2005年12月11日
ひやみかち節
ひやみかち節
ひやみかちぶし
hiyamikachi bushi
語句・ひやみかち 目を覚ませる。 「えいと言う 気合を入れる」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す) <hiyamikachi <hiyamikasyuN
作詞 平良新助
作曲 山内盛彬(せいひん)
一、名に立ちゅる沖縄宝島でむぬ 心うち合わち うたちみしょり
なーにたちゅる 'うちなーたからじま でむぬ くくる'うち'あわち'うたちみしょーり
naa ni tachuru 'uchinaa takarajima demunu kukuru 'uchi'awachi 'utachimishoori
◯名に立つ沖縄 宝島だから 心をひとつに合わせてお立ちください
語句・なにたちゅる 有名な。<naa ni tacuru 「立ちゅん」という言葉はよく使われる。たとえば、面影の立ちゅる(かなよー) 布立てて(同上)。用法はさまざまだ。・でむぬ だから。なので。・うちあわち 「うち」はよくつかわれる接頭語。「うちふりてぃ」(惚れこんで)のように、後の語句を強める役割をする。したがって「合わせる」を強めて「ひとつに合わせて」くらいの意味。
二、稲粟の稔り 弥勒世ぬ印 心うち合わち気張りみそり
'いに'あわぬなうり みるくゆーぬ しるし くくる'うち'あーち ちばいみしょーり
'ini'awa nu nauri mirukuyuu nu shirushi kukuru 'uchi'aachi chibai mishoori
◯稲粟が実り 豊年の世の予兆 心ひとつに合わせがんばってください
語句・いに 稲。「んに 'Nni」とも云う。・なうり 実り。稔り。コメント参照。・みるくゆ 豊年満作。中国からの弥勒信仰と、古代からのニライカナイ信仰が融合した沖縄独特の世界観。豊年満作が海の向こうよりもたらされると信じられている。
三、がくやないしゅらさ花や咲き美らさ 我した此ぬ沖縄世界に知らさ
がくやないしゅーらーさ はなや さちじゅらさ わしたくぬ'うちなーしけーにしらさ
gaku ya nai shuuraasa hana ya sachijurasa washita kunu 'uchinaa sikee ni shirasa
◯ガク(音楽)は鳴りかわいらしい 花は咲き 美しい 私たちのこの沖縄世界に知らせよう
語句・がく ガクブラ。 gakubura 「楽器の名 王の行列の時に吹奏した管楽器 明笛のひとつ。略してガクgakuという。piiraruuraと鳴る」【沖】。「琉歌大成」(清水彰)には「がく」を用いた琉歌は一つしかなく、それは「ガクブラ」を略したものであるが、それを「音楽」と訳されている。一般的な「音楽」と理解してかまわないのではないか。・しゅらさ 愛らしい。かわいらしい。
四、人の取ゆる年ぬ んぱんぱぬなゆみ うびらじに取たさ六十ばんじゃ
っちゅぬとぅゆるとぅしぬ んぱんぱぬなゆみ 'うびらじにとぅたさ るくじゅーばんじゃ
cchu nu tuyuru tushi nu NpaNpa nu nayumi 'ubiraji ni tutasa rukujuu banja
◯人の取る年は イヤイヤと拒否できるか? 気づかない間に取ったよ 60(歳)真っ盛り
語句・っちゅ 人。「ふぃとぅ」と読む場合は、文字数制限から「取ゆる」が「取る」になる歌詞もある。・んぱんぱ いやいやと拒否する様。・うびらじ 思わず。気づかずに。「ubijini うびじに」と同じ。
五、我や虎でむぬ羽着けてたぼり 波路パシフィック渡てなびら
わんやとうらでむぬ はにちきてぃたぼり なみじパシフィックわたてぃなびら
waN ya tura demunu hanichikithi tabori namji パシフィック watath
i nabira
◯私は虎だから 羽をつけてください 波路太平洋渡りましょう
語句・でむぬ だから。・なびら 行きましょう。 <なゆん 行く。 「な」 + あびら<あびーん 希望。
六、七転び転でひやみかち起きり 我したこの沖縄世界に知らさ
ななくるびくるでぃ ひやみかち'うきり わしたくぬ'うちなーしけーにしらさ
nanakurubi kurubi hiyamikachi 'ukiri washita kunu 'uchinaa sikee ni sirasa
◯七転び転んで「エイ」と言って起きよ 私たちのこの沖縄世界に知らせよう
語句・うきり 起きろ。 <うきゆん 起きる。命令形。
【コメント】
沖縄戦で荒廃した沖縄と人々の心を奮い立たせたいと、平良新助氏が作った歌詞に、山内盛彬氏が曲をつけたといわれる。
一番が平良氏の歌詞で、二番、三番は山内氏のものだという。
平良新助氏はアメリカに移民しホテル経営などで成功した今帰仁出身の実業家。
山内盛彬氏は湛水流やオモロの研究家。
