'ういてぃわかさんくしや'うさりてぃすでぃやひぃきちり'いす'いすはま'うり にしきまじりぬはなぬくむやま にうぃふくふくさんさん 'いやわしたさばくい ふにぬてーしょーかじとぅりふぇーし ほーほー まにく'おーじやふなく'いさみてぃ'あり'ありくぐふにんちゃりばさてぃさてい'うむしるむんさみ
'iya'iya miguti rukugwachi namadu harihuru 'ee hooniN nu 'ashibi ya 'uiti wakasaN kushi ya 'usariti sudi ya hwikichiri 'isu'isu hama'uri nishikimajiri nu hana nu kumuyama niwi hukuhuku saNsaN 'iiya washita rabakui huni nu teeshoo kajituri hweeshi hoohoo maniku 'ooji ya hunaku 'isamiti 'ari'ari kugu huni Nchariba satisati 'umushirumuN sami
◯ヤアヤア 巡って六月今こそ(不詳)豊年の遊び(祭)は老いて若く腰を押されて袖は引かれて うれしそうに浜下り錦交じりのの花(華やかな?)の雲山(?)匂いがよく香り ヤア私たちのサバクイ(役職名)舟の大将 舵取りの囃しは ホーホー 招く扇は船頭を勇めてあれよあれよ漕ぐ船を見るとさてさて面白いものである
語句・ほーにん 豊年 「ふりぬ」(狂ったような)とか「ふにぬ」(豊年の「ほーねん」が訛ったものか)という歌詞もある。・いそいそ 現代語の「いそいそ」と同じか。沖縄語に「いそーさ」(嬉しさ)と関連するように思える。
五、眺む心は有明けの月に思いぞ照り勝る 誠浮世のしるしさみ
ながむくくるは'あり'あきぬちちに'うむいぞてぃりまさる まくとぅ'うちゆぬしるしさみ
nagamu kukuru wa 'ari'aki nu chichi ni 'umui zo tirimasaru makutu 'uchiyu nu shirushisami
◯眺める心は 明け方の月に思いこそ照り勝る 誠の浮世の予兆である
語句・ありあき 明け方。「ありあち」という歌詞もある。
いやいや黒島みどんの昨夜の浜下りさみえ 浜蟹取らんで足や高足横足つかとて あれあれアダンのみいから大爪うちふいふいアギゼイザヘイアブヘイ
'いや'いやくるしまみどぅんぬゆびぬはま'うりさみ'えーはまがにとぅらんでぃ'あしやたか'あしゆく'あしちかとぅてぃ 'あり'あり'あだんぬみーから'うふぢみ'うちふいふい 'あぎぜ いざへい 'あぶへいへい
'iya'iya kurushima miduN nu yubi nu hama'uri sani 'ee hamagani turaNdi 'ashi ya taka'ashiyuku'ashi chikatuti 'ari'ari 'adaN nu mii kara 'uchijimi 'uchihuihui 'agize 'izahei 'abuheihei
◯ヤアヤア黒島娘の昨夜の浜下りであるが浜蟹を取りたいために足は高足や横足(高くあげたり横に)を使っていて あれよあれよ アダンの穴から大きな爪をうち振ってきて (囃子言葉 不明)
語句・とぅらんでぃ 取ろうと。 <とぅゆん 未然形 とぅら +んでぃ と。
黒島の島の遊びのようすをほがらかに歌った舞踊曲。
口説の早弾きでスピード感もあふれ、ユーモラスさも盛り込んだ踊りは見ごたえがある。
元々は黒島の目差主の宮良孫賢(1790-1849)が作り諸見里秀思(1876-1945)が踊りを作ったと「島うた紀行」にある。
元歌も黒島で村毎に違う部分があるらしいが、「島うた紀行」には東筋の歌詞が載っている。
黒島では奉納舞踊で御嶽に向かって演じられる。
七五形式の和歌の影響を受けた「口説」は、代表的なものに「上り口説」がある。
もともと、口説は一人が情景を歌い、それに続いて一人が口上を述べる形式で歌われている。
