2011年01月23日

嘆きの渡り鳥

嘆きの渡り鳥
なじきぬわたりどぅり
najiki nu watariduri
嘆きの渡り鳥


作 川田松夫

一、母の懐恋忍でぃ寝ぐら出んじたる渡り鳥浮世嵐ぬ自由ならん迷てぃ夜半に泣ち飛ぶる
ふぁふぁぬふちゅくるくいしぬでぃ にぐらんじたるわたりどぅり うちゆあらしぬじゆならん まゆてぃゆわになちとぅぶる
hwahwa nu huchukuru kui shinudi nigura 'Njitaru watariduri 'uchiyu 'arashi nu jiyu naraN mayuti yuwa ni nachi tuburu
母の懐を恋忍ぶように寝ぐらを出て行く渡り鳥 浮世の嵐が自由にならないと迷って夜中に泣き飛ぶ
語句・んじたる 出る。<んじゆん 出る。


ニ、泣くな嘆くな渡り鳥今日や此ぬ村宿頼てぃ情きぬ露に袖濡らち明日や朝から母探ら
なくななじくなわたりどぅり きゅやくぬむらやどぅたゆてぃなさきぬちゆにすでぃぬらちあちゃやあさからふぁふぁとぅめら
nakuna najikuna watariduri kiyu ya kunu mura yadu tayuti nasaki nu chiyu ni sudi nurachi 'acha ya 'asa kara hwahwa tumera
泣くな嘆くな渡り鳥 今日は此の村に宿を頼って 情けの露に袖を濡らし明日は朝から母を探そう
語句・とぅめら探そう。<とぅめゆん 探す。未然形。「…しよう」「…したい」。


三、情ぬ露にふださりてぃ迷いさみたる此ぬ我身や今日ぬ良かる日に台南丸に打ち乗やい行ちゅん泣ちぇ呉るな
なさきぬちゆにふださりてぃまゆいさみたるくぬわみや きゅぬゆかるふぃにたいなんまるにうちぬやい いちゅんなちぇくぃるな
nasaki nu chiyu ni hudasariti mayui samitaru kunu wami ya kiyu nu yukaru hwi ni tainaNmaru ni 'uchi nuyai 'ichuN nachekwiruna
情けの露にほだされて迷っているこの私は今日の良い日取りに台南丸に乗り込んで行くが泣いてくれるな


四、今日ぬ振別りや苦さしが待てば海路ぬ日和さみ戻てぃめる時ぬ嬉さとぅ思ば涙押し払てぃ笑てぃ送やびら
きゆぬふやかりやくりさしがまてぃばかいるぬひゆりさみ むどぅてぃめるとぅちぬうりさとぅみば みなだうしはらてぃわらてぃうくやびら
kiyu nu huyakari ya kurisa shiga matiba kairu nu hiyuri sami mudutimeru tuchi nu 'urisa tu miba minada 'ushiharati warati 'ukuyabira
今日の一生の別れは苦しいが待てば海路の日和があるのだよ 戻ってくる時の嬉しさを思えば涙ぬぐって笑って送りましょう
語句・しが が。・さみ なのだよ。・みば 思えば。・みなだ 涙。<みーなだ 涙。<みー 目。+なだ なみだ。


五、結でぃある契りあぬ世までぃん比翼連理ぬ鳥心紺染みに染みてぃ変わて呉るな何時ん音信や送てぃたぼり
むしでぃあるちじりあぬゆまでぃん ひゆくりんりぬとぅいぐくる くんずみにすみてぃかわてぃくぃるな いちんうとぅしりやうくてぃたぼり
mushidi 'aru chijiri ya 'anu yu madiN hiyuku riNri nu tuigukuru kuNzumi ni sumiti kawati kwiruna 'ichiN 'utushiri ya 'ukutitabori
結んだ契りはあの世までも比翼連理の鳥のように一体で心も紺染めのように染めあって変わってくれるな 何時も音信を送ってください 
語句・ひゆくりんり 男女心も体も一体になること、仲むつまじい例。「比翼」は「比翼の鳥」で「目翼がそれぞれ一つづつで雌雄一体となって飛ぶ想像上の鳥」。「連理」は「連理の枝」で「日本の木の枝や根がひとつになること」。中国唐代の詩人白居易(=白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」からきている。

