2007年11月11日

主ン妻節

主ン妻節
すんとぅじ ぶし
suN tuji bushi
○父ちゃんも嫁(さがせ)節
語句 ・すんとぅじ す<すー または しゅー  平民の父、お父さん(琉) + ん も  
 直訳すれば「お父さんも妻」となるが、歌詞の一部から来ていると思われる。すなわち「主も妻とぅめり」(お父さんも〔別の〕奥さんをさがせ・もらえ)。


(妻) 歩け主小
'あっけーすーぐわ
'akkee suugwa
歩けよ 父ちゃん
語句・あっけー 歩けよ <あっちゅん 歩く の命令形 あっき 'akki より柔らかい表現。一方で 「あっちゅみ」は直訳すると「歩いているか?」だが、ひさしぶりの目下の者への挨拶「元気か」の意味がある。 
すーぐわ 父ちゃん 「すー」で父ちゃんだが、「小(ぐわ)」が付いて卑下した言い方。「おとー」とか「とーちゃん」くらいの意味。


(主) 歩ちゅさバーチー
'あっちゅさ ばーちー
'acchusa baachii
歩いているよ カアちゃん
語句・あっちゅさ 歩いているよ ・ばーちー 平民の叔母さん 小母さん(琉) ここではくだけてカアちゃんでよいだろう。


(妻)主も妻とめり 我ぬん夫持ちゃい 哀れどや結で縁ぬん な解かや主
すんとぅじとぅめーり わぬんうとぅむちゃい 'あわりどぅやむしでぃ いんぬん なとぅかや すー
suN tuji tumeeri wanuN utu muchai 'awari du ya mushidi yiNnuN na tukaya suu
父ちゃんも嫁(を)探せ。私も夫(を)持って、悲しいことだが結んだ縁も、もう解こうよ 父ちゃん
語句・とぅめーり 探せ <とぅめーゆん 拾う (妻を)めとる (探し)求める (琉) 男性が結婚相手を探したり、めとることに使う。女性は「うとぅ むちゅん」 ・わぬん 私も 普通、「わん」に「ん」が付くと、「わんにん」となるが、ここでは古い言い方。一般に最後が「n」で終わる語句では、これを「nu」として、「N」(も)を付ける。(例)パンもない→ぱぬん ねーん ・むちゃい 持って <むちゅん 持つ muc + 


(主)あんせちゃすが 先じ待てバーチー 汝があん言りば 子の達や ちゃすが男一人しちや育てならぬ うっさ居る子 男一人しち ちゃし育てが
'あんせーちゃすが まじまてぃばーちー 'やーが'あん'いりば っくゎぬちゃーやちゃすが うぃきがちゅいしちやすだてぃならん 'うっさうる っくゎ うぃきがちゅいしちちゃーしすだてぃが
'ansee chasuga maji mati baachii 'yaa ga 'aN'iruba kkwa nu chaa ya chasuga wikiga chui shichi ya sudatinaraN 'ussauru kkwa wikiga chui shichi chaashi sudati ga
それでどうするの?ちょっと待てカアちゃん お前がそう言うと子どもらはどうする?男手一つで育てられない こんなに(たくさん)居る子ども(を)男手一つでどうやって育てるのか?
語句・あんせー それで 接続詞「あんし」+や ・ちゃすがどうする? <ちゃー どう + す<すん する + が 疑問 会話では「ちゃーすが」だが歌詞では「ちゃすが」と短縮する。 ・っくゎ 子ども 発音に注意。「く」の前に音が詰まる。 ・うっさ あんなに 