この黒島口説は、その交互謡形式を残している。
本島の舞踊では歌詞が多様。
しかしリズム・テンポはほぼ統一されている。
舞踊にあわせてきた事情からだろう。
「しまぬながりや かないがた」について。
一番の「かないがた」の意味に諸説ある。
上にも書いたが
○「かなえ」とは「古代中国で食べ物を煮るのに用いた三本足の鉄のかま」(「八重山の古典民謡集」小濱光次郎)
確かに「鼎(かなえ)」とは足が三本ある形。
黒島は「ハート」の形をしていて「三角形」ともいえる。
○「はないかた」として「花のようである」というのは「島うた紀行」
石垣方言辞典によると
○「かない」とは「税金、貢租)という意味。
○同上 「かないぴとぅ」とは「何でも上手にこなせる賢い人。万能な人。有能な人。『叶い人』の意」(石)。
ちなみに
「かた」を調べると①型②絵、模様③方向 ④所 場所⑤味方⑥肩⑦片
「がた」には①人に付けて敬意を表す②ころ 時分
「ながり」には「流れ」しかない。
三本足の「鼎」も捨てがたいが、込める意味あいでは「万能な形」というのが妥当ではないだろうか。
たるー(筆者)が歌う黒島口説で、歌詞が上のものと少し違うのだがご参考までに。
(踊りは玉城流円の會広島支部のみなさん)
一番にでてくる「番所宿やど」
▲現在も黒島に残る「番所の跡」。
▲現在の地名が書かれた道標。「黒島口説」にでてくる地名は「仲本・東筋・伊古・保里村・保慶・宮里」の六つ。現在は仲本、東筋、伊古、保里、宮里の五村。
▲黒島の「プズマリ」。三番で「前の高岡登とてうんぶいこうぶい」と歌う「高むい」(高い丘)はこのプズマリだといわれている。
▲プズマリの前の看板にも説明があった。
(撮影、筆者。2014年2月)
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
くるしまくどぅち
kurushima kuduchi
語句・くどぅち七・七または七・五形式という大和の和歌形式を取り入れた歌の形。旅の情景や教えを説く場合が多い。
(歌詞は「八重山古典民謡工工四 下巻」(大濱安伴著)、由絃會工工四集7巻を参考)
一、さてもかわらん黒島や島のながれやかないがた祝う寿その景色
さてぃむかわらんくるしまやしまぬながりやかないがた 'いわうくとぅぶちすぬちしち
satimu kawaraN kurushima ya shima nu nagari ya kanaigata 'iwau kutubuchi sunu chishichi
◯さても変わらない黒島は島の流れはかなう(万能 なんでも叶う)形 祝う寿 その景色
語句・かないがた万能な形 諸説あって確定はできない。 石垣方言辞典によると「何でも上手にこなせる賢い人。万能な人。有能な人。『叶い人』の意」。また他には「かない」を「かなえ」として「鼎(かなえ)」=「古代中国で食べ物を煮るのに用いた三本足の鉄のかま」(「八重山の古典民謡集」小濱光次郎)、石垣方言辞典によると「かない」とは「税金、貢租)という意味。。「はないかた」として「花のようである」というのは「島うた紀行」(追記参照) ・ちしち 歌詞には「気色」と当て字があるが「景色」も「ちしち」なのでそちらを採用。
いやいや豊かなる世のしるしさみエー雨や十日越し風や静かに作る作物万作そてど仲本東筋伊古保利村 保慶や宮里 番所宿々花の遊びや唄や三味線チントンテントン面白もんさみ(今の拍子に口説読め読め)(括弧は以下省略)
'いや'いやゆたかなるゆぬしるしさみ'えー'あみやとぅかぐしかじやしじかにちゅくるむじゅくいまんさくそーてぃどぅなかんとぅ'ありしじ'いくふりむら ふくやなーざとぅ ばんじゅやどぅやどぅはなぬ'あしびや'うたやさんしん ちんとぅんてんとぅん'うむしるむんさみ なまぬひょーしにくどぅちゆみゆみ