西武門節を作詞した川田松夫(1903~1981)氏作。

音源では「ふたり唄~ウムイ継承」(大城美佐子 与那覇徹)にある。
嘆きの渡り鳥

ライナーノーツによると「母子の別れ」をテーマにしているとある。
しかし、「結んだ契り」「比翼連理の鳥心」「紺染み」のたとえなど、男女の別れというニュアンスもある。

「台南丸」はネットでしらべただけだが、戦前の「満州」への連絡船にも同じ名前のものがある。また同じ船が不明だが「台南丸は四四年六月二十四日、船団でシンガポールを出港。台湾の基隆で引き揚げ者約四百五十人を乗せ、門司港を目指した。午後十一時五十四分、野母崎の南西約二十キロで米潜水艦の魚雷二発が命中。数分で沈んだ」という記録もある。

文字数は「7・5」調。
「正調琉球民謡工工四 第1巻」には「白夢節」とあり「原曲」としてある。

音源のCDは大城美佐子さんと与那覇徹さんの掛け合いで、
一番男、二番女、三番男、四番女、五番男(「何時ん音信や…」だけ女)という順番。



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Posted by たる一 at 11:47│Comments(9)な行
この記事へのコメント
初めまして
いつも楽しくブログ拝見しております!
以前から気になっていた 歌詞なんです。(嘆きの渡り鳥)
比翼連理

歌者によって ヒユクリンリだったりヒユクレンリ
だったりずっと疑問でした、
徳原清文氏はレンリと歌いますね
もともと沖縄にある言葉なら解りますが
海がウミ 山がヤマというように
変化出来ないことばなのか
それともリンリで大丈夫なのかとずっと思案していました

乱字乱文で失礼致しました!
Posted by 沖縄ラブ at 2011年02月05日 17:14
沖縄ラブさん

いつもありがとうございます。

比翼連理

いろいろな唄い方、読み方があると思います。

違いもあっていいのだと思います。

そういう歌、山ほどもありますね。

これが正解、それがないのが唄の世界かもしれません。
Posted by たる一たる一 at 2011年02月09日 22:31
お疲れ様です。
いつもいつも、本当に勉強になりっぱなしで、
ありがたく、楽しくこのブログを拝見させていただいています。

たるーさんの時間のあるときに、今度是非
松田弘一さんの『チャメ!オーチャメ』の解説をお願いしたいです。
Posted by manmi at 2011年02月23日 00:13
manmiさん

ありがとうございます。

基本的には自分の勉強のつもりで調べていることなのです。お役に立てたらなによりです。

「オーチャメ」はいつかやってみたい曲でしたので、また近いうちに取り上げてみましょう。
Posted by たる一 at 2011年03月02日 11:04
その日をとても楽しみに待っています(*^_^*)
Posted by manmi at 2011年03月08日 12:20
比翼連理をヒユクレンリと、つまりHiyuku renriと聴こえるのはネイティブでない証拠ですよ。「レ」ではなく「レヱ」とでも表記したら良いのでしょうか?
「Rwe」と発音している筈です、正確には近いと言う感じです。例えば標準語で「家へ帰れ!」をウチナーグチでは「ヤーンカイけぇれぇー!」と明確に「帰れ!」は「きーりー」にはならないですよね?しかしこの場合の「けーれー」の「け」と「れ」の母音は「e」にあたる「え」ではなく「we」にあたる「ゑ」なんですよ、琉球語にはまだ「わ行」の「ゐ」と「ゑ」が母音として残存していますから、このような落とし穴に嵌まり易いんです。ちなみに中南部と首里方言ではバリバリ健在ですし、八重山でも与那国でも方言としては健在です。よくよくネイティブスピーカーの発音をウォッチしてみたらよくわかりますよ「ゐー」とか「ゑー」とか普通に使用されていますね、若者でも方言残留が強い地域や家庭で育った子は。
Posted by くがなー at 2011年03月17日 06:08
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