2006年08月17日

白鳥小節

白鳥小節
しるとぅやーぐわーぶし
shirutuyaa gwaa bushi
語句・・しるとぅやーぐわー「白鳥」は「しるとぅい」と発音するのが普通だと思うが、それを「しるとぅやー」と発音する意味は、おそらくこの「鳥」が動物としての鳥ではなく、神、あるいは人の「権化」としての人格化しているからではないか。ウチナーグチでは、人格化する場合、このように語尾を長母音化する。(たとえば、海歩人='うみ'あっちゃー=漁師、思う人='うむやー=恋人)



一、御船の高艫に(アシタリヌ)白鳥小が居ちょん 白鳥やあらぬ(アシタリヌ)思姉のおしじ
'うにぬたかとぅむに('あ したりぬ)しるとぅやーぐわーが'いちょん しるとぅやーや'あらん('あ したりぬ)'うみないぬ'うしじ
'uni nu takatumu ni ('a shitarinu)shirutuyaagwaa ga 'ichoN shirutuyaa ya 'araN ('a shitarinu)'uminai nu 'ushiji
(括弧は以下省略)
御船の高い船尾に白鳥が居る 白鳥ではない 妹(うない)の神様だ
語句 ・うに <'うふに=御船の縮約形 ・とぅむ 船尾 (だんじゅかりゆし)・したり ①よくやった ②してやった ・うみない 姉 <思い+ヲナリ「unai」 兄(弟)にたいする妹(姉)。・うしじ 神さま。
 


二、干瀬に居る鳥や満潮恨みゆい 我身やあかちちの鳥ど恨む
ふぃしに'うるとぅいやみちしゅ'うらみゆい わみや'あかちちぬとぅいどぅ'うらむ
hwishi ni 'uru tui ya michishu 'uramiyui wami ya 'akachichi nu tui du 'uramu
干瀬に居る鳥は満潮を恨むだろう? 私は明け方の鳥を恨むのだ
語句 ・みちしゅ 満潮 


三、二羽押し連れて飛ぶる浜千鳥たわふりて遊ぶ夫婦千鳥
ふたふぁ'うしちりてぃとぅぶるはまちどぅり たわふりてぃ'あしぶみーとぅちどぅり
hutahwa 'ushichiriti tuburu hamachiduri tawahuriti 'ashibu miitu chiduri
二羽押し連れて飛ぶ浜千鳥 戯れて遊ぶ夫婦の千鳥



四、千里陸道や思れ自由なゆみ(やー思無蔵よ)一里船道の自由ならぬ
しんり'あぎみちや'うむれーじゆなゆみ(やー'うみんぞよ)'いちりふなみちぬじゆんならん
shiNri 'agimichi ya 'umuree jiyu nayumi (yaa 'umiNzo yoo)'ichiri hunamichi nu jiyuN naraN
千里の陸路は思いが自由になるだろう?(愛しい貴女よ)(しかし)一里の船道は自由にならない


五、空飛ぶる鳥のものやちょん云りば(やーこの思い)自由ならぬ無蔵にいえいそしが(思たびけい)
すらとぅぶるとぅいぬ むぬやちょんいりば(やーくぬ'うむい)じゆならん んぞに'いやいすしが('うむたびけい)
sura tuburu tui nu munu ya choN 'iruba (yaa kunu 'umui)jiyunaraN Nzo ni 'iyai susiga
空を飛ぶ鳥がものが言えるなら(この思い)自由にならない貴女に伝言をするのだが(思っただけ)
語句 ・ちょん ・・(で)さえ (以下参照 宮古根) ・いやい 言伝 ことづて 伝言




六、我肝淋々と干瀬たたく波や(かにんつれなさ)変て思無蔵がなごりたちゅさ
わちむさびさびとぅふぃしたたくなみや(かにんちりなさ)かわてぃ'うみんぞがなぐりたちゅさ
wachimu sabisabi tu hwishi tataku nami ya (kaniN chirinasa)kawati 'umiNzo ga naguri tachusa
私の心淋しく干瀬を叩く波は(かようにもつれないことよ!)変わってしまった愛しい彼女に心残りがするよ
語句 ・かにん かくようにも。 <かに(かくように)+ん(も) ・ちりなさ 情けないことよ!<ちりなさん つれない(形) ・なぐり たちゅさ  心残りがするよ。 直訳では、名残りが立つ。「立つ」はウチナーグチでさまざまに使いこなされる便利な言葉である。心残りが「する」と訳しておく。


(コメント)
白鳥を「しるとぅやー」」と読んで、普通の動物としての「鳥」と区別しているが、それほど「鳥」は沖縄では特殊な生き物である。一般に「鳥が家に飛び込む」と吉凶のあらわれとされ、浜に下りて清める風習があるように、鳥には「神の使い」という役割があるとされる。ものの本によればアイヌでも「鳥」を神聖な「使い」としていて日本人の仏教伝来以前の宗教観には共通のものがあるという説もある。
それはさておき、この「鳥」への信仰感と、沖縄独特の「うない信仰」が結びついているのがこの歌詞の一番である。それの理解がどうしても必要である。

少し長いが沖縄語辞典を引用しておく。(下線は筆者)

unai [をなり]男の兄弟から見た姉妹。兄にたいする妹。または弟にたいする姉。wikiiに対する。宗教的には男の兄弟に対する守護神であり、また一家の中で宗教的な任務を担うものである。上流階級のそれは'uminaiという。また王の娘は'uminaibiという。

unaigami [をなりがみ]wikii(姉または妹から見た兄または弟)に対する守護神としてのunai。unaiはwikiiの守護神としての霊力を備えているとされた。wikiiが旅に出るときには、そのunaiの霊がその守護神となる。お守りとして手ぬぐいを持たせるのが普通でそれを'uminaitisaziという。

つまり、一番は、「船の高い船尾に白鳥が居るが、あれは白鳥ではなく、航海の安全を祈る「妹」(または姉)の守護神だ」ということ。

ちなみに沖縄の古い宗教をいまだに残している久高島でも、「兄と妹」は特別な関係とされていて有名な「イザイホー」の祭などでも、この守護関係(つまり、兄を守る妹)の確認がされるそうである。また久高島の男が60歳を過ぎると海の神を司るという神職者「ソールイガナシー」に就任するのだが、そのときも兄の就任に関わるのは妹であるという(参考「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」 比嘉康雄著 )。兄は妹の髪の毛を船の守り神として祀り、それを「船魂(ふなだま)」と呼び、妻の「守護」よりも妹のそれの力が信じられている。
こうした久高島の祭祀や「うない信仰」の背景にあるものは「女系社会」であり、一般に沖縄は「トートーメー」に象徴されているように「男系社会」だと言われているが、それは琉球王朝時代に中国からの強い儒教思想の影響を取り入れたからであり、一見大きく矛盾している「女系社会」と「男系社会」のからみあった構図を理解することも、「歌」の理解には重要なことである。

いいかえると、沖縄の歌の面白さは、「男性優位」と言われながら「よく働き、家を支える女性」というイメージの強い沖縄の社会にあって、その両方の側からの主張が絡み合ってつくられているように思える。

この「白鳥小節」も、主に男性の側からの「思無蔵」(愛しい貴女)への思いが綴られているが、それは思いが伝わらない「ちりなさ」(つれなさ)や「恨み」などが、鳥、そして「海」というキーワードで綴られている。

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Posted by たる一 at 03:44│Comments(0)さ行
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