2006年02月05日

越来節

越来節
ぐぃーく ぶし
gwiiku bushi
語句・ぐぃーく 沖縄県沖縄市越来(ごえく)。発音が難しい。「ぐいく」ではない。むしろ「ぎーく」に近く感じる。一音節である「gwi」の発音が現在の日本語にはない為。


1、越来よ間切にあてること文子富里がせることや(ユヤサー)(せることや)
ぐいくよーまじりにあてーるくとぅ てぃくぐふさとぅがせるくとぅや(ゆいやさー)

gwiiku yoo majiri ni 'ateerukutu tikugu husatu ga serukutu ya (yuiyasaa)(以下括弧は繰り返し 省略)
越来(は)間切にあったこと 文子富里がしたことは
語句・まじり間切。 市町村制になる以前の行政単位。・てぃくぐ 「文子」と書く。琉球王朝にあって地方の下級役人。身分は百姓(平民)。地方の下級役人には地頭代(じとぅーでー)、夫地頭(ぶーじとぅー)、捌理(さばくい)そして文子が置かれた。・せるくとぅやしたことは。


2、夜なべやがまやとんみぐて美童三人居るうちに
ゆーなーび やがまーや とぅんみぐてぃみやらびさんにん'うる'うちに
yuunabi yagama ya tuNmiguti miyarabi saNniN 'uru'uchini
夜なべの作業をしている宿娘(女子集会所)にちょっと寄り 美しい娘三人がいる家の中に
語句・ゆーなーび 「夜なべの作業」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)・やがまー 「いなかで娘たちが夜集まって仕事する場所。宿娘。一種の女子集会所」【沖辞】。・とぅんみぐてぃ <とぅんみぐゆん。「ちょっと寄る。ちょっと回って立ち寄る」【沖辞】。


3、うりからかぬしゃし呼び出ぢゃちでぃちゃでぃちゃ美童遊びかい
'うりからかぬしゃし ゆび'んじゃち でぃちゃでぃちゃみやらび'あしびかい
'urikara kanusyashi yubi'Njachi dichadicha miyarabi 'ashibikai
そこから恋人を呼び出して さあさあ 娘よ遊びに(行こう)
語句・かぬしゃし 愛らしい人。かなしゃんに「し shi」をつけたもの。恋人。・ゆびんじゃち 呼び出して。・でぃちゃでぃちゃ 「さあさあ。いざいざ」【沖辞】。誘いの呼びかけ。「でぃかでぃか」とも言う。


4、我身も遊びや好きやしが着ゆる着肌や親のかくぐ
わみん'あしびやしちやしが ちゆる ちふぁだや 'うやぬかくぐ
wamiN 'ashibi ya shichi yashiga chicyuru chihwada ya 'uya nu kakugu
私も遊びは好きだけど着ている着物は親の大切なもの
語句・ちふぁーだ 「衣類。着物。衣裳。肌につけるもの。」【沖辞】。「ちんちふぁーだ」とも言う。語句・うやぬかくぐ 「かくぐ」とは「大切にしまいこむこと。秘蔵。」【沖辞】。


5、富里が綿衣うちはじて ちいぢん心にうち着して
ふさとぅがわたじん 'うちはじてぃ ちじんくくるに'うちくしてぃ
husatu ga watajiN 'uchihajiti chijiN kukuru ni 'uchikushiti
富里は冬の礼服をさっと脱ぎ、ご機嫌な気持ちでさっと彼女に着せて
語句・わたじん 「冬の礼服。男女用」【沖辞】。・うちはじてぃ さっと脱いで。<うち。接頭語。+はじてぃ<はじゆん。「脱ぐ」【沖辞】。・ちじんぐくる ご機嫌な気持ちで。ちじん。機嫌。+ ぐくる<くくる。


6、ちゃがちゃが美童落着ちゃみ かふし富里よ落着ちゃさ
ちゃがちゃがみやらび'うてぃちちゃみ かふーしふさとぅよ'うてぃちちゃさ
chaaga chaaga miyarabi 'utichichami kahuushi fusatu yoo 'utichichasa
どうだい どうだい娘よ落ち着いたかい ありがとう富里よ、落ち着いたよ
語句・うてぃちちゃみ 落ち着いたか?<うてぃちちゃん。落ち着く。+み。 か?。・かふーし 「ありがとう。目下への感謝の語」【沖辞】。


