2012年10月14日
黒石森城節
黒石森城節
くるしむいぐしくぶし
kurushi mui gushiku bushi
◯黒石森城(久米島の地名)の歌
語句・くるしむいぐしく 久米島にあり、航海安全を願う聖地の名前。
一、黒石森ヨ城風ぬむとぅでむぬ シタリ明日になる御風 今日にたぼり ササカリユシド
くるしむいよぐしく かじぬむとぅでむぬ したり あちゃになるみかじ きゆにたぼり ささかりゆしど
kurushimui(yo)gushiku nu mutu demunu (shitari) 'acha ni naru mikaji kiyu ni tabori (sasa kariyushi doo)
※以下囃子言葉は省略。
◯黒石森城は風の元(よい風を送る場所)であるから 明日吹く順風を今日に吹かせてください
語句・したり 囃子言葉。意味は「よくやった!でかした!」「ほらやった!」【琉辞】。・でむぬ …だから。…なので。「旧かな‘で[だい]もの’;d(u)+ja〔<jan〕+munu」【琉球語辞典】(注:琉球語辞典では「ja」は「ya」。)つまり強調の「どぅ」+は。「や」+もの「munu」。ささかりゆしど 囃子言葉。意味は「ささ 航海は安全だぞ」。「かりゆし」は「めでたい〔縁起の良い〕こと」。「嘉[佳]例吉[かれよし]」【琉辞】。航海の安全を願う古い呪術用語だといわれている。「かりゆし」と言葉を発することで「良い縁起」を招くと信じられていた。短縮して「かりー」ともいう。
二、先見りば港 後見りば御風 くりふどぬ御風 今度はじみ
さちみりばんなとぅ あとぅみりばみかじ くりふどぅぬみかじ くんどぅはじみ
sachi miriba Nnatu 'atu miriba mikaji kuruhudu nu mikaji kuNdu hajimi
◯前をみると港 後ろを見れば順風 これほどの順風は今回がはじめてだ
三、今日や真謝泊 明日や那覇港 あさてぃ首里登てぃ按司主拝ま
きゆやまじゃどぅまい あちゃやなふぁんなとぅ しゅいぬぶてぃあじしゅうがま
kiyu ya majadumai 'acha ya nahwa Nnatu shui nubuti 'ajishu 'ugama
◯今日は久米島の真謝泊(地名)明日は那覇港 あさっては首里に上って按司様にお会いしよう
語句・まじゃどぅまい 久米島の港、現在は真謝港。・あじ 「もと地方各地に城を構えて割拠した支配者;15世紀末の中央集権化以降、王子の次、親方[weekata]の上にあたる位階名。」【琉辞】。
前回に続いて久米島の民謡をとりあげた。
音源はこれも前回と同じ徳原清文氏の「琉球民謡 徳原清文の世界」
参考にした「島うた紀行」(仲宗根幸市)には
「久米島と那覇を往来する航海祈願の旅歌。古典調の難曲。古くは三線伴奏のともなわない素歌(すうた)であったようだ。ウスデーク歌にその源流を求めることができそうである」
旅歌については「だんじゅかりゆし」を参照。
簡単に言えば琉球王府の公務などで中国(唐)や江戸、薩摩に旅する士族の家族、親族がその無事の帰国を祈る歌を旅歌と言い、琉球王朝の聞得大君や神仏に祈る踊合(ウドゥエー)やヤラシーなどで歌われた。
これを書いてから、2012年10月28日に久米島へ旅をした。
レンタカーを借りて島を回って黒石森城を探した。道を歩く方に聞きつつ、地図を見ながら、くねくねの山道を一人で運転するには少し勇気が必要だった。
松が鬱蒼としげる高台の上に、黒い岩が海を眺めるように突き出ている。
この辺りが黒石森城だ。
台風で倒木がひどく、道の半分が通行出来ないところで、もう引き返そうか、と思ったが歌碑がない、もう少し、と車を進めるとそこにあった。
感無量。
くるしむいぐしくぶし