ハイポジションの演奏がまるで「津軽三味線」のようで、ついつい早く弾きたい曲だが、もとはゆっくりした曲だったという。
民謡ブームの中でどんどん早くなっていったらしい。
古典の技法をほとんど習得された盛彬先生らしい。歌っても楽しい、聴いても楽しい。しかし意味もよく味わってみたい。
【なうりについて】
さて二番の「なうり」だが、沖縄語辞典、琉球語辞典、石垣方言辞典に「なおり」は無く、
なゆん nayuN 実がなる。があるだけ。
古語大辞典(角川書店)には「なほり」としてある。長いが引用する。
「なほり【直り・稔り】[古][琉]ナウイ ①直ること。立派になること。「なお」(直)は日本古語の「なおらい」(神への供え物を一同でいただくこと)に関係ある語であろう。」
「➁豊穣になること。稔ること。竹富町小浜島では豊年のことをナウリィ ユーという(八重山語彙)。」
つまり日本古語との関係がある古い言葉であり、世の中が好ましい状態に直ること、豊穣、平和、稔りという意味に捉えられる語句である。
「琉歌大成」には以下の3つの琉歌があった。
「なからたの米やはなれつぢ粟もつぢ粟のなをりみろく世果報」
小浜節から
「大嶽にのぼておし下り見れば稲粟のなをり今年世果報」
「大嶽にのぼておし下り見れば稲粟のなをり弥勒世果報」
【がく について】
また三番の「がく」であるが、「学」としたものや「楽」とした歌詞が多い。
「がく」について、私の手許にある資料をいくつか調べてみた。
「琉歌大観」(島袋盛敏)によれば約三千首の琉歌のうち「がく」という文字が使われているものはひとつだけで、それは
「首里親国やれば楽ひやさうも聞きゆり我島山国や鳴木ばかり
(首里お国であればガクブラや笛やいろいろの鳴り物の音を聞くことができるけれども、われら山国の村では、鳴木の音を聞くばかりである」
(「琉歌大観」より抜粋)
というものだった。
沖縄語辞典では上の「語句」に引用したとおり。
一方、「琉歌大成」(清水彰)では、同様に「がく」が使われた琉歌はこれ一首だけだが、訳には「行列の音楽」となっている。
おそらく「ガクブラ」による演奏を「行列の音楽」と一般にわかりやすく訳したものだろう。
つまり「がく」が「音楽」の略だというのは一般的には理解できるが、
琉歌の世界では「がく」とは、王様などの行列に随行する楽団の「がくぶら」のかなでる「行列の音楽」のことだと理解することは必要だろう。
その上で「がく」を広く「音楽」一般と理解しても構わないと思う。
短い言葉に深い、広い意味をも含ませる琉歌の作り方も学ぶことができると思う。
山内氏が1979年に入所した老人ホーム「緑樹苑」(沖縄市胡屋)に、
「ひやみかち節」の歌碑がある。
山内氏の生誕120年を記念して2011年3月27日に除幕式が行われた。
この歌碑に山内氏の想いを込めた琉歌が刻まれている。
「滅びいく文化忍で忍ばれめ もちと命かきて譜文に遺くさ」
(意訳)滅んで無くなる文化は忍ぶだけでは忍ばれまい 自分の財産と命、あらゆるものを賭けて譜面や文に残したい
私はこう受け止めた。
各地を巡りウタを西洋楽譜に写し取った山内盛彬氏、
当時は気がふれたのか、と言われながらウタを採譜して多くの著作も残されている。
この「ひやみかち節」も、現在でも色々な場所で、人々を励まし世の中を明るくしていくために多くの方が歌い継いでいる。
その先人の想いに応えることも私たちに渡されたバトンなのだと思う。
(今帰仁にも平良氏の業績をたたえ、「ひやみかち節」の歌碑ができたという。)
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
ひやみかちぶし
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語句・ひやみかち 目を覚ませる。 「えいと言う 気合を入れる」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す) <hiyamikachi <hiyamikasyuN
作詞 平良新助
作曲 山内盛彬(せいひん)
一、名に立ちゅる沖縄宝島でむぬ 心うち合わち うたちみしょり
なーにたちゅる 'うちなーたからじま でむぬ くくる'うち'あわち'うたちみしょーり
naa ni tachuru 'uchinaa takarajima demunu kukuru 'uchi'awachi 'utachimishoori
◯名に立つ沖縄 宝島だから 心をひとつに合わせてお立ちください
語句・なにたちゅる 有名な。<naa ni tacuru 「立ちゅん」という言葉はよく使われる。たとえば、面影の立ちゅる(かなよー) 布立てて(同上)。用法はさまざまだ。・でむぬ だから。なので。・うちあわち 「うち」はよくつかわれる接頭語。「うちふりてぃ」(惚れこんで)のように、後の語句を強める役割をする。したがって「合わせる」を強めて「ひとつに合わせて」くらいの意味。
