2008年06月08日
真福地之はいちやう節
真福地之はいちやう節
まふくじぬふぇーちょーうぶし
mahukuji nu hweechoo bushi
語句 ・まふくじ 高嶺間切国吉村(たかんみまじりくにしむら)が歌の発生した場所とする説と、現在の糸満市にあたる喜屋武間切福地村(きゃんまぎりふくちむら)が歌の出自という説がある。(「歌三線の世界」勝連繁雄著) ・ふぇーちょー 早盃。ちなみに辞書で「盃」は「さかじち」「ちぶ」。上掲書によると「旅の無事を祈って回し飲みをする盃は船が無事に回って早く戻ってくるのにかけて早盃(ハイマー)と名づけられ、ハイチョウという名になったという」
真福地のはいちゃうや 嘉例なものさらめ いきめぐりめぐり 元につきやさ
まふくじぬふぇーちょーや かりなむぬさらみ 'いちみぐいみぐい むとぅにちちゃさ
mahukuji nu hweechoo ya kari na munu sarami 'ichimigui migui mutu ni chichasa
○真福地(地名?)の早盃は 縁起のよいものであろうぞ 行きめぐりめぐって元に着いたよ
語句・かりー もともとは航海の安全を祈願する言葉「かりゆし」からきたもので、一般に縁起のよいものとして使われている。現在では「乾杯」のときの発声に使われるが、それは近年の話。・さらみ であろうぞ。断定に用いる。・ちちゃさ 着いたよ。 ちちゃ<ちちゅん 着く。+さ よ。
くりかへち結ぶ御縁まちめしやうれ そめてあるかなの あだになゆめ
くりかいちむしぶぐいんまちみそーり すみてぃ'あるかなぬ 'あだになゆみ
kurikaichi mushibu guiN machimisoori sumiti 'aru kana nu 'ada ni nayumi
○繰り返し結ぶご縁(を)お待ちください (心)染めてある愛する人のあだになるでしょうか
染めてあるかなの あだなゆめやすが もしかながらへてくたはきやしゆが
すみてぃ'あるかなぬ 'あだなゆみやしが むしかながらいてぃ くたわ ちゃすが
sumiti 'aru kana nu 'ada nayumi yashiga musika nagaraiti kutawa chasuga
○染めてある愛する人のあだにならないだろうが もしか長らえて 朽ちたらどうするか
語句・くたわ 朽ちたら。<くた<くたしゅん 朽ちらせる。+わ=ば
まふくじぬふぇーちょーうぶし
mahukuji nu hweechoo bushi
語句 ・まふくじ 高嶺間切国吉村(たかんみまじりくにしむら)が歌の発生した場所とする説と、現在の糸満市にあたる喜屋武間切福地村(きゃんまぎりふくちむら)が歌の出自という説がある。(「歌三線の世界」勝連繁雄著) ・ふぇーちょー 早盃。ちなみに辞書で「盃」は「さかじち」「ちぶ」。上掲書によると「旅の無事を祈って回し飲みをする盃は船が無事に回って早く戻ってくるのにかけて早盃(ハイマー)と名づけられ、ハイチョウという名になったという」
真福地のはいちゃうや 嘉例なものさらめ いきめぐりめぐり 元につきやさ
まふくじぬふぇーちょーや かりなむぬさらみ 'いちみぐいみぐい むとぅにちちゃさ
mahukuji nu hweechoo ya kari na munu sarami 'ichimigui migui mutu ni chichasa
○真福地(地名?)の早盃は 縁起のよいものであろうぞ 行きめぐりめぐって元に着いたよ
語句・かりー もともとは航海の安全を祈願する言葉「かりゆし」からきたもので、一般に縁起のよいものとして使われている。現在では「乾杯」のときの発声に使われるが、それは近年の話。・さらみ であろうぞ。断定に用いる。・ちちゃさ 着いたよ。 ちちゃ<ちちゅん 着く。+さ よ。
くりかへち結ぶ御縁まちめしやうれ そめてあるかなの あだになゆめ
くりかいちむしぶぐいんまちみそーり すみてぃ'あるかなぬ 'あだになゆみ
kurikaichi mushibu guiN machimisoori sumiti 'aru kana nu 'ada ni nayumi
