2006年04月12日

艦砲の喰え残さ

艦砲の喰え残さ
かんぽうぬくぇーぬくさー
[kaNpoo]nu kweenukusaa
艦砲射撃の喰い残し
語句・くぇーぬくさー 食い残し。<くぇーぬくし 食べ残し。 語末の「あー aa」は 「・・の奴」「・・の人」と擬人化的表現。「食い残されし者」くらいの意味。

作詞作曲 比嘉恒敏


一、若さる時ね戦争の世 若さる花ん咲ちゆさん(若さる花ん咲ちゆさん)家ん元祖ん親兄弟 艦砲射撃の的になて着るむん喰えむんむるねえらん スーティーチャー喰で暮らちゃんや (うんじゅん我んにん 汝ん我んにん艦砲の喰い残さ)
わかさるとぅちねー'いくさぬゆー わかさるはなんさちゆーさん (わかさるはなんさちゆーさん)やーんぐゎんすん'うやちょ(ー)でーかんぽーしゃげきぬまとぅになてぃちるむん くぇーむんむるねーらん すーてぃーちゃーかでぃくらちゃんやー ('うんじゅんわんにん 'っやーやわんにん かんぽーぬくぇーぬくさー)
wakasaru tuchinee 'ikusanuyuu wakasaru hanaN sachiyuusaN (wakasaru hanaNsachiyuusaN )yaaN gwaNsuN 'uyacho(o)dee [kaNpooshageki]nu matu ni nati chirumuN kweemuN muruneeraN suutiichaa kadi kuracyaNyaa ('uNjyuN waNniN 'yaa ya waNniN  kaNpoo nu kweenukusaa)
若い時は戦争の世の中 若い花は咲くことが出来なかった(若い花は咲くことが出来なかった) 家もご先祖様も親兄弟も[艦砲射撃]の的になり 着るもの食べるものも全くなかった。ソテツを食べて暮らしたよ。(あなたもわたしも 君も僕も艦砲の食い残し)
(括弧は以下省略)
語句・わかさるとちねー 若い時には。 <わかさん 若い +とち 時 +ねー には(<にni+やjaで「ねー」になる。)・さちゆーさん  咲くことができなかった。 <さちゆん 咲く。+ゆー よく。・・する +さん しない。 よく・・することにならない。・・できない。 ・すーてぃーちゃー ソテツを。 <すーてぃーち ソテツ。+や をば。 蘇鉄は種や茎にでんぷんを多く含み救荒食料にもなるが猛毒のホルムアルデヒドなどを含むために毒抜きしないで食べると死に至る場合があり戦時中は「ソテツ地獄」(1920年代)ともいわれた。私の里九州宮崎でもよくこの話を聞かされた。
くらちゃん 暮らした。 <くらしゅん 暮らすの過去形



ニ、神ん仏ん頼ららん 畑やカナアミ銭ならん 家小や風ぬうっ飛ばち戦果かたみてすびかって うっちぇーひっちぇーむたばって肝や誠どやたしがや
かみんふとぅきんたゆららん はるや[かなあみ]じんならん やーぐゎーやかじぬ'うっとぅばち[せんくゎ]かたみてぃすびかってぃ 'うっちぇーふぃっちぇーむたばってぃ ちむやまくとぅどぅやたしがやー
kamiN hutukiN tayuraraN haruya [金網]jiN naraN yaagwaa ya kazinu 'uttubachi [戦果]katamiti subikatti 'ucchee hwichee mutabatti chimu ya makutudu yatashigayaa
神も仏も頼られない 畑は金網(張られて)銭にはならない。家は風が吹っ飛ばし戦果担いでしょっびかれて ひっくり返し返され弄ばれ 心は全く誠実だったのだがねえ
語句・はるやかなあみ 畑は金網。 おそらく戦後米軍が基地の為に張り巡らせた金網フェンスの事で、食料源であり生活の源の畑すら奪われた農民は多かったに違いない。・せんくゎ 戦果。 本土からの外来語であろう。戦後すぐの食料難の時期「戦果あぎゃー」(戦果をあげる人)といって米軍の倉庫から食料や日用品を「盗む」ことが生きるためにされていた。もちろん銃殺も覚悟で必死だったであろう。 ・すびかってぃ しょっぴかれて。 <すびちゅん しょっぴく。の受け身と過去形 ・うちぇーふぃっちぇー ひっくり返し返し。 「なんどぅるふぃんどぅる」「たっくわいむっくわい」(べたべたひっつくさま)のようにある状態を表現するのに二つの語句をつなげるが 意味があるのは最初の語句で後のはリズミカルにするために意味がない場合が多い。疂語という。


