2008年11月29日
目出度節(八重山民謡)
目出度節
めでたい ぶしぃ
medetai busï
語句・めでたい 石垣方言辞典(以下(石)と略す)によると、「めでたい」にあたる語句は「イークトゥ」「カリー」「ニファイ」、「めでたし」は「サラバサラバ」。本島でも「カリユシ」「カリー」「ユルクビ」などで、「めでたい」という標準語そのものの呼び方は本島にも八重山にもないことになる(古語の検証はしていないが)。よってこれはあえて標準語を採用したのではないだろうか。歌がつくられたとされる1843年は明治維新の数年前ということもあり本土(薩摩藩)との関係を連想させる。また後にみる「さんさ」という囃子言葉も本土との結びつきを連想させるものがあるが詳細は不明。
今年作たる稲粟や実り出来たい (サンサ) 面白ゑ (メデタイ メデタイ)
※括弧の囃子言葉は以下省略。
くとぅしちくたる'いに'あわや みぬりでぃきたい 'うむしるえ
kutushi chikutaru 'ini'awa ya minuri dikitai 'umushiru e
○今年作った稲粟は実り良く出来ただろう?面白いことよなあ!
語句・ちくたる (石)によると「つくる」は「チゥクルン」、つまり「chïkuruN」で中舌母音が入る。しかし、どの本を見ても「ちくたる」とあり、中舌母音がない理由は不明。・い 多くの本では「・・したことは」と訳されている。 しかし「動詞(志向形)+い」は「自分の意思について相手の同意を求めるために問いかける時の文末につく」(石)。 したがって「・・出来ただろう?」と、相手への同意を誘う意味を含んでいると思われる。 ・え <えー おい。なあ。などの感動詞ではないだろうか。・さんさ 八重山民謡で「さんさ」を囃子言葉にする曲はこれだけである。ちなみに「さんさ」の意味は不明だが、東北の秋田や、関東の日立、山口などに「さんさ」が付く囃子や踊りがあり、全国に広がった流行の囃子言葉と見ることができる。その一つであるかどうかは興味深いが不明。
年貢上納は不足なくに捧ぎ上げたい 誇らしゃや
にんぐじょーぬはふしくなくにささぎ'あぎたい ふくらしゃや
niNgu joonu wa hushiku naku ni sasagi 'agitai hukurasha ya
○年貢の上納は不足ないように捧げあげたよなあ?嬉しいことよ!
語句。じょーぬ (石)には「じょーのー」(上納)とある。何故「じょーぬ」なのか不明。 ・い 前の句の「い」と同じと思われる。つまり「あげたよなあ」。 ・ふくらしゃ 「めでたさ。よろこばしさ。『誇らしさ』の意。歌謡のなかで本島からの借用語として用いる」(石)。・や 感嘆詞としての「や」。
捧ぎ残いやあまたありて 酒やみきとぅむ造りとーてぃ
ささぎぬくいや'あまた'ありて さきやみきとぅむ ちくりとぅてぃ
sasagi nukui ya 'amata 'arite saki ya miki tumu chikurituti
○捧げて残りはたくさんあって酒や神酒共(に)造っておいて
語句・ありて 「ありてぃ」と読まず「ありて」と標準語的に読む。理由は不明。・とぅてぃ 歌詞を参考にした「八重山古典民謡工工四 大濱安伴 編著」では「とーてぃ」と表記があるが、「とぅてぃ」と表記したものが多い。「ちくりてぃ+うてぃ」の融合したもの「ちくりとぅてぃ」ではないだろうか。
今日ん明日にん遊ぶ嬉しゃ ありに三四とぅくりに五六
きゆん'あちゃにん 'あしぶ'うりしゃ 'ありにさんしとぅ くりにぐるく
kiyuN 'achaniN 'ashibu 'urisha 'ari ni saNshi tu kuri ni guruku
○今日も明日も遊ぶ(ことは)嬉しいとこよ! あれに三四とこれに五六
語句・ありにさんしとぅくりにぐるく 不明。「島うた紀行」では「不詳。サミなど手指を使って勝負を競う遊びを仲間でやることの意か」とある。「八重山古典民謡歌詞集」では「中国から伝来された酒座の遊び賭博の一種」とある。
