2006年11月18日
十番口説
十番口説
じゅーばん くどぅち
juubaN kuduchi
語句・じゅーばん くどぅち 曲は「上り口説」と同じ。そこに人間のあり方を説いてのせた教訓歌。「口説」(くどぅち)とは、室町・江戸時代に流行した「口説」(くどき)の影響を受けていて、それは歌舞伎、浄瑠璃などで情景や叙事、悲哀や恨みなどを一定のメロディーで繰り返して「説く」もの。17世紀以降、薩摩藩による琉球支配の時代に琉球に伝わった。七五調で大和言葉(のウチナーグチ読み)を使う特徴がある。
0、さてもこの世に生まりたる人間朝夕の仕業もち委細に話さわ聞きみしょり
さてぃむくぬゆに'んまりたるにんじん'あさゆぬしわざむち 'いせにはなさわちちみしょり
satimu kunu yuu ni 'Nmaritaru niNjiN 'asayuu nu siwaza muchi 'isee ni hanasawa chichimishoori
○さてもこの世に生まれている人間の朝夕の行為でもって詳しく話すのでお聞きください。
語句・しわざ「しわざ。所業。行為」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・いせー 「委細。詳しいこと」【沖辞】。
一、先じや一番命あり命のありわる何事も思てをるぐと叶わゆる
まじや'いちばん'いぬち'あり ぬちぬ'ありわるなにぐとぅん'うむてぃうるぐとぅかなわゆる
majiya 'ichibaN 'inuchi 'ari nuchi nu 'ariwaru nanigutuN 'umuti urugutu kanawayuru
○先ずは一番に命あり。命があればこそ何事も思っている事が叶うのだ
語句・ありわる <あり。ある。+わ。ば。+る(どぅ)。こそ。
二、二番士の第一や手墨学問良く習て親に孝行名代しゅし
にばんさむれーぬでー'いちやてぃしみがくむん ゆくならてぃ'うやにこーこーめでいしゅし
nibaN samuree nu dee'ichi ya tishimigakumuN yuku narati 'uya ni kookoo medei shushi
○二番。士族の第一は学問をしっかり習い、親に孝行して出世すること
語句・さむれー 士族。琉球王朝時代は士族(さむれー)と百姓(ひゃくしょー)という身分制度があった。本土の「武士」(さむらい)から来たものだが刀を持つ男性だけを指す武士とは違い、士族の女性や刀を持たないものも含んだ。・てぃしみがくむん 「習字や読書。すなわち、学問」【沖辞】。「墨習い」(しみなれー)とも言った。・めでい「[美公事・みおやだいり]王府へのご奉公。すなわち公務。公用。」【沖辞】。意訳をすれば「出世」。ちなみに「めでい」(medei)と、短母音で「me」という発音が辞書(沖縄語辞典、琉球語辞典)に出てくるのはこの語句だけである。 比較的新しい時期に琉球に入ってきた語句だと思われる。
三、三番百姓の第一や節々毛作いうくりらぬ油断さんごと働ちゅし
さんばん ひゃくしょーぬでー'いちや しちしちむじゅくい'うくりらん ゆだんさんぐとぅはたらちゅし
saNbaN hyakushoo nu dee'ichi ya shichishichi mujukui 'ukuriraN yudaN saNgutu hatarachushi
○三番。平民の第一は季節毎の農業遅らせられない。油断しないよう働くこと
語句・ひゃくしょー 「平民」【沖辞】。これも「さむれー」同様に農業に従事しているとは限らず、漁民や商人なども含め士族ではない平民を指した。・うくりらぬ遅らせられない。<'うくりゆん。遅れる。
四、四番世間の人びれや士も百姓も肝選で誠真実面白や
ゆばんしきんぬふぃとぅびれやさむれーんひゃくしょーん ちむ'いらでぃまくとぅしんじち'うむしるや
yuubaN shikiN nu hwitubiree ya samureeN hyakushooN chimu 'iradi makutu shiNjichi 'umushiru ya
○四番。世間の人付き合いは士族も平民も心を選んで誠、真実(で付き合うから)楽しいのだ