7、うりからよいよい歩たれば山内前の坂なゆしかきて
'うりからよいよい'あゆたりば やまちめーぬふぃら なーゆしかきてぃ
'urikara yoiyoi 'ayutariba yamachi meenu hwira naa yushikakiti
それからふらふら歩いたら山内前の草原にもう近寄りかかり
語句・よいよい 「ゆっくり。そろそろ」。【沖辞】にはなかったが今帰仁方言データベースにある。・なー もう。


8、坂の高さや歩まらん たんで富里ようふぁし呉り
ふぃらぬたかさや'あゆまらん たんでぃふさとぅよー'うふぁしくぃいり
hwira nu takasa ya 'ayumaraN tandi fusatu yoo 'uhwasi kwiri
坂が急なので歩けない お願いだから富里よ おぶってちょうだい
語句・ふぃら 坂。古事記にも「比良」を坂としている。・たんでぃ 「どうか。どうぞ。」【沖辞】。・ 「おんぶ。人を背負うこと」【沖辞】。


9、我身も腰病でうふぁならぬ腰押しとらさば気張てあゆみ
わみんくしやでぃ'うふぁならん くし'うしとぅらさば ちばてぃ'あゆみ
wamiN kushiyadi 'uhwanaraN kushi'ushi turasaba chibati 'ayumi
私も腰痛でおぶれない 腰を押してやるからがんばって歩け
語句・くしやでぃ 腰痛。・うふぁならん おんぶできない。・くしうしとぅらさば 腰を押してあげるので。<とぅらさば<とぅらしゅん ~してやる。+ば。やるので。


10、この坂登らば話聞かすんど あの坂登らば話聞かさ
くぬふぃらぬぶらば はなしちかすんどー'あぬふぃらぬぶらばはなしちかさ
kunu hwira nuburaba hanashi chikasuNdoo 'anuhwira nuburaba hanashi chikasa
この坂道を登れば話を聞かせるよ あの坂道を登れば話聞かせよう


11、云ゆるうちするうちはちちゃれば 山内前の毛もゆしかきて
'いゆる'うちする'うちちゃーりば やまちめーぬもーんゆしかきてぃ
'iyuru 'uchisuru'uchichaariba yamachi meenu mooN yushikakiti
話ているうちに しているうちに来ちゃったので山内前の草原にも寄りかかって
語句・はちちゃーりばきてしまったので。<はちちゅーん。「来てしまう。来ちゃう。来るの意味を軽くいう語」【沖辞】。「ちゃーりば」・ゆしかきてぃ 近づきかけて。<ゆし<ゆしりゆん。「寄せる」近く。+かきてぃ<かきゆん。。。しかかる。


12、手ふいフィフィ吹ちたてて山内二才達もはい揃るて
てぃーふい ふぃーふぃー ふぃちたてぃてぃやまちにせたーんはいするてぃ
tiifui hwiihwii hwichitatiti yamachi nisetaaN haisuruti
手をふり指笛を上手に吹きならし山内村の青年たちも集まってきて
語句・てぃふい 手を振り。または指笛のことか。・ふぃーふぃー 指笛の音。


13、徳利古酒持ち寄せて昔百合の花盃に
とぅっくいふるざきむちゆしてぃ んかしゆりぬはなさかじちに
tukkui huruzaki muchiyushiti Nkashiyurinuhana sakajichini
徳利、古酒持ち寄って昔百合を花盃に注いで
語句・んかしゆりぬはな 泡盛の名前だろう。


14、廻らす匂いのしゅうらさや胡弓や三味線弾きたてて
みぐらすにういぬしゅらさや くぅちょーやさんしんふぃちたてぃてぃ
migurasu niwi nu syurasaya kuucyoo ya saNshiN hwichitatiti
めぐってくる匂いがいい 胡弓や三線を見事に弾いて
語句・みぐらす 「めぐらす。回す。」【沖辞】。・しゅらさ かわいらしい。愛らしい。<しゅーらーしゃん。・くーちょー 胡弓。


15、美童歌声のしゅうらさや二才達が舞方面白や
みやらび'うたぐいぬしゅらさやにせたーがめーかた'うむしるや
miyarabi 'utagui nu shurasa ya nisetaa ga meekata 'umushiruya
娘の歌声のかわいいことよ 青年達の舞方は面白い
語句・しゅらさ かわいらしい。愛らしい。<しゅーらーしゃん。・めーかた 今でも「舞方」というウタが残っており、これはモーアシビの時の「トーセー」という格闘技に使われたウタだ。詳細は後述。


