2006年02月13日

島造い

島造い
しまちゅくい
shima chukui
島づくり

作詞 浦崎芳子
作曲 普久原恒勇



一、昔我った親父祖の唐の御国に渡みそち 唐ぢん唐豆唐福木 ウッチン打豆唐カンダ 持っち御戻いみそーちゃん
んかしわったー'うやふじぬ とーぬ'うくににわたみそーち とーじん とーまーみ とーふくぎ 'うっちん 'うちまみ とーかんだ むっち'うむどぅい みそーちゃん
Nkashi wattaa 'uyahujinu too nu mikuni ni watamisoochi toojiN toomaami toohukugi 'ucchiN 'uchimaami tookaNda mucchi'umudui misoochaN
昔私達のご祖先様が中国にお渡りなられて とうもろこしそら豆 福木 ウコン 打豆 甘藷 を持って御戻りなされました
語句・うやふじ ご先祖様。「うやふぁーふじ」とも言う。・とー 唐。中国の事をこう呼んだ。・みそーち ~なされて。「みせーん」の連用形。・とーじん 唐黍(とうきび)。とうもろこし。「黍」(キビ)は古語で「キミ」(黄実)、それが口蓋化して「チン」に。「トー」と「チン」で「トージン」。・とーまーみ そら豆。・とーかんだ 甘藷。サツマイモ。



二、うがとー国から下しみそーち島に種物広ぎやい村に毛作い出来らさーい人民助けてあん美らさや 造て呉たる果報の島
'うがとーくにからくだしみそーち しまにさにむんふぃるみやい むらにむじゅくいでぃきらさーい じんみんたしきてぃ'あんちゅらさや ちゅくてぃくぃたるかふぬしま
'ugatookuni kara kudashi misoochi shimani sanimuN hwirugiyai mura ni mujukui dikirasaai jiNmiN tashikiti 'aNchurasaya chukuti kwitaru kahunu shima
そんなに遠くの国から島にお送りになられて 島に穀類を広めになられ、村に農業がよく出来るようにして人民をお助けになられて、その清らかなことよ 作ってくださった果報(幸福)の島
語句・うがとー 「その遠さ。そんなに遠く」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・くだしみそーち 「くだしゅん」の敬語。くだしゅん。「下す。本土から沖縄へ。また首里からいなかへ、人・物を送る。」【沖辞】。



三、北風吹けばかたかなて 潮花あがてん枯りらんど大風吹ちん動かんど 大木なれば家作ゆん 祖先の植たる唐福木
にしかじふきばかたかなてぃ すーばな'あがてぃんかりらんどー'うふかじふちん'んじゅかんどー'うふぎーなりばやーちゅくゆん 'うやぬ'っういたるとーふくぎ
nishikaji hukiba kataka nati suubana 'agatiN kariraN doo 'uhukaji huchiN 'NjukaN doo 'uhugiinariba yaachukuyuN 'uyanu 'witaru toohukugi
北風が吹けば風よけになり 潮花(塩水)あがっても枯れないぞ 大風が吹いても動かないぞ 大木になれば家を作る 先祖の植えた福木
語句・かたか 「遮蔽。さえぎるもの。」【沖辞】。・すーばな 潮の花→塩分を含んだ海水。・にしかじ 北風。沖縄で「北」をニシと呼ぶ理由は諸説ある。・ふくぎ フクジとも言う。常緑高木。家の防風林として周りに植えられ、大木になれば家の材木としても利用する。



