2008年01月31日

島尻口説

島尻口説
しまじりくどぅち
shimajiri kuduchi
島尻口説
語句・しまじり 沖縄本島南部の呼称。本島を「国頭」(くんじゃん)「中頭」(なかがみ)などと分けるときの対比で「島尻」。(「“知り”[統治]説もある」琉球語辞典より)


唄三線 嘉手苅林昌
(歌詞はテープ添付の歌詞から)


一、我んど島尻 真壁から丁度三月三日節日やて坐波ぬ馬場に出じ立ちゅん
わんどぅしまじりまかびから ちょうどぅさんぐわちさんにち しちびやてぃ ざふぁぬ 'んまばに'んじたちゅん
waN du shimajiri makabi kara choodu saNgwachisaNnichi shichibi yati zahwa nu 'Nmaba ni 'NjitachuN
私こそは島尻真壁から 丁度三月三日節日であり 座波の馬場に旅立つ 
語句・まかび 地名、真壁(まかべ)。 ・節日 節句と同義。二十四節気のひとつ。・さんぐぁちさんにち 旧暦三月三日は上巳(じょうし・じょうみ)の節句。浜下り(はまうり)ともいい、[浜へ行き禊をする]儀式をする。女性にとっては家事を離れ行楽を兼ねていた。 ・ざふぁ 現在は糸満市の坐波 <ざふぁー 


二、ぬがよ加那ひ小 アン小居み 今日の節日に戻らりる さても残念 聞きカマド
ぬがよ かなふぃぐわ 'あんぐわ'うみ ちゅーぬしちびにむどぅらりる さてぃむじゃんにん ちきかまどぅ
nuugayo kanahwigwa 'aNgwa 'umi chuu nu shichibi ni mudurariru satimu jaNniN chiki kamadu
何よ?愛しい兄さん 姉さん(は)居るか?今日の節日に戻られる(とは)さても残念 聞けカマド
語句・かなふぃぐわ 愛しい兄さん <かなkana 愛しい + 'あふぃーぐわー'ahwii gwaa 兄さん の合成語。 ・うみ 居る? 動詞'うん 居る の疑問形。
  

三、この間前の毛かい牛買いが銭ぬん三束かたみやい中島前の道まじ通たれ
くぬえだめーぬもーかい 'うしぐわこーいが じぬんみたばい かたみやい なかしまめーぬみじまじとぅたれ
kunu yeda mee nu moo kai 'ushigwa kooi ga jinuN mitabai katamiyai nakashima mee nu michi maji tutare
この間 近所の野原に牛(を)買いに お金も三束担いで 仲島辺りの道(を)ちょっと通ってたら
語句・めー  近所 「前」以外の近所という意味を採用。 ・こーいが 買いに <こーゆん 買うの連用形 こー+い+が。 ・じぬん お金も 「も」を意味する「ん」nが「−n に終わる語につく場合は、この語末の-nを-nuとした上でnをつける」(琉) 銭→じん+ん=じぬん。・まじ ちょっと 「まず初めに」の意味から「ちょっと」の意味もある。・とぅたれー 通ってたら <とぅーゆん 通る の過去形 とぅーた +れー <とぅーたれー  


四、煙草一吹ちや吹かとむて よいよい中前に ぬがばたれ いい拍子 真鶴小暇やとて
たばくちゅふちや ふかとぅむてぃ よいよい なかめに ぬがばたれ 'いいひょし まじるぐわまどぅやとてぃ
tabaku chuhuchi ya huka tumuti yoi yoi nakame ni nugabatare 'ii hyoshi majirugwa madu yatuti
煙草一吹きをばしようと思って それから 居間に立ち寄ったら丁度マジル(名前)が暇だということで
語句・とぅむてぃ と思って ・よいよい それから ・なかめ 居間 中庭に面している。 ・ぬがばたれ 立ち寄ったら <ぬがーゆん 逃れる ・まどう 暇