16、今宵の遊びや出来ゆしが鶏やうたたいゆしまらぬ
くゆいぬ'あしびや でぃきゆしが とぅいや'うたたい ゆしまらぬ
kuyuinu 'ashibiya dikiyushiga tuiya 'utatai yushimaraN
今夜の遊びは盛り上がったが 鳥はうたったりして(帰る時間なので)ここには居られない
語句・でぃきゆしが <でぃきゆ<でぃきゆん。「㊀(学問などが)よくできる。㊁(農作物が)よくできる。㊂うまく行く。よくできる。成功する。また、上等に仕あがる。」【沖辞】。ここでは㊂が当てはまる。・ゆしまらん 止まれない。ここにはいられない。<ゆしぬん。「とどまる」【沖辞】。モーアシビは鶏が朝を告げる声で鳴く頃にお開きになる。


17、別る道唄恋しさや明日や面影たたんがや
わかるみち'うたくいしさや 'あちゃーや'うむかじたたんがや
wakaru michi'uta kuishisaya 'achaaya 'umukaji tataNgaya
別れの道唄 (あの娘が)恋しいことよ!明日は面影が立たないかねえ
語句・みちうた 文字通り歩きながら歌うウタ。モーアシビに行く道、帰る道でウタを歌ったという。それは気分を盛り上げるため、寂しさを紛らわすため、などいろいろな理由もあっただろう。・くいしさや 恋しいことよ!


モーアシビを歌物語にした越来節

中部越来での毛遊びを表現した唄。毛遊びはモーアシビと読む。
唄の形式は8575と琉歌の8886と和歌の575の融合形。
それで曲も少し口説調である。

越来の地方の下級役人である文子をしていた富里が娘を誘って毛遊びにでかけ、朝になるまでのことが描かれていて面白い。毛遊びの様子が目の前のことのようにのぞける。

曲は本調子の早弾き。嘉手苅林昌氏のCD「ジルー」に収録。


舞方について

さて、歌詞の15番に「舞方」が出てくる。
モーアシビの中で行われる娯楽の格闘技だ。その様子が今帰仁ミャークニー大会2001年のパンフレットにある。

『沖縄本島中部一帯では「トーセー」(倒しあい)と言う競技娯楽がある。「舞方」のスローテンポの三線に合わせ、男性2人がゆっくり立ち上がり向かい合う。娘たちは鼓と手拍子で雰囲気を盛り上げる。「トーセー」は相手の腕をつかみ、激しい動きで倒す格闘技。こぶしで殴ったり足で蹴り飛ばす事は違反となる。地域によっては手ぬぐいで顔を隠し対決することもあったと言う』
『「しまうたの流れ」収録より。ボーダーインク 仲宗根幸市著』
(今帰仁ミャークニー大会2001年10月19日のパンフレットより)

モーアシビのイメージ

このパンフレットには1930年代以前のモーアシビの様子が描かれている。この越来節の時代とは異なるのだが、重なるイメージもあるだろう。

『『しまうた』(一九二二年)所収「ヤンバル今帰仁のモーアシビ」玉城鎮夫

「兼次部落の毛遊び」
まず毛遊びについての呼称について
(イ)毛とは野原の呼称である。
(ロ)場所は第一条件として部落のはずれ
(ハ)部落民の安眠の妨害にならない距離その他地形の平坦地であること。
(二)月夜が多く実施され闇の夜の星空の下で、たまには灯火もあった(砂糖小屋の中で)
(ホ)時刻、夏は9時半ごろから10時ごろまでには集合した。その他の季節はそれより平均して1時間か1時間半くらい早く集まった。
(ヘ)製糖期や田植前後の準備と田植えの諸作業期には中断が多かった。
(ト)人員は20人から特別に多い時は30人くらい。
(チ)三味線弾きは二、三名が多かった。
(リ)集合隊形は男女対向と円座形で座った。
(ヌ)毛と雖も芝生や雑草の少ない所にはその近くから草を手で千切って敷いた。
(以下略)』

また「やがま」についても記述があり、昭和初期までは「農家の納屋、離れ(前ぬ家)や空家」などに青年があつまり男女交際やレクレーションの場であったという。

こうしたモーアシビや「やがま」は1930年代からの日本の軍国主義への傾注とともに「風紀を乱す」と言う名のものとに取り締まりの対象となり警察などによって存続できなくなった。