語句・ふぃとぅびれー 人付き合い。<ふぃれー。「付き合い。交際。また目上へ仕えること。」【沖辞】。他に「どぅしびれー」(友達付き合い)、「とぅないびれー」(近所付き合い)、「しとぅびれー」(姑への仕え方)、「うとぅびれー」(夫への仕えかた)。「しとぅびれー」「うとぅびれー」などは男女差別など封建的制度の名残りである。
五、五番家持ち肝要しち夫ゆし妻ゆし和談しよていひの口論も無らぬごと
ぐばんやーむちかんぬーしち うとぅゆしとぅじゆし わだんしょーてぃ 'いふぃぬ'えーくぇーんねーらんぐとぅ
gubaN yaamuchi kaNnuu shichi utu yushi tuji yushi wadaNshooti 'ihwi nu 'eekweeN neeraN gutu
○五番。所帯持ちが大事にすることは、夫が教えたり妻が教えたり仲良くして少しの喧嘩もない事だ
語句・やーむち 「所帯持ち」【沖辞】。・かんぬー「肝要」【沖辞】。大切なもの。「かんぬーしち」、大事にして。・うとぅゆしとぅじゆし夫が教えたり妻が教えたり。《参考》「親寄せ子寄せ」('うやゆし っくわゆし)親が教えたり子が教えたり。・いふぃ「少し。わずか。少量。」【沖辞】・えーくぇー 「言い合い。言い争い」【沖辞】
六、六番銭金儲きやいむちのありわど何事も思てをるごと叶わゆる
るくばんじんかにもーきやい むちぬ'ありわどぅなにぐとぅん 'うむてぃうるぐとぅかなわゆる
rukubaN jiNkani mookiyai muchi nu 'ariwadu nanigutuN 'umuti urugutu kanawayuru
○六番。銭金儲けて 財産の有ればこそ何事も思いのままかなうのだ
語句・もーきやい儲けて。もーき(<もーきゆん)+やい(<やり ・・して )・むち 「財産。資産。」【沖辞】。江戸時代の「持高」(もちだか)に対応か。・わどぅ・・ばこそ。
七、七番七十の歳なれば物事さまざま思忘して楽ゆ好むし面白や
しちばん しちじゅーぬとぅしなりば むぬぐとぅさまざま'うみわしてぃらくゆくぬむし'うむしるや
shichibaN shichijuu nu tushi nariba munugutu samazama 'umiwashiti raku yu kunumushi 'umushiruya
○七番。七十の歳になると物事をさまざま忘れて楽をしようとすることは楽しい
八、八番八十の歳なれば八月八日米寿の米の御祝もさりるごと
はちばんはちじゅうぬとぅしなりばはちぐわちはちにち とーかちぬ ゆにぬ'うゆうぇーんさりるぐとぅ
hachibaN hachijuu nu tushi nariba hachigwachihachinichi tookachi nu yuni nu 'uyuwee sariru gutu
○八番。八十の歳になると八月八日米寿の「米のお祝い」もされるように
語句・とーかち米寿(88歳、米という漢字を分解すると八八になるから)、長寿のお祝い。「斗掻(とかき)」というのは枡に入れた米をならす竹のへらで、お祝いの参加者にこの斗掻を配ったことから。88歳を「米(ゆに)のお祝い」というのもここから来ている。ヤマトにも同じ風習がある。
九、九番九十の歳なれば子や孫も引き連れて百歳願ゆし面白や
くばんくんじゅーぬとぅしなりば っくわや'んまがん ふぃちちりてぃ ひゃくせーにがゆし'うむしるや
kubaN kuNjuu nu tushi nariba kkwaa ya 'NmagaN hwichichiriti hyakusee nigayushi 'umushiruya
○九番。九十の歳になると子や孫も引き連れて百歳を願うことは楽しい
十、十番十分足れゆしや昔神代の云話もあるかねらぬか話ちゃまり
じゅーばんじゅーぶんたりゆしや 'んかしかみゆぬ'いふぁなしん'あるかねーらんかはなちゃまり
juubaN juubuN tariyushi yariyushiya 'Nkashi kamiyu nu 'ihwanashiN 'aru ka neeraN ka hanachamari
○十番。人生がこのように十分足りていることは昔神の世の教訓にもあるとかないとかを話したまでだ
語句・
・いふぁなし教訓的な伝説。・はなちゃまり 話すまで。はなしゅん(話す の 過去 はなちゃん)+までぃ(madi→mari)。
