2006年10月21日
安波節2
安波節
'あふぁぶし
'ahwa bushi
一、かりゆしの遊び(ハリ)打ち晴れてからや夜の明けて太陽の(ハリ)上がるまでも
かりゆしぬ'あしび'うちはりてぃからや ゆぬあきてぃてぃーだぬ'あがるまでぃん
kariyushi nu 'ashibi 'uchihariti karaya yu(u) nu 'akiti tiida nu 'agarumadiN
○めでたい遊び(は)すっかり晴れてからは夜が明けて太陽があがるまでも
二、夜の明けて太陽や上がらわんゆたさ 巳午時までもお祝さびら
ゆぬ'あきてぃてぃだや'あがらわんゆたさ みまんどぅちまでぃん'うゆえさびら
yu(u) nu 'akiti ti(i)da ya 'agarawaN yutasa mimaNduchi madiN 'uyuwe(e)sabira
○夜が明けて太陽が上がってもよい お昼くらいまでも祝いしましょう
'あふぁぶし
'ahwa bushi
一、かりゆしの遊び(ハリ)打ち晴れてからや夜の明けて太陽の(ハリ)上がるまでも
かりゆしぬ'あしび'うちはりてぃからや ゆぬあきてぃてぃーだぬ'あがるまでぃん
kariyushi nu 'ashibi 'uchihariti karaya yu(u) nu 'akiti tiida nu 'agarumadiN
○めでたい遊び(は)すっかり晴れてからは夜が明けて太陽があがるまでも
二、夜の明けて太陽や上がらわんゆたさ 巳午時までもお祝さびら
ゆぬ'あきてぃてぃだや'あがらわんゆたさ みまんどぅちまでぃん'うゆえさびら
yu(u) nu 'akiti ti(i)da ya 'agarawaN yutasa mimaNduchi madiN 'uyuwe(e)sabira
○夜が明けて太陽が上がってもよい お昼くらいまでも祝いしましょう
解説
(語句)
一
・うちはりてぃ すっかり晴れて
胤森さんは
「(心が)打ち晴れて」と訳されている。
胤森さんが紹介している『沖縄民謡』(杉本信夫)でも
「心が明るくなって」
さらに琉歌大成(清水彰 沖縄タイムス社)でも
「皆うちとけたからは」
と一様に心象風景として訳されている。
「はりゆん」(琉球語辞典)
晴れる (雨が)はれる[止む]
utagee nu ~ 疑いが晴れる
yuku nu ~ 欲がなくなる
確かに、天候が晴れるだけでなく「気持ちが晴れる」という例が多い。
「晴れる」という言葉自体では「天候」をさすのか「心情」をさすのかあいまいなところもある。
ここでは意訳は避けて「すっかり晴れて」と訳したい。
・てぃだ
太陽は「てぃーだ」と発音するのに琉歌では「てぃだ」と短縮する。この安波節だけでも他に
夜(ゆー) 「ゆ」
巳(みー) 「み」
祝(ゆうぇー) 「ゆえ」
などがある。
このように一般に歌の中で「長母音を一拍として扱ってよい」という原則がある。これを詩的許容(poetic license)と言う。
これを知らないと短縮したものをウチナーグチと勘違いすることになる。
二
・あがらわん あがっても
「わん」は「ば・も」から来ていて動詞の未然形について「・・しても」の意味になる。
・ゆたさ 良い
形容詞「ゆたしゃん」「ゆたさん」から。形容詞の体言止めは「なんと・・なことよ!」という感嘆表現。
「太陽が上がってもよいことよ!」という感じか。
・みまんどぅち お昼くらいまで
巳の刻(10時)から午の刻(12時)の間
午前11時くらい。
(胤森さんの本から クリックで拡大)
巳午は「みまん」と歌うが、言葉としてはmii'Nma「みーんま」「みんま」と発音する。
その理由を胤森さんの本を紹介することで考えたい。
(以下引用 省略あり)
①メタテーゼ説一語の中で音が転倒することがある。
新 あたらし → あらたな
晦 つごもり → つもごり
腹鼓 はらつづみ → はらづつみ
このような音位転倒をメタテーゼという。
指金(指輪) 'iibi ganii(いいびがに) → 'iibi nagi(いいびなぎ)
②格助詞「の(N)」の挿入説
格助詞「の」で複合される語がある。