'iya'iya yutakanaruyu nu shirushi sami 'ee 'ami ya tukagushi kaji ya shijikani chukuru muzukui maNsaku sootidu nakaNtu 'arishiji 'iku hurimura huku ya naazatu banju yaduyadu hana nu 'ashibi ya 'uta ya saNshiN chiNteNtuN 'umushirumuN sami namanu hyooshi ni kuduchi yumi yumi
◯ヤアヤア 豊かなる世の予兆である(が)雨は十日越し(に降り)風は静かに(吹くと)農作物は万作になるのだ 仲本、東筋、伊古、保利村 保慶や宮里 役所、家々、華やかな遊びは唄や三線チントンテントン面白いものである。今の拍子で口説を読め 読め
語句・いやいや ヤアヤア 掛け声。・とぅかぐし 十日越し <とぅーか ぐし 十日毎に降る雨 ・なーざとぅ 宮里 村の名前 にゃーざとぅ みゃーざとぅ などの色々な呼び方があり、どれでもよい。・しるし 予兆 前触れ ・さみえ ・であるぞ ・ゆみゆみ 詠め 詠め 「唄(口説)を詠め」と解す。 「はやみり」という歌詞もある。「早やめろ」と解す。
二、村の有様見渡しば天の四宿に形取りて千代も豊かに民遊ぶ
むらぬ'ありさまみわたしばてぃんぬししゅくにかたどぅりてぃちゆんゆたかにたみ’あしぶ
mura nu 'arisama miwatashiba tiN nu shishukuni kataduriti chiyunN yutaka ni tami 'ashibu
◯村の有様を見渡すと天の四宿に形取って千代も豊かに民が遊ぶ
語句・てぃんぬししゅく 不明 「星宿」という当て字もある。 「しー」には「霊能力」を意味する場合もある(しじ)。 ちなみに黒島の形は「ハート」形。・ちゆ 千代 「ちゅう」「きゆ」(今日)という歌詞もある。
いやいや昨夜の綱引きさみエー西の大将東の大将皆々揃とて足や松本腕や黒金ゆしくばゆしゆしいやちゃんと切りたさ負けやん負けやん袖ゆいうすびば
'いや'いやゆびぬちなふぃちさみ'えー'いりぬてーしょー'あがりぬてーしょーみなみなすりとてぃ'あしやまちむとぅ'うでぃやくるがにゆしくばゆしゆし'いやちゃんとぅちりたさまきやんまきやんすでぃゆい'うすびば
'iya'iya yubi nu chinahwichi sami 'ee 'irinu teeshoo 'agari nu teshoo minamina suritoti 'ashi ya machimutu 'udi ya kurugani yushikuba yushi yushi 'iya chaNtu chiritasa makiyaN makiyaN sudi yui 'ushubiba
◯ヤアヤア 夕べの綱引きである(が)西の大将、東の大将 皆々揃って足は松の根元(のように)腕は黒金(のようだ) 寄せれば寄せろ寄せろ いや ちゃんと切ったよ 負けだ負けだ 袖(を)結び 押さえたので
語句・あしやまちむとぅ 足は松の根元 松の根元のように太く という意味か。・すでぃゆいうすびば 袖を結び 押さえたので <'うすゆん 押さえる 抱く 已然形+ba ・・なので。
三、節もたがわん雨露の恵深きにこの御代は老いも若きも諸共に
しちんたがわん'あみちゆぬみぐみふかきにくぬみゆは'ういんわかきんむるとぅむに
shichiN tagawaN 'amichiyu nu migumi fukaki ni kunu miyu wa 'uiN wakakiN muru tumu ni
◯季節も違わず雨露の恵み深さにこの御世は老いも若者も皆共に
語句・しち 季節。「ふし」と読む歌詞もある。
いやいや弥勒世果報のしるしさみえー 我んどさばくい家の鼠のちゃーがど築の干し蛸け取て前の高岡登とてうんぶいこうぶい月や眺めて昔やんちゃさみやかり猫がミヤウミヤウいやちゃんと逃げたさ
'いや'いやみるくゆがふぬしるしさみ'えーばんどぅさばくい やーぬ'うえんちゅぬちゃーがどぅちくぬふしたくけーとぅてぃめーぬたかむいぬぶとーてぃ'うんぶいこーぶいちちやながみてぃんかしやんちゃさんみ やかりまやーがみゃうみゃう 'いーや ちゃんとぅぬぎたさ