十一、くひな十てんの意見ごと老いて若さも聞ちみしょり朝夕忘るな上下も
くふぃなとぅてぃんぬ'いちんぐとぅ'うぃーてぃ わかさん ちちみしょり'あさゆわしるなかみしむん
kuhwina tuutiN nu 'ichiN gutu 'wiiti wakasaN chichimishoori 'asayuu wasiruna kamishimuN
○こんなに大事な十点の意見のように老いても若くてもお聞きなさい。朝夕忘れるなすべての身分の人も。
語句・くふぃな 「この大きさの。このくらいの。また、こんなに大きい。」【沖辞】。・ぐとぅ 「ごと。よう。ように。」【沖辞】。・かみしむ 「身分などの上下。上の者と下の者」【沖辞】。
(コメント)
いわゆる「口説」系の唄で、数え唄風にあらゆる身分、老若男女に「人の道」を説いている。
歌詞は登川誠仁氏の歌を参考にした。(マルフクレコード『沖縄民謡特選集 2』より)
嘉手苅林昌氏の歌詞は少し異なる。
「さむれー」「ひゃくしょー」は琉球王朝時代の身分制度で、それぞれ士族、平民にあたる。大和のように「さむれー」といっても男女の区別はなく、また「武士」でもなかった。「ひゃくしょー」は農業をするものばかりではなく、「はるさー」「はる'あっちゃー」が農業従事者を表していた。
沖縄には「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)という言葉があるが、まずは第一に命の大切さを説く。それから士族、平民のあり方を説いた上で、それぞれ人付き合いの重要性を説く。家庭、そして財産を持つことから七十、八十、九十という長寿の祝いと心構えが説かれている。

じゅーばん くどぅち
juubaN kuduchi
語句・じゅーばん くどぅち 曲は「上り口説」と同じ。そこに人間のあり方を説いてのせた教訓歌。「口説」(くどぅち)とは、室町・江戸時代に流行した「口説」(くどき)の影響を受けていて、それは歌舞伎、浄瑠璃などで情景や叙事、悲哀や恨みなどを一定のメロディーで繰り返して「説く」もの。17世紀以降、薩摩藩による琉球支配の時代に琉球に伝わった。七五調で大和言葉(のウチナーグチ読み)を使う特徴がある。
0、さてもこの世に生まりたる人間朝夕の仕業もち委細に話さわ聞きみしょり
さてぃむくぬゆに'んまりたるにんじん'あさゆぬしわざむち 'いせにはなさわちちみしょり
satimu kunu yuu ni 'Nmaritaru niNjiN 'asayuu nu siwaza muchi 'isee ni hanasawa chichimishoori
○さてもこの世に生まれている人間の朝夕の行為でもって詳しく話すのでお聞きください。
語句・しわざ「しわざ。所業。行為」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・いせー 「委細。詳しいこと」【沖辞】。
一、先じや一番命あり命のありわる何事も思てをるぐと叶わゆる
まじや'いちばん'いぬち'あり ぬちぬ'ありわるなにぐとぅん'うむてぃうるぐとぅかなわゆる
majiya 'ichibaN 'inuchi 'ari nuchi nu 'ariwaru nanigutuN 'umuti urugutu kanawayuru
○先ずは一番に命あり。命があればこそ何事も思っている事が叶うのだ
語句・ありわる <あり。ある。+わ。ば。+る(どぅ)。こそ。
二、二番士の第一や手墨学問良く習て親に孝行名代しゅし
にばんさむれーぬでー'いちやてぃしみがくむん ゆくならてぃ'うやにこーこーめでいしゅし
nibaN samuree nu dee'ichi ya tishimigakumuN yuku narati 'uya ni kookoo medei shushi
○二番。士族の第一は学問をしっかり習い、親に孝行して出世すること