遊び歓いや踊いしゃびら 禹呉夏ぬ御代や宮良村に
'あすび'あまいやうどういしゃびら 'うぐかぬみゆやみやらむらに
'asubi 'amai ya uduishabira 'uguka nu miyu ya miyaramura ni
○遊ぶ歓び(に)は踊りましょう 「動かない」御代は宮良村に
語句・あまい <あまいん 「うれしがる。喜ぶ。楽しむ。」(石)。 ・うぐかぬ 当て字で「禹呉夏」とあるが、「禹」とは伝説上の中国の古代王朝「夏」の始祖の名前。呉も古代王朝名である。「動かない」という意味に、古代中国王朝名などを「言葉遊び」的に重ねたものか、それ自体に意味があるか不明。宮良村は石垣島。本によっては「うごかぬ」という表音もある。
(松竹梅)
松は千年ぬ齢を保ち 老いてぃ若やく事ぬ嬉しゃ
まちわちとぅしぬゆわいをたもち 'ういてぃわかやくくとぅぬ'うりしゃ
machi wa chitushi nu yuwai wo tamochi 'uithi wakayaku kutu nu 'urisha
○松は千年の年を保って 老いて若くなることの嬉しいことよ!
語句・わ 「や」ではなく「わ wa」と大和口の影響大と思われる。 ・を 「ゆ」ではなく「を」。大和口。 ・たもち 「たむち」ではなく「たもち」。大和口。
庭ぬ呉竹節々毎に君が万代ぬ齢くみてぃ
にわぬくりだきふしぶしぐとぅに きみがゆるずぬゆわいくみてぃ
niwa nu kuridaki hushibushi gutu ni kimi ga yuruzuyu nu 'yuwai kumiti
○庭の呉竹(が)節々毎に 君の万代の年齢をこめて
語句・ゆわい 年齢。(石)には「ゆわい」も「いわい」もない。「齢」は大和口で「よわい」(よわひ)。それのウチナーグチ読み(三母音化)で「ゆわい」。 ・くみてぃ こめて。<くみゆん 入れる。込める。
軒端ぬ梅は初春毎に花ん匂いんまさるなり
ぬきばぬ'んみわはちはるぬぐとぅに はなんにうぃんまさるなり
nukiba nu Nmi wa hachiaru nu gutuni hanaN niwiN masarunari
○軒のあたりの梅は初春ごとに花も匂いも勝るのだ
君は百歳私九十九まで共に白髪の生えるまで
きみわひゃくさいわしゃくじゅくまで とぅむにしらがぬはいるまでぃ
kimi wa hyakusai washa kujuku madi tumu ni shiraga nu hairu madi
○君は百歳 私は九十九歳まで共に白髪の生えるまで
今日の座敷は祝いの座敷 亀が歌いば鶴や舞方
きゆぬざしちわゆわいぬざしち かみが'うたいば ちるやめかた
kiyu nu zashichi wa yuwai nu zashichi kami ga 'utaiba chiru ya mekata
○今日の座敷は祝いの座敷 亀が歌えば鶴は踊り役
めでたい ぶしぃ
medetai busï
語句・めでたい 石垣方言辞典(以下(石)と略す)によると、「めでたい」にあたる語句は「イークトゥ」「カリー」「ニファイ」、「めでたし」は「サラバサラバ」。本島でも「カリユシ」「カリー」「ユルクビ」などで、「めでたい」という標準語そのものの呼び方は本島にも八重山にもないことになる(古語の検証はしていないが)。よってこれはあえて標準語を採用したのではないだろうか。歌がつくられたとされる1843年は明治維新の数年前ということもあり本土(薩摩藩)との関係を連想させる。また後にみる「さんさ」という囃子言葉も本土との結びつきを連想させるものがあるが詳細は不明。
今年作たる稲粟や実り出来たい (サンサ) 面白ゑ (メデタイ メデタイ)
※括弧の囃子言葉は以下省略。
くとぅしちくたる'いに'あわや みぬりでぃきたい 'うむしるえ
kutushi chikutaru 'ini'awa ya minuri dikitai 'umushiru e
○今年作った稲粟は実り良く出来ただろう?面白いことよなあ!
