2007年04月08日
デンサー節
デンサー節
でんさーぶし
deN saa bushi
語句(本島の「デンサー節」を参照)
(ひらがな表記 発音記号における下線は「中舌母音」 例 しぃ、shi)
一、上原のデンサー昔からのデンサー 我ん心いざばしきゆたぼり(デンサー)
'ういばるぬでんさー 'んかしぃからぬでんさー ばんくくる 'いざば しぃきやたぼり(でんさー)
'uibaru nu deNsaa 'Nkashi kara nu deNsaa baNkukuru 'izaba shiki yu tabori (deNsaa) (以下 囃子は省略)
○上原(地名)のデンサー節(は)昔からのデンサー節 私の心 歌うから聞いてくだされ(誠によ)
語句・ういばる西表島の上原・デンサーデンサー節 教訓歌・ばん私 本島の「w」=八重山では「B」・いざば歌うので <いずん ①言う②歌う③叱る 未然形+ば =・・ので ・・から・しきゆたぼり聞いてくだされ <しぃくん 聞く の命令形「しぃき」+ゆ(を)+たぼーゆん(下さる 賜う)の命令形
二、島持つと家持つ 船のるとゆぬむぬでん 船頭船子親子揃にばならぬ
しぃまむつぃとぅ やーむつぃ ふにぬりぃ とぅ ゆぬみぬ でん しどぅふなぐ 'うやふぁ すらにばならぬ
shi ma mutsi du yaa mutsi huninuri du yunumunu deN shidu hunagu 'uyahwa sura niba naranu
○国治めることと家持つ(維持する)こと 船乗りと同じもの 本当に 船頭、船子(乗員)、親子(は)揃わねばならない
語句・しぃま①村②国③島といった意味がある。ここでは国とした。・むつぃ治める<むつん ①持つ②維持する・と「どぅ」という歌詞本もあるが、「と」とした。・しどぅ船頭 しんどぅ とも言う・すらにば揃わねば<するゆん 揃える+ね(ない)+ば
三、親子かいしゃ子から兄弟かいしゃ弟から きない持つかいしゃ嫁の子から
'うやふぁかしゃーふぁーから きょーだいかいしゃー 'うとぅどぅから きないむつぃかいしゃー ゆみぬふぁーから
'uyahwa kaishaa hwaa kara kyoodai kaishaa 'utudu kara kinai kutsi kaishaa yumi nu hwaa kara
○親子(の)美しさのは子どもから 兄弟(の)美しさのは弟から 家庭持つ 美しさのは嫁の方から
語句・かいしゃー美しさは <かいしゃーん の語幹「かいしゃ」で「美しさ」という名詞になる。そして、ここでは最後が短母音「sha」(しゃ)で終わらず「shaa」(しゃー)と長母音になっているのは「kaisha + ya」(美しさ は)というように主格の助詞「ya」が融合されているからである。融合により長母音になるのは沖縄語も八重山口も同じ。・うとぅどぅ弟・きない家庭(家内)・ゆみぬふぁー嫁の方 歌詞本には「子」という当て字があるが「方」(ふぁー)の間違いではないかと思う。
四、人の大胴やかなさねぬ 肝心どかなさーる 肝心良持つばど世間や渡らり
ふぃとぅぬ'うふどぅーやかなさねーぬ きぃむくくるどぅかなさーる きぃむくくるゆーむつぁばどぅ しきんや わたらりぃ
hwitu nu 'uhuduu ya kanasaneenu kimukukuru du kanasaaru kimukukuru mutsaba du shikiN ya watarari
○人の大きな体は愛らしさ(では)ない 肝心こそ愛らしいのである 肝心良く持てばこそ世間を渡られる
語句・うふどぅー大きな体 「どぅー」には①身、体(胴)②己③身ごろ④所帯などの意味がある・ねーぬない 「ねーん」と同じ・ゆー良く・わたらりぃ強調の「どぅ」との係り結びで連体形 「わたらり」は沖縄語的表現で八重山口なら「ばだらりぃ」だろう。