語句・さむれー 士族。琉球王朝時代は士族(さむれー)と百姓(ひゃくしょー)という身分制度があった。本土の「武士」(さむらい)から来たものだが刀を持つ男性だけを指す武士とは違い、士族の女性や刀を持たないものも含んだ。・てぃしみがくむん 「習字や読書。すなわち、学問」【沖辞】。「墨習い」(しみなれー)とも言った。・めでい「[美公事・みおやだいり]王府へのご奉公。すなわち公務。公用。」【沖辞】。意訳をすれば「出世」。ちなみに「めでい」(medei)と、短母音で「me」という発音が辞書(沖縄語辞典、琉球語辞典)に出てくるのはこの語句だけである。 比較的新しい時期に琉球に入ってきた語句だと思われる。
三、三番百姓の第一や節々毛作いうくりらぬ油断さんごと働ちゅし
さんばん ひゃくしょーぬでー'いちや しちしちむじゅくい'うくりらん ゆだんさんぐとぅはたらちゅし
saNbaN hyakushoo nu dee'ichi ya shichishichi mujukui 'ukuriraN yudaN saNgutu hatarachushi
○三番。平民の第一は季節毎の農業遅らせられない。油断しないよう働くこと
語句・ひゃくしょー 「平民」【沖辞】。これも「さむれー」同様に農業に従事しているとは限らず、漁民や商人なども含め士族ではない平民を指した。・うくりらぬ遅らせられない。<'うくりゆん。遅れる。
四、四番世間の人びれや士も百姓も肝選で誠真実面白や
ゆばんしきんぬふぃとぅびれやさむれーんひゃくしょーん ちむ'いらでぃまくとぅしんじち'うむしるや
yuubaN shikiN nu hwitubiree ya samureeN hyakushooN chimu 'iradi makutu shiNjichi 'umushiru ya
○四番。世間の人付き合いは士族も平民も心を選んで誠、真実(で付き合うから)楽しいのだ
語句・ふぃとぅびれー 人付き合い。<ふぃれー。「付き合い。交際。また目上へ仕えること。」【沖辞】。他に「どぅしびれー」(友達付き合い)、「とぅないびれー」(近所付き合い)、「しとぅびれー」(姑への仕え方)、「うとぅびれー」(夫への仕えかた)。「しとぅびれー」「うとぅびれー」などは男女差別など封建的制度の名残りである。
五、五番家持ち肝要しち夫ゆし妻ゆし和談しよていひの口論も無らぬごと
ぐばんやーむちかんぬーしち うとぅゆしとぅじゆし わだんしょーてぃ 'いふぃぬ'えーくぇーんねーらんぐとぅ
gubaN yaamuchi kaNnuu shichi utu yushi tuji yushi wadaNshooti 'ihwi nu 'eekweeN neeraN gutu
○五番。所帯持ちが大事にすることは、夫が教えたり妻が教えたり仲良くして少しの喧嘩もない事だ
語句・やーむち 「所帯持ち」【沖辞】。・かんぬー「肝要」【沖辞】。大切なもの。「かんぬーしち」、大事にして。・うとぅゆしとぅじゆし夫が教えたり妻が教えたり。《参考》「親寄せ子寄せ」('うやゆし っくわゆし)親が教えたり子が教えたり。・いふぃ「少し。わずか。少量。」【沖辞】・えーくぇー 「言い合い。言い争い」【沖辞】
六、六番銭金儲きやいむちのありわど何事も思てをるごと叶わゆる
るくばんじんかにもーきやい むちぬ'ありわどぅなにぐとぅん 'うむてぃうるぐとぅかなわゆる
rukubaN jiNkani mookiyai muchi nu 'ariwadu nanigutuN 'umuti urugutu kanawayuru
○六番。銭金儲けて 財産の有ればこそ何事も思いのままかなうのだ
語句・もーきやい儲けて。もーき(<もーきゆん)+やい(<やり ・・して )・むち 「財産。資産。」【沖辞】。江戸時代の「持高」(もちだか)に対応か。・わどぅ・・ばこそ。
七、七番七十の歳なれば物事さまざま思忘して楽ゆ好むし面白や
しちばん しちじゅーぬとぅしなりば むぬぐとぅさまざま'うみわしてぃらくゆくぬむし'うむしるや
shichibaN shichijuu nu tushi nariba munugutu samazama 'umiwashiti raku yu kunumushi 'umushiruya
○七番。七十の歳になると物事をさまざま忘れて楽をしようとすることは楽しい
八、八番八十の歳なれば八月八日米寿の米の御祝もさりるごと
はちばんはちじゅうぬとぅしなりばはちぐわちはちにち とーかちぬ ゆにぬ'うゆうぇーんさりるぐとぅ
