2006年05月22日
豊年音頭
豊年音頭
ほーねんおんど
(ほとんど大和口。声門破裂音も必要なし。意味省略)
作詞 そけい とき
作曲 普久原 恒勇
一、海鳥ないて大漁つげりゃ山のカラスが豊作を告げる
うみどりないてたいりょうつげりゃ やまのからすがほーさくをつげる
※豊年デービル豊年デービルシトゥリトゥテンシトゥリトゥテン
ほーねんでーびるほーねんでーびる しとぅりとぅてんしとぅりとぅてん
語句・でーびる でございます。「やいびーん」よりあらたまった言い方。琉球語辞典によると でーびる<du+jaj+abijuru(係り結び)<abiiNの強意形 つまり「こそ・です」。
二、守礼の国は神の授け雨や露も肥やしになるよ
しゅれいのくにはかみのさずけ あめやつゆもこやしになるよ ※
語句・しゅれいのくに 胤森さんの本からの孫引き 〔比嘉朝潮「沖縄の歴史」「首里城は尚真時代に整備を加えたが、尚清20年(1546年)西北の石垣を二重にして俗に赤田御門(あかたおじょー)と称する継世門を設け城をさらに堅固にした。下の鳥居の中山門と歓会門との間の守礼門も、尚清時代にたてられたらしい。俗に上の鳥居と称せられ首里城の一層の壮観を加えた。この門は最初「首里」の額をかけてあったが1579年以来柵封使滞琉中のみ「守礼之邦」の額を掲げたが後常掲するようになった」〕 これが「守礼の国」の由来らしい。
三、思いも恋もかなえられ島の若者エイサー踊り
おもいもこいもかなえられ しまのわかものえいさーおどり ※
語句・しま 「アイランド」という意味の「島」ではなく「故郷」「村」という意味。
四、三味や太鼓が天まで響き 天女もうかれて舞い降りる
しゃみやたいこがてんまでひびき てんにょもうかれてまいおりる ※
語句・しゃみ 三味線=沖縄では三線。 いうまでもなく、今から600年前に沖縄に中国から三線が伝ったといわれる。 当時の中国の「三線」の呼び方は 三弦 samhieN サムヒェン 朝鮮では 三弦 samhieN サムヒェン (つまり同じ) それが日本に伝わって サミシェン三味線になったといわれる。その後沖縄から大阪は堺に伝えられ、東北や九州に広がった今の三味線になったというのはよく知られている。
五、自慢の声をはりあげて島のヤッチー達が音頭歌う
じまんのこえをはりあげて しまのやっち(-)たーがおんどうたう ※
語句・やっちーたー 「やっちー」は士族の言葉で「兄さん」「兄」の意味。
六、福木の上に月もでたよ じーさんばーさんも踊りでたよ
ふくぎのうえにつきもでたよ じーさんばーさんもおどりでたよ ※
語句・ふくぎ ふくぎ 福木。ウチナーグチでは「ふくじ fukuzi」ともいう。亜熱帯喬木。「葉は小判のような楕円形で厚く子どもがいろいろなおもちゃをつくる。防風林、防火林になるので琉球のいたるところで村、家の周囲に植えていて奥深い幹事を与えている」(沖縄語辞典)
(コメント)
作詞 そけい とき
作曲 普久原 恒勇
戦後につくられた新唄(にーうた)でカチャーシーに使われるのは数少ない。
曲調は、唐船ドーイのメロディーを少し変えたもので、その意味で面白い。
歌詞はほとんど大和口で、ヤマトンチュもなじみやすい。
そもそも沖縄で「音頭」という概念はない。
普久原恒勇さんの、曲作りの面白さは、そういう意外な歌詞・言葉をもってきつつもメロディーはウチナーンチュなじみのものにする。
そこに新鮮さを感じるのは、時代の流れを敏感に捉えた作者の感性だろうか。
歌詞だけでも面白い。
一番の「カラス」のイメージがこういう豊作のイメージと結びついたものはヤマトでも少ないのではないか。
そしてハヤシはウチナーグチ。
天女もヤマトのイメージ。
と思えば「ヤッチー」がでてくる。そして伝統的な村のイメージで締めくくる。
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
ほーねんおんど
(ほとんど大和口。声門破裂音も必要なし。意味省略)
作詞 そけい とき
作曲 普久原 恒勇
一、海鳥ないて大漁つげりゃ山のカラスが豊作を告げる
うみどりないてたいりょうつげりゃ やまのからすがほーさくをつげる
※豊年デービル豊年デービルシトゥリトゥテンシトゥリトゥテン
ほーねんでーびるほーねんでーびる しとぅりとぅてんしとぅりとぅてん
語句・でーびる でございます。「やいびーん」よりあらたまった言い方。琉球語辞典によると でーびる<du+jaj+abijuru(係り結び)<abiiNの強意形 つまり「こそ・です」。
二、守礼の国は神の授け雨や露も肥やしになるよ
しゅれいのくにはかみのさずけ あめやつゆもこやしになるよ ※
