2007年11月03日

デンスナー節

デンスナー節
でんすなーぶし
deNsunaa bush
語句・でんすなー  おそらく囃子言葉から付いた曲名。「でんすなー」の正直適当な訳が見つからない。 直訳すると、「でさえかい?」
語句を分解すると次のようになる。
でんす<「deN+s(j)u[こそ] 〔文語〕(で)さえ〔すら〕、だに。〔denの強調形〕」(琉)とある。(例)「面影のだいんす」'umukaji nu deNshi (遊びションガネー)→面影でさえ + なー ・・かい?  「でんさー節」や「ジントヨー節」のように「そうだね」「まったくだ」と歌詞に同意する囃子言葉が曲名(節名)になる例は沖縄に限らず多い。
また「でんさー節」と同根の「あん どぅ やっさ」(もっとだ)との関係も無視できない。参考までに古語辞典(岩波書店)によると、標準語の「です」は「近世前期、『でえす』『でえんす』『でんす』の語形で、粋人・男達(おとこだて)・遊女などが使った。」(P885)とある。(下線は筆者)



(男)初めてどやしが情けまで呉てさ かなし思無蔵や夫や居らに
はじみてぃどぅやしが なさきまでぃくぃてぃさ かなし'うみ'んぞや うとぅやうらに
himiti du yashiga nasaki madi kwitisa kanashi 'umi Nzo ya utu ya urani
初対面なのだが情けまでくれてね 愛しい貴女は夫はいないのか?
語句・はじみてぃ 初対面 ・うらに 居ないのか? <うん 居る + に 「居る」の疑問文 


いま でんすなー ぬ やりやりやり ち やりやりやり
(囃子言葉 不明 省略)


(女)夫の居てからやぬゆで思里に 情けまでかきが思てたぼれ
うとぅぬうてぃからや ぬゆでぃ'うみさとぅに なさきまでぃかきが 'うむてぃたぼり
utu nu uti kara ya nu yudi 'umisatu ni nasaki madi kaki ga 'umutitabori
夫が居るのなら どうして愛しい貴方に情けまで掛けるのか 愛してください
語句・ぬゆでぃ どうして 



(男)染めらていやしが島居とて我身や 待ちかねて居てど自由ならぬ
しみらていやしが しまうとてぃわみや まちかにてぃうてどぅ じゆならん
shimira tei yashiga shima utoti wami ya machikaniti ute du jiyu naraN
(思いを)染めたいところだが 村(に)居て私を待ちかねている(人が)居るのだ 自由にならない
語句・しみらてい 染めたいところ <しみゆん 染める の 未然形 希望を表す + てい ・・と <てぃやい の縮約形(琉) ・しま 村  ここでは「アイランド」の意味はない。・うとてぃ 居て  <うん 居る 継続形  ・わみや 私を 「や」は主格をあらわす「は」以外に、目的の「をば」の意味もある。ここではそれを採用。 ・まちかにてぃ 待ちかねている(人) 詩的許容で短くなっているが、「まちかにてぃ」の語尾が長くなり「待ちかねている人」という語意を含むのであろう。



(女)結で結ばらぬ恋の糸やれば 今月の間やあしでいもり
むしでぃ むしばらん くいぬ'いとぅやりば くんちちぬいだや 'あしでぃいもり
mushidi mushibaraN kui nu 'itu yariba kuNchichi nu yida ya 'ashidiimori
結んで結ばれない恋の糸であるから 今月の間は遊んでください
語句・むしでぃむしばらん 結んでむすべない。 他の歌詞では「染みてぃ染みららん 悪縁ゆやりば」というものもある。


(男)島からや出じて十日二十日なとい 行かなていすしが肝にかかて
しまからや'んじてぃ とぅかはちか なとい 'いかなていすしがちむにかかてぃ
shima kara ya 'Njiti tuka hachika natoi 'ikanatei sushiga chimu ni kakati
村から出て十日、二十日(ほどに)なって 行きたいなと思うが (貴女が)心に残って
語句・いかなてい 行きたいなと <いちゅん 行く の未然形 いか +な 希望をあらわす + てい ・・と



(女)あん言ちんならぬ戻てめるやりば 手枕の情忘しりみそな
'あん'いちんならぬ むどぅてぃめるやりば てぃまくらぬなさき わしりみそな
'aN'ichiN nara nu muduti meru yariba timakura nu nasaki washiri misona
そう言っても(思い通りに)ならない お戻りになられるならば(私との)手枕の情け(を)お忘れにならないでください
語句・あん そう ・いちん 言っても <ゆん 言う 接続形 言って + ん も。 



(男)二人やかんなたれ 行く先やまやが  (女)名護や山原もあいどさびる
たいや かんなたれ 'いくさちやまやが  なぐややんばるん 'あいどぅさびる
tai ya kaNnatare 'ikusachi ya ma ya ga  nagu ya yaNbaruN 'aidusabiru
二人はこうなったらば行く先はどこか? 名護や山原もございます
語句・かん こう ・なたれ なったらば <なゆん なる の過去と仮定 なた + れー <り + や 

男女のコンビ、情け唄。
「デンスナー」の言葉自体不明。
「デンサー節」のように、そうだね、いう通りだ、という納得系の唄のようではある。

語句のところを見てもらえば参考になるかもしれないが、八重山の「デンサー」や本土の「でんす」との関係も無視はできない。
しかし、いずれにせよ囃子言葉の解析は困難だ。

さてこの曲、最近では、大城美佐子さんがCD「唄ウムイ」のなかで歌われている。
CDのナイナーノーツには対訳も載っている。
私の直訳と比較してもらえると面白いかもしれない。

私のはあくまで直訳。語意にすれすれのところで訳を終える。
最近では、なるだけ会話文に近くするために()に省略されたと思われる語句を挿入して
全体として、意訳に近いものにしようと努力はしている。
しかし、()の中はあくまで、全体や前後から推測される語句であり、琉歌(歌詞、詩)が
情景や心象を、きわめて単純な言葉で表現するという芸術性を、「意訳」の名のもとに主観を挿入して崩すことは
避けるべきだと考える。
それは私が故胤森弘さんから教えていただいた大切なものである。

このデンスナー節で、二人の関係の全体像はけっしてわからないし、ある一瞬の男女の思い、やりとりを
切り取り、数分の唄三線に昇華されたものに、こまかい情景、心象説明は必要はなく、
それぞれ、歌う人、聴く人が自分の思いを持てばよいのだろうと思う。
そこに唄という芸術の奥の深さがあるのではないだろうか。








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Posted by たる一 at 20:57│Comments(0)た行
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