2009年04月30日
久場山越路節 元歌 (八重山民謡)
久場山越路節 元歌
作 大浜英普
1、越地道ぬねぬらば 山道ぬ ねぬらば
くいちぃみちぃぬ ねぬらば やまみちぃぬ ねぬらば
kuichïmichï nu nenuraba yamachï nu nenuraba
○越地道がなかったなら 山道がなかったならば
2、越地道ん ありばど みしゃる 山道ん ありばど みしゃる
くいちぃみちぃん 'ありばどぅ みしゃる やまみちぃん 'ありばどぅみしゃる
kuichïmichïN 'ariba du misharu yamamichïN 'ariba du misharu
○越地道もあるから良いのだ 山道もあるから良いのだ
語句・みしゃる <みしゃーん 「①好ましい。心にかなう②満足できる③十分でないがまずまずの程度である」【石辞】。「どぅ」との係り結びで連体形。
3、なうしきぬ 越地道 いかしきぬ 越地道
のーしきぬくいちぃみちぃ 'いかしきぬくいちぃみちぃ
noochiki nu kuichïmichï 'ikashiki nu kuichïmichï
○何ゆえの越地道であるのか どのような越地道であるのか
語句。のーしき <のーしきー のーしき。 「何故。なにゆえ。どうして。」【石辞】。 表記と発音の差異があるので、実際には「なうしき」と歌われたのか「のーしき」なのかわからない。
4、ふんだしぬ 越地道 薙い通ふしぬ山道
ふんだしぬくいちぃみちぃ ないどーしぬやまみちぃ
huNdashi nu kuichïmichï naidooshi nu yamamichï
○踏んだような越地道 草をなぎ倒したような山道
語句・ふんだしぬ < ふむん 踏む。 ・ないどーし <なぎどーしん なぎ倒す。
5、越地道ぬ長ぬまま 山道ぬ幅ぬ儘
くいちぃみちぃぬなぎぬまま やまみちぃぬはばぬまま
kuichïmichï nu nagi nu mama yamamichï nu haba nu mama
○越地道の長さのまま 山道の幅のまま
6、糸はゆて ちかいす 布はゆて おはらす
'いちゅはゆてぃ ちかいす ぬぬはゆてぃ 'おはらす
'ichu hayuti chikaisu nunu hayuti 'iharasu
○絹を張って 案内します 布張って 「ご案内します」
語句 ・ちかいす <ちぃかいしぃうん 案内する。 後の「おはらす」は語句が辞書にみあたらない。対句で「ちかいす」とほぼ同意だと見て「案内する」とする。
7、たるだると(※) ちかいす ぢりぢりどおはらす
(※「八重山島民謡誌」には「と」とあるが、「どぅ」の誤植だろう)
たるだるどぅちかいす じりじりどぅ'おはらす
tarudaru du chikaisu jirijiri tu 'oaharasu
○誰々をご案内するか どの方たちを「ご案内」するのか
語句・じりじり <じり 「どれ。いずれ。『いずれ』の『い』の脱落した形。「じりじり」(「どれ」の複数形。
8、野底主ど ちかいす 目差主ど おはらす
ぬすくしゅどぅちかいす みざしぃしゅどぅおはらす
nusuku shu du chikaisu mizashïshu du 'oharasu
○野底村の与人(村長)をご案内するのだ 目差主をご案内するのだ
作 大浜英普
1、越地道ぬねぬらば 山道ぬ ねぬらば
くいちぃみちぃぬ ねぬらば やまみちぃぬ ねぬらば
kuichïmichï nu nenuraba yamachï nu nenuraba
○越地道がなかったなら 山道がなかったならば
2、越地道ん ありばど みしゃる 山道ん ありばど みしゃる
くいちぃみちぃん 'ありばどぅ みしゃる やまみちぃん 'ありばどぅみしゃる
kuichïmichïN 'ariba du misharu yamamichïN 'ariba du misharu
○越地道もあるから良いのだ 山道もあるから良いのだ
語句・みしゃる <みしゃーん 「①好ましい。心にかなう②満足できる③十分でないがまずまずの程度である」【石辞】。「どぅ」との係り結びで連体形。
3、なうしきぬ 越地道 いかしきぬ 越地道
のーしきぬくいちぃみちぃ 'いかしきぬくいちぃみちぃ
noochiki nu kuichïmichï 'ikashiki nu kuichïmichï