hachibaN hachijuu nu tushi nariba hachigwachihachinichi tookachi nu yuni nu 'uyuwee sariru gutu
○八番。八十の歳になると八月八日米寿の「米のお祝い」もされるように
語句・とーかち米寿(88歳、米という漢字を分解すると八八になるから)、長寿のお祝い。「斗掻(とかき)」というのは枡に入れた米をならす竹のへらで、お祝いの参加者にこの斗掻を配ったことから。88歳を「米(ゆに)のお祝い」というのもここから来ている。ヤマトにも同じ風習がある。
九、九番九十の歳なれば子や孫も引き連れて百歳願ゆし面白や
くばんくんじゅーぬとぅしなりば っくわや'んまがん ふぃちちりてぃ ひゃくせーにがゆし'うむしるや
kubaN kuNjuu nu tushi nariba kkwaa ya 'NmagaN hwichichiriti hyakusee nigayushi 'umushiruya
○九番。九十の歳になると子や孫も引き連れて百歳を願うことは楽しい
十、十番十分足れゆしや昔神代の云話もあるかねらぬか話ちゃまり
じゅーばんじゅーぶんたりゆしや 'んかしかみゆぬ'いふぁなしん'あるかねーらんかはなちゃまり
juubaN juubuN tariyushi yariyushiya 'Nkashi kamiyu nu 'ihwanashiN 'aru ka neeraN ka hanachamari
○十番。人生がこのように十分足りていることは昔神の世の教訓にもあるとかないとかを話したまでだ
語句・
・いふぁなし教訓的な伝説。・はなちゃまり 話すまで。はなしゅん(話す の 過去 はなちゃん)+までぃ(madi→mari)。
十一、くひな十てんの意見ごと老いて若さも聞ちみしょり朝夕忘るな上下も
くふぃなとぅてぃんぬ'いちんぐとぅ'うぃーてぃ わかさん ちちみしょり'あさゆわしるなかみしむん
kuhwina tuutiN nu 'ichiN gutu 'wiiti wakasaN chichimishoori 'asayuu wasiruna kamishimuN
○こんなに大事な十点の意見のように老いても若くてもお聞きなさい。朝夕忘れるなすべての身分の人も。
語句・くふぃな 「この大きさの。このくらいの。また、こんなに大きい。」【沖辞】。・ぐとぅ 「ごと。よう。ように。」【沖辞】。・かみしむ 「身分などの上下。上の者と下の者」【沖辞】。
(コメント)
いわゆる「口説」系の唄で、数え唄風にあらゆる身分、老若男女に「人の道」を説いている。
歌詞は登川誠仁氏の歌を参考にした。(マルフクレコード『沖縄民謡特選集 2』より)
嘉手苅林昌氏の歌詞は少し異なる。
「さむれー」「ひゃくしょー」は琉球王朝時代の身分制度で、それぞれ士族、平民にあたる。大和のように「さむれー」といっても男女の区別はなく、また「武士」でもなかった。「ひゃくしょー」は農業をするものばかりではなく、「はるさー」「はる'あっちゃー」が農業従事者を表していた。
沖縄には「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)という言葉があるが、まずは第一に命の大切さを説く。それから士族、平民のあり方を説いた上で、それぞれ人付き合いの重要性を説く。家庭、そして財産を持つことから七十、八十、九十という長寿の祝いと心構えが説かれている。

この記事へのコメント
徳之島の十番口説は徳之島町の一部では黒島口説の様な口説囃子が入る上に早弾きのものもあります。
神戸に歌える方が複数居ますね。
神戸に歌える方が複数居ますね。
Posted by くがなー at 2012年01月28日 22:45
コメントをありがとうございます。
「島尻口説」のように早弾き系の口説なのでしょうね。
「島尻口説」のように早弾き系の口説なのでしょうね。
Posted by たる一
at 2012年02月04日 09:47

この口説が徳之島につたわり
意見口説になったみたいです
意見口説になったみたいです
Posted by いーつ at 2016年07月01日 14:36
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。