2009年01月31日
仲里節
仲里節
なかざとぅぶし
nakazatu bushi
語句・なかざとぅ 「『琉歌百控』には久米嶋仲里間切に起こった歌とあるが、伊平屋島の仲里説、また仲里は仲島のことだとする説もあるようだ」(「歌三線の世界」)。地名ではあるが確定はできないようだ。
聞けば仲里や 花の本てもの 咲き出らば一枝 持たちたぼうれ
ちきばなかざとぅや はなぬむとぅでむぬ さちじらばちゅいぇだ むたちだぼり
chikiba nakazatu ya hana nu mutu demunu sachijiraba chuyeda mutachi tabori
○聞いたこところ仲里は華やかな(遊びの)土地であるから 咲き出たら一枝持たせてください
語句・ちきば <ちちゅん 聞く。 ちき→已然形 + ば 「既定[順接]条件をあらわす」(琉)。 昔「古典」でならわれた記憶がある方も多いだろうが、「未然形+ば」は「…タラ、…ナラバ」などの意味になり、「已然形+ば」なら「…ノデ、…カラ、…タトコロ、…トイツモ、…ト必ズ」などの意味になる。つまり本土の古典の文法と密接だったから同じ法則が適用できる。そうすると、ここでは「聞いたところ」ぐらいがよいのではないだろうか。「噂では」というニュアンスだと理解しよう。 ・はなぬむとぅ 「はな」とは、植物の「花」であると同時に「華やかな遊び」つまり遊郭(「花」は遊女を指す場合が多い)や毛遊びがよく行われた場所をさす。「むとぅ」は文語で①許(もと)②元、元本③以前などの意味がある。 本部宮古根の「渡久地から登て花の元辺名地・・・」と同じ。
「琉歌百控え」から
(仲里節の歌詞としてあげてある琉歌)
聞けば仲里や花の本てもの咲出らば一枝持ち呉て給れ
ちきばなかざとぅやはなぬむとぅでむぬ さちじらばちゅいぇだむちくぃてぃたぼり
chikiba nakazatu ya hana nu mutu demunu sachijiraba chuyeda muchikwititabori
○聞いたこところ仲里は華やかな(遊びの)土地であるから 咲き出たら一枝持たせてください
花と思みは里前花持ち給れ いつまでも思は御身いまおれ
はなとぅみばさとぅめ はなむちたぼり 'いちまでぃん'うみば うんじゅ'いもり
hana tumiba satume hana muchitabori 'ichimadiN 'umiba uNju 'imori
○花と思ったら貴方、花をお持ちください いつまでも、思ったら貴方がいらしてください
音信も聞も見詰覧あれはおもひ安まらん旅の空や
'うとぅじりんちかん みちみらんありば 'うむいやしまらんたびぬすらや
'utujiriN chikaN michimiraN 'ariba 'umui yashimaraN tabinu sura ya
○音信も聞かない 見ることもないので 思いが休まらない 旅の身の上は
語句・うとぅじり 「うとぅ」は「音」で「音信」。「じり」は「信」と当て字があるが、「知り」であろうか、「義理」であろうか、不明。・みちみらん 「見詰覧」と当て字があるが、「覧」は「・・でない」と否定の「らん」ではないだろうか、不明。とりあえず「見つめない」→「見ない」と訳す。 ・すら いわゆる「空」ではなく「身空」、つまり「身の上」。
音に聞恋に思ひ焦とて拝て振別る縁の面灘
'うとぅにちく くいに'うむいくがりとてぃ うがでぃふわかりるいんぬちらさ
'utu ni chiku kui ni 'umui kugaritoti ugadi huwakariru yiN nu chirasa
○噂に聞く(だけの)恋に思い焦がれていても お会いして(すぐ)別れる縁のなんと辛いことよ!