○繰り返し結ぶご縁(を)お待ちください (心)染めてある愛する人のあだになるでしょうか
染めてあるかなの あだなゆめやすが もしかながらへてくたはきやしゆが
すみてぃ'あるかなぬ 'あだなゆみやしが むしかながらいてぃ くたわ ちゃすが
sumiti 'aru kana nu 'ada nayumi yashiga musika nagaraiti kutawa chasuga
○染めてある愛する人のあだにならないだろうが もしか長らえて 朽ちたらどうするか
語句・くたわ 朽ちたら。<くた<くたしゅん 朽ちらせる。+わ=ば
古典曲。舞踊曲にも使われる。
屋嘉比工工四には
かせ掛けて伽やならぬものさらめ 繰り返し返し思どまさるの歌詞がある。
参考
(七尺節)
かせかけて 伽やならぬものさらめ 繰り返し返し思どましゆる
かしかきてぃ とぅじやならんむぬさらみ くいかいしがいし'うみどぅましゅる
kashikakiti tuji ya naraNmunusarami kuikaishigaishi 'umi du mashuru
○綛(に)掛けて慰め(に)ならないものであろうぞ 繰り返し返し思いだけが増す
語句・とぅじ 「伽。相手となって慰めること。また、その者。」(沖)。・さらみ「『であろう』の意を強調して表す。…であろうぞ。」(沖)
わが由絃會では下記の歌詞で歌う場合がある。
根の張いや石を抱ち松のごとに 百枝のむてい 千代の栄
にぬはいや'いわをだちまちぬぐとぅに むむいだぬむていちゅゆぬさかい
ni nu hai ya 'iwa wo dachi machi nu gutu ni mumuida nu mutei chiyu nu sakai
○根の張りは岩を抱き松のように たくさんの枝が茂っているように永遠の繁栄
由絃會の上江洲由孝先生の作詞。
真福地や「早盃」の解釈について不明な点も残る。
「くりかへち・・」と「染めて・・」の歌詞は野村流で、安冨祖流にはない。
屋嘉比工工四には
かせ掛けて伽やならぬものさらめ 繰り返し返し思どまさるの歌詞がある。
参考
(七尺節)
かせかけて 伽やならぬものさらめ 繰り返し返し思どましゆる
かしかきてぃ とぅじやならんむぬさらみ くいかいしがいし'うみどぅましゅる
kashikakiti tuji ya naraNmunusarami kuikaishigaishi 'umi du mashuru
○綛(に)掛けて慰め(に)ならないものであろうぞ 繰り返し返し思いだけが増す
語句・とぅじ 「伽。相手となって慰めること。また、その者。」(沖)。・さらみ「『であろう』の意を強調して表す。…であろうぞ。」(沖)
わが由絃會では下記の歌詞で歌う場合がある。
根の張いや石を抱ち松のごとに 百枝のむてい 千代の栄
にぬはいや'いわをだちまちぬぐとぅに むむいだぬむていちゅゆぬさかい
ni nu hai ya 'iwa wo dachi machi nu gutu ni mumuida nu mutei chiyu nu sakai
○根の張りは岩を抱き松のように たくさんの枝が茂っているように永遠の繁栄
由絃會の上江洲由孝先生の作詞。
真福地や「早盃」の解釈について不明な点も残る。
「くりかへち・・」と「染めて・・」の歌詞は野村流で、安冨祖流にはない。
Posted by たる一 at 09:01│Comments(2)
│ま行
この記事へのコメント
はじめまして、手元に昔購入した山内盛彬先生の、琉球芸能史という本が有るのですが、『眞福地の拝聽節』と書いてあります?
古典は難しいですね。
古典は難しいですね。
Posted by 三線ビルダー at 2013年12月12日 03:33
三線ビルダーさん、
そういう漢字の当て方もあるのですね。
そういう漢字の当て方もあるのですね。
Posted by たる一 at 2013年12月30日 07:36
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