2010年09月12日
浜育ち
浜育ち
はますだち
hama sudachi
〇浜育ち
一、ヨー我んね 生まりうてぃてぃから ヨー我んね あんまー居らん かなしさよ
よーわんねー んまりうてぃてぃから よーわんねー あんまーうらん かなしさよ
yoo waNnee 'Nmariti kara yoo waNnee 'aNmaa uraN kanashisa yoo
〇ねえ私は生まれ落ちてから ねえ私はお母さんが居ない 悲しいことよ
語句・わんねー 私は。<わん 私。+ や は。このように私(わん)が助詞と融合して形が変化する例は、[わーが](私が)。[わったー](私たち)。[わんにん](私も)。など。
二、悲しただ一人ぬ我った主 物見んだん 哀りさよ
かなしただちゅいぬわったすむぬんーだん 'あわりさよ
kanashi tada chui nu watta su munu NndaN 'awarisa yoo
〇悲しくもただ一人の私のお父さんは物が見えない かわいそうに
語句・んーだん 見えない。<んーじゅん。んじゅん。 見る。
三、浜千鳥や 友連りてぃ遊ぶ ヨー千鳥 我んね 親連れて釣りどする
はまちじゅや どぅしちりてぃ 'あしぶ よーちじゅや わんねー 'うやちりてぃ ちりどぅする
hamachijuya ya duchi chiriti 'ashibu yoo chijuya ya waNnee 'uya chiriti chiri du suru
〇浜千鳥は友達連れて遊ぶ ねえ千鳥よ 私は親連れて釣りをするだけ
語句・ちりどぅする 釣りをするだけ。直訳では「釣りこそする」だが、「どぅ」の用法には行為を限定する(「・・しかしていない」「・・するだけ」)こともある。
四、白波ぬ音ん ヨー我んね あんまー声とぅ思てぃ 我ね聞ちゅん
しらなみぬ'うとぅん よーわんねー あんまーくぃとぅむてぃ わねちちゅん
shiranami nu 'utuN yoo waNnee 'aNmaa kwi tumuti wane chichuN
〇白波の音も ねえ私は お母さんの声だと思って私聞くの
語句・くぃ 声。実際の発音は「くぃー」(kwii)。歌の中では「くぃ」と短縮されることが許される(詩的許容)。つまり一音節(kwi)となる。ヤマトゥンチュには難しい発音である。「く」と「き」の中間より「き」に近く聞える。
五、朝夕白波ぬ ヨー音とぅ浜千鳥共に我ね暮らす
'あさゆしらなみぬ よー'うとぅとぅ はまちどぅり とぅむにわねくらす
'asayuu shiranami nu yoo 'utu tu hamachiduri tumu ni wane kurasu
〇一日中白波の ねえ 音と浜千鳥と一緒に私は暮らす
はますだち
hama sudachi
〇浜育ち
一、ヨー我んね 生まりうてぃてぃから ヨー我んね あんまー居らん かなしさよ
よーわんねー んまりうてぃてぃから よーわんねー あんまーうらん かなしさよ
yoo waNnee 'Nmariti kara yoo waNnee 'aNmaa uraN kanashisa yoo
〇ねえ私は生まれ落ちてから ねえ私はお母さんが居ない 悲しいことよ
語句・わんねー 私は。<わん 私。+ や は。このように私(わん)が助詞と融合して形が変化する例は、[わーが](私が)。[わったー](私たち)。[わんにん](私も)。など。
二、悲しただ一人ぬ我った主 物見んだん 哀りさよ
かなしただちゅいぬわったすむぬんーだん 'あわりさよ
kanashi tada chui nu watta su munu NndaN 'awarisa yoo
〇悲しくもただ一人の私のお父さんは物が見えない かわいそうに
語句・んーだん 見えない。<んーじゅん。んじゅん。 見る。
三、浜千鳥や 友連りてぃ遊ぶ ヨー千鳥 我んね 親連れて釣りどする
はまちじゅや どぅしちりてぃ 'あしぶ よーちじゅや わんねー 'うやちりてぃ ちりどぅする
hamachijuya ya duchi chiriti 'ashibu yoo chijuya ya waNnee 'uya chiriti chiri du suru
〇浜千鳥は友達連れて遊ぶ ねえ千鳥よ 私は親連れて釣りをするだけ
語句・ちりどぅする 釣りをするだけ。直訳では「釣りこそする」だが、「どぅ」の用法には行為を限定する(「・・しかしていない」「・・するだけ」)こともある。
四、白波ぬ音ん ヨー我んね あんまー声とぅ思てぃ 我ね聞ちゅん
