2008年07月08日

出征出船の唄(熊本節)

出征出船の唄
(別名 熊本節)
※題名は大和口なので発音は略す。

作 普久原 朝喜

(男)我身や熊本ぬ城内ぬ努み 無蔵や母親ぬ御側勤み
わみやくまむとぅぬしる'うちぬちとぅみ んぞやはは'うやぬ'うすばちとぅみ
wami ya kumamutu nu shiru'uchi nu chitumi Nzo ya hwahwa'uya nu 'usuba chitumi
私は熊本の城内の勤め 貴女は母親の御側で辛抱
語句・しるうち 城内。・ちとぅみ 辞書には、名詞の「ちとぅみ」には「勤務」とあるが、動詞「ちとぅみゆん」には「勤める」と「辛抱する」がある。「辛抱」を後者にあてた。ちなみに歌詞を参考にした「正調琉球民謡工工四集」では、二つの「ちとぅみ」には「努み」と「勤み」と当て字がしてある。


(女)我身や母親ぬ孝事方すむぬ 里や国の為尽くちたぼり わみやふぁふぁ'うやぬこーじがたすむぬ さとぅやくにぬたみ ちくちたぼり
wami ya hwahwa'uya nu koojigata sumunu satu ya kuni nu tami chikuchi tabori
私は母親の孝行をするから貴方は国の為尽くしてください
語句・こーじ 孝行。余談だが沖縄語辞典にこの語句はない。・すむぬ するから。接尾語の「むぬ」は、「…ものを」、「…のに」、「…から」の意味。活用する語の短縮形につく(沖)。 


(男)三年ぬ努み終ち来る間や手本立てぃる事願てぃ呉りよ 
さんにんぬちとぅみ しまちちゅる'うぇだやてぃふんたてぃるぐとぅにがてぃくぃりよ
saNniN nu chitumi shimachi churu 'weda ya tihuN tatirugutu nigatikwiri yo
三年の勤務終わらせてくる間は手本立てる事願ってくれよ
語句・しまち 終えて。<しましゅん 済ます。終わらせる。


(男女)那覇港来りば寂しさや(無蔵よ:男。里前:女)袖濡らす涙忘してたぼな 
なふぁんなとぅくりばさびしさや(んぞよ さとぅめ)すでぃぬらすなみだわしてたぼな
nahwaNnatu kuriba sabishisa ya (Nzo yo,satume)sudi nurasu namida washitee tabona
那覇港に来るとなんて淋しいことよね(お前、あなた)袖を濡らす涙を忘れてはくださるな
語句・さびしさや なんと淋しいことよねえ。沖縄語で「淋しい」は「さびっさん」だから「さびっさや」となるはずだが、「さびしさや」と標準語まじり。




先日の「軍人節」のチラシで歌われる「出征出船の唄」
別名「熊本節」
作は普久原朝喜。

内容は、戦争に赴く夫婦の別れ際の切なる思い。
男女交互に
私は熊本の城内のお勤め、お前はお母様のお側のお勤め、辛抱。
私は母親の孝行をするから貴方は国の為。
三年の勤め終わるまでに手柄をたてるよう願ってくれ

という内容。
最後の男女が歌うものは、嘉手苅林昌と大城美佐子らが歌う。
一緒に歌いながら、括弧の中は、二人がそれぞれ、無蔵よ、と里前と歌う。

こうしてウチナーンチュも戦争に多くが協力しながら
最後の結末は悲惨。
なぜなら、沖縄は「本土防衛のための捨石」だったからだ。
県民の4人に一人が亡くなった。
多くの本土の若者たちも、米軍人もなくなった。
強制連行された朝鮮の従軍慰安婦も。

こうした悲惨な結末にいたる道の途中で歌われた唄。
私はなんの気持ちもなくこの唄は歌えない。
時代背景、唄にこめられたもの。
易々と歌いたくないといつも思う。

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Posted by たる一 at 22:38│Comments(1)さ行
この記事へのコメント
本来はウタムチ~ツラネ~軍人節~ツラネ~揚七尺節~ツラネ~熊本節~万歳三唱~だんじゅかりゆし
にて構成されていますよね、「入営出船の歌」は(タイヘイ丸福SP音源より)。
Posted by くがなー at 2012年01月07日 16:44
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