「・・の・・」は往々にして「・・ん・・」となる。
笠原 かさのはら カザンバル
山中 やまのなか ヤマンナカ
昆布(コンブ)が方言として「クブ」と「ん」が消滅をおこしいまではこちらが本家のようである。
「巳午」(みー・うま)はmiiNmaであるが語中のNが弱く 長崎(なんがさき)昆布(こんぶ)のNが消滅したようになくなった。
以上から
巳午時 みうまのとき minmaNduchiみんまんどぅち>mimaNduchiみまんどぅち と変化したものと考えられる。
①②の説が考えられるが②のほうがよいと思う。
安冨祖流本には「安波節」巳午ん時迄も
とある。「ん」とあるのは「みまん」と読むためであろう。
(以上引用終わり)
このように胤森さんは「巳午ん時」という「の」が挿入されていると結論されている。参考までに。
(語句)
一
・うちはりてぃ すっかり晴れて
胤森さんは
「(心が)打ち晴れて」と訳されている。
胤森さんが紹介している『沖縄民謡』(杉本信夫)でも
「心が明るくなって」
さらに琉歌大成(清水彰 沖縄タイムス社)でも
「皆うちとけたからは」
と一様に心象風景として訳されている。
「はりゆん」(琉球語辞典)
晴れる (雨が)はれる[止む]
utagee nu ~ 疑いが晴れる
yuku nu ~ 欲がなくなる
確かに、天候が晴れるだけでなく「気持ちが晴れる」という例が多い。
「晴れる」という言葉自体では「天候」をさすのか「心情」をさすのかあいまいなところもある。
ここでは意訳は避けて「すっかり晴れて」と訳したい。
・てぃだ
太陽は「てぃーだ」と発音するのに琉歌では「てぃだ」と短縮する。この安波節だけでも他に
夜(ゆー) 「ゆ」
巳(みー) 「み」
祝(ゆうぇー) 「ゆえ」
などがある。
このように一般に歌の中で「長母音を一拍として扱ってよい」という原則がある。これを詩的許容(poetic license)と言う。
これを知らないと短縮したものをウチナーグチと勘違いすることになる。
二
・あがらわん あがっても
「わん」は「ば・も」から来ていて動詞の未然形について「・・しても」の意味になる。
・ゆたさ 良い
形容詞「ゆたしゃん」「ゆたさん」から。形容詞の体言止めは「なんと・・なことよ!」という感嘆表現。
「太陽が上がってもよいことよ!」という感じか。
・みまんどぅち お昼くらいまで
巳の刻(10時)から午の刻(12時)の間
午前11時くらい。
(胤森さんの本から クリックで拡大)
巳午は「みまん」と歌うが、言葉としてはmii'Nma「みーんま」「みんま」と発音する。
その理由を胤森さんの本を紹介することで考えたい。
(以下引用 省略あり)
①メタテーゼ説一語の中で音が転倒することがある。
新 あたらし → あらたな
晦 つごもり → つもごり
腹鼓 はらつづみ → はらづつみ
このような音位転倒をメタテーゼという。
指金(指輪) 'iibi ganii(いいびがに) → 'iibi nagi(いいびなぎ)
②格助詞「の(N)」の挿入説
格助詞「の」で複合される語がある。
「・・の・・」は往々にして「・・ん・・」となる。
笠原 かさのはら カザンバル
山中 やまのなか ヤマンナカ
昆布(コンブ)が方言として「クブ」と「ん」が消滅をおこしいまではこちらが本家のようである。
「巳午」(みー・うま)はmiiNmaであるが語中のNが弱く 長崎(なんがさき)昆布(こんぶ)のNが消滅したようになくなった。
以上から
巳午時 みうまのとき minmaNduchiみんまんどぅち>mimaNduchiみまんどぅち と変化したものと考えられる。
①②の説が考えられるが②のほうがよいと思う。
安冨祖流本には「安波節」巳午ん時迄も
とある。「ん」とあるのは「みまん」と読むためであろう。
(以上引用終わり)
このように胤森さんは「巳午ん時」という「の」が挿入されていると結論されている。参考までに。
Posted by たる一 at 08:19│Comments(0)
│あ行
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