2005年12月21日

汀間とぅ

汀間とぅ
てぃーまとぅ
tiima tu
○汀間と
語句・とぅ一番の歌詞の最初が「汀間とぅ安部境の」だから、そこから。


一、汀間と安部境の川の下の浜降りて汀間ぬ丸目加那と請け人神谷と恋の話サーふんぬかなーひゃーまことかや
てぃーまとぅ'あぶざけーぬかーぬしちゃぬはま'うりてぃ てぃーまぬまるみかなとぅ'うきにんかみやとぅくいぬはなし ふんぬかなひゃーまくとぅかやー
tiima tu 'abuzakee nu kaa nu shica nu hama 'uriti tiima nu marumiikana tu (saa)'ukiniN kamiyatu kui nu hanashi (saa)huNnuka na hyaa makutuka yaa
汀間と安部境の井戸の下の浜に降りて汀間の丸目加那と請人神谷との恋の話し 本当かな おい 真実かな



二、神谷が云言葉や何で言ゆたが 明きて四、五、六月 呼ばしが来くと勤めて待っちょりよ サーでぃかちゃんやーひゃー 丸目加那
かみやがいくとぅばや ぬーんでぃいゆたが あきてぃしぐるくぐゎち ゆばしがちゅーくとぅ ちとぅみてぃまっちょりよー さーでぃかちゃんやーひゃー まるみかな
kamiya ga 'ikutuba ya nuu Ndi 'iyutaga 'akiti shii guu ruku gwachi yubashi ga chuukutu chitumiti macchoori yoo saa dikachaN yaa hyaa marumiikana
○神谷の言葉は何だと言ったか 年明けて四、五、六月あたりになったら使いが来るので辛抱して待っていろよ よくやったぞ 丸い目の加那(愛する人)よ


三、月のある間や 思いすんど沙汰すんど月のいり下がれ サー思いんさんど 沙汰んさんど サー寄てくーかんくー我腕枕
ちちぬあるいぇーだや うむいすんどー さたんすんどー ちちぬいりさがれー さーうむいさんどー さたんさんどー さーゆてぃくーかんくー わーうでぃまくら
chichi nu 'aru weeda ya 'umui suNdoo sataN suNdoo chichi nu 'iri sagaree saa 'umuiN saNdoo sataN saNdoo saa yutikuu kaNkuu waa'udimakura
○月の出ている間は思いもするぞ うわさもするぞ 月が西に沈むと思いはしないぞ 噂もしないぞ 近くにこい ちょっとこい 私の腕枕


四、すがてやらちゃる我島二才達とかくなま時分 サー首里登とて我沙汰すらど サーやらちゃすがや呼び戻せ
すがてぃやらちゃるわしまにせたー とぅかくなましまぶん さーすいぬぶとーてぃ わさたすらどー さーやらちゃしが ゆびむどぅせー
sugati yaracharu washima niseetaa tukaku namajibuN saa suinubutooti waa sata suradoo saa yarachashiga yubi mudusee
○身支度して行かせた我ら村里の青年達 とかく今の時分には首里に上京していて私の噂をしているだろう 行かせたのだが呼び戻せ

解説
(語句)
一、
・てぃーま tiima 汀間は沖縄県本島北部の名護市東海岸にある。昔の国頭、久志間切。唄の題の「汀間とぅ」は当て字で「汀間当」とも書かれるが、この「とぅ」は「・・と・・」という時のもの。このように唄の題名に、唄の最初の言葉が使われる場合がよくある。「谷茶前」も「谷茶前の浜」の一部。
・さけー sakee 境
・かー kaa 井戸 沖縄の場合「かー」は確かに標準語の「川」に対応しているけれども意味は異なる。「かー」は湧き水や井戸をさす。胤森さんによれば広島でも昔は井戸のことを「かー」と言ったらしい。
ちなみに川は「かーらkaara」
・ふんぬ huNnu 本当


・ぬーんでぃ nuu Ndi 何 だと
・ねー nee ~するときに
・くとぅ kutu ので
・ちとぅみてぃ chitumiti 辛抱して chitumiyuN 辛抱する
・でぃかちゃん 
 でぃかしゅんdikashuN うまくいくこと 


・ちち chichi 月
・うぇーだ weeda 間
・すん suN する
・さん saN しない ともにsyuN(不規則動詞)の変化


・すがてぃ sugati 身支度して すがゆんsugayuN 身支度する
・やらちゃる yaracharu  行かせた やらしゅんyarashuN 行かせる
・しま shima ①村里 部落②故郷③領地④島 ここでは①
・なまじぶのー nama jibu noo 今の時分は
    jibunoo=jibuN + ya
この語尾がおー、うーなどと伸びる場合は「は」をあらわす「ya」が隠れている場合が多い。「ja」はi a u など短い母音に終わる語につく場合は母音と融合しee aa ooとなる。
たとえば くれーkuree(これは)kuri ya
     さんしのーsaNsinoo(三線は)saNsiN ya