二、稲粟の稔り 弥勒世ぬ印 心うち合わち気張りみそり
'いに'あわぬなうり みるくゆーぬ しるし くくる'うち'あーち ちばいみしょーり
'ini'awa nu nauri mirukuyuu nu shirushi kukuru 'uchi'aachi chibai mishoori
◯稲粟が実り 豊年の世の予兆 心ひとつに合わせがんばってください
語句・いに 稲。「んに 'Nni」とも云う。・なうり 実り。稔り。コメント参照。・みるくゆ 豊年満作。中国からの弥勒信仰と、古代からのニライカナイ信仰が融合した沖縄独特の世界観。豊年満作が海の向こうよりもたらされると信じられている。
三、がくやないしゅらさ花や咲き美らさ 我した此ぬ沖縄世界に知らさ
がくやないしゅーらーさ はなや さちじゅらさ わしたくぬ'うちなーしけーにしらさ
gaku ya nai shuuraasa hana ya sachijurasa washita kunu 'uchinaa sikee ni shirasa
◯ガク(音楽)は鳴りかわいらしい 花は咲き 美しい 私たちのこの沖縄世界に知らせよう
語句・がく ガクブラ。 gakubura 「楽器の名 王の行列の時に吹奏した管楽器 明笛のひとつ。略してガクgakuという。piiraruuraと鳴る」【沖】。「琉歌大成」(清水彰)には「がく」を用いた琉歌は一つしかなく、それは「ガクブラ」を略したものであるが、それを「音楽」と訳されている。一般的な「音楽」と理解してかまわないのではないか。・しゅらさ 愛らしい。かわいらしい。
四、人の取ゆる年ぬ んぱんぱぬなゆみ うびらじに取たさ六十ばんじゃ
っちゅぬとぅゆるとぅしぬ んぱんぱぬなゆみ 'うびらじにとぅたさ るくじゅーばんじゃ
cchu nu tuyuru tushi nu NpaNpa nu nayumi 'ubiraji ni tutasa rukujuu banja
◯人の取る年は イヤイヤと拒否できるか? 気づかない間に取ったよ 60(歳)真っ盛り
語句・っちゅ 人。「ふぃとぅ」と読む場合は、文字数制限から「取ゆる」が「取る」になる歌詞もある。・んぱんぱ いやいやと拒否する様。・うびらじ 思わず。気づかずに。「ubijini うびじに」と同じ。
五、我や虎でむぬ羽着けてたぼり 波路パシフィック渡てなびら
わんやとうらでむぬ はにちきてぃたぼり なみじパシフィックわたてぃなびら
waN ya tura demunu hanichikithi tabori namji パシフィック watath
i nabira
◯私は虎だから 羽をつけてください 波路太平洋渡りましょう
語句・でむぬ だから。・なびら 行きましょう。 <なゆん 行く。 「な」 + あびら<あびーん 希望。
六、七転び転でひやみかち起きり 我したこの沖縄世界に知らさ
ななくるびくるでぃ ひやみかち'うきり わしたくぬ'うちなーしけーにしらさ
nanakurubi kurubi hiyamikachi 'ukiri washita kunu 'uchinaa sikee ni sirasa
◯七転び転んで「エイ」と言って起きよ 私たちのこの沖縄世界に知らせよう
語句・うきり 起きろ。 <うきゆん 起きる。命令形。
【コメント】
沖縄戦で荒廃した沖縄と人々の心を奮い立たせたいと、平良新助氏が作った歌詞に、山内盛彬氏が曲をつけたといわれる。
一番が平良氏の歌詞で、二番、三番は山内氏のものだという。
平良新助氏はアメリカに移民しホテル経営などで成功した今帰仁出身の実業家。
山内盛彬氏は湛水流やオモロの研究家。
ハイポジションの演奏がまるで「津軽三味線」のようで、ついつい早く弾きたい曲だが、もとはゆっくりした曲だったという。
民謡ブームの中でどんどん早くなっていったらしい。
古典の技法をほとんど習得された盛彬先生らしい。歌っても楽しい、聴いても楽しい。しかし意味もよく味わってみたい。
【なうりについて】
さて二番の「なうり」だが、沖縄語辞典、琉球語辞典、石垣方言辞典に「なおり」は無く、
なゆん nayuN 実がなる。があるだけ。
古語大辞典(角川書店)には「なほり」としてある。長いが引用する。
「なほり【直り・稔り】[古][琉]ナウイ ①直ること。立派になること。「なお」(直)は日本古語の「なおらい」(神への供え物を一同でいただくこと)に関係ある語であろう。」
「➁豊穣になること。稔ること。竹富町小浜島では豊年のことをナウリィ ユーという(八重山語彙)。」
つまり日本古語との関係がある古い言葉であり、世の中が好ましい状態に直ること、豊穣、平和、稔りという意味に捉えられる語句である。
「琉歌大成」には以下の3つの琉歌があった。
「なからたの米やはなれつぢ粟もつぢ粟のなをりみろく世果報」
小浜節から
「大嶽にのぼておし下り見れば稲粟のなをり今年世果報」