'iya'iya mirukuyugahu nu shirushi sami 'ee baN du sabakui yaa nu 'weNchu nu chaa ga du chiku nu hushi taku kee tuti mee nu takamui nubutooti 'uNbuikoobui chichi ya nagamiti Nkashi yaNcha sami yaakari mayaa ga myaumyau 'iiya chaNtu nugitasa
◯ヤアヤア 弥勒世果報(豊年満作)の予兆である(が)私の役人家のネズミ達が台所の干し蛸をちょっと盗んで前の高い岡に登っていてこっくりこっくり 月を眺めて昔を思い出してるのか ずうずうしい猫がミャウミャウ いやちゃんと逃げたよ
語句・さばくい 役人 ・ちく 台所 「くし」(後ろ)という歌詞もある。・うんぶいこーぶい 眠たくてこっくりしている様 ・やかり ずうずうしいやつ
四、しんと心は梅桜 匂に引かされ袖衣 花の美童引き連れて
しんとぅくくるは'んみさくら にうぃにふぃかさりすでぃぐるむ はなぬみやらびふぃきちりてぃ
shiNtu kukuru wa 'Nmisakura niwi ni hwikasari tabigurumu hana nu miyarabi hwikichiriti
◯(ぴったり心は梅桜の匂いに引きつけられた袖衣 華やかな娘を引き連れて
語句・しんとぅ 「ちんとぅ」(ぴったり 丁度)であろう。八重山語辞典にも「しんとぅ」はない。
いやいや巡て六月今ど走りふるえー豊年の遊びや老いて若さん腰や押されて袖や引き連れ いそいそ浜下り錦交じりの花の雲山 匂ふくふくさんさん いやわしたさばくい 船の大将楫取り囃し ホーホー招く扇や舟子勇みて あれあれ漕ぐ舟見ちゃりばさてさて面白ものさみ
'いや'いやみぐてぃるくぐわちなまどぅはりふる'えーほにんぬ'あしびや'ういてぃわかさんくしや'うさりてぃすでぃやひぃきちり'いす'いすはま'うり にしきまじりぬはなぬくむやま にうぃふくふくさんさん 'いやわしたさばくい ふにぬてーしょーかじとぅりふぇーし ほーほー まにく'おーじやふなく'いさみてぃ'あり'ありくぐふにんちゃりばさてぃさてい'うむしるむんさみ
'iya'iya miguti rukugwachi namadu harihuru 'ee hooniN nu 'ashibi ya 'uiti wakasaN kushi ya 'usariti sudi ya hwikichiri 'isu'isu hama'uri nishikimajiri nu hana nu kumuyama niwi hukuhuku saNsaN 'iiya washita rabakui huni nu teeshoo kajituri hweeshi hoohoo maniku 'ooji ya hunaku 'isamiti 'ari'ari kugu huni Nchariba satisati 'umushirumuN sami
◯ヤアヤア 巡って六月今こそ(不詳)豊年の遊び(祭)は老いて若く腰を押されて袖は引かれて うれしそうに浜下り錦交じりのの花(華やかな?)の雲山(?)匂いがよく香り ヤア私たちのサバクイ(役職名)舟の大将 舵取りの囃しは ホーホー 招く扇は船頭を勇めてあれよあれよ漕ぐ船を見るとさてさて面白いものである
語句・ほーにん 豊年 「ふりぬ」(狂ったような)とか「ふにぬ」(豊年の「ほーねん」が訛ったものか)という歌詞もある。・いそいそ 現代語の「いそいそ」と同じか。沖縄語に「いそーさ」(嬉しさ)と関連するように思える。
五、眺む心は有明けの月に思いぞ照り勝る 誠浮世のしるしさみ
ながむくくるは'あり'あきぬちちに'うむいぞてぃりまさる まくとぅ'うちゆぬしるしさみ
nagamu kukuru wa 'ari'aki nu chichi ni 'umui zo tirimasaru makutu 'uchiyu nu shirushisami