語句・うがでぃ お会いして。<うがぬん うがむん。 拝む。お会いする。「いちゃゆん」会う の謙譲語。 ・ふわかる <ふり 接頭語 +わかりゆん 別れる。
かん自由も成ぬ世界やなて来はの主か世話世話と物よ思て
かんじゆんならぬ しけやなてぃくりば ぬしゅがしわじわとぅむぬゆ'うむてぃ
kaNjiyuN naranu shike ya natikuriba nushu ga shiwajiwa tu munu yu 'umuti
○こう自由もならぬ世界になってくると ご主人様の(ことが)心配で心配で もの思いになって
語句 ・かん こう。 ちょっと。・ぬしゅ 「主」(ぬし)だろう。 ・しわじわ 「心配する」の「しわ」を重ねている。「世話」からきている。
かん自由も成ぬのかすとくかにある一期さへ居ぬ世界と安か
かんじゆんならぬ ぬがしどぅくかねる いちぐさえ うらぬしけどぅやしが
kaN jiyuN naranu nugashi duku kaneru ichigusae uranu shike du yashiga
○こう自由もならない なぜあまりにも かような人生さえない世界であるが
語句・ぬがし <ぬー 何。 + が 疑問 + し 強意助詞。 「いかで、などて」「英語のhow,whyのいずれにも」(琉)。つまり、どうして。何故。いかに。 ・どぅく あまりにも。「過度に、余りに(も)、ひどく;ろくに〔ろくすっぽ〕(ない)〔rukuとも〕」(琉)。 ・いちぐ 一生涯。人生。
野村流 続巻、安冨祖流 下巻にある。
舞踊でもつかわれる。
実際歌われるときには囃子が多くはいる。
ちきばなかざとぅや ユリティクユリティク
はなぬむとぅでむぬ アシブサ ウドゥユサ
さちじらばちゅいぇだ ムタスサ ヤラスサ
むたちたぼ たぼり カリユシ カリユシ
囃子の意味は
ユリティクユリティク →寄りて来い →近寄って来い
アシブサ ウドゥユサ →遊ぶさ 踊ゆさ →遊びたい 踊りたい
ムタスサ ヤラスサ →持たすさ やらすさ →持たせるよ 行かせるよ
カリユシ カリユシ →嘉例吉 嘉例吉 →めでたい(縁起よい) めでたい(縁起よい)
舞踊は「打ち組踊り」で、男女の役で相思相愛を表現している。
個人的には先日広島の息子さんを訪ねてこられた沖縄のある方の唄三線でこれを聴かせていただいた。
みごとな味のある唄で感銘した。
唄との出会いは人との出会いでもある。感謝。
久米島にあるこの唄の歌碑。2012年に筆者撮影。
なかざとぅぶし
nakazatu bushi
語句・なかざとぅ 「『琉歌百控』には久米嶋仲里間切に起こった歌とあるが、伊平屋島の仲里説、また仲里は仲島のことだとする説もあるようだ」(「歌三線の世界」)。地名ではあるが確定はできないようだ。
聞けば仲里や 花の本てもの 咲き出らば一枝 持たちたぼうれ
ちきばなかざとぅや はなぬむとぅでむぬ さちじらばちゅいぇだ むたちだぼり
chikiba nakazatu ya hana nu mutu demunu sachijiraba chuyeda mutachi tabori
○聞いたこところ仲里は華やかな(遊びの)土地であるから 咲き出たら一枝持たせてください
語句・ちきば <ちちゅん 聞く。 ちき→已然形 + ば 「既定[順接]条件をあらわす」(琉)。 昔「古典」でならわれた記憶がある方も多いだろうが、「未然形+ば」は「…タラ、…ナラバ」などの意味になり、「已然形+ば」なら「…ノデ、…カラ、…タトコロ、…トイツモ、…ト必ズ」などの意味になる。つまり本土の古典の文法と密接だったから同じ法則が適用できる。そうすると、ここでは「聞いたところ」ぐらいがよいのではないだろうか。「噂では」というニュアンスだと理解しよう。 ・はなぬむとぅ 「はな」とは、植物の「花」であると同時に「華やかな遊び」つまり遊郭(「花」は遊女を指す場合が多い)や毛遊びがよく行われた場所をさす。「むとぅ」は文語で①許(もと)②元、元本③以前などの意味がある。 本部宮古根の「渡久地から登て花の元辺名地・・・」と同じ。
「琉歌百控え」から
(仲里節の歌詞としてあげてある琉歌)
聞けば仲里や花の本てもの咲出らば一枝持ち呉て給れ
ちきばなかざとぅやはなぬむとぅでむぬ さちじらばちゅいぇだむちくぃてぃたぼり
chikiba nakazatu ya hana nu mutu demunu sachijiraba chuyeda muchikwititabori
