2006年02月21日
謝敷節
謝敷節
じゃじちぶし
jajichibushi
謝敷板干瀬に打ちゃいひく波や謝敷女童のみ笑いはぐき
じゃじち'いたびしに'うちゃいふぃくなみやじゃじちみやらびぬみわれはぐち
jajichi'itabishi ni 'uchai hwiku nami nu miwarehaguchi
○謝敷の板干瀬に打ちひく波や謝敷の娘のほほ笑み歯口
じゃじちぶし
jajichibushi
謝敷板干瀬に打ちゃいひく波や謝敷女童のみ笑いはぐき
じゃじち'いたびしに'うちゃいふぃくなみやじゃじちみやらびぬみわれはぐち
jajichi'itabishi ni 'uchai hwiku nami nu miwarehaguchi
○謝敷の板干瀬に打ちひく波や謝敷の娘のほほ笑み歯口
解説
(語句)
・いたびし 「ふぃし」とは満潮には隠れ干潮には顔を出す岩や洲。サンゴの場合もある。それが板状になったものであろう。
・うちゃい 打ったり
・みわれ 微笑み
miiwaree みーわれー が歌詞の中で短縮される
・はぐち 歯口
つまり、口元。 しかし、歌詞は「はぐき」となっている。「き」と「ち」は拗音化で変化することがある。が「くち」と「(は)ぐき」は指しているものが違う。
(コメント)
古典の一曲。
雪の話題があったので本を調べていたら、この歌にたどりついた。
「どこにも雪なんか書いてないじゃないか」
おしかりはごもっとも。しかしあわてないで。
大意は「謝敷の板干瀬に打ったりひいている波は まるで謝敷の娘のほほ笑む口元のように美しい」
おおらかな例えだ。
さてこの歌には例によって本歌があるらしい。
「民謡の旅 やんばるの唄と文化を訪ねる」という本を見よう。
「諸鈍長浜に打ちゃぎひく波や 諸鈍女童ぬ笑い歯ぐち
諸鈍女童ぬ 雪ぬるぬ歯ぐち いちが夜ぬくりて み口吸わな
浦々ぬ深さ 諸鈍浦ぬ深さ 諸鈍女童ぬ思い深さ」
「諸鈍」といえば古典の「しょどん節」
手許の古典の工工四をみてみよう。
「・・・諸どん美童の雪のろの歯ぐき いつが夜の暮れて美口そはな
諸どん長浜に打ちやい引く波の諸どん美童の目笑歯ぐき」
(○諸どん娘の雪のような歯ぐき いつか夜が暮れて口づけしたい」
「諸鈍」はどこかというと、奄美大島というのはよく知られている。
奄美の加計呂間島にある。唄は「諸鈍長浜節」
その唄が400年前から歌われている。
うちなーの古典の歴史は300年だからそれより古い。
つまり、この奄美、諸鈍の唄があり、その後、古典や謝敷節ができたということだ。
ただ、その奄美の唄も琉歌研究の渡久地政宰氏(故人)によれば、「尚王朝の大島遠征の際、その遠征軍の手によって作られたといわれる」そうだ。
その話の真偽は置いておいても、雪の話、奄美という地域から来ていることは確実だろう。そして奄美と雪の関係は昔ならばありえた話でもある。
ちなみに、「浦々ぬ深さ 諸鈍浦ぬ深さ 諸鈍女童ぬ思い深さ」
という歌詞は名護浦を歌う
「浦々ぬ深さ 名護浦ぬ深さ 名護美童ぬ思い深さ」
という歌詞となって本部ナークニーになって今日に受け継がれている。
まさに時代を超えて心が伝わっているということができる。
(語句)
・いたびし 「ふぃし」とは満潮には隠れ干潮には顔を出す岩や洲。サンゴの場合もある。それが板状になったものであろう。
・うちゃい 打ったり
・みわれ 微笑み
miiwaree みーわれー が歌詞の中で短縮される
・はぐち 歯口
つまり、口元。 しかし、歌詞は「はぐき」となっている。「き」と「ち」は拗音化で変化することがある。が「くち」と「(は)ぐき」は指しているものが違う。
(コメント)
古典の一曲。
雪の話題があったので本を調べていたら、この歌にたどりついた。
「どこにも雪なんか書いてないじゃないか」
おしかりはごもっとも。しかしあわてないで。
大意は「謝敷の板干瀬に打ったりひいている波は まるで謝敷の娘のほほ笑む口元のように美しい」
おおらかな例えだ。
さてこの歌には例によって本歌があるらしい。
「民謡の旅 やんばるの唄と文化を訪ねる」という本を見よう。
「諸鈍長浜に打ちゃぎひく波や 諸鈍女童ぬ笑い歯ぐち
諸鈍女童ぬ 雪ぬるぬ歯ぐち いちが夜ぬくりて み口吸わな
浦々ぬ深さ 諸鈍浦ぬ深さ 諸鈍女童ぬ思い深さ」
「諸鈍」といえば古典の「しょどん節」
手許の古典の工工四をみてみよう。
「・・・諸どん美童の雪のろの歯ぐき いつが夜の暮れて美口そはな
諸どん長浜に打ちやい引く波の諸どん美童の目笑歯ぐき」
(○諸どん娘の雪のような歯ぐき いつか夜が暮れて口づけしたい」
「諸鈍」はどこかというと、奄美大島というのはよく知られている。
奄美の加計呂間島にある。唄は「諸鈍長浜節」
その唄が400年前から歌われている。
うちなーの古典の歴史は300年だからそれより古い。
つまり、この奄美、諸鈍の唄があり、その後、古典や謝敷節ができたということだ。
ただ、その奄美の唄も琉歌研究の渡久地政宰氏(故人)によれば、「尚王朝の大島遠征の際、その遠征軍の手によって作られたといわれる」そうだ。
その話の真偽は置いておいても、雪の話、奄美という地域から来ていることは確実だろう。そして奄美と雪の関係は昔ならばありえた話でもある。
ちなみに、「浦々ぬ深さ 諸鈍浦ぬ深さ 諸鈍女童ぬ思い深さ」
という歌詞は名護浦を歌う
「浦々ぬ深さ 名護浦ぬ深さ 名護美童ぬ思い深さ」
という歌詞となって本部ナークニーになって今日に受け継がれている。
まさに時代を超えて心が伝わっているということができる。
Posted by たる一 at 22:55│Comments(2)
│さ行
この記事へのコメント
謝敷節は最初の所、「謝敷」の「ち」が当てで続く「板干瀬」の「い」は呑みになっていてここが難しい所ですね。
Posted by ふーちゃん at 2006年02月23日 08:54
ふーちゃんさん、コメントありがとうございます。
古典の奏法、表現法、実に難しいですね。
古典の奏法、表現法、実に難しいですね。
Posted by せきひろし at 2006年02月24日 06:29
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