四、夏の昼間やけー隣い主達アンマー達立ち打ち揃て 御茶も茶うけも前なさい 福木の下や涼所 肝も心もすがりゆさ
なちぬふぃるまやけーとぅない すーたー'あんまたー'うちするてぃ 'うちゃんちゃわきんめーなさい ふくぎぬしちゃやしだどぅくる ちむんくくるんすがりゆさ
nachi nu hwiruma ya kee tunai suutaa 'aNmataa 'uchisuruti 'uchaN chawakiN meenasai hukuginu sichaya sidadukuru chimuN kukuruN sugariyusa
夏の昼間はちょっと隣へ お父さん達もお母さん達もみな揃い 御茶もお茶うけも前にして 福木の下は涼しい所 身も心も風にあたって涼しいよ
語句・けー ちょっと~する。・ちゃわきお茶うけ。・しだどぅくる 涼しい所。しださん。涼しい。・ちむんくくるん 直訳すれば「肝も心も」。「身も心も」と訳しておく。「①肝、肝臓②心、心情」【「琉球語辞典」(半田一郎)」】(以下【琉辞】と略す。)・すがりゆさ <すがりゆん。「風に当たる。風に当たって涼む」【沖辞】。+さ。よ。



五、親の植えたるフクジ木や家立て村立てうぬ手本 何百年も子孫栄ゆし村栄ゆし 我したウルマのしるしさみ
'うやぬ'っういたるふくじきや やーだてぃ むらだてぃ 'うぬてぃふん なんびゃくにんぬにんじちん しすんさかゆし むらさかゆし わした'うるまぬしるしさみ
'uya nu 'witaru hukugiki ya yaadati muradati 'unu tihuN naNbyakuniN nu niNjichiN sisuN sakayushi murasakayushi washita 'uruma nu shirushisami
親が植えた福木の木は家を立て、村を建設したご先祖様の模範のようだ 何百年の年月も子孫が栄え村栄える私達の島うるまの前兆なのだ
語句・ふくじ 福木。・うるま琉球の事。『「ウル」 とはサンゴやサンゴ礁一般に対する語である。琉球方言では海浜の砂や礫にウルと言っている』【「地名を歩く」南島地名研究センター】。「砂地の土地の意味か」【琉球語辞典(半田一郎)】。・しるし「きざし。前兆。また、神の知らせ」【沖辞】。


(コメント)
非常に元気のいい曲であり、またご先祖様を讃える内容からエイサー曲にも使われることがある。祖先の知恵を守ることが今後の島の栄えを守ることになるというきわめて自然でかつ沖縄的な歌。


民謡鶯組のCD「沖縄の自然」にこの曲が収録されている。

作詞をされた浦崎芳子さんはこう解説されている。
『昔、私達の祖先が唐の国に渡り、唐ぢん、唐福木等々と、衣食住に関わる原料を持ち帰ってこられたおかげで、子々孫々にわたり果報がもたらされました。私達の親祖先の業績とそのもたらした今日の豊かに思いをめぐらしながら、感謝の気持ちで作詞しました。
1984年作 浦崎芳子』

福木は暴風林としてもまた日よけにもなり、家の材料にもなる。そして人々の歓談、交流がその下で行われる。それは中国からご先祖様によってもたらされた。外国との交流を大事にしていた琉球の人々の自然な生き方である。いいものは外国から学ぶ。生きる知恵である。

五穀を始め、甘藷(サツマイモ)サトウキビ、福木、などが大陸からもたらされた。

中国の冊封体制に積極的に組み込まれながらも琉球王朝の主体性を失わず、農業や治水、料理、哲学まで取り入れまた琉球に合ったものに変えていったのである。その事が琉球国の独自の発展にも繋がっていった。

琉球の国のあり方を歌で指し示している。同時に普遍的な「クニ」の在り方も表しているように感じる。

(大宜味村の福木)

この歌を歌っている民謡鶯組のホームページはこちら


Posted by たる一 at 18:37│Comments(3)
この記事へのコメント
たうちー一代もこれと同じ曲ですね。
とうぢんは唐衣かな?
Posted by ふーちゃん at 2006年02月14日 08:43
ふーちゃんさん
ありがとうございます。
そうですよね。唐の着物(ちん)でしょうね。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年02月14日 18:19
トージンは唐黍で、とうもろこしのことですね。
黍は古語の「キミ」から、「チン」となり、とうもろこしは「唐からのチン」という意味で「トージン」に。
五穀の「キビ」は「真のチン」という意味で「マージン」と呼ばれます。
Posted by たる一たる一 at 2017年01月14日 15:29
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