2006年01月11日

多幸山

多幸山
たこーやま
takooyama
語句・たこーやま 中頭郡恩納村にある。少ないが「たくーやま」と歌う方もいる。

作者 不詳


一、多幸山の山しし 驚くな山しし 喜名の高波平(さよ)山田戻り
たこーやまぬやましし 'うどぅるくなやましし ちなぬたかはんじゃ (さよ)やまだむどぅい
takooyama nu yamashishi 'udurukuna yamashishi china nu takahaNja (sayo) yamada mudui
多幸山の山猪(山賊)驚くな山猪(山賊)喜名の高波平(が)山田(地名)からの戻り
語句・ たこーやま 「多幸山」の読みだが、人名や地名の読み方から、多幸は「たこー」。恩納村の山田にある。・やましし山猪。山賊(フェーレー hweeree 追いはぎ)だと言われている。恩納村の山田には昔フェーレーが出没したというフェーレー岩が今でも存在する。「しーさー」とした歌詞もある。・ちな<ちなー。読谷山間切にあった。今の読谷村。・たかはんじゃ 名前だろう。「波平」(はんじゃ)は地名にある。読谷山間切。


(囃子)
汝った山田や ぬさる山田が 我にん山田や 行ぢんちゃせ
'いったーやまだや ぬーさるやまだが わにんやまだや 'んじんちゃせ
'ittaa yamada ya nuusaru yamadaga waniN yamadaya 'NjiNchasee
お前達の山田は何をする山田か 私も山田(地名)だ でてみろ(かかってこい)
語句・いったー 「おまえたち。きみたち」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。



二、若さ一時の通い路の空や 闇のさくひらん 車とぅ原
わかさふぃとぅとぅちぬかゆいじーぬ すらや やみぬさくふぃらん くるまとーばる
wakasa hwitutuchi nu kayuijinu suraya yami nu saku hwiraN kurumatoobaru
若いときの(逢瀬のための)通い道の身空は 闇の急な坂も砂糖車をすえつける平坦な原のようだ
語句・ すら 「①空、天空」「②身空」【沖辞】。ここでは②身空。・さくふぃら急な坂。・くるま車。 ①精糖場の圧搾車=砂糖車。昔は、この砂糖車をすえつけるのは平らな場所だったようだ。・とーばる平野。平原。つまり砂糖車をすえつけるような平地。


(囃子)上道くんちち 下道通りば かなし里前と行逢ゆらど
'うぃみちくんちち しちゃみちとぅーりば かなしさとぅめとぅ 'いちゃゆらどー
'wiimichikuNchichi sichamichi tuuriba kanashi watumee tu 'ichayura doo
上の道を近道して 下道通るならば 愛する貴方と出会えるだろうよ
語句・くんちち近道して。くんちち<くんちゆん。kuNchiyuN。横切る。近道する。・とぅーりば通るならば。<とぅーゆん。通る。



三、若さ頼がきて何時も花むとな思ゆらん風の吹かば如何すが
わかさたるがきてぃ'いちんはなむとぅな 'うみゆらんかじぬふかばちゃーすが
wakasa tarugakiti 'ichiN hana mutuu naa 'umiyuraN kajinu fukaba chaasuga
若さをあてにしていつまでも花が続くものか?想定外の風が吹いたらどうするのか
語句・たるがきてぃ <たるがきゆん。「当てにする。頼みにする」【沖辞】。頼って。・むとぅーな <むとぅーゆん。「長続きする」【沖辞】。+なー。「かい。かねえ。の。軽く尋ねる場合に用いる」【沖辞】。


(囃子)でぃちゃたりウマニー唐竹山かい 里が衣装下ぎ竿切が
でぃちゃたり'うまにーからたきやまかい さとぅがいしょーさぎそーちーが
dichatari 'umanii karatakiyama kai satu ga 'ishoosagi soo chiigaa
さあもし 奥さんは唐竹山に 旦那の服を下げる竿を切るために
語句・でぃちゃ さあ。いざ。文語の「でぃかよ」に対応。・たり 「もし。taiと同様にtaiよりさらに目上に女が用いる敬語」【沖辞】。・うまにー 「兄嫁さん」「奥さん。既婚の士族の婦人の総称」【沖辞】。・かい 〜に。・そー 竿。・ちーが 切りに、切るために。<ちー<ちゆん。切る。+が。〜ために。



四、夢のこの世界にぬゆでまた夢の昔事までも見せて呉ゆが
'いみぬくぬしけに ぬゆでぃまた 'いみぬんかしぐとぅまでぃんみしてぃくぃゆが
'iminu kunu sikee ni nuuyudi mata 'iminu Nkashigutu madiN mishitikwiyuga
夢のこの世界にどうしてまた夢の昔のことまでみせてくれるのか
語句・ぬゆでぃ どうして。