五、むにいざば慎み 口の外出すなよ 出だしから又も飲みぬならぬ
むに'いざばつぃつぃしみ ふつぃぬふか 'いだしぃなよ 'いだしぃから またんぬみぬならぬ
muni 'izaba tsitsishimi hutsinu huka 'idashina yo 'idashikara mataN numi nu naranu
○もの(を)言うなら慎め 口の外(に)出すなよ 出してから二度も飲むことはできない
語句・いざば言うなら<いずん ①言う②歌う③叱る +ば・ふつぃ
口・いだしぃな出すな <'いだしぃゅん 出す +な 禁止・またん二度も
六、車や三寸の楔しど 千里の道も走りみぐる 人や三寸の舌しど大胴や食いして
くるまやみぶしぃぬふさびぃしどぅ しんりぬみちぃん ぱりぃみぐる ぴぃとぅやみぶしぃぬしぃたどぅ 'うふどぅーやふぁいしてぃ
kuruma ya mibushi nu husabi shi du shiNri nu mitsiN parimiguru pitu ya mibushi nu shita shi du 'uhuduu ya hwaishiti
○車は三寸の楔(くさび)で千里の道も走りまわるのだ 人は三寸の舌で大きな体を食べてしまうのだ
語句・しで ①手段方法②材料構成③原因④数量⑤時間⑥動作の主体など・ふぁいしてぃ食べてしまって 「舌」で「体を食べてしまう」というのは「人生を台無しにする」という比喩。
七、鳥や時取る職分 犬や家の番職分 人のいたずら者や世間の世捨て
とぅりぃ やとぅきぃ とぅりぃ しゅくぶん ’いんややーぬしゅくぶん ぴぃとぅぬ ’いたじぃら むぬや しきん ぬ ゆーしてぃ
turi ya tuki turi shukubuN 'iN ya yaa nu shukubuN pitu nu 'itazira munu ya shikiN nu yuu shiti
○鳥は時(を)取る職分(仕事・役割) 犬は家の番(をする)職分 人のいたずら(無駄)者は世間の役に立たないもの
語句・いたじぃら無駄 徒ら。悪戯と書く「悪ふざけ」は「がんまり」という。・ゆーしてぃ役に立たないもの いわゆるアウトサイダーという意味とは違う。
(コメント)
八重山の「デンサー節」。
大意を示す。(かなりの意訳、私見としてご覧ください)
一、これは西表島上原に昔から伝わる「デンサー節」である。私の心をこれに乗せて歌いますので聞いてください。
二、国や村を治めることと家族を持つことは船を操ることと同じだ。そして船頭も乗員も親子も心を揃えなければならない。
三、親子の愛の美しさは、子どもから進んで貢献することから生まれる。兄弟愛も弟から。家庭でも嫁の方から。
四、人の体の大小という見かけではなく精神、心のもち方によって愛されるのである。心を正しく持って世の中を渡らねばならない。
五、発言をするときは慎重に。軽く口に出すものではない。なぜなら口からでた言葉は二度と戻るものではないからだ。
六、車はわずか三寸の長さのクサビだけで千里もの距離を走り回ることができる。人は三寸の長さの舌で、余計なことを言う事で人生を台無しにするのだ。ものを言うときは慎重に。
七、鳥は時を刻む役割があり、犬は家の番をする役割がある。人にも人にあった役割があるのに、それをせず徒らにするものは世の役に立たない者だ。
昔からの古い言葉、考えには、世の中の進歩(科学や民主主義、女性や障害者など「弱者」の権利の前進)とは相容れないものがあったり、逆に忘れられた大切な人間のありかたを含んでいたりする。また沖縄語や八重山語の辞書類も、現在は死語になったものも含め差別語などを少なからず含んでいる。そういう点は十分留意しながら、歌には先人たちが苦労して積み重ねたまじめな想い、人を、世を良くしたいという願いが含まれている。そういう想いのエッセンスを受け継ぐのは私たちの責任なのだと思う。
