2005年11月24日

白雲節

白雲節
しらくむぶし
shirakumu bushi


一、白雲の如に見ゆるあの島に飛び渡てみぶさ羽の有とて
しらくむぬぐとぅにみゆる'あぬしまに とぅびわたてぃみぶしゃ はにぬ'あとーてぃ
shirakumu nu gutu ni miyuru 'anushimani tubiwatatimibusha hani nu 'atooti
白雲の様に見えるあの島に飛び渡ってみたい、羽があって(なら)
語句・あとーてぃ'atooti あって。あん(ある)の活用形。過去にあったことが現在まで継続している状態。直訳すると、「あっていて」羽があっていて飛びわたってみたい → 羽があったら飛びわたってみたい。


二、飛び鳥の如くに自由に飛ばりてれ毎夜行ぢ行ち逢て語れすしが
とぅびとぅいぬぐとぅにじゆにとぅばりてーれーめーゆる'んじ'いちゃてぃかたれーすしが
tubitui nu gutu ni jiyuu ni tubariteeree meeyuru 'Nji 'ichati kataree shushiga
飛ぶ鳥の様に自由に飛べたならば毎夜出て逢って契りを交わすのだが
語句・とぅびとぅい飛ぶ鳥 。・すしが<しゅん shuN する+しが shiga 〜だが。 するのだが。・とぅばりてーれー 飛べたなら tubariti飛べた(過去形)+y(は)=tubaritee →tubariteree(仮定法)
かたれー 仲間になる。男女一緒になる約束。 ただの「語らい」よりニュアンスは濃い。


三、吾が思る無蔵や白雲の如に見ゆるあの島のなひんあがた
わが'うむるんぞやしらくむぬぐとぅにみゆる'あぬしまぬなふぃん'あがた
waga'umuru Nzoya shirakumu nu gutu ni miyuru 'anu shimanu nahwiN'agata
私が恋しい貴女は白雲の如くに見えるあの島のさらにあちら側(だ)
語句・なーふぃんさらに。・'あがたあちら側 。あ(あちら)+方。


四、 吾がや思い尽くすだきに思ゆしが渡海ゆひぢゃみりば自由ねならん
わがや'うみちくすだきに'うむゆしが とぅけゆふぃじゃみりば じゆねーならん
wagaya 'umiichikusu dakini 'umuyushiga tukee yu hwijamiriba jiyunee naraN
私が想いを尽くす程恋しいのだが海(を)隔てているので自由にはならない
語句・だき 程度 。・じゆねー 自由には。じゆに+や(は)=じゆねー。強調。


五、たとい渡海ひぢゃみ別れりやい居てん白雲に乗して思い知らさ
たとぅいとぅけーふぃじゃみわかりやいうてぃん しらくむにぬしてぃ 'うむいしらさ
tatui tukee hwijami wakari yai utiN shirakumu ni nushiti 'umui shirasa
たとえ海を隔てて別れ離れになっていても白雲に乗せて恋しさを知らせよう
語句・わかりやい別れて(離れて) いて。 別れwakari+、jai <jaN ある。状態にある。



六、一人淋々と眺む見る雲も無蔵姿なとて忘りかにさ
ふぃちゅいさびざびとぅながむみるくむん んぞしがたなとぅてぃわしりかにさ
hwichui sabizabi tu nagamu mirukumuN Nzo shigata natuti washirikanisa
一人淋しく見る雲も貴女の姿になって(貴女を)忘れかねるよ



沖縄民謡、琉歌はスケールが大きい。恩納ナビィが彼に会いたい一心で山を動かしたいと唄ったり、この白雲節のように羽があったら毎晩彼女のところに通うという。このスケールは大和の民謡にもあまりみられない。CGで描かれる映画のシーンのように想像力をかきたてる。
いまなら携帯電話でどれだけ離れた人とも会話できるが、それもままならぬ時代に、白雲に言葉を乗せて伝えるという。自由という言葉が何回も出てくるのは近代に作られた証拠かもしれない。
沖縄の人々はロマンチストである。海や山や緑や雲や星でさえ日常の歌に折り込まれる。そして自分の思慕を豊かに描く。