kurushi mui gushiku bushi
◯黒石森城(久米島の地名)の歌
語句・くるしむいぐしく 久米島にあり、航海安全を願う聖地の名前。
一、黒石森ヨ城風ぬむとぅでむぬ シタリ明日になる御風 今日にたぼり ササカリユシド
くるしむいよぐしく かじぬむとぅでむぬ したり あちゃになるみかじ きゆにたぼり ささかりゆしど
kurushimui(yo)gushiku nu mutu demunu (shitari) 'acha ni naru mikaji kiyu ni tabori (sasa kariyushi doo)
※以下囃子言葉は省略。
◯黒石森城は風の元(よい風を送る場所)であるから 明日吹く順風を今日に吹かせてください
語句・したり 囃子言葉。意味は「よくやった!でかした!」「ほらやった!」【琉辞】。・でむぬ …だから。…なので。「旧かな‘で[だい]もの’;d(u)+ja〔<jan〕+munu」【琉球語辞典】(注:琉球語辞典では「ja」は「ya」。)つまり強調の「どぅ」+は。「や」+もの「munu」。ささかりゆしど 囃子言葉。意味は「ささ 航海は安全だぞ」。「かりゆし」は「めでたい〔縁起の良い〕こと」。「嘉[佳]例吉[かれよし]」【琉辞】。航海の安全を願う古い呪術用語だといわれている。「かりゆし」と言葉を発することで「良い縁起」を招くと信じられていた。短縮して「かりー」ともいう。
二、先見りば港 後見りば御風 くりふどぬ御風 今度はじみ
さちみりばんなとぅ あとぅみりばみかじ くりふどぅぬみかじ くんどぅはじみ
sachi miriba Nnatu 'atu miriba mikaji kuruhudu nu mikaji kuNdu hajimi
◯前をみると港 後ろを見れば順風 これほどの順風は今回がはじめてだ
三、今日や真謝泊 明日や那覇港 あさてぃ首里登てぃ按司主拝ま
きゆやまじゃどぅまい あちゃやなふぁんなとぅ しゅいぬぶてぃあじしゅうがま
kiyu ya majadumai 'acha ya nahwa Nnatu shui nubuti 'ajishu 'ugama
◯今日は久米島の真謝泊(地名)明日は那覇港 あさっては首里に上って按司様にお会いしよう
語句・まじゃどぅまい 久米島の港、現在は真謝港。・あじ 「もと地方各地に城を構えて割拠した支配者;15世紀末の中央集権化以降、王子の次、親方[weekata]の上にあたる位階名。」【琉辞】。
前回に続いて久米島の民謡をとりあげた。
音源はこれも前回と同じ徳原清文氏の「琉球民謡 徳原清文の世界」
参考にした「島うた紀行」(仲宗根幸市)には
「久米島と那覇を往来する航海祈願の旅歌。古典調の難曲。古くは三線伴奏のともなわない素歌(すうた)であったようだ。ウスデーク歌にその源流を求めることができそうである」
旅歌については「だんじゅかりゆし」を参照。
簡単に言えば琉球王府の公務などで中国(唐)や江戸、薩摩に旅する士族の家族、親族がその無事の帰国を祈る歌を旅歌と言い、琉球王朝の聞得大君や神仏に祈る踊合(ウドゥエー)やヤラシーなどで歌われた。
これを書いてから、2012年10月28日に久米島へ旅をした。
レンタカーを借りて島を回って黒石森城を探した。道を歩く方に聞きつつ、地図を見ながら、くねくねの山道を一人で運転するには少し勇気が必要だった。
松が鬱蒼としげる高台の上に、黒い岩が海を眺めるように突き出ている。
この辺りが黒石森城だ。
台風で倒木がひどく、道の半分が通行出来ないところで、もう引き返そうか、と思ったが歌碑がない、もう少し、と車を進めるとそこにあった。
感無量。
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