2013年05月18日
月と涙
月と涙
【つきとなみだ】(標準語読み)
歌 小浜守栄
何時ん云語れやヨ 契りていしちょてぃ恨みしや里が変わる心
いちんいかたれやヨ ちぢりていしちょてぃ うらみしや さとぅが かわるくくる
'IchiN 'ikatere ya yoo chijiri tei shichoti 'uramishi ya satu ga kawaru kukuru
◯いつも逢瀬では硬い約束をしたのに 恨めしいわ、貴方の変わる心が
語句・いかたれ <いかたれー。「(恋の)語らい、(男女の)契り」【琉球語辞典(半田一郎)】。「いかたれー」を「云語れ」と当て字にするが、それは「語らい」という意味でしかない。しかし、「かたれー」には「仲間に入ること;男女の一緒になる約束」【琉辞】という意味がある。「味方」の「かた」と同じ意味。・ちじり 「契り、硬い約束、前世からの縁」【琉辞】。
朝夕我が願げやヨ 愛し我が里とぅ比翼鴛鴦ぬ契りさだみ
あさゆわがにげやヨ かなしわがさととぅ ひゆくうしどぅいぬちぢりさだみ
'asayu waga nige ya yoo kanashi waga satu tu hiyukuushidui nu chijiri sadami
◯ 朝も夕も私の願いは 愛しい私の貴方と比翼オシドリのように生涯仲良く暮らす契りという定め
語句・あさゆ 一日中の意味。・ひゆくうしどぅい 「〔雌雄むつまじい〕鴛鴦(おしどり)」【琉辞】。 「比翼」(ひゆく)とは「〔雌雄それぞれ目と翼がひとつづつで〕常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。・さだみ 定め。
夢どぅまたやたみヨ 朝夕我が思い 露とぅ散り果てぃてぃ涙びけい
いみどぅまたやたみヨ あさゆわがうむい ちゆとぅちりはてぃてぃ なみだびけい
'Imi du mata yatami yoo 'asayu waga 'umui chiyu tu chirihatiti namida bikei
◯全くの夢でしかなかったのか 朝夕の私のあなたへの思いは露のように消え果てて私には泣くことしかない
語句・また 「全き、完全な」【琉辞】。再び、という意味もあるが。・びけい ばかり。
一人思み詰めてぃヨ照る月ゆ見りば さやか照る月ん涙に曇てぃ
ひちゅいうみちみてぃヨ てぃるちちゆみりば さやかてぃるちちん なだにくむてぃ
hichui 'umichimiti yoo tiru chichi yu miriba sayaka tiru chichiN nada ni kumuti
◯ひとり思い詰めて照る月をみると、鮮やかに照る月も涙に曇って
語句・さやか さえて明るい様。