「大嶽にのぼておし下り見れば稲粟のなをり弥勒世果報」
【がく について】
また三番の「がく」であるが、「学」としたものや「楽」とした歌詞が多い。
「がく」について、私の手許にある資料をいくつか調べてみた。
「琉歌大観」(島袋盛敏)によれば約三千首の琉歌のうち「がく」という文字が使われているものはひとつだけで、それは
「首里親国やれば楽ひやさうも聞きゆり我島山国や鳴木ばかり
(首里お国であればガクブラや笛やいろいろの鳴り物の音を聞くことができるけれども、われら山国の村では、鳴木の音を聞くばかりである」
(「琉歌大観」より抜粋)
というものだった。
沖縄語辞典では上の「語句」に引用したとおり。
一方、「琉歌大成」(清水彰)では、同様に「がく」が使われた琉歌はこれ一首だけだが、訳には「行列の音楽」となっている。
おそらく「ガクブラ」による演奏を「行列の音楽」と一般にわかりやすく訳したものだろう。
つまり「がく」が「音楽」の略だというのは一般的には理解できるが、
琉歌の世界では「がく」とは、王様などの行列に随行する楽団の「がくぶら」のかなでる「行列の音楽」のことだと理解することは必要だろう。
その上で「がく」を広く「音楽」一般と理解しても構わないと思う。
短い言葉に深い、広い意味をも含ませる琉歌の作り方も学ぶことができると思う。
山内氏が1979年に入所した老人ホーム「緑樹苑」(沖縄市胡屋)に、
「ひやみかち節」の歌碑がある。
山内氏の生誕120年を記念して2011年3月27日に除幕式が行われた。
この歌碑に山内氏の想いを込めた琉歌が刻まれている。
「滅びいく文化忍で忍ばれめ もちと命かきて譜文に遺くさ」
(意訳)滅んで無くなる文化は忍ぶだけでは忍ばれまい 自分の財産と命、あらゆるものを賭けて譜面や文に残したい
私はこう受け止めた。
各地を巡りウタを西洋楽譜に写し取った山内盛彬氏、
当時は気がふれたのか、と言われながらウタを採譜して多くの著作も残されている。
この「ひやみかち節」も、現在でも色々な場所で、人々を励まし世の中を明るくしていくために多くの方が歌い継いでいる。
その先人の想いに応えることも私たちに渡されたバトンなのだと思う。
(今帰仁にも平良氏の業績をたたえ、「ひやみかち節」の歌碑ができたという。)
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一昨日のショックで昨日の日記は大変失礼しましたm(__)mW杯日本代表には気分を変えて次に臨んでもらいたい「心 うち合わち うたちみそり ヒヤミカチ起きり」ですということで、ヒヤ...
うたちみそり【海翁】at 2006年06月14日 12:16
年の瀬なので今年の印象的事象を…
約5年ぶりにバンド演奏してライブ出演したのは実に楽しい出来事でした。
八重山・竹富島の島唄アーティストの萬木忍君のプロデュース活動の一環...
約5年ぶりにバンド演奏してライブ出演したのは実に楽しい出来事でした。
八重山・竹富島の島唄アーティストの萬木忍君のプロデュース活動の一環...
メチャかっこいいライブ動画を一挙公開【家を建てよう】at 2008年12月26日 19:13
この記事へのコメント
仲宗根幸市氏の「島うた紀行」をめくってみたら、三番は「学問をおさめ世のために尽くす姿の美しさ」とあり、胤森さんと同じでした。
さて三線の「がく」とはなんでしょう。
なぜ「学」としないのでしょうか。
それから作詞は平良新助氏で作曲が山内盛彬氏。
これは訂正しておきましょう。
さて三線の「がく」とはなんでしょう。
なぜ「学」としないのでしょうか。
それから作詞は平良新助氏で作曲が山内盛彬氏。
これは訂正しておきましょう。
Posted by たるー at 2005年12月11日 09:55
ガク
ここの絵がわかりやすいですね。
http://rca.open.ed.jp/music/courtmusic/courtmusic.html
ここの絵がわかりやすいですね。
http://rca.open.ed.jp/music/courtmusic/courtmusic.html
Posted by たるー at 2005年12月11日 10:01
大阪の伊礼さん(サンクルバーナ)の店でよく聴いてます。意味がわかりました。ありがとうございます。
Posted by 佐野輝夫 at 2008年01月20日 22:21
佐野輝夫さん
ありがとうございます。
今後もよろしく。
ありがとうございます。
今後もよろしく。
Posted by たるー at 2008年01月25日 00:31
50年ほど前に、沖縄出身者からこんな歌を聞きました。
どちらの歌なのでしょうか?教えてください
美しい海に 果てしない 空に
僕ら皆 明るい 日本の子 沖縄の子
ひやひや ひやひやひや ひやみかちうきり ひやみかちうきり
記憶が正しければ こんな歌詞でした。
歌い手は 楊子 ようこさん ?