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
でんさーぶし
deN saa bushi
語句(本島の「デンサー節」を参照)
(ひらがな表記 発音記号における下線は「中舌母音」 例 しぃ、shi)
一、上原のデンサー昔からのデンサー 我ん心いざばしきゆたぼり(デンサー)
'ういばるぬでんさー 'んかしぃからぬでんさー ばんくくる 'いざば しぃきやたぼり(でんさー)
'uibaru nu deNsaa 'Nkashi kara nu deNsaa baNkukuru 'izaba shiki yu tabori (deNsaa) (以下 囃子は省略)
○上原(地名)のデンサー節(は)昔からのデンサー節 私の心 歌うから聞いてくだされ(誠によ)
語句・ういばる西表島の上原・デンサーデンサー節 教訓歌・ばん私 本島の「w」=八重山では「B」・いざば歌うので <いずん ①言う②歌う③叱る 未然形+ば =・・ので ・・から・しきゆたぼり聞いてくだされ <しぃくん 聞く の命令形「しぃき」+ゆ(を)+たぼーゆん(下さる 賜う)の命令形
二、島持つと家持つ 船のるとゆぬむぬでん 船頭船子親子揃にばならぬ
しぃまむつぃとぅ やーむつぃ ふにぬりぃ とぅ ゆぬみぬ でん しどぅふなぐ 'うやふぁ すらにばならぬ
shi ma mutsi du yaa mutsi huninuri du yunumunu deN shidu hunagu 'uyahwa sura niba naranu
○国治めることと家持つ(維持する)こと 船乗りと同じもの 本当に 船頭、船子(乗員)、親子(は)揃わねばならない
語句・しぃま①村②国③島といった意味がある。ここでは国とした。・むつぃ治める<むつん ①持つ②維持する・と「どぅ」という歌詞本もあるが、「と」とした。・しどぅ船頭 しんどぅ とも言う・すらにば揃わねば<するゆん 揃える+ね(ない)+ば
三、親子かいしゃ子から兄弟かいしゃ弟から きない持つかいしゃ嫁の子から
'うやふぁかしゃーふぁーから きょーだいかいしゃー 'うとぅどぅから きないむつぃかいしゃー ゆみぬふぁーから
'uyahwa kaishaa hwaa kara kyoodai kaishaa 'utudu kara kinai kutsi kaishaa yumi nu hwaa kara
○親子(の)美しさのは子どもから 兄弟(の)美しさのは弟から 家庭持つ 美しさのは嫁の方から
語句・かいしゃー美しさは <かいしゃーん の語幹「かいしゃ」で「美しさ」という名詞になる。そして、ここでは最後が短母音「sha」(しゃ)で終わらず「shaa」(しゃー)と長母音になっているのは「kaisha + ya」(美しさ は)というように主格の助詞「ya」が融合されているからである。融合により長母音になるのは沖縄語も八重山口も同じ。・うとぅどぅ弟・きない家庭(家内)・ゆみぬふぁー嫁の方 歌詞本には「子」という当て字があるが「方」(ふぁー)の間違いではないかと思う。
四、人の大胴やかなさねぬ 肝心どかなさーる 肝心良持つばど世間や渡らり
ふぃとぅぬ'うふどぅーやかなさねーぬ きぃむくくるどぅかなさーる きぃむくくるゆーむつぁばどぅ しきんや わたらりぃ
hwitu nu 'uhuduu ya kanasaneenu kimukukuru du kanasaaru kimukukuru mutsaba du shikiN ya watarari
○人の大きな体は愛らしさ(では)ない 肝心こそ愛らしいのである 肝心良く持てばこそ世間を渡られる
語句・うふどぅー大きな体 「どぅー」には①身、体(胴)②己③身ごろ④所帯などの意味がある・ねーぬない 「ねーん」と同じ・ゆー良く・わたらりぃ強調の「どぅ」との係り結びで連体形 「わたらり」は沖縄語的表現で八重山口なら「ばだらりぃ」だろう。
