2012年03月17日
瓦屋情話
瓦屋情話
かーらやじょうわ
kaara ya joowa
〇瓦屋情話
作詞作曲 滝原康盛
一 人勝い清らしゃ 生まりたる故に色ちかんかなに見染みらりてぃ 見染みらりてぃ
ふぃとぅまさいちゅらしゃ んまりたるゆいに いるちかんかなに みすみらりてぃ みすみらりてぃ
hwitu masai churasha Nmaritaru yui ni 'iru chikaN kana ni misumirariti misumirariti
(以下繰り返しは省略)
〇人より美しく生まれたが故に 好きでもない方に見初められて 見初められて
語句・いるちかんかな 直訳すると「色付かない恋人」、「染まらない恋人」→「好きでもない方」。「かな」は本来「恋人」「愛する人」の意だが、ここでは愛情が伴わない結婚を表現。
ニ めでい事寄してぃあかん生ち別り 浮世恨みとてぃ 行ちゅる苦りしゃ
めでいくとぅゆしてぃ あかんいちわかり うちゆうらみとてぃ いちゅるぐりしゃ
medei kutu yushiti 'akaN 'ichiwakari 'uchiyu 'uramitoti 'ichuru gurisha
〇奉公を命じられて心残りのまま生き別れとなり 浮世を恨んでいくことの苦しいことよ!
語句・めでい 「王府へのご奉公、出仕、宮使え、公務」【琉辞】。<「旧かな‘みおやだいり’『混効験集』」【琉辞】。・ゆしてぃ <ゆしゆん 「①寄せる②忠告[助言]する」【琉辞】。ここでは「命じられて」。・あかん <あちゅん 飽きる。→あかん 連体形では「飽きない」。副詞では「飽きずに」。心残り。<飽きない。 「あかんわかり」 いまだに飽きていないのに別れなければならない様。
三 あだし世ぬ中ぬ 無情ぬあだ花や朝夕ちみらりてぃ 胸や焦がり
あだしゆぬなかぬ むじょぬあだばなや あさゆちみらりてぃ んにやくがり
'adashi yu nu naka nu mujoo nu 'adabana ya 'asayu chimirariti Nni ya kugari
〇恨む世の中で情けもない徒(あだ)花は毎日閉じ込められて胸は焦がれて
語句・あだし 徒(あだ)のある、つまり「恨みのある」。・ちみらりてぃ <ちみゆん つぃみゆん 詰められて。閉じ込められる、幽閉される意味。
四 我胴や瓦屋村 肝や里御側忘てぃ忘ららん里が情き
わどぅやからやむら ちむやさとぅうすば わしてぃわしららん さとぅがなさき
wa du ya karayamura chimu ya satu usuba washiti washiraraN satu ga nasaki
〇わが身は瓦屋村、心は貴方のお側 忘れても忘れられない貴方の真心
語句・わどぅ わが身。「どぅ」(「胴」の当て字)は体。
五 瓦屋頂登てぃ 真南向かてぃ見りば島浦どぅ見ゆる里や見らん
からやちじぬぶてぃ まふぇんかてぃみりば しまぬらどぅみゆる さとぅやみらん
kaaraya chiji nubuti mahwe Nkati miriba shimanura du miyuru satu ya miraN
〇瓦屋の丘に登って南に向かってみると村の反対側だけが見えて貴方は見えない
語句・からやちじ 瓦屋村で一番高い丘。・しまぬら 村の反対側(離れている場所)。<しま。村。+ぬら<ぬ+うら。ぬーら。
かーらやじょうわ
kaara ya joowa
〇瓦屋情話
作詞作曲 滝原康盛
一 人勝い清らしゃ 生まりたる故に色ちかんかなに見染みらりてぃ 見染みらりてぃ
ふぃとぅまさいちゅらしゃ んまりたるゆいに いるちかんかなに みすみらりてぃ みすみらりてぃ
hwitu masai churasha Nmaritaru yui ni 'iru chikaN kana ni misumirariti misumirariti
(以下繰り返しは省略)
〇人より美しく生まれたが故に 好きでもない方に見初められて 見初められて
語句・いるちかんかな 直訳すると「色付かない恋人」、「染まらない恋人」→「好きでもない方」。「かな」は本来「恋人」「愛する人」の意だが、ここでは愛情が伴わない結婚を表現。
ニ めでい事寄してぃあかん生ち別り 浮世恨みとてぃ 行ちゅる苦りしゃ
めでいくとぅゆしてぃ あかんいちわかり うちゆうらみとてぃ いちゅるぐりしゃ
medei kutu yushiti 'akaN 'ichiwakari 'uchiyu 'uramitoti 'ichuru gurisha
〇奉公を命じられて心残りのまま生き別れとなり 浮世を恨んでいくことの苦しいことよ!