50年前に大阪に下宿して、大学に妹さんと通っていたと思います。
どちらの歌なのでしょうか?教えてください
美しい海に 果てしない 空に
僕ら皆 明るい 日本の子 沖縄の子
ひやひや ひやひやひや ひやみかちうきり ひやみかちうきり
記憶が正しければ こんな歌詞でした。
歌い手は 楊子 ようこさん ?
50年前に大阪に下宿して、大学に妹さんと通っていたと思います。
Posted by 坊西 ジツオ at 2008年03月31日 18:23
坊西 ジツオさん
コメントありがとうございます。
ヒヤミカチの節で歌ってみたら、つい笑ってしまいました。
面白いですね。
それはさておき、楊子さん。存じません。
すみませんね。
コメントありがとうございます。
ヒヤミカチの節で歌ってみたら、つい笑ってしまいました。
面白いですね。
それはさておき、楊子さん。存じません。
すみませんね。
Posted by たるー(せきひろし) at 2008年03月31日 23:43
主人の仕事の関係で3年間沖縄に住んでいたのはもう15年以上も前。子供の学芸会のお陰で島唄に興味を持ちいくつか覚えたうちの一つでした。
沖縄には沖縄独特の文化を解説した本が沢山売っていたりするのですが、皆沖縄の基本を知っている人達向けの物ばかり。本土から来た物にとって宝の持ち腐れ状態…つまり、島唄の意味、分からない事が殆どでした。
調べるのも困難で、はり水のクイチャー(変換さえもどかしいので平仮名ですみません。)の意味が分かった時の感激といったらなかったのですけど、そういうのはごく一部。
分からず終いのまま沖縄を離れ、中で一番意味が知りたくて気になったのがこの唄。知り合いになった沖縄の人に手紙で尋ね、丁寧に返事を貰って感激したもののそれを紛失。
ヒヤミカチ節は、いつもカラオケでの私の発声練習の唄です。そしてこちらのブログで改めて意味を教えていただけて、感謝感激です。
ついでに、ましゅんく節もありがとうございました。確認してないのですが、山原ガラサー小、沢山列挙されている島唄の中にありましたっけ?まだ確認してなくて…。カラオケにもなく意味も分からず、大好きな、多分カラスの唄ですけど。
沖縄には沖縄独特の文化を解説した本が沢山売っていたりするのですが、皆沖縄の基本を知っている人達向けの物ばかり。本土から来た物にとって宝の持ち腐れ状態…つまり、島唄の意味、分からない事が殆どでした。
調べるのも困難で、はり水のクイチャー(変換さえもどかしいので平仮名ですみません。)の意味が分かった時の感激といったらなかったのですけど、そういうのはごく一部。
分からず終いのまま沖縄を離れ、中で一番意味が知りたくて気になったのがこの唄。知り合いになった沖縄の人に手紙で尋ね、丁寧に返事を貰って感激したもののそれを紛失。
ヒヤミカチ節は、いつもカラオケでの私の発声練習の唄です。そしてこちらのブログで改めて意味を教えていただけて、感謝感激です。
ついでに、ましゅんく節もありがとうございました。確認してないのですが、山原ガラサー小、沢山列挙されている島唄の中にありましたっけ?まだ確認してなくて…。カラオケにもなく意味も分からず、大好きな、多分カラスの唄ですけど。
Posted by のみみ at 2008年07月27日 15:38
すみません。なかなか画面が変わらず、つい3回クリックして、同じ長文が3つも行ってしまいました。ごめんなさい。
わたくし、今埼玉人です。
わたくし、今埼玉人です。
Posted by のみみ at 2008年07月27日 15:40
のみみさん
コメントありがとうございます。お役に立ててなによりです。
解説はたくさんありますが、著者の想像や不明な部分をあいまいにした意訳が多いです。古い言葉を残した歌は現在のウチナーグチが達者な方でも不明なところもあるようです。
>山原ガラサー小
いや ありません。歌詞がてもとにあればなんとかしますが…
コメント 余分なものは消しましょうね。
コメントありがとうございます。お役に立ててなによりです。
解説はたくさんありますが、著者の想像や不明な部分をあいまいにした意訳が多いです。古い言葉を残した歌は現在のウチナーグチが達者な方でも不明なところもあるようです。
>山原ガラサー小
いや ありません。歌詞がてもとにあればなんとかしますが…
コメント 余分なものは消しましょうね。
Posted by たるー(せきひろし) at 2008年07月30日 11:32
ひやみかちの意味がわかりました。
いつも分かりやすい解説ありがとうございます。
歌持の早弾き部分をお稽古してたら、お隣さんから
「三線から津軽三味線にかえたの?」と言われました。
今月のマスター曲として頑張ります。
暑い西原で生たるーさんにお会いでき感激しました。
ブログの写真よりスマートでしたよ!
