2006年02月05日
御縁節
御縁節
ぐいんぶし
guyiN bushi
一、御縁あて弟者 (シュラーヨー)行逢て嬉しさや (ヒヤ ウミシュラ ジャンナ ヨ)うち晴て遊び我身も遊ば
ぐいん'あてぃ'うとぅじゃ(しゅらーよー)'いちゃてぃ'うりしさや(ひや 'うみしゅら じゃんなよ)'うちはりてぃ'あしびわみん'あしば
guyiN 'ati 'uttuja(shura yoo) 'ichati 'urishisa ya (hiya 'umishura jaNna yoo)'uchihariti 'ashibi wamiN 'ashiba
○御縁があって弟(のような)者出会って嬉しいよ すっかり晴れて遊べ 私自身も遊ぼう
二、行逢たるゐ弟者 行逢たるゐ兄者 ゆらてもの語い でしちあしば
'いちゃたるい'うとぅじゃ 'いちゃたるいしぬじゃ ゆらてぃむぬがたい でぃしち'あしば
'ichataru yii 'utujya 'ichataru yii shinujya yurati munu gatai dishichi 'ashiba
○出会ったね弟よ 出会ったね兄よ 寄り合って語り合い さあ、そうやって遊ぼう
ぐいんぶし
guyiN bushi
一、御縁あて弟者 (シュラーヨー)行逢て嬉しさや (ヒヤ ウミシュラ ジャンナ ヨ)うち晴て遊び我身も遊ば
ぐいん'あてぃ'うとぅじゃ(しゅらーよー)'いちゃてぃ'うりしさや(ひや 'うみしゅら じゃんなよ)'うちはりてぃ'あしびわみん'あしば
guyiN 'ati 'uttuja(shura yoo) 'ichati 'urishisa ya (hiya 'umishura jaNna yoo)'uchihariti 'ashibi wamiN 'ashiba
○御縁があって弟(のような)者出会って嬉しいよ すっかり晴れて遊べ 私自身も遊ぼう
二、行逢たるゐ弟者 行逢たるゐ兄者 ゆらてもの語い でしちあしば
'いちゃたるい'うとぅじゃ 'いちゃたるいしぬじゃ ゆらてぃむぬがたい でぃしち'あしば
'ichataru yii 'utujya 'ichataru yii shinujya yurati munu gatai dishichi 'ashiba
○出会ったね弟よ 出会ったね兄よ 寄り合って語り合い さあ、そうやって遊ぼう
解説
(語句)
一
・しゅらー いとしい人(男女につかう)。
囃子言葉の訳は難しい。これはタネモリさんからも言われていることだが、すでに意味が失われて、そのリズムだけが残るものも少なくない。
(ハリ、スリ、など)
それで囃子言葉はなるだけ訳さない。
・うちはりてぃ すっかり晴れて
この「うちはりてぃ」はよく歌に出てくる。残念だが「沖縄語辞典」も「琉球語辞典」にも詳しくはない。
「うち」は他でもよく使われる。
うち揃てぃ うち惚れてぃ などなど。それらが同じものがどうかはわからない。しかし、この2語でも「うち」をどう訳すのか難しい。「すっかり」でも「とことん」でも、オールマイティではない。
つまり全体の流れで訳すしかないと感じている。
「晴り」は天気の晴れという意味とお目出度いという意味にも使われるようだ。(たとえば ハレの舞台、ハレの言葉など)
今後の検討課題。
二
・ゐ 不明である。いくつかの候補はあるが、
ii でその前の動詞が未然形ならば(aで終わる)「よ、ねえ」。
しかし「'いちゃたる」は連体形である。それに「同輩、目下へ親しみを込めた文末助詞」だとある(琉球語辞典)。兄者に「ねえ」はないだろう。
他には「疑問」にする「ii」だが、接続形ではないし意味もおかしい。
琉球語辞典には
「会えたね!兄さん 会えたね!お前 寄り合っていろんな話をして語り明かそうよ」とある。(古典では兄、弟の順番が逆になっている)
ということは「ね」を採用しているわけだ。
そして、これは会話。
検討課題。
・ゆらてぃ 食べ物を分け合って、集まって。という意味。
昔は「寄り合い」というのは「なにか食べ物を分け合う」ことが当然だったのだろう。
・でぃ さあ
・しち して
(語句)
一
・しゅらー いとしい人(男女につかう)。
囃子言葉の訳は難しい。これはタネモリさんからも言われていることだが、すでに意味が失われて、そのリズムだけが残るものも少なくない。
(ハリ、スリ、など)
それで囃子言葉はなるだけ訳さない。
・うちはりてぃ すっかり晴れて
この「うちはりてぃ」はよく歌に出てくる。残念だが「沖縄語辞典」も「琉球語辞典」にも詳しくはない。
「うち」は他でもよく使われる。
うち揃てぃ うち惚れてぃ などなど。それらが同じものがどうかはわからない。しかし、この2語でも「うち」をどう訳すのか難しい。「すっかり」でも「とことん」でも、オールマイティではない。
つまり全体の流れで訳すしかないと感じている。
「晴り」は天気の晴れという意味とお目出度いという意味にも使われるようだ。(たとえば ハレの舞台、ハレの言葉など)
今後の検討課題。
二
・ゐ 不明である。いくつかの候補はあるが、
ii でその前の動詞が未然形ならば(aで終わる)「よ、ねえ」。
しかし「'いちゃたる」は連体形である。それに「同輩、目下へ親しみを込めた文末助詞」だとある(琉球語辞典)。兄者に「ねえ」はないだろう。
他には「疑問」にする「ii」だが、接続形ではないし意味もおかしい。
琉球語辞典には
「会えたね!兄さん 会えたね!お前 寄り合っていろんな話をして語り明かそうよ」とある。(古典では兄、弟の順番が逆になっている)
ということは「ね」を採用しているわけだ。
そして、これは会話。
検討課題。
・ゆらてぃ 食べ物を分け合って、集まって。という意味。
昔は「寄り合い」というのは「なにか食べ物を分け合う」ことが当然だったのだろう。
・でぃ さあ
・しち して
Posted by たる一 at 22:21│Comments(2)
│か行
この記事へのコメント
弟者でしたか。御伽とばかり考えていました(赤面)(*^_^*)
Posted by ふーちゃん@いちゃりばナンパ at 2006年02月06日 08:26
ふーちゃん@いちゃりばナンパさん
そういう誤解はよくあるものですよね。
そういう誤解はよくあるものですよね。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年02月06日 23:16
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