○何ゆえの越地道であるのか どのような越地道であるのか
語句。のーしき <のーしきー のーしき。 「何故。なにゆえ。どうして。」【石辞】。 表記と発音の差異があるので、実際には「なうしき」と歌われたのか「のーしき」なのかわからない。
4、ふんだしぬ 越地道 薙い通ふしぬ山道
ふんだしぬくいちぃみちぃ ないどーしぬやまみちぃ
huNdashi nu kuichïmichï naidooshi nu yamamichï
○踏んだような越地道 草をなぎ倒したような山道
語句・ふんだしぬ < ふむん 踏む。 ・ないどーし <なぎどーしん なぎ倒す。
5、越地道ぬ長ぬまま 山道ぬ幅ぬ儘
くいちぃみちぃぬなぎぬまま やまみちぃぬはばぬまま
kuichïmichï nu nagi nu mama yamamichï nu haba nu mama
○越地道の長さのまま 山道の幅のまま
6、糸はゆて ちかいす 布はゆて おはらす
'いちゅはゆてぃ ちかいす ぬぬはゆてぃ 'おはらす
'ichu hayuti chikaisu nunu hayuti 'iharasu
○絹を張って 案内します 布張って 「ご案内します」
語句 ・ちかいす <ちぃかいしぃうん 案内する。 後の「おはらす」は語句が辞書にみあたらない。対句で「ちかいす」とほぼ同意だと見て「案内する」とする。
7、たるだると(※) ちかいす ぢりぢりどおはらす
(※「八重山島民謡誌」には「と」とあるが、「どぅ」の誤植だろう)
たるだるどぅちかいす じりじりどぅ'おはらす
tarudaru du chikaisu jirijiri tu 'oaharasu
○誰々をご案内するか どの方たちを「ご案内」するのか
語句・じりじり <じり 「どれ。いずれ。『いずれ』の『い』の脱落した形。「じりじり」(「どれ」の複数形。
8、野底主ど ちかいす 目差主ど おはらす
ぬすくしゅどぅちかいす みざしぃしゅどぅおはらす
nusuku shu du chikaisu mizashïshu du 'oharasu
○野底村の与人(村長)をご案内するのだ 目差主をご案内するのだ
「つぃんだら節」のチラシに久場山越路節がなる前の、
本歌がこの歌詞である。
大浜英普が野底村の与人役のときに作った唄だという。
この歌詞の出典は「八重山島民謡誌」(喜舎場永珣著)である。
この本は1924年(大正十三年)に出版された本であるから、実に80年以上も前の記述である。
したがって古い表記に、印刷の汚れ、誤植と思われる箇所もいくつかある。
3番「なうしきぬ」は「のーしきぬ」と現在の石垣方言でよいのか、古い発音であったのか不明。
表記、発音について
小濱光次郎氏の「八重山の古典民謡集」にも歌詞が載っているが、いくつか相違点がある。
小濱氏 喜舎場永珣氏
2番 みしゃり みしゃる
3番 なうしきぬ (発音仮名なしなので、こう読むのか?)
4番 ふんとぅしぃ なぎとぅし ふんだしぬ 薙い通ふしぬ
6番 いちゅば ぬぬば 糸はゆて 布
7番 たるだるどぅ たるだると
2番は「どぅ」との係り結び用法なので最後は「る」となるのが自然。
3番は、小濱氏のほうには発音表記がここにはないので、そのまま読むようになるのだが、これは不自然。
4から7番は、どちらもありうる。
意味について
喜舎場永珣氏の訳はこうである。
「久場山越地という峠がなかったなぁ!!然しこの曲がりくねった険しい峠もないよりか有るほうがましだ。これ位の峠が何ほどの山道であるか。自然と踏み倒し薙ぎ倒して人が通てゐる位の峠であるのさ。この峠の道一杯に糸や布を引き延べて。どんな人、どんな御方を御通しませうねえ。野底在勤の與人並に目差役人をこの上から御供いたしませう」
私の拙訳。
越地道がなかったなら 山道がなかったならば
越地道もあるから良いのだ 山道もあるから良いのだ
何ゆえの越地道であるのか どのような越地道であるのか
踏んだような越地道 草をなぎ倒したような山道
越地道の長さのまま 山道の幅のまま
絹を張って 案内します 布張って 「ご案内します」
誰々をご案内するか どの方たちを「ご案内」するのか
野底村の与人(村長)をご案内するのだ 目差主をご案内するのだ
喜舎場訳の「野底在勤の與人並に目差役人をこの上から御供いたしませう」が気になる。
なぜ、「與人」をお迎えするのではなく、「與人並」に「目差主を」となるのか?