三線(手にして3年ほど)大好きチョーデーにとって
とても勉強になります。
これからもよろしくお願いします。
西武門節の解説、お願いします。
いつも分かりやすい解説ありがとうございます。
歌持の早弾き部分をお稽古してたら、お隣さんから
「三線から津軽三味線にかえたの?」と言われました。
今月のマスター曲として頑張ります。
暑い西原で生たるーさんにお会いでき感激しました。
ブログの写真よりスマートでしたよ!
三線(手にして3年ほど)大好きチョーデーにとって
とても勉強になります。
これからもよろしくお願いします。
西武門節の解説、お願いします。
Posted by あーちゃん at 2008年08月10日 11:48
ごめんなさい、西武門節みつけました。
とても参考になりました。
とても参考になりました。
Posted by あーちゃん at 2008年08月10日 12:06
あーちゃんさん
コメントありがとうございます。
「スマート」に見えました?
お恥ずかしい。
声をかけていただいた暑い西原、
もう遠くのことのようですが嬉しかったです。
来月は芸能祭。
がんばらないといけませんね。
またお気づきの点などありましたら
またコメントくださいね。
今後ともよろしくおねがいします。
コメントありがとうございます。
「スマート」に見えました?
お恥ずかしい。
声をかけていただいた暑い西原、
もう遠くのことのようですが嬉しかったです。
来月は芸能祭。
がんばらないといけませんね。
またお気づきの点などありましたら
またコメントくださいね。
今後ともよろしくおねがいします。
Posted by たるー(せきひろし) at 2008年08月13日 07:08
mixiにて日記を書いております
今の世の中 まさに やまとの国にとっても このヒヤミカチ節の
元気付けが 必要と思います
テルーさんの解説が 一等素晴らしいので
是非 私の日記に リンクを貼らせていただきたく
お願いいたします
広瀬
今の世の中 まさに やまとの国にとっても このヒヤミカチ節の
元気付けが 必要と思います
テルーさんの解説が 一等素晴らしいので
是非 私の日記に リンクを貼らせていただきたく
お願いいたします
広瀬
Posted by Macdin at 2009年01月10日 19:14
mixiにて日記を書いております
今の世の中 まさに やまとの国にとっても このヒヤミカチ節の
元気付けが 必要と思います
テルーさんの解説が 一等素晴らしいので
是非 私の日記に リンクを貼らせていただきたく
お願いいたします
広瀬
今の世の中 まさに やまとの国にとっても このヒヤミカチ節の
元気付けが 必要と思います
テルーさんの解説が 一等素晴らしいので
是非 私の日記に リンクを貼らせていただきたく
お願いいたします
広瀬
Posted by Macdin at 2009年01月10日 19:14
Macdinさん
コメントありがとうございます。
今。mixiは見れなくなってしまっていますので
残念です。
しかし、リンク、どうぞご自由にしてください。
お役にたてればうれしいです。
ちなみにテルーでなく、タルーです。
そんなことはどうでもいいんですがね。
今後ともよろしくおねがいします。
コメントありがとうございます。
今。mixiは見れなくなってしまっていますので
残念です。
しかし、リンク、どうぞご自由にしてください。
お役にたてればうれしいです。
ちなみにテルーでなく、タルーです。
そんなことはどうでもいいんですがね。
今後ともよろしくおねがいします。
Posted by たるー at 2009年01月12日 21:08
加筆訂正しました。
Posted by たるー(せきひろし) at 2009年05月15日 11:23
甲子園で使われるようになってこのページにもアクセスが増えているんじゃないですか?(笑)
Posted by さわさき at 2010年08月20日 18:03
さわさきさん
コメントありがとうございます。
たしかに、アクセス数が増えていますね。
コメントありがとうございます。
たしかに、アクセス数が増えていますね。
Posted by たる一 at 2010年08月22日 20:55
初めまして、私ニコニコ動画で三線演奏をしております530(ゴサマル)と申します。
ヒヤミカチ節は僕にとって一番身近な曲です。この間スペインの公園で弾いたりしました(笑)
僕もブログをやっていまして、よかったらリンクを貼らせてください。よろしくお願いします。
ヒヤミカチ節は僕にとって一番身近な曲です。この間スペインの公園で弾いたりしました(笑)
僕もブログをやっていまして、よかったらリンクを貼らせてください。よろしくお願いします。
Posted by 530(ゴサマル) at 2010年10月05日 01:37
連投失礼します。
このページの歌詞について、追記させてください。