「嘉手苅林昌 小浜守栄」というCDに収録されている。
小浜守栄氏は沖縄戦後に嘉手苅林昌氏らを引き連れて各地で民謡を披露してきた、いわば戦後沖縄民謡復興の立役者。
米軍基地で働きながら、当時は当たり前だった「戦果揚ぎゃー」(せんくゎあぎゃー;米軍の物質を盗み出す事)をしながら現在の民謡歌手の大先輩ともいえる人々を集めて、歌三線、沖縄民謡の復興の下支えをしたという。
先輩であった小浜守栄氏の声と林昌先生のそれとはこの当時非常に似ている。
もちろん三線の手も装飾も。
林昌先生の人気が高くなった頃、理由は不明だが民謡界から姿を
消したといわれている。
さてこの曲、意外と工工四もひろまっておらず、ゆったりした曲調で、失恋した女性の思いを歌っている。
そのうち工工四も興してみたい。
ちなみに題名は「つきとなみだ」というように標準語読み。このように表題はヤマトゥグチ(標準語)の沖縄のウタは少なくない。
もしウチナーグチ読みならば「ちちとぅみなだ」「ちちとぅなだ」だろう。
【つきとなみだ】(標準語読み)
歌 小浜守栄
何時ん云語れやヨ 契りていしちょてぃ恨みしや里が変わる心
いちんいかたれやヨ ちぢりていしちょてぃ うらみしや さとぅが かわるくくる
'IchiN 'ikatere ya yoo chijiri tei shichoti 'uramishi ya satu ga kawaru kukuru
◯いつも逢瀬では硬い約束をしたのに 恨めしいわ、貴方の変わる心が
語句・いかたれ <いかたれー。「(恋の)語らい、(男女の)契り」【琉球語辞典(半田一郎)】。「いかたれー」を「云語れ」と当て字にするが、それは「語らい」という意味でしかない。しかし、「かたれー」には「仲間に入ること;男女の一緒になる約束」【琉辞】という意味がある。「味方」の「かた」と同じ意味。・ちじり 「契り、硬い約束、前世からの縁」【琉辞】。
朝夕我が願げやヨ 愛し我が里とぅ比翼鴛鴦ぬ契りさだみ
あさゆわがにげやヨ かなしわがさととぅ ひゆくうしどぅいぬちぢりさだみ
'asayu waga nige ya yoo kanashi waga satu tu hiyukuushidui nu chijiri sadami
◯ 朝も夕も私の願いは 愛しい私の貴方と比翼オシドリのように生涯仲良く暮らす契りという定め
語句・あさゆ 一日中の意味。・ひゆくうしどぅい 「〔雌雄むつまじい〕鴛鴦(おしどり)」【琉辞】。 「比翼」(ひゆく)とは「〔雌雄それぞれ目と翼がひとつづつで〕常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。・さだみ 定め。
夢どぅまたやたみヨ 朝夕我が思い 露とぅ散り果てぃてぃ涙びけい
いみどぅまたやたみヨ あさゆわがうむい ちゆとぅちりはてぃてぃ なみだびけい
'Imi du mata yatami yoo 'asayu waga 'umui chiyu tu chirihatiti namida bikei
◯全くの夢でしかなかったのか 朝夕の私のあなたへの思いは露のように消え果てて私には泣くことしかない
語句・また 「全き、完全な」【琉辞】。再び、という意味もあるが。・びけい ばかり。
一人思み詰めてぃヨ照る月ゆ見りば さやか照る月ん涙に曇てぃ
ひちゅいうみちみてぃヨ てぃるちちゆみりば さやかてぃるちちん なだにくむてぃ
hichui 'umichimiti yoo tiru chichi yu miriba sayaka tiru chichiN nada ni kumuti
◯ひとり思い詰めて照る月をみると、鮮やかに照る月も涙に曇って
語句・さやか さえて明るい様。

「嘉手苅林昌 小浜守栄」というCDに収録されている。
小浜守栄氏は沖縄戦後に嘉手苅林昌氏らを引き連れて各地で民謡を披露してきた、いわば戦後沖縄民謡復興の立役者。
米軍基地で働きながら、当時は当たり前だった「戦果揚ぎゃー」(せんくゎあぎゃー;米軍の物質を盗み出す事)をしながら現在の民謡歌手の大先輩ともいえる人々を集めて、歌三線、沖縄民謡の復興の下支えをしたという。
先輩であった小浜守栄氏の声と林昌先生のそれとはこの当時非常に似ている。
もちろん三線の手も装飾も。
林昌先生の人気が高くなった頃、理由は不明だが民謡界から姿を
消したといわれている。
さてこの曲、意外と工工四もひろまっておらず、ゆったりした曲調で、失恋した女性の思いを歌っている。
そのうち工工四も興してみたい。
ちなみに題名は「つきとなみだ」というように標準語読み。このように表題はヤマトゥグチ(標準語)の沖縄のウタは少なくない。
もしウチナーグチ読みならば「ちちとぅみなだ」「ちちとぅなだ」だろう。
この記事へのコメント
はじめまして、まーふぃんと申します。
最近、三線のブログを始めました。
もしよろしかったらリンクさせて頂いてもよろしいでしょうか?
よろしくお願いします。
ちなみに、よく、たる―さんのブログで歌詞を観させていただいています。
ありがとうございます!
ぜひ見て行ってください♪
http://sanshinawamori.blog.fc2.com/
最近、三線のブログを始めました。
もしよろしかったらリンクさせて頂いてもよろしいでしょうか?
よろしくお願いします。
ちなみに、よく、たる―さんのブログで歌詞を観させていただいています。
ありがとうございます!
ぜひ見て行ってください♪
http://sanshinawamori.blog.fc2.com/
Posted by まーふぃん at 2013年05月25日 20:00
はじめまして。
ブログも拝見させてもらいました。
どうぞ、よろしかったらリンクしてください。
よろしくお願いします。
ブログも拝見させてもらいました。
どうぞ、よろしかったらリンクしてください。
よろしくお願いします。
Posted by たる一
at 2013年05月26日 07:12

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