五、むにいざば慎み 口の外出すなよ 出だしから又も飲みぬならぬ
むに'いざばつぃつぃしみ ふつぃぬふか 'いだしぃなよ 'いだしぃから またんぬみぬならぬ
muni 'izaba tsitsishimi hutsinu huka 'idashina yo 'idashikara mataN numi nu naranu
○もの(を)言うなら慎め 口の外(に)出すなよ 出してから二度も飲むことはできない
語句・いざば言うなら<いずん ①言う②歌う③叱る +ば・ふつぃ
口・いだしぃな出すな <'いだしぃゅん 出す +な 禁止・またん二度も
六、車や三寸の楔しど 千里の道も走りみぐる 人や三寸の舌しど大胴や食いして
くるまやみぶしぃぬふさびぃしどぅ しんりぬみちぃん ぱりぃみぐる ぴぃとぅやみぶしぃぬしぃたどぅ 'うふどぅーやふぁいしてぃ
kuruma ya mibushi nu husabi shi du shiNri nu mitsiN parimiguru pitu ya mibushi nu shita shi du 'uhuduu ya hwaishiti
○車は三寸の楔(くさび)で千里の道も走りまわるのだ 人は三寸の舌で大きな体を食べてしまうのだ
語句・しで ①手段方法②材料構成③原因④数量⑤時間⑥動作の主体など・ふぁいしてぃ食べてしまって 「舌」で「体を食べてしまう」というのは「人生を台無しにする」という比喩。
七、鳥や時取る職分 犬や家の番職分 人のいたずら者や世間の世捨て
とぅりぃ やとぅきぃ とぅりぃ しゅくぶん ’いんややーぬしゅくぶん ぴぃとぅぬ ’いたじぃら むぬや しきん ぬ ゆーしてぃ
turi ya tuki turi shukubuN 'iN ya yaa nu shukubuN pitu nu 'itazira munu ya shikiN nu yuu shiti
○鳥は時(を)取る職分(仕事・役割) 犬は家の番(をする)職分 人のいたずら(無駄)者は世間の役に立たないもの
語句・いたじぃら無駄 徒ら。悪戯と書く「悪ふざけ」は「がんまり」という。・ゆーしてぃ役に立たないもの いわゆるアウトサイダーという意味とは違う。
(コメント)
八重山の「デンサー節」。
大意を示す。(かなりの意訳、私見としてご覧ください)
一、これは西表島上原に昔から伝わる「デンサー節」である。私の心をこれに乗せて歌いますので聞いてください。
二、国や村を治めることと家族を持つことは船を操ることと同じだ。そして船頭も乗員も親子も心を揃えなければならない。
三、親子の愛の美しさは、子どもから進んで貢献することから生まれる。兄弟愛も弟から。家庭でも嫁の方から。
四、人の体の大小という見かけではなく精神、心のもち方によって愛されるのである。心を正しく持って世の中を渡らねばならない。
五、発言をするときは慎重に。軽く口に出すものではない。なぜなら口からでた言葉は二度と戻るものではないからだ。
六、車はわずか三寸の長さのクサビだけで千里もの距離を走り回ることができる。人は三寸の長さの舌で、余計なことを言う事で人生を台無しにするのだ。ものを言うときは慎重に。
七、鳥は時を刻む役割があり、犬は家の番をする役割がある。人にも人にあった役割があるのに、それをせず徒らにするものは世の役に立たない者だ。
昔からの古い言葉、考えには、世の中の進歩(科学や民主主義、女性や障害者など「弱者」の権利の前進)とは相容れないものがあったり、逆に忘れられた大切な人間のありかたを含んでいたりする。また沖縄語や八重山語の辞書類も、現在は死語になったものも含め差別語などを少なからず含んでいる。そういう点は十分留意しながら、歌には先人たちが苦労して積み重ねたまじめな想い、人を、世を良くしたいという願いが含まれている。そういう想いのエッセンスを受け継ぐのは私たちの責任なのだと思う。