◯眺める心は 明け方の月に思いこそ照り勝る 誠の浮世の予兆である
語句・ありあき 明け方。「ありあち」という歌詞もある。
いやいや黒島みどんの昨夜の浜下りさみえ 浜蟹取らんで足や高足横足つかとて あれあれアダンのみいから大爪うちふいふいアギゼイザヘイアブヘイ
'いや'いやくるしまみどぅんぬゆびぬはま'うりさみ'えーはまがにとぅらんでぃ'あしやたか'あしゆく'あしちかとぅてぃ 'あり'あり'あだんぬみーから'うふぢみ'うちふいふい 'あぎぜ いざへい 'あぶへいへい
'iya'iya kurushima miduN nu yubi nu hama'uri sani 'ee hamagani turaNdi 'ashi ya taka'ashiyuku'ashi chikatuti 'ari'ari 'adaN nu mii kara 'uchijimi 'uchihuihui 'agize 'izahei 'abuheihei
◯ヤアヤア黒島娘の昨夜の浜下りであるが浜蟹を取りたいために足は高足や横足(高くあげたり横に)を使っていて あれよあれよ アダンの穴から大きな爪をうち振ってきて (囃子言葉 不明)
語句・とぅらんでぃ 取ろうと。 <とぅゆん 未然形 とぅら +んでぃ と。
黒島の島の遊びのようすをほがらかに歌った舞踊曲。
口説の早弾きでスピード感もあふれ、ユーモラスさも盛り込んだ踊りは見ごたえがある。
元々は黒島の目差主の宮良孫賢(1790-1849)が作り諸見里秀思(1876-1945)が踊りを作ったと「島うた紀行」にある。
元歌も黒島で村毎に違う部分があるらしいが、「島うた紀行」には東筋の歌詞が載っている。
黒島では奉納舞踊で御嶽に向かって演じられる。
七五形式の和歌の影響を受けた「口説」は、代表的なものに「上り口説」がある。
もともと、口説は一人が情景を歌い、それに続いて一人が口上を述べる形式で歌われている。
この黒島口説は、その交互謡形式を残している。
本島の舞踊では歌詞が多様。
しかしリズム・テンポはほぼ統一されている。
舞踊にあわせてきた事情からだろう。
「しまぬながりや かないがた」について。
一番の「かないがた」の意味に諸説ある。
上にも書いたが
○「かなえ」とは「古代中国で食べ物を煮るのに用いた三本足の鉄のかま」(「八重山の古典民謡集」小濱光次郎)
確かに「鼎(かなえ)」とは足が三本ある形。
黒島は「ハート」の形をしていて「三角形」ともいえる。
○「はないかた」として「花のようである」というのは「島うた紀行」
石垣方言辞典によると
○「かない」とは「税金、貢租)という意味。
○同上 「かないぴとぅ」とは「何でも上手にこなせる賢い人。万能な人。有能な人。『叶い人』の意」(石)。
ちなみに
「かた」を調べると①型②絵、模様③方向 ④所 場所⑤味方⑥肩⑦片
「がた」には①人に付けて敬意を表す②ころ 時分
「ながり」には「流れ」しかない。
三本足の「鼎」も捨てがたいが、込める意味あいでは「万能な形」というのが妥当ではないだろうか。
たるー(筆者)が歌う黒島口説で、歌詞が上のものと少し違うのだがご参考までに。
(踊りは玉城流円の會広島支部のみなさん)
一番にでてくる「番所宿やど」
▲現在も黒島に残る「番所の跡」。
▲現在の地名が書かれた道標。「黒島口説」にでてくる地名は「仲本・東筋・伊古・保里村・保慶・宮里」の六つ。現在は仲本、東筋、伊古、保里、宮里の五村。
▲黒島の「プズマリ」。三番で「前の高岡登とてうんぶいこうぶい」と歌う「高むい」(高い丘)はこのプズマリだといわれている。
▲プズマリの前の看板にも説明があった。
(撮影、筆者。2014年2月)
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さっそく、写真展を主催する「島内ナイチャー」さんと館長の平良さんからメールを頂きました。ブログのことも、うどいの掲示板「ゆんたく広場」に紹介いただきました。そんなことがあ...