(囃子)ブク小投げれば出じるゆむ面 誰が投げても出じゆがや
ぶくぐゎなぎりば'んじゆるゆむじらー たーがなぎてぃん'んじゆがやー
bukugwaa nagiriba 'Njiyuru yumu jiraa taa ga nagitiN 'Njiyuga yaa
不愉快な奴を投げたら必ず出てくる嫌なツラ 誰が投げても出てくるかねえ
語句・ぶくぐゎー <ぶくくち。不愉快。・ゆむじらー 嫌な面。



早弾き(そーびち)の遊び歌、カチャーシー曲として有名。
歌詞も無数にあり、唄者同士の歌勝負(うたすーぶ)にも使われる。

多幸山は中頭郡恩納村にあり、そこにはフェーレー岩という昔盗賊、追い剥ぎが出たと言う場所となっている。現在の「琉球村」の裏手、西側の道路にフェーレー岩が存在する。



この場所にある看板にはこのような説明がされている。

フェーレー岩

国頭方西海道(宿道)で最も難所で
あったのがここ多幸山山道であったこと
から度々金品を掠奪するフェーレー(追い
はぎ)が出没したといわれている。特に
ここ周辺は立木が繁茂し昼でも薄暗い
ところであったところからフェーレーが頻繁
にでて岩の上から婦人が頭部に載せた
包みを吊りあげたりして金品を奪ったと
いう伝説が残る場所です。
この地では次のような歌が詠まれています。

多幸山やフェーレーでんどう
喜名番所に泊らなやー

女子たるもの
泊ゆみ急ぢすじ行き
島かから

「多幸出道はフェーレーがでるそうだ喜名の
番所に泊まろうか、いやいや女子の身で
知らない所に泊まれるものではない。
いまならまだ大丈夫いそいで自分の村
までいったほうがよかろう」の歌意である。

恩納村教育委員会
平成六年三月三十






Posted by たる一 at 06:02│Comments(4)
この記事へのコメント
初めまして。おじゃまします。
01月06日 〈「ば」をめぐって〉のご所見にコメントを入れさせていただきました。ご一読の上ご意見をお聞かせください。同じ内容の文章を01月10日のコメントにも書き込んでしまいました。お手数ですが削除願います。
Posted by Hi Shy おじさん at 2006年01月13日 01:36
「多幸山」三番、四番を追加しました。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年02月08日 20:36
昔、聴取した音源を聞いていたら、喜名の明治28年生まれの古老が喜名タカハンジャーの話をしていました。以下に抜粋します。モーアシビ歌としてよく歌われていたのでしょうか?

うぬ歌(うた)ぁ山猪(やまし)どぅんやれータカハンジャーがる驚(うるる)ちゅる筈(はじ)やしが、自分(どぅー)ぬ驚(うるる)ちょーしぇー山猪(やまし)んかいなすりちきやーに如何(ちゃ)んぐとーぬ才能(さいのう)ぬ有(あ)たがやーんでぃる物語(むぬがたい)やるばーてー。自分(どぅー)ぬ驚(うるる)ちょーしぇー、驚(うるる)くな山猪(やまし)んち、其処(ぅんま)んかい居(をぅ)るフェーレーんかいる名乗(なぬ)とーくとぅ。うりから多幸山(たこうやま)ぬ歌(うた)ぁ流行(ふぇー)たんり。
 あんさーに、多幸山(たこうやま)ぁ遊(あし)び所(どぅくるー)どぅやくとぅ、ありが囃子(ふぇーし)んかい「山田(やまだ)、山田(やまだ)何(ぬー)さる山田(やまだ)が、私(わに)ん山田(やまだ)ぁ行(ぅん)ぢんちゃしぇ」んでぃ。彼処(あま)ん山(やま)ぬ中(みー)どぅやくとぅ。うれーまたシマぬ美童(みやらび)ん達(ちゃー)が、「何(ぬー)が、あが遠(とぅー)んじ遊(あし)ぶ、シマうてぃ遊(あし)ばんそーてぃ。悋気(りんち)物語(むぬがたい)んでぃ。「山田(やまだ)、山田(やまだ)何(ぬー)さる山田(やまだ)が、私(わん)にん山田(やまだ)ぁ行(ぅん)ぢんちゃしぇ」んでぃぬ、うぬ歌(うた)ぬ囃子(ふぇーし)ぇ。うぬ歌(うた)ぬ囃子(ふぇーし)ぇなーひん有(あ)るばーてー。
Posted by chibana takako at 2021年11月15日 10:13
chibana takakoさん、
コメントありがとうございます。

喜名タカハンジャーの話、とても興味あります。ゆっくり読んでまたコメントしますね。
Posted by たる一たる一 at 2021年11月16日 08:49
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