本島の久場山越地節までの流れ
時系列で歌詞の変遷を追ってみる。
1、「久場山越路節」大浜英普作 1836年以後の作品。
↓
2、「久場山越路節」 八重山民謡。つぃんだら節のチラシ 時代は不明。
(つぃんだら節は 作が黒島英任〔1685~1768〕の作品。)
↓
3、「桃売り姉小」 1914年頃。
↓
4、「久場山越地節」 本島 作詞、小浜守栄〔1911~〕。おそらく戦後の作品。
という流れとなる。2の歌詞は、「つぃんだら節」の歌詞なので、久場山越路節より古いが、今回とりあげた歌詞は「捨てられて」「つぃんだら節」の歌詞を載せることで歌が「生き返った」といえないだろうか。
そして、1900年代に入り、沖縄の歌劇ブームのなかで「桃売り姉小」と本島で姿を変える。
さらに、戦後になり、民謡ブームのなかで「久場山越地節」となる。
本島の2曲は、曲のエッセンスは取り入れながらも、八重山民謡とはまた別の曲に変わっているといえる。
こうした歌の「使いまわし」は沖縄民謡だけではないが、そのことで歌が再生、広がりを見せていることが面白い。
古典曲でも、実はこうした「歌の使いまわし」で生まれたものも多く、
沖縄民謡の力強さを現す一つの例といえるかもしれない。
本歌がこの歌詞である。
大浜英普が野底村の与人役のときに作った唄だという。
この歌詞の出典は「八重山島民謡誌」(喜舎場永珣著)である。
この本は1924年(大正十三年)に出版された本であるから、実に80年以上も前の記述である。
したがって古い表記に、印刷の汚れ、誤植と思われる箇所もいくつかある。
3番「なうしきぬ」は「のーしきぬ」と現在の石垣方言でよいのか、古い発音であったのか不明。
表記、発音について
小濱光次郎氏の「八重山の古典民謡集」にも歌詞が載っているが、いくつか相違点がある。
小濱氏 喜舎場永珣氏
2番 みしゃり みしゃる
3番 なうしきぬ (発音仮名なしなので、こう読むのか?)
4番 ふんとぅしぃ なぎとぅし ふんだしぬ 薙い通ふしぬ
6番 いちゅば ぬぬば 糸はゆて 布
7番 たるだるどぅ たるだると
2番は「どぅ」との係り結び用法なので最後は「る」となるのが自然。
3番は、小濱氏のほうには発音表記がここにはないので、そのまま読むようになるのだが、これは不自然。
4から7番は、どちらもありうる。
意味について
喜舎場永珣氏の訳はこうである。
「久場山越地という峠がなかったなぁ!!然しこの曲がりくねった険しい峠もないよりか有るほうがましだ。これ位の峠が何ほどの山道であるか。自然と踏み倒し薙ぎ倒して人が通てゐる位の峠であるのさ。この峠の道一杯に糸や布を引き延べて。どんな人、どんな御方を御通しませうねえ。野底在勤の與人並に目差役人をこの上から御供いたしませう」
私の拙訳。
越地道がなかったなら 山道がなかったならば
越地道もあるから良いのだ 山道もあるから良いのだ
何ゆえの越地道であるのか どのような越地道であるのか
踏んだような越地道 草をなぎ倒したような山道
越地道の長さのまま 山道の幅のまま
絹を張って 案内します 布張って 「ご案内します」
誰々をご案内するか どの方たちを「ご案内」するのか
野底村の与人(村長)をご案内するのだ 目差主をご案内するのだ
喜舎場訳の「野底在勤の與人並に目差役人をこの上から御供いたしませう」が気になる。
なぜ、「與人」をお迎えするのではなく、「與人並」に「目差主を」となるのか?