(妻)妻子のあても ねらん三百六十日 さかな家にくまて飲だい喰たい 家内の立場や 知っちど喰いるい
とぅじっくゎぬ'あてぃんねらん さんびゃくるくじゅーにち さかなやにくまてぃ ぬだいくゎたい ちねーぬたちふぁや しっちどぅくゎいるい
tujikkwa nu 'atiN neraN saNbyakurukujyunichi sakanaya ni kumati nudai kwatai chinee nu tachihwa ya shicchi du kwai ru i
妻子があっても居ない360日 料理屋にこもって飲んだり食べたり 家庭の立場は知って食食べてたのだよね 
語句・ねらん 居ない ・さかなや  料理屋 <さかなやー 娼婦のいる料理屋が多かったようだ ・くまてぃ こもって <くまゆん 篭る ・ぬだいくゎたい 飲んだり食べたり 要は「酒池肉林」 ・くゎいるい 食べていたのだよね <くゎゆん 食う 食べるの卑語 活用後の接尾語iと過去質問形のi の接合→ くゎいー + る <どぅ + い 疑問 



(主)くんなげや我身も肝狂りて居てど あにかにんしちゃる 許ち呉りよ 今からあんせ酔人やならんさ
くんなげやわみん ちむふりてぃうてぃどぅ 'あにかにんしちゃる ゆるちくぃりよ なまから'あんせうぃっちゅやならんさ
kuNnage ya wamiN chimuhuriti du 'anikaniN chicharu yuchikwiri yo namakara 'aNsee wicchu ya naraN sa
こんなに長い間私も心狂いしていたが あんなこんなしたこと許してくれよ 今から、それでは酔っ払いにはならないよ
語句・くんなげ こんなに長い間 <くんなげー ・あにかにん あんなこんな <あねーる(そんな) かねーる(こんな) から来ていると思われる。 ・うぃっちゅ 酔っ払い 


(妻)肝やあらなそて 口や花咲かち いちゃし一家居て暮らしなゆが 思切りよ主 良妻とめて大人なりよ
ちむや'あらなそてぃ くちやはなさかち 'いちゃし'いっかうてぃくらしなゆが 'うみちりよ すー ゆかとぅじとぅめてぃ うとぅななりよ
chimu ya 'arana soti kuchi ya hana sakachi 'ichashi 'ikka uti kurashi nayuga 'umichiri ya suu yukatuji tumeti 'utuna nari yo
心は無いでいて口は花を咲かせ〔心にない口任せを言い〕どうやって一家が暮らしていけるか?あきらめよ父ちゃん いい嫁見つけて大人になれよ
語句・あらなそてぃ 無いでいて <あん 有る の基本語幹 あら + な 無い + そーてぃ<すん 連用語幹 そ の継続形 そーてぃ



(主)りんちゃーバーチー
りんちゃーばーちー
riNchaa baachii
やきもち焼き カアちゃん
語句・りんちゃー やきもち焼く人 やきもち焼き <りんち やきもち 



(妻)グンボー主小
ぐんぼーすーぐわ
guNboo suugwa
浮気もの 父ちゃん
語句・ぐんぼー 牛蒡、ごぼう。転じて 浮気者。牛蒡は連作障害を起こしやすく毎年別の場所で栽培することから浮気をするものを揶揄するのに使う。山原汀間当の囃子「グンボースナヨ」も同じ意味。



(主)今からの後や心改めて産子守い育て 念にいゆさ 子の達にながめて くねーりバーチー
なまからぬ'あとぅや くくる'あらたみてぃ なしぐゎむいすだてぃ にんに'いゆさ っくわぬちゃーにながみてぃ くねーりばーちー
nama kara nu 'atu ya kukuru 'aratamiti nashigwa mui sudati niN ni 'iyusa kkwa nu chaa ni nagamiti kuneeri baachii
今後は心改めて子どもを守り育て 心入れ替えるよ 子どもたちに免じて我慢してくれ カアちゃん
語句・にんにいゆ 念にいれる 直訳はそうだが 「にん」は熱心さ という意味もあり、熱心になるよ がんばるよ と訳してもさしつかえない。心入れ替える、と訳す。・ながみてぃ 免じて <ながみゆん 眺める 免じる。 「ながみ」は「寛容さ」の意味がある。・くねーり 我慢してくれ くねーゆん こらえる 我慢する 命令形