○聞いたこところ仲里は華やかな(遊びの)土地であるから 咲き出たら一枝持たせてください
花と思みは里前花持ち給れ いつまでも思は御身いまおれ
はなとぅみばさとぅめ はなむちたぼり 'いちまでぃん'うみば うんじゅ'いもり
hana tumiba satume hana muchitabori 'ichimadiN 'umiba uNju 'imori
○花と思ったら貴方、花をお持ちください いつまでも、思ったら貴方がいらしてください
音信も聞も見詰覧あれはおもひ安まらん旅の空や
'うとぅじりんちかん みちみらんありば 'うむいやしまらんたびぬすらや
'utujiriN chikaN michimiraN 'ariba 'umui yashimaraN tabinu sura ya
○音信も聞かない 見ることもないので 思いが休まらない 旅の身の上は
語句・うとぅじり 「うとぅ」は「音」で「音信」。「じり」は「信」と当て字があるが、「知り」であろうか、「義理」であろうか、不明。・みちみらん 「見詰覧」と当て字があるが、「覧」は「・・でない」と否定の「らん」ではないだろうか、不明。とりあえず「見つめない」→「見ない」と訳す。 ・すら いわゆる「空」ではなく「身空」、つまり「身の上」。
音に聞恋に思ひ焦とて拝て振別る縁の面灘
'うとぅにちく くいに'うむいくがりとてぃ うがでぃふわかりるいんぬちらさ
'utu ni chiku kui ni 'umui kugaritoti ugadi huwakariru yiN nu chirasa
○噂に聞く(だけの)恋に思い焦がれていても お会いして(すぐ)別れる縁のなんと辛いことよ!
語句・うがでぃ お会いして。<うがぬん うがむん。 拝む。お会いする。「いちゃゆん」会う の謙譲語。 ・ふわかる <ふり 接頭語 +わかりゆん 別れる。
かん自由も成ぬ世界やなて来はの主か世話世話と物よ思て
かんじゆんならぬ しけやなてぃくりば ぬしゅがしわじわとぅむぬゆ'うむてぃ
kaNjiyuN naranu shike ya natikuriba nushu ga shiwajiwa tu munu yu 'umuti
○こう自由もならぬ世界になってくると ご主人様の(ことが)心配で心配で もの思いになって
語句 ・かん こう。 ちょっと。・ぬしゅ 「主」(ぬし)だろう。 ・しわじわ 「心配する」の「しわ」を重ねている。「世話」からきている。
かん自由も成ぬのかすとくかにある一期さへ居ぬ世界と安か
かんじゆんならぬ ぬがしどぅくかねる いちぐさえ うらぬしけどぅやしが
kaN jiyuN naranu nugashi duku kaneru ichigusae uranu shike du yashiga
○こう自由もならない なぜあまりにも かような人生さえない世界であるが
語句・ぬがし <ぬー 何。 + が 疑問 + し 強意助詞。 「いかで、などて」「英語のhow,whyのいずれにも」(琉)。つまり、どうして。何故。いかに。 ・どぅく あまりにも。「過度に、余りに(も)、ひどく;ろくに〔ろくすっぽ〕(ない)〔rukuとも〕」(琉)。 ・いちぐ 一生涯。人生。
野村流 続巻、安冨祖流 下巻にある。
舞踊でもつかわれる。
実際歌われるときには囃子が多くはいる。
ちきばなかざとぅや ユリティクユリティク
はなぬむとぅでむぬ アシブサ ウドゥユサ
さちじらばちゅいぇだ ムタスサ ヤラスサ
むたちたぼ たぼり カリユシ カリユシ
囃子の意味は
ユリティクユリティク →寄りて来い →近寄って来い
アシブサ ウドゥユサ →遊ぶさ 踊ゆさ →遊びたい 踊りたい
ムタスサ ヤラスサ →持たすさ やらすさ →持たせるよ 行かせるよ
カリユシ カリユシ →嘉例吉 嘉例吉 →めでたい(縁起よい) めでたい(縁起よい)
舞踊は「打ち組踊り」で、男女の役で相思相愛を表現している。
個人的には先日広島の息子さんを訪ねてこられた沖縄のある方の唄三線でこれを聴かせていただいた。
みごとな味のある唄で感銘した。
唄との出会いは人との出会いでもある。感謝。
久米島にあるこの唄の歌碑。2012年に筆者撮影。
Posted by たる一 at 11:23│Comments(0)
│な行
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