五、入みそり 加那兄小煙草吹き 酒も注じくわ 飲み加那兄 今日はまるかに 泊まらりり
'いみそり かなふぃぐわたばくふき さきんちじくわ ぬみかなふぃ ちゅーやまるかに とぅまらりり
'imisori kanahwigwa tabaku huki sakiN chijikuwa numi kanahwi chuu ya marukani tumarariri
お入りなさい お兄さん 煙草すいなさい 酒も注ぐから飲みなさい お兄さん 今日は暇かね?泊まれる?
語句・ちじくわ 注ぐから 「わ」は「ば」の弱まった形(琉) <ちじゅん 注ぐ (「ひんすー尾類小」で出てくる「ちじかすさ」も同じ語句だが、「注ぐ」より広義で「貢がせる」的な意味があった) ・まるかに 暇かね? まるmaru→まどぅmadu (「R」と「D」の入替り)


六、手取て裏座に引き込まり色々真鶴に聞かさりて銭も三束まる許し
てぃとぅてぃ'うらざにふぃちくまい'いる'いるまじるにちかさりてぃ じぬんみたばいまるゆるち
tituti 'uraza ni hwichikumai 'iru'iru majiru ni chikasariti jinuN mitabai maru yurushi
手を取り裏座に引き込まれいろいろ真鶴に聞かされて お金も三束まるごと許し(渡し)
語句・うらざ 「裏座敷。女部屋。婦人の居間。遊郭では女郎が客をとる部屋。」(沖) まるゆるし まるごと許し→まるごと渡して 


七、大按司心に成いさだみ 我んど我んそてするうちに 家から中城小はち来りば
'うふ'あじぐくるにないさだみ わんどぅわんそてぃする'うちに やからなかぐしくちゃぐわはちちゃりば
'uhu'ajigukuru ni naisadami waN du waN soti suru 'uchi ni yakara nakagushichagwa hachichariba
大按司(大名)のつもりになったのであろう 私(が)、私(を)連れて、と言ううちに家から[力持ちの]中城の人がやって来ると
語句・うふあじ 大按司(普通は大はつかないが敬意をこめたり大袈裟に表現する場合) 「按司aNjiともいう。位階の名。大名。」(沖) ・ぐくる 心、転じて「みたいな」「になったつもり」に使われる。cf.「夫婦船」。・さだみ 〜のであろう。<さらみ rとdの入れ代わり。・やから 歌詞には「家から」とあるが、「やから」(力持ち、cf.「海ヤカラ」)ともとれる。 


八、うりから真鶴が肝変わて側の裏座に引ち籠まい何とあびたんてん返事や無ん
'うりからまじるがちむかわてぃ すばぬ'うらざにふぃちくまい なんとぅ'あびたんてんふぃじやなし
'urikara majiru ga chimukawati suba nu 'uraza ni hwichi kumai naNtu 'abitaNteN hwiji ya neN
それから真鶴の心(が)変わり そばの裏座に引きこもり何と叫んでも返事はない
語句・ふぃじ 返事


九、女郎小よあんまーよいちゃるまで誰ん云話一人し居らん 一人裏座に手ゆかみて
じゅりぐわよ 'あんまーよ'いちゃるまでぃたるん'いふぁなしちゅしうらん ふぃちゅい'うらざにてぃゆかみてぃ
jurigwa yo 'aNma yo 'icharumadi taruN 'ihwanashi chushi uraN hwichui 'uraza ni ti yu kamiti
女郎よ 女将よ 出会うまで誰も話し相手(が)一人もいない 一人裏座で手を頭に乗せて
語句・あんまー 「娼妓らを抱える女将」(琉) ・いちゃる 行き会う 会う <いちゃゆん
 ・かみてぃ 乗せて <かみゆん 頭上に乗せる 