語句・ちくたる (石)によると「つくる」は「チゥクルン」、つまり「chïkuruN」で中舌母音が入る。しかし、どの本を見ても「ちくたる」とあり、中舌母音がない理由は不明。・い 多くの本では「・・したことは」と訳されている。 しかし「動詞(志向形)+い」は「自分の意思について相手の同意を求めるために問いかける時の文末につく」(石)。 したがって「・・出来ただろう?」と、相手への同意を誘う意味を含んでいると思われる。 ・え <えー おい。なあ。などの感動詞ではないだろうか。・さんさ 八重山民謡で「さんさ」を囃子言葉にする曲はこれだけである。ちなみに「さんさ」の意味は不明だが、東北の秋田や、関東の日立、山口などに「さんさ」が付く囃子や踊りがあり、全国に広がった流行の囃子言葉と見ることができる。その一つであるかどうかは興味深いが不明。
年貢上納は不足なくに捧ぎ上げたい 誇らしゃや
にんぐじょーぬはふしくなくにささぎ'あぎたい ふくらしゃや
niNgu joonu wa hushiku naku ni sasagi 'agitai hukurasha ya
○年貢の上納は不足ないように捧げあげたよなあ?嬉しいことよ!
語句。じょーぬ (石)には「じょーのー」(上納)とある。何故「じょーぬ」なのか不明。 ・い 前の句の「い」と同じと思われる。つまり「あげたよなあ」。 ・ふくらしゃ 「めでたさ。よろこばしさ。『誇らしさ』の意。歌謡のなかで本島からの借用語として用いる」(石)。・や 感嘆詞としての「や」。
捧ぎ残いやあまたありて 酒やみきとぅむ造りとーてぃ
ささぎぬくいや'あまた'ありて さきやみきとぅむ ちくりとぅてぃ
sasagi nukui ya 'amata 'arite saki ya miki tumu chikurituti
○捧げて残りはたくさんあって酒や神酒共(に)造っておいて
語句・ありて 「ありてぃ」と読まず「ありて」と標準語的に読む。理由は不明。・とぅてぃ 歌詞を参考にした「八重山古典民謡工工四 大濱安伴 編著」では「とーてぃ」と表記があるが、「とぅてぃ」と表記したものが多い。「ちくりてぃ+うてぃ」の融合したもの「ちくりとぅてぃ」ではないだろうか。
今日ん明日にん遊ぶ嬉しゃ ありに三四とぅくりに五六
きゆん'あちゃにん 'あしぶ'うりしゃ 'ありにさんしとぅ くりにぐるく
kiyuN 'achaniN 'ashibu 'urisha 'ari ni saNshi tu kuri ni guruku
○今日も明日も遊ぶ(ことは)嬉しいとこよ! あれに三四とこれに五六
語句・ありにさんしとぅくりにぐるく 不明。「島うた紀行」では「不詳。サミなど手指を使って勝負を競う遊びを仲間でやることの意か」とある。「八重山古典民謡歌詞集」では「中国から伝来された酒座の遊び賭博の一種」とある。
遊び歓いや踊いしゃびら 禹呉夏ぬ御代や宮良村に
'あすび'あまいやうどういしゃびら 'うぐかぬみゆやみやらむらに
'asubi 'amai ya uduishabira 'uguka nu miyu ya miyaramura ni
○遊ぶ歓び(に)は踊りましょう 「動かない」御代は宮良村に
語句・あまい <あまいん 「うれしがる。喜ぶ。楽しむ。」(石)。 ・うぐかぬ 当て字で「禹呉夏」とあるが、「禹」とは伝説上の中国の古代王朝「夏」の始祖の名前。呉も古代王朝名である。「動かない」という意味に、古代中国王朝名などを「言葉遊び」的に重ねたものか、それ自体に意味があるか不明。宮良村は石垣島。本によっては「うごかぬ」という表音もある。
(松竹梅)
松は千年ぬ齢を保ち 老いてぃ若やく事ぬ嬉しゃ
まちわちとぅしぬゆわいをたもち 'ういてぃわかやくくとぅぬ'うりしゃ
machi wa chitushi nu yuwai wo tamochi 'uithi wakayaku kutu nu 'urisha
○松は千年の年を保って 老いて若くなることの嬉しいことよ!