(妻)あらんさ主小 我がる悪さる
'あらんさ すーぐゎ わーがるわっさる
'araN sa suugwa waa ga ru wassaru
違うよ 父ちゃん 私こそが悪いのだ
語句・わーがる 私こそが・・・だ <わー 我 + が が + る = どぅ



(主)あらんさバーチー 我がる悪さる 腹立ちさんごと くねーてとらせ
'あらんさ ばーちー わーがる わっさる はらだちさんぐとぅ くねーてぃとぅらせ
'araN sa baachii waa ga ru wassaru haradachi saNgutu kuneethi turase
違うよ カアちゃん 私こそ悪いのだ 腹立てないで我慢してくれ


(妻)なーぐとる者のゆむ顔や見だらんしが 子に引かされて 行ちやならぬ
なーぐとぅるむんぬ ゆむじらや んだらんしが っくゎにふぃかさりてぃ 'いちやならん
naa guturu muN nu yumu jira ya ndaraNshiga kkwa ni hwikasariti 'ichi ya naraN
お前のような者の嫌な顔は見るに足りないが 子どもに免じて 行くのはやめた
語句・なー あんた お前さん 「目下の年長者に対して幾分敬意をこめた二人称」(琉) ・んだらん 見られない → 見るに足りない <んじゅん 見る → んだりゆん 見られる(見るに足りる) の 否定形 


(主)果報しバーチー
かふーし ばーちー
kahuushi baachii
ありがとう カアちゃん
語句・かふーし ありがとう <くゎふー 果報 + っし して (琉) 


(妻)あき顔ふらーや
'あきちらーふらーや
'aki chiraa huraa ya
あら!顔(が)バカだよ


(主)はいがすらんち たましぬぎたさ ぬぎたるたませー 猫のうつぃ喰て
はいがすらんち たまし ぬぎたさ ぬぎたる たませー まやぬ'うちくゎてぃ
haiga sura Nchi gtamashi nugita sa nugitaru tamasee maya nu 'uchi kwati
(本当に)行くのかと思って 魂抜けたよ 抜けた魂はネコに食わせろ
語句・はいがすらんち  行くのかと思って <はい<はゆん 走る + が + すら するのでは + んち ・・と (んでぃち の略か?) ・たまし 精神 生きた人の魂 (たましー tamashii は 死んだ魂 霊魂。それとは違う) マブイ。

コンビ歌。

夫の浮気にあきれた妻が出て行こうとするが、それを必死に引き止める。
反省をする姿に、しかたなく妻も折れる。
しかし、あくまで男のバカさ加減が浮き彫り。

こういう芝居も多かったようだ。
「さかな屋」(料理屋)のところ「女郎屋」(じゅりぬやー)とはっきり歌う歌詞もある。

現代、こういう構図はもうなくなったのであろうか。
遠い昔の話だろうか。
そうでないから、今でも「生きている」歌なのである。

そういう人の弱さ、現実を素直に歌として公にすることで「笑う」沖縄の文化に
日本本土との違いを感じるのは私だけか。

これもまた先日、宜野湾で行われた由絃會20周年の演目の一つ。
由絃會の会主、上江洲由孝先生、源古




同じカテゴリー(さ行)の記事
さらうてぃ口説
さらうてぃ口説(2018-04-19 17:44)

安里屋ゆんた
安里屋ゆんた(2018-04-12 07:07)

門たんかー
門たんかー(2018-02-02 23:56)

じんだま
じんだま(2016-09-22 14:42)

下千鳥  6
下千鳥 6(2015-09-12 14:36)

スーキカンナー 2
スーキカンナー 2(2014-12-05 14:09)


Posted by たる一 at 21:14│Comments(0)さ行
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。