うどい館長さんありがとう【くらしの悩み、なんくるないさ!】at 2007年08月06日 11:22
この記事へのコメント
黒島口説の歌詞を見たくて
読ませていただきました。
黒島で実際に踊りを見て、歌を聴く
機会があり、参考になりました。
読ませていただきました。
黒島で実際に踊りを見て、歌を聴く
機会があり、参考になりました。
Posted by aimori at 2007年04月06日 23:37
aimoriさん
黒島での「黒島口説」の踊り。
いかがだったのでしょうか。
今後ともよろしく。
黒島での「黒島口説」の踊り。
いかがだったのでしょうか。
今後ともよろしく。
Posted by せき ひろし(たるー) at 2007年04月07日 10:51
>黒島での「黒島口説」の踊り。
>いかがだったのでしょうか。
民俗芸能が大切に受け継がれていることに
感動を覚えました。いずれ自分のブログでも
写真で紹介できたらと思っています。
黒島にはもうひとつ、ペンガントゥレ節という
民謡があるのですが、(マンガニ節とセットで
上演されることが多いようです。)これは島の
子供たちも上手に踊ります。
ところで、こちらのブログを「お気に入り」として
リンクさせていただいてもよろしいでしょうか?
>いかがだったのでしょうか。
民俗芸能が大切に受け継がれていることに
感動を覚えました。いずれ自分のブログでも
写真で紹介できたらと思っています。
黒島にはもうひとつ、ペンガントゥレ節という
民謡があるのですが、(マンガニ節とセットで
上演されることが多いようです。)これは島の
子供たちも上手に踊ります。
ところで、こちらのブログを「お気に入り」として
リンクさせていただいてもよろしいでしょうか?
Posted by aimori at 2007年04月08日 01:51
aimoriさん
「ぺんがん捕れ節」
黒島の村々の娘たちのことが歌われたものですね。
ブログ楽しく拝見させていただきました。
黒島の詳しい情報、勉強にもなりました。
リンク、どうぞなさってください。
「ぺんがん捕れ節」
黒島の村々の娘たちのことが歌われたものですね。
ブログ楽しく拝見させていただきました。
黒島の詳しい情報、勉強にもなりました。
リンク、どうぞなさってください。
Posted by せき ひろし(たるー) at 2007年04月08日 07:15
黒島口説
読み直してみると
後半がなぜかアップされていなかった。
不完全でした。
すこし訂正もして再度アップしました。
読み直してみると
後半がなぜかアップされていなかった。
不完全でした。
すこし訂正もして再度アップしました。
Posted by 関洋(せきひろし) at 2007年12月01日 13:34
一番の「かないがた」について少ししらべて加筆しました。
Posted by 関洋(せきひろし) at 2007年12月02日 09:20
今、黒島口説の踊りの勉強して、こちらに辿りつきましたが、一番の「作る万作・・・」ですが、「作る毛作い万作・・」ではないでしょうか?