しらなみぬ'うとぅん よーわんねー あんまーくぃとぅむてぃ わねちちゅん
shiranami nu 'utuN yoo waNnee 'aNmaa kwi tumuti wane chichuN
〇白波の音も ねえ私は お母さんの声だと思って私聞くの
語句・くぃ 声。実際の発音は「くぃー」(kwii)。歌の中では「くぃ」と短縮されることが許される(詩的許容)。つまり一音節(kwi)となる。ヤマトゥンチュには難しい発音である。「く」と「き」の中間より「き」に近く聞える。
五、朝夕白波ぬ ヨー音とぅ浜千鳥共に我ね暮らす
'あさゆしらなみぬ よー'うとぅとぅ はまちどぅり とぅむにわねくらす
'asayuu shiranami nu yoo 'utu tu hamachiduri tumu ni wane kurasu
〇一日中白波の ねえ 音と浜千鳥と一緒に私は暮らす
誰がいつごろ作った歌なのか資料がない。
饒辺愛子さんのCD「決定版 肝がなさ節」に収録されている。
ネットで見ると、多くの歌手の方々が愛唱されている。
生まれた後母親がなくなり、父親は視覚障害がある。
海辺で育ち、浜千鳥と母親の声に聞える白波を友に淋しくくらしているのが「私」である。
三線は、一番、二番と微妙に工工四が異なっている。
琉歌形式ではなく、歌詞の長さがそれぞれ違う。
しかし、弾き歌ってみると情感も深く味わいが濃い。
饒辺愛子さんの歌も、情け深く、それを節々にうまく表現している。
「よー里前」という曲に歌いかえられて、全く別の歌詞(恋愛テーマ)になってもいる。
饒辺愛子さんのCD「決定版 肝がなさ節」に収録されている。
ネットで見ると、多くの歌手の方々が愛唱されている。
生まれた後母親がなくなり、父親は視覚障害がある。
海辺で育ち、浜千鳥と母親の声に聞える白波を友に淋しくくらしているのが「私」である。
三線は、一番、二番と微妙に工工四が異なっている。
琉歌形式ではなく、歌詞の長さがそれぞれ違う。
しかし、弾き歌ってみると情感も深く味わいが濃い。
饒辺愛子さんの歌も、情け深く、それを節々にうまく表現している。
「よー里前」という曲に歌いかえられて、全く別の歌詞(恋愛テーマ)になってもいる。
Posted by たる一 at 09:07│Comments(2)
│は行
この記事へのコメント
こんにちは。初めまして。
横浜のtoshiと申します。
「花米」の読みや意味を、調べていて、このブログに来ました。
とっても真面目に取り組んでいるブログなので、
素晴らしいと思いました。
三線をよく知らない素人ですが、
これからまた、
ブログを参考にさせて頂きながら、
自分の学びにつなげて行きたいと思います。
ブログ、頑張って下さい。
では。
横浜のtoshiと申します。
「花米」の読みや意味を、調べていて、このブログに来ました。
とっても真面目に取り組んでいるブログなので、
素晴らしいと思いました。
三線をよく知らない素人ですが、
これからまた、
ブログを参考にさせて頂きながら、
自分の学びにつなげて行きたいと思います。
ブログ、頑張って下さい。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年09月23日 12:24
横浜のtoshiさん、はじめまして。
返事、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
>とっても真面目に取り組んでいるブログなので、
>素晴らしいと思いました。
ありがとうございます。いろいろなかたから教えを受けて、やってきましたが未熟で不勉強ですから不十分なところだらけです。
なにかお気づきの点などありましたら遠慮なく、またコメントをください。
横浜のtoshiさんのblogも勉強させてもらってます。
頑張ってください!
返事、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
>とっても真面目に取り組んでいるブログなので、
>素晴らしいと思いました。
ありがとうございます。いろいろなかたから教えを受けて、やってきましたが未熟で不勉強ですから不十分なところだらけです。
なにかお気づきの点などありましたら遠慮なく、またコメントをください。
横浜のtoshiさんのblogも勉強させてもらってます。
頑張ってください!
Posted by たる一 at 2010年09月30日 08:17
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