登川先生(以下誠小)のCD「スピリチュアル・ユニティ」の歌詞ですが、作曲者側から説明させてください。
平良新助による作詞は一番のみ、山内盛彬による作詞は六・三・五(他にも「喜屋武と国頭ぬ~」や、「道や広々とぅ~」などがあります)、二・四は誠小の作詞です。
二番の「なおり」についてですが、確か誠小は琉歌からとったと仰られていたので、それであっていると思います。
三番の「がく」は、楽器の名前ではなく、音楽のことだと思います。湛水流の先生にいただいた楽譜には「音楽や鳴り美らさ」と書いてありました。また、歌詞は「はなやさちじゅらさ がくやなゐじゅらさ ちかさなやしけに がくぬてぃなみ」が元です。これは盛彬が書き残しています。「聴かさなや世界に 音楽の手並み」ですね。
五番の「虎」は、盛彬が寅年生まれだからです。ちなみに元は「渡てぃみゃびら=渡ってみましょう」です。
確か盛彬は留学経験はなかったはずです。ハワイ大学の平良氏に琉歌を渡され、これで曲を作ってほしいと頼まれたところ、このヒヤミカチ節が誕生しました。その後、南米に渡り音楽の研究をしていた盛彬が沖縄に十何年ぶりに戻ったところ、大変スピード感のある民謡となっていて驚いたそうです。
誠小曰く、「こんなにヒヤミカチ節を改造してしまって、盛彬先生に申し訳なかった。」とこぼしておりました。それでも、ヒヤミカチ節が世に広まったのは、誠小という偉大な(背は小さいですが)歌手のおかげですよね。
このページの歌詞について、追記させてください。
登川先生(以下誠小)のCD「スピリチュアル・ユニティ」の歌詞ですが、作曲者側から説明させてください。
平良新助による作詞は一番のみ、山内盛彬による作詞は六・三・五(他にも「喜屋武と国頭ぬ~」や、「道や広々とぅ~」などがあります)、二・四は誠小の作詞です。
二番の「なおり」についてですが、確か誠小は琉歌からとったと仰られていたので、それであっていると思います。
三番の「がく」は、楽器の名前ではなく、音楽のことだと思います。湛水流の先生にいただいた楽譜には「音楽や鳴り美らさ」と書いてありました。また、歌詞は「はなやさちじゅらさ がくやなゐじゅらさ ちかさなやしけに がくぬてぃなみ」が元です。これは盛彬が書き残しています。「聴かさなや世界に 音楽の手並み」ですね。
五番の「虎」は、盛彬が寅年生まれだからです。ちなみに元は「渡てぃみゃびら=渡ってみましょう」です。
確か盛彬は留学経験はなかったはずです。ハワイ大学の平良氏に琉歌を渡され、これで曲を作ってほしいと頼まれたところ、このヒヤミカチ節が誕生しました。その後、南米に渡り音楽の研究をしていた盛彬が沖縄に十何年ぶりに戻ったところ、大変スピード感のある民謡となっていて驚いたそうです。
誠小曰く、「こんなにヒヤミカチ節を改造してしまって、盛彬先生に申し訳なかった。」とこぼしておりました。それでも、ヒヤミカチ節が世に広まったのは、誠小という偉大な(背は小さいですが)歌手のおかげですよね。
Posted by 530(ゴサマル) at 2010年10月05日 02:01
530さん
丁寧で詳しいコメントありがとうございした。
おっしゃるように作詞は平良新助氏、作曲は山内盛彬(せいひん)氏です。以前に記事の誤りに気づきましたが修正をしていませんでした。
「がく」についてですが、私の手許にある資料をいくつか調べてみました。
「琉歌大観」(島袋盛敏)によれば約三千首の琉歌のうち「がく」という文字が使われているものはひとつだけで、それは
「首里親国やれば楽ひやさうも聞きゆり我島山国や鳴木ばかり(首里お国であればガクブラや笛やいろいろの鳴り物の音を聞くことができるけれども、われら山国の村では、鳴木の音を聞くばかりである」(「琉歌大観」より抜粋)
というものでした。
沖縄語辞典では上の「語句」に引用したとおりです。
一方、「琉歌大成」(清水彰)では、同様に「がく」が使われた琉歌はこれ一首だけでしたが、訳には「行列の音楽」となっています。
おそらく「ガクブラ」による演奏を「行列の音楽」と一般にわかりやすく訳したものだと思います。
つまり「がく」が「音楽」の略だというのは一般的には理解できますが、沖縄の琉歌の世界では「がく」とは、王様などの行列に随行する楽団の「がくぶら」のかなでる「行列の音楽」のことだと理解するほうが正しいと思われます。
三番の歌詞を作った山内盛彬氏が、音楽を略して「がく」とされたのか、この琉歌をご存知の上で「行列の音楽」→「音楽」→「がく」とされたのか判断するすべは私にはありません。
530さんがおっしゃるように一般的な「音楽」でも不都合はないと思いますが、こうした琉歌の経緯も参考にすることは無駄ではないかと思います。
今後もなにかありましたらコメントください。
丁寧で詳しいコメントありがとうございした。
おっしゃるように作詞は平良新助氏、作曲は山内盛彬(せいひん)氏です。以前に記事の誤りに気づきましたが修正をしていませんでした。
