2006年06月24日

手間当小

手間当小
てぃまとーぐわー
timatoo gwaa


一、月の真盛いや一日三日 十日と十五日 姉小達真盛いや(さー)十七、八さみ あまくまぶっててぃ(さー)ちゅちかみちゃっさが問うてみぶしゃ
ちちぬまさかいやついたちみっか とぅかとぅじゅうぐにち 'あんぐわーまさかいやじゅしちはちさみ'あまくまぶってぃてぃ ちゅちかみ ちゃっさが とぅーてぃみぶしゃ
chichi nu masakai ya tsuitachi mikka tuka tu juugunichi 'aNgwataa masakai ya juusichihachi sami 'amakuma buttiti chuchikami chassaga tuutimibusha
月の真の盛りは一日、三日、十日と十三日。姉さん達の真の盛りは十七、八才である。あちこちがふくらんで ひとつかみ いくらか問うてみたい


二、汝達がしだいぬみから ぬちふぃちさんてい 我が落ちちちゅみ 枕ならびて どんみかさんむん 我が落ちちちゅみ 寄てくかんく手打て遊しば
'いったーがしだ いぬみーからぬちふぃちさんてい わが'うてぃちちゅみ まくらならびとてぃ どんみかさんむん わが'うてぃちちゅみ ゆてぃくーかんくー てぃー'うてぃ'あしば
'ittaaga sida inu mii kara nuchihwichi saNtei waga 'utichichumi makura narabitooti doNmika saNmuN waga 'utichichumi yuti kuu kaNkuu tii'uti 'ashiba
お前達の涼しげな目で非難したといって私が落ち着くか?(落ち着かない)枕を並べていてドンと音をしたものだから私が落ち着くか(落ち着かない)
寄ってこい手を打って遊ぼう



三、田舎の二才達がでぃちゃでぃちゃしね んぱんぱすなよーや ありが懐や かばしゃ油の匂いのしゅらさよ
'いなかぬにせたーが でぃちゃでぃちゃ しーねー 'んぱ'んぱすなよーや 'ありがふちゅくるや かばしゃ'あんだぬにうぃぬしゅらさよ
'inaka nu nisetaa ga dichadicha siinee 'Npa'Npa sunayoo ya 'ariga fuchukuru ya kabasha 'aNdaa nu niwi nu shurasa yoo
田舎の青年たちが さあさあ行こう と言うときには 嫌いやと言うなよ あいつの懐は薫り高い油の匂いの愛らしいことよ 

四、銭小もうっちんきらってぃ 戻る道中足重さ 泊高橋に腰下ろちゆかてぃから行かや
じんぐわん 'うっちんきらってぃ むどぅるみちなか ふぃさ'うむさ とぅまいたかはし に くし'うるしち ゆくてぃから'いかや
jiNgwaN 'ucchiNkiratti muduru michinaka hwisa 'umusa tumaitakahashi ni kushi 'uruchi yukati kara 'ika ya
銭金もうなだされて(失って)戻る道中 足が重いことよ 泊高橋に腰を下ろして休んでから行こうよ 


五、泊高橋の片爪蟹小 もろ足ちんちみて 明日ん明け方や一門の揃とてなー医者がかい ゆーした蟹小あますくと
とぅまいたかはしぬかたじみがにぐわー むるふぃさ ちんちみてぃ 'あちゃの'あきがたや'いちむん すりとーてぃ なー'いしゃ がかい ゆーしたがにぐわー'あますくとぅ
tumai takahasi nu katajimi ganigwaa muru hwisa chiNchimiti 'acga nu 'akigata ya 'ichimuN nu suritooti naa 'isha gakai yuushita ganigwaa 'amasukutu
泊高橋の片爪の蟹 両足を挟まれて明日の明け方は一族揃って各々医者にかかり ざまみろ蟹の奴 余すので(不詳)

解説
(語句)

・まさかい 真の盛り
・あまくま あちこち
・ぶってぃてぃ ふくらんで
・ちゅ ひとつ
・ちゅかみ つかみ
・ちゃっさが いくらか
・とぅーてぃ 問うて 質問して
<とぅーゆん 問う

・しだいぬみーから 涼しげな目で
しだ(涼しい<しださん)+いぬ(のような)+みー(目)+から(で 手段をあらわす)
・ぬちふぃち 非難すること
<ぬちふぃち しゅん 非難する
・さんてい したといって
・うてぃちちゅみ 落ち着くか?
・どんみかさんむん 
どんみかさん(<どんみかしゅん ドンと音をする)+むん(ものだから)

・でぃちゃでぃちゃ さあ、さあ(行こう)
・しね 言うときには
しー(言う)+ねー(ときには)
・んぱんぱ 嫌いや
・しゅらさ 愛らしさ
<しゅらしゃん 愛らしい


・うっちんきらってぃ うつぶせにされて うなだされて
<うっちんきらゆん うつぶせになる うなだれる
失って、という意味か?
・ゆくてぃ 休んで
<ゆくゆん 休む


・ゆーした ざまみろ
・あますくとぅ 不詳
あます+くとぅ ならば <あましゅん 余す +くとぅ(ので)
余すので。。。では、意味が通じない。

(コメント)
全く「汀間とぅ」と同じ曲(工工四)で歌われるユーモラスな歌。
題名の「手間当小」はそのパロディーだろうか?

フェーレーズ、嘉手苅林昌さんが歌ったのを聞いた。
しかし、背景がよく見えない。
誰が誰にどういう状況で言っているのかが見えない。
芝居で作られたものだろうか?

今後の課題にしたい。

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Posted by たる一 at 10:52│Comments(1)た行
この記事へのコメント
手間当や汀間当節は少なくとも松村真信先生の時代までは「ヤエンサ節」と呼ばれていたようです。
後の廃藩による士族楽師や舞踊家による創作舞踊や芝居の中で、舞踊「汀間当」が生まれ、その舞台となる汀間村や舞踊の名前が定着し、現在「手間当や汀間当」などと呼ばれる様になったようです。
「山原風のヤエンサ節」なら「山原汀間当」、「南部玉城風のヤエンサ節」なら「玉城汀間当」と名前が化けて行ったようです。
参考、川平親雲上朝彬編「琉歌節組内粒寄、右外之羽節粒寄七十一番ヤエンサ節」より。
現在この「琉歌節組内粒寄」は「琉歌古典歌詞集」として故野村流伝統音楽協会会長村山盛一先生により当時川平親雲上朝彬の孫君に当たられる故川平朝申先生の好意により、写真転載印刷されたものです。
今でも在庫がある所にはあるかも知れませんね。
村山先生のシリーズにはこの「琉歌古典歌詞集」「屋嘉比朝寄工工四」「知念績高工工四中巻」があり、生前に村山先生が成し遂げられなかったシリーズ最終の「(参考)声楽譜付屋嘉比朝寄工工四」は同じく野村流伝統音楽協会の国吉清昴先生により完成され、この前「ジュンク堂那覇店」に在庫が有るのを見ました。必携かと思われます。
Posted by くがなー at 2012年01月28日 23:31
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