語句・しゅれいのくに 胤森さんの本からの孫引き 〔比嘉朝潮「沖縄の歴史」「首里城は尚真時代に整備を加えたが、尚清20年(1546年)西北の石垣を二重にして俗に赤田御門(あかたおじょー)と称する継世門を設け城をさらに堅固にした。下の鳥居の中山門と歓会門との間の守礼門も、尚清時代にたてられたらしい。俗に上の鳥居と称せられ首里城の一層の壮観を加えた。この門は最初「首里」の額をかけてあったが1579年以来柵封使滞琉中のみ「守礼之邦」の額を掲げたが後常掲するようになった」〕 これが「守礼の国」の由来らしい。
三、思いも恋もかなえられ島の若者エイサー踊り
おもいもこいもかなえられ しまのわかものえいさーおどり ※
語句・しま 「アイランド」という意味の「島」ではなく「故郷」「村」という意味。
四、三味や太鼓が天まで響き 天女もうかれて舞い降りる
しゃみやたいこがてんまでひびき てんにょもうかれてまいおりる ※
語句・しゃみ 三味線=沖縄では三線。 いうまでもなく、今から600年前に沖縄に中国から三線が伝ったといわれる。 当時の中国の「三線」の呼び方は 三弦 samhieN サムヒェン 朝鮮では 三弦 samhieN サムヒェン (つまり同じ) それが日本に伝わって サミシェン三味線になったといわれる。その後沖縄から大阪は堺に伝えられ、東北や九州に広がった今の三味線になったというのはよく知られている。
五、自慢の声をはりあげて島のヤッチー達が音頭歌う
じまんのこえをはりあげて しまのやっち(-)たーがおんどうたう ※
語句・やっちーたー 「やっちー」は士族の言葉で「兄さん」「兄」の意味。
六、福木の上に月もでたよ じーさんばーさんも踊りでたよ
ふくぎのうえにつきもでたよ じーさんばーさんもおどりでたよ ※
語句・ふくぎ ふくぎ 福木。ウチナーグチでは「ふくじ fukuzi」ともいう。亜熱帯喬木。「葉は小判のような楕円形で厚く子どもがいろいろなおもちゃをつくる。防風林、防火林になるので琉球のいたるところで村、家の周囲に植えていて奥深い幹事を与えている」(沖縄語辞典)
(コメント)
作詞 そけい とき
作曲 普久原 恒勇
戦後につくられた新唄(にーうた)でカチャーシーに使われるのは数少ない。
曲調は、唐船ドーイのメロディーを少し変えたもので、その意味で面白い。
歌詞はほとんど大和口で、ヤマトンチュもなじみやすい。
そもそも沖縄で「音頭」という概念はない。
普久原恒勇さんの、曲作りの面白さは、そういう意外な歌詞・言葉をもってきつつもメロディーはウチナーンチュなじみのものにする。
そこに新鮮さを感じるのは、時代の流れを敏感に捉えた作者の感性だろうか。
歌詞だけでも面白い。
一番の「カラス」のイメージがこういう豊作のイメージと結びついたものはヤマトでも少ないのではないか。
そしてハヤシはウチナーグチ。
天女もヤマトのイメージ。
と思えば「ヤッチー」がでてくる。そして伝統的な村のイメージで締めくくる。
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この記事へのコメント
祖慶さんは名護の時計屋さん。そこからペンネーム取ってそけいとき。
Posted by ふーちゃん at 2006年05月23日 12:37
いつもありがとうございます。
実はこの話題、今日の教室で使わせていただきました。
ところで、その話題というのは、どちらからの話でしょうか。
直接ご存知の方なのか、なにかからの情報なのか。
そういう情報の所在というのも興味があります。
実はこの話題、今日の教室で使わせていただきました。
ところで、その話題というのは、どちらからの話でしょうか。
直接ご存知の方なのか、なにかからの情報なのか。
そういう情報の所在というのも興味があります。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年05月23日 23:32
情報源はじつはよく覚えていませんm(_ _)m
転勤で名護に3年いましたのでそのとき聞いた話か?本やネットからの情報か?不明です。
転勤で名護に3年いましたのでそのとき聞いた話か?本やネットからの情報か?不明です。
Posted by ふーちゃん at 2006年05月26日 12:39
なるほど、3年も居られたら詳しいのは当然ですね。
ネットで調べましたが見当たりませんね~
女性?男性?
ネットで調べましたが見当たりませんね~
女性?男性?
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年05月26日 15:12
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