白雲節は、耐え難く募るあの人への想いを、淡々とした三下げのリズミカルな三線奏法に乗せて歌われる。
嘉手苅林昌さんのこれをCDではじめてきいたとき、ブルースだと思った。沖縄音階は満ち満ちて、太鼓だけがバックにやさしくドーン ドーンと波の音のように入っているから沖縄民謡に間違いないのだが、あの南国の明るさも華やかさもなく まさに淡々と想いを謡うブルースなのだ。
登川誠仁さんが映画「ホテルハイビスカス」のエンディングで聞かせてくれたときも鳥肌がたった。他に知名定男さん徳原清文さんのも、それぞれの持ち味でこの曲の色を変えて楽しませてくれる。


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Posted by たる一 at 14:42│Comments(8)さ行
この記事へのコメント
同感です。ブルースですね。沖縄の悲しいうたは、わざと悲しくないふうに淡々とうたうそうですが唄者達の特色がありますよね。それから、あくまで私の主観ですが、知名定男さんは嘉手苅林昌さんをかなり意識している気がします。もちろん尊敬もありますが、時に「負けないぞ」的な気迫が感じられるのです。そう思いませんか?
 定男さんは林昌さんが亡くなった時、テレビでただ1人、嘉手苅林昌さんに捧げます、と南洋小唄を唄ってました。あれは嘉手苅林昌さんの反戦歌だと彼は知っていたからです。と同時に南洋小唄は佐田をさンよく歌いますよね。そしてしかも、5番まで。5番は正にプロテストソングです。
Posted by gabaizu at 2005年11月25日 21:21
gabaizuさん、コメントありがとうございます。
97年大阪ドームでの琉球フェスティバルの最後のほうで歌われた南洋小唄で、私ははじめて5番の歌詞を知りました。
ここでも知名さんは白雲節を歌いました。

次回南洋小唄の5番まで訳に挑戦してみようと思います。

Posted by たるー at 2005年11月25日 23:43
胤森さんに一番の「あとて」を質問していました。

私は仮定という形なので「あとぅてー」という形だと思っていましたが、

(あとてー'atutee  あったら(仮定法)語尾が「えーee」となる。
 沖縄では短母音の「えe」はほとんどない(三母音化)が、この長母音の「えーee」や「おーoo」はよくあるので注意したい。)

胤森さんから、あとーてぃ'atootiではないかと。
羽があって。という形でも仮定法もあると。
うーむ難しいところです。
とりあえず、胤森さんのご意見をうけて、一番のところを書き直しました。


Posted by たるー at 2005年12月01日 06:20
大好きな歌です!
林昌さんがつけている
「二羽うし連りて 飛ぶる 浜千鳥 たわむれて遊しぶ 夫婦千鳥」
も気に入ってます

このあとに2番につながるんでしたっけ。


詳しい解説、どうもありがとうございます!
Posted by suzy_jinsan at 2006年03月12日 10:44
suzy jinsanさん コメントありがとう。
二羽・の歌詞は盛り込みませんでしたが
いつも歌うとこきはいれてます。
その歌詞は後半だったと記憶していますが。。

あと
いかな世の中の変わていちゅるとも
二人が真心や変わて呉るな
も林昌さんの歌詞でしょうね。
これも好きです。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年03月13日 06:36
「いかな世の中の変わていちゅるとも・・・・」
これも好きです!

全部歌うと、8番になってしまってけっこう大変ですよね。

自分ではこの歌詞を「肝がなさ節」のメロディに乗せてうたうことがあります。
(勝手にそんなことしていいのかはわからないのですが、、、、、、)
Posted by suzy_jinsan at 2006年03月13日 11:02
suzy jinsanさん、
肝がなさ節で、ですか~それもおもしろいですね。
琉歌どうしですから入れ替えは可能ですね。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年03月14日 06:38
現在の書式にしたがって書き換えしました。訂正や書き加えもあります。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年03月26日 13:24
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