2008年07月26日

うりずん(若夏)の詩

うりずんの詩 
'うりじん ぬ 'うた
'urijiN nu 'uta
うりずんの歌
語句・うりじん 「旧暦2〜3月、麦の穂の出るころのこと。waka'urijiNともいう。那覇では'urujiNという。」(沖)。発音は「うりずん」と書いて本島では「うりじん」「うるじん」、石垣では「うりん」。また「うりずん」と「わかなち、若夏」は指す時期がずれている。若夏は「初夏。旧暦4〜5月の、稲穂の出始めるころをいう。」(沖)。しかし八重山では「うりずん」は「若夏 ばがなつ」と同義であるから注意。石垣方言辞典には「うりずん」は「旧暦二、三月頃」、「若夏」は「旧暦四、五月頃」としながらともに「初夏」とくくって同義にしてある。したがって表題のように「うりずん(若夏)」となる。言い換えにふさわしい語句がないので訳は「うりずん」とする。


作詞・作曲 仲宗根 長一


一、うりずんのごとに肝心持てば 浮世荒波も糸の上から (さーうりじんの風よ やふぁやふぁと吹けよ) 
'うりじんぬぐとぅに ちむぐくるむてぃば 'うちゆ'あらなみん 'いとぅぬ'うぃいから (さー'うりじんぬかじよ やふぁやふぁとぅふきよ)
'urijiN nu gutu ni chimugukuru mutiba 'uchiyu 'aranamiN 'itu nu 'wii kara (saa 'urijiN nu kaji yoo yahwayahwa tu huki yoo)
うりずんのように気持ちを持てば 浮世の荒波も絹の上のように(おだやかだ) (さー うりずんの風よ やわらかく 吹けよ)
語句・いとぅぬういから <いとぅ 絹。 (「糸」は'iichuu 'いーちゅー。) 「絹地の上を(滑るような)〔軽快な船脚の形容〕(琉) ・やふぁやふぁ 「やんわりと」(琉) <やふぁらさん 形容詞 柔らかい。


二、梯梧の花散りて 草花のみどり 野山色変わて 風も涼ださ
でぃぐぬはなちりてぃ くさばなぬみどぅり ぬやま'いるかわてぃ かじんしださ
digu nu hana chiriti kusabana nu miduri nuyama 'iru kawati kajiN shidasa
デーゴの花が散り 草花の緑(芽) 野山の色が変わって風も涼しいことよ
語句・みどぅり 「芽;緑」(琉) ・しださ 涼しいことよ。 <しださん 涼しい。形容詞の体言止めは「なんと・・なことよ」と感動を表す。


三、空とぶる鳥も野山咲く花にたわむりて遊ぶ心嬉りさ
すらとぅぶるとぅいん ぬやまさくはなに たわむりてぃ 'あしぶくくる'うりさ
sura tuburu tuiN nuyama saku hana ni tawamuriti 'ashibu kukuru 'urisa
空を飛ぶ鳥も野山咲く花に戯れて遊ぶ心(は)嬉しいことよ
語句・うりさ うれしいことよ。 <うりさん(文語) うっさん(口語)。


四、海や青々と 白浜の磯に 打ち寄しる波に千鳥鳴ちゅさ
'うみや'あうあうとぅ しらはまぬ'いすに 'うちゆしるなみにちどぅりなちゅさ
'umi ya 'au'autu shirahama nu 'isu ni 'uchiyushiru nami ni nachusa
海は青々と(して)白浜の磯に 打ち寄せる波に千鳥鳴くよ


五、御万人も揃て うりずんの詩に 我した此の島の世果報願ら
'うまんちゅんするてぃ 'うりじんぬ'うたに わしたくぬしまぬゆがふにがら
'umaNchuN suruti 'urijiN nu 'uta ni washita kunu shima nu yugahu nigara
人々が揃って うりずんの歌に われわれのこの故郷の五穀豊穣を願いたい


八重山の唄者仲宗根長一氏が、いまから40年ほどまえに作った新歌謡。
舞踊や民謡で広く愛されている。
私の持つ音源は、息子さんの仲宗根充氏のCD。
ゆったりとした曲調と、「うりずん」の情景をおおらかにうたい、心を「うりずん」のように持てば荒波も絹の上のようにおだやかにのりきれるという人生の指針のような歌詞が特徴。