(コメント)
汀間とぅは首里出身の役人神谷と 村の目のぱっちりした娘加那の恋の物語を、第3者の立場で歌っている。

仲宗根幸市氏によると
「請人神谷という人物は本名神谷厚詮といい、はっきりしたことはわからないが組踊『忠孝婦人』の合作者の一人という。『汀間と安部堺の川の下の浜に無蔵と振分かりぬ むむぬくりしゃ』も歌っている。神谷厚詮は一時汀間部落に派遣されて仕明地の担当官をやり、そのとき土地の娘としりあったのであろう」

この神谷が歌った琉歌

汀間と安部堺の川の下の浜に無蔵と振分かりぬ むむぬくりしゃ
tiima tu abujakee nu kaa nu sicha ni Nzo tu huriwakarinu mumunu kurisha
○汀間と安部堺の川の下の浜に貴女と振り別れの 百の(ほど多い)苦しさ

これが歌詞の一部にも使われているのが面白い。
役人がその権力にまかせて担当地域の娘を強制的に妾にする話は各所にあり、それを皮肉るのも当然だろう。
八重山の安里屋ゆんたもそういう系統の歌であるが、この丸目加那も実在の人物といわれていて、仲宗根幸市氏によると「久高マブー」という人の祖先と言われている。

名護市東海岸はじつに風光明媚なところ。しかし、今は人口も少なく昔毛遊びが盛んだったといわれても実感がわかない。
ただ山が険しく道も蛇行上下し、美しい海は山に迫っている。
こうした歌を聴くたびに、また旅の心がくすぐられる。
歌とともにその生まれた地を旅するのもいいものである。

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Posted by たる一 at 06:39│Comments(5)た行
この記事へのコメント
はじめまして。私は三味線も唱もできませんが、聴くのは大好きです。
リンクさせていただきました。これからも楽しみにしております。
Posted by あゆ at 2005年12月22日 11:22
1番目の歌詩の<汀間と安部境の川ぬ下の....>の”カー”とは、井戸のことだったんですね!自分は、あの辺によく行くのですが、汀間川ともうひとつ川があったと思うのですが、いつも行く度に、川の下とは、どの辺の川の下なのか、いつも思っていました。しかし、井戸ということに成れば、次は、その井戸は、どこにあるのか、また探求心がわいてきました。今度、現地の人に聞いてみようと思います。
それと、余談ですが、「カヌチャベイ ホテル」のカヌチャは、「カーぬシチャ」からネイミングされたと聞いたことがありますよ。又「神谷小」とは民謡歌手の神谷幸一さんと関係があると本人から聞いた事があります。ただ両者とも本当の話かウソの話か、真意はわかりませんよ。
広島も雪で大変みたいですね、今日、沖縄市で、みぞれが降っていたと子供が言っていました。では、良いクリスマスを.....




Posted by ウチナー ムーク at 2005年12月22日 23:47
あゆさん、コメントありがとうございます。
それにリンクもありがとうございます。
気がついたことなどあればコメントお願いします。


ウチナームークさん
いろいろ詳しい情報をありがとうございます。

よく汀間も行かれているのですね。ぜひ現地の方に伺ってみてください。
沖縄でミゾレなんですか!それは相当寒いようですね。
1日から沖縄なのですが防寒に気を使って行くのははじめてです。
Posted by たるー at 2005年12月23日 08:03
こんばんわ、今日、気分転換も兼ね、雨の中 汀間までドライブに行ってきました。丁度、汀間川の河口の県道沿いに汀間地区会館や歌碑があり、そこの
館長らしき人に、聞いたところ 会館前の橋を渡った小高い林の中にせせらぎと美しい浜があり、そこを歌っているということでした。
現在、そこは私有地(カヌチャGCだと思います)で入る事が出来ないということで、確認出来なかったのですが、私の想像では、湧き水があり そのせせらぎの下流の美しい浜に下りて、真ん丸目のカナちゃんと役人の神谷さんの
恋の話ということになるのかなと思います。人工的な井戸では無いということでした。しかし大浦湾の海は美しいですね、基地が出来て海が汚れるのは、悲しいことですね....
Posted by ウチナー ムーク at 2006年01月21日 19:15
ウチナー ムークさん コメントへの返事が遅くなりました。
今回の沖縄の旅では名護は八重岳近くまでしかいけず汀間までは足が延ばせませんでした。貴重な話を伺ったようですね。
カーヌシチャ カヌシチャという浜辺には小川が流れているようですね。私もまた機会があれば訪問してみますね。
自然の「川」は首里語では「カーラ」といい井戸を指す「カー」とは区別していたようですから謎が深まります。
Posted by たるー at 2006年01月25日 08:41
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