2009年06月20日

どぅなんスンカニ

どぅなんスンカニ
どぅなんすんかに
dunaN suNkani
与那国のスンカニ節
語句・「与那国しょんかねー」を参照。


一、与那国ぬ情 い言葉どぅ情 命ぬある間や とぅやいしゃびら
ゆなぐにぬなさぎ いくとぅばどぅなさぎ ぬてぃぬ'あるあいや とぅやいしゃびら
yunaguni nu nasagi ikutuba du nasagi nuti nu aru ai ya tuyai shabira
与那国の情けは 言葉通りの情け 命のある間は夫婦でいましょう
語句・なさぎ 情け。与那国方言であろう。・ぬてぃ 命。これも方言。本島「ぬち」。石垣「ぬち nuchï」 ・とぅやい 夫婦で。 【琉辞】に「とぅやーしゅん」(取り合わせる、整える、夫婦にする)から。

ンゾナリムヌヨ ハリ カヌシャマヨ
Nzo nari munu yoo hari kanushama yo
貴方は慣れ親しんだ人 (はり)愛しい人(よ)


二、波多浜下りてぃむちゃる酒盃や 目涙あわむらち 飲みぬならぬ
なんたはま うりてぃむちゃるさかじきや みなだ'あわむらち ぬみぬならぬ
naNtahama uriti mucharu sakajiki ya minada 'awamurachi numi nu naranu
なんた浜に下りて持つ盃は 目涙あふれて飲むことができない
語句・なんたはま 与那国島の北部にある浜。首里からの役人はここから船で出入りした。


三、波多浜までぃや 妻に送らりてぃ 屋手久東崎 女童たまし
なんたはままでぃや とぅじに うくらりてぃ やてぃくあがりざち みやらびたまし
naNtahama madi ya tuji ni ukurariti yatiku agarizachi miyarabi tamashi
なんた浜までは妻に送られて 屋手久、東崎(地名)は娘の責任
語句・たまし 【石辞】には「分け前。権利。義務。責任」とある。妻とは別の娘たちが東崎まで行き見送ったと解釈できる。


四、東ぬ海や千尋どぅたちゅる 家ぬ妻ぬ思い うりんかん深さ
あんぬとぅやしんぴるどぅたちゅる やぬとぅじぬうむい うりんかんふかさ
aN nu tu ya shiNpiru du tachuru ya nu tuji nu umui uriN kaN hukasa
東の海は千尋も深い 家の妻の思いはそれよりも深いのだ
語句・しんぴる 一尋は両手を広げた長さ。その千倍も深いという例え。


五、与那国ぬ渡海や池ぬ水心 心やしやしとぅ 渡てぃいもり
ゆなぐにぬとぅけやいちぬみじぐくる くくるやしやしとぅわたてぃいもり
yunaguni nu tuke ya ichi nu miji gukuru kukuru yashiyashi tu watati imori
与那国の海は池の水のように(静か) 心安心してお渡りください
語句・参照「与那国ションカネー



八重山民謡としては「与那国しょんかね」として知られているが、その元ウタはこの与那国島で生まれた「どぅなんスンカニ」である。
士族によって「すんかに」が工工四化され、さらに細かい節回しを加えることで芸術性を高めた。
しかし「すんかに」には、残された側の率直で素朴な悲しみを表現するかのような強さがある。

筆者は2024年2月21日から26日にかけて与那国島を訪れた。
「すんかに」の歌碑は三か所でみることができた。

どぅなんスンカニ
▲東崎にある「どぅなんぬ情」と書かれた歌碑。

どぅなんスンカニ
▲なんた浜には「すんかに」の二つの歌碑がある。ひとつはこの「すんかに発祥地の碑」。

どぅなんスンカニ
▲もうひとつは教育委員会が作った「すんかに節」(与那国民謡巡り)。

ここにはこう書かれている。

「与那国島の民謡を代表する順として、広く知られている。歌詞は八八八六調の琉歌体になっている。 『八重山民謡誌』 (喜舎場永珣著)に載せてある原歌によれば、与那国に派遣された役人が勤めを終えて帰る際に、 勤務滞在中に仕えて賄女と名残惜しんで悲劇的に別れるなんた浜の情景をうたった詩であるということになっている。すんかに節の特徴は、旋律が悲哀を越えて心臓をもえぐり取る感じのメロディーで、情感を一気に高め、 切々と歌い上げるところにある。
現在まで歌い継がれている代表的な歌詞には、純然たる与那国方言でない語が多く含まれている。 沖縄本島や石垣島の方言が入っていたり、 発音でいえば与那国方言の特徴は 「や」、 「ゆ」 の音が 「だ」、 「どう」と濁音に変化するが、そのようにならない語もある。 これには、 在藩役人や旅人には敬いの念で親切に対応しようと、馴れない沖縄本島や石垣島の言葉を駆使した当時の社会的背景がうかがえる。

参考:宮良保全 『遺稿集 与那国の民謡とくらし』

どぅなんスンカニ
▲なんた浜はおだやかな浜辺だが、すぐ近くまでの波は激しい。琉球時代、3年の赴任を終えた役人はこの浜辺で妾に別れを告げたのだろう。そして沖に停泊する大型の船にむかう伝馬船に乗って浜を離れたに違いない。


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Posted by たる一 at 14:01│Comments(5)た行八重山民謡
この記事へのコメント
いつも楽しく拝読させていただいてます。
スンガー節の研究もお願いします。
比嘉定正さんのコミカルなスンガー節をお願いいたします。
ゆたしくうにげーさびら。
Posted by やっちー at 2009年06月21日 15:09
やっちーさん
ありがとうございます。

スンガー節。

その比嘉定正さんの歌詞を教えていただければ幸いです。

ゆたしく。
Posted by たるー(せきひろし)たるー(せきひろし) at 2009年06月27日 14:04
すんかには「しょんがいな」やらとは関係ないし「寸暇音」だし。対になる同系曲「みらぬ唄(死者別れ唄)」を知らないと見ましたが?
一与那国出身者より。
Posted by ふりむん at 2009年08月18日 19:59
ふりむんさん
コメント、しかもたくさんありがとうございます。

「みらぬ唄」は存じておりません。
与那国の唄ということで、いろいろ教えてくださると助かります。
おそらく当て字だと思いますが、「寸暇音」の意味はなんでしょうか?
Posted by たるー(せきひろし)たるー(せきひろし) at 2009年08月22日 11:35
くがなーさん
たくさんのコメントをありがとうございます。
今後ゆっくり勉強させてもらいながらお返事も書かせてもらいたいと思います。

このブログでは、歌の背景については手元にある数少ない資料や本などを参考にしながら私見を述べさせてもらっています。

もともと歌の歌詞についての意味をいくつかの沖縄・八重山口の辞書と照らし合わせながら自分の勉強のために検討してみるという趣旨でありました。

したがって、その歌のうたわれた地元の方や詳しい方からの情報などはとてもありがたく勉強させてもらっています。

さらにその歌がどのような時にうたわれるか、言葉の表面の意味だけでなく背景や「裏」にどのような意味がこめられているのか、不勉強の私には教えていただけることはありがたいことです。

今回の「すんかに」は「ちょっとの間の別れ」という意味だというご指摘、前回のふりむんさんのご指摘をあわせて勉強になります。

「しょんかね」の意味をどう解釈するかということですが、「しょんがいな」という全国で流行した歌の囃子との関係が語られるのが一般的だと理解していましたが、そうでないというご意見もあると理解させていただきました。
Posted by たる一たる一 at 2011年03月23日 10:55
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