三、泥の中から立ち上がて家庭もとめて妻とめて産子生まりて毎年産し次男三男ちんなんび哀れの中にも童ん達が笑い声聞ち肝とめて
どぅるぬなかからたちあがてぃちねーむとぅみてぃとぅじとぅめてぃ なしぐゎー'んまりてぃめーにんなしじなんさんなんちんなんびー'あわりんなかにんわらびんちゃーがわらいぐぃちちちむとぅめーてぃ
duru nu nakakara tachi'agati chinee mutumiti tuji tumeeti nashigwaa 'Nmariti meeniNnashi jinaNsaNsaN chiNnaNbii 'awariNnakaniN warabiNchaa ga waraigui chichi chimutumeeti
泥の中から立ち上がって家庭を求めて妻をめとり こどもも生まれて毎年産み次男三男とかたつむり(みたい)苦労の中も子どもらの笑い声聞き心を求めて
語句・ちんなんびー かたつむり。ちんなんみー とも。 ・あわり 苦労 つらいこと。


四、平和なてから幾年か子の達んまぎさなて居しが射やんらったるヤマシシの我が子思ゆるごとに潮水又とんで思れ 夜の夜ながた目くふぁゆさ
へいわなてぃから'いくとぅしか っくゎぬちゃんまぎさなて'うしが 'いやんらったるやまししぬわがく'うむゆるぐとぅに'うしゅみじまたとぅ んでぃ'うむれーゆるぬゆながたみーくふぁゆさ
heiwanatikara 'ikutushika kkwanuchaaN magisa nati 'ushiga 'iyaNrattaru yamshishinu wagaku 'umuyurugutuni 'ushumiji mata tu Ndi'umuree yurunu yunagata miikuhwayusa
平和になってから何年か 子ども達も大きくなっているが射られたイノシシが我が子を思うように潮が又くる(繰り返す)のだと思っては夜の夜中にねむれない
語句・いやんらったる 射たれた。 ・うすみじまたとぅ 潮がまたと。潮が繰り返すように。 また戦が繰り返されるのではないかと心配して と読まれる。 ・みーくふぁゆん 目が堅くて(寝られない)。  <みー 目 + くふぁゆん 堅い 目が堅い。



五、我親喰わたるあの戦我島喰わたるあの艦砲 生まれて変わても忘らりゆみ誰があの様しいいんじゃちゃら 恨でん悔やでん飽きざらん子孫末代遺言さな
わ'うやくわたる'あぬ'いくさ わしまくわたる'あぬ[かんぽう]'んまりてぃかわてぃんわしらりゆみ たーが'あぬさましーんじゃちゃら'うらでぃんくやでぃん'あきざらんしすんまちでー'いぐんさな
wa'uyakwataru 'anu'ikusa washima kwataru 'anu [艦砲] 'NmaritikawatiN washirariyumi taaga 'anusama shiiNjachara 'uradiNkuyadiN 'akijaraN shisuNmachidee 'iguNsana
私の親を食べたあの戦争 私の故郷を食べたあの艦砲射撃 生まれ変わっても忘れることができようか?誰があのようなことをしはじめたのか 恨んでも悔やんでも飽きたりない 子孫末代まで遺言したいねえ
語句・くわたる 食べた。 <くわゆん  ・しーんじゃちゃら しはじめたか。<しーんじやすん 仕出す 儲ける。 し+出す ・あきざらん 飽きたりない。 <あちざらん ←きki と ちchiが入れ代わっている。

この歌は厳粛な気持ちで訳した。私が本土出身の人間だからである。
明るい三下げ曲なのに歌詞は重たい。しかし一回聴いて重たさを感じないのは歌詞に比喩工夫がある。

あの沖縄戦を背景にうちなーんちゅがどう生きて来たかが切り取られ、切実な願いや憤りが歌に昇華している。
沖縄戦とは何だったか。
1945年日本が始めた太平洋戦争末期、連合軍は本土上陸のための足掛かりを沖縄に求め、日本軍部は抵抗する力がないことも「負け戦」になることも知りながら住民を狩り出し上陸作戦に抵抗しようとした。「捨て石作戦」とも言われた。沖縄戦の死者20数万人(これはヒロシマの被害とも匹敵する)、米軍が艦砲射撃などでうちこんだ砲弾の数60万発。鉄の暴風と言われた。いまだに不発弾が那覇市内でも見つかるくらい。ひめゆり部隊の悲劇やチビチリガマの「集団自決」(強制自殺とも言われる)。などなど狭い島で逃げる場所を失い、日本軍も敗走するなかで「切り捨てられた」戦場において何が起こったかは、私達戦後に生まれたものもその体験や事実にもっと耳をかたむけるべきである。

