2006年04月20日

テーゲー

テーゲー
てーげー
teegee
いいかげん
語句・てーげー ・ いい加減。 辞書には「おおよそ 一応まずまずの程度」とある。 元は「大概」で たいがい taigai→(aiが長母音化してee)→てーげーteegee。物事を深く細かく思い詰めず、良く言えばおおらかに、悪く言えばおおざっぱに受け止める態度。「いい加減」という言葉は、「適当な良い加減」という意味と「中途半端な加減」という両方の意味があり、「テーゲー」の訳に近いと思いあてはめた。


作詞 上原直彦 作曲 知名定男 編曲 佐原一哉


一、テーゲー小やさテーゲー物事ちゃっさ思い詰めたって ないるくとないるむん風の吹くまま気の向くまま生きて生きてみたいのさ(なんくるちゃーがな ないやさにまじ なんくるちゃーがな ないやさにまじテーゲーテーゲーテーゲーやさ)
([]は大和口)
てーげーぐゎーやさ てーげー むぬぐとぅ ちゃつさ[思い詰めたって]ないるくぅとぅどぅないるむん[風の吹くまま気の向くまま生きて生きてみたいのさ](なんくるちゃーがな ないやさにまじてーげーやさ)
teegeegwaa yasa teegee munugutu cassa [思い詰めたって]nairu kutu du nairumuN[風の吹くまま気の向くまま生きて生きてみたいのさ](naNkuru chaagana nai yasa ni maji teegee yasa)
いい加減だよ いい加減 物事はいくら思い詰めたってなるようになるもんだ 風の吹くまま気の向くまま生きて生きてみたいのさ(自然に何とかなるさ 本当に いい加減 いい加減なんだよ)
(括弧は以下略す)
語句・てーげーぐゎー  この場合の「小」は強調。 ・ちゃっさ いくら どんなに。  ・ないる なる。 <なゆん なる。 連体形 ・なんくる ひとりでに。 自然に。



二、恋の道んなー思い思い燃えて燃えて燃え尽きて散りはてるとん捨てらりるとんなるがままよ人生は
くいぬみちん なー'うむい'うむい[燃えて燃えて燃え尽きて]ちりはてぃるとーんしてぃらりるとーん[なるがままよ人生は]

kui nu michiN naa 'umui'umui[燃えて燃えて燃え尽きて]chirihatirutooN shitirarirutooN[なるがままよ人生は]
恋の道も各自別々の思い 燃えて燃えて燃え尽きて散り果てるとも捨てられるともなるがままよ人生は
語句・なー うむい うむい 各々別々の思い。それぞれにそれぞれの思いがある、ということ。



三、惚れたはれたと追い掛けたって好ちん好かのー裏表 一生かける恋などないさゆらりゆらり生ちかなや
[惚れたはれたと追い掛けたって]しちんしかのー'うら'うむてぃ[一生かける恋などないさ ゆらりゆらり]'いちかなや
[惚れたはれたと追い掛けたって]shichiN shikanoo 'ura'umuti[一生かける恋などないさ ゆらりゆらり]'ichikana yaa
惚れたはれたと追い掛けたって好きも嫌い裏表 一生かける恋などないさ ゆらりゆらり生かしたいねえ
語句・しちん 好きも。 <しち 好き+ん も。 ・しかのー 嫌いは。<しかん 嫌い +や。
主格を示す やjaは 前の語句末尾のNを長母音「のーnoo」にする 。(例)三線は=saNshiN+ya→さんしのー=saNshinoo
いちかなやー 生きたいねえ。 <いちちゅん 生きる。



四、成り行きまかせ 一夜の火花 理屈なんかこねやしない 明日や明日やさ 一日暮らしテーゲー育ちコザ育ち
[成り行きまかせ]ちゅゆるぬふぃばな[理屈なんかこねやしない]'あちゃーや'あちゃーやさ[一日暮らし]テーゲー[育ち]コザ[育ち]
[成り行きまかせ]chuyuru hwibana[理屈なんかこねやしない]'achaa ya'achaa yasa[一日暮らし]teegee[育ち]koza[育ち]
成り行きまかせ 一夜の火花 理屈なんかこねやしない 明日は明日だよ 一日暮らしテーゲー育ちコザ育ち

本土での「沖縄ブーム」に火をつけた「ネーネーズ」がヒットさせた。
「テーゲー」という言葉をこの歌で初めて知ったヤマトゥンチュも多いはず。

ヤマトグチとウチナーグチ混合の歌をとりあげるのは少し迷いもあったが、現実に今の沖縄では若い人がヤマトウチナーグチと呼ばれる混合した言葉をつかっている。

この歌、さすが上原直彦さんの作詞だけあって、ウチナーグチの部分とそいうでない部分がきちんと分けられている。

沖縄音階も多いが、アレンジはレゲエ風。

知名さんの作曲の腕前に佐原さんのアレンジ力。この歌がヒットする仕掛けは十分だ。

「テーゲー」が「大概」からきていることは解説に書いた。

南九州でも「てげてげ」が似たような意味で使われる。
私の生まれた宮崎では「てげてげでいっちゃが」=「ほどほどでいいんだよ」というふうに使われる。
沖縄ではテーゲー主義とも言われて県民性を表すひとつの言葉。

上にも書いたが「いい加減」という訳は辞書には書いていないが「てーげー」の二面性を表しているように思う。

断る必要もないと思うが、「いい加減」と書いたからといって沖縄県民性を批判したり揶揄しているわけではない。

むしろ逆である。おおらかな生き方、人を追い込まない生き方、人の弱さを責めない、など「てーげー」の良い面は南国の

人々の特徴でもある。

この歌、恋の歌である。しかし「一生こだわる恋などないさ」という。人に恋をした途端に世界が違って見えるくらいになるもの

だが、それを軽く否定する。

ひとつの恋にこだわって傷つけあうより別の恋を探しなさいと。失恋へのフォローなのだ。

ヤマトの演歌や歌謡曲ではこだわりの恋、命懸けの恋でなければ歌にならない。雪のなかいつまでもあなたを待つこの私!

でなくては話が盛り上がらない。

このあたりが南国の太陽のもとでのおおらかな恋のありかたとの違いなのかとも思う。

もっといえば、人をとことんまで追い詰めるリストラ、戦争、受験競争、殺人・・いまの社会のありかたもこの歌を聴きつつ見直すのもいいかもしれない。

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Posted by たる一 at 18:34│Comments(0)た行
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