2008年11月09日
伊計離節 2(舞踊)
伊計離節
'いちはなり ぶし
'ichihanari bushi
語句・いち 伊計(島)。
勝連の(よー)島や(よー はり)通い欲しゃ(よーへいよー)あしが(よー)
かちりんぬ(よー)しまや(よー はり)かゆいぶしゃ (よー へいよー)'あしが(よー)
kachiriN nu(yoo) shima ya (yoo hari)kayuibusha(yoo heiyoo)ashiga(yoo)
以下括弧内囃子は省略する。
○勝連の村には 通いたいが
和仁屋間門の潮の蹴やいあぐで
わにゃまじょーぬ 'うしゅぬ きやい'あぐでぃ
wanyamajoo nu 'ushu nu kiyai 'agudi
○和仁屋間門の潮を蹴り(渡り)かねて
語句・わにゃま 地名。北中城村で中城湾に面している。
無蔵に思みなせば一うえく半
んぞに'うみなしば ちゅ'うぇーくなから
Nzo ni 'uminashiba chu 'weeku nakara
○貴女に思いをなせば 一(ひと)漕ぎ半(で着くかのよう)だ
語句・うぇーく 櫂(かい)。「いぇーく 'yeeku」とも言う。
遊で浮上がゆる津堅久高
'あしでぃ 'うちゃがゆる ちきん くだか
'ashidi 'uchagayuru chikiN kudaka
○遊んで浮き上がる津堅島、久高島
語句・うちゃがゆる <うちゃがゆん 「浮き上がる。鮮明〔鮮やか〕になる。」(琉)。
伊計離節は、いままで2回登場している。
谷茶前のチラシ(逆もある)としての伊計離節は早弾き。
また普通の伊計離節。
古典ではゆっくりしたものが使われる。
それについては別項で書きたい。
琉歌大成(清水彰編著)を見ると
2772
津堅渡の渡中汗はてど漕ぎゆる 無蔵に思ひなせば一おあわくなから
chikiN duu nu tunaka 'ashi hatidu kujuru Nzo ni 'uminasiba chu weku nakara
○津堅島への海を汗かいて渡っているが、恋人に逢うと思えば、一漕ぎ半の感じだ
さらに、「遊で浮上がゆる津堅久高」の歌詞は
同 493
行けば伊計戻て浜平安座遊び浮上がゆる津堅久高
'ikiba 'ichi muduti hama heNza 'ashibi 'uchagayuru chikiN kudaka
○行けば伊計島 戻って浜平安座島 遊び浮き上がる津堅島、久高島
琉歌大成での解説では
「伊計・浜・平安座・津堅・久高それぞれに踊って楽しい島々だ」と大意が添えられている。
「浮き上がる」ほど「楽しい」と受け止めているようだ。
また、上掲の歌詞と関連ある琉歌として
同 4862
和仁屋間門の潮や蹴やりあぐまはも勝連の島や通ひぼしやの
wanyamajoo nu 'ushu ya kiyai 'agimawaN kachiriN nu shima ya kayuibushanu
○和仁屋間門の潮流は(櫂で)漕ぎにくくても 勝連の島には通いたいものだ
(諏訪杢右衛門の作といわれる)
同 1363
勝連の島や通ひぼしやあすが和仁屋間門の潮や蹴やいあぐで
kachiriN nu shima ya kayuibushaashiga wanyamajoo nu 'ushu ya kiyaiagudi
○勝連の島は通いたいものだが和仁屋間門の潮流は(早くて 櫂で)漕ぎにくい
それぞれ北中城村の歌碑に書かれて今も残っている。
初めて工工四を作った屋嘉比朝寄(1716〜1775)のいわゆる「屋嘉比工工四」には「和仁也間門節」の名前で上句の「勝連の島は通り欲しやあすが」だけが記載されている。(「歌三線の世界」勝連繁雄著 )
'いちはなり ぶし
'ichihanari bushi
語句・いち 伊計(島)。
勝連の(よー)島や(よー はり)通い欲しゃ(よーへいよー)あしが(よー)
かちりんぬ(よー)しまや(よー はり)かゆいぶしゃ (よー へいよー)'あしが(よー)
kachiriN nu(yoo) shima ya (yoo hari)kayuibusha(yoo heiyoo)ashiga(yoo)
以下括弧内囃子は省略する。
○勝連の村には 通いたいが
和仁屋間門の潮の蹴やいあぐで
わにゃまじょーぬ 'うしゅぬ きやい'あぐでぃ
wanyamajoo nu 'ushu nu kiyai 'agudi
○和仁屋間門の潮を蹴り(渡り)かねて
語句・わにゃま 地名。北中城村で中城湾に面している。
無蔵に思みなせば一うえく半
んぞに'うみなしば ちゅ'うぇーくなから
Nzo ni 'uminashiba chu 'weeku nakara
○貴女に思いをなせば 一(ひと)漕ぎ半(で着くかのよう)だ
語句・うぇーく 櫂(かい)。「いぇーく 'yeeku」とも言う。
遊で浮上がゆる津堅久高
'あしでぃ 'うちゃがゆる ちきん くだか
'ashidi 'uchagayuru chikiN kudaka
○遊んで浮き上がる津堅島、久高島
語句・うちゃがゆる <うちゃがゆん 「浮き上がる。鮮明〔鮮やか〕になる。」(琉)。
伊計離節は、いままで2回登場している。
谷茶前のチラシ(逆もある)としての伊計離節は早弾き。
また普通の伊計離節。
古典ではゆっくりしたものが使われる。
それについては別項で書きたい。
琉歌大成(清水彰編著)を見ると
2772
津堅渡の渡中汗はてど漕ぎゆる 無蔵に思ひなせば一おあわくなから
chikiN duu nu tunaka 'ashi hatidu kujuru Nzo ni 'uminasiba chu weku nakara
○津堅島への海を汗かいて渡っているが、恋人に逢うと思えば、一漕ぎ半の感じだ
さらに、「遊で浮上がゆる津堅久高」の歌詞は
同 493
行けば伊計戻て浜平安座遊び浮上がゆる津堅久高
'ikiba 'ichi muduti hama heNza 'ashibi 'uchagayuru chikiN kudaka
○行けば伊計島 戻って浜平安座島 遊び浮き上がる津堅島、久高島
琉歌大成での解説では
「伊計・浜・平安座・津堅・久高それぞれに踊って楽しい島々だ」と大意が添えられている。
「浮き上がる」ほど「楽しい」と受け止めているようだ。
また、上掲の歌詞と関連ある琉歌として
同 4862
和仁屋間門の潮や蹴やりあぐまはも勝連の島や通ひぼしやの
wanyamajoo nu 'ushu ya kiyai 'agimawaN kachiriN nu shima ya kayuibushanu
○和仁屋間門の潮流は(櫂で)漕ぎにくくても 勝連の島には通いたいものだ
(諏訪杢右衛門の作といわれる)
同 1363
勝連の島や通ひぼしやあすが和仁屋間門の潮や蹴やいあぐで
kachiriN nu shima ya kayuibushaashiga wanyamajoo nu 'ushu ya kiyaiagudi
○勝連の島は通いたいものだが和仁屋間門の潮流は(早くて 櫂で)漕ぎにくい
それぞれ北中城村の歌碑に書かれて今も残っている。
初めて工工四を作った屋嘉比朝寄(1716〜1775)のいわゆる「屋嘉比工工四」には「和仁也間門節」の名前で上句の「勝連の島は通り欲しやあすが」だけが記載されている。(「歌三線の世界」勝連繁雄著 )
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