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この記事へのコメント
デンサー節は居候先のオジィの十八番で、
何度か聴く機会がありました。西表の上原を
「うぃーばる」「ういばる」と言うのも、この歌で
知りました。オジィは歌に込められた「人の心」を
説こうとしていたのに、若輩の私はあまり熱心に
耳を傾けませんでした。こうして文字でひとつひとつ
読んでみると、いい歌なんだなぁと思います。
(ちゃんと聞けば良かった、と今さらながら少し後悔。)
リンクをご承諾していただき、ありがとうございました。
また訪問させていただきます。
何度か聴く機会がありました。西表の上原を
「うぃーばる」「ういばる」と言うのも、この歌で
知りました。オジィは歌に込められた「人の心」を
説こうとしていたのに、若輩の私はあまり熱心に
耳を傾けませんでした。こうして文字でひとつひとつ
読んでみると、いい歌なんだなぁと思います。
(ちゃんと聞けば良かった、と今さらながら少し後悔。)
リンクをご承諾していただき、ありがとうございました。
また訪問させていただきます。
Posted by aimori at 2007年04月08日 16:26
地元の歌を地元で聞く、この醍醐味に
勝るものはありませんね。
しかし、歌は世界を渡る。
別の土地で、別の人の空気で歌われる歌も
面白い。
ぜひ、オジィの歌をもう一度思い出して
歌ってみてください。
それも喜ばれるかも。
勝るものはありませんね。
しかし、歌は世界を渡る。
別の土地で、別の人の空気で歌われる歌も
面白い。
ぜひ、オジィの歌をもう一度思い出して
歌ってみてください。
それも喜ばれるかも。
Posted by たるー at 2007年04月09日 22:57
>ゆみぬふぁー嫁の方 歌詞本には「子」という当て字があるが「方」(ふぁー)の間違いではないかと思う。
先島ではKがFなのでクチがフツのF。「子」も「方」もファーという同音異議。
本島でいえば子供「クゥワ」と方バー、ファーただこの音は中国と同じ音だ。方はファー、
沖縄本島フィラ、ファラ、「ウマフィラ、アガタハラー」と空間指示語としてある。
嫁の方はユミカタ、アガタのカタと同じで接尾辞のタがつく。
カイシャがなるは幼きもの次第という価値観の傾向からして子供ともとれる。
嫁の子供という言い方は嫁という限定をする感覚が現代感覚からはおかしいと思うかもしれない。しかし保留にしておくことが望ましい。明快な間違いなら訂正が必要だが、当地の言い草のクセを読む必要がある。
先島ではKがFなのでクチがフツのF。「子」も「方」もファーという同音異議。
本島でいえば子供「クゥワ」と方バー、ファーただこの音は中国と同じ音だ。方はファー、
沖縄本島フィラ、ファラ、「ウマフィラ、アガタハラー」と空間指示語としてある。
嫁の方はユミカタ、アガタのカタと同じで接尾辞のタがつく。
カイシャがなるは幼きもの次第という価値観の傾向からして子供ともとれる。
嫁の子供という言い方は嫁という限定をする感覚が現代感覚からはおかしいと思うかもしれない。しかし保留にしておくことが望ましい。明快な間違いなら訂正が必要だが、当地の言い草のクセを読む必要がある。
Posted by ガジャン at 2007年04月12日 10:30
ガジャンさん
なるほどです。
辞書のみが頼りの私には、「当地の言い草のクセ」など
知る由もなし。
しかし、ウチナーでの「・・・小」(ぐわ)という表現は
少し似てますね。
もちろん保留のつもりです。
いいご指摘感謝です。
今後ともよろしく。
なるほどです。
辞書のみが頼りの私には、「当地の言い草のクセ」など
知る由もなし。
しかし、ウチナーでの「・・・小」(ぐわ)という表現は
少し似てますね。
もちろん保留のつもりです。
いいご指摘感謝です。