「がく」についてですが、私の手許にある資料をいくつか調べてみました。
「琉歌大観」(島袋盛敏)によれば約三千首の琉歌のうち「がく」という文字が使われているものはひとつだけで、それは
「首里親国やれば楽ひやさうも聞きゆり我島山国や鳴木ばかり(首里お国であればガクブラや笛やいろいろの鳴り物の音を聞くことができるけれども、われら山国の村では、鳴木の音を聞くばかりである」(「琉歌大観」より抜粋)
というものでした。
沖縄語辞典では上の「語句」に引用したとおりです。
一方、「琉歌大成」(清水彰)では、同様に「がく」が使われた琉歌はこれ一首だけでしたが、訳には「行列の音楽」となっています。
おそらく「ガクブラ」による演奏を「行列の音楽」と一般にわかりやすく訳したものだと思います。
つまり「がく」が「音楽」の略だというのは一般的には理解できますが、沖縄の琉歌の世界では「がく」とは、王様などの行列に随行する楽団の「がくぶら」のかなでる「行列の音楽」のことだと理解するほうが正しいと思われます。
三番の歌詞を作った山内盛彬氏が、音楽を略して「がく」とされたのか、この琉歌をご存知の上で「行列の音楽」→「音楽」→「がく」とされたのか判断するすべは私にはありません。
530さんがおっしゃるように一般的な「音楽」でも不都合はないと思いますが、こうした琉歌の経緯も参考にすることは無駄ではないかと思います。
今後もなにかありましたらコメントください。
Posted by たるー at 2010年10月06日 08:18
どの歌詞が、どなたがつくったのか、ということについて証拠となるものが手許にはありませんので、それについては今後の検討課題にさせていただきます。
また、みなさんのコメントを参考にさせていただきながら、本文、追記を加筆いたしました。ありがとうございました。
また、みなさんのコメントを参考にさせていただきながら、本文、追記を加筆いたしました。ありがとうございました。
Posted by たる一 at 2010年10月06日 16:40
ヒヤミカチ節,今日の「民謡で今日拝なびら」で,結成当時のフォーシスターズの唄でしたが,歌詞がかなり違っていました。
6番の「七転び転でヒヤミカチ起きり」ではじまり,以下,5番,2番の変形,1番,最後は全く初めて聴いた歌詞でした。
どこかで,作詞当初の歌詞を確認しなくては・・・。
6番の「七転び転でヒヤミカチ起きり」ではじまり,以下,5番,2番の変形,1番,最後は全く初めて聴いた歌詞でした。
どこかで,作詞当初の歌詞を確認しなくては・・・。
Posted by boninこと山上博信 at 2012年05月03日 19:42
boninさん
山内盛彬氏のヒヤミカチ節の歌碑には
「七転び・・」ではじまっており、「我んや虎」と続きます。
後世の人が歌詞を作り変えて歌っているようです。
歌碑の写真を載せておきますね。ご参考までに。
山内盛彬氏のヒヤミカチ節の歌碑には
「七転び・・」ではじまっており、「我んや虎」と続きます。
後世の人が歌詞を作り変えて歌っているようです。
歌碑の写真を載せておきますね。ご参考までに。
Posted by たる一 at 2012年05月11日 09:50
へしきやエイサーも坊西 ジツオ さんが書いているような歌詞を歌ってますよね。ほかにもそのような歌詞を聴いたことがあります。
もしかしたら昔少し流行ったのではないでしょうか?
僕ら皆 明るい 日本の子 沖縄の子
もしかしたら昔少し流行ったのではないでしょうか?
僕ら皆 明るい 日本の子 沖縄の子
Posted by 通りすがり at 2012年05月18日 08:44
こんにちは
先日歌碑を訪れた際に歌碑の2番が全く歌われていないことに気付きました。これから敬意を表して歌っていきたいと思いました。
花や咲き美さ 音楽や鳴り美さ 聴かさなや世界に 音楽の手並み
ここにある「音楽」は2文字で読むべきなのでしょうが、やはり「がく」と読むべきなのでしょうか?
ちなみに3番も、渡てぃ「な」びらではなく、「見ゃ」びらでしたが、この訳だと太平洋を渡って世界を見てみたい、というような意味になるのでしょうか?
先日歌碑を訪れた際に歌碑の2番が全く歌われていないことに気付きました。これから敬意を表して歌っていきたいと思いました。
花や咲き美さ 音楽や鳴り美さ 聴かさなや世界に 音楽の手並み
ここにある「音楽」は2文字で読むべきなのでしょうが、やはり「がく」と読むべきなのでしょうか?
ちなみに3番も、渡てぃ「な」びらではなく、「見ゃ」びらでしたが、この訳だと太平洋を渡って世界を見てみたい、というような意味になるのでしょうか?
Posted by まさきちこ at 2022年07月16日 21:29
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