語句・めでい 「王府へのご奉公、出仕、宮使え、公務」【琉辞】。<「旧かな‘みおやだいり’『混効験集』」【琉辞】。・ゆしてぃ <ゆしゆん 「①寄せる②忠告[助言]する」【琉辞】。ここでは「命じられて」。・あかん <あちゅん 飽きる。→あかん 連体形では「飽きない」。副詞では「飽きずに」。心残り。<飽きない。 「あかんわかり」 いまだに飽きていないのに別れなければならない様。
三 あだし世ぬ中ぬ 無情ぬあだ花や朝夕ちみらりてぃ 胸や焦がり
あだしゆぬなかぬ むじょぬあだばなや あさゆちみらりてぃ んにやくがり
'adashi yu nu naka nu mujoo nu 'adabana ya 'asayu chimirariti Nni ya kugari
〇恨む世の中で情けもない徒(あだ)花は毎日閉じ込められて胸は焦がれて
語句・あだし 徒(あだ)のある、つまり「恨みのある」。・ちみらりてぃ <ちみゆん つぃみゆん 詰められて。閉じ込められる、幽閉される意味。
四 我胴や瓦屋村 肝や里御側忘てぃ忘ららん里が情き
わどぅやからやむら ちむやさとぅうすば わしてぃわしららん さとぅがなさき
wa du ya karayamura chimu ya satu usuba washiti washiraraN satu ga nasaki
〇わが身は瓦屋村、心は貴方のお側 忘れても忘れられない貴方の真心
語句・わどぅ わが身。「どぅ」(「胴」の当て字)は体。
五 瓦屋頂登てぃ 真南向かてぃ見りば島浦どぅ見ゆる里や見らん
からやちじぬぶてぃ まふぇんかてぃみりば しまぬらどぅみゆる さとぅやみらん
kaaraya chiji nubuti mahwe Nkati miriba shimanura du miyuru satu ya miraN
〇瓦屋の丘に登って南に向かってみると村の反対側だけが見えて貴方は見えない
語句・からやちじ 瓦屋村で一番高い丘。・しまぬら 村の反対側(離れている場所)。<しま。村。+ぬら<ぬ+うら。ぬーら。
琉球古典舞踊の「瓦屋節」(からやー)は、沖縄にいた朝鮮人陶工に見初められた女性が王府の命令でその陶工と結婚したが、実はその女性は結婚していて、無理やり別れさせられた夫を偲んで毎日悲しんでいたという17世紀頃の伝説に基づいている。
この唄は、その古典舞踊や伝説に基づいて故滝原康盛氏が作り、ヒットした。
「あかん」について
二番の「あかん生ち別り」について琉歌大成でほかの琉歌を調べてみた。
あかぬ別れのつれなさや 朝夕面影のいつものかぬ
あかぬわかりんちりなさや あさゆうむかじぬいちんぬかぬ
〇飽かぬ別れの悲しいことよ。朝に夕に恋しい面影がいつも離れない
(【琉歌大成】より)
このように「飽きない」という意味で、心が残っているのに別れなければならない時の表現のようだ。
本土でも昔の唄に「あかん」が使われている。
うとまるる心しなくは郭公あかぬ別れに今朝は消なまし思ふ事はべりけるころ郭公を聞きて
(「後撰和歌集」 10世紀ごろのものか。)
「あだし世」について
染めなりしお側いつまでが添ゆら あだし世の恋路定めぐりしや
すみなりしうすば いちまでぃがすゆら あだしゆぬくいじ さだみぐりしゃ
〇馴染みの貴方のお側にいつまで一緒にいられるでしょうか。浮世の恋は先がわかりません
(【琉歌大成】より)
「浮世」にはさまざまな意味があるが、琉歌ではよく「苦しい世の中」「厳しい現実」のように使われることが多い。「あだし世」はほぼ同義語のようだ。
この唄は、その古典舞踊や伝説に基づいて故滝原康盛氏が作り、ヒットした。
「あかん」について
二番の「あかん生ち別り」について琉歌大成でほかの琉歌を調べてみた。
あかぬ別れのつれなさや 朝夕面影のいつものかぬ
あかぬわかりんちりなさや あさゆうむかじぬいちんぬかぬ
〇飽かぬ別れの悲しいことよ。朝に夕に恋しい面影がいつも離れない
(【琉歌大成】より)
このように「飽きない」という意味で、心が残っているのに別れなければならない時の表現のようだ。
本土でも昔の唄に「あかん」が使われている。
うとまるる心しなくは郭公あかぬ別れに今朝は消なまし思ふ事はべりけるころ郭公を聞きて
(「後撰和歌集」 10世紀ごろのものか。)
「あだし世」について
染めなりしお側いつまでが添ゆら あだし世の恋路定めぐりしや
すみなりしうすば いちまでぃがすゆら あだしゆぬくいじ さだみぐりしゃ
〇馴染みの貴方のお側にいつまで一緒にいられるでしょうか。浮世の恋は先がわかりません
(【琉歌大成】より)
「浮世」にはさまざまな意味があるが、琉歌ではよく「苦しい世の中」「厳しい現実」のように使われることが多い。「あだし世」はほぼ同義語のようだ。
Posted by たる一 at 09:37│Comments(0)
│か行
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