今後ともよろしく。
Posted by せき ひろし(たるー) at 2007年04月12日 23:48
>ゆみぬふぁー嫁の方 歌詞本には「子」という当て字があるが「方」(ふぁー)の間違いではないかと思う。
わたしの見解から言わせていただければ「ゆみぬふぁー =嫁ぬ子」で
いいと思います。
「嫁の方」となると単純に「ゆみぬかた」といい意味が嫁方になり、嫁の実家などを表す表現になってしまうと思います。
また「方」を「ふぁー」とはあまりいいませんし聞きません。
八重山では「嫁子」「ゆみふぁー」という表現をします。
結婚式などでよく歌われる、工工四には載ってないでんさー節の歌詞を紹介しておきます。
♪自分ぬ子ぬどぅ他人ぬ嫁 他人の子ぬどぅ自分の嫁
なりく嫁子どぅ 極みてぃ本の子さみ でんさー ♪
・どぅぬふぁーぬどぅ ふとぅぬゆみ ふとぅぬふぁぬどぅ どぅぬゆみ
なりくゆみふぁどぅ きわみてぃふんぬふぁさみ でんさー
たるーさんの向学心、探究心に感心してます
楽しみに拝見させていただいてます。
わたしの見解から言わせていただければ「ゆみぬふぁー =嫁ぬ子」で
いいと思います。
「嫁の方」となると単純に「ゆみぬかた」といい意味が嫁方になり、嫁の実家などを表す表現になってしまうと思います。
また「方」を「ふぁー」とはあまりいいませんし聞きません。
八重山では「嫁子」「ゆみふぁー」という表現をします。
結婚式などでよく歌われる、工工四には載ってないでんさー節の歌詞を紹介しておきます。
♪自分ぬ子ぬどぅ他人ぬ嫁 他人の子ぬどぅ自分の嫁
なりく嫁子どぅ 極みてぃ本の子さみ でんさー ♪
・どぅぬふぁーぬどぅ ふとぅぬゆみ ふとぅぬふぁぬどぅ どぅぬゆみ
なりくゆみふぁどぅ きわみてぃふんぬふぁさみ でんさー
たるーさんの向学心、探究心に感心してます
楽しみに拝見させていただいてます。
Posted by 八重山人 at 2007年05月12日 07:42
八重山人さん
貴重なご意見ありがとうございます。
大切なでんさー節の歌詞も、ご紹介ありがとうございます。
いろいろな方からご意見をいただき、疑問の解決のおおきなヒントになりそうです。
沖縄語での「妻小」(とぅじぐわー)という表現がありますが、この「小」に似た用法と理解することもできますね。
もう少し検討させてください。
貴重なご意見ありがとうございます。
大切なでんさー節の歌詞も、ご紹介ありがとうございます。
いろいろな方からご意見をいただき、疑問の解決のおおきなヒントになりそうです。
沖縄語での「妻小」(とぅじぐわー)という表現がありますが、この「小」に似た用法と理解することもできますね。
もう少し検討させてください。
Posted by せきひろし(たるー) at 2007年05月13日 10:45
八重山人さん、ガジャンさん、みなさん。
まったくの見落としでした!
八重山方言辞典にちゃんと
「嫁」のことを意味する「嫁子」がのっていました。
また時間のあるときにコメントし訂正しておきます。
まったくの見落としでした!
八重山方言辞典にちゃんと
「嫁」のことを意味する「嫁子」がのっていました。
また時間のあるときにコメントし訂正しておきます。
Posted by せきひろし at 2007年05月23日 14:20
大好きなでんさー節については、そんなに細かい説明があるということを知らなかったんですが、ここで見付けた情報を遅らせることなくメールで(白保村出身の)妻に伝えたんです。
たる一さん、コメントをしてくれた方、本当にありがとうございます。m(_ _)m
たる一さん、コメントをしてくれた方、本当にありがとうございます。m(_ _)m
Posted by ゆうり at 2013年03月09日 20:37
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