2007年05月16日

舟越節 (八重山民謡)

舟越節
ふなくやーぶし
hunakuyaa bushi
語句・ふなくやー石垣島北部の村の名前。東西の海の間がもっとも狭いところで260メートルしかなく昔は舟を担いで越えたことからついた名前

(  i 下線は中舌母音)


一、伊原間ゆ立てぃだす 舟越ゆ立てぃだす (スリユワイヌ サースリユバナウレ)
'いばるまゆたてぃだす ふなくやゆたてぃだす(すり ゆわいぬ さー すり ゆばなうれ) 囃子言葉は以下省略
'ibaruma yu tatidasu hunakuya yu tatidasu
伊原間(村)をたてたこと 舟越(村)をたてたこと
語句・いばるま 舟越の北部の村。・を ・たてぃだすたてたこと <たつんtatsuN 立つ ①立つ②出発する③生活する④交際する ここでは「村を建てる」の意味だろう。+だ 動詞の過去形。+す こと。


二、誰ぬ主ぬ立てぃだね 何ぬ親ぬ立てぃだね
たるぬしゅぬたてぃだね じりぬやーぬたてぃだね
taru nu shu nutatidane jiri nu yaa nu tatidane
何と言う役人がたてたのだろう 何と言う級の高い役人がたてたのだろう
語句・たる誰 ・しゅ役人 ・・・かなあ。自問。


うんぬ主ぬ立てぃだす みつぃんびらまぬ立てぃだす
'うんぬしゅぬたてぃだす みつんびらまぬたてぃだす
'uN nu shu nu tatidasu mitsiN birama nu tatidasu
その役人が立てたこと 立派な兄さんが立てたこと
語句・うんその・みつ①三つの②道の ここでは②を採用した。道=倫理的な つまり「立派な」・びらま妹からみたお兄さん


うんぬ主や頭ゆなり給んな みつぃんびらまや目差ゆなり給んな
'うんぬしゅやかしらゆなりたぼんな みつんびらまや みざしゆなりたぼんな
'uN nu shu ya kashira yu naritaboNna mitsiN birama ya naritaboNna
その役人は村長になってくださるのか? 立派な兄さんは目差という役人になってくださるのか?
語句・たぼんなくださるからかなあ? <たぼーるん たぼる してくださる +ん 理由を示す +なー ・・かなあ。 


居るな居る見るけーどぅ 立つぃな立つぃ見るけーどぅ
'uruna 'urukee du tatsna tashu mirukee du
ずっと居てみるうちに ずっと暮らしてみるうちに
語句・うるなうる ずっと居るうちに<直訳では 居るだけ居る間こそ 古謡でよくつかわれるいいまわし。「な」は禁止ではなく「繰り返し・・する」、という意味の「なー」。・たつ暮らす・みる・・してみる・けー・・する間 (例)黒島に居るけーや 久場山越路節


伊原間どぅさにしゃーる 舟越どぅさにしゃーる
'いばろーまどぅ さにしゃーる ふなくやーどぅ さにしゃーる
'ibarooma du sanishaaru hunakuyaa du sanishaaru
伊原間こそ楽しい 舟越こそ楽しい
語句・さにしゃーる楽しい <さにしゃーん 楽しい 嬉しい +ある 融合したもの

沖縄本島の「祝い節」の本歌(ルーツ)ともいわれる八重山民謡。
「舟越」(ふなくやー)は、石垣島の北東部の細長い部分の村で、もっとも狭い部分で幅260m。
昔は天候によって小船を担いで東と西の海岸を行き来したという。

「島うた紀行」によると、当時、石垣北部はマラリア地獄だったが、「石垣、登野城の二つの村から
およそ140人が伊原間や舟越、安次に新村を建設するために強制移住がおこなわれた。
人頭税と悪性マラリアのため、これらの地では尊い命が奪われたという。」

歌は、八重山民謡に多い「問いかけ」から始まる。
誰が村を興したか、村を建てた役人を賛美しているようにも聞こえるが、責任を追及しているようでもある。
そして、

居るな居る見るけーどぅ 立つぃな立つぃ見るけーどぅ

古謡に特有で
「繰り返し・・するうちに」の意味。

どんなに厳しい土地でも住んでみるうちに、長年暮らすうちに楽しい村になる。
という諦観。あきらめにも近い言葉。しかし、裏を返せばそれだけ苦しかったということを読み取りたい。

さて、話題を変える。
CD「嘉手苅林昌 山里勇吉 うたあわせ」で、この「舟越節」と「祝い節」の比較が聴ける。
よく似たメロディーに、まったく違う歌詞がのっている。
囃子言葉は共通である。

スリ ユワイヌ サースリ ユバナウレ

歌は、過去の古謡から伝えられてくる際に歌詞は変化するが囃子言葉は変化しにくいという。
メロディーと一体化した囃子言葉は、まさに、その歌を代表する部分でもある。
よく、歌の名前が囃子言葉からつけられることがあるが、そのためであろう。

胤森さんから歌の訳を習う際に気をつけるようにいわれたことがある。
それが囃子言葉の訳だ。
言語学者は、囃子言葉には手をださない、といわれた。

短い語句で、前後の関係からの類推もできず、しかも長い時代の変化をかぶりながら
いまに伝えられる囃子言葉は、その意味を文法的に解釈するには困難だからだ。

しかし「怖いもの見たさ」ではないが、歯が立たないことは承知で
ちょっとこの舟越節の囃子言葉をのぞいてみよう。

スリ  
    これは多くの沖縄本島民謡、八重山民謡につかわれる。
    本土では民謡に「ソーレ」「ソレ」というものが使われるがそれとよく似ている。
    ソレ「sore」の三母音化はスリ「suri」となるのも面白い。
    調子を整える、あるいは勢いをつける言葉か。

ユワイヌ 
     本島では 祝う は 'いうぇー 'iwee  敬語で 'ういうぇー 'uiwee  ゆうぇー
     石垣では 祝い は よい yoi  祝う よいしゅん yoishuN
  「祝い」を連想する「ユワイ」は、こうした現代の本島や八重山の言葉には残っていない古語なのだろうか。

サースリ 
      サー と スリ

ユバナウレ 
      前にもどこかで書いたが「世ば直れ」という説が有力だ。八重山、宮古民謡に多い。
      人頭税の苦しみ、自然の猛威への畏れ、豊作への願い、そうした思いから歌い継がれてきたの      かもしれない。
      ちなみに「ユ」とは「ユー」であろうが、「世」も「代」も同じ発音。「バ」は八重山口で、      「を」に近い。
      強調の意味もある。「ナウレ」は「直れ」と当て字を当てる人が多い。石垣方言では「直る」      は「ノールン」「ナルン」。
      先ほどの「ユワイ」と同じ古語で今は残っていないのかもしれない。

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