ちなみに「うりずん」という言葉をネットで検索すると、お店の名前が一番たくさんでてくる。
この「うりずん」という言葉、どれだけ理解がされているのだろうか。
そして、この唄も広く愛されているが「うりずん(若夏)」という題名、どういう背景があるのだろうか。

胤森さんの指摘

さて、この「うりずん(若夏)」をめぐっては胤森弘さんが詳細に検討され指摘をされている。

一部要旨を紹介すると
①題名の「うりずん(若夏)」は、「うりずん」=「若夏」となりはしないか。
②梯梧の花が散るのは新暦5月すぎであり、「うりずん」とはあわない。
③八重山では「うりずん」=「若夏」である。

つまり、八重山の人の感覚では「うりずん」と「若夏」は同じであるが、沖縄語の定義では「うりずん」は旧暦2、3月。若夏は4、5月。梯梧の花が散るのは後者の若夏の時期だから、うりずんとは厳密には違う、と胤森さんはこの唄の解説で詳しく述べられた。(胤森さんの本には面白いエピソードが書かれてあるが省略)

この唄は冬が終わり夏がくる生き生きとした時期をうたいあげたもの

それにならって私もいろいろ調べてみたが、わたしの結論は

①沖縄の古謡「おもろ」時代から「うりずん」と「若夏」は対句に並べられていて、その継承で八重山の人々は、ほぼ同義に扱っている。それが「間違い」ということはない。

②そうなる理由は、「うりずん」と「若夏」が、南国には「春」という季節感が薄く、冬が終わり雨で乾燥した大地が潤う「うりずん」(旧暦2,3月)から、日差しも強く気温も上がる初夏をあらわす「若夏」までは、おおきく「初夏」というくくりで感じられるのではないだろうか。つまり、この唄は「うりずんから若夏までの」季節が生き生きとしてくる時期を歌い上げたものだ。

③語源からすると、「うりずん」と「若夏」では、それぞれ麦、稲の穂がつく時期として区別が昔からあったことは間違いない。そのことを理解しておくことは重要。

「うりずん」と「若夏」の違いと、言葉の歴史

繰り返しになるが、「うりずん」は「旧暦2、3月、麦の穂の出る頃」、「若夏は旧暦4、5月。稲穂の出る頃」と沖縄語辞典、琉球語辞典にある。

それらは、1711年に書かれた、沖縄では最古の古辞書「混効験集」に
「わかおれつみ 二三月麦の穂出る比を云」
「わか夏 四五月穂出る比を云」 というものを根拠にしている。

伊波普猷の研究でも、こうした理解を踏まえ二つの語の微妙な違いを論じている(「琉球戯曲辞典」、「をなり神の島」)。

しかし、16世紀初頭に記録された「おもろさうし」には
「又 おれづもが立てば 若夏が立てば うらこやはひ」
(又ウリズンの季節になると 若夏の季節になると ほんとに、待ち遠しい)
(「沖縄の言葉と歴史」外間守善より)
と、「うりずん」と「若夏」を対句(同義の語句を並べる、古い謡法で、奄美、本島の古謡、八重山民謡に継承されている)に
並べてある。

こうした事情を背景に「うりずん」と「若夏」の違いと、それらが混同される事情があることを知っておくことが大事だと思う。

うりずんの語源

さて、「うりずん」の語源はなんだろう。
伊波普猷は
urizumi → urizimi → urizin という音韻変化を提案している。

竹富島のアヨーに「きるりあゆ」(霧の唄)

うるじぃんぬよー
きるりや
嶽さどぅりどぅ
きるりる
(ウリズンの 霧の下りるのは 山岳を辿って地上におりてくる)

若夏ぬよー
きるりや
岡さどぅりどぅ
きるりる
(若夏の 霧の下りるのは 岡を辿って地上におりてくる)
(「沖縄の言葉と歴史」外間守善より)

うりずんの情景が描かれているが、「霧が下りてくる」様子である。

ここから「露がおりる」→「おりずゆ」という説がある。

外間守善氏は、
沖縄で雨が降って土が潤うことを「ウリー」といったり
宮崎延岡地方で、夜来の雨で農作物が生き生きしてきたとき「いいウリですが」「いいウリじゃが」と喜ぶこと。
また「ずん」は「浸む」 simu → jiN となったのではないかと提案されている。

こうした語源の考察も知っておくと、唄を歌う上でその「肥やし」になることは間違いない。

「うりずん」と「若夏」の違いを理解したうえで、その季節感をじっくり感じながらうたいたいものである。











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