十、待ちょて悔やでん役立たん さらばさらばと立ち出じてわじてくままではち来りば
まちょてぃくやでぃんやくたたん さらばさらばとぅたち'んじてぃ わじてぃくままでぃはちちゃりば
machoti kuyadiN yakutataN saraba saraba tu tachi'Njiti wajiti kumamadi hachichariba
待っていても悔やんでも役立たない それではそれではと出発し憤慨してここまでやって来ると
語句・わじてぃ 「沸く 憤慨する」(琉) 怒る。


十一、あたら牛でも徒になち 矢吹く思てる胸うすて いちゃし宿もと戻ゆがや
'あたら'うしでん'あだになち いやふく'うむてぃる'んに'うすてぃ いちゃしやどぅむとぅむどぅゆがや
'atara 'ushideN 'ada ni nachi iya huku 'umutiru 'Nni 'usuti 'ichashi yadumutu muduyu ga ya
惜しくも牛までも徒になり 矢吹く思いだけ胸(を)覆い どうやって家(の)そば(に)もどるかねぇ
語句・あたら 惜しくも ・いやふくうむてぃるんにうすてぃ ライナーノーツには「ぃや福…」とあるがそれではさっぱり意味不明。女郎への恨みから「矢吹く思い」あるいは「矢引(ふぃ)く」ではないかと思う。


十二、仲島ぬ女郎や鬼どやてる
なかしまぬじゅりや'うにどぅやてーる
nakashima nu juri ya 'uni du yateeru
仲島の女郎は鬼であるぞ
語句・やてーる であるぞ。 <やてーどー <やん ある。現在やてー +どー 文末強調



島尻口説。嘉手苅林昌先生のものを訳した。

口説の種類も特徴も様々だが、これは「早弾き」が特徴のひとつ。

手は「黒島口説」とほぼ同じで、口説の歌持ちの工四乙四が工 老四 工乙 老四 老を入れて繰り返し となる。

口説kuduchiは以前も説明したが、1609年薩摩が琉球を侵略支配して以降大和文化を積極的に取り入れていったなかで「上り口説」や「下り口説」などや、地元を褒める地名を入れた「◯◯口説」、「四季口説」「孝行口説」「豊年口説」など多岐にわたる。
内容は旅や季節の情景描写(上り、下り、四季)であったり説教(孝行)ありいろいろ。
「七五調」の歌詞を口説と囃子に分けて調子よくうたう。囃子がないものもある。
口説自体は江戸時代に全国で流行した物語を歌う形式。

この島尻口説は、囃子の部分はなく「口説」だけで唄われる。

内容は、主人公が島尻出身で牛を買うためのお金を女郎にだまされて全部取られてしまう、という情けない話。
最後の一節は「かぎやで風」の中の「蕾でうる花の…」の曲を使う。急にスローテンポになるところが可笑しく、またじわっと説得力がある。

口説はいわばテレビドラマだ。主人公がいろいろな体験をし、聴衆はそれを擬似体験する。
口説という形式は単純なので幅広い歌詞が乗せやすい。 庶民が庶民の生活を歌にのせ、「おまえ馬鹿だなぁ」「まったくそうだよなぁ」と納得するわけだ。
島尻の主人公の体験と結論に果たしてどれだけの人が自分を投影したり、あきれたりしたのだろう。
こうした歌が卑俗で、非教育的と切り捨てるむきもあるだろう。
しかし現実は現実を見詰める以外には変えることはできない。

さて登川誠仁先生は歌うときに、
九番と十番を入れ替えている。
他の相違点は

八番 「ふぃじ」(返事)を「いれい」(<'iree 返事)と。
九番 「てぃゆかみてぃ」(手を頭に乗せて)を「てぃゆくみてぃ」(手を組んで)
そして最後十二番を、早弾きのまま、つまり「かぎやで風」の早弾きだから「舞方」の手で歌う。
嘉手苅林昌先生との相違を意識しているようにも感じる。







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Posted by たる一 at 19:12│Comments(0)さ行沖縄本島
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