2012年04月01日

瓦屋節

瓦屋節
からやぶし
karaya bushi
瓦屋の唄
語句・からや 「からやー」と呼ぶことも多い。昔朝鮮人陶工が瓦を焼いていた場所が「瓦屋」と呼ばれていた。那覇の湧田にあるという説などがあるが定説はない。

【舞踊】

押す風も今日や心あてさらめ雲はれて照らす月の清らさ
うすかじんきゆや くくるあてぃさらみ くむんはりてぃてぃらすちちぬちゅらさ
'usukajiN kiyu ya kukuru 'ati sarami kumuN hariti tirasu chichi nu churasa
そよ風も今日は心があるようだ 雲が晴れて照らす月の美しいことよ!
語句・うすかじ そよ風。順風。「‘押す風’と書かれるが‘薄[うす]風’と‘押し風’との混成か」【琉辞】。・さらみ ・・であろうぞ。・・ようだ。

【本歌】

瓦やつぢのぼて 真南向かて見れば 島の浦ど見ゆる 里や見らぬ
からやちじぬぶてぃ まふぇんかてぃみりば しまぬうらどぅみゆる さとぅやみらん
karaya chiji nubuti shima nu 'ura du miyuru satu ya miraN
瓦屋の丘の上に登り真南に向かって見ると 村の反対側が見えるだけであの人は見えない
語句・からやちじ 後述するように伝説に昔朝鮮人陶工が瓦を焼いていた土地の高い丘のこと。その陶工と無理やり夫婦にさせられた妻は、実は夫や家族がおり、この丘に登ってそれを偲んだという話による。

古典女踊りの「瓦屋節」に使われる「なからた節」「瓦屋節」「しやうんがない節」のうちの一曲。


この瓦屋節に関して、「瓦屋」がどこかということに関して「琉歌大観」(島袋盛敏)によると

「朝鮮人の陶工が沖縄に帰化して、那覇の泉崎の東方湧田という所で瓦を焼いていたので、その地を瓦屋と名付け、付近にある高い丘を瓦屋つぢといっていた。この陶工の妻になったのが、小禄間切の当間村の女であったが、伝説によれば女には夫がいたのに、無理に引き離されて陶工の妻にさせられたので、時々瓦屋つじに登って、故郷の夫を恋い慕ってこの歌を歌ったという。そしてこれが劇や映画にまで演ぜられるようになり、悲恋物語として、全国にも知られるようになった。
しかしこの瓦屋が、果たして那覇の湧田にある瓦屋であったかということについては疑問があるようだ。屋嘉比朝寄が工工四を作った時代や、琉歌百控ができた頃は、この瓦屋を美里間切の知花村か、首里の鳥小堀村かとしてある。して見れば昔はどこか、はっきりわかっていなかったものを、後世の人がいいかげんに湧田の瓦屋としたのではないか。これが第一の疑問である。」

またこの島袋氏は「真南向かて見れば 島の浦ど見ゆる 里や見らぬ」という句も、蜘蛛節に
「綛よかけなづけ真南向かて見れば、島の浦ど見ゆる里や見らぬ」という歌詞につかわれているもので、「必ずしも朝鮮人陶工に限ったことではなく、当時ありふれた歌言葉ではなかったか」と推測されている。

ただし、この真偽は島袋氏も確かめようがないので「しばらくはそのままにしておくほかない」と結んでいる。

この瓦屋節の歌碑。(那覇市)
瓦屋節
瓦屋節
(写真は谷田氏提供)

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Posted by たる一 at 19:29│Comments(0)か行
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