歌碑について

越来節の歌碑は二ヶ所ある。

十七番まである歌詞のうち前半は越来1丁目の駐車場にある。
以前は民家の庭にあり、見ることができないこともあった。



〒904-0001 沖縄県沖縄市越来1丁目1−31の付近
https://goo.gl/maps/DoW2aMuBKUy

後半の歌詞が描かれた歌碑は沖縄市山内自治会館の庭にある。

両方の拓本が「沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫」で見ることができる。


(前半の歌詞が書かれた越来1丁目の歌碑)


(後半が書かれた山内自治会館内の歌碑)



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Posted by たる一 at 00:35│Comments(7)か行沖縄本島
この記事へのコメント
おじゃまします。
7番の歌詞中、「よいよい」はわたしの印象では自らを軽く励ます掛け声といった感じです。「それから、よいこらよいこら歩いたら・・」とでもいった訳になりますか。
8番。「たんでぃ」は「たぬでぃ(頼んで)」から転じた表現でしょうね。
11番の「はちちゃりば」は、「はてぃ ちゃりば」ですよね。「はてぃ」は「はい(歩く、行く、走る)」の活用形で、同義語の「ちゃん」を重ねることで意味を強めている感じですね。
Posted by Hi Shy at 2006年02月07日 22:01
Hi Shyさん

たんでぃ は宮古の言葉にもありますが、琉球語辞典には、おっしゃられるように(<tanudi)とありました。

さらに琉球語辞典では(なぜ今頃この辞書がでてくるかという点は置いといて・・)
はちちゅーんhachicuunの(haciはciiやkeeと類義の接頭辞)とありました。

語源についても貴重な御意見、御示唆ありがとうございます。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年02月08日 19:04
「てぃふい」について
他の歌詞でも「手笛」とあり、知名定男さんの新しいCD「うたまーい」でもわざわざ指笛をバックに入れるというコリよう。
状況証拠は置いておいて、やはり「笛」は「ふぃ」とは発音しないし、手吹く、としても吹くは「ふちゅんfucuN」その活用形が「ふちfuchi」ならともかく「ふぃfui」になることは考えがたい。
振るの意味で「ふゆん」なのではないだろうかとあらためて思う。
Posted by せきひろし at 2006年02月15日 22:58
昼にたねもりさんから電話があり「手笛」はおかしい、当て字じゃないか。と。検討してくれるそうです。
Posted by せきひろし at 2006年02月24日 19:36
はじめまして。
国際通り三線店の牧野と申します。
私どものサイトの「歌碑巡り」のページで「越来節」を取り上げましたので、大意を記述する際に、貴サイトの訳と解説を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
こういう作業は初めてでなんとも手際が悪いのですが、「越来節」は話の面白さもあり、とても楽しいものでした。
これからも取り上げる唄によっては参考にさせていただくことになるかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 国際通り三線店 at 2006年09月29日 21:09
はじめまして。
国際通り三線店の牧野と申します。
私どものサイトの「歌碑巡り」のページで「越来節」を取り上げましたので、大意を記述する際に、貴サイトの訳と解説を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
こういう作業は初めてでなんとも手際が悪いのですが、「越来節」は話の面白さもあり、とても楽しいものでした。
これからも取り上げる唄によっては参考にさせていただくことになるかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 国際通り三線店 at 2006年09月29日 21:19
国際通り三線店さん
「越来節」の参考に使ってくださりありがとうございます。
私のこの仕事は、あくまで広島の方言研究家胤森弘タンメーサイの研究をベースにしています。私は彼の方法論を学び、それを真似、自分なりに工夫したものです。
私が見てきた歌の訳は、見る人にわかりやすくすることを第一にするために、語句の歴史的な意味を無視したり、不明な単語や活用を、主観(曲の全体のイメージからの想像)をまじえて「意訳」してしまうものがほとんどでした。
そのため、現代の感覚で訳された歌になったり、その歌の伝えたい心がそれていたり、まったく反対の意味になっていたりすることがたまにあります。

そのために分かりにくても、まず直訳で訳して語句の意味を掘り下げ、そこから意訳に発展させていく作業が必要です。

せっかく昔の人々が残してくれた財産、沖縄の文化を大切に伝えていくのは現代の私達の責任ですから。
国際通り三線店さんが今後も発展されていくことを願っています。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年10月01日 08:45
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