語句・わ 「や」ではなく「わ wa」と大和口の影響大と思われる。 ・を 「ゆ」ではなく「を」。大和口。 ・たもち 「たむち」ではなく「たもち」。大和口。
庭ぬ呉竹節々毎に君が万代ぬ齢くみてぃ
にわぬくりだきふしぶしぐとぅに きみがゆるずぬゆわいくみてぃ
niwa nu kuridaki hushibushi gutu ni kimi ga yuruzuyu nu 'yuwai kumiti
○庭の呉竹(が)節々毎に 君の万代の年齢をこめて
語句・ゆわい 年齢。(石)には「ゆわい」も「いわい」もない。「齢」は大和口で「よわい」(よわひ)。それのウチナーグチ読み(三母音化)で「ゆわい」。 ・くみてぃ こめて。<くみゆん 入れる。込める。
軒端ぬ梅は初春毎に花ん匂いんまさるなり
ぬきばぬ'んみわはちはるぬぐとぅに はなんにうぃんまさるなり
nukiba nu Nmi wa hachiaru nu gutuni hanaN niwiN masarunari
○軒のあたりの梅は初春ごとに花も匂いも勝るのだ
君は百歳私九十九まで共に白髪の生えるまで
きみわひゃくさいわしゃくじゅくまで とぅむにしらがぬはいるまでぃ
kimi wa hyakusai washa kujuku madi tumu ni shiraga nu hairu madi
○君は百歳 私は九十九歳まで共に白髪の生えるまで
今日の座敷は祝いの座敷 亀が歌いば鶴や舞方
きゆぬざしちわゆわいぬざしち かみが'うたいば ちるやめかた
kiyu nu zashichi wa yuwai nu zashichi kami ga 'utaiba chiru ya mekata
○今日の座敷は祝いの座敷 亀が歌えば鶴は踊り役
「めでたい節」をとりあげる。
八重山民謡をもとに本島でもよく歌われる。
八重山民謡では「さんさ」「めでたい めでたい」という囃子言葉が珍しい。
「八重山民謡誌」によると1843年、現在は石垣市の宮良村総横目兼与人役の大浜用登が作ったといわれている。
歌詞の概要は、シマ(村)の豊年を願い、年貢(人頭税)を収めることを誇りに思い、収めた残りは祝いの神酒を作って楽しみ、今日も明日も遊ぶ嬉しさをたたえ、宮良村の繁栄を願う。
150年ほどまえの歌であり不明な点も少なくない。
「ありに三四とぅ・・・」は遊びの様子を表現したものか。
「禹呉夏ぬ」は「動かぬ」の当て字だろうか。
松竹梅には、大和口と沖縄口の混合が多くみられる。
(例)
「松は」→「まちわ」 machi wa (「まち」は沖縄口。「わ」は大和口)
松竹梅最後の「君は百歳・・」「今日の座敷は・・」の歌詞は六調や他の歌でもよくつかわれれている。
八重山民謡をもとに本島でもよく歌われる。
八重山民謡では「さんさ」「めでたい めでたい」という囃子言葉が珍しい。
「八重山民謡誌」によると1843年、現在は石垣市の宮良村総横目兼与人役の大浜用登が作ったといわれている。
歌詞の概要は、シマ(村)の豊年を願い、年貢(人頭税)を収めることを誇りに思い、収めた残りは祝いの神酒を作って楽しみ、今日も明日も遊ぶ嬉しさをたたえ、宮良村の繁栄を願う。
150年ほどまえの歌であり不明な点も少なくない。
「ありに三四とぅ・・・」は遊びの様子を表現したものか。
「禹呉夏ぬ」は「動かぬ」の当て字だろうか。
松竹梅には、大和口と沖縄口の混合が多くみられる。
(例)
「松は」→「まちわ」 machi wa (「まち」は沖縄口。「わ」は大和口)
松竹梅最後の「君は百歳・・」「今日の座敷は・・」の歌詞は六調や他の歌でもよくつかわれれている。
Posted by たる一 at 08:34│Comments(0)
│ま行
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