Posted by pudding at 2008年12月28日 18:06
はい。
puddingさん
黒島口説、さまざまな歌詞があります。
「作る毛作万作」も承知しております。
と、いいますか、それをいつも歌っております。
が、ここでとりあげた歌詞は
「作る万作・・」です。
そのあたりは、御察知くださいますとありがたいです。
沖縄民謡にはさまざまな歌詞があります。
それをすべてフォローすることは無理です。
しかし、いくつかのパターンもあり、
またそれぞれの所以があります。
それを理解すれば少々の歌詞の違いは
看過できます。
できない歌詞は、なるだけとりあげたいと思います。
そういう意味で今後ともよろしく。
puddingさん
黒島口説、さまざまな歌詞があります。
「作る毛作万作」も承知しております。
と、いいますか、それをいつも歌っております。
が、ここでとりあげた歌詞は
「作る万作・・」です。
そのあたりは、御察知くださいますとありがたいです。
沖縄民謡にはさまざまな歌詞があります。
それをすべてフォローすることは無理です。
しかし、いくつかのパターンもあり、
またそれぞれの所以があります。
それを理解すれば少々の歌詞の違いは
看過できます。
できない歌詞は、なるだけとりあげたいと思います。
そういう意味で今後ともよろしく。
Posted by たるー(せきひろし) at 2008年12月28日 21:50
こんにちは。
黒島に住んでいますnakといいます。(近年の移住者です)
黒島の民俗をしらべていてこのページにたどり着きました。
1行目の意味ですが、何人かに聞くと「鼎の形」という人が多かったです。
ですが、作者が当時黒島目差役だった宮良孫賢氏という事を考えると
(黒島での勤務の後、蔵元の大目差役、平得与人役などを歴任しています)
『叶い人』の意味が本来なのかも知れませんね。
役人がその治世の旨さを島人に唄わせているというか・・
調べ始めたのも、当時の世相から見てこんな明るい唄ができたのは
なぜなのかというところからですから。
気持ちは複雑ですが。
黒島に住んでいますnakといいます。(近年の移住者です)
黒島の民俗をしらべていてこのページにたどり着きました。
1行目の意味ですが、何人かに聞くと「鼎の形」という人が多かったです。
ですが、作者が当時黒島目差役だった宮良孫賢氏という事を考えると
(黒島での勤務の後、蔵元の大目差役、平得与人役などを歴任しています)
『叶い人』の意味が本来なのかも知れませんね。
役人がその治世の旨さを島人に唄わせているというか・・
調べ始めたのも、当時の世相から見てこんな明るい唄ができたのは
なぜなのかというところからですから。
気持ちは複雑ですが。
Posted by nak at 2009年01月05日 13:13
nakさん
コメントをありがとうございます。
島では「鼎形」が多いのですね。
そういう情報も私にはありがたいものです。
人々の暮らしにとって「唄」は、現実のつらさを、明日への
エネルギーに変えるものなのでしょうね。
つらければ、つらいほどエネルギッシュな唄が生まれるのでは
ないでしょうか。
作った人の意図は、唄が他人に歌われる瞬間に
別のものに変わっていくように思います。
そして歌詞も変わっていくのでしょうね。
また、教えてください。
コメントをありがとうございます。
島では「鼎形」が多いのですね。
そういう情報も私にはありがたいものです。
人々の暮らしにとって「唄」は、現実のつらさを、明日への
エネルギーに変えるものなのでしょうね。
つらければ、つらいほどエネルギッシュな唄が生まれるのでは
ないでしょうか。
作った人の意図は、唄が他人に歌われる瞬間に
別のものに変わっていくように思います。
そして歌詞も変わっていくのでしょうね。
また、教えてください。
Posted by たるー at 2009年01月08日 08:50
初めて、コメントいたします。
楽しくて何度も何度も見ています。
気になったのですが、踊り手さんが、最後に言ってる囃子は、何と言ってるのでしょうか?
楽しくて何度も何度も見ています。
気になったのですが、踊り手さんが、最後に言ってる囃子は、何と言ってるのでしょうか?
Posted by しずか at 2013年05月21日 19:59
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