2007年02月11日

女工節

女工節
[じょこー]ぶし

補作詞 我如古 盛栄

([]は大和口)


一、親元ゆ離り大和旅行ちゅし 淋しさやあてぃん 勤みでむぬよ
'うやむとぅ ゆ はなり やまとぅたび'いちゅし さびしさや'あてぃん ちとぅみでむぬ よ
'uya mutu yu hanari yamatu tabi 'ichushi sabishisa ya 'atiN chitumi demunu yo
親元を離れ本土に旅すること 寂しさはあっても務めであるからよ


ニ、友と別れたし島の村はじし 親とわかれたし那覇の港よ
とぅむとぅわかりたし しまぬむらはじし 'うやとぅわかりたし なふぁぬんなとぅよ
tumu tu wakaritashi sshima nu murahajishi 'uya ru wakaritachi nahwaa nu Nnatu yo
友と別れたのは故郷の村はずれ 親と別れたのは那覇の港よ


三、那覇までや我島 船乗りば大和 何時が銭儲けて我島帰ゆらど
なふぁまでぃやわしま ふにぬりばやまとぅ 'いちがじんもきてぃわしまけゆらど
nahwa madi ya washima huni nuriba yamatu ’ichiga jiN mo(o)kiti washima ke(e)yura do(o)
那覇までは私の故郷 船に乗れば本土 いつになったらお金を稼いで私の故郷に帰るだろうか


四、大和かい来りば 友一人居らん 桜木にかかてぃ我んや泣ちゅさ
やまとぅかいくりば どぅしちゅいうわん さくらぎにかかてぃ わんやなちゅさ
yamatu kai kuriba dushi chui uraN sakuragi ni kakati waN ya nachusa
本土に来ると友達は一人も居ない。桜の木に(寄り)かかって私は泣くよ


五、照る月に向かてぃ 眺みゆる空や 島ぬ面影ぬ勝てぃ立つさ
てぃるちちにんかてぃ ながみゆるすらや しまぬ'うむかじぬ まさてぃたちゅさ
tiru chichi ni Nkati nagamiyuru sura ya shima nu 'umukaji nu masati tachusa
照る月に向かって眺める空(又は、身空)には 故郷の面影が強くって(浮かび)立つよ


六、ガラス窓開きてぃ 歌小あびたしが 聞かりゆみアンマ 我身ぬ歌声よ
[ガラス]まどぅ'あきてぃ 'うたぐわ 'あびたしが ちかりゆみ 'あんま わみぬ 'うたぐいよ
[ガラス]madu 'akiti 'utagwa 'abita shi ga chikariyumi 'aNma(a) wami nu 'utagui yo
ガラス窓を開けて歌を歌ったのが(又は、歌ったが) 聞こえるかしら?お母さん 私の歌声が


七、紡績やアンマ 楽んでぃる来ゃしが 楽や又あらん 哀りどアンマ
[ぼうせき]や'あんま らくんでぃる ちゃしが らくやまた'あらん 'あわりど 'あんま
[ぼうせき]ya 'aNma(a) raku Ndiru chashiga raku ya mata 'araN 'awari du 'aNma(a)
紡績は、お母さん 楽だと言って来たけれど 楽では又ない 辛いんだよ お母さん

解説
(語句)
・じょこー 女工

・ゆ  を(目的格)
口語ではふつう用いない。文語表現。
・いちゅし 行った事
「し」は動詞について「・・したこと」と名詞化する働きがある。
(参考 二見情話
・でむぬ ・・であるから

・わかりたし 別れたのは
一番の「し」と同じ用法。
二見情話と同じで「・・・し・・、・・・し・・」で「~したのは~、~したのは~」という構文。

・けゆらど 帰るだろうか
<けーゆらどー 
詩的許容により長母音が短くなっている。

・かい  に

・すら 空  身空
いわゆる天空の「空」という意味と、自分の状況「身空」という意味がある。
普通、この歌詞を見ると、見上げる「空」のようだが、精神的な意味があるとも読める。

(参考 多幸山
若さ一時の通い路の空や 闇のさくひらん 車とぅ原
○若いときの通い道の身空は 闇の急な坂も砂糖車をすえつけるほどの平坦な原)


・あびたしが 歌ったが、 または 歌ったのが
「し」が名詞化するもの、か、「しが」=・・・であるが なのか両方意味が取れる。
・ちかりゆみ 聞こえる?
疑問文。

・んでぃる と言って
・あわり 苦労、辛い

(コメント)
明治末期から航路のあった阪神を中心に、「ソテツ地獄」といわれた沖縄の食糧難を逃れて本土に多くの若い労働力が流れた。紡績をはじめ過酷な労働や、劣悪な住環境。それに偏見と差別が追い討ちをかけたという。
「女工」というのは、本土でも農村部から都市部に流れた若い女性達を安い労働力として使ったことから各地でいわれた言葉で、「女工節」は津軽などにもある。

この「女工節」だれがつくったのかはもうわからない。
補作詞だけは、我如古 盛栄、とある。
曲はさびしい雰囲気を出す、
合 乙♭ 合 四 とか
四、上、中♭工、という音階が多用。

琉歌は8-8-8-6だが、これは8-8-8-7という歌詞数。
最後の「よ」や「ど」が、最初囃子言葉かと思ったが
七番で「哀りどアンマ」と七文字になっているところをみると、囃子ではないと見える。
ただ、七番だけが、あとから加えられた可能性もあるので、
はじめ琉歌形式でつくられたものだったことも十分考えうる。
二番などは、二見情話を意識しているようにも見える。

今でも人気の高い歌で、ときどき大和でも歌う人は多い。



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Posted by たる一 at 14:28│Comments(4)さ行
この記事へのコメント
時代は違えど、読んでいて 切なくなりました。

祖母が、紡績で大阪へ行っていた頃の話を
よく聞かせてくれたのを思い出しました。
祖母もまた、同じ様な心境で過ごしていたんでしょうか・・
Posted by りょう虎 at 2007年02月13日 22:50
りょう虎さん
女工、という呼び方が働く人をどれだけモノ扱いしていたか
を如実に物語っています。
しかし、どなたが作った歌か知らないですが
いい味がありますね。
おばあ様の心境を歌に感じるようですね。

しかし時代はそれほど変わっていないのかも。
Posted by たるー at 2007年02月13日 23:32
そうですね。
島を離れ 故郷をを想う気持ちは、きっと変わりません。
私は、専門学校・就職・現在も ずっと東京なので
自らを振り返り 切なく感じたのだと思います。
仕事で楽しい事ばかりじゃない。
都会は華やかなだけじゃない。
時代は、変わっていませんね。
Posted by りょう虎 at 2007年02月13日 23:52
りょう虎さん
東京からですか。
故郷を離れて、さらに故郷を思う気持ちは
私もわかりますよ。
故郷に住んでいると、ありがたさがわからない人も
いるでしょうね。
Posted by せき ひろし at 2007年02月17日 12:27
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