この唄は、唄という芸能を通じて、私達に語りかける。
それはやさしい三線の音色とウチナーグチのリズムで、ヤマトンチュにはすぐには理解できない言葉ではあるが、淡々と戦中、戦後を語っている。

耳をかたむけるものだけに聞こえる声がある。もう亡くなったたくさんの犠牲者の声、今も声にならない声で訴える声もある。そういう声をこの歌から聞き取っていきたい、と私はそう思う。
今進められている名護の新基地建設をすすめる人々、本土の私達には、この唄の遺言を今一度かみ締めてほしいと心から願う。

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Posted by たる一 at 22:45│Comments(11)か行
この記事へのコメント
私はヤマトンチューですが、名護の市長にまずはいいたいのです。

『ウンジョー、ウチナーンチュ、アランミ?』

悪い政治は、虎よりも恐ろしい。
そう偉い人が言いましたね。
Posted by あとぅを at 2006年04月13日 00:20
初心に帰れといいますが、戦後の初心は、この唄にこめられた気持ちではないでしょうかね。
それはすべての人に共通することかもしれません。
憲法や教育基本法も風前のともし火です。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年04月13日 06:37
名護の基地について一言、名護の基地建設は大反対です。ですが、だったら、他の県が受け入れてくれますか?みんな嫌なはず、基地問題は沖縄の問題ではなく、日本国の問題です。しかし 基地が無くなれば、食べて活けない人がいっぱい居ます。軍用地料で仕事もせず御殿を建ている人いっぱい居ます、自分のお家、近所の学校の上空にF15が旋回しています、どうすれば良いのでしょう。沖縄だけで考えるのは、もう限界では......
Posted by ウチナー ムーク at 2006年04月13日 21:14
ウチナームークさん
ありがとう。
本土に持っていけばよい、私もそう思います。
できれば人があまり住んでいなくて自然が多いところ、なおかつ交通の便のよいところ・・あ、東京の皇居あたりが該当しますね。
それとも、私が住む広島だと、ちょうど宜野湾の普天間基地のように広島市のど真ん中、平和公園あたりがいい敷地ですね。冗談を抜きにしても沖縄の人々がどういう危険な暮らしを強いられていて、一方本土に住む私達はその実態も実感もわからずに暮らしているのか。
そういう中から沖縄に、もうすこし我慢してもらわないと、という他人ごとのような意見が出てくるのかもしれませんね。
でももう今の海兵隊の技術では沖縄に駐留させる必要性はほとんどないと専門家は言います。
沖縄、日本にいる必要は日本政府から多額の思いやり予算が出るからです。
その思いやり予算を、基地がなくなって暮らせなくならないように有効な土地活用ができるように使うというのが私の意見です。軍隊、基地という経済的に見れば付加価値を生まない(戦争でもやれば別ですが)所に資本を使うよりよっぽど経済活性化にも平和にも貢献すると思うのですが。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年04月14日 18:31
ご意見、有難うございました。基地問題を話せば、話は着きません、ただ、名護市長の選択も苦渋の選択だったと信じています。彼も沖縄で生まれ育ち、私よりも沖縄を知り、愛しているはずです、大和人が簡単に賛成、反対と言える問題では無いと思います。沖縄に必要なものは、経済的自立と人間性の回復だと思っています。民謡の歌詞のひとつひとつの言葉に感性、表現力、人間性、したたかさ、力強さが感じられる様に・・・・生意気な事を言いまして失礼しました。最後に「昔歌方ぬ ゆだる節々や ただ心ちくち 仇にしるな」登川誠仁作 歌の心より。
Posted by ウチナー ムーク at 2006年04月14日 23:13
たるーさん
お久しぶり
いっぺーがんじゅーや?

この唄、凄い

まず、「艦砲の食い残し」という言い方です.

一番の「やーんぐゎんすん'うやちょーでー」は家や御先祖様(とーとーめ、位牌、仏壇、墓)、親兄弟、友達、近所の人達、誰から誰まで、何から何まで全部という風に理解していたのですが、「ぐゎんす」は疎遠が正しいのでしょうか?

そうそう、ぐゎんすで思い出したんですが、「月夜の恋」という唄を玉城一美さんと嘉手苅林昌さんが歌った音源を聞いていたら.玉城一美さんが「えーあひがー」とやるところを、林昌さん♡、「ぐわんorがん」と入れたんですね.あの「ぐわん」もしくは「がん」はどういう意味なんでしょうか?