本島の久場山越地節までの流れ
時系列で歌詞の変遷を追ってみる。
1、「久場山越路節」大浜英普作 1836年以後の作品。
↓
2、「久場山越路節」 八重山民謡。つぃんだら節のチラシ 時代は不明。
(つぃんだら節は 作が黒島英任〔1685~1768〕の作品。)
↓
3、「桃売り姉小」 1914年頃。
↓
4、「久場山越地節」 本島 作詞、小浜守栄〔1911~〕。おそらく戦後の作品。
という流れとなる。2の歌詞は、「つぃんだら節」の歌詞なので、久場山越路節より古いが、今回とりあげた歌詞は「捨てられて」「つぃんだら節」の歌詞を載せることで歌が「生き返った」といえないだろうか。
そして、1900年代に入り、沖縄の歌劇ブームのなかで「桃売り姉小」と本島で姿を変える。
さらに、戦後になり、民謡ブームのなかで「久場山越地節」となる。
本島の2曲は、曲のエッセンスは取り入れながらも、八重山民謡とはまた別の曲に変わっているといえる。
こうした歌の「使いまわし」は沖縄民謡だけではないが、そのことで歌が再生、広がりを見せていることが面白い。
古典曲でも、実はこうした「歌の使いまわし」で生まれたものも多く、
沖縄民謡の力強さを現す一つの例といえるかもしれない。
Posted by たる一 at 10:54│Comments(4)
│か行
この記事へのコメント
初めまして,検索エンジンより
訪問させて頂きました!
とても興味深い記事ですね。
また拝見させて頂きます。
訪問させて頂きました!
とても興味深い記事ですね。
また拝見させて頂きます。
Posted by 真夜(ノコギリヤシ愛好家) at 2009年05月28日 21:25
真夜(ノコギリヤシ愛好家) さん
コメントありがとうございます。
またごらんくださいね。
コメントありがとうございます。
またごらんくださいね。
Posted by たるー(せきひろし) at 2009年05月31日 09:01
久場山越地の舞踊曲歌詞は黒島での発祥です、実際黒島の歌詞の方が長いです「仲本辰雄ないし玉代勢泰興版の黒島民謡工工四」を見てみて下さい。
あと言葉遣いや仮名遣いに関しては漠然と「石垣方言」と言われても中心地たる「四箇村(字)」たる「石垣」「登野城」「新川」「大川」の間に小さな違いから大きな違いも存在します、なので「単語の意味」を重視なされるべきかと思います。
細かな語彙ばかり追っていると字が大きい「宮良」や「白保」などの方言の扱いに大変なる苦慮をする羽目になります。 ちなみに石垣島内でも「中舌母音」が存在しない、ないし使う事が稀有な字もありますので、あまり重視すべき案件ではない気がします。
歌詞が乗っていた工工四や歌詞集を軸に考えられ、字により違う可能性のある小さな語彙の違いなどは良くありますので、まず著者が何字生まれなのか?自分が聴いている音源は何字の系統なのか?
ここに注目すべきでしょうね。
あと言葉遣いや仮名遣いに関しては漠然と「石垣方言」と言われても中心地たる「四箇村(字)」たる「石垣」「登野城」「新川」「大川」の間に小さな違いから大きな違いも存在します、なので「単語の意味」を重視なされるべきかと思います。
細かな語彙ばかり追っていると字が大きい「宮良」や「白保」などの方言の扱いに大変なる苦慮をする羽目になります。 ちなみに石垣島内でも「中舌母音」が存在しない、ないし使う事が稀有な字もありますので、あまり重視すべき案件ではない気がします。
歌詞が乗っていた工工四や歌詞集を軸に考えられ、字により違う可能性のある小さな語彙の違いなどは良くありますので、まず著者が何字生まれなのか?自分が聴いている音源は何字の系統なのか?
ここに注目すべきでしょうね。
Posted by くがなー at 2011年11月28日 20:17
くがなーさん
いつもコメントありがとうございます。
勉強になりますし、今後も参考にさせていただきたいと思います。
いつもコメントありがとうございます。
勉強になりますし、今後も参考にさせていただきたいと思います。
Posted by たる一 at 2011年12月21日 23:53
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