2007年04月07日

デンサー節 (本島民謡)

デンサー節 (本島民謡)
でんさーぶし
deNsaa bushi
語句・でん「げに」「実に」男の年寄りが使用する八重山口・さー「さ」「よ」八重山口。この歌は八重山の「でんさー節」を元に本島の言葉で作り直したもの。「でんさー」は「まことによ」くらいの意味。

一、デンサー節作て童ん達に詠まち世間の戒み なゆしど我んね願ゆる(デンサー)
でんさーぶしちゅくてぃ わらびんちゃーにゆまち しきんぬ'いましみ なゆしどぅ わんねにがゆる(でんさー)
deNsaa bushi chukuti warabiNchaa ni yumachi shikiN nu 'imashimi nayushi du waNnee nigayuru (deNsaa)
デンサー節を作って子どもたちに詠ませ(歌わせ)世間の戒め(を)できるようにすること私は願っている(まことによ)
(以下囃子は略す)
語句・なゆしできるようにすること<なゆん(なる、出来る)+し(動詞を名詞化する。・・すること)


二、かわ油断する女 道油断する女 うりからど夫も油断しみゆる
かわゆだんするういなぐ みちゆだんするういなぐ 'うりからどぅ うとぅん ゆだんしみゆる
kawa yudaN suru winagu michi yudaN suru winagu 'urikara du utuN yudaN shimiyuru
井戸(を)油断する女 道(を)油断する女 それから夫も油断させるのだ
語句・かわ井戸の文語。「かー」とも。「川」は「かーら」。・しみゆるさせる<しみゆん の連体形(どぅ、との係り結び)・うとぅ夫。発音に注意。「う」が声門破裂音ではない。「うとぅ」は「夫」。「'うとぅ」は「音」発音で区別する。


三、夫や家の中柱 女や家の鏡 黒木柱と鏡や 家内のすなわい
うとぅややーぬなかばしら うぃなぐややーぬかがん くるきばしらとぅかがんや ちねーぬすなわい
utu ya yaa nu nakabashira winagu ya yaa nu kagaN kuruki bashira tu kagaN ya chinee nu sunawai
夫は家の中柱 女は家の鏡 黒木柱と鏡は家庭の備え
語句・ちねー家庭・すなわい備え


四、艫高船や島とらん 肝高女や家持たん どくの肝高さ はいにるくるぶる
とぅむだかふにや しまとぅらん ちむだかうぃなぐや やーむたん どぅく ぬ ちむだかさ はいにる(
どぅ)くるぶる
tumu daka huni ya shima turaN chimudaka winagu ya yaa mutaN duku nu chimudakasa hai ni ru(du) kuruburu
船尾(艫)が高い船は島に着けない 気高い女は家もてあそび ひどく気高いのは 走ってころぶようなものだ
語句・とぅむ船の船尾・とぅらん着かない <とぅゆん 船が港に着く の否定・ちむだか気高い <ちむだかさん 高慢な 気高い・むたんもてあそび もてあそぶこと 「むちゅん」(持たない、維持しない)ではないことに注意。


五、物言らばつぃつぃしみよ 口の外出ぢゃすなよ 出ぢゃち後からや 呑みやならぬ
むぬ'いらばちちしみよ くちぬふか'んじゃすなよ 'んじゃち'あとぅから ぬみやならん
munu 'iraba chichishimi yo kuchi nu huka 'Njyasuna yo 'Njachi 'atu kara numi ya naraN
物を言うなら つつしめよ 口の外に出すなよ 出た後から飲むことはできない
語句・ちちしみ慎め <ちちしぬん、ちちしむん 慎む の命令形 

(コメント)
デンサー節、といえば八重山民謡だがこれは本島の「デンサー節」
イサヘイヨーのちらしの「デンサー節」とは歌詞が違う。
あれは恋の歌。
本島の人々は、これすらも本島の言葉、曲調に変え、芝居に舞台に楽しむ。
内容は、どちらも教訓歌。
後日、八重山の「デンサー節」も取り上げる予定なので比較してみると面白い。

上の五番は八重山の「デンサー節」にもそっくりある。

「でんさー」とは、八重山の男の年寄りが言う言葉で「げに」「実に」「誠に」という意味の「でん」に「さー」という「さ」「よ」という意味の言葉がくっついている。
「実にそうであるよ」とか「まったくそうだよ」という共感の歌、ということになろうか。
本島にも「ジントーヨー節」というものがあるが、「順当」からきたという、「そうだよねえ」「まったくだ」という共感をあらわす意味では同じ。
こういう共感をあらわす民謡は沖縄だけでなく、本土にも多い。

デンサー節の内容をみてすべて納得できる「規範」というわけではない。
しかし、社会の「規範」を示して、歌とし、年寄りが若いものに歌って聞かせる。
そういう関係は、もう今すたれてしまった。「歌」という文化が、人々のひとつのよりどころになっていた時代が過去にあったのだ。
それを知るだけでも私たちにはいい「教訓」だと思う。

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Posted by たる一 at 00:19│Comments(0)た行
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