それから、四番は
あの恐ろしい戦が終わって年月が過ぎ、あのとき小さかった子供達も大きくなって平和になった今でも、手負いの獣が我が子の心配をするように夜中に涙を流してはっと目が覚めることが度々有る
と解釈していたのですが、考え過ぎですか?

「せんか」は米軍からかっぱらってきた食料や物品でしたか.負けた方が戦果を担いでくるとはどういうこと?と思ってました.
皆の為に食べ物や物を盗み出そうとして、MPや兵隊に見つかりしょっぴかれ、暴行を受けた様が目に浮かびますね、その行為は泥棒ではあるけど、飢えたり着るものも着られない収容所の皆の為と思ってやった.
「やーぐわーやかじぬ'うっとぅばち」はどう解釈したら良いのでしょうか?
風は爆風?
爆風で家も何もかも粉々になって吹っ飛ばされたってことですかね.
畑も取り上げられ、家も何も無いボロボロの状態.
だから、盗むしかなかったんですね、

いくさのことを歌った民謡は幾つも有りますが、やまとを恨んでけちょんけちょんにいう唄は知りません、

うちなあの人達の心の中は煮えたぎっていたんでしょうけど、

この唄を聴くといつも鳥肌がたって、姿勢を正してしまいます.
Posted by Ai-Nyai at 2010年03月17日 12:27
Ai-Nyaiさん

おひさしぶりです。
まったくそうですね。
あらためて歌詞を読み直し、この歌の持つ現代的意味、
というと薄っぺらくなりますが、いままさに普天間移転の問題が出ているときに、あの戦争の意味をもう一度振り返ることはとても大切なんだ、とあらためて思いました。
自分の文章を久しぶりに読み返して、正直「姿勢を正して」います。

「ぐゎんすん」、これはおっしゃるように「元祖」、おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさん・・・・と続くすべてのご先祖様のことです。
まったくの「打ち込み間違い」でした。sosenと打ちたかったのにsoenとなっていました(笑)
こういうふうに、昔の文章は丁寧に振り返る必要があるのですが、時間の忙しさと量の多さにかまけていました。
すこし時間をいただいてゆっくり見直してみたいと思います。、

月夜の恋の話題。うーむ、どういう意味でいわれたのか、すこし考えてみたい、と同時に音源を聴いてみたい気がします。

「やーぐゎ」の所は、戦後の話でありますから、粗末なバラック屋が、大風でも台風でも吹き飛ばされる様子ではないか、と思います。

昔はよく歌っていた、この歌ですが、最近はなぜか歌っていません。

昔の自分の思いというものをもう一度思い起こし「姿勢を正す」必要があるのかもしれません。

いろいろご指摘ありがとうございました。
Posted by たる~ at 2010年03月17日 23:17
たるーさん

指摘なんてとんでもない

最近、iPodシャッフルというのを買いまして、練習曲を繰り返し聞いております.

年をとると色んなことが聞き取り難く、車の中で聴くだけでは、ただでさえわからないウチナーグチが聞き取れず苦労していました.

iPodのおかげで目から鱗状態です.

この唄は「でいご娘」が歌っている音源で聴いているのですが、内容はわからず、ただ「あー良い唄だなあ」と感じておりました.

繰り返し聴くうちに、「凄い内容」であると理解し始めた次第です.

これからも、色々ご教示ください.
Posted by Ai-Nyai at 2010年03月19日 09:21
少し手直しさせていただきました。

これを機会に読み直し、唄いなおしてみました。
しみじみ感じるものがあります。

何回も聴くことはなによりまして大事ですね。

私は「聴きこむ」ことは「唄いこむ」より以上に時間をかけてもよいと思っています。だから電車や移動中は貴重ですね。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by たる~たる~ at 2010年03月25日 14:52
はじめまして。
沖縄で暮らすウチナンチュです。

先日の清明祭の週末の事ですが、
ラジオから、「艦砲の喰ぇぬくさー」
~というタイトルの曲が流れていました。

今年で七回忌を迎えた、うちの祖母がよく唄っていた曲で、
とても懐かしくなりまして。
どんな歌詞だったっけな…と、ネットで調べていましたら、
こちらに辿り着きました。

訳された歌詞に、とても頭の下がる想いです。
Posted by つむぎのぱーぱーつむぎのぱーぱー at 2010年04月23日 21:14
つむぎのぱーぱーさん
コメントありがとうございます。
頭が下がる、なんてとんでもありません。
お気づきの点ありましたらご指摘ください。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by たる~ at 2010年04月30日 09:49
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